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Solaris1さんのレビュー一覧

投稿者:Solaris1

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本

西安からローマまで873日間で徒歩走破した日記の約半分が収録されています

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著者は、1994年6月14日から1996年11月6日、873日かけて、西安からローマまで徒歩旅行しています。ルートは以下の通りです。キャンプ地点含め宿泊地点の記入されているルート地図が約2~300キロごとに1枚挿入されています。

西安→蘭州→トルファン→ウルムチ→ホルゴス国境(カザフスタン)→チャリン→アルマトゥイ→コルダイ国境(キルギス)→ビシュケク→チャルダバル国境(カザフスタン)→タラズ→シムケント→シュベク・ジョリ国境(ウズベキスタン)→タシュケント→サマルカンド→ブハラ→ホージャ・ダウラト国境(トゥルクメニスタン)→マリ→アシガバード→グドゥリオルム国境(イラン)→カスピ海沿岸→アルデビル→タブリース→バザルガン国境(トルコ)→エズズルム→トラブゾン→サムスン→イズミット→イスタンブール→エディルネ→カプクレ国境(ブルガリア)→ベリjコ・タルノボ→ルセ国境(ルーマニア)→ブカレスト→シビウ→バルシャンド国境(ハンガリー)→ケチケメート→ブダペスト→バラトン湖沿い→レディッチュ国境(スロヴェニア)→ノバ・ゴーリカ国境(イタリア)→ベネツィア→フィレンツェ→ローマ

原稿は原稿用紙2900枚、本書本文606ページ、原稿用紙約1424枚分となるため、日誌の半分が書籍に収録されていることになります。また、写真は8ページ16枚しかないため、割愛された原稿や写真もwebに掲載していただけると嬉しいです。

徒歩旅行の場合あまりルートからそれる地域は訪問できない筈で、これだけの日数を費やしながら近隣の国々にいけないというのは、逆にデメリットも大きいのではないか?と本書読前は思っていたのですが、実際にはインドなどに足を延ばしていたのは驚きです。他にも、正規のルールを順守してたら実行できない部分もあり、それらを含め驚いた部分をいくつか列挙します。

〇中国の非開放区を歩いている
非開放区に侵入し、警察に摘発され警察署まで護送され、罰金を支払った後、捕まった地点まで戻って徒歩旅行を再開することを交渉して認められたこと(p51)。

〇外国人旅行者に開放されていない国境を越えられず、別経路で入国後、通過できなかった反対側の国境まで歩いて当初の旅行ルートを続行(トゥルクメニスタン―イラン間)

〇トゥルクメニスタン出国済再入国不可の状況でイランに入国できず、どちらの領土でもない間の緩衝地帯でキャンプして入国できるまで粘ろうとしたこと

〇規則では一度しか更新できない中国ビザを3度も更新(4度目は認められず、ウルムチから香港を往復し再入国)

〇A型肝炎でテヘランで療養中、ビザ更新を兼ねて出国し、2か月程インド/パキスタン/イランを観光(主に交通機関旅行)

〇最高零下15度の雪の中でキャンプ

他にもイスタンブールで睡眠薬強盗にあったり、犬に咬まれ皮膚をちぎられたり、凍傷で耳が崩れそうになったり、荷物ラクダを買ってしばらく一緒に旅行したり、熱砂の砂漠が数十キロ続くところをキャンプしながら歩いたりと、ほとんど命がけの冒険旅行となってます。

著者は大学3年時下宿のある東京日野から実家の静岡まで野宿しながら6日間で歩き、翌年冬ハバロフスクかモスクワまでシベリア鉄道で旅行し、旅程を徒歩旅行した場合の日数を考察、その後西安からローマまで自転車旅行した人の旅行記※でこの期間が1万3000キロだと知り、徒歩旅行すれば2年半との見積もりを得たとのことです。

※『ちゃりんこ西方見聞録』(川端裕介・るり子著)(単行本1991年、文庫版2000年(朝日文庫))の模様(中国→パキスタン→イラン のルートで期間は1年3か月)

