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  3. 佐々木 昇さんのレビュー一覧

佐々木 昇さんのレビュー一覧

投稿者:佐々木 昇

243 件中 1 件~ 15 件を表示

マンガ嫌韓流 (晋遊舎ムック)

2005/11/06 23:07

ようやく、こういった類のものが出てきたのは喜ばしいことである。

32人中、32人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 新刊書店でも店頭の目立つところに本書は平積みされているが、これは売れているという証拠である。
 何故、この本が売れるかという事を考えなければならないが、わめき散らし、謝罪と誠意を見せろと韓国がいう事に「辟易している」というのが本音であろう。わめき散らし、謝罪と誠意を見せろというのは暴力団の常套手段であるが、「タチの悪いのに捕まって」という日本人のボヤキが聞えてきそうである。
 戦後も間もない頃であれば「どうせ朝鮮人のやることだから」と無視していただろうが、オリンピックを開催し、日本との共同とはいえワールドカップを開催したのだから、韓国は国際社会ではもう十分に一人前である。いまだに駄々をこね続ける姿が世界にどのように映っているのか、世界の中の韓国ということを韓国は意識をしてもよいのではないだろうか。
 武士道や剣道は韓国が起源と世界に主張するが、小中華を任じる韓国は本当にそのように思っているのだろうか。儒教の世界では確か、文が上位であり武というものは格が下に扱われるのではなかったか。 このことに矛盾を感じないのだろうか。
 慰安婦問題で韓国における「反日」のボルテージは最高潮であったが、それ以前、キーセンパーティーと称して国をあげて日本人観光客に自国の女性に売春を斡旋したのはどこの国だったのだろうか。同盟軍という名のもとに傭兵としてベトナム戦争に自国の若者を戦場に送りこんで外貨を稼いだのはどこの国であったろうか。
 大山鳴動、風俗産業を廃止する法律が施行されると風俗産業で働く女性達が反対のデモを繰り広げる韓国のテレビニュースが流れていた。韓国兵とベトナム女性との間にできた子供たちが1万人近くベトナムに残留していることを黙殺してもいいのだろうか。
 このことに矛盾を感じないのだろうか。
 戦前、戦中、b「朝鮮人、朝鮮人パカ(馬鹿)するな。同じメシくて(食って)同じクソする」、こういって嘲笑された朝鮮人が喧嘩腰になったと祖母から聞いたが、反面、町内に住む朝鮮人の子弟と机を並べた母の記憶の中では「キムマサオという頭が飛びぬけて良い人がいて、いつも級長だった」とも語った。
 母親は日本人であったが、父親が韓国出身者であったために突如として韓国人になった近所のお兄ちゃんの帰化に奔走したのが評者の仲人であった。いつも優しく遊び相手になってくれたお兄ちゃんが秘めた微笑の陰にそんな事実があったことを知ったのは随分と後のことだった。
 確かに、まったく朝鮮人に対する差別が無かったとは言い切らないが、暖かく見守って支援していた人々がいたのも確かである。

 意外にも、今、「反日」で騒いでいる韓国の人々は「逆差別」に気が付いていないのではないかと思う。植民地にされた、搾取されたと韓国人は日本を糾弾するが、そこには儒教社会における外夷として見下していた日本人に優位に立たれたという反動の気持の表れではないだろうか。格下の日本人の分際でと「反日」を叫んで韓国人が溜飲を下げ続けるのなら、日韓の溝は埋まらないだろう。
今回、「反日」に対して遠慮なく反論を挑んだということを韓国はどのように受け止めるのか興味の尽きないところであるが、鉄砲玉を打ち込んだわけでもなく、日韓関係にひびが入ると懸念するよりも冷静に韓国からの反論を期待したい。
 本書の登場は「どうせ朝鮮人のすることだから」と無言のうちに馬鹿にしていた世代ではなく、韓国を対等な国家として認識している現代日本の世代の声と考えるならば、日韓関係にとって大変喜ばしいことではないだろうか。
 逆に、言論の自由という言葉を発するマスコミがこの現象にどのように対処してよいのか尻込みしていることこそ、懸念すべきではないだろうか。

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シルバー・バーチの霊訓 新装版 1

2004/09/05 01:06

生きるということに価値を見出せる言葉の数々が詰まった一冊。

31人中、30人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

病を得て会社を休職した際、図書館で偶然に訳者の近藤千雄氏の本に出あった。
 氏の体験に基づく不思議体験が語られていたが、その中にシルバー・バーチについても触れられていた。気になっていたがようやく本書を手にすることができた。

