サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. arteさんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年1月)

arteさんのレビュー一覧

投稿者:arte

2 件中 1 件~ 2 件を表示

<モンゴメリを語った最高の本>

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は「赤毛のアン」よりも、より自伝的な「エミリー」三部作に夢中になった愛読者だが、この「運命の紡ぎ車」に描かれたモンゴメリの姿に、エミリーに似たものをあちこちに感じた。エミリーの「書かずには生きていけない」という作家への必然的な野心、美しいものへの憧れ、プリンスエドワード島の美しい自然や動物への深い愛情、両親の亡きあと、年長の保護者に育てられる中での年齢や考え方の違いから起こる葛藤など、若いエミリーの姿は、そのまま同年代のモンゴメリと重なっている。
20世紀初頭、カナダ東部の島の保守的な村社会の中で、家事や教会の仕事を立派にこなし、世間に恥ずかしくない生き方をしながら、作家として野心を燃やす彼女は、作品を書いては北米の出版社に送り続ける。その間、文学や社会について本音で安心して語れる相手は周りに見つけようもなく、未知の文通相手に求めるしかない。彼女は文学を志す二人の男性と生涯に渡って文通を続ける(この本のソースはほとんどその書簡集から来ている)。この二人との対話の中でのみ、モンゴメリは保守的な世間から想像もできない「自由主義的」で「敬虔なクリスチャン」でいられない自身を吐露している。彼女の関心は文学だけでなく、政治や恋愛観、宗教から超自然的な体験、原子力の未来まで、広い範囲に渡り、女性的な彼女の作品とは違った男性的で現実・合理主義的な物の見方も伺いしれる。
創作に努力を重ねる彼女は34歳の時、「赤毛のアン」で世界的な名声を収めるのだが、今度は世間が彼女に「アン」の続編を求め続け、彼女の望む大人向けの作家としての方向転換を認めようとしない。結婚でトロント近辺に移り住んだ頃、牧師の夫が精神疾患を病み、家計や子供の学費の捻出に、彼女は確実に売れる「アン」を書き続けないわけにはいかなくなる。
彼女の作品世界とはうって替わって現実は過酷で厳しいが、義務感の強い彼女は果敢に立ち向かい、夫の教区の人には最後まで愛情深い、世話好きの牧師夫人を演じ続け、最後には彼女自身の精神が衰弱していく。
彼女にとって、愛する島を舞台にユーモアに満ちた作品を書くことは、「過酷な現実からの避難場所」だったのだろうか。島を離れた後も、彼女は、休暇で戻るたびに生き返ったように鋭気を取り戻したという。おそらく「彼女は心の中で島から一度も離れることがなかったのかもしれない」、とこの伝記の著者、モリー・ギレン氏は語る。ギレン氏がモンゴメリを見る目は温かく、かつ的確だ。

作家、モンゴメリの人生について、書簡集や日記を通して評論するのが、今、世界的に静かなブームらしい。この伝記は1975年に出版された最初の本格的な伝記だが、今なお、決定版として読み継がれているという。最近、確証のない「作家の自殺」をセンセーショナルに取り上げた評伝が日本で売り出されているらしいが、作家自身やその作品に対する尊敬や温かみのない作家論はやがて忘れられ、淘汰されていくのではないだろうか。
一方で、ギレン氏のこの本は次世紀まで生き続けるだろうと確信している。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

無限の網 草間弥生自伝

2004/11/26 11:07

反復強迫を芸術へと転化

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

草間は女学生のころから、「物体の周りにオーラが見えたり、植物や動物の放す言葉が聞こえたり」、といった幻覚や幻聴をしばしば経験したという。そうした幻覚を形にするためにスケッチを始め、やがて絵ばかり描くようになったそうだ。やがて、自然界や宇宙、人間や植物、不思議や怖れや神秘的な出来事が彼女を追い掛け回し、半狂乱の境地に送ることになる(後に強迫神経症と病名がつく)。それらを描きとめることが「唯一の逃れる方法」であったと彼女は言う。「絵を描くことは切羽つまった自らの熱気のようなもので、およそ芸術とは程遠いところから、原始的に、本能的に始まっていた」。
彼女は28歳でニューヨークに渡り、60年代には画家から前衛芸術家へと変貌を遂げ、パフォーマンスの形態をとった「クサマ・ハプニング」などで評判をとっていく。その間、裸の男女を使った「ボディペインティング」などでも、トレードマークの網目や水玉模様を一貫して描いて行く。保守的で箱庭的な日本から開放され、当時の世相や社会体制に訴えるパフォーマンスを熱に浮かされたようにアメリカで展開していく過程が、生き生きとして興味深い。「死に至る反復強迫を逆手に取って芸術へと転化し、自己治癒を図る」彼女が、やがて造ることに没頭し、創造が生きる目的のようになっていく。
70歳を過ぎた今もエネルギーのつきない彼女は、芸術家という名にふさわしい生き方をしてきた数少ない人だと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2 件中 1 件~ 2 件を表示