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  3. きしさんのレビュー一覧

きしさんのレビュー一覧

投稿者:きし

11 件中 1 件~ 11 件を表示

紙の本イラクサ

2012/02/25 20:02

地味なようでいて、とても鮮やか。起承転結の「転」、「転」から「結」への部分の不思議な迫力が作品の魅力です。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 
収録作は9篇。
『恋占い』、『浮橋』、『家に伝わる家具』、『なぐさめ』、『イラクサ』、『ポスト・アンド・ビーム』、『記憶に残っていること』、『クィーニー』、『クマが山を越えてきた 』。

最初に読むことになる『恋占い』はいったいこの女性は?と疑問符から入りますが、その他の作品では、友人の家を訪ねる、離れていた異母姉妹の家を行く、葬儀に出席するために出かけるなど、ごく日常的な状況から始まります。
登場する中にも飛びぬけて奇異な人はいません。
退屈に似ている平穏の中にいて、奔放さには無縁。
不幸ではないけれど、意識する、しないに関わらず、彼女達にはどこかしら閉塞感が漂います。

けれども自由を完全に諦めたわけではない彼女達は、生活に差し込まれる出来事がつくる小さな波のひとつひとつを身を浸すようにして味わっていきます。
一緒にいる人の沈黙の意味。
唐突な情事。
どのような形であれ、人を決定的につなぎ合わせる出来事。
目に映る星や緑、肌で感じる風や空気の密度。

波乱万丈という言葉からは遠いところにある作品ですが、地味なようでいて、とても鮮やかな印象を残します。
たふたふと揺れている水の表面が一瞬真っ白に光って、まるで別のもののように見える。そして、その後すぐにまた元に戻っていくからこそ、それが目に残るというような。
そういう起承転結の「転」、「転」から「結」への部分の不思議な迫力が作品の魅力です。
読み応えがありました。
 
 

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紙の本藤田嗣治「異邦人」の生涯

2012/03/19 19:24

自分の画を確立し、死を迎えるまで作品の制作に没頭できた人生は、幸せというべきなのでしょうか。フランスへの帰化を『美の国への帰化』とする解釈に何かせつないものが残ります。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

その名前と作品のひとつくらいは誰でもが知っている、たとえ名前と画が一致しなくても、画を見れば、ああこれは知っていると思われるのではないかという有名画家の評伝です。
画家を志した頃からその晩年に至るまでが丁寧に取り扱われています。

画学生時代の鬱屈、パリへの留学。
異国の日本人としての奇抜な行動と真摯な意志。
40代には画家としての成功が彼に訪れます。

名前といくつかの作品くらいしか彼についての知識がなかった私には、おかっぱの髪型のわけなども含め、新鮮なことばかりでした。

帰国と戦争。戦争画の制作。責任の追及。
終戦後の渡米。パリへの渡航と帰化。
終始つきまとった日本画壇、日本のマスコミとの根深い確執。
そして、その晩年。

異邦にあって日本人としての自分を、その自分が描く作品を確立しようとした彼が、その日本に理解されないばかりか、誤解されていると思いながら生きていく時間の重さと長さは如何ばかりであったろうかと思います。
白状しますと、ワタクシ、泣いてしまいました。

理解されない、誤解されていると思うことは、被害者意識と表裏一体だろうと思います。
最初のきっかけは彼の過ぎるほどの激しさにあったのではないかとも考えられます。
ですが、ところどころに示される彼の平静であろうと努めた言葉や、偏見を持たない人達のみた彼の姿などに触れると、同情を禁じえない部分があります。
物事には両面があるということを思ってもなお。

自分の画を確立し、死を迎えるまで作品の制作に没頭できた人生は、幸せというべきなのでしょうか。
信頼してくれた父の存在があり、最終的には愛妻と共にあり、一瞬でも幸福な時を得ることができたのだからよいではないかと思うべきなのでしょうか。
画家としての彼の名は今も残り、日本、フランス両国から勲章も得て、評価もされたのだからと。
やはり、何かを得るためには、何かを決定的な欠如に耐えることが必要なのでしょうか。

