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べあとりーちぇさんのレビュー一覧

投稿者:べあとりーちぇ

90 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本

毎日…はムリとしても、豆腐好きには嬉しい

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 高たんぱくで低カロリー、ダイエットの強い味方・豆腐。大好物ではあるのだが、夏は冷や奴で冬は湯豆腐、せいぜい餡かけ豆腐にマーボー豆腐と、決まりきったメニューしか出せないのが悩みのタネだった。そんな時、書店で平積みになっているのを見つけ、飛びついて買ったのが本書である。

 PART1〜PART10まで、「のせる・あえる」「汁物&スープ」「焼く」「炒める」…などなど、料理法別にずらりと121種類。定番も変化球も載っているので、初級から上級までいろいろと応用が利きそうである。例えばトップバッターの「ねぎ塩やっこ」。定番中の定番なのに意外とやったことのない一品だが、ねぎ+塩+ごま油が絶妙のコンビネーションで思わず「うまいっ!」と口走ってしまった。
 変わりやっこでは「はちみつ梅やっこ」がお気に入り。ご飯のおかずというよりは、ちょっとヘルシーなデザートかおやつという風情である。きれいな絵皿に載せて冷たく冷やした緑茶と一緒に出せば、立派に「お客さま用のおもてなし」な感じ。
 基本中の基本といえる「保存法」「水切りの仕方」「切り方」の解説ページがさり気なく添えてあるのも好印象。ダイエット目的の読者向けに、もちろんカロリー表示もばっちりである。

 どっしりとした食べ応えが得られるメニューでは、定番のマーボー豆腐やいりどうふの他、豆腐ハンバーグやおからコロッケ、とうふギョーザにグラタンにロール白菜まで載っている。とうふ入りミネストローネやとうふ入り茶碗蒸し、はたまたとうふ入りのエビチリのアイデアには驚かされた。これならボリュームを落とさずにカロリーダウンできそうで、要ダイエットの家族を持つ身としては感涙モノである。
 個人的な好みで行けばPART7「蒸す」にある「れんこんどうふだんご」に大注目。他の3種類の蒸し物メニューも美味しそうで彩りも美しく、これならメインディッシュでも大丈夫そう。
 デザートのパートではとうふ白玉やとうふプリン、とうふアイスクリームが紹介されている。「はちみつ梅やっこ」の味から想像すれば、とうふ白玉など大変美味そうだ。これだけあればまさに「毎日、とうふ!」な生活が送れることだろう。

 やる気になるかどうかは別として、オマケに「手作り豆腐」のページもある。「レンジde手作りとうふ」など非常にそそられる。茶碗蒸し感覚でちょっと作ってみたくなった。
 全国の豆腐ファンにも、そうでない人にも、文句なくオススメの1冊である。ぜひお試しあれ。

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紙の本

紙の本熱い書評から親しむ感動の名著

2004/04/16 13:58

生涯の友が隠れているかもしれません

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 一応こっそりと感想文(書評なんて大それたものではない)を掲載していただいているので、本書に投稿するのは反則技なのだろうか。しばし悩んでしまったのだが、やっぱり投稿することにした。だって面白いんだもん。

 本書に掲載されている66本の書評どれもが、書き手の情熱と愛着と心震えるような感動でできている。既読本については共感と新しい観点を得る喜びを、未読本については「うわっこれ絶対チェック!」というワクワクはやる気持ちを感じるだろう。アタマから尻尾までまるまる読んで、「やっぱり自分の感想文が一番ショボいなあ」と悄気てしまったのだが、それでも対象の書物への愛着の度合いでは、先輩評者諸氏に負けていないつもりである。

 一遍に66冊分の感動をまとめて読む、これはそう滅多に味わえるものではない「濃い」体験だった。「はじめに」の中にもある通り、こういった書評は書物に対する読者の「返事」であると言えるだろう。66人の書き手たちは、本から受け取った何かを、とにかく誰かに向かって投げかけずにはいられなかったのだ。彼らが渾身の力で投げ返した書評という「返事」は、またそれを読む読み手にとっては、あるいは変化球でありストレートであり、あるいはど真ん中のストライクでありとんでもない大暴投であるかもしれない。
 もしも胸の前に構えたミットの中に「ずどん」という手応えを感じたら、何はともあれ書店に走り、問題の書物を買ってきて損はない。もしかしたら「ずどん」とは違った読後感を持つかもしれないが、それはそれで確かな何かを受け取ったということなのだ。今度はまた、誰か他の人に向かって「返事」を投げてみるのも悪くない。

 子供の時から本当に本を読むのが好きだった。本さえあれば何も要らなかった。そういう純粋な気持ちを伝えることができたらいいなと思って、読書という天国の案内人のひとりになれたらと思って、「べあとりーちぇ」という筆名を選んだ(未熟者なのでひらがな表記なのだが)。
 自分がどっぷりハマっている崩れそうな書物の山、家計を圧迫しかねない書籍費を考えると、果たしてここは楽園なのかとふと疑問もよぎる。もしかしたら筆名は「うぇるぎりうす」の方が良かったのかも。
 プロフィールを読むと、66人は多かれ少なかれ、同じように置き場所と書籍代と読むための時間捻出に汲々としているらしい。筆者のように「お風呂も一緒、寝るのも一緒」という方もいらっしゃって安心した。読書の趣味のない人々にはもしかしたら冗談抜きで地獄かもしれないが、筆者に言わせれば、こんなに甘美で幸せな地獄もちょっと他にはないのである。
 …一緒にハマってみませんか(ふふふ)?

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紙の本

紙の本犬のことば辞典

2004/01/30 17:43

悩んだら、ポチに訊け!

