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  3. 喜八さんのレビュー一覧

喜八さんのレビュー一覧

投稿者:喜八

106 件中 1 件~ 15 件を表示

「護憲タカ」箕輪登

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2003年12月、小泉純一郎首相(当時)の「独断専行」で自衛隊が戦乱のイラクに派兵されました。この明白な憲法・自衛隊法違反行為に対して非常な危機感を抱いた北海道小樽市在住の80歳男性がいました。故・箕輪登氏、本書『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』の著者のひとりです。
 箕輪登氏は自《みずか》ら札幌弁護士会を訪れ「自衛隊イラク派兵を中止させる訴訟をおこしたいので協力をしてほしい」と申し入れました。箕輪氏の要請に応じて100人以上の北海道在住弁護士が訴訟への協力をすることになり、2004年01月28日、札幌地裁に「自衛隊イラク派兵差止訴訟」が提訴されました。
 箕輪登氏はどういう人物だったのでしょうか? じつは自民党衆議院議員を23年間にわたって務め、防衛政務次官・衆議院安全保障特別委員長・自民党国防部会副部会長・日本戦略センター理事長を歴任した、周囲の誰からも「タカ派」と評されるような人だったのです。
 そのような「タカ派」の箕輪登が「今回の自衛隊イラク派兵は戦争参加そのものであり、憲法・自衛隊法違反だ。自衛隊員が人殺しをすることなく一刻も早く帰宅できるようにしたい」という強い信念のもとに差止訴訟を提起した。誰もが驚くような行動であり、まさしく「義挙」でありました。
 残念ながら、箕輪登さんは裁判も中途の2006年05月14日に永眠されました。自衛官たちの帰国を見ることのできなかったのが、さぞかし心残りであっただろうと察せられます。そんな箕輪さんの葬儀の会葬礼状には箕輪さん自身による次のような言葉が書き添えられていました。
《何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい
平和的生存権を負った日本の年寄り一人がやがて死んでいくでしょう
やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいなとそれだけが本当に私の願いでした》
 いまの日本には、自分の身は絶対安全圏に置きつつ口先だけは矢鱈《やたら》に勇ましい、「にせタカ派」とも呼ぶべき人たちが溢れています。生まれながらに特権的な地位を与えられた世襲議員でありながら、ミリタリズム(軍国主義)大好きという「ぼんぼんタカ」にも事欠きません。
 はっきり言いましょう。私(喜八)はこういった「チキンホーク(Chicken-hawk)」どもが心の底から大嫌いです。世にも最低の奴らだと軽蔑しきっています。「そんなに戦争がしたいのなら、自分で銃をとって、勝手に殺しあってくれ」と、これは何度でも言いたい。
 しかし故・箕輪登氏のような平和を愛する「タカ」、「護憲タカ」には敬意を覚えざえるを得ません。
 生涯を通じて「平和を守るタカ」であり続けた箕輪登さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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紙の本愛国者は信用できるか

2006/07/11 21:20

もっとも危険な思想家

16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者の鈴木邦男さんは1943年福島県生まれ。民族派政治団体「一水会」前代表・顧問。現在はテロリズムを否定して言論活動に専念していますが、若いころは実力行使も辞さない「行動右翼」でした。
 本書『愛国者は信用できるか』は40年にわたって愛国運動にかかわってきた鈴木さんの集大成的「愛国心・愛国者」論です。「憂国」と「愛国」の違いに関する考察、三島由紀夫(1925-1970)の「愛国心──官製のいやなことば」論、「右翼思想家」里見岸雄(1897-1974)の紹介など読みごたえがあります。
 「右翼」だからといって鈴木邦男さんは他の人に「愛国心」を無理強いするわけではけっしてありません。逆に学校で国旗・国歌が強制されるような現状を強く批判されています。また昨今むやみに増えた威勢のいい”愛国者”たちにも閉口されているようです(以下は本書132頁からの引用)。
 実際のところ最近の鈴木邦男さんは、若い”愛国者”たちから「左翼に甘い」「生ぬるい」とか、あげくの果ては「非国民」「売国奴」とまで言われてしまうそうです。どこから見ても「全身愛国者」の鈴木さんが「売国奴」とは、まったくもって不思議な話です。
 鈴木邦男さんは一見して穏やかな紳士だし、これみよがしの大言壮語や虚勢とは無縁の人ですから、(経験の浅い)若い人たちにすれば「何を言ってもいい」相手に見えるのかもしれません。が、これは大変な思い違いです。
 たとえば故・見沢知廉(1959-2005)氏の証言(注1)によれば、鈴木邦男さんは「東北のベストランキングに入る暴力組織の親分」に「要するに、ウチと戦争やりたいわけね……いいですよ、いつでもやりますよ、あんた」と恫喝されたとき、自分たち(一水会)は思想に命を張っているのだから殺すなら殺せと怒鳴り返すような胆力をもった人物なのです。
 これは見沢知廉氏ら4人が内ゲバ殺人事件を起こした際、実行犯を逃走させるか自首させるかで、上部2組織の意見が分かれた会合での話です。ちなみに一水会側は鈴木邦男・見沢知廉・木村三浩(現一水会代表)氏の3人だけ。相手の暴力組織側は親分のほか「筋肉巨体の面々」がずらりと並んでいたそうです。
 ちなみに本書『愛国者は信用できるか』には著者の現住所と電話番号が明記されています(注2)。言論に命を張っているというのは誇張でもなんでもありません。鈴木邦男が現代日本におけるもっとも危険な思想家のひとりであることは、明白な事実です。

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アメリカになぜ、まだ希望があるのか?