一途に勤勉にキャンバスに向かった藤田の姿は生涯を通してのものでしたが、そうするしかなかったのかもしれないと思うと、著者が書いているフランスへの帰化を『美の国への帰化』とする解釈にも頷け、それが確固たる意志や理想に基づいたものであっても何かせつないものが残ります。
最後の奥方が、彼自身よりも怒り、彼の真実の姿を訴え続けるのは、フジタ自身が長い間無念を捨てることができなかったことの証明のように思えます。
遺品の中にあったという、フランスから贈られた勲章をつけた日本人形。
それにはどんな思いがあったのでしょうか。
自分自身の投影などというものではなく、ただの遊び心、ちょっとした思い付きであってほしいと、いっそ思います。

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紙の本本泥棒

2012/03/11 22:09

この物語を書こうと思うほど、著者の中にあの戦争があったということに驚く。書かせたのは、ドイツ人の両親が繰り返し語った戦争の記憶の断片。著者自身の実体験ではないことの時代への距離感が死神という語り手の存在を生み出したのだろうか。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本も映画も、戦争に直接関連するような作品はほどんど読まないし、観ない。
読むべき、観るべきとは思うのだけれども逃げている。
向き合って考える。何かを思う。それに偽りはないけれど、それを気持ちの、常に思考の表面近くに置いておくことはつらく、また、そのことをつらいと思ってしまうこと、そして、いつのまにか底のほうに沈めてしまっていることへの罪悪感がつらい。
さらに、その罪悪感までも薄れてしまっていたと突きつけられることから逃げている。
そういうわけで、この本を手にしたのは、私としては不注意なことだった。
この場合、注意深いことのほうが不謹慎なことだが。

『本泥棒』は第2次世界大戦下、ドイツの小さな町での物語。
父は知らず、弟を亡くし、たったひとりの家族である母親に里子に出された少女の物語が描かれる。
彼女は愛されていなかったわけではない。彼女の母親は少女を愛していたから手離したのだ。
ヒンメル、天国という名の町で少女は間違いなく愛情を受けて成長し、言葉を得て、本を読み、やがては本を書く。
ナチスの嵐が吹き荒れる中で。
それを読んだのは死神。
少女のことを語るのも、死の時を迎えた人々の魂を迎えにくる死神である。

*少女
*言葉
*アコーディオン弾き
*熱狂的なドイツ人
*ユダヤ人ボクサー
*多くの盗み

これがキーワードだと、死神は語り始める。

著者は1975年、オーストラリア生まれ。
本の発行は本国で2005年、日本では2007年。
著者は、20代の終わり、この作品を書いていたことになる。
この物語を書こうと思うほど、彼の中にあの戦争があったということに驚く。
書かせたのは、ドイツ人の両親が繰り返し語った戦争の記憶の断片だという。
著者自身の実体験ではないことの時代への距離感が、死神という語り手の存在を生み出したのだろうか。
この語り手の、事態への不可侵性(死神が死期を決めるわけではない)、徹底した傍観者気質はべっとりとした感傷を排して、読者としての私を楽にしてくれた。
楽にしてくれながらも、その時代に生きた人々の中にあったはずの思いをストレートに伝えてくれる。
感傷は読んだ者の中にこそ生まれる。

著者はヤングアダルトの作家として活躍しているのだそうだ。
この作品は日本では一般向けとして出版されたようだけれど、むしろ児童文学として出版されたほうが良かったのではないかと思う。
感想文など強要しなくていいから、課題図書にでも入れて、この本があることだけでも知らせたい。
そんな気持ちにさせる作品だった。

 

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紙の本ちよう、はたり

2012/02/28 18:16

書名の「ちよう、はたり」とは機の音。著者は染織分野での重要無形文化財保持者である。自然が生み出すものに直結した生業の人たちがもつ謙虚さと鋭敏さで研がれ、ますます澄んでいくような著者の視線は地球の未来をみやる。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

書名の「ちよう、はたり」とは機の音。
著者は染織分野での重要無形文化財保持者である。
本職である染と織での仕事のほうを目にするのは写真くらいのもの。
この本の中にもいくつかの作品と、つなぎ糸の玉の写真が配されている。
実物をみたのはずいぶん前のことで、どこかの、たぶん上野の博物館の常設展示でだったかと思う。
圧倒的に文章に触れることのほうが多く、そして、それが私にとってはとても印象深い記憶とつながっている。
随筆やエッセイといった、物語ではない文章を意識して読んだ最初の頃のもののひとつが、著者の文章だったという記憶だ。