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 きたやまようこ氏の傑作シリーズ「犬がおしえてくれた本」の最新作である。とはいえもう6年も前の刊行なので、発行に気がつかなかったおのれのうかつさについて、ポチファンとしては慚愧に堪えない思いである。
 既刊の3冊『りっぱな犬になる方法』『イスとイヌの見分け方』『なかよし取扱説明書(犬式)』に続き本書でも、ポチのさり気なくてトボケているのに含蓄のある、それでいてどこか温かい知恵の言葉たちを味わうことができる。

 オトナ社会はとかく何でも面倒くさい。「ごめんなさいね、いつもご迷惑かけちゃって」「気にしないで、お互い様でしょう?」…例えばたったこれだけのやり取りでも、時と場合と相手によって真に意味するところが違うことなど当たり前。大人たちは日々、相手の言葉に隠された本当の意味を、推し量ったり勘繰ったり妄想したりしながら、かろうじて自分の立ち位置を模索しているのである。疲れ果てるのも無理はない。
 そういう時、本書を開いてみてはどうだろう。大人と子どもと犬、このくらい立場の違う目でひとつの言葉を眺めてみたら、きっと肩の力がふーっと抜けるのではないだろうか。ひとつの言葉でも感じ方や使い方がこれだけ違うのであれば、お互い判り合えなくて当然。その辺をとっくり納得してみるのも悪くない。

 例を少し引用してみよう。まず堂々の一発目はこんな言葉。

>【あまえる】(p.6)…きもちが よりかかる。
>あまえると 犬と 子どもは からだをおしつける。
>大人は いろんなものを おしつける。
>たとえば、なやみ、くろう、犬、子ども。

 こんなのもある。

>【つまらないもの】(p.52)…おもしろくないもの。やくに たたないもの。
>子どもは すてるのに 大人は ひとに あげる。
>犬は さいしょから もたない。

>【にがて】(p.64)…とくいでないこと。
>子どもは じっとしていることが にがてで、
>大人は ほんとうの きもちを つたえることが にがて。
>犬は じゅうなんたいそうが にがて。
>(ねこは 人に あわせて あるくのが にがて)

>【まずい】(p.88)…おいしくない。
>子どもは いうと おこられる。
>大人は いうと 気まずくなる。
>犬は いわないが たべない。

 どうだろう。思わず微苦笑が漏れちゃったりはしないだろうか。いかなるしがらみからも自由なポチを羨ましく思い、「ほんとうの きもち」に素直に従えない自分をふと哀しく感じたりはしないだろうか。仕方のないことなのだけれど。
 犬儒派哲学(文字通り?)の実践者たるポチ先生の境地は遠いとしても、本書はやはり、多くの人に何かしらをもたらすものである。冒頭に「この辞典は、犬と人が ことばを とおして より うまく りかいしあうために つくられたもので…」とあるが、じっくり読んで上手に使えば、人と人がよりよく理解しあうためにだって、間違いなく有効である。

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紙の本

紙の本パワー・オフ

2003/08/27 00:56

生命とはそもそもどんなものなんだろう

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 最近、ブラウザのセキュリティ不備やコンピュータ・ウィルスが頻々と報告されている。盆休み明けの混乱も予測されていた。幸い大きな騒ぎは何も起こらなかったらしいが、対応に追われたサポート担当の方々も多かったことだろう。

 筆者にとって、コンピュータ・ウィルスに関連した作品を考えた時にまず思い出すのが本書である。
 「おきのどくさまウィルス」と呼ばれる新型ウィルスが人気フリーウェアを介してばらまかれた。日本中が大混乱に陥るが、とある小さなソフトハウスがいち早くワクチンキットを発売。いったんは沈静化した騒ぎは、ふたたびみたびと現われる二次三次「おきのどくさまウィルス」によって、ネット壊滅さえ危ぶまれるほどの大パニックに発展する。このウィルスは果たしてどこからやってきたのか。人工生命研究者が開発した、まったく新しい発想によるウィルス対策システムとは。ネットワークからウィルスを撲滅することはできるのか?

 今から思えばまったく驚くべきことなのだが、本書が書かれたのは「小説すばる」に連載された1994年。もう10年近くも前なのだ。コンピュータ関連の世界で10年と言えば、ひと昔どころの騒ぎではない。94年はまだウィンドウズ95さえもあの華々しいデビューを果たしておらず、ネット家電やブロードバンドどころか、携帯電話すら今のような普及をしていなかった時期である。
 今本書を読み返してみても、おそらく10年近いタイムラグはほとんど感じられないであろう。むしろ当時よりもインターネットが生活に密接になってきている分、コンピュータ・ウィルスの恐怖に対する切実感、「パワー・オフ」しか本当に対策がないのか、という事態への切迫感は増しているはずだ。

 コンピュータ・ウィルスに限らず、ウィルスに「生命と非生命のあいだ」を見る人々は多い。本書にもその概念は現われているが、この物語の非凡なところは、ウィルスが単なる「生命と非生命のあいだ」にある物質では終わらない点である。次々に現われる新型ウィルスとそれらへの対応のいたちごっこは、適者生存の生命進化の道筋そのものなのだ。そしてその進化が行き着くところまで行き着いた時——。
 人工知能や人工生命とコンピュータという単語の組み合わせからは、もしかしたら『2001年宇宙の旅』のHAL9000というような恐ろしいコンピュータという想像がなされるかも知れない。ウィルスパニックサスペンス(?)とでも呼ぶべき本書ならば、むしろその展開の方が自然であろう。だが、著者・井上夢人氏の描いて見せた未来像は、どうやらそのようなありきたりのものではなさそうだ。人間と電脳世界に棲む「生命」との今後の関係がどのようなものになるのかは語られないが、暗示されるのは可愛らしくも明るい、奇妙に人間的で温かいとさえ言えるような交流の可能性だった。

 実在世界から踏み外さない、手で触れるようなリアリティと「見てきたような嘘」の絶妙のバランス、ぐいぐい引き込まれるストーリーテリングの妙と、そして爽やかで心地よい読後感。本書には井上夢人氏の魅力がぎっしり詰まっている。600ページ近い厚さがあるが、読み始めたらきっと滅多なことでは止めることなどできないだろう。
 家庭へのインターネット環境の普及がだいたい終わってセキュリティ意識も浸透して来た今、既読の人も改めて開いてみれば、きっとまた違った楽しみ方ができる。いうまでもなく、このスリルとどきどき感をこれから味わうことのできる未読の人は幸せである。

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紙の本

紙の本アトピーの女王

2003/06/26 12:01

小さな親切大きなお世話

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 世にアトピー情報本は数々あれど、この本ほど読後感のサッパリ爽快なものを筆者は知らない。なんたって女王なのだからして、そのキレた書きっぷりが性に合わない向きもいらっしゃるだろうが、まあ騙されたと思って読んでみることである。「副作用なしの読むクスリ」というキャッチコピーは伊達ではない。

