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Twitterで誰かが勧めていたので手に取った。なかなかしっかりと学術的に書かれていて、納得する事も多かった。疑問に思っていた事もいくつか解決。キーワード多数。今の事についても触れられているし、こういう本はタイムリーじゃないと意味がない。良かったです。
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[ 内容 ]
デフレ、エロカワ、少子化…時代の映し鏡であるモードを通して、劇的な変化を遂げる社会をリアルにつかむ一冊。
[ 目次 ]
序章 リセッショニスタの復活
第1章 倫理を着こなすリセッショニスタ
第2章 「失わない」ための服装術
第3章 暴走資本主義が愛を蹴散らし、モードを殺す
第4章 現実を超えていくための「マンガ」と「エロい」
第5章 ラグジュアリーと激安品のはざまで
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ルイヴィトンのCMにゴルバチョフが登場したのは、彼がルイヴィトンの倫理感、社会貢献に共感したから。でもゴルバチョフが出ていたルイヴィトンのCMは格好よかった。
経済が不況のときこそ、パワードレッシングする。
シリアスにならなくてはいけない時代にはネクタイの復活。
有能であれば何を着てても雇ってもらえた平和な時代は終わっている。
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ゼロゼロ年代のファッションシーンの流れ・変遷がざっくりわかった。
基本的にどの章からも目から鱗が落ちたり、アレってやっぱり不思議なことだったんだなあと振り返ったり。ジル・サンダーとユニクロのコラボなんかはものすごく衝撃的な違和感を覚えた気がする。
女性の書き手さんなので、男の読み手としてはカワイイとエロスの暴走についての言及なんかはいまいちピンとこなかったけれども、それでも本当にファッション蘊蓄が盛りだくさんで、ロココ調とか明治死因そのあたりの時代の話題も入ってきてなかなかに興味深かったです。
これからのファッションはどうあるべきか。どうなっていくのか。
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ファッショントレンドを中世ヨーロッパから現代の原宿まで大きな潮流として紐解きつつ、ブランド論・資本主義と人の欲望の関係性において論じた一冊。
人の欲望が最も衰えにくいとも言われる「ファッション」というジャンルにおいて、”道徳性・ソーシャリズム” ”贅沢性” エロス” ”発信のフラット化”など、世相トレンド分析でよく語られるトピックを分析している書き口は、個人的にはとても新鮮で学びが多かった。
「エシカルラグジュアリー」という単語、まさにいまの世相を象徴するブランドの価値観。あとファストコンテンツ化はファッション界にも等しく押し寄せているんだね。より早く、より得やすく、より簡単になる一方で、マスマーケティングの数の理論の裏側で失われてしまう文化性は必ず存在してしまう。人が元来、本能的に持っているはずである「エロス」と、「資本主義・ビジネス論」が相反する稀有な時代に入っていっているという整理は、いろいろ頭のもやをすっきりさせてくれました。 すらすら読めちゃう良著。
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恋愛がファッションを動かしてきたが、資本主義の暴走が恋愛を無効化(恋愛代行ビジネス•売るための過大な恋愛幻想の逆効果)し、いまファッションは倫理に価値をおくようになった。とな。混沌。
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相変わらずシャープでエレガント。他者からの引用やアイディアの借用が、若干多い気がしたけど、ファッションが大衆にもたらす影響をざっと理解するには十分。難しい単語を使わないのに、知的でテンポのよい文体はお手本にしたい。
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ファッションの歴史を、特に2000年以降の変位をそれ以前を参照にしながら解説している本書。
新書なので対して掘り下げた話もなくかる~くゆる~くすぐに読める。
「15cmヒールの靴をはかせずとも、心を15cmほど底上げして、生々しい現実とは少しだけ違う景色を見せる。ファッションには本来、そんな力がある。」(本文引用)
資本主義の暴走に伴ってモードからジェンダーや恋愛の様相が消え、マンガや明朗的なエロスを取り入れることで新しいサイクルを回そうとした。
環境保全によって「倫理と良心の誇示」が求められ、世界不況によりファストファッションやストリートスナップをはじめとして素人
と同列に扱われるようになり、モードを牽引するブランドたちの権威も失墜した。
しかし堕落や迷走を繰り返してもそれらはラグジュアリー・ブランドの時代に対する嗅覚の鋭さ故の挑戦であり、それはつまりランウェイを通り過ぎる作品たちが時代の変化の兆しを敏感に捉え、先を見据えながら変化と一体となって今と来る時代を映し出し、社会が向かう方向を示し続けていることに変わりなく、時代の鏡として、また情報発信の力を持ち続けている。
「プラダを着た悪魔」の中で特に気に入っている台詞がある。
“And what they did, what they created was greater than art because you live your life in ”
「ファションとアートの違いは、生活と密着しているかどうかだ」
モードを牽引し、時代の流れを変える力を持つラグジュアリー・ブランドにはこのプライドを忘れずに挑戦し続けてほしい。
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エロスとモードの相互関係に依って推進されてきたゾンバルト的奢侈資本主義がグローバル化の中でフラット化・凡庸化するという議論。差異化の果てのフラット化は新しい議論ではないが、本書の醍醐味は所々に見え隠れするプラスティックの様な男たちへのチクリとする皮肉、それを支える著者の精神の貴族主義である。
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ファッションなんて人の好き好きじゃないかと思いながらも、街を行き交う人々の服装に目がいき、あの格好良いなぁとか、流行りが何なのかつい気にしてしまう。自分が好きなら良いと言ってる人でも、その自分の好みを聞かれると意外と流行りに乗じた物だったりする。私は個人的に身体にピッタリした服が好みで、ジャケットもインナーもパンツもほぼ身体のラインが強調されるようなものを好むから、左右されない方だと思いながらも、色味は流行をしっかり取り入れる。自分の好みって一体どうやって決まってるんだと不思議に思った時に本書を読むとすっきり頭に入ってくる。
ファッションとは何か。戦争に代表されるような時代の暗さ、アニメなどの華やかさ、環境問題などの地球が抱える問題、政治腐敗などの社会的な背景、また自分自身の地位や経済的な充足度など、自分の好みは周囲の影響によって確立されているのではないかと感じる。丸っ切りその様な影響を一切受けずに、自分はこれが好き!と断言できるものがない様に思う。
そう考えると自分の好み自体が他者によって確立されている様に考えてしまい、自分を見失っている事に気づく。本書を読み進めながら私という存在がファッションを起点に不明な存在になっていくのを感じる。
勿論、ごく稀に全く理解できない服装をした人を見ると逆にファッショナブルに感じることもある。だがそれ自体、自分に出来ない事をしている驚きから来るもので、自分がそれを真似したいとは思わない。大方、他人と同じような格好、化粧をしていれば安心できるし、流行から「外れていない」安心感に浸ること、それをファッションと感じているのかもしれない。
本書はそうしたファッションの歴史とその背景を学ぶには持って来いだが、読了後に自分を見失わないよう注意が必要だ。