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「観光」とは「光を観る」と書く。光を発するのは土地だけではない。そこで生活する住人が放つ光もある。著者は、そこに焦点を当て、観光地に暮らす人々の体験や歴史を聞き出す。
だが、土地の人との対話はタイトルにある「ぶらり」がイメージするような気楽な世間話で終わるものではない。著者の旅には事前の綿密な調査があり、巻末にある多くの参考文献がそれを物語っている。それをもとに現地に赴き、目を凝らし、耳を澄ます。そこから掘り起こされる史実は表層的でなく奥が深い。 この本で紹介されている訪問地は10箇所。路面電車が走り、万葉集にも登場する道後温泉、昔ながらの島時間が流れる竹富島、流氷と人情の羅臼、潜伏キリシタンの島・五島列島、著者のふるさとである被爆地・広島・・・
印象に残った事実や人の語りを拾い上げておく。
・「旅なんて経験じゃないですか。それなのに今は・・・全部調べて旅行にくる。全部わかった上で旅行にきてるから、皆楽しそうな顔をしてない」(ニュー道後ミュージック支配人)
・沖縄では人工ビーチが造成され、海岸沿いに無数のホテルが建設された。絶景に見惚れても、かつての風景や営みは姿を消し、海は宿泊客に独占され、土地の記憶は忘却される。
・「観光はね、やっぱり最後は人なんです。(その土地の人と触れあって、それが思い出に残る)」(雑誌「観光」特集記事の巻頭掲載文)
・横手焼きそばは、たった一人の市役所職員が食べ歩き、HPを作成したことから全国的に知られる存在となった。
・大村藩に暮らしていた潜伏キリシタンは五島列島にも移り住んだ。背景には、人口増加に悩まされていた大村藩と、田畑の耕作に人手が必要な五島藩という構図があった。また、産児制限ができないキリシタンは、長男以外は「殺せ」と言われる大村藩では生きていけなかった。だが、五島に移り住んだキリシタンにとっては、山奥や不便な場所しか残っておらず、地獄の日々だった。
・1949年、広島平和都市建設法が成立、復興は軌道に乗り始めたが、被爆者への救済対策は財政上からも手が回らず、置き去りにされた。
・旅行ガイドを手に取ると「癒し」と「絶景」の文字が目につく。観光客の求めるものに応じて、土地は「演技」をするものだとすれば、全国各地の観光地はテーマパークになってしまう。絶景を前に立ち止まり、目を凝らせば、見えてくる姿がある。耳を澄ますことで聴こえてくる声がある。そこで違う人生を生きている誰かを想像することは、世界に触れようとすることであり、それこそが「観光」なのではないか