投稿元:
レビューを見る
随筆だと思って読み始め、削ぎ落とされた文章と比呂美節に翻弄され、ああ、これは詩なのね、と途中で読み方を改めた。
鴎外の小説に出てくる「花子」。元芸者が日本の伝統芸を負って世界に打って出る。その腹の座ったまがいものぶりが、最後、自分の詩の朗読でクロスする。
作者はそれを「移民芸」と名づける。彼の地で生き抜く術の力強さ。奇妙な完成形の力強さ。
ドイツでの詩の朗読の舞台を、見ていないにも関わらず、まるで観客としてそこにいたかのように感じた。足を踏み鳴らし、四股を踏む伊藤比呂美と、ゾフィー・ショルの役をやったドイツの俳優の二人が融合し、舞台を震わせる。
この結末が書けるのが、伊藤比呂美なのだよね。伊藤比呂美の書くものは、最後に感動が必ずある。そこがこの人の凄さなんだよね。
本当に大好きです。
投稿元:
レビューを見る
著者と共鳴するとこあり。ゴルフをした時、知人が、自然を感じる言った。私は、農薬撒き、雑草無くして作られた不自然に違和感しかなかった。
蹂躙されたドイツには、不発弾がここかしこにあると知った。
投稿元:
レビューを見る
ベルリンで鷗外を感じる比呂美さんを、日本で感じながら読んだ。鷗外、ドイツの自然、建物、人々をすぐ隣に感じた。東京の友人、熊本の元院生も。
「わたしはあんじゅひめ子である」の朗読聞きたい。
投稿元:
レビューを見る
著者の伊藤比呂美さんが、ベルリンに招聘され森鴎外らの研究を行っている期間のエッセイ。ベルリンの生活やドイツ人の考え方、著者の友人の意見など興味深かった。