 今、本書を手にとり、生きていくという意味を示唆され、こわばっていた気持がゆるゆると溶けていくような気分である。
 とりわけ、「暗闇にいる人に光を見出させてあげて、苦しみに疲れた人に力を与え、悲しみの淵にいる人を慰め、病に苦しむ人を治し、無力な動物への虐待行為を阻止することができれば、それがたった一人の人間、一匹の動物であっても、その人の地上生活は十分価値があったことになります」このシルバー・バーチの言葉に感動した。
 また、人生において背負いきれない苦労は無いという言葉に気持が安らぐ思いがした。既存の宗教では救われない私というやっかいな存在にどれだけ意味深い言葉を与えてくれたことか。この世には魂の修行に来ていると言われても、こんな苦労などしたくないと思うのが一般の考えであるが、苦労の意味を説明してくれる。
 あなたとは何か、なぜ生まれてきたのかなど、ふと立ち止まった時に思い起す疑念について丁寧に説いていってくれる。

 健康に見放されたとき、多くの友人たちが真摯に励ましてくれ、勇気づけてくれた。職場に復帰してからも、毎日、昼食に誘ってくれる同僚が居たことがどれほどありがたかったことか。
 シルバー・バーチに言わせれば、きっと、この人たちは地上生活における意味を知っているのだと思う。ありがたい存在を私に与えてもらったと感謝している。

 生きるということに価値を見出せる言葉の数々が詰まった一冊でした。

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私が朝鮮半島でしたこと 1928年−1946年 架橋 農地改良 道路建設 鉄道工事

2006/06/25 21:04

日韓併合は果たして植民地化といえるのだろうか。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 韓国や北朝鮮は日本との併合を植民地化政策として批判をするが、日本が朝鮮に対してどれだけの国家予算を投じてインフラ整備を行ったのかを検証したことはあるのだろうか。自らの力ではとうてい国力を養えない状態にあった朝鮮において、王族や貴族階級から動物以下の扱いを受けていた民衆を解放したのは日本であるが、そういった正の遺産について語られることは一切ない。
 戦勝国でもなく、敗戦国でもない第三国の韓国との条約締結にあたり、韓国に残してきた全ての資産を放棄した日本であるが、対馬は韓国領と主張する傲慢さはどこからくるのだろうか。なんら正当性もない国境線を勝手に引き、侵犯したといっては不当に日本の漁船員を人質として拿捕した韓国である。
 その裏では、韓国から日本への密航者が後を絶たなかったのであるが。
 いまだに多くの日本人は戦前の朝鮮において、朝鮮人民を奴隷として酷使し、搾取した極悪人と思っているのではないだろうか。
 本書を読めば朝鮮総督府が朝鮮全土において社会インフラを整備し、朝鮮人に日本人と同じ教育を与えていたことがわかる。農地解放や米の増産のための治山治水事業がここには克明に書かれているが、驚くべきは著者が朝鮮総督府から請け負った事業の落札価格を記録していることである。
 日本人の独善的な思い込みと思われるかもしれないが、一部の暴走する朝鮮の若者を除いて、日本の敗戦後においても朝鮮では日本の通貨が通用していたこと、朝鮮人の日本人に対する虐殺や襲撃が本書では取り上げられていないことを考えれば、現在の韓国が非難するような植民地支配が行われていなかったのではと思う。
 むしろ、現在の北朝鮮地域にソ連が送り込んだ共産スパイやそれらに扇動された朝鮮人による略奪行為が拡大解釈されて喧伝されたのではと思ってしまう。
 ソ連軍支配下の朝鮮北部からの日本人集団の脱出の話には、満州でのソ連軍の略奪行為と同じことが展開されていることに腹立たしさを感じる。
 しかしながら、著者は遣り残してきた事業が成功していれば現在の北朝鮮の人々が飢えに苦しむことなかろうにと気遣う。
 慰安婦問題や植民地支配を糾弾する韓国、それに呼応する日本の進歩的文化人やマスコミであるが、その裏面は韓国の宗教団体の資金集めのプロパガンダであることに日本人は早く気付くべきである。
 著者は自身が朝鮮で行った事業を忘れない、風化させないためにと述べておられるが、本来の目的ではないにしても、韓国や北朝鮮の日本批判に反論するに十分な回答になっているのではないかと思う。

