佐々木 昇さんのレビュー一覧
投稿者:佐々木 昇
紙の本新しい神の国
2008/01/02 10:30
アジアの実験国家、ニッポンの行く末を考えるに参考となるものでした。
9人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
アメリカの物質的な豊かさと文化に洗脳された敗戦後の日本人は、あの豊かな国アメリカのようになりたいと懸命に働いてきた。ただただ、経済優先で働いてきた。
結果、今の私たちがあり、豊かさと自由を満喫できる世界にいる。
そのなかで、「善」を意識した戦後日本人のなかから「贖罪」の意識が芽生え、「謝罪」を繰り返す日本となっている。
植民地支配を謝罪しろと現在の韓国・北朝鮮から日本は責められるが、今から1400年ほどまえ、朝鮮半島には日本の領土が存在し、新羅に追い詰められた百済王国のために自国の領土を百済に割譲している。
たまたま、60年ほどまえに日本と斜陽の朝鮮が合邦したが、それを植民地支配といわれたら、1400年前のできごとは歴史のなかの架空の史実となってしまう。植民地支配というが、国家予算の20%を朝鮮半島につぎ込んで社会インフラを行なった宗主国がどこにあっただろうか。
人民の食料確保を無視して貿易産品を優先させたオランダ、イギリスなどが支配したインドネシアやインドなどのことを植民地支配というが、朝鮮や台湾などは植民地とは名ばかりで実のところは巨費を投じた開拓だった。
そういう日本も、大和朝廷が白村江の戦いに敗戦した後、亡命百済人によって受けた文化、政治、軍事の恩恵は大きかった。
ある意味、日本というのは大陸や朝鮮半島から追い出された人々の移住先であり、アジアの実験国家ではなかったかと思う。
あのアメリカがヨーロッパの実験国家でありながら、様様な制約をうけつつも独自の文化を醸成しヨーロッパ大陸に対抗できる存在になった姿に日本を重ね合わせると、不思議とブレを感じない。
そう思うと、北京政府や韓国・北朝鮮の意向に左右されることなく、アジアに同化するのではなく、実験国家としての道を進むという意識をもてば、日本という国のこれからが見えてくるのではと思う。
2007/02/04 08:14
これは、大人のための食育書です。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「失礼ですが食事になっていません」
巻頭の食生活自己診断表に従って日常の食生活をチェックし、127ページの採点表に照らしあわせた結果である。
まずは、嘘だろうとしか思えない。
毎朝、朝食は少しでも食べる、酒は飲むが煙草は吸わない、缶コーヒーは嫌いなので飲まない、好き嫌いはない、加齢とともに肉食は少なくなった、魚を中心に食べる、暴食はしない、甘いものは好きだが食べ過ぎない、体重オーバーでもない。
どこが、なぜ、という疑問を抱きながら読み進むしかなかった。
ふと、思い当たるのは、日常的に米を食べないのである。
一日に一粒の米すら口にしない日もあり、それでも別段困らない。 もともと、海外に長期で出かけても日本食の禁断症状が出ない方だが、簡単に食べられるパンか麺を口にする方が多い。
玄米が身体に良いといわれて玄米を加えたご飯にしたことがあったが、最後まで口に合わずに食べなくなり、いつしか止めてしまった。これも米を食べなくなった原因のひとつである。
米を食べなくなれば必然的に筆者が勧める味噌汁をすする機会は無くなり、漬物は無縁のものになる。朝はパンとコーヒー、昼はそば、夜は酒に少しのつまみで大丈夫。これでは栄養が不足というか、食事になっていませんと診断されても致し方ない。
ここで完璧な食事に走りたがるのが日本人だが、著者は基本食を押さえればそこそこでいいと言う。それも総合点数でいえば70点でいいという。食事は寺の坊さんの如く修行なのではないから、一般の方であれば難行苦行の食事にする必要はないという。通常、あれはダメ、これもダメ、と言われると欲望を押さえきれずにストレスが溜まるが、食事には楽しみもなければということで少しはいいでしょうとなる。