小学校の高学年の頃の国語の教科書。
著者もまだずっと若いころのことだから、文章も、植物で色を染めるということそのものをテーマとしていた。
その文章で、染めるには花ではなく幹や枝を使うということ、色は植物の内側をめぐり、満たす精気そのものから分けてもらうものなのだということを知ったとき、驚くと同時に、とても納得できること、なんだかとてもふさわしいことだと思った。
いったいどうふさわしいというのか。
その時の私が思った理由はもうわからないけれども、それがとても強烈な気持ちだったことは覚えている。

この本はそんなことを思い出しながら、久しぶりにまとまった形で読んだ著者の文章だった。
著者に影響を与えた人たちのこと。
色を染めるということ、糸を織るということ。
旅先での出来ごと。
日々のなかで観たもの、読んだものに思うこと。
語られる出来事のすべては、著者がひたすら精進してきた一筋の道の上にある。
大正、昭和、平成と、大戦を含んだ長い時間の上をたどってきた著者が語る思いはさらに深く、見つめる先はさらに遠くなっていた。

自然が生み出すものに直結した生業の人たちがもつ謙虚さと鋭敏さで研がれ、ますます澄んでいくような著者の視線は地球の未来をみやり、自然への畏敬を失ったままならばやがてたどり着くだろうその先を心から憂う。
発行された年代ゆえのこともあるだろうが「エコ」という言葉は目につかなかった。
その代わり「水俣病」という文字があった。
忘れてはいない。でも、思い出してもいない。
こういう言葉に出くわしたときの気の重さは、頭の中で放り出したままにしておいたことのつけだ。
一字も読み飛ばさず、最後の句点までゆっくりと読む。
それがせめてものことだった。
 

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紙の本ピエタ

2012/02/20 19:44

ひとりの人の死から語りだされた物語は、生きてある人々の優しく光に満ちたひとときを最後の場面として終わります。この作品には、思えばいつもどこかで音楽が聴こえているような雰囲気がありました。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 
タイトルから、十字架から降ろされたイエスを胸に抱く聖母マリアの頭を頂点としたゆったりとした三角形の輪郭がぼんやりと記憶として浮かんできます。
嘆きと祈りと慈しみ。
そんな言葉を連想しながら読み始めた物語は、恩師の訃報から始まりました。
語り手は孤児院であるピエタ慈善院に育ち、ピエタのために生きてきたに等しいエミーリア。
神への祈りとともにある女性の視点で語られる物語は抑制の効いた静けさの中で進んでいきます。

時は18世紀、ところはヴェネツィア。恩師の名はヴィヴァルディ。
彼女はヴィヴァルディが遺した一枚の楽譜を探すという役目をきっかけにして、彼女の知らなかった恩師の姿を知ってゆくことになります
曝露されていく実像とも言えそうですが、読んでいてざらつくような気持ちにならないのは、エミーリアが訪ねた人々が、深さと質の差こそあれ、真摯に故人とかかわり、彼の死を自らが悼むべきものとして引き受けていると思えるからでしょうか。

ヴィヴァルディは確かに愛されていた。ただ、その愛情が彼を幸せにしたかどうかは死人に口なし。
ヴィヴァルディはヴェネツィアを捨てるようにして離れ、外国でひとり、死を迎えました。
その距離は、遺された女性たちの差を相対的に小さなものにしたようで、やがて彼女たちの間には同じ人を愛しく語る者同士の連帯がうまれ、そのつながりが描かれていきます。
浮かび上がるのは、在りし日のヴィヴァルディというより、彼を愛しながら生き、今もってなお彼を想って生きる彼女たち自身。

 
そういえば、この物語には、自分を語らない男性がもうひとりいました。
登場人物のひとりであるヴェロニカの兄・カルロ。
楽譜の行方の謎とともに、物語の初めからほのめかされているエミーリアの破談の相手です。
捨て子としてピエタ慈善院で育ち、その後も「ピエタの娘」として生きてきたエミーリアの若き日の秘めたる出来事は、少しずつ彼女自身の言葉によって明かされますが、その秘密を分かち合ったかもしれないこの男性の存在は、物語の中の気になることのひとつでした。
彼は語らなかった。
彼女は問わなかった。
何を秘め、何を明かすかこそが人を表わすのだと言われますが、だとすれば、何を問い、何を問わないかもその人を表わすものなのでしょう。