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『きけわだつみのこえ』の戦後史

2006/04/09 22:01

欺いてまで自己の考えを主張したいエセ左翼の犯罪

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 学生時代、「これを読め」と友人の一人が強制的に押し付けてきたのが岩波版『きけわだつみのこえ』だった。
 残念ながら、『きけわだつみのこえ』を読んでも著者である保坂正康氏のような感動も感激も激情も、まったく沸きあがってこなかった。ただ、同じ年代に達していた学生が書いた文章ではあっても、無味乾燥な文字の羅列としか映らなかったのである。
 むしろ、神社の参道脇で物乞いをする傷痍軍人、従軍経験のある男たち、満州や朝鮮からの引揚者家族、戦争未亡人とその子供のための母子寮の存在などが当然のように身の回りにあっただけに、戦争に対する思いを綴ることができ、更には一冊の本にまとめることができる特権階級者の奢りだという反感を抱いた。
 しかし、それにしても会を乗っ取った連中は、よくも死者、その遺族に対する冒涜をはたらいたものだとあきれてしまう。左翼と世間では称される連中のようであるが、左翼は左翼でもエセ左翼である。
 恣意的に、自己のご都合主義で物事をすすめ、あげくの果ては「わだつみ会」を乗っ取り、寄付金を集めるという裏切り行為は、振り込め詐欺以上の犯罪である。世の中にはエセと冠をつけられた団体所属員がいるが、まさにやっている犯罪の手口は同じである。
 特に、実名をあげられた人物や出版社には強い憤りを覚えた。
 昔、父が酒の肴に話してくれたことがあった。
引揚船の乗組員を徴用解除となり復員のために駅に向かっている時、ひと目で学徒出陣と分かる士官服を着た若者が3人、しょんぼりと佐世保軍港の岸壁に座り込んでいたそうである。
「僕たち、どうやって東京まで帰っていいのか分からないんだ」という青年たちに「これだけあれば、東京までもつやろう」と復員時に支給されたトランク一杯の米を呉れてやったそうである。
「あげな学生あがりまで引っ張り出した戦争に勝つわけはないな」とぽつりと父が口にしたのが印象的であった。
 この学生上がりの海軍士官たちも『きけわだつみのこえ』に出ていた学徒と同じような遺書を残して出征したのだろうか。
 同輩を裏切るような犯罪行為に加担していないことを祈るばかりである。

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収容所から来た遺書

2005/09/04 12:16

俳句が収容所生活にダモイ(帰還)への希望をもたらしたという真実。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 敗戦の一週間前、ソ連は一方的に日ソ不可侵条約を破って満州に攻め込んだ。
 シベリアの刑務所に入っていた犯罪人を俄仕立ての兵隊として進軍させ、兵員を輸送してきた貨物列車には略奪した関東軍の軍需物資を満載してソ連内地へと引返していく。その繰り返しの果てには一般市民の財産を没収し、略奪し、婦女子を強姦して廻った。まさに鬼畜の仕業である。
 更には、日本軍の兵隊を「日本に帰還させる」と偽ってソ連各地の収容所に送り込んだのである。日本軍の兵隊だけでは頭数が足りないとみたのか、民間人の男までもがソ連各地の収容所に送り込まれた。
 これは大きな国際法違反であり、人道に対する罪、平和に対する罪であるが、軍事裁判が開かれた形跡は無く、処罰されたソ連軍人がいたなどとは聞いたためしもない。
そして、なんと、驚くことに、日本政府はこの違法行為に関する賠償請求権を放棄してしまっている。不可侵条約に続いて、またもや赤いキツネに騙されている。
 本書はこの収容所に送られた日本の軍人のうち、ソ連の国内法に抵触したという戦争犯罪人を集めた収容所での話である。戦争犯罪人といっても東京裁判、横浜裁判、その他の裁判同様、満足な裁判も受けられずに判決が下りている茶番劇裁判の結果である。
 ここでも、多くの収容所と同じく、わずか一塊の黒パンを食べたいが故に罪もない仲間を売ったり、一刻も早く帰還したいがために仲間を告発したりと、同じ日本人とは思えない仕業が繰り広げられていた。
そんな殺伐とした収容所の中で山本幡男という人物が俳句の会を開いた。
 無断の集会や紙への記録はご法度の収容所であるが故に、地面に木の枝で俳句を書いて楽しむという方法で一人二人と同好の士を集めていく。
 ダモイ(帰還)、という希望の言葉を胸に抑留者は理不尽な重労働、栄養失調に耐えていたが、その苦しい生活の中での俳句は生きる喜びを収容者に与えていった。
 その俳句の会を主催していた山本幡男が帰還を目前に病に倒れ、日本で帰りを待つ家族にあてた遺書を仲間が届けたのである。紙に書いたものは全てソ連側に没収されるので、山本幡男の仲間たちは手分けして遺書を暗記し、頭に叩き込んで帰国したのである。
 かつての収容所仲間から届く部分、部分の遺書に山本幡男の家族も驚くばかりであったと思うが、地獄の底に咲いた一片の花の美しさに驚きと感嘆の声をあげるしかなかった。アウシュビッツの収容所で過酷な労働と死を待つしかないユダヤ人も、ほんのいっときの夕日の美しさに心を奪われたそうであるが、過酷な条件下でも人は人として生きることができることを山本幡男は証明したのである。