このひと言はありがたい。
三里四方に医者いらず、という諺があるが、自分の住んでいる三里四方で取れるものを食べていれば医者も要らないほど健康であると昔の人は言い伝えてきた。
いまや、肉や魚、野菜などが三里どころか空を飛んでやってくる時代である。どんなに高い医療技術をもってしても対処できなくなるのは自然の理だろう。三里四方で食材が入手できないのならばせめてその内容に気を使うべきだが、誰も教えてはくれない。
病院も薬による対処療法しか指示してくれない。
この本にはがんを患った方のビフォーアンドアフターの食事指導例が掲載されている。
どれも無理の無い食事の撮り方が紹介してあり、がんでは無くとも成人病の方、成人病予備軍も大いに参考になると思う。
年齢を食えば病気のひとつやふたつと仲良くやっていかなければと人生の先輩がたは口にされるが、仲良くするよりも今からでも食事に気をつけていったほうがいい、そう感じ入った。そう思うと、これは、大人のための食育書かもしれない。
2007/01/23 22:35
小中学生レベルのニュース解説とのことですが、知らないことばかりでした。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
毎日中学生新聞、小学生新聞に連載された小中学生向けのニュース解説とのことだったが、なんのなんの、社会に出て随分と年数が経っているのに知らないことばかり。日ごろ、いかに新聞を真剣に読んでいないか、自分の周囲に関係することしか興味をもって読んでいないか反省しきりでした。
同時に、理解しやすいニュース解説だったので、朝礼でのひと言に加えたり、昼休みの語らい、営業先での話の継ぎ目、居酒屋での薀蓄話に欠かせない一冊になることは請け合いです。
日常、どうしても早く様々な情報を得ようとして新聞記事の流れに沿ってしまい、全体の文章から漠然と意味を知ってしまう。突き詰めると基本的なことが解らずに理解の中心がぶれてしまうが、これはその中核を押さえた解説なので「なるほど」と感心してしまった。
特に国際問題における「中東問題」などは硝煙の陰に隠れて本質が見えにくくなっているので、大きな流れを振り返るには便利でした。
きちんと政治、経済、国際問題と分類されているので、会社のデスクに常備しておくと便利かもしれない。
などと言いながら、ふと、己が理解力は小中学生レベルか、と恥じ入った次第です。
でも、使いでがあります。
紙の本むかし卓袱台があったころ
2006/12/24 21:47
卓袱台を使わなくなったのはいつからだろう。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ものごころついた時には卓袱台で食事をしていた。折りたたみの足は立て付けが悪く、ガラス窓をキーキー鳴らすような音が引っ張り出す時にするので嫌いだったが、塗りの悪い表面の塗料に螺鈿のような模様があって、そこを目印にして座るのが好きだった。
背表紙の卓袱台という文字に吸い寄せられて手にしたような一冊だが、ほかほかの家族というものが織り込まれているのかと思いきや「死」というものが隠れていたり、においが漂っていたりして、久世光彦ワールドの一端を見た気がした。
両親の世代と著者の世代が同じなので、すでに世を去った両親やその兄弟姉妹からの昔話を聞いているかのようだった。生活をした場所は地方と都市との差はあれ、人と人との間合いが保たれた時代だった気がする。
変に他家に乗り込まず、壁も作らずといった感じだろうか。
丸い卓袱台が家族を一つに構成し、卓についたそれぞれが等しく均等に顔を見ることができ、唯一、父親だけが少し別格だった。
この作品は久世光彦の幼少から青年時代までが綴ってあり、日本が泥沼の戦争にのめりこむ頃から高度経済成長に突入する前までの年代史的な要素も併せ持っている。
ふと、昔は近所のお医者さんが自家用車を運転して往診に来てくれたのを思い出した。一通りの診察が終わり、細い針の注射を打たれ、ガラスの小瓶の水グスリのときであったり、後で看護婦さんが届ける粉グスリであったりしたが、お湯を張ったアルミの洗面器で手を洗う先生を布団の中から見ていたのを思い出した。