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アフガニスタンとイラクの戦争以来、アメリカ合州国もアメリカ人も大嫌いになりかけていた私(喜八)ですが、本書『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』を読んで考えが変わりました。これは素晴らしい本です。アメリカの「弱者」。すなわち未成年者・女性・マイノリティ・貧困者にこそ希望はあるのだと力強く伝えています。
 著者の堤未果(つつみ・みか)さんは東京生まれ。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科卒業後、国連、アムネスティインターナショナルニューヨーク支局局員を経て、2001年、米国野村證券に勤務中世界金融センタービルで「9・11同時テロ」に遭遇。現在は著作家・ジャーナリスト・講演通訳として活動されています。
 『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で報告されているアメリカの現実のうち、私がもっとも激しい憎悪を覚えたのは米軍のリクルート(新兵募集)活動でした。「大学に進学できる」「劣悪な環境から脱出できる」「Be What You Want to Be!(なりたいものになれ!」等々、軍のリクルーターは貧困層の若者を狙い撃ちにします。
 貧しい家庭、劣悪な環境に育った若者は大学に進学するのも容易ではありません。そして学歴社会のアメリカでは大学に行けなかった者は一生のあいだ時給5ドル(あるいはそれ以下)の仕事に甘んじるしかないため、リクルーターからいいことづくめの誘いを受けて軍隊に入る若者は少なくない・・・。
 けれども現実は大きく異なります。兵役を勤め上げても実際に大学に進学できる者は全体のうち35パーセント、そして卒業できるのは15パーセントにすぎません。大学に入る最初の年に前金として1200ドルを払わなければならず、また近年大学の学費が急騰しているため、中途で諦めてしまう者が多いからです。
 命がけで戦う一般兵士の給料は安くて、年間1万7000ドルから多くて2万ドル。そこから学資の積立金、生命保険を天引きされる。命を守るための防弾チョッキさえローンで個人購入しなければならず、除隊した後に月賦を払っている退役兵士もいます。
 高校卒業(中退)したばかりの子どもたちを殺人マシンに作りかえる軍事訓練キャンプ。いきなりアフガニスタンやイラクの戦場に送られ、精神と肉体をすり減らす毎日。運が悪ければ死亡、または一生残る障害を負う。運良く生き残れても多くの者がPTSDに苦しみます。アルコール依存症・精神病・麻薬・犯罪・・・。なのにVA(Veterans Association = 退役軍人協会)の予算は削られるいっぽう。
 結局のところ軍隊とは社会の縮図、貧しい若者たちを食い尽くす巨大なマシンなのです。アメリカの「新自由主義」すなわち行き過ぎた資本主義、原理主義的資本主義の下では貧しい者・持たざる者はどこまでも食い物にされる存在でしかありません。
 そんなアメリカになぜ、まだ希望があるのか?
 アメリカ社会に深く組み込まれた不正と戦う「弱者」たちが存在するからです。インターネットを武器に軍のリクルート活動を戦うザック・ロンドン、タミカ・ジョンソンといった高校生たち。除隊後反戦活動を開始したマイノリティの若者イヴァン・メディナ。ブッシュ大統領に面会を要求した戦死軍人の母親シンディ・シーハン・・・。彼ら彼女らこそがアメリカに残された「希望」です。
 世界最大最強の軍事力に支えられた「悪の帝国」アメリカを激しく憎むようになりかけていた私ですが、当のアメリカ市民の中にも権力者によって踏みつけにされている「弱者」が存在する。そしてその弱者たちが最後まで決して希望を捨てずに戦っている。これらの事実に気づかせてくれた『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』著者の堤未果さんに「ありがとう」とお礼を言いたいと思います。

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紙の本風の谷のナウシカ アニメージュ・コミックス・ワイド判 全7巻(分売不可)

2006/01/15 20:38

壮大なファンタジー

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 未来の地球を舞台とする壮大なファンタジーです。かつて繁栄をきわめた文明社会は「火の7日間」と呼ばれる最終戦争により崩壊。1000年後、陸地の大部分は「腐海」と呼ばれる有毒な瘴気を発する森に覆われていて、巨大な昆虫たちが支配する禁断の地となっています。
 辺境都市ペジテの地下で最終兵器「巨神兵」が発見されたことにより、強大なトルメキア王国とペジテとの間に戦乱が生じます。両国のあいだに位置する小国「風の谷」は否応なしに争いの渦に巻き込まれてゆくことに。風の谷ジル王の跡継ぎナウシカ姫は、総ての生き物と世界を助けるために立ち上がりました・・・。
 感想は「とにかく理屈ぬきで面白い!」これに尽きます。さらに付け加えるなら「宮崎駿さんはプラモデル少年(青年)だったに違いない」という印象もありました(それが間違っていないことは後に分かりました)。
 まず最初の腐海の場面でナウシカが所持している「長銃」は第二次大戦中にドイツ軍が使用していたマシンガン「MG-34」に酷似しています(ナウシカの銃は単発式ですが)。
 ナウシカが自由自在にあやつる軽飛行機「メーヴェ」が上方や後ろから見ると第二次大戦時ドイツのロケット戦闘機「Me163B(愛称:コメート)」に似ていることは経済学者野口悠紀雄氏が指摘されています(「『風の谷のナウシカ』に関する主観的一考察」、『「超」整理日誌』新潮文庫収録)。
 トルメキア軍の大型飛行艇は、これも第二次大戦時ドイツ軍の巨大輸送機「Me323(愛称:ギガント)」と、前から見た姿がそっくりです。機首が大きく開き中から戦車を吐き出す、敵の攻撃に弱く簡単に撃ち落されるなどの特性も共通しています。
 そしてトルメキア軍の戦車は第二次大戦時イタリア軍の突撃砲「セモベンテ」を彷彿させます。
 これらの相似は私(喜八)自身がかつてプラモデル少年であったため気づいたのです。国内の田宮模型、イタリアのイタレリ社などの製品を通じてお馴染みであった軍用機・戦車・銃の面影が『ナウシカ』には次々と登場します。
 ずっと後に宮崎駿監督の著書『宮崎駿の雑想ノート』大日本絵画(1992)を読み、かつての宮崎氏が熱狂的なプラモデル青年であったことを確認しました。
 ところで『ナウシカ』の世界は未来の地球ということが明らかになっているのですが、はたしてどこなのか? という疑問があります。この点について前述の野口悠紀雄氏は次のように推測しています。
 《いずれにせよ、この物語の舞台が中央アジアであることは、疑いない。第三、四巻に添付されている地図は、トルコから中央アジアにかけての地図の東西を圧縮し、鏡像にしたものと見えるのだが・・・・・・(「『風の谷のナウシカ』に関する主観的一考察」より引用)。》
 また野口教授はトルメキアの皇女クシャナと部下の将兵が身に着けている鎧が映画『アレクサンドル・ネフスキイ(原題:Aleksandr Nevskiy)』エイゼンシュテイン監督(1938)に登場する13世紀ゲルマン騎士団の甲冑とそっくりであることも指摘しています。
 以上瑣末な点をいろいろと考察してみましたが、『風の谷のナウシカ』が「とにかく理屈ぬきで面白い」作品であることには間違いありません。不朽の名作であると思います。