ひとりの人の死から語りだされた物語は、生きてある人々の優しく光に満ちたひとときを最後の場面として終わります。
この作品には、思えばいつもどこかで音楽が聴こえているような雰囲気がありました。
それが強く美しく感じられるのはクライマックスでもある楽譜の顛末の部分ですが、この場面の音楽は穏やかにあたりを満たしています。
やがては訪れる死のとき、彼女たちはこういうひとときがあったことを思いだし、想いを分かちあうでしょうか。
そうであったらいいと、何にということはなく、祈るような気持ちになりました。
 

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紙の本第七階層からの眺め

2012/04/19 21:42

世界は突飛だけれども、生きている人たちは突飛じゃない。そう思うと、またもとに戻って、不思議な世界だと思ったりするわけです。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

13編が収められた短編集。

『千羽のインコのざわめきで終わる物語』、『第七階層からの眺め』。
『思想家たちの人生』、『静寂の年』。
『壁に貼られたガラスの魚の写真にまつわる物語』
『ジョン・メルビー神父とエイミー・エリザベスの幽霊』
『〈アドベンチャーゲームブック〉ループ・ゴールドバーグ・マシンである人間の魂』
『トリブルを連れた奥さん』
『瞳孔にマッチ棒の頭サイズの映像が含まれている物語』
『ホームビデオ』
『空中は小さな穴がいっぱい』
『アンドレアは名前を変える』
『ポケットからあふれてくる白い紙切れの物語』

13の作品ばらばらの設定のなかで物語が語られていきます。
たとえば、最初の『千羽のインコのざわめきで終わる物語』は、住民のみんなが歌を歌う才能に恵まれ、音楽にあふれた街に住むたった一人、口をきけない男の物語。
『瞳孔にマッチ棒の頭サイズの映像が含まれている物語』は、みんなが見つめあうこと、互いに視線を合わせることなしに生活している世界での、人々の暮らしを描いたもの。
『壁に貼られたガラスの魚の写真にまつわる物語』は、写真の中の人が写真の外の人を眺めている物語。写真の外の人に頬を撫でられると風が吹いたみたいに感じるなんていうところは、甘くてちょっとすてきです。

どれもSFというほどSFではなく、ファンタジーというほどファンタジーではない感じ。
設定は確かに不思議なものなのだけれども、最後の印象として残るのは設定よりも描かれた人たちであるからかもしれません。
そして、不思議とその人たちに親近感がわきます。
『静寂の年』などから感じるある種の愚かしさだったり、主人公たちと驚くことが似ているとか、いけないと思うことが似ているとか。
世界は突飛だけれども、生きている人たちは突飛じゃない。
そう思うと、またもとに戻って、不思議な世界だと思ったりするわけです。

かと思うと、全然不思議な世界じゃないのに、不思議な印象が残ったり。
この短編集に入っているからこその感想だったかもしれませんが、『空中は小さな穴がいっぱい』がそうでした。
これはイスラムの女の子が写真に撮られることから始まる物語で、設定としては全然不思議なところがなく、SFでもファンタジーでもないのに、なんとなく時間SFを読んだ気分。
写真というありふれたアイテムが、時間と人との関係を思わせます。

目次をみなおすと、どれも好きだったような気がしてしまう短編集です。
どの作品もいわゆる「オチ」がいい感じ。
それでも特に好きだったなと思い返せるのは『千羽のインコのざわめきで終わる物語』。
自らは歌うどころか声ひとつあげなかった男が最後に遺したもの。
男が生きていたことの確かさと、それがやがて消えてしまうだろうことの寂しさが余韻として残りました。

いろいろな雰囲気が楽しめたこの作品集。
さて、この小説家はどういう方向に行くんだろうと、先が楽しみになります。

 

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紙の本水の道具誌

2012/04/04 22:28

道具を訪ね歩く著者の足取りも軽やかな1冊。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まるで「私、まじめですから」とでも言いそうな雰囲気で並んでいるのに、新書というのは、どうしてこう不思議なものが出ているのでしょうか。
タイトルでいえば『日本神話とアンパンマン』とか。
気になって、つい、読んでしまいます。

タイトルもシンプルなこの本は、道具好きの著者が特に水にまつわる道具を集めて語ったという内容。
最初に取り上げられているのは如雨露、です。
じょうろ。
めったに漢字で書くことなどありません。書くことがないどころか、持ってないし。
でも、如雨露の、あの水の出口を「蓮口」ということを知って「ほう、いかにも」と思ったり、如雨露作りの名人がすでに他界されていることなどを知って残念に思ったりすることができるこの本は、予想どおり楽しい新書でした。