最初の「願わくば畳の上で」という作品を読んでいる途中からこの病気の時の光景が現れてきた。
そして、虚無僧。
大阪駅前の交差点や巣鴨の参道で立っている僧は丸い笠をかぶっているので恐怖感はないが、時代劇に登場する虚無僧そのままは恐ろしく、玄関口に立たれると早くに帰って欲しいためにしぶる母親にせがんで5円玉を渡すことが多かった。
「ありがとう」のひと言も発せずに踵を返して立ち去る虚無僧をガラス窓の陰から本当に帰っていったのかどうかを恐々確かめていた。
久世氏はこの作品の中でも書いているが、小さい頃から記憶力が優れていた。
だからこそ、幼い頃から見つづけてきた変化の細部を余すことなく書き記すことができたのではないか。
そして、そこから生まれ来る父親の死というものと自身がやがて迎える死とを重ねあわせていっているが、行間と行間に潜む著者の「死」に対する思いを読み取ることができる。
卓袱台という文字にノスタルジックを感じている暇などなく、過ぎ去った恥ずかしき半生を思い出させる恐ろしいものだった。
紙の本生きもののおきて
2006/10/29 15:59
現代版「鳥獣戯画」ではないかと思いました。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
動物写真家の岩合 光昭氏が1982年(昭和57年)8月から1984年(昭和59年)3月までの1年半、タンザニアのサバンナにあるセレンゲティ国立公園に滞在した時の写真集である。岩合氏は家族をともなっての写真撮影をされているので、あるいは、生活記録集といってもいいかもしれない。
この写真集、動物の親子のくつろぐ姿や出産シーンから始まり、生物の営みを見るには期待を外さぬものだったが、突如、群の移動の最中に川で溺れ死んだヌーの死骸に食らいつくハゲワシ、獲物を噛みしだくライオン、繁殖期のメスを巡っての獣たちの争いがあらわれる。
子供向けの絵本の世界ではかわいいゾウさん、ライオンさんたちが、想像を絶する死闘の最中にいることに「むごたらしい」と思ってしまう。特に、ライオンがトムソンガゼルやヌーの幼獣を真っ先に襲って腹を満たしているのには目をそむけたくなる。
また、ハイエナが母親の体内から生まれ出る寸前のヌーの子どもをさらっていく話には、畜生のすることとはいえ「やることが汚い」と憤ってしまう。
なんと野生動物の世界は不条理な世界なのだろう、と哀れんだり、怒ったりした。この世界の創造主はなんと不公平な格差社会を作ったのかと。
この写真集には衝撃的とも思えるシーンがたくさん出てくるが、岩合氏は淡々と動物の世界を語っている。人間という動物の一種として野生動物の中に存在を埋没させようという意図がうかがえるので、カメラレンズの焦点はあえて一般向けの一枚にはなっていない。
チータに襲われ骨と皮だけになったトムソンガゼルの幼獣を見て岩合氏は幼い娘さんに問いかける。子どもを奪われたトムソンガゼルの母親の視線を感じる中で「かわいそうだね。でもまた産みゃいいさ」と言った娘さんの言葉を紹介されているが、まさかと絶句する野生の世界の言葉だろう。
ライオンがチータの幼獣をいたぶり殺す。それも腹が減ったから食べたいのではなく、ただ殺す。ライオンの幼獣もハイエナに食われる。強いといわれる動物の中でも「また、産みゃいいさ」の世界がある。
ふと、人間にそれぞれの動物の毛皮を着せて社会を営ませたら、野生動物の世界そのままではないかと思った。
人間には宗教があるから、モラルがあるからといいながら、宗教戦争は終結を見ず、人種間の対立は雨後のタケノコのように沸きあがってくる。昨今の親殺し、子殺し、無差別殺人然り。
つくづく、人間は愚かだなあ、野生動物と変わらないじゃないかと、この現代版「鳥獣戯画」を見て考え込んでしまった。
紙の本典子44歳いま、伝えたい 「典子は、今」あれから25年
2006/09/03 19:59