 中学生になれば治る、二十歳を超えたら治る、結婚したら、子供を産んだら治る…そんないい加減なことを言う皮膚科医に不信感を抱きつつ、ひとたび酷くなると夜も眠れないほどの痒みに襲われる。気が狂いそうな痒みに「いっそ殺してほしい」と願ったことのないアトピー患者はあまりいないであろう。
 そんな苦しい思いを判ってくれる、アトピーじゃない人は稀有である。たいていは気味悪がるか、ひどい人だと「感染ると嫌だから一緒の浴槽に入らないで」なんてことを言ったりする。
 心配してくれる人はまたそれで鬱陶しい。やれ天然成分石鹸だロイヤルゼリーだリンゴエキスだ、怪しい療法から姓名診断まで親切ごかしに勧められるのは本気で閉口する。可哀想に…という顔で「今日もひどいわねえ」なんて言われたらその日は一日気分は最低、かといって「あら、今日はきれいじゃない」なんていちいち大袈裟に嬉しがられるのも迷惑千万。知らん振りしてくれるのが一番なのに。

 アトピー歴30年以上の筆者が鬱々と胸のうちに抱え込んでいたこれら諸々のストレスを、雨宮氏は余すところなく、本当に見事にぜーんぶ、たたきつけるような爆発するような怒涛の勢いで本書にぶちまけてくれた。判る、判る、そうそうそうなんだよ! 積もり積もった鬱憤がすーっと消えて行く気がした。
 この本があらゆる人に読まれたら、少なくとも人からストレスを受けることは減るかも知れない。そんな希望さえ沸いてくるような大ホームラン本である。
 アトピーの人もそうでない人も、皆さん読んでご覧になりませんか?

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紙の本

紙の本未来のイヴ

2004/06/01 11:11

科學といふのは、昨今では、さほど萬能でも興冷めなものでもありませんのよ、エディソンさま。

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「黙っていればお嬢様」などと言われたことのある女性は決して少なくないだろう。大人しそうに見えるのに…とか、冷静沈着で賢そうに見えるのに…とか。大抵は願望半分の思い込みで勝手にイメージを膨らませておきながら、実際は違うといって勝手に失望する。堪ったものではない。
 本書のヒロイン、ミス・アリシヤ・クラリーはさらにその上を行き、「黙っていれば女神様」である。ルーヴル美術館の「勝利のヴィーナス」像に瓜二つの完璧なプロポーションと美貌、音楽的で神々しい歌声を持ち、しかし魂は合理主義と拝金主義と常識の権化。彼女に恋する若きイギリス貴族、エワルド伯爵に言わせると「あまりにも俗物」ということになる。
 この世の神秘や至高の芸術、深遠なる哲学について語りたいエワルド卿はいつもアリシヤに「詩的なそして霞のやうなもの」と取り合ってもらえず鬱屈している。美の化身である彼女が、自分の「美」を商品としてしか捉えないことに我慢がならない。さりとて彼女を捨てることもできずに思いつめるあまり自殺を考え、別れの挨拶をしにエディソンを訪れたエワルド卿を救うためにある提案がなされる。「身代わりを作ってあげましょう」と。
 そうして科学の力で作られたハダリーには、モデルのアリシヤとはまったく異なる、気高く崇高な魂が宿っていた…。

 「メンロ・パークの魔術師」エディソンの本作中での役回りは、デウス・エクス・マキナであると同時にリラダンの恋愛哲学、至高の愛の理想についての語り部である。エディソン(=リラダン)が忌み嫌う「合理的で常識的で堅実な」「科学万能主義の」現代社会への反証たるハダリーを、科学の申し子・エディソンが作り出すという設定に、リラダンの皮肉を感じずにいられない。純粋に精神的な恋愛の悩みを科学で癒すという筋書きも同様である。
 作中エディソンがとうとうと語る女性観は、エワルド卿でさえ「実に手厳しいですな」とコメントするほど独善的で、時に熱狂的な方向に脱線しがちである。訳者・齋藤磯雄氏による解題によれば、リラダン自身、アリシヤに幻滅させられたエワルド卿と同じ体験をしているのだという。その苦い思い出が、エディソンの偏執的なまでの「男性にアピールするための人工的手管」への攻撃に繋がっているのだろうか。「幻想に報いるに幻想を以ってす」と言い切るエディソンの悲鳴に似た言葉は、もしこれがリラダンの心情の一端なのだとすれば、あまりにも哀しい。

 ハダリー(古代ペルシャ語で「理想」を意味する言葉らしい)の制作工程が詳細に語られる章では、妖しくも幻想的な気分を味わえる。エディソンは真面目に「科学的な」説明をしているのだが、それは科学というよりもある種の魔術に関する薀蓄のようである。黄金の円盤、水銀を満たしたクリスタルの球や壺、プラチナの鋼線によるからくり、紫水晶や黒ダイヤや真珠の指輪に擬された各種のスイッチ、潤滑用の薔薇の油…。リラダンの時代には、「科学的」という言葉にはこのようなロマンティックな要素も含まれていたのかと思うと、ちょっぴり羨ましいような気がした。
 さらに忘れられないのが魂を吹き込まれたハダリーの悲哀である。エディソンはハダリーの言葉はすべて「事前に録音しておいたアリシヤの言葉を適宜再生しているだけ」と言う。生みの親にも、ましてやエワルド卿にも信じてもらえないが「自分はここに居るのだ」と切々と訴えるシーンは、(多少ウェットではあるが)情緒的で印象的だった。

 齋藤磯雄氏の訳文も、原著の持つ衒学的で幻想的で一種退廃的な美しさをあますところなく写し取っている。おそらく本書の魅力はこの訳文なくしてありえない。旧漢字旧かな使いなので慣れないと読みにくいかもしれないが、そういう訳で本書は断じて現代風に訳し直すべきではない。じっくりと時間をかけて読んでほしい。

