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(2011.01.27読了)(2010.12.12購入)【1月のテーマ(数学を読む)その④】
1960年代の読書界をにぎわした人物、岡潔。1963年に「春宵十話」毎日新聞社、を出版して話題になり、1965年の小林秀雄さんとの対談「対話 人間の建設」が一番売れたのではないでしょうか。日本の心を繰り返し説いたのですが、1970年代に入るとあまり関心を示されなくなり、1978年3月に亡くなられた跡は、読書界から忘れられてしまったものと思っていました。2003年に「天上の歌―岡潔の生涯」「評伝 岡潔―星の章」等、の評伝が出版されて、再び読書界に岡潔さんが戻ってきたようです。
かつて、岡潔の著作を読んだものとして、気にかけていたのですが、古書店でこの本を見つけたので、購入してきました。放っておくと、積読の山に埋もれて忘れてしまうので、読んでしまうことにしました。
数学の天才岡潔が苦闘の末、創造した数学は、並みの数学者たちでは、なかなか理解しがたく、岡潔の証明した定理等を、並みの数学者たちでも、理解できるように飛んでいる論理の行間を埋める作業が続けられている、という噂をどこかで聞いたような気がします。
この本を読んでみて、岡潔がどのような生涯を送ったのか、どのような研究活動を送ったのか、どのような人たちと交友していたのか、同じ分野の研究を行っていた人たちが、世界に三人しかなく、その人たちがどのように交流していたのか、等、興味深いことをたくさん知ることができました。
万人向きの本ではありませんが、数学を学んだことのある方、数学を研究している方、数学をこれから学びたいと思っている方、そういう方々にお勧めです。
●岡潔の数学研究の仕方(ⅲ頁)
岡潔の数学研究の仕方というのは、数学のカンバスに理想を投影し、理想を追い求める心のままに問題群を造型し、その解決を目指していくのであるから、いわゆるサイエンスではない。数学者は数学の問題を解く機械ではなく、心に芽生えた数学の理想をありのままに表現する問題群の造形の場において、詩の心が現れるのである。
●問題を作って解く(42頁)
岡潔が直面した難問は岡潔が自ら作り出したものであり、フェルマの大定理やリーマンの予想のような数学史上の未解決問題に挑戦したというのではない。問題の出所は何かといえば、岡潔自身の心である。自然諸科学が物理的自然を究明の対象とするように、数学者は「数学的自然」を心に描いて究明する。
●数学の発見(45頁)
私三度程完全に行き詰まりました。だから三度大きな意味で数学上の発見やったわけですが、みんな7年くらいはかかってます。行き詰まった間は、意志と情熱ですよ。情熱が持続しなけりゃ駄目ですね。
●光明会(76頁)
数学者の岡潔は同時に光明会のお念仏の徒でもあり、戦後間もないころからしばらくの間、お念仏に心身を打ち込んだ一時期があった。光明会と言うのは、明治期に浄土宗門内に現れた山崎弁栄上人が唱えた「光明主義」を慕う人たちの集まりで、全国各地にその土地の名前を冠する光明会が存在した。
●構想(108頁)
研究に構想があり、大きな見通しに沿って思索を進めて行くのが岡潔の思索の姿であった。
●広島事件(118頁)
1936年6月23日夜、岡潔は自宅の近くを流れる二股川の土手を帰宅途中の修道中学の夜学生たちを襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、それから牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かしたという
広島事件の原因は何であったのか。数学上の偉大な発見のいわば代償として、岡潔は必然的に遭遇したと言えるのではあるまいか。(120頁)
●行方不明事件(128頁)
1938年1月16日、岡潔は誰にも行き先を告げずに広島を発って上京し、行方不明と見られて大騒ぎになった
晩年のエッセイの記述によれば、即刻支那事変をやめるよう、天皇陛下に直訴するための上京だったのだという
●鳴門海峡事件(152頁)
京都に行って2,3日で帰ると言い残して紀見村の家を出て、音信が途絶えたことがある。岡潔がなかなか帰ってこないというので、京大、阪大の諸先生に問い合わせたところ、鳴門海峡を見に行きたいという話をしていたことが判明した。岡潔は淡路島にわたり、福良港で警察に保護された
●交友(175頁)
ベンケとカルタンは遠いヨーロッパの「数学の友」だったが、数学研究に心身を打ち込んでやまない岡潔の心情を理解する人は、わずかではあるが国内にもいた。三高以来の親しい交友のある数学の秋月康夫、パリで知り合った実験物理の中谷宇吉郎、三高の大先輩にあたる数学の藤原松三郎や高木貞治など、みな岡潔に対して何くれとなく親切であった。
☆岡潔の本(既読)
「春宵十話」岡潔著、毎日新聞社、1963.02.01
「風蘭」岡潔著、講談社現代新書、1964.04.16
「紫の火花」岡潔著、朝日新聞社、1964.06.05
「春風夏雨」岡潔著、毎日新聞社、1965.06.30
「対話 人間の建設」岡潔・小林秀雄著、新潮社、1965.10.20