懐かしい友人に久しぶりに出会った感じでした。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ふと、書店で平積みされている本の一群の中にあった本書を見かけたとき、連絡のとれなかった友人に偶然に出会った感じだった。
お互い、年齢をとったねえ、と声をかけそうになるくらいだったが、幸せそうな顔つきに安堵を覚えた。
生まれつき両腕のない子として生まれたのり子さんであるが、その昔であれば奇形児として忌み嫌われる存在であった。
しかし、彼女はなんの屈託もなく登場したのであるが、その心中の葛藤ははかりしれないものがあったに違いない。
一般の児童と同じ小学校に入学を許され、この両腕の無い女の子がどうやって学校生活を続けられるのか不思議でならなかったが、いつしかマスコミに登場しなくなった彼女である。それでも、公務員となり、結婚して子供にも恵まれたとまでは知っていた。
その後、どうしているのかは気になったが、こうやって再び登場してきたのり子さんは再び鮮烈だった。
今、新しい挑戦を始めた彼女である。言い訳と誤魔化しで生きてきた自身の半生を振り返り、まだまだこれから長いよと励まされた感じである。
気付かれた方は少ないと思うが、本書は和暦で年月の経過が書かれているが、和暦で育ち、昨今の西暦表示に違和感を覚える身には極めて時の経過がすんなりと理解できるものだった。グローバルスタンダードといいながら、日本には日本の時間があることの安心感を改めて感じたものだった。
年月の経過といえば、思わず笑ってしまったのはのり子さんのビールの飲みっぷりのよいことである。さすが、火の国女は酒にも強いなあとうなってしまった。
今度、ビールのジョッキを鳴らすとき、のり子さんの今までの人生とこれからの人生に乾杯したいと思う。
2005/10/22 20:24
はたして、日本は継続的な支援を世界の諸国に行うことができるだろうか。
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
カンボジアでの内戦が終わったとき、自衛隊が地雷撤去、橋や道路建設のために派遣されたが、これを海外派兵として反対する日本人たちがいた。なかには現地まで出かけて行って反対活動をしていたのがいるが、その一人が辻元清美である。自衛隊員の戦闘服の胸ポケットを指差し「コンドームが入っているんじゃないの」と詰問する様は「アホか、このオバはん」であった。
自衛隊が撤退した今でも、現地のカンボジアでは自衛隊の不発弾処理班だった方々が定年退職後に不発弾や地雷処理の指導者として活動しているが、日本の組織的な支援もないなか、こういった方々が継続して支援を行っていることに深い感銘を受ける。「なぜ、あんなに早く日本の自衛隊は帰ってしまったのか」との声が現地から聞えるというが、疑惑の辻元のオバはんはこれをどのように思うのだろうか。
難民救援という活動を緒方貞子氏は行ってこられたが、判断、決断を下すには現地の情報が必要と職員の情報収集を督励する。更には、現地に自ら乗り込んで実態を調べるという現場主義には感心するしかない。屈強という言葉とは縁遠い方がヘルメット、防弾チョッキを身につけての現地視察など、ミッションとはいえ、並みの意思ではできない。
ボスニア紛争では各国の軍用機が国連難民高等弁務官事務所の要請を受けて支援物資をサラエボ空港に空輸するが、どれだけの日本人が緊迫感をもってこの人道支援を見ていただろうか。なかでもイタリア軍の輸送機が撃墜され搭乗員が死亡していることなど、どれほどが日本に報道されたのだろうか。
確か、この紛争の最中だったか、ドイツ軍のヘリコプターが取残された日本人を救出したこという記事くらいしか記憶に無い。
国連決議を待ちきれず彼等なりの正義の剣を振りかざしてイラクに侵攻した米英軍とは対照的に復興支援に出かけて行った自衛隊は人道支援として称賛されるべきである。派遣に反対する市民団体とやらには世界の紛争は対岸の火事、もしくは好戦的に自衛隊が侵攻しているとしか映っていないのだろう。これでは極めて狭い視野で世界を見ている偏狭的なナショナリズムではないか。
