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先月(2017年8月)

風間賢二さんのレビュー一覧

投稿者:風間賢二

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本ウォーキング・デッド 1

2011/10/14 11:38

訳者コメント

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2010年に全米で話題騒然となったTVドラマシリーズがあります。タイトルは『デッド・ウォーキング』、製作総指揮はフランク・ダラボン。そう、感動の名作『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』、あるいは『ミスト』などの映画で知られる監督です。
 『ウォーキング・デッド』が評判となったのは、お茶の間に初めて登場した本格的ゾンビ・ドラマだったからです。だが、そこは名匠ダラボンのこと、単にこわくて気持ちの悪いホラーを製作するわけがありません。ゾンビを素材にしたヒューマン・ドラマだったのです。
 実は、この生ける屍が徘徊する終末後の世界を舞台にした群像劇には原作があります。それが今回刊行されたロバート・カークマン作『ウォーキング・デッド』です。このコミックが登場したのは2003年のこと。それが今日まで継続して創作されていることからもわかるように、本国アメリカでは絶大な人気を誇っています。
 ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画の古典にして原点とも言うべき『ゾンビ』の世界観や形式を守りながら、「極限状況における人間の言動およびそのような出来事が人間をどのように変化させるかを探求」(ロバート・カークマン)しているところが、コミック版『ウォーキング・デッド』の評価の高さと人気の秘密です。
 文明が崩壊し、たえず死の脅威と隣り合わせで生きなければならないとき、人はどこまで獣と化すのか、あるいは人間性を保つことができるのか? これは絵空事ではなく、わたしたちの近い未来、いやある意味ではすでに起こりつつあることではないでしょうか。
『ウォーキング・デッド』はハリウッド映画の娯楽性とアメリカ文学の有するパイオニア精神と思索性とを合わせ持った、単なるコミックの領域を超えた傑作グラフィック・ノベルです。

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クレイジーインアラバマ

2000/10/11 00:15

映画スターになることを夢見る美貌の殺人者の痛快な逃避行

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカ小説には特有のジャンルがふたつある。ひとつは、「グローイングアップ・ノベル」、もうひとつは「ロード・ノベル」である。このふたつのテーマを備えた作品は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』から、ビート作家ジャック・ケルアックの『路上』を経て、ベストセラー・ホラー作家スティーヴン・キングの『スタンドバイ・ミー』まで、ひとつの文学的支流として今日にいたるまで連綿と続いている。マーク・チャイルドレスの『クレイジー・イン・アラバマ』もまた、そうした伝統の流れに棹さす長編だ。

 物語は1965年の夏の出来事として語られる。12歳のピージョー少年は兄のウイリーと一緒にアラバマ州の田舎町に住む祖母に育てられている。両親が幼い頃に交通事故で亡くなったからだ。ある日、祖母のひとり娘、つまりピージョーの叔母ルシールが彼女の六人の子どもを連れてやってくる。これからハリウッドに行って映画スターになるつもりだから、しばらくの間、六人の子どもをあずかってくれというのだ。しかもあろうことか、この美貌の中年女性ルシールは夫を殺害し、その頭部をタッパンウエアーに保存している。自分がスターになることに反対したから殺し、二度と自分の邪魔ができないことを確認するために持ち歩いているのだ。まさに狂気の沙汰。おかげで、ピージョーとウイリーはルシールの兄の家に引き取られる。いっぽう、殺人者のルシールは夫の頭部を隠した容器を抱え、女優になるためにハリウッドを目指す。

 かくて物語は、葬儀屋一家で暮らすことになったピージョーが町の公民権運動に巻き込まれて片目を失い、その結果、いつのまにやらヒーローに仕立て上げられていく過程が一人称で語られるセクションとルシールが警察に逮捕されるまでの逃避行を三人称で語ったセクションの二部構成で展開される。もちろん、このまったく別物のふたつの話はラストで見事にひとつに収斂していく。