思う以上に多岐に亘る水にまつわる道具。
きれいなところでは水琴窟。
変わったところでは下駄の爪皮。そういえば、水にまつわるものです。
洗濯板に衛星型洗濯機。
洗面器から、清潔であることと清浄であることの違い、汚れと穢れの違いが語られたり。

水の道具の今昔を通して、水との関わりの変遷を思う。さらに、この先、未来を考える。
そういう意味合いのある内容の本でもありますが、ここはやはり、著者の道具への愛情、思い入れの深さを楽しみたい気がします。
道具を訪ね歩く著者の足取りの軽やかさにあわせて。

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紙の本茗荷谷の猫

2012/03/05 22:15

眼に見えない細い縁のつながりは、明らかになろうとなるまいと、ひとりの人の生きた時間の名残が確かに遺されていくことの証のよう。ひとつの物語が終わり、後の物語の中にそれが現れた瞬間こそが、この作品の醍醐味かもしれません。

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


雪国に住んでいると雪はほとんどの時うっとおしいものでしかありませんが、たまには綺麗だと思います。
桜の枝についた雪が街灯にうっすら色づいているときなどには、一瞬、「満開だ」と。
それで思い出した本です。
もうすぐ桜が咲く、その気分につられるようにして手にした1冊でした。
桜の花の煙るような装丁。
表紙カバーをとると、一面、はなびら。
夜空に散る桜、それとも地に積もっていく桜でしょうか。

少しずつ時代がずれながら続いていく連作短篇集。
『染井の桜』、『黒焼道話』、『茗荷谷の猫』、『仲之町の大入道』。
『隠れる』、『庄助さん』、『ぽけっとの、深く』。
『てのひら』、『スペインタイルの家』。
9つの物語が収められています。
1つめの『染井の桜』は幕末。微禄ながらも武士は武士。その身分を捨て、新種の桜をつくることに人生を賭けた男の話。
ここから、次の物語、次の物語へと、少しずつ時代をずらしながら、市井の人々が描かれていき、『ぽけっとの、深く』では戦後の闇、『てのひら』、『スペインタイルの家』では、今となっては懐かしいような「昭和」にたどりつきます。

派手さのない作品ではありますが、登場する人々は奇妙に印象的であり、際立って変わった登場人物ではない作品では物語の情景が鮮やかです。
イモリの黒焼きで人を幸せにしたいと思いつめる男の『黒焼道話』。
何もせず暮らしていきたいと思っているのに、思わぬ方向に物事が進んでしまう男の『隠れる』。
『庄助さん』の映画をつくることを夢見る青年と、映画館の支配人。
『仲之町の大入道』の大入道の正体。(これに限らず、物語に文学作品が織り込まれていたりします。)
しっとりとした風情のなかにうっすらとした怖さを潜ませる『茗荷谷の猫』。

人々と街と時間の淡いつながり。
眼に見えない細い縁が、物語の中にひっそりとつながっていきます。
人が生きる時間と出来事を、ひとつの織物にたとえたとしたら、それに織り込まれるたった1本の糸のようなかぼそさ。
綺麗に1本につながるというわけでもないのです。
途切れたようにみえて、またどこかから浮かび上がってくる。
そのつながりは、それが明らかになろうとなるまいと、ひとりの人の生きた時間の名残が確かに遺されていくことの証のようで、物語ひとつひとつの印象もさることながら、それが終わり、後の物語の中に現れた瞬間こそが、この作品の醍醐味かもしれません。
ことに、『染井の桜』と『茗荷谷の猫』それぞれの後へのつながりには、胸を突かれるようなせつなさがありました。

本当の桜の頃にまたきっとこの作品を思い出すだろうと思います。

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古代の難破船ですよ!奇妙な機械ですよ!それだけで、もうロマンの匂いが!いくつもの歯車で古代の人々は何を知ろうとしたのか、探求が続くこと100年。そこには技術と知識を追及する熱とともに、裏切りや嫉妬といった人間臭さも立ちのぼります。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ロマンですわー。