緒方氏も述べておられるが、今後、人道支援においては日本の役割が大きく求められるだろう。日本が世界から尊敬を受ける国になるには、金だけではなく人材提供も必要だと考えるが、その際の対応策として選択徴兵制を導入してはどうだろうかと考えることがある。
成年に達した男女が国内での救急活動や福祉施設及び介護施設などでの活動を選択した場合には2年間、自衛隊に入隊した場合には1年などと期間を限定し、いずれかの義務を行使する。自衛隊に入隊した場合でも海外の復興支援活動であるインフラ整備、経理や通信、支援物資管理、教育などの後方支援に従事するなどを考えたらどうだろうと思う。
緒方氏の国連難民高等弁務官としての活動を綴った本書を読みながら、彼女の意志を引き継ぐリーダーが出てこなければ、いつまでも単なる金儲けの国ニッポンの評価しか得られないだろう。世界の資源をがぶ飲みした上に日本の繁栄があることを忘れてはならず、相互扶助としてのシステムを考えるべきではという感想を抱いた。
紙の本流転の王妃の昭和史
2005/08/24 21:04
皇帝陛下はチキンラーメンがお好き。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
極東軍事裁判の映像で、満州国皇帝であった溥儀は満州国は日本の傀儡政権であり、自分はその政権の座に座らせられていただけであると述べている。
事、ここに及んで何を弁解がましいことをと思ったが、内実、弁解の一つも言いたくなるような事実が本書に出ている。
豊臣秀吉が明国に攻め入る前、明も小中華の朝鮮も日本の実情を知らず、秀吉は明や朝鮮の文化を尊重せず軍事力だけが真実であった。
本書は清朝最後の皇帝溥儀の弟、溥傑に嫁いだ嵯峨家の浩の自叙伝である。
日本の軍部の政略とはいえ、突然の溥傑との結婚に驚くと同時に、溥傑に対する憧れが窺われていて、人身御供の結婚ではなかったことに一抹の安堵を覚える。
国が滅ぶとは情けないものであると思うのは、清朝の皇后が拘束され廃人となっていくところである。それも、アヘンによる中毒というのも重ねて情けない。
清朝はイギリスが持ち込んだアヘンによって急速に国力を失っていくが、そのアヘンによって本当に滅んでしまうとは皮肉なものである。
救われるのは、溥傑と浩との間に子どもが二人居たことにより血脈は保たれたということか。ただ、天城山心中事件は知っていたが、これがいかに深い意味があったのかは本書を読んで理解できた。突然、子どもを失うという親の立場に、みぞおちをぐいぐいと突き上げられる感じであった。
豪華絢爛な宮廷文化と軍事力を背景にした日本の軍部の対立、五族協和という名のもとに満州族が犠牲になり、満蒙開拓に踊らされた日本の人々の結末はいまだ残留日本人孤児として解決はしていない。ソ連の侵略に備える国防ライン確保とはいえ、関東軍の専横には憤りを覚える。
本書の中で唯一心休まるのは、かつての皇帝陛下である溥儀がチキンラーメンが好物だったということである。
溥儀は日本のチキンラーメンを口にして、どのような感想を抱き、思いにふけったのだろうか。
2005/03/19 11:31
北朝鮮工作員の歴史はソ連にあり。
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
日本が併合した朝鮮について、その併合の歴史を日本人の側から語るのは弁解のように見られる風潮がある。
朝鮮人が語る併合の歴史は残虐の限りを尽くした日本人が登場するが、強制連行同様に「神話」なのではと思ってしまう。むしろ、生殺与奪権を握った王族と両班が支配した時代の朝鮮の方が残酷な統治で有名である。日本の併合後の統治と朝鮮王族・貴族の統治を混同しているのではないかと疑問に思うことがあるが、本書はその疑問を解決してくれるものだった。
著者は苦労して朝鮮の京城帝国大学に進学し、朝鮮総督府の警察官僚になっているが、朝鮮人が語る日本支配の残虐さなど微塵も感じられないのはどうしてだろう。逆に、京城帝国大学の同級生には朝鮮人が多く、日本人と同じ教育を受けていたという事実をどのように解釈すればよいのだろうか。
