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  3. hisaoさんのレビュー一覧

hisaoさんのレビュー一覧

投稿者:hisao

106 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

グロテスク 上

紙の本グロテスク 上

2006/11/07 17:48

総理そして人の親である皆さま方お願いです

12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

名門学園高校に存在する貧富・家柄・頭脳・美貌での戦慄の序列差別・悪意。
怪物的美貌を持った妹ユリコは自ら身を売ることで学園での優越と享楽の地位を確保する。
同級生の一人はそれなりの天分備えた優等生ミツル、一人は高級サラリーマンである父親譲りの“努力”を信条とし脳天気なガリ勉を恥じない和恵。
妹の美貌を嫉み恨みを引きずって生きなければならなかった私。
階級社会に勝ち抜くため藻掻きながら転落する4人の女性の物語である。
美貌のユリコは校内売春が露見、退学、お水の世界、美貌見る影もない街娼となり、ついには死に魅入られた如く絞殺体となって発見される。
優等生ミツルは東大医学部に進学するが新興宗教と言う名の階級社会で栄達を求める。
そして努力家・和恵は当学園の最高府を卒業、大企業のエリート社員の身の傍ら夜の女として街に立つ。
“性交することだけが男を支配する事を可能にする”
学園での階級序列、大企業での階級序列、娼婦での階級序列が彼女を狂わせたのか?
醜悪な体で街を彷徨い男を求めてやまない和恵の完全な崩壊。彼女も又絞殺されて街に捨てられる。
作者はこれでもかこれでもかと人間の“グロテスク”を描ききる。
しかも これは“お話し”ではないと言う事が読む人の辛さ・悲しみをかき立てます。
和恵のモデルは1997年に起こった“東電OL殺人事件”として実在する。
優等生ミツルが新興宗教にのめり込んだ理由が目下法廷で裁かれている某教団事件に肉薄する。
さらに ユリコ・和恵殺害犯として描かれる中国人の密入国・殺人に至るまでの半生の告白。
何故かウソの告白だと言うことが逆に(かっての)中国共産社会の実体を語っている様で空恐ろしい。
そして劣等と羨望の対象である妹を失った私はどうなったのか?これは“本”を読んで下さい。
ところで安部総理は教育基本法改正に意欲的です。大まかな所は“美しい日本”への“愛国心”を育てる教育に改定したいそうです。
“愛国心”も結構ですが今“教育”で何が緊急問題になっているのでしょうか?
最近どこかの末端自治体で小中学校の予算配分に学童のテスト結果を取り入れることにしたと言うことが新聞に載っていました。各学校のペーパーテストの結果向上、進学率向上、に関する先生や生徒への締め付けがかなりのものだから偶々その様な動きになったのだと思います。
その様な環境の中では先生や生徒の“いじめ”も日常当たり前の事として起こっているのではないかと思います。
格差社会をもろに反映する学校格差、生徒格差、いじめ、夢を失った子供達、教育の荒廃。
勿論一昔前の“ゆとり教育”が良いとは思いません。
総理そして人の親である皆さま方お願いです。
“学業成績”や“愛国心”より一つの価値基準では決めつけられない“人間”を守り育てて頂きたい。
この小説を読んでつくづく思いました。

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紙の本

資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言

先生、頑張って下さい

13人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中谷先生は不肖私とほぼ同年である、しかも高校が同窓らしい
ハーバード大学の博士号を取得、
一橋大学教授としては当時最もスタンダードなマクロ経済学教科書を世に出し、
小渕内閣では“経済財政諮問会議”の前身“経済戦略会議”を興し、
その経済理論を実践するため民間に転出、ソニー他数々の社外取締役やTVコメンテーターを勤められた方である
我が母校にそんな秀才が居たとは驚きました
だからどうした?自慢している訳ではない
ただ本書にも盛られた先生の身の上話、同年齢の人間としてとても良く解る気がする
70年代、あこがれのアメリカに渡って見た夢のような学園・生活環境
刻苦勉励して修得した“近代経済学”
帰国後はいちはやく学会・官界・政財界・マスコミの寵児となる
“マーケット・メカニズムが機能する社会に生まれ変わればアメリカのように豊かで幸福になれる”
アメリカ自体微妙な変遷を遂げていた
戦後アメリカの繁栄を導いたとされるケインズ主義・新古典派総合経済学から80年代レーガノミクス、マネタリズム、新自由主義へ
先生は疑う事もなくアメリカ流市場原理主義、グロ-バリズムを礼賛し構造改革の急先鋒として旗振りにのめり込む
今になって先生の著した教科書がアメリカ経済学の引き写しだと言う方も居るが、
それも当然の事、先生は確信をもって唯一最高の“アメリカ経済学”を日本に流布すべく努められたのだ
アメリカ!アメリカ!アメリカのように!
そして漸くたどり着いた今、目の前に拡がる荒涼たる風景を見る
国税庁資料でも年収200万以下の給与所得者は1000万を超え、4人に1人、4世帯に1世帯は貧困世帯
より正確に所得格差を表現する“貧困率”(中位所得者が稼いでいる所得の半分以下の所得しか稼いでいない貧困者が全勤労者に占める比率)は1985年には12.5%だったのが20年経って26.9%に跳ね上がった(所得再配分前)
雇用流動性を目的とした政策で日本全体の労働者の3分の1が非正規雇用労働者になり、雇用不安に怯える事になった
お手本としてきたアメリカはどうか?
公的資金による救済を求める企業の経営者が平然と億単位のボーナスを手にして恥じない
一方に5000万人もの労働者が健康保険も加入出来ない状況下で、所得上位1%の人達が国民所得の17%を取り込んでいる
格差拡大、中流消滅、医療福祉後退、地球環境破壊
自分が推し進めていた“構造改革”は日本人を幸福にしたのか?自分は何をしていたのか?何を求めていたのか?
先生自身、本書は“懺悔の書”だと言う、先生は“良心の人”だと思う
本書では格差の拡大による惨状、福祉行政退廃の現状、そしてそれを作りだしたのがアメリカ・エリート層を中心として推進されてきたグローバリズムであったと詳述されている
しかし一方でグローバリズムは“パンドラの箱”流れは押しとどめる事が出来ないと言われる
“グローバリズムと言うモンスターに鎖をつけるのが最善だ”と主張する
どう鎖を用意するかは経済学の課題だろう
しかし先生はすでに“経済学”を否定してしまったかのようである
自ら書かれた経済学教科書に対する理論的反証もない
“経済学”“資本主義”“国家”は人々を救えないと言ってしまわれる
“民主主義も近代経済学もエリート支配のツールだった”とまで言い切ってしまわれた
その通りかも知れない
しかしそこまで言えば玄人筋には評判が良くない事だろう(現に池田信夫氏なんかはクソミソに批判している)
学者の“転向”は並でない、先生は学者生命を断ち切られる事ぐらいは覚悟されているかも知れないが、学者生命を断ち切られては折角の主張に意味がない
”経済学”に足りぬ所を何をもって補うか?
先生は一神教思想(自然を征服するものと考える)を批判し
日本神話に淵源する自然ぐるみの共同体思想、長期互恵戦略に世界救済の鍵があるかの様に主張される
オバマ大統領が掲げた如く“政策”が人を動かすには“理念”が不可欠である
国民を動かせない“政策”は必ず失敗する
金銭に追われる現代の精神的荒廃に、まず価値観の多様化、共同体思想再評価など“価値革命”から始めよと言われるお考えは理解出来る(私も小泉政治の最大の罪は人心を間違った方向に誘導した事だと思う)
しかしその精神の淵源に“日本神話”を持ってこられたのは少々乱暴にすぎないか?
残念な事に“日本神話”はアメリカ人の“メイフラワー”、フランス人の“フランス革命”の“神話”とは異なる
強制されたとは言え“自国民の手による塗り潰し”という数奇の歴史を辿ってきたのだ
アジア諸外国の反感もさりながら、大方の日本人にとってすでに“日本神話”は神話でない
日本人共通のアイデンティティ形成に“日本神話”を持ってくる事は如何にも無理なのだ
良くも悪しくも日本の神様は融通無碍・無色透明何でもかんでも呑み込んでしまう
先生の神様は“アメリカ教”から“日本教”に変わっただけなのかと皮肉られないか心配だ
“理念”の上に立って、最終章では具体的政策を提言されている
還付金付消費税(ベーシックインカム)等による弱者救済・安心安全重視の経済政策に触れておられるものの、“経済学”を否定されての話だからちょっと具体的迫力がない
“誰でも言っている事だ”と軽くいなされる方も多いようだ
でも“誰でも言っている”からダメなのか?
問題は“誰でも言っている”恐らく正しいと思われる政策が何故実現出来ないのかと言う事だ
本書は経済理論書ではなく啓蒙書だろう、実に解り易い
しかし“優等生”の答案だけに、すっかりグローバリズムに毒された多くの人達には“懺悔の言葉”も口先だけに聞こえてしまうようだ
先生は“懺悔”を口にする前に “反グローバリズム”の旗は振られなかったのだろうか?
“グローバリズム”との体を張った“闘い”はなかったのだろうか?
先生は日本の経済政策や取締役会議長までつとめられたソニーの経営の中枢に居られた方である
何故先生の力及ばず今日に至ったのか
“嘘を付いていました”と懺悔する前に、その実戦談を聞かせて頂けておれば“懺悔”も“政策論”も余程印象が異なったと思えます
先生にも、かって盟友であった日本グローバリズムの立役者・竹中平蔵氏ほどの戦略眼が欲しい所です
“すっかり吐き出したから、後は読書三昧”などとは言って欲しくない
まさかに榊原英資氏の様に“経済学者卒業”と言う訳でもあるまい
私達が先生に期待するのはやはり“学識”を武器にした“改革”実践なのだ