 本書のクライマックス、引揚船がソ連領海を出たところで興安丸のマストに日の丸が掲揚される。この瞬間、抑留者の間から感嘆の声があがるが、この描写だけで言葉以上の喜びを感じる。
 昭和31年、「もはや戦後ではない」と経済企画庁が宣言したそうであるが、その年の暮れ、山本幡男の遺書を頭に叩き込んだ男たちを乗せた興安丸は舞鶴に入港したのである。

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十七歳の硫黄島

2007/01/07 16:04

島を死守しなければならないのは分っても、島に送り込まれた将兵にはあまりに過酷な戦いだった。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いかなる場面でも、著者の「生き延びてやる」という意思の強さが死に行くものと生き抜くものとを隔てたのだと思える。
 我が身に巣くう蚤や虱を日々の糧とし、さらには負傷した傷口に食い込んだ蛆虫までをも生き延びる食料にしたという話には驚愕するしかない。
 投降を呼びかける米軍に従う者、反攻する者、自爆する者、それぞれの選択肢があるのだろうが、いずれの行動を選んだ人々を非難する術を知らない。
 硫黄島を攻める前、アメリカ軍はタラワ、マキンでの戦いにおいて日本軍守備隊の抵抗の凄まじさを経験済みであり、それゆえに想像を絶する艦砲射撃と爆撃を繰り返している。それでも上陸した米軍の被害は甚大なものだったのだから、いかに日本軍が強固に陣地を構築していたかということだろう。
 片や島を死守しなければ日本国民が米軍の爆撃にさらされ、片や奪取しなければ日本への爆撃に向かった友軍機を助けることはできない。互いが、互いのために必要な島だった。
 それにしても、過酷な戦いである。
 著者は両親に心配をさせたくないという配慮から硫黄島での地獄の戦いの日々を語らず、黙々と書き溜めていった。
 本書には膨大な戦いの中の一部しか書き綴られていないはずである。
 しかし、その一部と分っていても読みつづけるには過酷で、著者はどこで米軍に投降するのだろうか、この場面かと願うばかりだった。重くて、重くて、読みつづけるのが苦しかった。
 しかし、直視しなければ著者の苦しみはわからない。
 長い長い、欧米人種によるアジアの植民地支配、経済支配、そしてそれら欧米の圧力に対して撃って出るしかないと判断したのだろうが、軍部中枢の思考能力は傲慢で硬直してしまっていた。世界との協調を図る政治家はことごとく葬り去られていった。
 その陰で、多くの国民が戦線に駆り出されて死んでいったのである。
 また、敵前上陸を行ったアメリカ海兵隊の兵士の多くはアメリカでの市民権を得るために参戦した移民たちである。
 国家と国家の威信をかけ、権力者の意思表示として始まった戦争であるが、最下層の庶民がバカをみただけのあの戦争はなんだったのだろうと振り返らずにはいられない。

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国家の品格

2007/02/24 15:54

グローバルスタンダードは日本を崩壊させる

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸を果たしたとき、世界はアメリカの技術力、国力に感嘆の声をあげ、アメリカとの戦争は無謀であったと日本人は改めて認識した。
 しかし、通っていた中学の担任教師はそのアメリカの快挙を鼻先で笑うのだった。アメリカ人の技術ではなく、ドイツ人、ユダヤ人、日本人の技術力があったからアポロは宇宙に飛び出ることができたのだと。白人、とりわけアメリカ人イコール優秀と固く信じ込んでいた田舎の中学生にはにわかに信じられなかったが、後年、移民国家アメリカには優秀な世界の人材が集まる場所ということが分ってから、「なるほど」と今にしてようやく理解できた。

 そのアメリカが世界で何をしているかというと、自国の国益にばかり邁進している。
 それも、わずか一握りの権力者の我欲を満たすだけのためである。東シナ海のガス田開発ではアメリカを共同開発に参入させなかったが故に日本と中国がもめるように背後でアメリカが中国を刺激しているともいわれる。
 無理やり開国を迫ったアメリカに100年も経ずして日本は戦いを挑み、それも戦闘機から銃、弾薬に到るまで全て日本は自前の武器である。アジア、アフリカなどは欧米の植民地として支配されてきたが、植民地化を免れ、武器を自国で生産し白人国家に挑んだのは日本だけである。冗談の如く語られるのは、日本に米軍が駐留するのは、中国や北朝鮮を牽制するためではなく、日本を監視するためとも。