創氏改名について後の時代の人間が作り上げたものであり、軍隊への参加も強制的なものではなかったと著者は語る。当時の朝鮮ではハングルでの電報が打てたという事実には大きな驚きを覚えた。
本当に日本人が残虐な支配をしていたならば、著者のためにかつての同級生が同窓会など開いてはくれないだろうし、韓国の大統領がかつての恩師である日本人教師を大統領府に招待するなどはしないだろう。
本書の中で驚くのは、ソ連軍が朝鮮人をモスクワ周辺に連れて行き、スパイとして養成していたことである。養成後、朝鮮内部に潜入させ、日本の軍事情報を収集させていたのである。そのスパイの親玉がソウル駐在のソ連領事だったのには唖然としてしまった。著者がソ連軍から送り込まれた朝鮮人スパイを逆スパイとして活用したシーンはスパイ映画そのままだった。今、北朝鮮から多数の工作員が日本に送り込まれているが、そのスパイ活動の手法はソ連軍のやり方そのままだという。
朝鮮戦争が勃発したとき、マッカーサーは朝鮮と満州の支配は日本の防衛ラインとして必要であったと弁明した。マッカーサーに処刑された東條英機は、朝鮮と満州は日本の防衛ラインであると極東軍事裁判で主張した。東條英機が生きていたならさぞかし悔しがったことだろう。
思うに、反日教育を施された韓国・北朝鮮の動きは背後で蠢くロシアの思惑に日本や韓国・北朝鮮が翻弄されているということではないだろうか。東アジア地域で隣国同士の政治的紛争を喜んでいるのはロシアかもしれないし、中国にマーケットを求める欧米諸国なのかもしれない。
いずれにしても、反日一色に染まる韓国・北朝鮮、反論もしない日本という図式は日本や韓国・北朝鮮が超大国に玩ばれるだけだろう。西郷隆盛の出身地であるという理由から日韓首脳会議の会場を変更しようといった動きがあったが、征韓論という字句だけでアレルギーを起こすのも考えものだと思う。
竹島は自国の領土と主張する韓国の姿は、戦後のどさくさに駅前の一等地を勝手に略奪していった在日韓国・朝鮮人の姿を思い出させる。李承晩という大統領は戦勝国でもないのに対馬を韓国に編入しようとし、竹島を奪っていったが、これは火事場泥棒である。
戦争に負けたが故に朝鮮での出来事は韓国・北朝鮮の言いなりであるが、日本人は今一度、歴史を正しく検証すべきではないだろうか。
そんな中、ソ連の侵攻に備えて防衛の最前線にいた著者の証言は貴重なものである。
紙の本歩兵の本領
2004/09/10 23:13
イラクに行っている自衛隊員もこんな体験をしたのだろうか。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
浅田次郎が自衛隊にいたことは有名な話である。
この作品は著者が経験したものにフィクションが加えられているのだろうが、一般人が覗き見できない世界が広がっていて興味深いものだった。男の世界で繰り広げられる人間模様にホロリとさせられ「泣かせ屋」にまた泣かされた。
不審船を追いかけた護衛艦に乗っていた奴がいる。
「イラクに行けと言われたら、行く?」と尋ねると、「喜んで行きます」と即座に答えが返ってきた。
「お前、イラクに行ったら死ぬぞ」と注意をしても、「自衛隊に入った時点で覚悟しています」と、これもあっさりと答えが返ってきた。
彼は本書の第5章『入営』に出てくる「学生」と同じく、大学入試に失敗して自衛隊に入ったのだったが、自分の希望で海上自衛隊を選んだのがせめてもの意地とでもいうものだろうか。
鉄条網で囲まれた自衛隊の中はどうなっているのか分らないが、近代的な軍隊もどきの自衛隊に私刑が描かれているのには驚きであった。
それでも、登場する若者と古参の兵隊が織り成す話に引き込まれていく。非日常世界が展開される自衛隊であるが、浅田次郎が自ら飛び込んでいった組織は格好の小説の材料となった。
もし、非日常を体験するために浅田次郎が自衛隊に入隊したのだったら、なかなかのチャレンジャーではないだろうか。
紙の本地獄を極楽にする方法
2003/12/01 22:02
明快に悩み相談を捌く美輪明宏という人は妖怪か?