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紙の本

日本の思想

紙の本日本の思想

2006/02/28 19:35

明哲な知性が日本”思想”のいかがわしさを解明する

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

戦後日本最高の知性とも言える丸山教授(1914年—1996年)の啓蒙書です。
講演録「思想のあり方について」から見ていきます。
あの有名な“ササラ型”と“タコツボ”型文化比較です。ササラとは今の人には解らないかも知れませんが、竹の先を細かくいくつかに割ったもの、手のひらのように元の所が共通していてそこから指先が分かれる、そう言う形です。タコツボ型は文字通り孤立したタコツボが並列している状態です。
日本に西洋近代文明が導入されたのが明治の開国期、西欧歴史の長い共通の文化伝統としての根っこがが切り捨てられて非常に個別化した専門化した形態で近代の学問が入って来ました。西欧の学問の根底にあって学問を支えている思想或いは文化から切り離され独立に分化し技術化された学問の枠の中にはじめから学者がすっぽりはまってしまったのです。その為に日本の近代社会構造が“タコツボ”型になりました。日本の社会がそれぞれに一定の仲間集団を形成し、その仲間集団が一つ一つの“タコツボ”になったのです。
それぞれの集団は組織の内と外が峻別され偏見の塊“クローズド・ソサエティ”を形成します。しかもその事で各集団は一種少数者意識を持つ事になり、被害者としての強迫観念に駆られるようになる。保守勢力・進歩主義者・自由主義者・民主社会主義者・コミュニストそれぞれが精神の奥底に少数者意識、被害者意識を持つという非常にいびつで奇妙な状態にりました。戦前はまだ“天皇制”という結び目でそれぞれの“タコツボ”が結ばれていましたが、戦後はそのタガもはずれてしまいました。
丸山先生の観点はただに組織の閉塞制を批判するのでなく、そのよってきたる所を“根っこにある思想性”の無さから捉えています。社会と社会を結ぶ共通言語がないのです。そこの所を本書の巻頭論文で先生は日本独自の“開国”の仕方=“思想の雑居性”として捉えています。
「明治の開国期に輸入された西欧思想も既存思想と対決する事もなく、その対決を通して伝統を自覚的に再生させる事もなく、ただ無秩序に新しい思想として埋積される事によって近代日本人の精神的雑居性をさらに甚だしくする事になる」
「異なったものを思想的に接合するロジックとしてしばしば流通したのは何々即何々あるいは何々一如と言う仏教哲学の俗流化した適用であった」
共通言語がないから“理屈を言わず黙って俺に付いてこい”=「無限抱擁」は絶対拒絶の半面です。”いかがわしい”のです
この様に物事の二面性を把握して切り込むのは先生の特徴です。
第2論文「近代日本の思想と文学」でプロ文学論争を対象に“実感信仰”の虚妄性を批判しながら逆に“理論信仰”の非生産性を論じておられます。今ひとつの講演録「“である”ことと“する”こと」では伝統主義、官僚的保身主義を“である”論理として批判する一方では現代社会に於ける場違いな効用と能率原理の恐るべき進展にも警鐘を鳴らしておられます。
戦時下軍国主義の横暴と闘い、戦後も又全共闘など極左の暴力に傷つきながらも決して妥協しなかった先生のお姿が思い起こされます。
さすが現代では学際的学問も盛んになり、経済界でもかって無かったビジネスが生まれています。但しその現象も根っことなる“思想”を持たない社会では、逆に単なる高度専門化の現れかも知れません。横溢するセクショナリズムと保身のための組織擁護の精神は、いくら“改革”だなんだと言っても相も変わらず健在です。良い例が“規制緩和”“経済改革”の象徴であった“ホリエモン”の“理念”はただ“自分のライブドアを世界一大きな組織にする”に過ぎなかったのです。官僚的資本主義への反攻と現代もてはやされている“投機的資本主義”に活路は有るのでしょうか。

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紙の本

官僚たちの夏 改版

紙の本官僚たちの夏 改版

2009/08/26 17:06

あなどるなかれ、”官僚力”