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紙の本

専門書だが一般読者にもお奨め

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「ドイツ」はいつ成立したのか?教科書には911年、西フランク王統断絶によってザリエル家のコンラートを選出した時、或いは919年、ザクセン人ハインリヒを選出した時とされている。しかし実はその王権は、「東フランク王」であり、オットーの政権は「ローマ帝国」のもとに、ザクセン人、フランク人、アレマン人、ババリア人を統合しただけで、「ドイツ」なる実態は存在していなかった。概説書に記載のある初期の「ドイツ王」とは、実は「ローマ王」を名乗っていたのであって、「ドイツ」という言葉自体、当時は「民族の」という意味だった。では、ドイツいう概念はいつ成立したのだろうか?

 これが本書のテーマである。10世紀前後は、欧州各国で現代に直接連なる民族国家群が誕生した時代である。 仏、英、露、ポーランド、チェコ各国で民族の歴史書や民族文学が編まれ、それらは必ず民族的始祖を伴っているが、ドイツで成立した「アンノの歌」では、ユリウス・カエサルが、ザクセン人、フランク人、アレマン人、ババリア人を討伐し、後に同盟を結び、ローマに進軍し、ポンペイウスと元老院を東方に追放する、という始祖伝説が語られる。

 ドイツの語源となった言葉の成立を、8世紀から16世紀まで様々な史料を用いて分析し、ドイツという概念が実は外国(イタリア)で成立し、ドイツに移入されていく過程が明らかになる。

論文集なので難解な部分も少なくないが、ドイツ人とドイツ史が抱えるアイデンティティ問題の深さがよくわかる。西欧中世史事典とともに、菊地良生「神聖ローマ帝国」を読んで興味をもった方にお奨め。一般読者にもお奨めなので、できれば価格を抑えて欲しかった。巻末の史料集も有用。

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電子書籍

神話とロマンに満ちた日本古代の終焉を描く傑作

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長岡良子の古代幻想ロマンシリーズは、大正時代シリーズと並んで長岡良子がもっとも油の乗り切った時期の傑作だと思う。中大兄皇子の時代から藤原仲麻呂までの時代を描くこの連作短編シリーズは、天智を理想とする藤原鎌足、田辺大隅らの流れが、天智天皇没後権力を握った大海人皇子(天武)の時代、裏面に追いやられ、天武‐大友皇子及び持統以外の側室の子が勢力を持った時代に、密かに暗躍し、陰謀を巡らし、ついには藤原不二等という傑物を得て、再び天智系が権力を掌握して模様を、個人の夢や希望を容赦なく叩き潰す政治の非常な救い様のない殺伐とした流れを、諦念と詩情とが混在する筆致で華麗に描いた歴史絵巻といえる。

 この大河物語の主軸はそうした様々な登場人物達の運命を描いた傑作であることは勿論だが、当事の歴史のもう一つの流れ、集権的国家が誕生し、政府の統治から阻害されてゆく様々な異形の者たちの運命や桎梏についても描かれている。不二等らは律令の制定に伴い、人民を完全に国家の管理下に取り込む政策を推し進める。これに反抗するのは、異形の者達、山人、遊民、そして役の小角に代表される超常力者達である。彼らは国家と正面切って闘争をするような勢力は持たない。せいぜい陰謀に荷担し、歴史の表面に顔をだすことなく、流れの中に埋没し、不二等らの推し進める律令体制に収まりきらす、どこか遠くへひっそりと身を隠して行く。

 本作「夜の虹」は、この大河物語の各テーマが集約された、連作物語のピークともいうべき場所を占める。若い時の希望や夢を押しつぶされ、骨の髄までマキャベリストとなって次々と策謀を巡らす不二等と、消え行く異形の民たちの対立。新しい時代の体制の元、締め出されたのは彼らだけではない。それは天智時代の再現を望みながら、実際には法と鉄と血で塗り固められた国家を作り上げる結果となってしまった彼ら自体の目指した天智時代というユートピアをも締め出すことになったのである。天智時代とは異形のものも含んだ、明暗併せ持つ一つのユートピアであった。作者はそれを「夜の虹」という現象に象徴させているかのようだ。ラスト不二等は語る。