 敗戦後、経済という力で再び日本は世界に跳梁したが、ことごとくアメリカは日本を窮地に追い込む仕掛けをしてきた。排ガス規制、農産物の自由化、捕鯨禁止、バブル経済、国際貢献、グローバルスタンダード、成果主義などである。
 今、成果主義を取り入れたことで日本の企業の現状は成果を得ることなく崩壊し始めている。技術立国日本の先端技術や技術教育は安定した長期の雇用形態が産出したものである。資源のない日本において世界に誇れる資源は高い資質の人材であるが、その資源というべき人材の教育現場は崩壊している。一人の天才が集団を率いるアメリカと秀才の集団の日本とが同じ土俵で成果主義を導入したらどうなるか。
 職場で周囲を見回せば、マニュアルがなければ仕事ができない連中ばかりではないか。常識のレベルにおいつけない事を恥じるわけでもなく、「教えてもらっていません」と誇らしげに言い放つ企業集団になっているのではないだろうか。目先の快楽を追い求めることを推奨するマスコミに踊らされていないか。
 グローバルスタンダードを標榜するアメリカを疑い、日本はダブルスタンダードを認識しなければならないだろう。著者の主張、賛成である。

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機長からアナウンス

2006/12/24 21:52

興味をもって気軽に読めるけれど、なかなか鋭い指摘がそこここに。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いまや長距離バスか新幹線に乗り込むかのように飛行機を利用しているが、それでもまだわずかに搭乗前の張り詰めた空気にステータスを感じる。シートベルトを締めた時の緊張感、座席の下から持ち上げられるように浮く感触は他の乗り物では体験できない快感である。
 そして、頭では理解していてもとんでもない重量の旅客機が空を自在に飛ぶことに人間としての優越感を感じるときである。
 そんなエアラインのキャプテンが書いた裏話というか、業界秘話というか、一般の乗客では知りえない事に興味が及ばないほうがおかしい。
 スタートはどうしてもスッチーに話題が飛ぶのは致し方ないが、安全問題、環境問題、航空行政、マナー、UFO、人間関係など多岐にわたって引き込まれる話題ばかりである。
 機内誌の軽い読み物的にページをめくることができる内容ではあるが、ふとした箇所にハッと気づかせてくれる文章がある。
 たとえば、厚い雪雲の上空を飛んでいる時に浮かび上がる光に不思議を感じて目を凝らしてみると、夜間スキー場の照明であり、その照明の熱が上昇して雪雲に空間が生じている描写である。
 快楽を求める人間の欲、より長い時間滑っていたいという欲、過疎地における金銭欲が環境を破壊しているという図式である。とうぜん、その上空を飛行している航空機も環境破壊の一翼を担っているのは承知の上だが。
 そして、金を払っているんだから俺は客だ!と息巻く勘違い客をこなしていく客室乗務員の苦労は並大抵ではないだろう。
 24ページにある「優秀なチーフパーサーは評価されない?」という箇所を読んで、これは一般社会にも十分に通用する話だと思う。表面的には何も問題が起きていないから誰にでも易々とこなせると思っている仕事ほど、如才なく周囲に気配りをしている人がいるものである。しかしながら、得てしてそういった人は目立たず、「俺が、俺が」とでしゃばりもしない。
 問題が起きていないから何も起きていないのではなく、問題になるまえに経験と勘とコツで機転を利かせてリスク回避している人がいるという事を見逃しがちだが、機長たちはそれを誰が回避させているかを知っているのには流石と感心する。
 日本の航空行政においては、公務員管制官の甘さ、空港施設体制の甘さを指摘しているが、官僚は民間航空機に乗っている乗客の命は民間が保障するものと考えているのではないか。
 さらさらと読むことのできる文体だったが、なかなかどうして、ポイントにきっちりと着地してくるこの機長の操縦はスグレモノだった。

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事物はじまりの物語

2005/07/01 22:42

続きを期待します。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史小説をたくさん書いた吉村昭氏であるから書くことのできた一冊と思う。
氏の小説を読んでいて驚かされるのは、丹念に資料を集めておられることである。資料収集も一人で行うとエッセイに書いておられたが、資料集めを他人に任せないからこそ、新たな発見をされるのだと思う。
本書は氏が小説の題材に扱ったなかから集めた事物はじまりの一部である。すでに氏の小説を読んで知っていることもあったが、『胃カメラ』の章では事実を追っていったにも関わらず、何故、小説の主人公を架空の名前にしなければならなかったかの事実を知って、「なるほど」と感心してしまった。
本書を読み上げた翌日の朝刊には久世光彦氏がマッチについてエッセイを書いていた。
何故、マッチが日本の輸出品になったのか、「分らない」と書いていたが、本書を読めば解決するのにと思った次第。
吉村氏はまだまだ膨大な資料をお持ちだと思うので、是非、続刊を希望したい。

