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ヨン・フォッセの「だれか、来る」の表題作を読みました。
戯曲です。
彼と彼女は、とても辺鄙なところに新しく買った家の前に立ち、問答をします。
「だれもやってこない家 おれたちが 一緒にいられる家」
「きっと だれかやってくる」
そして、家の元の持ち主の男が現れて、彼女と話します。
彼は彼女の気持ちが男にあったのだと弱々しく責め立てるのです。
彼女は一瞬いなくなります。
そこで、彼は独白をする。
「おれたちは二人きり いつまでも」
そうして彼女は姿を現し、関係は修復されました。
彼女は、家の周りにだれもいないことに寂しさを訴えておりました。彼は、彼女の姿が見えなくなると、突然、希望を語りました。
人は、やるせない孤独を感じてしまうと、人を恋しがる。そして、愛を求めます。その心理を描いたのでしょうか? さて、彼女の前にでてきた男は、不快な人でしたが……。
そして、他にも語っていることはありそうです!!
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タイトルとノルウェーのフィヨルドが舞台とだけで読む。
本を開いてみて初めて戯曲と知る。しまった!
ところが、この戯曲は読みやすくて助かる。
情景が、舞台が、ありありと浮かぶ。
フィヨルドの暗い海を前に、
人は人を信じ切れない、孤独な存在・・・
と、いうことなのかな・・・
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ほぼ同じ言葉だけで構成されて、いうなればとてもシンプル。だからこそなのかリズムをすごく感じる。解説を読んでヨン・フォッセ氏の母語で書かれた戯曲を読めないのは悔しいと思うほど。日本語に訳すのはとても大変だったのだろうと感じる。
ストーリーは、みんなから離れて二人だけでひっそりと暮らそうと離れ小島の古い一軒家を購入した二人。しかし一人が「だれか、来る」と言い出す。そんなことはないと言うが不安をあらわに誰か来そうだと主張する。
案の定、一軒家の持ち主だったお婆さんの孫が登場する。この家を購入した人に会おうと思って、と。
ほぼ限られた言葉だけで構成されているのに、登場人物たちの不安な気持ち、揺れ動く気持ちが伝わってくるのがすごい。
最所にだれか来る気がすると不安だった人物が、どういう意図でもってお婆さんの孫から電話番号の紙をもらったのか。登場人物の気持ちが伝わる一方で分からない部分もあり、そのバランスが絶妙で心に残る。
あと解説が素晴らしいので、最後まできっちり読んでほしい。
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2023年度のノーベル文学賞受賞者のヨン・フォッセの処女戯曲。ノルウェーのさびれた海岸の一軒家に来た男女が、ようやく二人きりになれる、と安堵する一方、だれか来る、と怯える。人間の孤独と不安を描く。登場人物は3人だけ、名前もない。セリフは少なく、大きな出来事は何も起きない。詩のような劇だ。さらに、原作は、ノルウェーの西海岸の言葉を基にした書き言葉(話し言葉ではない)「ニーノルシュク」で書かれているという。それでは、戯曲を読んで理解することは不可能ではないか。舞台を見ればなにがしかが伝わるかもしれない。上演が待たれる。
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ぜん・ぜん・わっ・からーん!!!(≧∇≦)ノノ ←ここまでわからんと踊っちゃうしかない
2023年にノーベル文学賞受賞したノルウェーの劇作家、著作家。
ノーベル賞ってことは読者(観客者)から良いお話だって歓迎されたんですよね、みなさんすごい、私には、わっからーん(≧∇≦)ノノ
ブクログとしての★評価の自分の基準をどこに置いていいのかわからん、しかし不快な感じはしないわからなさ。やっぱり踊っちゃうしかない(≧∇≦)ノノ
動画見つけた!