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1960年代、池田隼人(59年通産大臣、60年内閣総理大臣)佐藤栄作(61年通産大臣、64年内閣総理大臣)政権下、日本が途轍もなく元気な時代に活躍した風越(モデルは佐橋滋通産次官)を筆頭とする官僚たちの話である
世間に反官僚ムードの高い今、テレビ・ドラマ化され、なかなかの人気である
何故だろうか?複雑な思いもある
”ミスター通産省”・風越(佐橋)は親分肌で傍若無人の超官僚、開襟シャツ1枚、ノーネクタイで大臣、財界人を睥睨する
テレビではより一層美化されているが、小説では辣腕官僚の傲慢不遜な”強権”ぶりもあからさまに描かれる
我が信念への絶大の自信ゆえ、大臣・財界人を馬鹿にし、吼える、恫喝する
自分の信念を実現する為、権力の頂点を目指し、意に叶った部下を集合し、組織の権限を守る
政治家は”人気取り”が命である、お役人は自分が案出する”政策”実現が命なのだ
その為、お役人は政治家とは比べようもなく勉強する、政治家がゴルフ場で政治を決めている時に、エリート官僚達は政策論争に身体を張る、時にはもろに権力の刃を振るおうとする
官僚の力は絶大、政策は日夜官僚の手で創られる
近い所では反官僚をうたった小泉=竹中氏も結果的には”仕事の出来る”官僚グループを身内に結集する事で”政策”を実現したのだ
日本経済高度成長への突入期、”国際派”対”統制派”の対立の中で、風越は”統制派”のボスである
風越らの立案、命懸けで日本経済を守ろうとした”特定産業振興法”は政治力に負け葬られ、風越の人事構想は挫折する
しかし彼らは生き残る
その精神は官民協調方式と体制金融に生かされ、日本の強力な自動車産業、コンピューター産業を育成し、”日本株式会社”の奇跡を生む
凄腕の官僚達が打ち出す”政策”が正しいかどうか、歴史のみが証明する
しかし、官僚達の”強権”を振りかざした命懸けの戦いを通してしか歴史は前に進まない
汚職や金銭欲・保身に汲々とする木っ端役人も居るだろうが、エリート官僚の”怖さ”はここにある

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紙の本

金融権力 グローバル経済とリスク・ビジネス

サブプライム問題に寄せて

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私の少年時代アメリカは憧れの的だった。
大きな兵隊さんが投げてくれたガムは夢のような味がした、きらめく消費文明、明るくフランクで自由な労働、月面に降り立った宇宙飛行士と地上管制官との機知に富んだ会話にどれ程胸をときめかした事でしょう
ソ連とか中国、何か胡散臭い”権力社会”に比べ希望と透明感に満ちていた。しかし何時の日かアメリカは”世界の警察官”を自認、ヴェトナムや中東の人々をゲームのように殺傷するようになっていた。それでもITとかなんとか、才覚に任せて信じられない程お金を稼ぎまくる人達は現代の英雄に見えた。
経済の主役は産業資本から金融資本へ、 “金融コングロマリット”“金融立国” “貯蓄から投資へ”
華麗な“錬金術師”たちを誇るアメリカはグローバリズムの名の下に日本はじめアジアに世界に“市場原理主義”による“構造改革”を迫った
投資銀行の新入ディーラーの年俸1億円、トップの年俸45億円などの噂が飛び交った。
そして今、リーマン・ブラザーズ破綻、バンカメがメリルリンチを吸収合併、米保険最大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に公的救済
サブプライム問題に端を発した金融界の嵐がその主戦場アメリカで吹き荒れています
ブッシュ大統領は“金融恐慌の危機が迫っている”と叫び、アメリカ繁栄の象徴FRBの高官は”アメリカの経済成長縮小すらあり得る”とコメントしました
“ウォール街のエリート達を救済すべきか?”国庫が75兆円の不良資産を金融機関から買い取る事を柱にした金融安定化法案は、ついに否決され株式市場は更に暴落を記録しつつあります


著者である本山先生はサブプライム問題を解説しながら、アメリカ金融資本のリスク・ビジネスの仕組み、”新自由主義=市場原理主義”の危うさを分析しています
本書で述べられている事はもはや皆様の常識かも知れませんが、今現在の“金融界”の本質がとても易しく手際よく纏められています(お金儲けのための“経済学”ではありませんが)
一体何が起こったのか?

アメリカが標榜する“新自由主義的企業統治”とは何か?
その監視者はアメリカ証券取引委員会(SEC)お墨付きの「格付け会社」NRSROに委ねられています
なかでも上位二社であるS&Pとムーディーズは世界のシェアの80%を越え、世界の企業並び経営陣の生殺与奪をほしいままにしている、まさに金融世界の帝王、「閻魔大王」である
アメリカ金融当局に格付けの基準設定はありません、全て「格付け会社」に一任され、その具体的「格付け基準」は公表すらされていないのです
先生はその”格付け会社”を筆頭とするウォール街の証券会社やアナリスト、法律事務所と政治家などの結託で構成されたアメリカン金融パワーを“金融権力”と名付けます

その“金融権力”が絶対的な自信をもって作り上げた自分達のための“儲けの手段”“貨幣増殖システム”が“サブプライムローン”でした。
しかし今その金融システムが世界経済に激震を与え、アメリカから世界にかけての“大恐慌”を引き起こそうとしているのです
サブプライムローンとは
1.最初にローン(もともと低所得者層向け住宅融資)を供与した組織が投資銀行にABS(資産担保証券)として証券化してリスクを転嫁
2.投資銀行はこの債権を返済優先順位毎に細かく区分けしてCDO(債務担保証券)という短期証券を発行(“格付け会社”が証券価格を支配、販売に貢献)
3.CDOはタックス・ヘイブン(税金逃避地)に登記されたSIVの手でヘッジファンドに、ヘッジファンドは富豪会員や世界の金融機関に売買する金融システムです
(つまり“証券化”で債権を分散すればデフォルトリスクは最小化するとして華々しく登場したリスク・ビジネス、ノーベル賞級の学者が打ち立てた金儲けのための金融理論は、デフォルトリスクを世界に無限転嫁する理論に過ぎなかったのです。しかも先物市場を利用したレバリッジは投機を呼び、損失リスクを無限大にまで高めたのです)

しかし07年突如としてパニックが起こる
住宅ブームの終焉、無限借り換えが突然不可能になり借入金利が高騰、かって自らが販売に貢献した「格付け会社」がCDO格付けの大幅引き下げを発表、金融当局の会計基準変更もあって、金融機関はCDO再評価を公表、その巨額損失が一斉に露呈する事になる
拡散されたリスクによって金融界全体の損失はいまだ定かでない
ローン残高1兆3000億ドル、損失8000億ドル(79兆円)?過去最悪の金融危機?
“リスク転嫁”の滞った“リスク・ビジネス”は“システム・リスク”として爆発する
アメリカに流入していた投資資金全体が逆転、投資資金は原油など商品市場に流れ込み、原油価格が高騰、そして“円キャリー取引”の逆転、円高

サブプライム問題の困難性
1.レバリッジを使った信用の拡散で損失額そのものさえ把握不能になっている事
2.短期金融が長期金融の原資を構成している事(担保があるといっても不動産であり簡単には現金化出来ない)
3.公定歩合を引き下げてマネタリーベースを増やしても資金の借り手がない(流動性のワナ)
マネタリスト・フリードマンは“通貨を安定的に供給すれば不況にならない、不況になってもマネーサプライを増やせば乗り切れる”と主張したが、恐慌時にマネータリーベースを増やしても流通するマネーサプライは増えなかった、フリードマンが利用されたのは彼のマネー理論ではなく、“政府介入”の否定だけだったそうです
政府規制を社会主義と退け“全てを市場の手で”、この“市場原理主義”が“新自由主義”の本質です

