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最相葉月(1963年~)氏は、関西学院大学法学部卒、広告会社、出版社、PR誌編集事務所勤務を経て、フリーのノンフィクションライター。『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞(1998年)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』で講談社ノンフィクション賞(2007年)を受賞。そのほか、大佛次郎賞、日本SF大賞等を受賞。
本書は、2010年以降(大半は2015年以降)に、南日本新聞、山陽新聞、日経新聞等の新聞及び雑誌に掲載されたエッセイをまとめ、2024年に出版されたものである。
私は、十年ほど前に、エッセイ集『なんといふ空』(PHP研究所発行の増補復刊版)を読んで以来の最相さんのファンで、その後も、『れるられる』や、ノンフィクションの『絶対音感』、『東京大学応援部物語』、『セラピスト』、『青いバラ』等を読んできた。(最新刊の『証し』は、あまりの大部ゆえに二の足を踏んでいるが)
また、私は元来、小説よりもノンフィクションやエッセイが好きで、支持する書き手は、沢木耕太郎、藤原新也、佐々涼子など、いわゆるノンフィクション作家ばかりなのだが、その中で、最相さんに惹かれるところは、その感性と徹底した取材スタイルである。
(失礼を覚悟の上で言わせていただくと)最相さんは、シャイで、朴訥で、不器用な方ではないかと想像するが、それ故に取材相手の気持ちを聞き出せるというようなこともあるのではないかと思う。本書にある、北海道の公共交通機関のない所で、車で往復1時間かかる取材先に、自転車!(最相さんは車の運転をしないのだそう)で向かおうとしたところ、取材相手から、クマに襲われる可能性があるから止めて欲しいと言われたというエピソードなどは、最相さんの人となりを端的に表すものと言えるだろう。
尚、本書の書名である『母の最終講義』というのは、50代前半で脳出血で倒れ、認知症となった母親を、30年に亘り介護しながら(その間、がんで声を失い、流動食生活を送るようになった父親の介護も、10年ほどあった)、仕事を続けてきた最相さんが、母親の症状が進行するにつれて、「今、私の心境は大きく変化しつつある。この日々は母が私に与えた最後の教育ではないかと思うようになっているのだ。」と感じるようになったということから付けられており、本書に通底するテーマとなっている。
また、大半のエッセイの初出は新聞なので、東日本大震災、はやぶさ2、ヤングケアラー、コロナ禍等の時事テーマに関わるものもあれば、最相さんが手掛けたノンフィクション作品に関わるエピソードも含まれている。
私は最相さんと同い年で、当然ながら、環境は全く異なるのだが、多くの点で共感を覚えたし、また、いくつもの気付きを得ることができた。
(2024年2月了)
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20代の頃からのご両親の病気や介護のことに関するエッセイと
ノンフィクション作家としての半生のエッセイが入っている。
『星新一1001話を作った人』の作者である最相さんだが、私はこの本に出会うまで、そういう本のことも全く知らなかった。
競輪の予想屋さんとの話が一番好きだった。
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母の最終講義が始まった。
介護技術を家庭や施設内に閉じ込めず公的財産にする。
悩みを分かち合えるだけでも少しは気が晴れる。