ぽんぽんさんのレビュー一覧
投稿者:ぽんぽん
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ドン・キホーテ 前編1
2013/05/17 17:04
近代小説
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ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、司祭の三人は最後までかみ合わない。理解しあわない。(オデュッセイアではなく)イーリアスと比較してみると、面白いかもしれない。いつも冒険は、狂気或いは偏執に依って始まるものかもしれないなぁ。但し、日常も何かしらの妄信に支えられているもので、妄信を互いに確認しつつ生きなきゃならない。ご苦労様。数年でも、異教徒の捕虜として生きたセルバンテスだから書けたものかも。理解しあわずに共に生きる、理想を超えて共に生きる、難しいような、当たり前のような・・・愉快な小説です。

哲学探究
2014/03/18 22:36
運動、或いは、可動が本質では?
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
静止している絵ではなく、動画
文字ではなく、音声
記述ではなく、発話
後者の優位が言語にとって本質ではないか
ちょっと神話的だ
265で扱われる記憶のなかの表は、記憶内部の論理の非有用性というか、記憶に於ける各挿話の独立性といったものを、示し、個人を個人たらしめる、或るは、自己に於ける差異化、宙ぶらりんな、或るは、自由な人間存在を成立させる重要な要素であるかもしれない。
判断における一致と似たように
(選択的な)人称体系の一致によって、
言語コミュニケーションの場が
開かれるのかもしれない
むしろ、無批判に人称体系を一致させることによって
生活形式を一致させていくように訓練させ/されるのだろう
そんなことは、当たり前か
ドゥルーズの『フーコー』で、人称に関して
ヴィトゲンシュタインの名前が出てきて
ふんわり思うのは
私、主体、自我、個人などといったものは
普遍的単位となるのかどうか?
と疑問に思った

ウィトゲンシュタイン入門
2014/02/16 18:21
今ここにいるこの私
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
読んで思ったこと。
独我論
私(一人称代名詞)を含む言説の発話行為は、その行為を行っている時点に於いて、倫理・認識・存在に関して、決定的に重要。
比較。
過去。発話したこと、言われたこと。記述したこと、書かれたもの。
過去の時点では、記述の優位
現在。発話している、話していること。記述している、書いていること。
現在の時点では、発話の優位
発話行為に於いて、私という言葉を騙ることはできない。
目の前の人が「今、私は発話しています」と言った場合、疑うことはできない。疑う場合、「今ではないのではないか?」「私ではないのではないか?」「発話していないのではないか?」このような疑問が妥当ならば、それは人とはみなされない。
問い。
或る人物が30分前に「リトマス紙は、酸性で赤くなる」と言い、その後「リトマス紙は、酸性で青くなる」と言い直した。
後者の発話内容は誤りだか、この変化を知ることに、意義があるか。その一般的意義といったものは、あるか。
裁判はなぜ公開することが、求められるのか?
生中継、生放送、ライブといったものに共通する価値とは?
時代的変化。神話的な記述の優位→政治的な発話の優位
感覚Eを書き忘れたり、書くのを躊躇したりすることはないのだろうか。
或いは、書き忘れたかもしれないとか、ひょっとしたら感覚Eだったかもしれない、と言うことはできるのか。できる?できない?それは、なぜ?
もっと言えば、他人があなたは感覚Eについて書き忘れたり、書くのを躊躇したことはなかったですか、本当にないですか、と聞いたり、当人がそれに答えたりすることができるだろうか。