以上 先生は現代金融工学が証券化によるリスク転嫁と拡散の理論であり、マネタリズムは“市場原理主義”の理論であると主張、いずれも“金融権力”の私欲に貢献した方策であり、そのツケがサブプライム問題であると断罪します
“金融権力”が拡散した資本主義の病理に先生は独自の処方箋を提出されています
先生は今更政府規制や国家の働きに期待されません
逆に国家権力の限界を予言、“共産主義”を批判したプルードン流社会主義(個人の自由がある社会主義)の再評価を提起しています
プルードンの“組合主義”への評価は別として、“市場原理主義”と“国家社会主義”に翻弄される社会情勢の中で、”市場”は何処まで自由であるべきか?”国家”は何処まで介入すべきか?私達はもう一度国家や権力・組織などを原理的に見つめ直す必要がありそうです。

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紙の本

自壊する帝国

紙の本自壊する帝国

2006/07/23 18:51

歴史証言(愛する者への直視)

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

同志社大学大学院神学研究科修業後、1985年ノンキャリア専門職員として外務省に入省、1991年ソヴィエト連邦崩壊に至る歴史的瞬間を在ソ連日本大使館で三等書記官として立ち会い、数々の枢要人物との交流の中で情報分析官として活躍する著者の回顧録である。
命を賭けて革命現場に立ち会い人々の信頼を勝ち取る懐の深さに感動する。
リトアニア共和国独立を要求する人民戦線が首都ビリニュス最高会議場に籠城する。独立阻止のためソ連軍が攻め入ろうとする。著者はソヴィエト傘下にあるリトアニア共産党第二書記シュベートからソ連軍は強行突破まではやらないとの情報を得て独立派にリークする。結果的にその情報でリトアニア独立派は最後まで持ちこたえ民族独立を勝ち取ることになる。独立派は強行突破が確実なら流血の事態を避けるため籠城を解くことを考えていたのである。著者はリトアニア独立の功により叙勲されることになる。そしてバルト三国の独立はソヴィエト帝国崩壊の契機となる。
著者の人脈は守旧派、急進派いずれに偏ることはない。歴史を真摯に生きる人間なら、波長が合う人間なら戦闘現場で逃げまどう“中国人百人分狡い”怪僧ボローシンも政治を商売と嘯く超右翼自民党党首ジリノフスキーも無二の親友となる。
その事がKGB監視下にある外交官にとって如何ほどに危険な振る舞いか。
正に身命を賭して仕事にのめり込んでしまった著者の超法規的振る舞いは後に“国策捜査(時代のけじめ)”により日本の法規の裁きを受けることになる。著者にとって些事と言えよう。
それにしても普段着の革命は命を賭けながら、人々を蕩尽する まるで“お祭り”のようである。
時にウオッカに溺れ、時にセックスに恐怖を癒す。
著者の人脈形成の契機となったモスクワ大学のカリスマ的学生サーシャはただ破壊のみを切望し民族独立人民戦線に暗躍しながらついに歴史の表面に浮上することなく消えていく。
無神論者からキリスト教徒への転向、その後の反体制運動への関与、政治家への転身と政治への決別、幾多の転身を経て最終的にイスラームに転宗した怪僧ボローシンの自己破壊への衝動。
ロシア共産党第二書記・ソ連共産党中央委員・ソ連最高会議議員の要職にあってゴルバチョフ監禁クーデターを取り仕切りながら、その生存を著者に伝えたイリインは晩年アル中患者として人知れず生を終える。
是非もない。権力をめぐる生死を賭けた闘争、勝者の復讐、敗者の破滅、歴史の生贄。
ここに描かれているのはただにソヴィエト帝国の自壊だけでは無いようだ。
神学を修めた著者の目が歴史の転轍手達の壮大な自壊現象を直視する。

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紙の本

不撓不屈 上巻

紙の本不撓不屈 上巻

2006/03/15 01:56

国家権力の横暴と戦い抜いた税理士・飯塚毅

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

昭和30年代末 租税法律主義を掲げ 最強の国家権力、国税庁・検察庁の卑劣な攻撃に不撓不屈7年間の闘いを挑みついに完全勝利を勝ち取った税理士・飯塚毅先生の伝記です。
ちょっと善玉悪玉論に傾くきらいは有りますが、さすが高杉氏はこの小説で“飯塚事件”で争われた“税”の諸問題からドイツ哲学に通暁する先生の“租税法”本質論迄かみ砕いて教えてくれています。
私も若気の至り、うろ覚えの“税法”を武器に幾度か税務署員に噛みつき当局の恫喝にあった事もあります。
幸いか不幸か私は税理士では無かったので差ほどの問題にならず、税務署も適当なところで妥協してくれましたが、もし税理士本人から噛みつかれたら当局も面子がありますから大変な事になっていたろうと今更にちょっと冷や汗ものです。
“面子”を至高とし最終的には絶対的権力で強迫する“官僚”に正面から闘いを挑み勝ち抜く事が如何ほどに困難で恐ろしい事か。
国税庁高官の怒りをかって兵站を断たれた飯塚先生が、当初涙を飲んで当局に頭を下げ妥協の道を探られる姿がかえって現実味を帯びて迫ります。
官僚が守らねばならぬのは“面子”ですが、民間職業人が守らねばならぬのは顧客であり家族です。時に“官僚”の“面子”に追従する事もありましょう。
23才にして禅門“見性”を得た先生の信条は大乗仏教経論の“自利とは利他をいう”でした。
“社会のために精進努力の生活に徹する事が自利すなわち本当の喜びであり幸福である”
その大意は脱落心身、心身脱落、宇宙原理と一体化した禅的境地を含むそうです。
その様な難しい事はさておき私には“他を利する事をもってはじめて己を利する事が出来る”資本主義社会の基本原理のように思えます。近頃この原理が忘れ去られようとしています。(ちなみに私の勤務する会社の企業理念はGIVE & TAKE、似ているかなと思うのはちょっと僭越なこじつけでしょうか?)
余りにも理不尽な国家権力の横暴に晒された時、高潔な先生が職と命を賭けて”守らねばならぬもの”の為に毅然として立ち上がります。
税理士は徴税下請機関か、顧客である中小企業の擁護者か?租税法は脱税摘発の為にあるか、権力から身を守るためにあるか?
壮絶な“法廷闘争”で見事勝利を収めた飯塚先生は、公認会計士資格、法学博士号を取得、その後数々の租税法立法にも貢献されていく事になります。
正しい法律の適用による正しい納税を目指す先生にとって”正規簿記原則”による”記帳”が前提になります。
しかし零細企業主にとって正規簿記による“記帳”は結構難しいものです。
結果的にそこにも税務当局がつけ入ります。なあなあで課税を負けて貰っているつもりが意外と高く付いている事が有ります。租税法そのものに“記帳”出来ない中小企業の“悪意”を前提にしている部分もあります。
早くから中小企業に於けるコンピューター会計導入の有効性に着目していた先生は昭和46年電算センター“TKC”を創設する事で税理士と納税者の全国的組織化をも成し遂げる事になります。
この小説は近々映画化されるそうです。
もう少し早く飯塚先生の存在を知っておれば、私も目的意識を持ってもっと身を入れて会計の勉強をしていたのにと、いささか残念に思いました。

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紙の本

縄文の思考

紙の本縄文の思考

2008/09/23 16:15

”縄文人”と語ってみよう

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

書を読む歓びは“出会い”の歓びである。
縄文考古学者・小林達雄先生の案内で私達は遙か一万年以上前、
この土地にイエを定め、家族を持ち、ムラ人とともにハラから自然の恵みを受け、新しい文化を築き始めた“縄文人”に出会う。
小林先生に導かれ、私達はゆっくり問う。

