人間腸詰 夢野久作怪奇幻想傑作選
著者 夢野 久作
明治の末、渡米した大工のハル吉は、あるアメリカ人の屋敷に招かれる。秘密の錠前作りの依頼を断った彼が見せられた光景は、想像を絶する地獄だった……。 夢と現実が妖しく交錯する...
人間腸詰 夢野久作怪奇幻想傑作選
商品説明
明治の末、渡米した大工のハル吉は、あるアメリカ人の屋敷に招かれる。秘密の錠前作りの依頼を断った彼が見せられた光景は、想像を絶する地獄だった……。 夢と現実が妖しく交錯する幻想世界。夢野文学が描き出す、おぞましいばかりの狂気・怨念・異常心理の数数。「人間腸詰」「焦点を合わせる」「空を飛ぶパラソル」「眼を開く」「童貞」「一足お先に」「狂人は笑う」「キチガイ地獄」「冗談に殺す」「押絵の奇蹟」の全10編を収録。
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人間腸詰の『人間腸詰』から
2006/11/06 14:24
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る
この短編は、「あっし」こと大工のハル吉親方が亜米利加で九死に一生を得た物語である。この作品が発表された当時(昭和11年)、確かに日本には『エログロナンセンス』が流行していた。しかしながら、夢野久作のように今日まで色あせずに残る作家は、江戸川乱歩などごく数少ないのではないだろうか。
まず始めに引き込まれるのは、江戸落語のような調子で、リズムに富んだ語り口だ。やがて、米国での生活で触れた英語を日本語の駄洒落に組み込んでいく。『女の事が「レデー」ですから、男の事は「デレー」かと思ったら、豈計らんや「ゼニトルマン」でげす。』等々。そしてこの他の洒落も、実に機知に富んでいる。これは、おそらく夢野久作の出身地である博多の気質、つまり博多者(もん)特有の社会風刺や皮肉を取り混ぜた笑い『博多にわか』に根ざしているものであろう。博多にわかに彩られつつ、その後の陰惨なストーリーを全く感じさせずに物語は展開していく。
夢野久作にかかると、硝子の小窓の向こうに見える乱交部屋でうごめく無数の男女は、『水溜りに湧いたお玉杓子』、『金魚鉢に鰌をブチ撒けたぐらいの騒ぎじゃ御座んせん』という描写になる。このような夢野久作お得意のぬらぬら、どろどろとしたエロティシズム、グロテスク、あるいはサディズムの世界が、端々に顔を覗かせている。そしてついに、肉挽機械の登場である。タイトルから、容易にその目的は想像できるのであるが、特別な隠し部屋の中に据え置かれたその機械は、水銀灯の冷たい光に修飾されて、存在感十分である。続く女の死体の美的とも思われる描写、黒く固まった血と白い肌・・・。無残にその肉挽機械で挽かれる様子は、ハル吉の口を通して至極間接的に描かれているが、返ってそれが酸鼻極まる表現となっている。
この短編のタイトル『人間腸詰(そうせえじ)』のルビも、独特のニュアンスが伝わる。この短編を読む前から内容を十分予想させるタイトルであるが、それは少しも興味を減ずることなく、読み終わった後ですら、じわじわと恐怖感が襲ってくる感じがするのである。
さて、この本には、『人間腸詰』の他に9編の短編が収められている。これらは、昭和4年から8年(1929〜1933年)にかけて発表された作品であり、どの短編も、色濃くその時代を映しているが、不思議なことに少しも古さを感じさせない。その理由は、時代を超えて人間の本質を描いている、という安易な表現ではまだ不足であろう。あえて共通点を言えば、いずれも一人称での語りを中心に描かれおり、一人称主体で物語が進む。時として、精神的に病んだ主人公も登場し、行動主体が他人か自分か認識が入れ替わることすらある。
どうもこの『一人称』がキーワードなのかもしれない。なぜなら、人間は何があろうとも、時代が変わろうとも、自分自身、つまり一人称から決して抜け出すことはできないからである。見たもの、感じたもの、夢ですら、自分の中で認識したことで物事を判断していくのである。たとえそれが幻覚であってもだ。人間にとって、自己から抜け出せないこの一人称が何よりの恐怖であり、認識とは、閉塞された腸詰の中の存在ではないだろうか、とすら思ってしまうのである。