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紙の本国家の崩壊

2006/03/22 20:27

戦争と平和

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書『国家の崩壊』宮崎学・佐藤優、にんげん出版(2006)は外務省職員の佐藤優さん(起訴休職中)が、旧ソビエト連邦崩壊を解説した一冊です。佐藤さんと親しい「キツネ目の男」宮崎学氏が主宰する研究会における連続講義(全8回)がまとめられています。
 佐藤優さんは1987年にモスクワに赴任した後、旧ソ連の政治家・官僚・実業家・学者・言論人・宗教家・公安関係者・マフィアなど膨大な人脈を築き、諜報活動を行ないました。その過程で、「改革派」と「守旧派」の政治闘争、深刻な民族紛争、1991年08月の守旧派によるクーデター、同年12月のソ連邦崩壊、資本主義の勃興と混乱を目の当たりにしました。
 「国家」が崩壊する際、そこに所属する人々がどれだけ悲惨な目に遭うか。そのことを骨の髄まで知り抜いている佐藤さんは自ら「国家主義者」であると宣言します。と同時に「国家は必要悪」と喝破もします。国家は「悪」ではあるけれど、もし国家が崩壊したら、その後には国家より悪いものが来るという認識が佐藤さんにはあるのです。
 佐藤さんによると「人為的に作りあげられた民族対立は、物凄く怖い」そうです。「民族感情、民族意識というのは、ちょっとさわり方を間違えると、物凄く感情を煽って、どんな合理性に反することでも平気で惹き起こす」。佐藤さんは日本国内で排外主義的ナショナリズムが高まることを強く警戒しています。行き過ぎた排外主義的ナショナリズムは結局のところ日本の「国体」を毀損し、日本に住む人々の生活を破壊する可能性が高いからでしょう。
 ところで本書の335ページに、ウラジミール・レーニン(1870-1924)について以下のような記述があります。
 《おそらくは、レーニン自身にトロツキー的な要素とスターリン的な要素の両方があったと思うんです。ところが、レーニンは、独特のプラグマティズムで、そこのところを曖昧にしていたわけです。彼の著作を読んでいると、何か有能な弁護士と話しているみたいです。どこに本当の考えがあるのか、なかなかわからない。》
 これは「情報屋」佐藤優について、私(喜八)が抱いている印象とそっくりです。佐藤さんが精力的に発表している文章群を読んでいても、「どこに本当の考えがあるのか、なかなかわからない」。敢えて「真の狙い」を韜晦(とうかい)するようなところが佐藤氏にはあります(たとえば高橋哲哉著『靖国問題』への論評など)。
 おそらく佐藤優さんのもっとも根底にあるのは「平和の追求」であるのでしょう。自身が独特のプラグマティスト(pragmatist、実用(実際)主義者)である佐藤さんには、平和を叫ぶだけでは平和は実現されないという「見切り」があるのだと思います。そのため権謀術数を含めたあらゆる手段を使って平和を希求する。佐藤氏のそういう部分が「ダーティー」に感じられる人も少なくないようですが・・・。
 『国家の崩壊』を読んでいる際、「戦争と平和」という言葉が何度も脳裏に浮かびました。絵空事ではない現実の戦争・内乱・紛争・民族浄化・虐殺に接した佐藤さんには「人間同士の殺し合い」を阻止しようという強い意志がある。そう私は感じます。私が「思想家」佐藤優を支持する最大の理由はそこにあります。