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紙の本

蒼天のお恵みあらんことを

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 映画版『指輪物語』の大ブームで一躍再々…発掘された感のあるケルト神話だが、本書はその中でも有名なシャーロット・ゲスト版の、日本語初の完訳本である。ゲスト氏は19世紀の著名な中世神話研究家で、本物の貴族の姫君でもあった。彼女により難解なウェールズ語の原典は初めて英訳され、物語の魅力とその典雅な翻訳の力が相まって、当時一大ケルト・ブームを引き起こしたのである。アーサー王伝説の原点と呼ばれる物語も含まれ、アルフレッド・テニスンやウィリアム・モリスなど、影響を受けたアーサリアンは多い。ちなみに「マビノギオン」というのは、実はゲスト氏の誤訳が元となった造語なのだそうだ。ゲスト版の影響の大きさが伺える。
 もともとのウェールズ語テキストの完訳本としてはJULA出版局から『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』が出ている。こちらも大変評判の高い本で、訳者の中野節子氏による詳細な注釈も勉強になる。懐の温かい読者は両方購入して堪能するのも良いだろう。

 アーサー王伝説に限らずケルティックな物語に関心のある方なら誰でも、うっとりと本書に酔いしれること請け合いである。特に筆者が気に入ったのは、大本の「4枝のマビノギ」として知られる物語。マナナン・マク・リールやアリアンロッドと来れば、アイルランド(エリン)を舞台にしたあしべゆうほ氏のファンタジー大作『クリスタル・ドラゴン』への流れを思い出してわくわくしたりする。
 昔々、まだ神々と人間が身近く暮らしていた頃、不死身の英雄や巨人の王、魔法の釜や言葉を話すけものたちが存在していた頃の物語。自国の軍勢を渡河させるために自分の身体を横たえて橋になったベンディゲイド・ヴラン王が登場する「リールの子マナウィダン」では、巨人の王などまるで当たり前のようにあっさり語られていて、かえってスケールの壮大さを感じられた。日本の民話で言えばこの王様、山の精霊「だいだらぼっち」などが近いのだろうか。
 「マソーヌイの子マース」に出てくるマース王は、よんどころない戦に行く時以外、ある乙女の膝に両足を乗せていないと生きていられないというこれまた不思議な人物。あとがきで訳者の井辻朱美氏が触れているとおり、どこを読んでもその設定の理由が判らない。井辻氏の言う「古代の物語の持つ不条理なインパクト」に満ちた「4枝のマビノギ」の魅力は、まさに手擦れしていない原石の魅力なのである。

 アーサー王の宮廷が登場する後半では、馬上試合と麗しの乙女御への恋に生きる騎士たちの遍歴と武勲がメインテーマとなる。グワルヒメイ(ガウェイン)やオーウェインやゲライント、ペレドゥル(パーシヴァル)のたどる冒険の旅はやっぱり摩訶不思議な設定が共通する部分があり、口承伝説の定型の由来や成り立ちについて興味深く感じるだろう。

 愛蔵版『指輪物語』で有名なアラン・リーの美麗な挿絵もふんだんに入っており、音楽的な訳文と合わせて楽しめばまさに至福。ケルト神話ファン必携の書であると言えよう。
 ただし、本当に本当に重箱をつつくような瑣末な点で申し訳ないのだが、特に後半、校正ミスというか誤字がやや目立って残念だった。「来る」と「來る」を訳し分けるほどこだわっていたようなので、その一方で「辱めを注がんと(雪がんと)」とか「駆けくらに駆った(勝った)」とかを見つけてしまうとちょっとがっくりする。本書には完璧を求めたいので、その辺り、やや厳しいが★ひとつ減点。重版することがあったらぜひ直しておいてほしいと願っている。

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紙の本

本さえあればわたしも幸せだ…

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 不思議にアカデミックな香りのする作風に、人の心の微妙な襞へ分け入るようなほのぼのストーリーが根強い人気を誇る「カーラ教授」のおすすめ本アンソロジー第2弾。スタイルは前作と同じで、川原氏のお気に入り短編と(一部抜粋もあり)それに対する感想や思い入れや関連エピソードを紹介する形を取っている。収録本の表紙画像つき紹介もあるので、興味を持った場合に書店で探す時の一助にもなる。
 素朴でおかしい「まえがきエッセイ」と、網羅ぶりにひたすら感心する「おすすめブックリスト(コミック編)」も健在。エッセイやブックリストのラインナップなどからは、川原氏の博覧強記ぶりの原点というか理由というか、そんなものが垣間見えて来る気がする。ちなみに某書店では、本書と関連書籍をどーんと平積みにした特設売り場が設置されるほどの注目書籍なのだそうな(いいなあ)。

 本書の収録作品は以下の7編。
・かぼちゃの馬車…星新一
・大正時代の身の上相談(抄)…カタログハウス編
・ながい鼻の小人…アンドルー=ラング/川端康成・野上彰訳
・うぐいす荘…アガサ=クリスティ/厚木淳訳
・水晶…アーダベルト=シュティフター/手塚富雄訳
・原始生活百科(抄)…関根秀樹編著
・ムスティク砂ばくへいく…ポール=ギュット/塚原亮一訳

 筆者の私見だが、割にメジャーなものが収録されていた前作よりも、より一層カワハラ・カラーというか氏の趣味が反映された品揃えになっている気がする。この中で読んだことがあるものは「かぼちゃの馬車」と「うぐいす荘」だけだった。おかげで前作よりも、より一層「掘り出しもの見つけ!」という気分に浸れて幸せなのだ。
 筆者の一番のお気に入りは「水晶」。険しい谷間のクシャイトという村に住む幼い兄妹が、片道3時間のミルスドルフにあるお祖母さんの家へ行った帰りに遭遇する出来事を描いた物語である。クシャイトの村人たちの素朴な力強さ、敬虔な信仰心、兄コンラートと妹スザンナの一途さ健気さなどなど、まさに「古き良き時代の記念碑」という趣だった。雪深い山と険しい氷河の深緑と黒と青と白銀、命綱である道標や救助隊の振る旗の赤など、色彩的にも実に美しい。呼吸の度に鼻の奥がキーンとするような冷気さえ感じられ、精緻で淡々とした語り口が静かな感動を呼ぶ。ぜひ買ってみようとチェックを入れたりして。