旧石器時代の遊動的生活から定住的ムラの生活への転換は貴方たちに何をもたらしたか?
貴方達は自然の一画に新たに人工的空間としてのムラを建設する事で自然的秩序からの分離独立を宣言する、ムラは人間としての主体性確立の象徴、人間意識の萌芽だった
村の中に家族と暮らすイエ(住居)が作られる
そのささやかな閉鎖空間には必ず炉が仕切られ、カミのシンボルが祀られる
炉とそれにくべられる火は頬寄せ合う家族統合の象徴だった
炉辺の語り、繰り返される体験談、手柄話はお約束の如く現実離れした飛躍を生み、伝説・神話(共同幻想)にまで昇華されていく

すでに栽培の術を心得ながら、何故農耕文化に流れなかったのか?
ムラの周りの生活圏ハラから狩猟・漁労・採集で食糧を得る生活への執着
食糧を極端に少ない特定種に偏る事無く、自然の恵みを可能な限り分散満遍なく利用する“縄文人”の智恵だった
自然からの初めての独立を企てながら、なお自然の力に驚愕し、自然の恵みに感謝を捧げ、自然との共存共栄に生きる人々の文化は自然を征服し奪い尽くそうとする農耕文化の対極にあるものだった
自然への敬い、自然の人格化、自然への供儀
実りは未だ少なく、搾取など有り様もない共同労働
共同倉庫、ゴミ捨て場、共同作業場、共同墓地、祝祭広場などムラ空間が整備されていく

貴方達は人類初の化学的変化の応用、焼成土器を造る術を知る
縄文土器、その容器としての機能は煮炊き料理を普及させ食文化に革命をもたらす
それにしても、縄文土器の使い勝手をまるで無視したあの“突起”、プロポーションのバラエティ、デフォルメされた土偶は一体何なのだ
獲得された技術は勿論土器だけではない
製塩、黒曜石・安山岩の採掘、接着剤としてのアスファルト利用、磨製石斧や耳飾などの特産品、
新潟糸魚川一帯に産するダイヤより硬いヒスイの加工への挑戦
実用的でないモノへの憧れ、技術への誇り、自然と交感するための造型

ある日貴方達は忠実な仲間イヌを従えタビに出る
出来上がったばかりのヒスイの勾玉を手にしているかも知れない
ハラを離れ山の向こうの異なる風土・隣接集団と邂逅する
ヒスイが贈与され、ムラにはなかった食糧・資材を分けて貰う、交易の誕生。
よそ者同士の往来・交流が相互理解と人々の一体感を醸成する

自然を讃え、恵みを歓び感謝するムラの祭り、広場に建設される巨大なモニュメント
幾何学的な石の配置、盛土、木の柱、壕
栃木寺野東遺跡は1000年、青森三内丸山遺跡は1500年にもわたる長期継続工事であった
完成させる事に目的があったのではなく、未完成の継続にこそ意味があったのか?創造そのものへの営み?

ストーンサークルや巨大石柱列や土盛遺構の位置取りは山の方位と関係づけて配置された
山頂、山腹と二至二分の日に於ける日の出、日の入りと重ね合わせる装置が建設された
貴方達にとってヤマこそ自然そのものであり信仰の対象だった
山は単なる風景を構成する点景ではなく、その霊力をもって貴方達に語りかける
更に貴方達は自ら山頂をめざし、直に山頂に足跡をのこす、
山の霊気と接触する事で自らの意志を伝え交感する

この新書、どれ程の学問的新説が盛られているかは知らない
ただ今の私達とは殆ど違った生き様、自然との共生・交感を歓びとした先人との“出会い”は
限りなく楽しく生きる勇気を与えてくれるのだ




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紙の本

粉飾資本主義 エンロンとライブドア

再び問われる”会社は誰のもの?”

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

わずか10年足らずの間に“六本木ヒルズ・キャピタリズム”の頂点に登り詰め世の大人達を震撼せしめながら、2006年“風説の流布”と“偽計取引”で逮捕・裁判中のホリエモン。
エネルギー先物市場の胴元であることをベースに企業買収を重ね米国トップ企業に登り詰めながら2001年倒産、同じく不正会計で逮捕・裁判中のエンロンの総帥ケネス・レイ。
臆面無く“金儲け万能主義”を掲げ、旧エスタブリッシュメントの社会に風穴を開け、新しい時代を切り開くかに思わせながら、あえなくその不正を暴かれたライブドア、エンロンの両事件を“法人資本主義論”の奥村宏氏が“株式会社制度”の危機と捉えて解明する。
奥村氏は戦後財閥解体による旧財閥株式放出による“乗っ取り屋”暗躍の“混迷経済”危機を乗り切るため株主安定化工作としてとられた“法人による法人の所有”体制(株式の相互持ち合い)を日本資本主義の特殊構造として“法人資本主義”と名付けた。株式会社が相互にかばい合う日本型資本主義体制はかって日没無き隆盛を誇るかに見えたのだが、1990年代のバブル崩壊で“法人資本主義”の無責任体質を露呈する。
銀行の不正融資、証券・総会屋スキャンダル、政界汚職、銀行不良債権と経営破綻、ゼネコン・不動産会社・商社の倒産。
時代の“改革者”として脚光を浴びたのが“会社は株主のもの”として果敢な企業買収で急成長したライブドア、村上ファンドなど新しい旗を掲げた“企業家”だった。
彼らにとって“人間の顔”を持たない“法人資本”はなんと柔で恰好の標的か。“金儲け万能主義”を掲げ“大企業体制”の隙間をつく“持たざる者の反乱”“ダーティヒーロー”
彼らがとった金儲けの手段は一に自社株式時価総額を高めること。そうすれば時価発行増資で大きな資本が獲得出来る、株式交換で他会社を有利の買収出来る、ストックオプションで多額の報酬を手に出来る。
株式時価を上げる方法は業績利益向上に限らない、と言うかそんな悠長な手段では間に合わない。
株式分割による株価つり上げ、自社株買い戻しによる消却、粉飾決算での株価操作、インサイダー取引、恐喝まがいの企業買収と売り抜け。
体制が絶賛した“救世の改革者”は戦後間もない頃の“乗っ取り屋”以上にしたたかで獰猛な“手段を選ばぬ鬼子”だったのだ。
一方アメリカでは個人大衆に分散した株式が1970年頃から機関投資家の手に統合されていく。“機関投資家資本主義”である。この事で経営者と機関投資家の利害が“株価”つり上げと言う目的で一致する。機関投資家は運用成績を上げるため株価つり上げを求め、経営者はストックオプションを高値で売り抜けるため株価引き上げを望む。
取り付かれた如く性急に株式時価総額(企業価値)引き上げが追求される、会社が投機の対象になる、弄ばれたM&A・LBOの手法、エンロン・ワールドコムなど巨大資本が特別目的会社や投資ファンドを利用して粉飾決算を重ねていく。
日本では“法人資本主義”に対抗する者として、米国では“機関投資家資本主義”と癒着して、日米の新しい“企業家”たちは同じ到達点にたどり着く。
企業業績で株価を上げるのではなく、自社の株式時価をつり上げることでゼニを手にする手法の発見。
そして儲けすぎたが故の挫折(国策操作?)、再び“会社は誰のものか”が問われることになる。
日米共に株式会社制度を利用した“投機資本主義”が一つの頂点を極めた事は確かだろう。一人の若者が“凄腕の改革者”だったとか“無鉄砲な破壊屋”だったとかの問題でない。
奥村氏は現象を“株式資本”を所有の根源に置く“現代資本主義”の問題として捉えたのである。
そして この先 株式会社、資本主義はどの様な活路を見出し得るのだろうか。奥村氏は容易に解答を与えていない。残念でもあるがそれ程に困難な問題と言うことだろう。