俳句の世界 発生から現代まで
2013/10/14 11:51
手っ取り早い
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コンパクトでそれなりにわかりやすい
でも、何冊かは文藝批評とか文藝史とか読んでないと、頭に入ってこないかも
馴れです
俳諧・俳句の歴史的・構造的成立といったものが、簡潔にまとめられてます。
奇妙な言い回しは、トリックがあります
あとがき参照
芭蕉によって、俳諧の理念というか、評価基準といったものが確立されたようです
個人的には、近代以降の俳句にやはり惹かれます
具体的には、
幾たびも雪の深さを尋ねけり 子規
以降、とくに誓子は素晴らしい
掲句は、自然の情景(雪景色)ではなく、個人の行為(何度も尋ねる自分)を感傷的に捉えたもので、近代俳句でしょう
再追加の章は、現代文学の基礎的基準といったものに触れていて、面白いです
西洋現代詩へ寄与した俳句、芭蕉であるとか
連歌における「とりなし」が、享受者の積極的参加による文藝作品成立という現代的な批評理論(受容美学)に先行するものであるとか
芭蕉の章中に「かるみ」の解説でみせる、著書の気質といったものに好感を持ちます

明治維新 1858−1881
2014/05/05 03:48
指導者たち
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坂野潤治(政治史)と大野健一(経済史)の共著
まえがきとあとがきを、読めばわかるけど
明治維新という近代化過程での
指導者たちの動きを描いている
日本の近代化にみえる独自性として
主要な指導者たちには
以下の2点が共通している
複数の国家目標
目標を標榜するグループ間の協力関係
(「柔構造」と呼んでいる)
図式的に言えば
前者は開発独裁の硬直性
後者は途上国の不安定性
と比較できる
2点の独自性に依って
「複数目標を同時に達成する能力、
内外ショックへの適応力、
政権の持続性」
を発揮し、近代化を達成したようだ
日本の近代化の独自性として
「柔構造」を見出し提示している
これは、分かり易くて、
しかも、興味深い
※明治維新を
英米仏露の革命と比較してみると
面白いかもしれない

オイディプス王 改版
2013/07/01 17:45
こたえへの固執
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荒唐無稽の伝説を、スリリングな対話劇にしている。
スフィンクスを倒した智者は、自らスフィンクスのようにこたえを求める。
(このような反転は、随処にみられる)
劇中のオイディプスの冒険は、こたえを引き出すことにある。
相手を愚弄してでも、自らを悲劇に陥れても、執拗に要求する。
観客/読者も、次第にオイディプス同様こたえを望み、来訪者が口を開くと安堵するようになる。
プロットの直線的な推進力は、有無を言わせない。
(大人は些事に拘るべきでない、と窘められるが、これは観客にも向けられているか?)

ニーチェ
2013/11/06 17:56
多様、生成
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ニーチェは様々に読まれる
「大衆」が画一化されないように
逃げるのでも、目指すのでもなく
それはすでにあった、あり、(恐らく、
あり続ける)
『ドゥルーズとニーチェ』
ハイデガー、フーコー、ドゥルーズに関して
読み、影響、利用が見られる
編み目をうらから覗くような
コンパクトなニーチェ像

現代倫理学入門
2013/07/25 00:34
功利主義という罠
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意思、自由、選択、責任というものは、実在せず、形式的なものだと思うので、功利主義は使える道具だと思う
国連がそれ程有望だとは思えない
藁をもつかむ思いか
藁だとしても、ないよりましか
技術は発達しても、なかなか人間性、或いは倫理感というものは発達しないようだ
神経医学、心理学、経済学、倫理学といったものが、あと数段階発達したら、新たな倫理学が築かれるかもしれないな~
諸科学も、道具にすぎないかな

螢・納屋を焼く・その他の短編 改版
2014/12/04 23:15
喋らない
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喋らず、読むように眺める少年/青年。

ふしぎな図書館
2014/12/04 22:44
知 迷宮 図書館
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読書のメタファーなのかな
トルコの税金取りって、ボルヘスの短編に出てきたっけ?