 ちょっと変わっているのは「大正時代の身の上相談」と「原始生活百科」。両方とも抄録だが、これらも全部読んでみたいものだ。特に「大正時代の〜」では、「ミカンを二十個一度に食べる夫」が大爆笑モノである。歌が世に連れるように身の上相談も時代時代によって変わるものなのだろうが、このお悩みが新聞に載る時代ってやっぱり素朴でいいなあとしみじみ思った。回答者のお答えと編者のコメントも必笑である。
 「原始生活百科」の関根秀樹氏は、どうもお名前に覚えがあると思ったら、先日「タモリ倶楽部」でユミギリ式火起こし術を披露していらした方らしい。「原始技術史研究会」主宰で和光大学の講師でもいらっしゃる氏は、「国際火遊び学会」の顧問でもあり、縄文式火起こし世界2位の記録もお持ちだとか。100円ライターよりも鮮やかに火を起こしていた氏の腕前には惚れ惚れしたものだ。創森社から出ている『焚き火大全』の編者にもお名前を連ねておいでで、フィールドライフのいわばプロ中のプロ。本書中この項に割かれているページは少ないが、わくわく度ではかなりのものである。ここで紹介されているトチモチなど、ぜひ一度食べてみたい。

 その他の短編も、川原氏の趣味とこだわりが感じられるものばかり。全編を通じて書物に対する愛情もひしひしと伝わり、読書大好き人間としては大満足の、まさに宝箱のような一冊である。川原氏のファンであってもなくても、ぜひ一度お手に取ってご覧になることをお勧めする。

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紙の本

手先・足先の辛さ切なさ、大幅改善

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 一説によると女性の80%以上が悩んでいるという「冷え症」。筆者も例に漏れずかなりの冷え症で、秋も深まり足元がしんしんと冷えるようになると「ああ、冬がやってくるな」などと身にしみて感じるのが毎年のことである。
 冷え症ではない人にはこの辛さはなかなか判ってもらえない。がんがんにストーブを焚いた部屋の中、靴下やタイツを重ね履きし、下半身に毛布をぐるぐると巻きつけた状態でなおかつ寒さに震えている姿を大袈裟呼ばわりされ、いったい何度夫婦喧嘩したことだろう。ぜんぜん温まらない冬場の寝床でまんじりとしつつ、隣のベッドで幸せそうな大いびきをかいている家人を、どんなに羨ましく恨めしく眺めたことだろう。

 もうこの辛さには耐えられない、今年こそ何とかしようと思って見つけたのが本書である。著者の山口勝利氏は「全国冷え症研究所」の所長かつ「全日本冷え性治療協会」なる団体の会長などを務め、冷え症研究の第一人者として知られている。「全国冷え症研究所」のことは寡聞にして知らなかったのだが、ここは年間6000人もの冷えに悩む人々を治療しているのだそうで、東京の本部の他に仙台や名古屋など、各地に分室があるらしい。
 本書では研究所で治療した元患者さんたちの体験談を挙げつつ、実はいろいろある冷え症のうち、自分がどのタイプに当てはまるのかをチェックリストとチャートで確かめることができる。従来型の「血管収縮型」かニュータイプ冷え症の「血管拡張型」か、さらに従来型でも内臓が冷えているのか血管が収縮しているのか、はたまたセルライトが悪さをしているのか。特に従来型とニュータイプでは、冷えという共通する症状に対し、まったく異なった対処法が要求されるため注意しなくてはならない。

 手先や足先(特に膝から下)が冷えて時にはじんじんと痛み、肩凝りや手指のささくれ・爪割れがある筆者はどうやら「末梢血管収縮型」らしい。平たく言えば手先足先の血の巡りが悪いのだ。足の筋肉が低下している可能性アリという記述にも心当たりがある。
 本書を参考に、さっそくシャワーマッサージや足指ジャンケン、ショウガ入り味噌汁などを試してみた。へそ下と腰に小さい携帯カイロを貼り付けて、腹部を温めることもやってみた。就寝時には電気毛布ではなくて湯たんぽも使ってみた。
 まだ1週間と少ししか経過しないが、今のところ症状は大幅改善されている。膝下の、骨に響くようなじんじんとした痛みが、そういえばいつの間にか良くなっているのである。ショウガ味噌汁のおかげか食後は体の芯からポカポカするようになったし、湯船から上がった途端に手足が冷えることも減った。湯たんぽのおかげで気持ち良く寝付けるし、自然と寝覚めも改善された。カリキュラムは最低3週間続けることとあるが、即効性という点でもかなりなものである。

 第5章の冷房病予防対策は男女問わず冷え過ぎのオフィスに悩む人々必読であるし、第6章の「自宅でできる、かしこい冷え症対策」には、マッサージ方法や入浴法、就寝用アイテム、服装や食事についての注意点がまとめられている。根本的体質改善の役にも立つだろう。

 温かくなれるばかりか、きちんとした対策を取って冷え症を治せば、自然と体重も減るものなのだ、という。全身の血行が良くなって、むくみやセルライトが解消されるかららしい。冷え症でなかなか痩せられない方々には何よりの指南書と言えるだろう。さらに肩凝り腰痛や生理痛・生理不順が改善されるともある。本当にそこまで効果があるかどうかはまだ判らないが、筆者にとって何より辛い膝下のじんじんする冷えが改善されるだけでも大満足。今後もずっと本書の対策法を続けようと思っている。

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紙の本

「小さいひと」たちとの真剣勝負

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 残念ながらまだ子供が居ない。だから「ちゃんとした大人のひと」として、子供たちにどう接したらいいものやら判らない。どうしても、普通の親しい友人に対するのと同じ態度になってしまう。「大人の余裕」なんか全然持てない。

 先日行きつけのスーパーで、ペットボトル飲料売り場にずらりと並んだ飲み物のボトルを、ドミノ倒しのように転ばせて遊んでいる男の子を見かけた。倒したままにして立ち去る気配なので、気が付いたらつい声をかけていた。
「あらら。それ、ちゃんと元に戻しておきな?」

 男の子はちょっとびっくりしたようにこちらを見ると、陳列ケースに向き直って素直にボトルを直し始めた。一瞬だけ手伝おうかと思ったものの、それもお節介かと考え直して振り向き歩き出すと、少し離れた場所から剣呑な目つきで睨んでいる女性と目が合ってしまった。どうやらあの子のお母さんだったらしい。

 そこで初めて、何かマズいことをやってしまったらしいと気が付いた。友達口調であまりにも軽く話しかけたのがいけなかったのか、単によその人に注意されたのが気に障ったのかは判らない。幾らなんでも誘拐犯には見えないハズなのだが、このご時勢、警戒されても仕方がない。
 睨むくらいならちゃんと自分で注意すればいいのに…と思いながらその場を離れた。