https://www.sapporo-community-plaza.jp/archive.php?num=1220
やっぱりわからん(≧∇≦)ノノ
ノルウェーの言語は、デンマークの勢力下にあったときはデンマーク語が使われていた。独立後にデンマーク語を保存しつつノルウェーの単語を導入し、さらに書き方、発音をノルウェー化したのが「ボクモール」。これはオスローを中心とした90%の住民が話しているのだそうだ。フォッセが執筆しているのはもう一つ西海岸で使われる「ニーノシュク」という言語だ。ノルウェーの西海岸は山やフィヨルドに囲まれ谷間の村落では独自の言語が確立してきた。ボクモールは都会のインテリが使う、ニーノシュクは辺境の労働者の言葉という扱いらしい。しかしフォッセは西海岸に生きる平凡な人々のあるがままの姿を書く言葉だとしてニーノシュクを使っているのだそうだ。
読書会のために読みました。
絶賛する人と戸惑う人に分かれました 笑
【だれか、来る】
これは舞台上映のための戯曲ですよね。150ページ程度なので上映時間1時間程度?翻訳の口調が深刻調なので、頭の中に浮かぶ声や動きは低くてゆっくりしたものになる。読んでいる途中でどうせなら楽しまねばなあと思って、軽妙な口調で想像してみたりしたんだけど、やっぱり重々しさのほうが勝った。
登場人物は、50代の彼、30代の彼女、20歳にならない男。場所は、海辺の田舎町の一軒家の庭と、室内。この一軒家はかなり古びて手入れも全く行き届いていない。
冒頭はその家の前に立つ彼と彼女。二人は人々から遠く離れて二人だけで過ごすためにこの家を買った。
二人は「古い素敵な家/二人だけで住む家」というのだが、ト書きでは「雨風に晒され、朽ちて、ガラスは割れて、色褪せている」と説明されているし、二人の口調も変に重々しいのでどんなテンションで読めばよいんだと思う。
「この家
おれたちだけの
君とおれ二人だけ」
「私たちは今、私たちの家に着いた
私たちの家
この家で一緒に住む
あなたと私
二人だけで 一緒」
って感じです。
私は最初二人が世間から遠く離れたこんな寂しい場所にまで来たのは、戦争から逃れたんだとかそういうことなのかなと思ったんだがそのようなことでもないらしい。(その後の言葉から、不倫逃避行の可能性も。)
希望のような言葉を口にする二人だが、彼女のほうは徐々に不安を見せる。「ここはとても寂しくて、だれかが来るような気がする。」男は「いや、みんなから逃れて二人だけだ」と否定する。
だが庭に若い男が現れた。若い男は先祖から継いだこの家を売ったのだ。若い男と言葉をかわしたのは彼女だけだった。その様子を見て彼は不安と不信を顕わにする。
舞台は家の中に移る。
古いし汚れているし、前の持ち主肖像画やら古いおしっこがはいったままのおまるだのが丸ごと残されていて、読んでいるだけで不快になる(-_-;)
これ舞台で見て楽しいの?(-_-;) 観ている人を不安な気持ちにさせることが目的ってことですか?
若い男は彼と彼女に妙に馴れ馴れしく、「二人だけ」の家に訪ねてくる。若い男の出現で彼と彼女の関係は不安定になる。
彼は、彼女にだけ若い男の応対をさせて、しかしあっからさまに不機嫌さを見せる。だったら自分で相手しなよ、面倒くさいなあ(-_-;)
※読書会で「起こる前と、起きてからの意識の変化」という意見出た。
「だれか 来る」という彼女。「いやだれも 来ない」という彼。だが彼も「いつだってだれかが来る」と諦める。
物語はそれだけ。
来る。来ない。
「ただ一緒に いたかった」という二人は、庭のベンチに一緒に座る。長い間。
※※読書会※※
・間の置き方、言葉の繰り返し、端正で豊かだ。
・ノーベル賞取るだけある!凄い面白い!←→いかにもノーベル賞取るような作品だなー
という、両方の意見 笑
・「ノルウェーっぽいな。以上!」
・リズミカルで歯切れがよく、読みやすい。短いからとか、難しい言葉を使っていないとか、余白が多いからとかではない。小説も戯曲も「SONG」で歯切れのよい言葉をポンポン連ねてゆく。
・誰か来る。邪魔しないでくれ。でもどうやっても他者がテリトリーに入ってくる。
・世界に否応なく投げ込まれた現存在。どうやって世界と向き合ってゆくのか。(ハイデッガー実存主義)
・一幕:「彼女」は不安として「誰とも関わらないなんてできない。誰かが来る」といい、「彼」は否定していた。
二幕:実際に「男」が来たら、否定していた「彼」が「彼女」が望んだからだろうと言い出す。考えていただけのときと、実際に起きた時の記憶の書き換えのような。
三幕:部屋を見たり具体的なものが観客に示される。
・戯曲とはお芝居のためのもの。これをどう客に通じさせるのか。
・エッセイの方も、これはエッセイなのか小説なのか。解説が熱がこもって丁寧で良かった。
・抽象的な会話の中に、何気ない日常が示される。
・新しい家に来たのに幸せな感じで始まらない。
→それが良い。二人は50代の小太りの男、それより少し若い女。出会ってからそんなに長くもなさそう。今までいた場所では阻害されている気持ちがあり、追い詰められたまま新しい家に来たので気持ちも暗い。
→それが違和感。希望から、疑心に変わる動きがない。
・家について庭の周りを歩き回るだけでこれだけ状況を示せる。すでに話が動き回っている。
・少しの動きで、言葉の少なさ(繰り返し)で、怖さ、ユーモラスさすべてを表している。
・バルト三国の海は本当に静か。とても静かでびっくりするくらいに静か。見ていておかしくなりそうなくらいに静か。この静かな海も大事な舞台。
・三人の過去や関係性が分からない。分かるように進むかと思ったら外してくる。
・「誰か来る」から「誰��いる」になる。
・戯曲として、演者に解釈の余地はあるのか?なさそう。むしろ三人の人間性はかっちり作り込まれているように思う。
・男は、田舎の摺れていない青年なのか?悪意があるのか?男をどう判断すれば良い?
・「だれかくる」というので、よっぽどすごいやつが来るのかとおもったら、案外ふつーのしょーもないやつが来たなあと思った。しかしふつーのヤツなので、入れるか拒むかは彼と彼女次第。
・小説より簡素なのになぜここまで分かり楽しいのか。
・言語読むともっと歌みたいなのかな。でも日本語でも遜色していないと思う。