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
多数の人生相談に回答したものをまとめた一冊である。
かくも多彩な相談事を美輪明宏さんは親切に、励ましながら、悩める相談者を救っているが、相談内容を読んで「ふざけるな」と言いたくなる相談者には一刀両断のもとに切り捨てている。まるで勧善懲悪のお裁きを見ているが如くであった。
どの章の相談内容をとってみても、周りで見聞きしたものや体験したものが含まれている。
死んだ我が子を生き返らせて欲しいという母親にお釈迦様は死者の出たことが無い家を捜しなさいと諭したように、美輪明宏さんの相談者への回答は「気づき」を覚えさせてくれるものだった。
また、美輪明宏という人がいかに苦労に努力を重ねてきた人であるかが窺いしれるものだった。芸能界で他の俳優と互角に勝負するには女装をして自分をアピールしなければという決意など、何故という疑問が氷解する一冊でした。
2008/04/06 09:12
アメリカの江原啓之さんが語るスピリチュアリズム
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
スピリチュアリズムにおける日本での宣伝マンとなったのは江原啓之さんだと個人的には思っている。
ペアを組んでおられる美輪明宏さんや亡くなられた俳優の丹波哲郎さんが様様な「あの世」にまつわる話をされたり、本にされたりしていたが、スピリチュアリズムという言葉の市民権を勝ち取ったのは江原さんの功績ではと思う。
しかしながら、その江原さんへの相談事の多くは恋愛問題、対人関係、金銭問題というものが主である。それ故か、江原さんの著作の多くはそれらの問題への対処方法である。
江原さんの奥様自身が恋愛問題の相談で江原さんを訪れたのだから、そもそも江原さん自体が開いた門戸にも原因があるから仕方がないが、それでも時おり、亡くなった方への思慕を募らす遺族の相談事に応じる場面を見て、カウンセラーの最も必要とされる役目は遺族に安心と希望を与えることではないかと思う。
本書においては亡くなった方々へのアプローチが多く、同じスピリチュアルの世界の人でもこれほど内容が異なるのはどうしてだろうと思った。
編集の仕方が違うのだろうか、それとも世界観が違うのだろうか、何が違うのだろうかと思いながら読み進んだ。正直なところ、江原さんの本に出てくる相談事に辟易している。お手軽ラッキー幸せになりたいという厚かましい悩み相談に取り組む江原さんに怒りにも似たものを覚えることがある。
しかし、このスーザンさんの相談事には人の生死にまつわる悩みや苦しみを癒したものであり、人生においてもっと大切な愛する人を失い現世で苦しむ人々に希望を与えている。
果たして、アメリカ人は日本人と異なる人生観を有しているのか、と考えたが、同じ人間であることには変わりがない。
さすれば、何がどのように違うのだろうかと再び振り出しに戻るが、どうにも現代の日本人には宗教観というものが欠けているのではと思った。スーザンさんのセミナーに参加した人々には、その根底に宗派は異なれど宗教を前提としてのスピリチュアリズムがあるのではと思った。人々の重く、暗く、深い淵に一条の光をスーザンさんが人々にもたらしていると感じる。
なぜ、何も悪いことをしていないのに突然の不幸が我が身に降りかかってくるのか。
その様様な苦しみを釈尊が説いたにも関わらず、振り返る時間を持たないほど多忙なのが今の日本人なのだろう。
それでも、ふと立ち止まらざるえない局面に立った時、世界の中で自分だけが不幸なのではなく理由があるのだとスーザンさんがこの本を通して教えてくれるのでした。
2008/02/24 08:00
いつ死んでもいい、と思っていても、いざとなったら焦るのだろうなあ。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
自死、病死を問わず、瀬戸内寂聴師の文壇での付き合いがあった方々を中心とする追悼の辞が収められているが、その中で最も印象に残るのは遠藤周作の言葉だった。以前にも、何かの本でこの遠藤周作の「死」に対する言葉を読んだが、何度読んでも、うまく言葉に表現できないが胸に迫るというか詰まるものがある。小説の中で、キリスト教殉教者の処刑死や、ましてやキリストそのものの「死」を描いている遠藤周作が、「死」に対して恐怖を抱いているのが信じられなかった。もしかして、殉教者、キリストの死を通して自らの「死」を考えていたのかと。
そして、井上光晴との、少し長めの追悼の辞だが、私小説のひとつの件を読んでいるかのようだった。