『第1章 海底より現れしもの
 1901年、ギリシア。小さな島の沖合から古代の難破船がみつかった。
 貴重な彫像や壺、その奥から奇怪な機械が姿を現す。』

こんなふうに目次は始まっていました。
古代の難破船ですよ!奇妙な機械ですよ!
それだけで、もうロマンの匂いが!
中身が理解できようが、できまいが、まずは手にせずにはいられないタイプの本です。

見つかったのはいくつもの歯車が組み合わせられて収まっている小さな箱。
まるで時計内部のようにもみえるこの機械は、発見された場所にちなんで「アンティキテラの機械」と呼ばれるようになります。
いったい、これは何を目的とした機械なのか。
いくつもの歯車で古代の人々は何を知ろうとしたのか。
その探求が続くこと100年。
幾人もの研究者が、アンティキテラの機械の謎に挑み続けていきます。
打ち捨てられていた間にその部品の多くが失われ、状態の劣化も激しいため困難を極める研究。
大戦もはさんだその100年は解析技術の進歩を待つ100年であったかもしれません。

いかにもノンフィクションという印象の文章で語られていくのは、ぎしぎしとした研究成果のバトンリレー。
未知のテクノロジーを眼前にして探究心を燃やす研究者たちはまた、功名心を隠し持つ(人によっては全然隠していませんが)人々でもありました。
これまでの研究成果を踏み台にして、それへの疑問を追及することによって進められていくさらなる研究とその発表は、いかにしてライバルたちを出し抜き、我こそはアンティキテラの機械の謎を解明した者として名乗りを上げるかの駆け引き。
そこには、技術と知識を追及する熱とともに、裏切りや嫉妬といった人間臭さも立ちのぼります。

最終章では誰がこの機械を考案、作成したのかが推察されていきますが、アンティキテラの機械の実在によってこれまでの文献の信憑性も変わり、この種の機械が複数、古代にあったと考えられるようになったとか。
初めて見た人たちはどんなにワクワクしただろうと思うと、なんだか嬉しくなります。

現在、アンティキテラの機械は数種類の復元品があり、初期の研究者の案を基にしたものがアテネの博物館に展示されているそうです。
ちょっと検索したらば、LEGOでアンティキテラの機械を復元という記事も。
LEGOってのもすごいな。

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紙の本北の愛人

2012/04/09 18:12

記憶の破片を繋ぎあわせてできあがるもの。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

美しく結晶化した記憶を高く放り上げて落ちるままにし、壊れて散らばったきらきらする破片をそのまま作品にしたような前作『愛人』とは異なり、『北の愛人』ではその破片を繋ぎあわせ、ひとつの形を蘇らせようとしている。
メコン河がゆったりと流れる国で、植民地育ちのフランス人少女が、一回りほども年上の中国人青年の愛人として送った日々という形。

作品は、年老いた著者にもたらされた愛人の死の知らせから始まる。
愛人であった、あるいはそうあり続けたその男の死の知らせは、二度とは逢うことはないけれどもずっとずっと愛し続けると言った男の愛が長い時を経てついに完結したことを彼女に教える。
かの愛人の葬儀でどのような弔辞が述べられようと、墓碑にいかなる文章が刻まれようと、それが真実彼の墓であることを示すのは、棺の中の死体とともに埋葬されたはずの彼女への愛。
そう信じることができる彼女のなすべきことは、自分にとって彼の愛が、彼との日々がどのようなものであったのかをもう一度思い、たどること。

記憶の破片を繋ぎあわせてできあがるものが過去の事実と同じであるとは限らないし、そうである必要もない。
映画のシナリオのように語りだされる冒頭からすでに虚構性に満ちて、これから先は、著者が「14歳で愛人となった少女」という過去を、いかに美しく納得し、完結させるかの物語であることを想像させる。
働いたことのない美しい手を持つ男の肌が薫り、少女の薄い身体が愛撫を誘う、甘い悲しみに包まれた時間。
それがより丁寧に描かれ、少女の家の借金が青年の裕福な父親からの手切れ金で清算されることは、目的ではなく、別れによって少女が失う大切なものの代償となる。
薄暗い、著者が連れ込み部屋と書く、男の部屋で交されるふたりの会話も、すべてがあらかじめ定まった別れの時と別れた後の時間のためにあり、死から語りだされた物語は、過去においても遠い先の死を目指すような、悲しむために愛するかのような物語として紡がれていく。
著者が生きた長い時間の中で、この記憶が、少女時代に暮らした国への想いとともに、いかに美しく磨きあげられていったかがわかるような作品だ。