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珍妃の井戸

紙の本珍妃の井戸

2005/06/07 00:54

近代中国史への思いをかきたてられて

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時に清帝国の末期、出世欲と権力欲に取り付かれた儒教官僚と宦官の退廃政治。
自らの手を血に汚す事で最高独裁権力者にのし上がった西太后。
彼女によって幼時より名ばかりの皇帝に擁立されながら ついに康有為を中心とする革新官僚とともに政治維新に立ち上がったものの あえなくも失敗、幽閉の身となった光緒帝。
光緒帝とともに維新の夢を追い捕らわれた皇帝最愛の側室・美貌の珍妃。
義和団事件を口実に牙をむいて北京に攻め入る帝国主義列強8ヶ国連合。
西太后は青衣に身をやつし、囚われの光緒帝、珍妃、側近ともども北京城脱出を決意する。
西太后の命に反抗する珍妃。“皇帝陛下は北京にとどまり洋鬼子と和議にあたられるべきでありましょう”
西太后は激怒する“即刻そこなる井戸にぶち込むが良い!”
これが歴史の定説であります。
浅田次郎氏はこの北京陥落直前の西太后の脱出、その混乱の中での珍妃の死の“謎”を追って1つのメルヘンを紡ぎます。
英の提督、独の大佐、露の銀行総裁、日の大学教授によって正義の名の下に“珍妃殺害の真犯人捜し”が行われる。
宦官、袁世凱、皇帝の愛を競った珍妃の実姉・瑾妃、廃太子溥儁(プーチン)それぞれが語った真実の一面。
しかし尋問官4名の取り合わせに最後のどんでん返し・光緒帝と珍妃の魂の叫びが仕組まれています。
死に行く珍妃、愛する皇帝への最後の語りかけ。
“あなたを愛しています、あなたは天子だからね、あなたは世界の天と地を支える天子だからね、自分の富のために他人のものを奪おうとする人間など一人もいない仁の教えに満ちた世界で一番豊かなこの国のあなたは天子だからね“
私は“甘ちゃん”かも知れませんが、“蒼穹の昴”同様、氏の“メルヘン”によって近代の中国史、日本史への思いをかきたてられ改めて読み返す機会を与えて貰いました。
日本が誇り高き中国人民の歴史に残したぬぐい去れぬ傷跡。
かって周恩来は万感の思いで賠償を放棄した事でしょう。
賠償や詫びを求めるよりも“歴史を忘れるな”と執拗に主張する中国。
何故に帝国列強は中国に対しかくも破廉恥な強姦行為をなしえたか?
何故に中国はそれを許してしまったのか?
昨今小泉首相の靖国参拝に対する中国側の抗議が盛んです。
中国にとって靖国問題は一つの象徴です。
教科書問題、都知事の挑発的言辞。
オピニオンリーダー達は日本人の“自虐史観”を改めよと申しますが、自己の利益のために血に飢えた人間の犯した愚かな歴史の記憶を抹消せよと言うのでしょうか。

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私はなぜ「中国」を捨てたのか

紙の本私はなぜ「中国」を捨てたのか

2011/03/01 16:18

人心の荒廃は如何にしてもたらされたのか

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

60年代安保当時私はノンポリ学生だった。
70年代初頭に至る中国の文化大革命、日本の全共闘を冷ややかに眺めていた。
むしろ周恩来やリュウ少奇の著作や行動にファン的感情を抱いていた。
一方毛沢東の”実践論””矛盾論”にも大いに感銘を受けたものだ、その詩文の教養・勇壮さは並みで無い。
それにしても、石平氏が描く革命政権成立直後から”大躍進政策””文化大革命”にいたる毛沢東を頂点とする権力者たちの暗愚・狂気・人民に向けた非道ぶりはどうだろう。
日本で”悪辣非情”とも云われた独裁者、織田信長や大久保利通など物の数ではない
史上”革命”の後”反革命”に対する弾圧はまるで付き物のようだが、毛沢東の場合”革命政権を守る”域をはるかに超えていた。
自分と肩を並べるかもしれぬ人間を敢えてあぶり出し、挑発し、追いつめ、殺す為に態々”大乱”を呼び起こす。
その儀式を数知れぬ同胞たちの血で購う、かって艱難を共にし共に闘ってきた同胞たちの命を犠牲にして君臨した。
しかしこの”悪の帝王”はかって人民の為にその身を捧げようとした”民族の英雄”だったのだ。
少なくとも人の心を揺り動かす力は周恩来やリュウ少奇より優れた”英雄”だったのだ。
権力を得れば人は変わると云うが、人は何故かくも変貌するのだろうか?
ニクソンや田中角栄との会談も成功、愈々生涯の終末に向かおうとする毛沢東が”神”を口にしたインタビューを今も覚えている。
文化大革命で毛沢東の裏切りを知り、期待したトウ小平に天安門事件で裏切られた石氏。
生国に決別、日本の大学教授となりマスコミなどでも日本人以上に反中姿勢を露わにされている(ちなみに天安門を共に戦った美貌の闘士・柴玲はアメリカに亡命後実業家となった)
自らの失脚を知りながら、天安門で涙ながらに学生を説得する趙紫陽の姿を思い出す。
さて石氏が口を極めて裏切りを非難するトウ小平は”経済音痴”の毛沢東路線を修正、”社会主義市場経済論”で”上からの資本主義化”を誘導する。
もとより共産主義も民主主義も信奉していた訳では無かろう、”先富論”を唱えても平和で平等な社会など眼中になかったかも知れない。
天安門で何万人もの人民を殺したが、結果的に思惑通り、格差を梃子に経済・軍事大国が実現した。
トウ小平路線を踏襲する江沢民、胡錦涛達の手によって中国はGDPでは日本を抜き、アメリカと肩を並べる強国に成長した。
石氏ら天安門の犠牲者を嘯くごとく、中国はトウ小平のお陰で大国の位置を得た。
しかし強引な経済成長は無償では無い、驚くべき経済格差、人心の荒廃、自然破壊そして為政者が忌み嫌ってきた”人民の目覚め・民主化”を必然的に齎す事になる。
エジプト・リビアなどの民主化運動を前にして、中国の支配者たちは言論・集会等の規制に躍起である。
経済・情報のグローバル化の中で愈々中国の正念場である。
内部矛盾に悩む国民の目を”外部”にむける事で解決しようとする愚(かっての日本の様に)だけは犯して欲しくない

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紙の本

東京島

紙の本東京島

2010/07/31 14:16

極限の生

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無人島に流れ着いた32人、女は清子一人
極限状況の中で人間はどの様に生きていくか?
桐野氏には“愛の世界”は無縁である
思い切りグロテスクな“生存への戦い”を描き切る
この小説のモデルは“アナタハンの女王蜂”“ナタハンの毒婦”と騒がれ映画にまでなった数奇な史実“アナタハン島事件”と云う
http://www.nazoo.org/distress/anatahan.htm
何故著者はこのような舞台設定を選んだのか?
ただ一人の女は何故男たちの母親と云えるような年齢か?
”サバイバルな状況下で自分のことしか考えない女という存在・・・”
新潮社のホームページで桐野氏自らが“東京島”を解説しておられます
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/466702.html
嘘をつき、媚を売り、男を食らいつくす事で生き残らねばならぬ”女の性”
おぞましい欲望の葛藤と垣間見る狂おしいユーモア
確かに恐ろしくて不愉快です、でも桐野氏の筆に遠慮会釈はない
私は読むうちに氏の創る“虚構のリアリティ”に戦慄する
映画化され8月末には公開されます
私の好きな美人女優・木村多江さんが、この”グロテスク”な存在を演じるのかとちょっと心配です

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紙の本

国家論 日本社会をどう強化するか

人間の“大きな夢”の虚構を見抜いた人の“大きな夢”とは?