 「夜の虹か。私には見えん。見る必要もないものだ」

異形のもの、超常力とともにユートピアもまた現実の国家運営には必要が無い。こうして神話とロマンに満ちた日本の古代は終わる。

ロマンや悲劇という娯楽要素とともに、フーコーの「監獄の誕生」をも思わせる奥の深い作品「夜の虹」。歴史マンガの傑作である。

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紙の本

「歴史は科学ではない」けれども、「歴史学は学問では無い(歴史小説と同じ)」とは書かれていない点に注意が必要です

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本書における、主要テーマである科学、概念/社会学、物語は、それぞれ実在、客観、主観に対応しています。

1) 科学(≒実在)

 本書における「歴史は科学ではない」の趣旨は、「歴史」は物理学のような法則性を備えているのか?という意味において、科学ではない、という意味です。

背景には、マルクス主義的発展段階論や、社会進化論、文明興亡論などが科学的と見なされ、人類の未来や将来の歴史は、あたかも彗星が周期的に将来地球近辺に到来することを予測するような「科学的な歴史法則に則って展開する」という19-20世紀中盤に勢力を持っていた思想があり、著者が歴史の科学性を否定しているのはこの部分です。この前提を無視して、「歴史叙述は歴史家(研究者・学者)が自由に描ける物語なので、諸史料(古気候学、地質学、考古学、文献学等々の史料)の科学的調査や精査や学問的諸手続きを無視していい」、と述べているわけではないので、この点注意が必要です。これについては例えばp197で「歴史家は(中略)過去の再構成にとりかからなくてはならない。この再構成の論理学または心理学は諸科学のそれとなんら異ならない(中略)推論や原因の探求において、彼は物理学者や探偵と同じで思考の一般諸法則に従う」と述べている通りです。

史上の出来事・事象が、個々の歴史家の筋書きにより配置される(これを著者は「系列化」と呼ぶ)、無限に近い諸要素が個々の歴史家により意図的に選択され捨象されざるを得ない、この意味で歴史叙述は物語である、と主張していますが、これもあくまで史料の科学的諸手続きによる精査や史料批判が前提の主張です。史的唯名論(唯名論的歴史認識)が著者の立ち位置です。

2)客観(≒概念/分析装置≒社会学)

社会学もバッサリ斬られています。社会学が近代物理学のように継続的発展のある、演繹性を持つ学問ではなく、個々の学者が用意した類型や分析概念の単なる集積に過ぎない、だから社会学も科学ではない、という極論の立場です。しかし、著者が所属するアナール学派が、社会学の成果を取り入れ歴史学に様々な分析装置を提供し、有用性を発揮してきたことは事実であり、著者も「社会学者は、歴史家が荒地のままで放置しておくというあやまちをおかした領域を耕そうとしてきた」(p524)と記載しています。重要な点は、その分析装置は、歴史学における「系列化」と同じである、と論じている点であり、歴史(学)は、「社会学がやることはみんなやるし、社会学などよりもっとうまくやる」(p523)と述べていて、決して社会学の内容自体を否定したり無意味だと主張しているわけではない、という点です。著者は寧ろ、アナール派を中心とする(当時の)欧米の最新歴史学は社会学を吸収しきった、という自信を表明しているといえます。「科学」ではないにせよ、概念装置の学問的な有用性まで否定しているわけではありません(ただし、有用と乱用の境界は曖昧で、ウェーバーはOKとなってます)。

3)主観(≒物語)