『北の愛人』のほうが出来事としてわかりやすいと思うけれども、青年への愛情を自覚してしまっている少女よりも、フランスへ向かう船の上で、愛情をやっと認める『愛人』の少女のほうが私は好きだったようにも思う。
思い出は散らばった欠片のままのほうが光る、そんな気がするからかもしれない。


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海のカテドラル 上

2012/03/27 18:12

時は中世、14世紀。舞台はスペイン。 海に臨む教会、サンタマリア・ダル・マールの建設期間55年を背景に、「時代」と「都市」と「民衆」を描く堂々の大河ドラマ。自由、富、権力、愛情、平穏、あるいは、ただひたすら生きのびること。交錯する欲望のぶつかり合いが登場人物の運命を推し進めていく。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

時は中世、14世紀。舞台はスペイン。
海に臨む教会、サンタマリア・ダル・マールの建設期間55年を背景に、「時代」と「都市」と「民衆」を描く堂々の大河ドラマ。
物語は農奴であるバルナット、息子アルナウのそれぞれがたどる運命を軸に進んでいく。

自由、富、権力、愛情、平穏、あるいは、ただひたすら生きのびること。
さまざまな階級の人間が、自分の求めるものに向かって手を伸ばす。
何を求めるにしても、それが欲望であるという点では同じだ。
交錯する欲望のぶつかり合いが登場人物の運命を推し進めていく。

背景となる中世は激動の時代であり、戦争は絶え間なく、黒死病が都市に襲いかかる。
人々の中に深く刻まれた信仰は美しく荘厳な教会をつくりだす一方、異端審問で人の命を奪い、弾圧に走る。
光と影の国スペインの人々の熱い血なのか、あらゆる出来事が極限を目指して高まっていくようだった。
戦場は血、礼拝堂は蝋燭の油煙、街は汗の臭いに満ち、いたるところで民衆たちの怒号、あるいは沈黙が響く。
過酷は過酷を、悲惨は悲惨を極め、気の休まる時もない。
正直に言えば、冒頭、人間として最低ランクの領主が、バルナットの花嫁を婚礼の宴の最中に凌辱し、その直後、バルナットに初めての夫婦の営みを強要するという、気持ち悪さに吐きたくなるような出来事の時点で読むのをやめたくなった。
そういうことが当たり前で、特段罪でもない時代の物語なのだ。この先、どんなことがあるかわからない。
でも、上下巻の最初の数ページで投げ出すのはやはり惜しい。
この先、どんなことがあるかわからないということ、それは物語を読む楽しみでもある。

物語はそのあとも禍福を繰り返し、時代を映しながらうねるように展開していったが、読み進めるうち、少しずつ読むのが楽になってきたのは、物語の中心人物であるアルナウの人物像のためだったと思う。
彼の感情の方向と発露は素直だ。
愛する父親を貶める者には憎しみを抱き、復讐を誓う。
ひとかけらの記憶もない母親の代わりに、聖母マリアを慕う。
その愛に報いきれなかった妻の亡骸に心からのキスを贈る。
骨惜しみをせず働く男たちを混じりけのない尊敬の念でもって見つめ、同情すべき人には惜しみなく心を傾ける。
誕生の最初の一歩、受精のときからして波乱の幕開けで、乳飲み子のうちから(自覚はないだろうが)苦労をした彼だが、その苦労は少年の中の強さを鍛えたけれど、冷酷な狡さは育てなかった。
アルナウは、一方的に人を傷つけることがない。彼によって傷つけられる者がいたら、同じようにアルナウ自身も傷つくのだ。
そういう主人公なら、辛苦の後の幸せな結末を願うことも易しい。
ギリギリのところでは運のいい主人公は都合がよすぎる気もするが、だからこそ素直に物語に準備された喜怒哀楽を味わうことができたようにも思う。

タイトルになっている「海のカテドラル」、海の聖母教会は今も変わらぬ姿で建っている。
もし、訪れる機会があるならば、その石に触ってみたいと思う。
遠い昔、素朴で力強い男たちがその背で運び上げた石だ。
数えきれないほどの石と人々の聖母への祈りによって組み上げられた教会。
著者に物語を描かせた思いが、もしかしたら私にもわかるかもしれない。

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