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ナルニアはもはや「古典」です

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ナルニア国ものがたり」は英国の神学者C・S・ルイス(1898-1963)によって書かれたファンタジー小説(全7巻)です。世界中の子供と大人に愛読されており、もはや古典と言ってよい存在でしょう。
 私(喜八)は「ナルニア国ものがたり」の7冊を何度か読み通しています。日本語翻訳版だけでなく英語版でも読みました。とはいえ英語が得意というわけではありません。「これも勉強!」と自らを叱咤しつつ、ノロノロと読み進んだのでした。
 今回の書評では、英語版で興味深く感じた表現などを取り上げてみたいと思います。
 まずは『ライオンと魔女(原題:The Lion、 the Witch and the Wardrobe)』から。
 主人公であるペベンシー家の4人の子供たち(ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィ)が古い屋敷の中で「かくれんぼをする(play hide-and-seek)」場面があります。このときの「鬼」は英語版では「It」です。
 後にスティーブン・キング(Stephen King)のホラー長編『イット(原題:It)」を読んだとき、この「イット」がかくれんぼの鬼だいうことが分かったのは『ライオンと魔女』を英語で読んでおいたおかげでした。
 ちなみにキングの「イット」は幼い子供たちを追いかけて捕まえると惨殺してしまうピエロ姿の鬼なのです。これは怖いですね。
 『カスピアン王子のつのぶえ(原題:Prince Caspian)』
 「ぬれた毛布(wet blanket)」という表現に注目しました。
エドマンド・ペベンシーが姉のスーザンのことを「スーは、いつだってぬれた毛布で、話に水をかけちゃうもの(She always is a wet blanket)」と評するのです。
 この「wet blanket」は英語の慣用句。オンラインの「EXCEED 英和辞典」で調べてみますと(該当ページ)「興ざめ(の物・人); けち(をつける人). 」という解説がなされています。
 「wet blanket」という表現は『銀の椅子』でも出現します。主人公の少年少女(ユースチスとジル)が冒険の仲間である「泥足にがえもん(Puddleglum)」のことを貶すときに使っています。翻訳では「人の元気をそぐぬれた毛布」です。
 『朝びらき丸東の海へ(原題:The Voyage of the Dawn Treader)』
 「死か栄光をかけた突撃(death-or-glory charges)」
言葉を話すねずみの英雄リーピチープの心のあり方を表現する部分で使われています。
 ちなみにこのリーピチープはナルニア国ものがたりの膨大な登場人物の中でも最も好意的に描かれています。そして私自身が一番好きなキャラクターでもあります(二番目はユースチス・スクラブ)。
 『さいごの戦い(原題:The Last Battle)』
 「まるで平気の平左だな(Cool as a cucumber)」
主人公のユースチス少年が悪の側に味方するネコの様子を表現するときに使っています。きゅうり(cucumber)のように冷たいという表現に興味を覚えました。そういえば漢方でも、きゅうりは身体を冷やす作用がある食材とされていますね。
 以上、私のつたない英語力で「面白い」と感じた部分を取り上げてみました。英語に堪能な方なら、他にも楽しめる部分が沢山あるだろうと思います・・・。
 原語版「ナルニア国ものがたり」は英語勉強中でファンタジー好きという方には「超」お勧めです。それほど英語が難しくないし、話そのものが面白いため、どんどん読み進むことができるからです。映画版を観る前に原書に親しんでおけば、字幕に頼らない鑑賞も可能でしょう。そうなると「英会話」の勉強にもなりそうです。

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モラリスト佐藤優

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「外務省のラスプーチン」こと佐藤優起訴休職外務事務官が『月刊日本』『情況』『現代』『週刊東洋経済』『週刊朝日』『朝日新聞』などの雑誌や新聞で発表した文章および対談を1冊にまとめたのが本書『国家と神とマルクス』です。
 最近になった改めて感じているのは「佐藤優氏はモラル(道徳)の高い人物なのだなあ」ということです。とはいえ、佐藤氏自身は自分がモラリストであることを断固として認めないだろうとも思います。母親の影響で幼いころからキリスト教の教会に出入りしながらも「偽善者面した人が多かったのが生理的に嫌」であったそうですから。
 佐藤優氏にはあえて「ワル」ぶるところがあり、また国家の「情報屋」として実際に「ワル」の実践も多々してきたようですから、「モラリスト佐藤優」の面は簡単には見えにくいかもしれません。
 たとえば、佐藤氏は複数の雑誌において一部外務省幹部の破廉恥な振る舞い(強制わいせつ・不正蓄財・飲酒運転による殺人など)を暴露してきました。これに関して当初は私も「ちょっとやりすぎでは?」という感がなきにしもあらずでした。が、佐藤優氏のモラルの高さを実感するにつれ、佐藤氏が一部外務省幹部の醜行を心から憎んでいるのが実感できるようになりました。
 衆議院議員鈴木宗男氏と佐藤優氏の「同盟関係」も、「モラリスト佐藤優」を前提にするなら納得がいく点が多いのです。佐藤氏によるとムネオ氏は「自己抑制ができる人」であり「年に政治資金を数億円も集め、使いますが、私生活は質素な人」なのだそうです。これは多くの人にとって意外な証言かもしれませんが、佐藤氏はそんなムネオ氏に共感する部分が大きいのだと思います。
 しばらく前のある週刊誌に、佐藤氏がモスクワの日本大使館に勤務していたころ、「売春接待」を受けなかった国会議員はムネオ氏と某大物F議員の2人だけだったという記事がでたことがあります。これは佐藤優氏の知人だというライター氏による記事ですから、どこまで本当かは分かりませんが、「売春接待」を受けないムネオ氏に佐藤氏が感銘を受けたという可能性は高そうです。
 いずれにせよ、鈴木宗男議員にしても佐藤優氏にしても、長期にわたって拘留され東京地検特捜部の厳しい取り調べを受けたにもかかわらず、「カネと女」の醜聞はでてきませんでした。もし、ほんの少しでも彼らに悪行があったなら、即座にマスコミにリークされ、面白おかしく盛大に書き立てられたでしょう。ムネオ氏と佐藤氏が「自己抑制ができる人」であり「私生活は質素な人」であることは、ほぼ間違いでしょう。
 「一読者」である私(喜八)から見た佐藤優氏は「友人や同盟者をけっして裏切らない」「目下の相手も呼び捨てにせず『さん』づけにする」「おカネや女性に関する抑制ができ」「野良猫たちの運命を心配する優しさを持つ」人物です。なんだかんだ言っても、私はそんな佐藤優氏が好きなのです。だから応援する。単純に言えば、そういうことです。

