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コンゴウインコ(赤)さんのレビュー一覧

投稿者:コンゴウインコ(赤)

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本俗信のコスモロジー

2004/04/25 14:07

トリツバサ、そしてピーターパン

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 俗信は雑駁で支離滅裂である。しかし俗信はひとつの完結した小宇宙の断片を提示する。定点を絞り俗信を集め、分析することによって著者は高知の俗信群から民俗学的知見と東アジアの文化領域につながる問題点を導き出す。俗信群が保存し続けている古層文化のかけらは、東アジア古代文化の壁画や日本神話が不意に形をなしてそこにあらわれるような驚きを与える。
 著者は高知県母島の漁撈俗信を分析し、漁民にとっての富=魚と人間の命が他界(水界)と現世の間で互酬関係にあること、すなわち「富の交換」という視点を立てることによって説明できることを語る。それは人間社会が生死と豊饒の他界を包括した神話的宇宙観の中に定位されていることでもある。また著者は一年を二つに分け、生命の甦りを期す正月の若水汲みと同じ意味を持つ甦りの水の観念が、夏に里芋の葉に降りる露をつけると疣が取れる、といった俗信にあらわれていることを語る。若水は満ち欠けする月からもたらされる、と言われる。月の円かな姿を映す露は穏やかに霊力を発揮する。人々は月の雫を夏の若水とみなし、露の俗信を伝えてきたのである。
 著者は俗信群に向い、学問的知見を駆使し、高知の俗信群から東アジアに重層する文化複合の本質にせまる。著者によっての俗信群の本質が明らかになった時、全く異次元の物語世界と高知の俗信群が同じ世界垣間見た者の語る言葉であることを知ることができる。著者はトリツバサの俗信について一章を設けている。トリツバサとは幼くして死んだ子供をトリツバサ、またそうした子供を簡単な葬法に付すことをトリツバサにする、など南四国で子供の死を鳥に関連付けて表現する俗信である。この「鳥に飛ばす」ような幼児の死は、鳥の姿の魂に性急に還ってゆく者への憐れさも内包している。そのような子供の中で世界で最も有名なのは、ピーターパンである。
 原作によるとピーターは、「大人になるのが嫌だから生まれてすぐ逃げたんだ。」と語る。この言葉はピーターがトリツバサのようにこの世界に生れながら飛び去っていったこと、散文的に言えば生まれてすぐ死んでしまったことを意味する。ネバーランドは夢一杯であるが、「乳母車から落ちて七日過ぎても迎えに来てもらえない子供」つまりこの世では生きていけない不幸な子供の世界でもある。ピーターは鳥のように自在に飛翔し、葉をつなげた服を着てネバーランドの魅力を体現している。
 生後しばらくたってからの子供の死もトリツバサというのは、子供の霊魂を生まれる前の鳥の形に戻し、すみやかな再生を願う心が込められている、と著者は語る。子供の魂・鳥・飛翔、それは子供らしく気紛れで母を慕い続けるピーターそのものである。ピーターパンの原作者バリもまた、子供の魂が鳥の姿をし、自在に飛翔することをよく知っていたのだろう。鳥はすみやかに潔く、この世界に生まれながら人の体を捨て、飛びさり、天翔る。トリツバサの子の魂が自在に飛翔する翼を持つなら、その子は子供だけの世界へ行き、永遠に子供のままで過ごすのかもしれない。トリツバサによってこの世界に戻り、人間の体に翼ある魂を縛られるよりも、ネバーランドを選ぶかもしれない。トリツバサの持つ語感の哀れな美しさからそのように思う。
 著者の意図からかけ離れた読み方もできる『俗信のコスモロジー』は、俗信というモザイクの断片をつなぎあわせ、高知の民俗世界の本質を再構成する書物である。ローカルで自己完結的な小宇宙の本質は、普遍的な意義を持つ。高知の民俗について深く知ることは、東アジアの文化複合の大いなる広がりをよく知ることでもある。そして、民俗文化の普遍的本質は知的興味を呼び起こし、心の深奥の情緒を掻き立てる。著者の精緻な思考が構成した書物の不思議な効果をお試しあれ。

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琉球民俗の大いなる可能性

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 学会の古老いわく。「沖縄のものは何でもはやる、食べ物、お酒、歌、それなのに沖縄を対象とした学問はどうしてはやらないんだろう」。その答えはひとつ。「沖縄の学問、つまんないから」である。「かつての琉球王国のイメージは?」ときかれたら、「首里城は赤い」くらいのもんだろう。明治まで続いた琉球王国(15世紀に成立)、そしてそれ以前の古琉球のイメージを作ったのは日本民俗学黎明期の巨人、折口信夫や柳田國男である。琉球王国の残した最大の無形文化財は、女性が神役をつとめる神女祭祀である。青い海、白衣の神女、祭りにおいて神女にひざまずく男たち、これを見た途端、彼らは「日本の古代が沖縄にある」と勘違いし、以後、琉球民俗文化に日本の幻の古代を見つけることに熱中することになる。その学問的潮流はまだ続いている。
 琉球王国はその成立の前夜から、本土が経験しなかった大航海時代の中、地の利を生かし、交易による富を享受した。琉球王国は、やがて島津に侵略され、中国には「属国」として扱われ、二重の支配下に置かれたのである。琉球王国は、そうした体制下にあって複雑なスタンダードを使い分けてきた。そのしたたかな琉球王国のどこに古代があるというのか? 現代も日本本土とは異なる沖縄・琉球的心性と文化を保持し続けている。
 著者は琉球列島の民俗に日本の古代を見る、という定説を解体する。日本古代の常世と同じ海の彼方への信仰とされるニライ・カナイが実は土中・地底への信仰が原初的な形である。男性の異形の来訪神は祖先神ではなく、全地球的高温期の縄文時代中期、メラネシアから北上した熱帯系の仮面仮装神が現行民俗に残存している。聖域を意味する「御嶽」が始祖を祀る、天上から神が降りてくる、日本本土の嶽信仰との関連、など多くの要素から成っている−。この過激さ。
そして著者は、琉球列島の民俗に大きな影響を及ぼしている故地として北方、朝鮮半島の存在を強く示唆する。また、琉球の神女祭祀、女の霊力優位の観念に結びつくオナリ(姉妹)神信仰も漠然と古代からあったのではなく、政治的な産物であり、そして新羅の王家の祭祀をモデルとした信仰であることを語る。かくして琉球民俗=日本古代へのロマン的な思い入れは、著者によって痛快なまでに跡形もなく砕かれるのである。
著者はオモロという古歌謡(たかだか16〜17世紀に成立)を資(史)料とし、民俗を語る。未だ読みが確立していないオモロは、著者によって別の息吹を与えられ、輝きを増す。幻の日本古代ではなく生き生きした琉球民俗をあるがままに見つめると、沖縄は新たな輝きを帯びてくる。かつて誰も想像しなかった琉球王国生成の謎が、筆者の大胆で緻密な分析によりやがて明らかになるだろう。琉球王国の神女達の美貌よりなお魅力的な琉球民俗の世界へ、確かな橋渡しをするのが本書である。

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