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がんばらない

2003/12/14 23:20

病と正直に付き合うには「がんばらない」こと。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

父の法事で帰省する飛行機の中で読み始めたが、あまりにも心に迫り来る言葉が並んでいて、飲み物をたずねに来た乗務員に潤んだ目を見られてしまい、照れくさかった。
 諏訪にこんな医療機関があったとは、患者に決断させる医師がいたとは、看護の原点を示してくれる病院職員がいたとは、驚きと羨望が湧き上がった。13年前に亡くなった父も入退院を数え切れないほど繰り返し、危篤状態も数度であった。どんな入院生活を送っていたのかその心の奥は窺い知れないが、亡くなった直後に若い看護婦さんが泣きながら父のヒゲを剃っているのを見たとき、「よかったね」と心の中で父に声をかけた。そんな思い出が次々と思い返され、感動的な医療の現場に何度もページをめくる手を止めた。

 会社で行なわれる健康診断においても検査は流れ作業で行なわれ、バリュウムを飲み下せずに苦しんでいるのが分っていながらもイラつきながら「早く飲んで」と急がす検査技師には殴り倒してやろうかと思えるほどの怒りを覚える。実験動物のように扱われ、何か疑いがあれば大学病院を紹介しますという対応には、人としての扱いはない。
 末期症状でなくても、何か病気になればこの著者が院長を務める病院に入院したいと思う。どうにも致し方の無い「死」というものを迎えるにあたっても、この病院では静かに「死」を受け入れて消化できるのではと思った。一人一人の個性が尊重され、この病院では人が人として扱われている。

 本書の中で「いい話だなあ」と思ったのは59ページの「友情スターマイン」である。
 画家の原田泰治さんと原田さんの幼なじみの「次さん」との話である。小さい頃から足が不自由であった原田さんに代わって「次さん」が原田さんの家の雪かきをするのであるが、「次さん」が息を引き取る間際でも原田さんの家の雪かきをしたのは自分であると名乗らなかった。原田さんと「次さん」との男の友情を見せていただいた。よかった。

 本書の題名になっている「がんばらない」という言葉の意味が154ページに出ているが、ありのままに生きることが困難な現代、ありのままに生きた人たちの話が詰まった本書は医療に関する話であっても、じわりと生き方を示してくれる一冊でした。

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スピリチュアルな人生に目覚めるために 心に「人生の地図」を持つ

2003/12/14 22:56

江原さんは興廃した日本に送り込まれた人?

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

悩み相談でテレビに登場する江原さんを見ていると、映像のインパクトの強さから「本当かな?」と思ってしまうが、江原さんの著書を読んでいると言葉がすんなりと染み込んでくる。毎日の生活にくたびれてしまった時、江原さんの著書を読んでいくと心が軽くなっていくのがわかる。
 この本を読んでいくと「死ぬ」ということが恐くなくなっていく。この世での苦しいことや障害が起きるのも修行であると説かれると、なるほどと納得できる。魂の修行、高い人格の形成を目指す生き方に賛同する。
「人はなぜ生きるのか」、「人生の目的は」、という古からの人間の悩みを諄諄と押し付けがましくなく説かれると、素直な気持ちになれる。

 日本では霊媒というとインチキ臭く、法外な金を巻き上げる輩という印象があるが、本当に悩める人々を救う霊媒は僅かな謝礼しか受け取らない。かつて、助言をいただいたことのある霊媒の方は、ほんの数千円の謝礼しか受け取られなかった。余計に包むと封筒を見ただけで「多すぎると」と言って押し返されてしまう。
 イギリスにはこういった心霊に関する研究が盛んだそうであるが、日本ではおかしな研究と思われてしまう。しかしながら、周囲には「見える」という人も多く、きちんと体系だてて研究すれば悩める人びとの心の支えになるのではと思えてならない。心霊研究を馬鹿にする人がいるが、不思議な現象を科学で証明してから馬鹿にして欲しい。
 心霊について信用する、しないは自由だが、一度は江原さんの本を読んでいただきたいと思っている。