 親戚の女の子(小学校1年生)と遊ぶ時でもまったく一緒。身近に子供が居ないから、普通の友人として付き合う以外に方法を知らないのである。体力では断然負けるので、遊んだ後はいつもぐったりしてしまうのだが。
 本書を読んだら、子供たちとの付き合い方として、そういうアプローチも「あり」らしいと思えて安心した。ノッポさんいわく、「子どもはちゃんと分かってるんです。事実、この私がそうでした。あなただってそうだったはずですよ」だそうで、確かにうんと小さい頃、相当いろいろなことをちゃんと考えながら生きて来たよなあ、と思い出すのだ。

 ノッポさん流「小さいひとたちとの付き合い方」では、子供だからと相手を見くびったりおだてたりすることが決してない。つまりは向き合う態度に嘘も飾りもないということなのだろう。子供たちはそういう真摯なノッポさんのことをちゃんと理解する。そして自分たちのポリシーを大切にしてくれる相手には、きちんとした対応を取ってくれるのである。
 何のことはない、普通の「上手な人との付き合い方」の極意そのものである。

 読み終わって、ノッポさんのようにポリシーとして「小さいひとたち」の意思や人格を尊重できるように、早くなりたいものだと思った。巻頭の「最初の記憶」では、ノッポさんも「子供に合わせる余裕なんかない。私は全力を尽くすだけだ」とおっしゃっているが、本書の他のエピソードを読めば、やはりさすがの懐の深さをしみじみと感じるのだ。筆者のように子供慣れしていないために、彼らのエネルギーをやり過ごしたり、ちょっとだけ誤魔化したりする余裕さえない、というのとは訳が違う。
 子供時代のノッポさんの思い出話もたくさん語られていて、ほんのりと温かい、懐かしい気分に浸ることもできる。自分が子供だった頃、どんなことを思っていたっけということをもしも忘れている人が居たら、ぜひお勧めしたい1冊である。

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紙の本

孤独とは要するにイヌのいないキッチンに残されたペットフードの容器に他ならない

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 映画『攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL』から3年。公安9課、通称「攻殻機動隊」に所属するバトーは深い喪失感を抱えながら日々を過ごしている。かけがえのない相棒であり、おそらくは仲間意識以上の(しかしあくまでも仄かな)感情を抱いていた草薙素子はネットの海に消え、もとより家族も、素子以上に感情を通わせ合える友人もいない。バセットハウンドの「ガブリエル」だけを道連れとして淡々と任務をこなしつつ生きている。
 「生きている」? 身体のほとんどを人工の部品に取り替え、強靭過ぎるほど強靭な義体と巨大な外部記憶装置に常時接続した電脳によってコントロールされる「自分」が、果たして本当の意味で生きていると言えるのならば。3年前の素子と同じ疑問を抱くバトー。そんなある日、ガブリエルが失踪してしまう…。

 現在日本テレビ系列で放送されている『攻殻機動隊/STAND ALONE COMPLEX』と本書は、時系列的に言えば同時期のエピソードである。しかし『攻殻/S.A.C』のバトーはサイボーグの魂についてジメジメ悩んだりしないし、草薙素子もネットに融合してはいない。似ているけれども違う世界の物語なのだ。平行宇宙的なふたつの世界に住むふたりのバトーはあまりにも違う。豪放磊落で悩みを知らない(ように見える)『攻殻/S.A.C』のバトーと、孤独に精神を削られながら消えた犬・ガブリエルを探して夜の町を彷徨うバトー。
 『攻殻/S.A.C』バトーのファンには鬱陶しく見えるかもしれないが、個人的に筆者は本書のバトーにずっと共感する。どういう事情でサイボーグとなったかは語られていないが、生身の身体を少しずつ失い、片翼である素子に去られ、たった一匹の相棒に失踪されたら誰だって喪失感でいっぱいになるだろう。

 ガブリエルの他にも頻発する飼い犬たちの失踪事件。巨大ファストフード・チェーンの重要人物を狙うテロの情報。ブリーダーと呼ばれる国際的テロリストの二重三重の仕掛け。バトーと同じ孤独な魂を持つ謎の男・アンドウ。こんがらがった糸が少しずつほぐれるように物語は進むが、本書の何よりのキモはやはりバトーの内面描写である。自分の存在意義を疑い、サイボーグには魂などないのではないかと悩み、ガブリエルの失踪はそのせいではないかと悶々とする。その苦悩ぶりは読んでいて辛いほどである。
 何よりも切なかったのは、バトーが自分のガブリエルに対する愛情が不充分だったのではないかと自問自答するシーンだった。どんな飼い主も、コンパニオン・アニマルが飼い主を愛するほどにはその動物を愛することなどできはしない。動物の「イノセンス」とはそうしたものなのだろう。それが判っていても、同じ立場に立たされたらやっぱり、どんな飼い主でも自分を責めてしまうに違いない。
 ストーリーとまったく関係ないが筆者も、4年前に16歳で死んだ愛犬を思って泣いてしまった。

 士郎正宗氏の放った原作を受けて『攻殻/GitS』は生まれた。そして押井守監督の『攻殻/GitS』や『イノセンス』を受けて本書はある。本書を読んだ人たちはどういうふうに感じるだろう。「書評とは著者への返事である」という例のフレーズをつい思い出し、自分でも呆れるほどセンチメンタルになってしまった。
 巻末の著者・山田正紀氏と押井守氏の対談は、だから本文をじっくり味わった後で読んで欲しい。作品という形での山田氏と押井氏の「会話」を、より深く理解できると思う。ついでに「孤独」についてちょっとマジに考えてみるのも、たまにはいいだろう。
 『S.A.C』とも『GitS』とも違うバトー…渋く、切なく、どうしようもないほど「いい男」だった。

