投稿元:
レビューを見る
収録作の三編は『バベルの図書館22 パラケルススの薔薇』
(国書刊行会)で既読だったが、
本邦初訳の表題作のために購入・読了。
■一九八三年八月二十五日
深夜、宿泊するホテルに帰ったボルヘスはフロントで
記帳を求められ、首を傾げつつページに目を落とすと、
真新しいインクの跡が自らの名を綴っていた。
宿の主は、よく似た別の客が既にいるが、
あなたの方が若いようだと告げる……。
バベルの図書館『パラケルススの薔薇』での初読時より、
もっさり・まったりした印象を受け、
同時に何故か内田百閒風に感じられた。
■青い虎
1904年末にガンジス川のデルタ地帯で
青い虎が発見されたとのニュースを読んだ〈私〉こと
アレクサンダー・クレイギーは、
更に、そこから離れた村にも
青い虎の噂があると聞いて旅立ち、
山に入って無数の小石を発見した――。
■パラケルススの薔薇
錬金術士パラケルススこと
テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム(1493-1541)の許に
弟子入り志願者がやって来たが……。
■シェイクスピアの記憶
英文学者ヘルマン・ゼルゲルは
シェイクスピア国際会議で知人に引き合わされた
ダニエル・ソープから
「シェイクスピアの記憶を差しあげましょう」と切り出された――。
作者ボルヘス自身の鏡像と思しい主人公たちの驚きが
静かだけれども瑞々しい。
旅と記憶と〈読むこと〉〈書くこと〉を巡る佳品群。
投稿元:
レビューを見る
ボルヘスの遺作が本邦初訳なのがびっくり。良くも悪くも枯れた感じは、昔からかも知れないが、渇き具合が一段と上がっている感じはする。懇切丁寧な解説が助かる。
投稿元:
レビューを見る
短編4篇。
いずれも夢と記憶と旅の話。
あるいはバーチャルリアリティの話だとも言えそうだ。
他者の記憶を丸ごとインストールすることでアイデンティティがゆらぐ。それがましてやシェークスピアの記憶なのだとしたら!
投稿元:
レビューを見る
マジック・リアリズムと呼ばれるが、ガルシア・マルケスとはまた違う。日本文学より語り切る感じだが、シンプルな中に読み手に委ねてあるところが多く面白い。
投稿元:
レビューを見る
20世紀ラテンアメリカの作家ボルヘス(1899-1986)最晩年の短篇集、1983年。
□
自己への拘泥という依存からの解放を、精神からも肉体からも解放されるということを、精神と肉体から抜け出る秘密の抜け道としての何かを、求めていた。自己がどこともなく解消されて、喪失すべきものが実ははじめから喪失してしまっていたということになれば、喪失の前提条件が予め解消されてしまっていたということになれば、そもそも迷子になる布置そのものがなくなってしまっている、ということになる。
主/客、自/他、有/無、同一/差異、区別/混沌、、現/夢、生/死、実/虚、能動/受動、自由/運命、、始/終、先/後、因/果、内/外、上/下、左/右、天/地、遠/近、大/小、、真/贋、始源/模倣、原本/複製、根源/派生、作者/読者、、メタレベル/オブジェクトレベル……
ボルヘスの不思議な作品を読んでいると、これらの対立がくるりと反転して、そうした区別(秩序、同値類)と方向(序列、階層)が曖昧化され解消してしまう。彼の作品を通して、自分の、或いはもはや「自分」とは名指しできなくなるかもしれない何者かの、別のありようを、想像してみる。
□
「外で私を待っていたのは、別の夢だった。」(p23「一九八三年八月二十五日」)
「作品はその描き手を必死になって救おうとする。」(p154「解説」)
「読み手の役割がもっとも重要なのだ。読み手であって、書き手ではない。ボルヘスさんは読み手が書き手の仕事を引き継ぐのだと信じている」(p156「解説」)