 全体として、三分の二はピージョー少年の成長物語についやされているが、エピソード風に挿入される「良き無法者」としてのサイコなルシールの章が抜群におもしろい。ラスベガスのカジノで大金を稼ぎ、セックスに目覚め、あまつさえ、人気テレビ番組のオーディションに受かってしまう奇想天外な事の成り行きは爆笑につぐ爆笑。このルシールの章だけでも、本書は一読の価値がある。

 基本的に本書は、白人の支配下に置かれた黒人、および男と家庭に縛られた女性といったマイノリティーが自由を求めて血と暴力にまみれる物語だが、全体を覆う陽気さと自虐的なユーモアがそうした暗くて陰惨なテーマを口あたりよくしている。同時に、一見、夢のような自由を求める人々を狂気にかられているように描きながら、その実、本当の自由を隠蔽している現状こそが狂気の産物であることを逆説的に語る作者の巧妙さが光っている作品である。 (bk1ブックナビゲーター:風間賢二/評論家・翻訳家 2000.10.11)

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グリム兄弟とその時代

2000/08/03 12:15

19世紀初頭ヨーロッパの政治情勢や文化背景を詳細にたどった本格的な評伝

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 なんでも、世界じゅうで『聖書』の次によく読まれているのが『グリム童話』であるらしい。なるほど、我が国でも、全訳と称されているものが四点もあり、その他、児童用の翻案ものやダイジェスト版、あるいは昨今流行りのパロディのようなものまで数えると、今日、いったいいくつ『グリム童話』なるものが出まわっているのか見当もつかないほど人気がある。

 しかし、グリム兄弟の蒐集したメルヘンを読んだり、聞いたり、見たりしたことはあっても、彼ら自身の生涯や業績を知っている人はそれほどいないはずだ。人によっては、『グリム童話』といわれているので、グリムがひとりの人物であると思っている。あるいは、グリム兄弟は単なるお話好きのおじいさんで、ふたりしてせっせと昔話を集めただけの人だと思っている人だってけっこういる。

 実際のところは、グリム兄弟は、言語学、法学、民族学(神話と伝説)関係の書籍を多数著し、ついには、『ドイツ語辞典』の編纂にまで着手した高名な大学教授であった。メルヘン蒐集の作業もそうした流れのひとつにすぎない。つまり、彼ら兄弟は、多岐にわたる業績をとおして、ドイツ人のルーツを探り、民のアイデンティティを求めたのである。

 グリム兄弟が『メルヘン集』を刊行した19世紀初頭、ドイツは統一国家ではなく、群小国家の集まりにしかすぎなかった。しかも当時、ナポレオンの軍隊に占領されるという悲惨な事態まで起こっている。そのような政治情勢にあって、グリム兄弟はロマン主義の過激なナショナリズムの旋風に乗り、ドイツ民族の統一に貢献すべく、メルヘン蒐集をも含む学問的活動を精力的に行ったのだった。

 本書は、そのへんの政治事情と文化背景を丹念にかつ誠実にたどりながら、グリム兄弟の貧しいながら勤勉にして誠実な生涯と業績の軌跡を詳細に綴った評伝である。

 『グリム童話』に関しては、近年、主として英米で研究が盛んだが、ふたつの虚偽性が問題となっている。農家のおばあさんから聞き書きしたという取材源の信憑性、および書換えや削除といった編集出版上の信憑性である。ようするに、彼らの採取した昔話は、すでに文献に載っていたものであったり、フランス系の若い娘から聞いたものが多かった。同時に、兄弟はメモしただけの話を時代の要請にあったように創作したのである。ということは、『グリム童話』は純粋なドイツの昔話ではないことになる。もちろん、本国ドイツでは、そうした批判を認めていない。なにしろ、『グリム童話』はドイツの宝であり、大いなる国民的遺産なのだから。これを否定された日には、精神的アイデンティティのひとつが失われるというわけだ。当然、ドイツグリム協会と日本グリム協会の推薦を受けている本書は、『グリム童話』を擁護する立場で書かれている。しかし、それは学術的な論証によって行われるのではなく、印象批評にすぎないところが物たりない。ある意味では、本書はきわめて保守的で教科書的な評伝である。 (bk1ブックナビゲーター:風間賢二/評論家・翻訳家 2000.7.29)

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