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紙の本

紙の本ニックとグリマング

2003/09/27 10:17

ディック入門書としてもかなりのお勧めですよ

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 SFファンなら誰もが一度や二度は必ずその名を聞いたことがあるはずの伝説のカルト作家、P・K・ディック。「ディック的な」と言えばそれで通じるような独特な世界に読者を引きずり込む。その魔力たるや、一度嵌ると抜け出せる者などいないのではないかと思えるほどである。
 ただし、取っ付きはかなり悪い。相当なディックファンであるつもりの筆者にしてみても、例えば「ヴァリス」あたりの後期長編から入ったとしたら、もしかしたら途中でギヴアップしたかもしれない。文章はお世辞にも平易とは言い難いし、時には本当にナンダコリャと途方に暮れるような、訳の判らないストーリーだったりすることもままあるからだ。しかしそれでディックワールドへの挑戦を諦めてしまうのはもったいないというものだ。この世界はあまりにも魅力的過ぎる。

 そういう方がいらしたとしたらお勧めなのが本書である。
 時はおそらく近未来。人口爆発により食料・住宅事情が逼迫し、ペットを飼うことはおろか愛玩動物の存在そのものが許されない。主人公の少年ニックはこっそり猫のホレースを飼っていたが、ある日とうとうバレてしまう。このままではホレースはペット取締官に連れ去られ、どんな目に遭わされるとも知れない。とうとうパパは一大決心をする。ホレースも一緒に、家族でよその惑星へ移住しよう! 「農夫の星」でならばきっと、みんなで本当に人間らしい生活を送れるはず。
 ところがたどりついた新天地には奇妙な動物が満ち溢れ、しかもその動物たちは長い長い間熾烈な覇権争いをしていた。中でも恐ろしいのは「グリマング」と呼ばれる動物だったが、ニック一家はひょんなことからグリマングが大切にしている預言書を手に入れてしまい…。

 ディックが著した唯一のジュヴナイル小説だけあって大変読みやすく、しかもディックワールドを構成するキーワードがあちこちに散りばめられている。これらのディテールは、これからディックワールドへ踏み込もうという読者だけでなく、熱心なディックファンにももちろん楽しめる。ペット御法度のディストピアと来ればもちろん「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を思い出すし、ウーブ、オトウサンモドキ、フクセイはそれぞれ短編に出てくる不思議な動物たち。フクセイが作り出すできそこないコピー品やオトウサンモドキの恐怖は、それら短編の通奏低音とも言うべき「ニセモノ」「崩れる現実」の概念そのものである。また、グリマングに預言書と言ったら「銀河の壺直し」のモティーフでもあるのだ。

 ジュヴナイルなのにじゅうぶん過ぎるほどディック的な、何だかどこかが決定的にヘンな世界。このヘンさに馴染んだら次は短編集、その次に長編…と読み進めればいい。短編集ならハヤカワ文庫のディック傑作集4冊、長編なら「ユービック」や「高い城の男」あたりがお勧めである。ここまで来ればもうディックワールドからは簡単には抜けられまい。例えて言うならくさやのような、どっぷり浸ると他は考えられないような魔力を持つのがディックの世界なのである。

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紙の本

紙の本バルーン・タウンの手品師

2004/10/27 06:49

愛すべきヘソ曲がり探偵、再び!

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 先日、「バルーン・タウン」シリーズの第1作『バルーン・タウンの殺人』が復刻された時から、どうせなら全部文庫で揃えたいと思ってずっと待っていた。人工子宮(AU)が普及し、40週間も大きなお腹を抱えていなくても子供を持てるようになった近未来。独特の価値観を持った妊婦たちが集う東京都第7特別区、通称バルーン・タウンという「妊婦だけの町」の物語第2弾である。

 登場人物たちは前作から引き続いて妊婦探偵の暮林美央、登場回数は減ったもののやはり何かと駆り出される東京都警刑事・江田茉莉奈。ワトソン役は前作の「バルーン・タウンの密室」から登場した有明夏乃が絶好調で、さらに本書からは新しく、東都新聞記者(家庭欄担当)・友永さよりが加わる。どの人物も魅力的だが特にさよりは設定が狂言回し的なところがあるのか、性格といい風貌といい事件への巻き込まれっぷりといい、気の毒ながら妙に笑えるのである。
 前作でめでたく男の子を産み落とし、バルーン・タウンから去った筈の元妊婦探偵が、なぜまた本書にも登場するのか? そのあたりは本書に納められている4つの短編たちで少しずつ明らかになる。基本的に1話完結だけれど、全体として起承転結を構成しているあたりもなかなかニクい。

 やはり本書でも暮林美央の名探偵ぶりは健在。「不精で掟破りで過激な不良妊婦」というキャラクター設定も相変わらずだけれども、実はそれはご本人の演出ではないだろうかと読み終わって感じた。妊娠した経過とか、バルーン・タウンに来た理由とか、恋人のプロポーズを断り続ける訳とか、彼女が主張するほどには唯我独尊的なものではないのではないか…と。この辺りは次作『バルーン・タウンの手毬唄』では明らかにされるのだろうか。楽しみである。

 さらに各短編のパロディ的性格もますます好調である。特に「オリエント急行15時40分の謎」と「埴原博士の異常な愛情」では、タイトルを聞いただけでミステリファンは思わずにやりとするだろう。「オリエント…」ではタイトル通りクリスティの『オリエント急行殺人事件』が絶妙に絡んでいて、つい「そう来たか!」と唸ってしまった。

 相変わらず「コウノトリ待ち」の身の上からすれば、町行く妊婦のお腹は実に誇らしげな旗印として眩しく目に映る。特にこの舞台となっている時代の、人工子宮が当たり前の風潮にあえて背を向けて生身の妊娠・出産を選ぶ女性たちにとっては、その誇らしさはいや増すものだろう。
 誇りを夢や希望と言い換えてもよかろうが、そういうファンタジックな性格とある意味グロテスクな性格を共に内包する「妊娠・出産」の2面性を、「バルーン・タウン」そのものが持っている。特に「埴原博士の異常な愛情」では、その2面性に強いメッセージを持たせてあるのが印象的であった。

 妊娠・出産にまつわる独自のトリックと謎解きであっと驚かされ、硬派なメッセージ性にドキリとし、暮林美央の今後の恋路(?)に胸ときめかせる。いろいろな楽しみ方ができる本書はやっぱりお買い得なのだ。第3作ではどんな大団円が待っているのだろうか、文庫化をキリンのように首を長くして待ち侘びているのである。