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外務省主任分析官として旧ソヴィエト連邦崩壊の現場に立ち会い、命を賭けた活動で幅広い人脈を築く。
2002年北方領土支援にからむ背任容疑で鈴木宗男氏とともに背任容疑で逮捕(国策捜査?)、その後数奇の人生経験と知性を武器に活字・メディアに大活躍。
“異能の外交官”“外務省のラスプーチン”と呼ばれるだけあって、エネルギッシュな活動と読書量は現代日本の知の“巨人”とも言えます。
その佐藤優氏が“国家”と真正面理論的に取り組まれた著作です。面白くないはずが有りません。
今は懐かしい“宇野経済学”や“講座派・労農派論争”“スターリン言語学”“柄谷行人世界共和国論”から“ゲルナーのナショナリズム論”“バルト神学”まで援用して“国家”をあぶり出します。
“国家”は社会にどのように介入するか?を明らかにし、私達は“国家”にどのように対処すべきかを提言する魅力的な著作です。
佐藤氏は自らを“右翼”と位置付けます。
“左翼とは理性と進歩を信頼し、理想的な社会や国家を構築する事が出来ると信じる人間を指す。
右翼は理性には限界があると考え、人間がいくら理想的な国家や社会を構築しようとしても、人間の偏見、嫉妬を除去する事は出来ないと考える。従って人知を越えた神や伝統を信頼する“
佐藤氏は“右翼的立場”が正しいとは言いません。左翼、右翼いずれが正しいかを言い合っても無意味であり“趣味の問題”だと言われます。
勿論佐藤氏は“国家主義者”では有りません。“国家の本質は暴力である”と喝破します。
国家の暴力性を確認する一方“究極的に人殺しをもたらさないような思想は思想の抜け殻”だと思想の暴力性をも確認します。
そして“理論”展開は現代国家批判に及びます。
官僚の腐敗をなじり、“社会民主主義”“福祉国家政策”はろくでもないと切り捨て、“新自由主義”をかかげる小泉型ボナパルティズムはファシズム以下だと痛罵します。
“右翼”と自称されるとおり、理想の共同体社会を自ら“高天原”と名付ける“尊皇家”であり、反官僚・反自由主義をアジテイトされる姿勢は“戦前右翼”と通ずる所もあります。
その点折角“社会”から“国家”を抽出され、“国家悪”を明示された本書ではありますが、
“日本社会をどう強化するか”の副題を、つい“日本国家をどう強化するか”と読替えてしまう錯覚にかられたのは私だけでしょうか。
しかし佐藤氏の“右翼思想”の特異性は“クリスチャン”で有る所に現れます。
"原罪"をおう人間が“全能の神”の地位に立とうとする“革命”を認めません。
革命を為し遂げるという事は、自らを“善”として敵なる“悪”に打ち勝つという事です。
歴史が立証するように“新しいものは出来た瞬間において既存のもの、すなわち保守になる”
原理的に不完全である人間の手による理想的社会の実現は不可能である。
キリスト教は究極的に“人間の業”を信じない、“アンチ・ヒュマニズム”だとまで言い切ります。
よって佐藤氏の立論は
1.国家は暴力装置を独占する事で可能になった官僚階級の収奪機構である
2.このまま放置すれば新自由主義下の格差社会か、国家暴力に担保された官僚利益追求社会にならざるを得ない
3.しかし国家は“必要悪”、予見される未来に国家を超克する事は不可能である
4.だから国家とどう付き合うかが問題だ
その付き合い方としての結語は
1. 共同体ネットワーク”の強化
2. 愛・平和など“究極的なもの”への“大きな夢”がエゴとなるような人が増えれば社会が強化される
クリスチャンである佐藤氏にとって“神の支配”の前に人間が理想社会を作り上げる事は不可能だとする思想的前提があります。
理想に少しでも近づけるしかないと言う事です。
その為に国家とか貨幣とか“究極以前”の不完全なものを信ずるのでなく、
愛とか平和という“究極的なもの”への“大きな夢”を持とうと言う訳です。
しかし“大きな夢”と言っても、“人の業”の限界を知ってしまったキリスト者の佐藤氏自身の夢が“大きな夢”だと言えるのでしょうか?
それとも“大きな夢”は“神の啓示”とともに実現すると言うのでしょうか?
今の世の中、“国家暴力”は殆ど“愛”と平和“と言う”大きな夢“実現のためだと言う”装い“をこらします。
しかし佐藤氏は“国家”や理想主義者の“大きな夢”の“自己正当化”・“虚言”を暴露してくれました。
人間の“大きな夢”の虚構を見抜いた人の“大きな夢”の物語?
佐藤氏の論証や言葉はとても解りやすく説得力があります。
解りやすいだけに、結語はキリスト者でない私にとって、ちょっとした“不安”を感じさせます。

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紙の本

国家と神とマルクス 「自由主義的保守主義者」かく語りき

佐藤優さんの”巧緻”は実際に通用するのだろうか?