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紙の本公明党・創価学会の真実

2006/08/29 17:38

対米従属の系譜

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 《岸信介という政治家が、戦前戦後を通じ、いかなる政治家であったか。詳しい説明は不要だと思う。岸はA級戦犯容疑者だったが、巣鴨拘置所では米国占領軍情報機関のエージェントとして日本の仲間を売っていた人物だ。東条首相らが処刑された翌日、児玉誉士夫や笹川良一らと釈放され、日本を米国の問題のあるグループに追随させることで総理大臣となった政治家である。》
 『公明党・創価学会の真実』からの引用です。著者の平野貞夫さんは1935年高知県生まれ。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。衆議院事務局に33年間勤務した後、参議院議員を2期12年務め、2004年07月に政界を引退。小沢一郎民主党代表の「参謀」としても知られる、日本政治の表も裏も知り尽くした人物です。
 『公明党・創価学会の真実』によると、岸信介元総理に関して平成16年(2004)08月14日フジテレビで放映された「“昭和の妖怪”と呼ばれた男・岸信介の真実」できわめて重要な証言の数々がなされました。たとえば、アメリカ国務省公文書解禁審査会委員を務めた経験をもつマイケル・シェラー教授(アリゾナ大学)による以下の証言。
 《「岸は一九五三〜五五年(昭和二八〜三〇年)にかけて、頻繁に訪米し米国政府関係者に日本政府の内部資料についてレポートを渡していたようだ。その見返りとして、一九五五年ごろから米国政府は岸に資金を提供するようになった。岸が選挙に勝つようにという意味だと思う」》
 さらにマイケル・シェラー教授はテレビ番組の最後で次のように語っています。
 《「岸の問題はアメリカの思惑通りに動き過ぎたことにあった。アメリカの世界戦略の一端に利用されたのです。もちろんそれは、アメリカにとっては有り難いことでしたが、日本のためになったかどうかは疑問です。日本が本当の意味で独立できていないのは、ある意味で岸の責任でもあると思います」》
 外国政府関係者に「内部資料」を提供して見返りにカネを受け取る人物。外国政府の思惑通りに動き過ぎる政治家。祖国の真の独立を阻害した男。一般にこういう者を何と呼ぶでしょうか? 買弁政治家? スパイ? 売国奴? まかり間違っても「愛国者」とはならないでしょうね。いかなる時代いかなる国においても。
 「昭和の妖怪」岸信介は安倍晋三官房長官の祖父にあたります(言わずとも知れた事実です)。そして孫の安倍晋三氏といえば、当選回数がたったの5回、たいした政治的実績があるわけでもなく、逆に数々のブラックな噂がささやかれる三世政治家。こんな人がやたらに持て囃されるとはなんと奇怪な状況なのか。
 おそらくアメリカ政府関係者は安倍晋三氏に大いに期待しているのでしょう。祖父の岸信介に劣らぬ貢献をしてくれる「協力者」となることを。かつて祖父がそうであったように、孫も日本の本当の意味の独立を遠のかせる役割を期待されているのかもしれません。思えば気の毒な立場ではあります・・・。
 「岸信介→小泉純一郎→安倍晋三」という対米従属の系譜を断ち切らない限り、日本に真の独立はありえない。私(喜八)はそう思います。

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紙の本自壊する帝国

2006/06/25 22:02

不思議な友情の物語

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 『自壊する帝国』は起訴休職中の外務事務官佐藤優さんによる最新刊(2006年05月30日発行)です。2005年03月に上梓されベストセラーとなった『国家の罠』の続編にあたります。読後感は「外交官佐藤優の青春記」、あるいは「不思議な友情の物語」でした。
 佐藤優さんは1985年04月外務省に入省。欧亜局ソビエト連邦課に配属され、ロンドン郊外の英国陸軍語学学校でロシア語を学んだ後、モスクワ国立大学言語学部に留学。2年間の研修期間を終えてからは在モスクワ日本大使館に配属されました。そして1991年のソ連崩壊を内部から観察し続けました。
 本書にはすこぶる魅力的な「怪人物」が次々と登場します。アレクセイ・ニコラエビッチ・イリイン旧ロシア共産党第二書記、「ソ連維持運動の中心的人物」ビクトル・アルクスニス空軍大佐、ロンドンで古本屋「インタープレス」を経営する亡命チェコ人ズデニェク・マストニーク、怪僧ビャチェスラフ・セルゲービッチ・ポロー シン、佐藤さんが「私の人生を一変させた人物」と呼ぶアレクサンドル・カザコフ・・・。
佐藤優さんは外交官の職務として、日本の「国益」を追求するため、上記「怪人物」たちと親交を深めていきます。とはいえ、そこには単なる方便だけでなく、たしかに友情が存在するようなのです。国籍も思想も異なる男たちの心を打つ「なにか」が佐藤氏の内に存在するのでしょう。
 佐藤さんが「私が親しくした数多くのロシア人政治家のなかでも、最も印象に残る人物の一人」とするイリイン旧ロシア共産党第二書記。彼は1991年08月19〜21日の「クーデター未遂事件(ゴルバチョフ大統領が守旧派により軟禁され、一時は死亡説も流れた)」の際、「ゴルバチョフ生存」等の重要情報を「西側の」「下っ端の外交官」佐藤優氏に流してくれた人物です。
 イリインは「自らのためには頭を下げない」、つまりクーデター失敗後もエリツィンらに命乞いをすることをよしとしなかった硬骨漢でしたが、「部下のためならばいくらでも頭を下げ、再就職を頼み込」みました。そのようにモラルの高い政治家でしたが、ソ連崩壊後はウオトカに依存するようになり、1997年に心臓麻痺で死亡したそうです。
この書評の冒頭で述べたように『自壊する帝国』は「外交官佐藤優の青春記」「不思議な友情の物語」として読むことができます。けれども本書は単なる回想録ではありません。著者の佐藤優さんには現在の日本が自壊しつつあるのではないかという非常に強い危機感があります。
 佐藤優さんのこの危機感を私(喜八)も共有します。今後、日本という国が存続するできるかどうか、けっして楽観はできないと思っています。長期にわたる経済の停滞、膨れ上がる一方の財政赤字、急速に進行する「少子高齢化」、60年以上にもおよぶ「在日米軍」の駐留、そのアメリカの常軌を逸した世界戦略、隣国中国の大国化・・・。
 『自壊する帝国』ほかの佐藤さんの一連の著書は、日本国とそこに暮らす我々(日本人および永住外国人)が、困難な状況の中で「サバイバル」していくための、「最良の実用書」だと私は考えています。