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闘う純米酒 神亀ひこ孫物語

2007/01/21 13:39

とんでもない頑固者がいたおかげで味わえる幸せ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ビールは水の如く、ウィスキーはロック、飲んで騒げばいいという年齢も過ぎ去り、肉体の衰えに応じて肴を選び、季節の肴に応じた酒を合わせ、酒や肴が映える器を見るようになってきた。
 当然、日本酒も純米にこだわり吟醸だの辛口だと選ぶようになってきた。
『闘う純米酒』という物騒なタイトルに惹かれて手にしたが、まっとうな日本酒作りをしている蔵元がホンモノを求めて障害となる組織や人と闘うその半生を記したものである。
 今から半世紀以上も前の戦争中、モノが無い時代に酒も代用品で量を賄い、それでいて税金はまともに徴収するという時代があった。
 それが、なんと戦後の米余り、減反政策を実施するに至ってもアルコール、調味料など、添加物たっぷりの三倍増譲の日本酒を売ることを国家が奨励し、大手企業は安い原価の模造品を広告宣伝費で誤魔化していた。そんななか、本来の日本酒を残さなければ、作らなければと闘志を燃やした人がいたのである。
 埼玉県の「神亀」酒造の小川原良征専務である。
 日本酒離れと言われて久しいが、舌が肥えたいまどき、誰もまずい日本酒もどきを高い金を出して買う奴はいない。べたべた甘く、悪酔いするような似非日本酒を飲まずとも、風味があって良質の焼酎がある。酒税を上げても焼酎の需要が落ちないのは市場原理というものだろう。いまだに偽りの日本酒メーカーが横行する中、税務署の圧力にも屈せずにうまい日本酒作りをしたのだから国民栄誉賞ものだが、誰も評価しない。おかしな話である。
 しかし、読み進むうちにまっとうな日本酒造りなど酔狂にしかできないことがわかる。
 有機栽培の酒米を求め、過酷な肉体労働、目に見えない麹の動きを経験と勘とコツを頼りに長い長い年数をかけて醸し出していくのである。
 マニュアルで作業が標準化され、基準内の質、早くて便利、生産性と効率が上がり利益が確保されれば評価されるという時代の趨勢に逆行しているのである。
 すでに図体が大きくなりすぎた大手の日本酒メーカーにはどれだけ資金を投入しても、市場が求める日本酒は作れないだろう。数値に表れるものだけが評価の対象で、人と手間と年月という把握できないものは評価しない日本の世相がかぶさってくる。
 頑固一徹の小川原専務を評価したいのは、自身の蔵だけにとどまらず日本全国の小さな蔵から求められれば、人、モノ、技術の支援をしていることである。自分だけがよければという狭い了見はない。
 反面、その頑固者はかずかずの揉め事を起こしているが、仲裁に入られた家族の方々も大変な苦労をされたことと思う。しかしながら、その小川原良征氏がいたから今でもうまい日本酒にありつける。
 本書は単なるうまい純米酒のことだけが語られているのではなく、環境問題も含めて、今の日本が抱える社会問題を提起している。
 タイトルに「闘う」という文字が使われたのもなるほどと納得できる。「勝ち組」に与し、易きに流れることを潔しとしないことは多くの人々と未来に安全と安心を与える縁になることを証明してくれたのである。

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アメリカの鏡・日本 新版

2006/04/01 14:26

マッカーサーが発禁処分にした一冊

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ファミリーレストランの先駆的存在であるロイヤルホストであるが、その発祥の地である板付基地はいまや福岡空港として九州の玄関口になっている。その福岡空港ビル内のロイヤルホストの壁面に描かれているアメリカ軍機の星のマークに気づかれている方は少ないのではと思うが、朝鮮戦争時には板付空港はアメリカ軍の前線基地として爆弾を搭載した戦闘機が飛び立っては帰投し、飛び立っては帰投した場所であった。
 ベトナム戦争時にはアメリカ軍機の訓練補給基地であり、小学校の頃、麦畑に激突するのではと思えるほどの低空飛行で一回転をするアメリカ軍戦闘機のアクロバットにあっけにとられたものだった。 なぜ、アメリカ軍がいるのか、まったく理由がわからなかった。両親に尋ねても「日本が戦争に負けたから」という答えばかりで、さっぱり要領を得なかった。
 今、イラクには連合軍が駐屯し、イラクの平和の回復と独裁者の罪をあばこうとしている。ただ、かつての日本占領と異なり、占領地を外部から遮断してくれる海峡が存在せず、利害を異にする国々と地続きであるということが問題解決を長引かせている。
 本書を読みながら、アメリカという国は同じパターンを繰り返していることが理解できる。内容的には日本擁護とも思える言葉が連なっており、日本人からすればこの言葉に酔いしれてしまいそうになるが、アメリカからすれば自虐的と思える内容であろう。
 国外の紛争で国内世論を引き締め、国益確保という大義名分で経済を活性化し、金融とエネルギーを支配しようとしているアメリカの成功パターンが展開されているのが本書である。
 イラクでの問題が片付けば、アメリカは次の紛争のスイッチをどれにするのか、考え始めることだろう。今でも福岡空港や長崎空港には朝鮮半島有事に備えて、在韓米軍の軍用機が飛来しているが、軍事境界ラインが崩れたら否応無く日本が前線基地となるのは避けられないだろう。
 穿った見方をすれば、アメリカの機関が日本の言論界に「自虐」の材料を提供し、「反日」をあおることでアジアにおける日米の権力構造の撹乱を目論んでいるのではと思ってしまう。
 世界の構図を知らされていない中国の民衆が日本の領事を襲撃し、治外法権の象徴である大使館や領事館を襲撃するという図式はかつて、田中角栄首相が東南アジアを歴訪したときの「反日」デモに似てはいないだろうか。
 いずれにしても、アメリカの最終的な目的は中国の市場支配であり、日本はその合法的な橋頭堡でしかないということか。
 仮に中国の市場を手に入れたら、次にアメリカはどこを押さえようとするのだろうか。インドか、はたまたロシアなのだろうか。そのとき、日本はアメリカの先兵としてODAのばらまきをし、アメリカの代わりにパッシングを受けつづけるのだろうか。
 しかし、日本が脱アメリカを試みたら、凄まじい武力侵攻の火種を日本の周辺にばらまかれるだろうなあ。嘆くしかないのか。
 尚、本書は『醜い韓国人』パク・テヒョク著の参考資料としても取り上げられている。

