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この本のジャンルはなんなんだろう!?「面白かった」と言っていいのか、自分には理解できないことがたくさん書かれていたけど何故か夢中で最後まで読んだ。
「プルシアン・ブルー」、色んな人の伝記のような文章が目まぐるしく書かれていて、そんな文章を読んだことがなかったから衝撃を受けた。
自分が生きてる世界で根本から理解してるものがない、ということをチラッと考えたことがあるけど(例えば今触ってるスマホがどのようにできているのかを知らないとか)、そういう不安がこの本を読んで自分の中に形を成してきたような気がする。
不思議な本だった〜!
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オランダ出身でチリ在住の作家による第三作。ブッカー賞やら全米図書賞の候補作だとか、オバマ元大統領の愛読書だとかいろいろ喧しい。現実に存在した科学者や起きた出来事を元に構成されたフィクションだ。
冒頭に置かれた「プルシアン・ブルー」は、ゲーリングの爪が真紅に染まっていたことから、連想ゲームのように話が展開する。謝辞によれば一段落のみがフィクションだとのこと。だが、これ以降はよりその度合いが増していく。
著名な登場人物や彼らが成し遂げたことはおぼろげにわかっても、この作品を理解するには足りなかったようで、満足には程遠い。
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鮮やかな悪夢を見ているよう。
科学的業績のある人々の思索、体験、行動をフィクションを混ぜて書いてあります。
量子力学などの知識が少しあると、より楽しめます。
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『一九三四年、フリッツ・ハーバーはバーゼルで、冠動脈を拡張するための注射器を握り締めながら死んだ。それから数年後に、彼が開発に協力した殺虫剤がナチのガス室で使用され、彼の異母妹と義弟と甥たち、その他大勢のユダヤ人が殺されることになるとも知らずに』―『プルシアン・ブルー』
吉川晃司の抑制の効いた低い声の語りで科学史の闇の部分に焦点を当てたあの番組と似たような本かと思って読み進めると、作者の仕掛けた罠にまんまと嵌まることになる。その仕掛けについては作家ベンハミン・ラバトゥッツ自らが謝辞の中で述べているので敢えて記さないことにするけれど、望月新一とアレクサンドル・グロタンディークの人生が交錯する下りを読んで、一瞬、背筋に寒気が走り、あれ?と思ったということは書いておこう。
科学史に名を遺す知の巨人たちを登場させた小説は、恐らく枚挙に暇がないだろうけれど、個人的に一冊挙げるとするなら「ケンブリッジ・クインテット」。本書にも登場するシュレーディンガー、チューリング(ちらりと出て来るだけだが)の他、物理学者C・P・スノウ、哲学者ヴィトゲンシュタイン、遺伝学者ホールデインの五人が人工知能の可能性について語り合うという小説。チューリングはもちろんのこと、他の登場人物たちも各々言いそうなことを架空の晩餐の席上で言い合うところが面白い。当然のことながら、読者はそんな機会はなかっただろうと思いながら、それでも、ひょっとしたら起こり得たかもしれない会話を愉しむことになる。一方、本書「恐るべき緑」は、登場人物たちの人生を足早に辿りながら、見過ごされた事実を拾い上げ、それを脚色して物語を紡ぐ。読者は、そんなことはあり得ないだろうと思い(願い?)つつも、その筆致に惑わされ、つい本当にそんなことがあったのかと何度も逡巡しながら読み進めることになる。その感覚を敢えて言うなら、戦慄、という言葉が相応しいかも知れない。
科学が宗教に取って代わって人々の生きる上での支え(それはある意味で信仰と呼んでもいいと思うのだが)となり、それが余りにも当たり前の世の中であることに何の違和感も覚えない状態を凶弾するのが本書の主たる意図ではないだろうけれど、「フランケンシュタインの誘惑」で吉川晃司の語りによって明かされた科学者たちの行為や作為に驚愕するのと同様の衝撃は本書からも受ける。特に第一章「プルシアン・ブルー」は、事実の羅列とそこから派生する出来事の交錯を執拗に追いかける物語で、ドキュメンタリーの様相が強く、尚更だ。科学技術が悪い訳ではない、それをどう使うかの問題だ、とは言うものの、何処かで、その扉を開けていなければ、という思いが湧くことは否めない。知の扉を開け続け、蒙を啓くことで、果たして叡智と呼ばれるものを得るに至るのか。それに対するやや負の感情を作家の筆致から感ざるを得ないのも事実だが、窒素を求めて先人たちが墓を暴くことまでしていたことを知ると、知が人間性を、あるいは少なくとも人間性について考える余裕を手に入れ足らしめたことも確か。もちろん、単純に白黒判定が付くような話でもないけれど、そんなことをあれこれと考えてしまう一冊ではある(とは言���、本書は決して啓蒙書の類ではないのだが)。
エピローグは、恐ろしい話をあれこれと聞かされてすっかり消沈した者に語り掛けるかのような一章となっているが、そこで、はたと作家の意図(問い掛け)が見えてくる。さて、こんな風に問われたら、何と答えるべきなのだろう。それを考え続けることが、取り敢えずは重要なことだと判ってはいるつもりだけれど。
『ついこの間、夜の庭師から、柑橘系の樹木がどんなふうに枯れるか知っているかと訊かれた。干ばつや病気に耐え、疫病や菌類や害虫の無数の攻撃を生き延びたとしても、老齢を迎えると、過剰さによって滅びてしまうのだ。ライフサイクルの終わりに差しかかると、木は最後に大量のレモンを実らせる。(中略)不思議だね、と彼は言った。(中略)そのような恐ろしい豊饒のスペクタクルは植物のものには思えない、むしろ際限もなく制御不可能な成長を遂げる我々自身の種の過剰さに似ている。僕は彼に、我が家のレモンの木の寿命はあとどれくらいか尋ねてみた。彼は、少なくとも幹を切って年輪を見る以外にそれを知る方法はないと言った。でも、誰がそんなことをしたいと思うだろう?』―『エピローグ 夜の庭師』
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かなり面白い本だと思うが、小説でもありサイエンス本でもあり、ノンフィクションのようでもある不思議な本。フィクションなんだが、不思議な味わいがある。似たような本が思いつかない。しかもタイトルの意味が全く分からない(笑)オススメ。