 不足していると思われるのは、「歴史家がまとめ上げる成果物としての「歴史叙述」が物語である」とした場合、その歴史家自体の認識や研究アプローチそのものが、知識社会学(あるいはフーコー流の「知の考古学」)的分析対象となり、両者セットで学問たりえる、という点に少し無自覚のように見受けられる部分です。しかしこうした点は20世紀後半に議論されてくる内容なので、本書出版時(1970年)にはまだ認識が薄かったものと考えられます。

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紙の本

本書は重要な書籍ですが、社会問題を文学的に書くことには疑問を感じました

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本書は、トルコにおける名誉殺人者である受刑者や親族へのインタビュー、裁判などの資料を元に書かれていますが留意点があります。

1.極めて小説的に書かれている箇所が多い

特に4章、7章、10章は、被害者の心情を知る者がいない時のことについて、被害者の心情が細かく再現されており、作者の創作としか思えない文章となっています。

2.インタビューと資料を読んでいる時間が少ないと思われる点

生存中の被害者から直接数日間インタビューした1章以外は、取材時間が少ない印象を受けます。
8章で、「二時間もあれば終わると思っていたインタビューは、五日も続いた」(p254)とあり、3章p89では、受刑者を前に、「受け取ったばかりで読んでいない、書類の表紙を覗き込んだ」とでてきます。この2つの章が例外という可能性はありますが、かなり駆け足な取材をしているようです。他に裁判資料や受刑者以外の関係者取材などで補強して、被害者の心情や事件の経緯を再現しているのだと信じたいのですが、関係者全員が被害者に冷淡で被害者の心情を著者が知る余地は無かったと思われる事案が殆どであることから、事件の客観性がどこまで担保できているのか、疑問に思えました。

3.被害者は美徳や美しさが強調され、加害者は欠点が強調される傾向がある点

 多くの場合、被害者は美しく、不満を言わない、大仰に言えば、天使のように描かれています。

 被害者が美しいと描かれているのは、1章p49「美しい顔」、2章p59「尋常ならざる美しさ」、4章p129「妹が美しいのは」「魅力的で」、5章p157「姉たちは魅力的な金髪」、7章p207「彼女の美しさに」、8章、p233「一家の中で飛びぬけて魅力的」、9章「最も美しく」とあります(美しくないと書かれているのは3章の一人だけ)。

 被害者の美徳が強調されているのは、1章p22「一言の不満も言わず」、2章p56「決して不満を言わなかった」、10章p312 「好人物で働き者」です。

 加害者もまた因習や社会的圧力の被害者であった、とする事案では、その加害者は、5章p158「貧しくも品行方正」と描かれています。

 合計すると10章中9名が、読者の同情を誘いそうな人物として描かれています。もっとも、このうち、7章と9章は、インフォーマント(情報提供者)は殺害者ではなく、基本的に娘を殺したいとは思っていなかった父親であるため、同情的な身内が故人を美化しているという可能性も高そうですが、この2例を差し引いても、特に1,2章は読者の感情移入を促すことを意図しているとしか思えないエモーショナルな文章となっています(あまりエモーショナルではない8章や10章を冒頭に持ってくれば、かなり印象が変わるのではないでしょうか。しかし、敢えて被害者が美しく健気に描かれている章を冒頭に持ってきたところに、本書の特徴が出ているように感じました)。

 この問題は、被害者があまり同情を寄せられるような人物でなければ衝撃度や問題度が低くなるような、そういう問題ではない筈です。感情を刺激する文言がなくても、十分この問題の恐ろしさは伝わってくる筈です。

 トルコ社会問題研究者の村上薫氏『トルコの名誉殺人』という分析レポートがネット公開されています。この中で本書が引用されていたため本書を読んだので、序章と1章以外があまりにも小説的なのには失望しました。現時点ではトルコの名誉殺人に関する日本語書籍は本書しかなさそうなので、本書ほ重要性は高いのですが、インタビュー時間や関係者取材の具体的な記載、利用資料を明記し、著者の想像や創作を排した学術的書籍が将来登場することを期待します。

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