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大敵トランチブルとマチルダの戦い

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 『マチルダは小さな大天才』の主人公マチルダは、3歳になる前に自然に字を覚えてしまい、4歳にしてディケンズやヘミングウェイなど大人向けの小説をすらすら読めてしまうような少女です。数学の才能にも恵まれ、さらにはある特殊な能力も発揮します。
 けれどもマチルダの両親ワームウッド夫妻は娘のマチルダを「かさぶたかなにかぐらいにしか思ってい」ませんでした。それどころか「どうしようもないワル」「正真正銘の悪ガキ」と見なしていたのです。
 ワームウッド夫妻はマチルダに対して心ない仕打ちを続けます。でも、マチルダも普通の子供のように黙って耐えているわけではありません。5歳になるかならずで敢然と反撃を開始するのです。飛びぬけて優秀な頭脳だけを頼りにして。
 《かつてナポレオンが言ったように、攻撃されたときには、反撃することだ。それがただひとつの思慮深いやり方だ。》
 クランチェム・ホール小学校に入学したマチルダは担任教師のミス・ジェニファー・ハニーと運命的な出会いを果たします。ミス・ハニーはマチルダのことを完全に理解してくれる初めての大人、心優しい女性でした。
 ところが小学校にはマチルダとミス・ハニーにとって共通の敵がいました。女校長ミス・トランチブル。「エキセントリックで血に飢えたスタッグハウンド(大型猟犬)の仲間のように見える」「図体のでかいいばり屋、すさまじい暴君的モンスター」です。
 両親よりはるかに手ごわい大敵トランチブルとマチルダの戦いの火蓋が切って落とされます・・・。
 本書『マチルダは小さな大天才』はロアルド・ダール(1916-1990)作 ”Matilda”(1988)の全訳です。『ハリー・ポッター』が出現するまでは、イギリスでもっとも「売れた」児童文学作品でした。
 2005年に公開されて話題となった映画『チャーリーとチョコレート工場』の原作者もロアルド・ダールです(原作本のタイトルは『チョコレート工場の秘密』)。ただし、ダールは児童文学専門作家というわけではなくて、大人向けの『あなたに似た人』『キス・キス』など「奇妙な味」の短編作者として名を知られてもいます。
 ところで本書の中で作者ダールは、登場人物の口を借りて、ささやかな児童文学論を展開しています。やはり近年映画化され話題になった『ナルニア国物語』原作者C・S・ルイスや、『ロード・オブ・ザ・リング』のJ・R・R・トールキンが批評の対象となっています。
 以下に当該部分を引用します。問いかけているのがミス・ハニー、答えているのがマチルダです。
《「おもしろかったのは、どんな本?」
「『ライオンと魔女』がおもしろかったです。わたし、ミスター・C・S・ルイスはとてもよい作家だと思います。でも欠点もあります。物語にこっけいみがないんです」
「ほんとにそうよね」
「ミスター・トールキンにも、あまりこっけいなところがありません」
「あなたは、子どもの本はみんな、こっけいなところがなければいけないと思うの?」
「そう思います。子どもって、大人(おとな)ほどまじめじゃないんです。笑うのが好きなんです」》
 「ルイス、トールキン、なにするものぞ!」というロアルド・ダールの気概が強く表れているようで、興味深いと感じました。

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「武闘派」の2人

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者の遥洋子さんはタレントとして多忙な生活の中、大学に戻り勉強を再開する。そして自ら望んで、フェミニスト社会学者上野千鶴子教授のもとへ赴く。上野教授は大変に厳しい指導教官だった。ゼミの初日に学生が泣かされてしまう場面を遥さんは目撃する。
 上野ゼミは大量の参考文献を読みこなす読書ゼミである。暗記してしまうくらい読み返しても意味が分からないような難解な文献を前にして、遙さんは途方に暮れる。更に上野教授は遙さんが何をしても怒るのである。一方まったく怒られない学生もいる。
 遙さんは夜も寝ずに猛勉強を続けた結果、神経症にまでなる。深夜、勉強するためにコ−ヒ−を飲むと「爆睡」してしまい、ハ−ブティを飲むと目が覚めるのである。
 なぜそこまでするのか?
 なぜ人は勉強するのか?
 勉強に「感動」を確認した遙さんは、その事実に感動を覚える。
そして「なぜ上野千鶴子なのか?」についての答えも得る。
「感動を与えてくれるから」だ。
 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の存在は新聞書評により知った。最初は「ケンカ」という題名にひかれるものがあった。表紙のイラスト(後藤えみ子)も印象的だった。闘争の場に赴こうとする遙洋子。おそらく敵は多勢だろう。味方は誰もいないかもしれない。
 遥洋子さんも相当な「武闘派」である。「この師にしてこの弟子あり」と思わざるを得ない。一冊の終わり近くに「ケンカのしかた・十箇条」という章がある。きわめて実用的な論争の技術の数々が解説されている。知的闘争の場に臨もうというすべての人は読むべし。
 この本のお陰で上野千鶴子に興味を抱いた。それまで名前だけは知っていたが、自分には関係ない人だと思っていた。大変な思い違いだった。
 上野千鶴子を教えてくれた遙洋子さんに感謝したい。私もまた上野千鶴子に感動したから。数多くの著書に私が見た「フェミニスト上野千鶴子」像は、「たった一人でも世界中(の価値観)を相手に闘う人」だった。自分より強いものに挑みつづけて、負けることがなかった人。その姿に感動を覚えるのである。