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忘れられた日本人

2003/12/01 22:20

昔、こんな日本人たちが暮らしていたとは、面白く、哀しく、嬉しいやら。

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

西日本を中心として宮本常一が歩いて廻った村村の聞き取りが盛り込んであるが、どこもかしこも面白い話ばかりであった。
 この本の中には「夜這い」という今では死語になってしまった事実が生き生きと描写され、昔の日本はフリーセックスの国であったことが分かる。31ページには対馬の六観音まいりと称しての身体をかけての歌合戦が行なわれているのには微笑ましいやら、羨ましいやらであった。娯楽の少なかった当時としては、セックスも遊びのひとつだったのだろうか。
「芸は身を助ける」という言葉があるが、実際に一芸に秀でた芸人たちは長い船旅の間に乗船客に芸を披露することで乗船賃が無料というのには感心するしかなかった。
 本書の中でほろりときたのが土佐源氏の章、146ページから始まるところである。牛を商う男が得意先の身分の高い官人の嫁さんに惚れるのであるが、互いに身分の差も構わずに愛し合うところである。小説の一場面を読んでいるような錯覚さえ覚えた。
 また、GHQの功績ともいわれる農地解放が農林省主導で戦時中に行なわれていたのが298ページに出ているが、農地解放は日本が弾丸を込め、アメリカが引き金を引いたというものである。
 面白かった。こんなに個性溢れる日本人が居たとは、ただただ面白かった。

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自宅で迎える幸せな最期

2008/08/21 00:08

がんばらずに「死」をみつめることから始まる、「生きる」ということ。

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 現代の日本、人は病院で生まれ、病院で死ぬというシステムになっている。
 都会を彩る集合住宅には葬儀を行える満足なスペースすらなく、よって、お通夜、葬儀は斎場を借り切って行う方が遺族、さらには弔問客にも便利なシステムになっている。
 この夏、都内のある斎場でのお通夜に出向いた時、まるで巨大スーパーのレジコーナーのごとく各家ごとの会場が分かるように大きな看板がずらりと並んでいた。都会においては「死」が流れ作業で処理されていくことに疑問と不安がよぎっただけではなく、両隣の斎場からは宗派の異なる読経が入り乱れ、「死」は都会においては雑踏のなかに埋没していると感じた。

 そんな都会での「死」に対する現実を目の当たりにしたばかりの時、在宅死を支える看護師さんの本書に出会った。老人の在宅介護ではなく、奇跡が起きない限り回復はありえない人々の在宅死を訪問看護という形で支援する看護師さんの体験録である。
 その体験記録は、正直なところ、読み進むには酷な一冊だった。
 日本人の平均寿命に近いか、それを超越した人の場合はまだしも、人としての盛りも経験していない少年少女の「難病死」は、読むのがつらかった。ふと気がつくと、感情が走っていたのか、本を握りしめていた。果たして、この少年少女等は「死」というものをどのように受け入れるのか。「生きたい」と願っても、叶わぬ現実をどのように理解するのか。
 そして、回復という奇跡を信じるご両親はこの事実をどう消化するのだろうか。

 読み終えた後も釈然としない気持ちがくすぶっているが、在宅死を支援してくれる病院、看護師さんの存在に、都会にもこのような「死」を迎えるシステムがあることに少し安心した。
 そして、著者である押川さんは決して時間に余裕があるとは思えないが、なぜ、自身が体験した在宅死を書き残すのだろうか、何を読者に伝えたいのか、という疑問がわいてきた。これは想像でしかないが、老いも若きも生きた証として死者が押川さんの言葉を借りて書き残しているのではないかと思った。

 前述の斎場を後にするとき、ふと青少年の集団が目に留まったが、その視線の先には十代半ばの女の子の遺影があった。
 ゲームのように肉親や見知らぬ人を簡単に殺す社会にあって、生きたくとも生き抜けない人がいること、在宅で死を看取るという立場の方の体験記を読み、頭の中では夏の蝉しぐれが鳴りやまないでいる。

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