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同志社神学部出身のクリスチャン、外務省きっての情報分析官としてソ連崩壊の現場で活躍。その後鈴木宗男氏に連座して2002年逮捕、有罪判決を受けながら、“本”の世界では今最も旬の人だ。
人気の由縁は外交官時代に見せた身命を省みない実行力、そして聖書から始まり大川周明からマルクスまで読みこなす知性である。
本書は“国策捜査”批判、対談、読書録等とりまぜた言わば雑談集的なものですが、それだけに佐藤氏の正直な思想がよく見えて面白い。
例えば佐藤氏を総括してしまえば現代の最先端“右翼”かもしれない。
その人の愛読書がなんと宇野弘蔵、柄谷行人、廣松渉、ヘーゲルなど昭和の“左翼”にはなんとも懐かしい面々なのだ。(もっともクリスチャンであり天皇信奉者である氏にとって、一の愛読書は聖書であり北畠親房、大川周明、蓑田胸喜かも知れないが)
これは、あながち佐藤氏が左右両刀使いである事だけを意味しているのでは無かろう。
宇野弘蔵の恐慌論のレクチャーが世界の諜報員に喜ばれたそうだが、左右両翼にとって実践力を持つのはやはりこう言った書物なのだろう。
昭和の“食うか食われるか”の時代に書かれた書物は大層実践的であり闘争的なのだ。
さて佐藤氏の根本思想“絶対的なものはある、ただし、それは複数ある”
“寛容主義”が旗印だが、心情的にはアナーキーな人なのだ。
まさに“80年全共闘の時代”に男になった人なのだ。
国家が暴力装置である事をあっさり認め、“官僚が美味しい部分を自ら放棄することはあり得ない”と喝破する。旧ソ連官僚国家を嫌うのも当然である。
一方、小泉前首相の大衆迎合主義を批判しアメリカ大国のグローバリズムを口をきわめて批判、“日本歴史を取り戻せ”と叫ぶ。
“日本の歴史”つまり国体護持であり天皇制擁護である。
久しぶりで“国体”なる言葉を聞くものだが、鋭い舌鋒がどうして“寛容主義”に結びつくのか、多分氏の“大川周明論”あたりに回答があるのだろう。
太平洋戦争は米英の横暴・帝国主義からアジアを守るため、やむなく日本が立ち上がった?
だから戦後の反戦思想はすべからくアメリカによって創られた物語?
アメリカがそうなら日本は日本の国益をもっと主体的に考えろと主張する。
ただ佐藤氏は決して抽象的な排外主義に陥ってはならないとする。官僚の抽象的議論の“口車”に乗ったらろくな事は無いと言う。
あくまで氏はリアリストである。
是々非々的戦術、“一つ一つの問題を個別具体化して付き合って利益のある話と、付き合わないと嫌がらせをされてとてもひどい目に遭いそうな問題だけは調子を合わせる必要がある”
国家や法に対する姿勢も、国家や法が人民統治のための暴力装置である事を認めたうえでうまく立ち回る。氏は聖書の教えによって“人間が人間の作ったものに支配されるのはおかしい”という。
“カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ”
これって“原理主義”を突き抜けたキリストの“巧緻”のような気もします。
確かに“真理は複数”あるから、“俺は俺、君は君”で実践的にうまく行けば良いのですが、実際のところは、テロリストのように否応無く“原理主義”を突きつけられた時どう身を守るべきか?
他国があるいは信頼すべき日本の支配層が暴力的に襲い掛かって来ればどうするかが問題じゃないでしょうか?
太平洋戦争においても大川周明の論が正しいとしても、結果日本は“帝国の原理”に対抗するに“帝国の原理”をもって戦わざるを得なかった、その原理に日本人民やアジアを巻き込まざるを得なかったのじゃ有りませんか?
それにしても佐藤さん、マルクス、レーニン、スターリン、ルカーチなどに至る読み込みがすごいです。

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構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌

竹中教授に学ぶ”仕事の仕方”あるいは”喧嘩の仕方”

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すでに過ぎ去った人の事をとやかくと笑われるかも知れませんが、小泉氏・竹中氏の“構造改革”の仕事は良しも悪しくも日本政治経済の歴史的転換期に勝負をかけた大仕事でした。その意味で彼らが仕事を一段落させた今こそ、そのプラス面マイナス面の遺産が問われています。
本書は小泉前総理と一心同体とも言われた竹中平蔵氏が経済財政政策担当大臣、金融大臣、総務大臣としての日々の戦いを自ら記録されたものです。
ここで触れられた政策論は勿論賛否両論あり私の素人頭では判断出来ようもない点多々あります。しかし“改革”には改革の戦い方がある、彼らの“ものの考え方”“仕事の仕方”“喧嘩の仕方”に従来型支配層とは異なる凄みが有りました。読むほどにこの“戦いの作法”そのものが“改革”だったのだと感銘させられました。
竹中氏はまず経済財政担当相として経済財政諮問会議を運営、諮問会議で政策運営の根本方針“骨太方針”を作成、予算編成の筋道を付ける事で小泉政権の司令塔としての位置を確保していきます。
小泉氏は“人事権”で切り伏せましたが、竹中氏の身上は“竹中チーム”をバックにした“立案能力”と面罵や悪意にたじろぐことのない“根まわし力”でした。
一般に官僚は有能で最大の情報量を持っていますし与党は権力を持っています。しかし官僚や与党には“誤りを認めては拙い”“組織防衛が至上である”“縄張りの利権を擁護すべし”と言う行動原則があります。その為竹中氏は官僚や与党に立案させない、力を借りない戦略を取ります。
まず改革の方向付け、原則を自ら書き上げ総理の了解を得ます、これだけで十分考え抜かれ権威付けられた“仕事の指針”が出来上がります。次は竹中氏自ら選別した私設補佐官とも言うべき少数の“竹中チーム”を結成、実質的政策論議を重ね政策立案を誘導します。これは氏の言う“裏の戦略会議”です、この会議での結論を例えば諮問会議では“民間議員ペーパー”として公にする形を整え、しかる後まず総理に説明、了解を取ります。その上で閣僚・与党等との“根回し”、公の会議・閣議・国会等への議案提出に入るのです。見事な自作自演でした。
まずトップの了解を取ってしまう、更に“いつまでに何をどれだけやるか”数値目標と工程表で責任範囲を明確にし、毎回会議要旨を即時公表する事で自分自身すら縛り上げ退路を断ってしまいます。
氏は金融大臣、総務大臣としても同様の戦略で所謂“抵抗勢力”からの理不尽とも言える痛罵・攻撃に身をさらしながら、仕事への信念・総理の信頼を活力源に不良債権処理、郵政民営化などをやり遂げられました。
何故小泉氏・竹中氏は強力に改革を推し進める事が出来たか?
民間の中小企業で働く私ですが、この書から次のような点で大きな示唆を受けました。
教訓1、トップの“お客様のお役に立っている”という主体的信念と先頭を走る行動のみが部下の主体性を引き出す。
小泉・竹中氏は国民人気にのっとり、有る意味で“国民”を人質にする事で存分に戦うことが出来ました。“お客様としての国民のために戦っている”と言う信念が官僚、議員、銀行を頂点とする財界、マスコミなどと強力に戦うことを可能にしたようです(小泉氏達を支持した“国民”とは、どのような実体であったかは是非諸先生方に解明いただきたいところですが)
民間企業でもトップにまず求められるのは“お客様のお役に立つ”と言う信念です。実際“お役に立つ”かどうか、そのトップの力量によるでしょうが、まずは“役に立ている”と言う信念が無ければ、なかなか先頭に立って働けるものでないし、ましてや部下を強力に率いることは出来ません。
教訓2、自分を敢えてピンチに追い込む事が反転のチャンスを生む、逆境が己を強くする。
“改革”の中身は抽象的なものでは意味がありません。彼らは自らマニュフェストを作り、数値目標・工程を掲げる事で敢えて自分自身さえ縛り上げ、目標に追い込みました。私達は最初から実現を諦めている“達成目標”や結論を出さない“会議”で随分時間を無駄にしています、小さな企業こそ“責任回避”の“組織の病”が蔓延していることを恥ずかしく思いました。
教訓3、仕事は人を見抜き、人を得る事で達成出来る
現在、小泉氏が信頼した後継者、安倍総理が迷走しています。竹中氏の強力な懐刀として活躍、氏を後継した大田弘子氏の実行力も疑問視されています。あの“改革”の嵐は旧に戻ったとさえ言われています。小泉・竹中氏などが身を張って開発した“改革の仕組み”を忠実に後継したはずだったのですが、やはり“仕組み”は“人”を得なければ回転しないと言うことでしょうか。

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