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「親米保守」の自己矛盾

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ノンフィクション作家関岡英之さん編集の『アメリカの日本改造計画』に佐藤優起訴休職外務事務官と関岡英之氏の対談が掲載されています(同書32-60頁)。この対談から佐藤優氏の発言を以下に引用します。
 まずは佐藤氏が「「親米保守」という概念が日本で成り立つかどうか」と提起して自らその設問に答えている部分です(同書36-38頁、引用文中「私」は佐藤優氏)。
《結論から言いますと、私は親米保守という考え方は、非常に特殊な事情のもとにおいてしか成り立たないと思います。それは東西冷戦です。冷戦期には旧ソビエト連邦という現実的脅威が存在した。その後、時代が根本的に変化したにもかかわらず、いまだに日本は冷戦時代の思考法で動いています。》
 次は「「親米保守」の自己矛盾」という小見出しの後の考察(38頁)。
《 冷戦期には、ソ連や中国の共産主義が日本に浸透し、日本の国体を破壊するかもしれないという現実の脅威がありました。共産主義はイデオロギーですから、対抗イデオロギーとしての反共主義があります。その反共主義を担保していたのがアメリカの存在です。この回りくどいメカニズムを前提としたうえで初めて「共産主義の脅威があるのだから、反共主義の中心であるアメリカと手を握る」というロジックで「親米保守」が成り立ちうるわけです。》
 そして部分的な結論(39頁)。
《 日本の保守なら、本来「親日保守」でなければならない。アメリカにおける保守なら、親米保守しかありえないんです。同様に、中国では親中保守、ロシアでは親露保守。》
「まったくその通り!」と叫びたくなるような論理展開ですね。
さすがはラスプーチン佐藤優!
 ところが、日本には「とにかくアメリカ様にひたすら従っていれば間違いなし」とでも言いた気な「親米保守」が溢れ返ってます。「米国が一番、日本は二番」保守とでも呼べばいいでしょうか(言うまでもなく「蔑称」です)。彼ら彼女らが本物の「愛国者」であるとはどうしても思えない。
 もちろん本物の愛国者である「親日保守」日本人も存在します。しかし、どうも「親日保守」は主流に成りえていないような気がする。それどころか「冷や飯を喰わされている」のが実情ではないでしょうか。そして「米国が一番、日本は二番」保守がやたらに幅を利かせている。なんともねじれ切っているのが我が祖国日本の現状ではないか(とほほ)。
 佐藤優氏と関岡英之氏の対談は内容がみっしり詰まっている上にボリュームもたっぷりですから、ぜひとも『アメリカの日本改造計画』を手にとって読んでみてください。そのほか本書には以下のようなコンテンツが含まれており、なんともお買い得な一冊となっています。
・小林よしのり(漫画家)・関岡英之対談。
・森田実(政治評論家)・副島隆彦(評論家)・紺谷典子(エコノミスト)・東谷暁(ジャーナリスト)・小林興起(前衆議院議員)・神保哲生(ビデオジャーナリスト)・西部邁(評論家)らのインタビュー記事(人数が多すぎて書ききれません!)。

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警世の書であり、マスメディアに関係する全ての人にとって必読の書

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の日隅一雄さんは元「産経新聞」記者で現在は弁護士として活躍されている「ヤメ記者弁護士」です。
噂に聞くところでは、日々のハードワークは友人知人から「過労死」を心配されるほどなのだとか。
けれども、2010年の通常国会に上程される予定の「情報通信法案(別名:インターネット規制法)」を阻止するまでは全力で突っ走る覚悟だそうです。

それにしても、日本の「マスコミ」は何故「マスゴミ」という悪罵《あくば》を投げつけられるほどの惨状を呈しているのでしょうね?
日隅一雄さんは端的に「問題はシステム自体にある」と指摘されています。
日本にはマスメディアに対する独自の規制システムが存在する。
我々日本人が「ごく当たり前」のように看做《みな》していることが、世界の非常識であったりする。
たとえば、放送行政において「独立行政委員会」が存在せず、そのため政府・与党による直接的な圧力が可能になっていること。
また「朝日新聞→テレビ朝日」といった系列化の問題(クロスオーナーシップ規制の不在)。
さらには「広告一業種一社制」が採用されていないため、巨大広告代理店が異常な力を持ってしまったこと。
これらが要因となり、日本の「マスコミ」は「マスゴミ」と呼ばれるまでに劣化し、日本独自のメディアコントロールシステムが成立した。
もちろん、それは社会にとって好ましいものであるはずがない。
このような認識が著者の日隅一雄さんにはあります。

そして、この「日本独自のメディアコントロールシステム」がインターネットメディアにも広げられようとしている。

これら表現の自由を制約しようという動きは、自民党長期政権が衰退していくと共にその激しさを増しています。
著者が「メディア規制立法3点セット」と呼ぶ「人権擁護法案」「個人情報保護法」「青少年有害環境対策基本法」なども、その一環です(同書165頁)。
なんとしてでも権力を維持したい。
そのためには自由な言論など抑圧してもかまわない。
自分たちの権力を維持するためには、日本の社会・国家を歪めてしまってもかまわない(人々が苦しむことになってもかまわない)。
そういった政権担当者たちの極端に自己中心的な欲望の表れだと言っていいでしょう。

『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』は警世の書であり、マスメディアに関係する全ての人にとって必読の書だと思います。
ということはメディアに依って生計を立てている人以外にも、我々の社会に暮らす全ての人にとって必読といえるでしょう。
マスメディアの影響は絶大といえるほど強力で、社会全体に広く及ぶわけですから。
言論の自由を押しつぶそうと意図する「インターネット規制」がやってくる。
こんなものに反対するのは、それこそ右も左もありません。
言論の自由が殺されれば、そこに暮らす私たち自身が圧殺され、社会そのものが歪められるのです。