「月影」岡潔著、講談社現代新書、1966.04.16
「春の草」岡潔著、日本経済新聞社、1966.10.05
「春の雲」岡潔著、講談社現代新書、1967.03.16
「心の対話」岡潔・林房雄著、日本ソノサービスセンター、1968.03.29
「一葉舟」岡潔著、読売新聞社、1968.03.30
「葦牙よ萌えあがれ」岡潔著、心情圏、1969.05.01
「曙」岡潔著、講談社現代新書、1969.06.16
「神々の花園」岡潔著、講談社現代新書、1969.10.16
(2011年1月29日・記)
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[ 内容 ]
岡潔(一九〇一‐七八)は日本が生んだ世界的な数学者であり、心洗われるエッセイ集『春宵十話』の著者としてもよく知られる。
独創的な構想を生み、相次ぐ大発見に結実した人生と学問を、遺された研究ノートに追う。
二〇世紀の数学に屹立する雄大なスケールの数学者の、秋霜烈日の生涯を描く。
[ 目次 ]
1 お日さまの光
2 留学と模索の日々
3 問題群の造型
4 情緒の世界
5 響き合う数学の心
6 晩年の思索
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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岡潔の伝記。著者が現役の数学者のため、岡潔がもっとも打ち込んだ(だがしかし解けなかった)問題Fを始め、ほかの研究の内容についても詳しく説明されている(が私には難しく、そこは飛ばし読み^^;)。時に引用される岡の日記からは岡の問題Fに対する複雑な、だがしかし熱い思いが伝わってきた。岡に影響を与えた(または交流のあった)数学者も多く紹介されている。
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「複素関数」だの、「多変数関数論」だの、それがどのようなものなのかは皆目見当がつかないが、とにかく数学に心を奪われてしまった一人の研究者がしっかりと立っていたことだけは、行間からひしひしと伝わってくる。しっかりとした資料の裏付けがなければ書けなかった評伝であろう。
本文中に紹介されていた『春宵十話』も読んでみたくなった。
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私が読んだ岩波新書で一番の失敗作か。絶版なのも頷ける。序文に騙されて、いわゆる伝記と思い込み、なんとか最後まで目を通したが、数学的なところ(論文名や概念)が、何の説明もなくほいほいと進んでいく。私は数理系の学部を出ているが、それでも岡の取り組んでいる分野がどのような分野なのか、また、その業績の意義が芥子の粒ほども分からない。岡潔の研究者には重要な文献なのだろうが、一般読者を対象にした新書としてはあまりに不親切。読むだけ時間のムダだった。
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数学者が数学者を語っているので,何が凄いのかが良くわかった。
理数系の大学を出ていても内容が全く理解できないと酷評している人もいるらしいが,よっぽど勉強しなかったんだろうね。
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1. 岡潔の人物像
- 岡潔は数学者であり、その業績や生涯についての詳細が述べられている。
- 戦後の日本における数学界において重要な人物であり、特に多変数関数論において顕著な成果を上げた。
2. 数学的業績
- 岡潔は「上空移行の原理」や「不定域イデアル」の研究を行い、数学界における重要な発見をした。
- 特に「ハルトークスの逆問題」に関する研究が彼のキャリアの中心的なテーマであった。
3. 研究の過程
- 彼の研究は多くの困難を伴い、行き詰まりを経験しながらも新たな発見に至る過程が描かれている。
- 研究ノートや日記から彼の思索過程が読み取れる。
4. 学問と生活
- 数学研究と彼の私生活の相互作用についての考察がなされている。
- 生活の中での出来事や人間関係が、彼の研究や思考に影響を与えたことが示されている。
5. 戦争の影響
- 第二次世界大戦が彼の研究活動に与えた影響についての考察。
- 戦時下での彼の心情や、戦争と数学研究の関係が重要なテーマとして扱われている。
6. 教育と後進の育成
- 岡潔が教育者としての側面も持ち、次世代の数学者を育成することに注力したことが述べられている。
- 彼の教育方針や指導方法についての具体例が挙げられている。
7. 社会的影響
- 岡潔の業績が日本の数学界だけでなく、国際的にも評価されるようになった経緯が説明されている。
- 彼の研究が後の数学者や研究にどのように影響を与えたのかについての分析。
8. 結論
- 岡潔の人生と業績は、数学の発展において重要な位置を占めており、その影響は今もなお続いている。
- 彼の研究は、数学の精神や創造性を象徴するものであり、学問の深さを示すものとして評価されている。