マンガは哲学する
2014/01/17 16:15
哲学なのかな
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去年か一昨年に読みました
あまり感銘は受けませんでした
寿命の短い星の話では
件の星でのみ生きた人物は
最も合目的、意義のある人生であろうけれど
その目的や意義は当人以外の人物(母親)が
定めたもので前近代的ですが
当人は個人主義の観点に立てたかどうか
疑わしいです

リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史
2013/08/01 22:41
大衆と言う名のアンチ・クリスト
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シュミットは、政治に於ける一般的人間性を見るに、闘争を見る
ケルゼンは、近代的・合理的個人を見ようとしたように思う
ホッブズも言うように、或る人々は自尊心に煩わせられ、他方は、或る場面では無関心でいる
競争原理による準闘争。勝者は誰か?自分は何位なのか?
貨幣経済による効率の可視化。最適な方途を選んだものは、果たして何を手にするのか?
貨幣経済を媒介とする高度資本主義、これを伴う民主主義では、闘争と効率は先鋭化する
アナキズムもマルクス主義も、非常に高度な倫理を要求することに、僕も同意する。
アナキズムやマルクス主義の到来、或いは、神の国の到来より、国連誘致のほうがまだ現実的かもね
但し、僕も含め大衆はエサをぶら下げなけりゃ何もしない!
学者は理念を求める
政治家は利益・(部分的)国益を求める
大衆はより多い配分を求める
何の為に、ではなく
それをすることによって何を得るのか?
人は得るものがわからなければ
何もしないだろう。

ニーチェ
2013/06/12 20:28
19世紀の中のニーチェ
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あとがきに書かいてある。
「19世紀の中に彼を置き直し、その歴史的背景から理解しようと試み、そのようにして再構成したものを、暗い夢に満ちた、この不可解な現代という時代の問題に少しでもぶつけてみようと企ててみた。」
社会的・思想的背景や前後の哲学者への影響、
外からのニーチェ理解が多め。
現代ともつながる近代市民社会の問題。
ニーチェはなにやら美を用いて、近代の克服を目指そうとしたらしい。三島は、悲劇の誕生を重視している。
文献学のような読みを強いるニーチェの文体。
一方、ニーチェは読者を渇望していた。
扇情・自然への憧憬。
これは、ニーチェの誤解を招く要因だと思うけど、
三島は寛容じゃないかな。
障害者や病者といった人間に於ける自然といったものを蔑むニーチェの言説も、都合の良い自然解釈であるように思う。
仮面。示すことによって、隠す。それによってあらわれるもの。両義性。
ニーチェとナチズム。そして、思想の実践。
新書なので、そこまで突っ込んでかいてない。
そりゃ仕方ない。
本格的なニーチェ論にあたったほうが良いだろな。
ちょっとキレイにまとめてしまってる感じはあるな。
ニーチェ自身がアポロ対ディオニュソスの緊張関係のなかで、書いていたのだろう。この辺は、三島の言う「モダニズム」の手法。
二度フーコーの論文に触れられる。恐らく筑摩書房『フーコー 思考集成4』所収「ニーチェ、系譜学、歴史」だと思う。この論文は、20ページほどなので目を通してから、三島の『ニーチェ』を読むと良い。
フーコーの方法は、近代の克服の実践的方法の一つだろう。
※僕は、まず因果という、いわば神話の影からの脱却がなされなければ、近代の克服はないように思う。歴史や物語といったものは、因果的解釈から捉えられたものなんじゃないか。因果の派生的方向と遡及的方向は、対称なのかな。
「われわれは、〈原因〉とか〈結果〉とかいうものを、ただ純然たる概念としてのみ、いいかえれば記述や了解のための便宜的なフィクションとしてのみもちいるべきであって、説明の具にしてはならない。(中略)原因、継起、相互性、相関性、強制、数、法則、自由、根拠、目的といったものをでっちあげたのは、他ならぬわれわれなのだ。そしてわれわれが、こうした記号世界を〈自体〉となして事物の中へ考え入れ、混ぜ入れているとすれば、またもやわれはここでいつもながらのやりくちを、つまり神話的なやりくちをとっているのだ。」善悪の彼岸 第1章21節 ちくま学芸文庫より引用
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