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紙の本闇権力の執行人

2006/01/18 14:13

凄まじいばかりの闘志

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 衆議院議員鈴木宗男さんが2002年06月に逮捕され拘置所に収監されていた頃、友人知人に次のようなことを話したことがあります。「ムネオ氏が将来国政復帰したら、権力内の『悪』をどんどん告発してくれないかな。彼が告発者になったら凄いことになるぞ」。これを聞いた人たちからは一笑に付されました。そもそも鈴木宗男が返り咲くことなどありえないし、万一復帰しても告発者になることなど考えられないというのです。当時としてはごく常識的な判断だったでしょう。
 ところがです。かつての私の「願望を交えた空想」がそのまま「現実」化しているといっても過言ではないような状況となっているではありませんか。この事実に気づいたときは驚きました。
 『闇権力の執行人』は過去に政権の中枢まで上り詰めた鈴木宗男さんによる「告発の書」です。外務官僚・政治家・学者といった「闇権力の執行人」たちの所業が実名入りで暴露されています。メディアでは「ムネオ vs. 外務省」といったように面白おかしく報道されていますが、その実はきわめて危険な「戦闘」が行なわれているのでしょう。「自分に同じことができるか?」自問自答してみたことがあります。想像するだけで腹の底から深々と冷え込んできて吐き気を催しました。
 鈴木宗男さんが凄まじいばかりの闘志の持ち主であることは疑いようがありません。あっせん収賄の容疑で逮捕されブタ箱に437日間ブチ込まれる。進行性の胃癌が見つかり手術。母親の逝去(父親は宗男氏が20代のころに他界)。私自身が同じ体験をしたら、もうすっかり縮み上がって「負け犬」となり、一生浮かび上がれないかもしれません・・・。
 ところで本書『闇権力の執行人』には外務省職員(休職中)佐藤優さんの手が入っているように思われます。佐藤優さんの著書『国家の自縛』との共通点が多いのです。そもそも現在の鈴木宗男さんの行動には佐藤優さんの「影」が常に付きまとっているという印象があります。「質問主意書」を利用した外務省告発などはその最たるものでしょう。
 現在の鈴木・佐藤の両氏はおそらく「生死をともにするような同志的関係」にあるのでしょう。彼らのような危険な男たちを「敵」として戦いたくはない。心からそう思います。

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紙の本どんとこい、貧困!

2009/09/06 12:15

自己責任論はかならず「上から目線」になる

11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「労働/生存運動」の理論的・精神的支柱、湯浅誠さん(「NPO法人自立生活サポートセンターもやい」事務局長)の新著『どんとこい、貧困!』理論社(2009)。
全編の白眉!と私が感じたのは『自己責任論は「上から目線」』という章でした。
その一部を引用させていただきます(153-154頁)。

《「上から目線」という言葉がある。人を見下したような、自分が相手より上に立っていることを前提にしたような考え方・発言という意味だが、自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのが、その「上から目線」だ。というか、自己責任論はかならず「上から目線」になる。「上から目線」のないところに、自己責任論は生じない。
 なぜなら、自己責任論とは、そもそも仕事がうまくいかなかったり、生活が立ちゆかなくなったりした人たちに対して、うまくいっている人たちが投げつけるものだから。》

私(喜八)もできるだけ「人を見下す」のは避けるようにしています。
なぜなら、無闇に他者を見下せば見下すほど、自分自身がバカになり、品性が下劣になるだろうと判断するからです。
現時点でも、かなりのバカモノであり、下劣者である自分(喜八)が今以上バカで下劣になったらどうする?!
と思うがゆえに「人を見下す」のは、できるだけ避けるようにしています。
しかし、なにせバカで下劣だから、完全には克服できていないでしょうね・・・。

湯浅誠さんは続けます(156頁)。

《 自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることだ。
 弱っている相手を黙らせること。これは弱い者イジメだ。
 弱い者イジメをする人間は、いつの世も、強い者には絶対に歯向かわない。強い者に対しては「自分も仲間に入れてください」と媚びる。自分が強い側にいなければ、弱い者イジメができなくなるから、弱い者イジメをしている自分はいつか仕返しされるんじゃないかと怯えているからだ。だからかっこ悪い。
そして湯浅さんは「自己責任論」は「弱い者イジメが横行し」「生きづらい」「誰も幸せでない」「満ち足りない社会」をつくると結論を出します。》

『どんとこい、貧困!』の後半は「活動家論」のおもむきがあります。
自ら「活動家(activist)」を名乗る(185頁)湯浅誠さんが、経験に基づいた「活動家論」を展開します。
「失敗だらけだった」「ほとんど負けっぱなしだった」と活動歴を振り返る(196頁)。
「あの湯浅さんでも、失敗続きだったのか?!」と驚くとともに、「だったら、自分(喜八)も失敗を恐れずに、『何か』をやっていい」と強く思いました。
おそらく、同じように感ずる読者は多いでしょう。
そして、それが老獪《ろうかい》なリアリスト・湯浅誠の「狙い」なのかな?
なんて疑ったりもします(笑)。

湯浅誠さんは「活動家」を「自分たちの“溜め”を社会のために使っている人たち」(240頁)、「防波堤のような、社会の底支えのような人たち」(241頁)と規定します。
と、同時に「煙たがられている人たち」「厄介者たち」(248頁)とも言い表します。
この辺が湯浅さん独特のユーモア感覚ですね。
いずれにせよ、「防波堤のような、社会の底支えのような人たち」に、この頃の私はよく出会います。
反貧困・独立系労組・平和活動・環境保護活動・愛国運動の「現場」で。
「防波堤のような、社会の底支えのような人たち」は、比率は少ないかもしれなけれど、社会全体で見れば、相当の実数がいるというのが本当に強い実感です。
そして私自身も「そういう人」の1人になってしまおうと目論んでいます。

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