読み手、そのそれぞれに思い入れのある方に強い印象として残る内容と思うが、寂聴師にとっては、やはり、実父なのではと推察する。逆縁ではないにしても、自身がこの世に生を受けた源である親への思いは年齢を重ねるたびに深くなっていく。師の実父に対しての語りは、自らの身を切り刻むが如くして書かれたのではないかと思われてならない。
ひとつひとつが短く、簡素な言葉で綴られているが、それだけ文章を削り、言葉を選んで書かれたものというのがわかる。故に、じっくりと思いに耽りながら読んだ。
紙の本頭山満直話集
2007/06/18 20:36
痛快な椿事に笑うしかない。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
政治結社の玄洋社を率いた頭山満のことを知っているならば、さもありなんと笑える豪傑話ばかりである。
しかし、頭山満や玄洋社のことを知らない人にはおもしろくもなんともない一冊である。
どころか、どこかの爺さんの自慢話かホラ話としか思わないだろう。
もともと世間に名をあげるよりも無名であることを誇りとする玄洋社の面々は、自らを語らず、更には書き残すことをしなかった集団である。
故に頭山満はその尋常ではない行動と言動から「右翼の大物」というレッテルを張られた。
辛亥革命の孫文、韓国独立革命の義士である金玉均、インド独立の闘士ビハリ・ボースを匿い、支援をしたのが頭山満を中心とした志士たちであるが、日清、日露戦争の戦役を仕掛けたということで穿った見方をされるのだろう。
また、敗戦後に玄洋社はGHQから解散命令を受けたことで悪玉というイメージに染められたことも一因かもしれない。
頭山満の語りのなかに維新政府の顔である板垣退助や伊藤博文、山県有朋などの姿も垣間見ることができるが、なかでも現職の総理大臣である伊藤博文の頭に小便をひっかけて豪快に笑い飛ばした安場保和の話は爆笑ものだった。
その安場保和の娘婿が後藤新平だが、頭山はこの後藤新平を高く評価している談話が出ているのは興味深い。
また、本書の中でなるほどと感心したのは、征討軍として会津を攻めた板垣退助が落城間もない城に米や味噌を密かに運び込む農民か町民をみてその姿に大きく感動し、万民一様に君国に忠節を励むようにならなければ本物ではないと悟り、その後、四民平等の自由民権運動に転じた件である。
尚、伏せ字の談話が数箇所あるが、なかでも西郷隆盛が口にしたという禁止用語はご愛敬。
2007/03/31 09:12
作られた犯罪から考えさせられました。
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書を読み進んでいくうちに、ライブ・ドア事件、ロッキード事件、そして伊藤博文暗殺事件が頭をよぎっていった。
いずれも現在のロシアになんらかの形で関わっている。
こじつけかもしれないが、ホリエモンはロシア製の宇宙船で宇宙旅行をぶち上げ話題をよんだが、その後、衆議院選挙に落選、粉飾決算で逮捕、起訴された。
田中角栄元総理はロッキード社からの裏金で有罪判決を受けたが、以前からシベリアの資源を開発して新潟を経由して首都圏に供給することを画策していた。
そして、伊藤博文は東アジアの政治的安定を求めてソ連の高官と協議するためにハルピンを訪問したが、そこで暗殺されている。
本書の著者は鈴木宗男事件の黒幕として逮捕、起訴された。鈴木宗男氏と北方領土返還と日露平和条約締結に向けての交渉の最中である。
なにものかが、日本とロシアが接近することを意図的に阻止しようとする動きがあるのでは、と勘ぐってしまう。
およそ四半世紀後には鈴木宗男事件に関する様々な文書が公開されるので、そのときに真相が明らかになることを楽しみにしていると著者はいうが、その頃には世間も世界もなんら興味すら持っていないかもしれない。
特殊情報を扱う職務であった著者であるが、公開できるものとできない情報があると述べているように、それが更に真実を見えなくしてしまっている。それでも、取り調べの検察官との応酬は緊迫感があって楽しめた。
また、小泉政権における日本の政治体制の転換の解説は極めてわかりやすかった。
日本型社会主義が変化したことは格差社会だ、自己責任だという言葉が定着したことからも窺えるが、この鈴木宗男事件が改革の手始めの仕事であるとは誰も分らなかっただろう。郵政民営化法案の可否をめぐっての選挙で平沼赳夫氏ひとりが自民党に復党しなかったが、氏は郵政民営化に反対したのではなく構造改革のありかた、体制の転換に反対していたのだろうか。
毎日、毎日、満員電車に揺られて出勤し、目先のものごとを処理するだけで世界、アジア、日本のことなど考える余地すらないが、なんらかの策が日常に影響していることに戦慄を覚えた。愚民化によって国民を国家の奴隷に仕立てあげている気がしてならない。著者だけでなく、すでに国民は「国家の罠」にはまってしまっているのだろう。