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紙の本

紙の本ラストホープ

2004/08/18 23:59

ほのぼのとあったかい読後感…お勧めクライム・コメディ

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 『ダブ(エ)ストン街道』があんまり面白かったので、浅暮三文氏の著作をもっと読みたくなった。何かないかなあと書店の棚を漁っていたら、文庫特別書き下ろしだという本書を見つけて即購入。帰宅するのももどかしく一気読みしてしまった。
 面白かった。解説の杉江松恋氏によれば、過去、浅暮氏はコント作家をなさっていた時期もあるのだという。たぶんそのコントも、小粋で洒落ていてちょっと皮肉が利いていて、例えて言うならチャップリンもののような雰囲気だったに違いない。なぜなら本書で味わえる笑いが、何となくそんな感じだからである。

 元宝石泥棒の2人組、東堂と刈部が営む釣具店「ラストホープ」。主な商品は東堂が趣味全開で仕入れてくるとっておきの竿だったり、手ずから巻く疑似餌(フライ)だったりする。「どうしても釣れない時にご相談ください、きっとお力になれます」…そういう自信が店名の由来らしく、2人ともフライフィッシングに関してはかなりの通である。
 とはいえ店の経営は結構苦しく、営業担当の刈部は金策にいつも四苦八苦している。そんな折、拾ってきたファクシミリに奇妙な依頼が舞い込んだ。「多摩川産の山女魚を釣って来て下さい。1匹につき2万円進呈します」。
 あからさまにアヤシイ依頼。しかし刈部はいい小遣い稼ぎと乗り気になる。そしてこれがすべての始まりだった。なんとこの山女魚が、7年前の一億円強奪事件のカギだというのだ。

 多摩川の氷川大橋の下で山女魚なんか釣れるんだ、へえ〜と正直思った。東京もまだまだ、その気になれば十分ワイルドライフを満喫できるらしい(多少のインチキはあるのだが)。その山女魚を巡って、ラストホープの2人組と、やることなすこと笑えるヘンな3人組、野球帽を被ったデコボココンビが追いつ追われつする。小ネタやくすぐりがふんだんに散りばめられていて、ついついクスリと笑ってしまうこと請け合いである。
 コメディタッチのストーリーでもディテールは凝っていて、各章の扉に載っている東堂と刈部の「フライに関するセールストーク」は実に専門的で薀蓄に富んでいる。しかもその内容がストーリーに絶妙のタッチで絡んでくるあたり、本当にお見事である。シャーロッキアンならば思わずニヤリとせずにはいられない仕掛けもあったりして、サーヴィスは満点。

 1億円強奪事件の笑うに笑えない真相や、思いがけなくも切実な、それでいて結構夢のある動機、ひたすら元気なおばあちゃんたち、ラストホープ組のきりきり舞いなどが、テンポ良く小気味良く配置されていて飽きさせない。根っからの悪人も一人も出てこないあたり、浅暮テイストなのかなあと微笑ましかった。
 戦い済んで、日は暮れて。いろいろなことに振り回されすぎてうんざりしている東堂と全然懲りてない刈部の後日談、そしてラストシーンの新聞記事の内容が実にステキである。

 読み終わった後、思わず渓流のフライフィッシングに出かける自分の姿を想像してしまうような、爽やかでほのぼのした満足が味わえる。元気付けたい友人が居たら、さり気なく本書を手渡してあげたい。そんな気持ちになる1冊である。

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紙の本

紙の本ひべるにあ島紀行

2004/08/11 10:21

例え空想の中で旅したのだとしても

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 アイルランドは妖精の国。ケルト神話に代表される数々の民間伝承に登場する「グッド・ピープル」がそこここに隠れ棲む。まるで夢の国のようだけれども、実際は、イングランドによる長年の支配と搾取、痩せた土地、厳しい冬など「お伽の国」という訳ではなかった。
 かつてヨーロッパを支配したローマから見ると遥かな北の辺境ということで、「冬の国(ヒベルニア)」と呼ばれていたらしい。そういえば『クリスタル☆ドラゴン』に出てくるアイルランド生まれのヒロインは、アラヌス・ヒベルニウス(ヒベルニアのアラン)という偽名を使ったこともあったっけ。

 本書はそのアイルランドの、特にアラン島などの大小さまざまな島々を旅する「わたし」の旅日記のようなものである。「ようなもの」というのは、「わたし」の紡ぎ出すイメージと文章が、どこからどこまでが実際の風景描写でどこからが空想の産物なのか、読み込めば読み込むほど判らなくなってくるからである。
 冒頭は、やはりアイルランド人の作家、ジョナサン・スウィフトの生い立ちに関する考察から始まる。スウィフトの代表作『ガリヴァー旅行記』や他の著作の制作裏話、彼の「最愛の友人」ステラとの謎めいた関係に関する考察。一転して次の章では「わたし」とケイが、コーヒー・カップを伏せたような「丘の島」を歩いているシーンへ移る。ケルトの意匠を得意とする服飾デザイナーのハンナを訪ねて滞在しているらしいのだが、「わたし」とケイがどんな人物でどういう関係なのかはまったく不明。
 もしかすると、ケイは最初から、どこにも居なかったのかも…。

 アラン編みのセーターに関する伝説や「わたし」の過去の友人たち——浪之丞、アメ太郎、ユリオ——との邂逅、架空の国「ナパアイ国」での不気味でグロテスクな日常。それらの描写とスウィフトに関する事柄とが絡み合い、互いにインスパイアし合って物語を構成していく。
 背景を彩るのは、寂しくて荒々しくて、それでいてどこか逞しい「丘の島」の風景とそこに住む人々。何となくターナーの油彩を思い出す雰囲気である。

 この旅が、結局どこで始まってどこで終わったのか、読み終わってもやっぱり確信が持てない。ひょっとするとみんな「わたし」のファンタジーだったのだろうか。それどころか本書そのものがふっと手の中から消えてしまったとしても驚かないような、次に開いた時にはまったく別の物語になっている気がするような、そんな不思議な夢にも似た読後感。どう表現したらよいものやら、正直困り果ててしまう。
 とはいえ「わたし」や「丘の島」や「スウィフト」のソリッドな存在感はしっかりと残る。実際は訪れたことさえない「ひべるにあ」を眼前にまざまざと見ることができるという辺り、幻想文学としても紀行文としても伝記としてもちょっと他にはない素晴らしい1冊と、断然お勧めしたい。

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