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未来自由さんのレビュー一覧

投稿者:未来自由

371 件中 16 件~ 30 件を表示

人は誰でも愛される権利がある

11人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、世界中を歩き、世界の人々との交流を積み重ねてきた著者の実体験から「憲法を活かす」世界の人々の姿を語った講演集である。
 大統領を憲法違反で訴えたコスタリカの大学生の話は以前に聞いたことはあるが、2004年9月に「勝った」という話は日本との違いを見せつけられた。コスタリカの大統領がアメリカのイラク戦争に「賛成」と言ったことに対し、大学生が訴え、裁判に勝ち、大統領は謝罪して撤回したというから、憲法がどれだけの力を持っているのかがうかがえる。
 コスタリカでは、小学生でも憲法違反の訴訟ができるという。「もしもし、憲法違反ですよ」と電話一本で訴訟ができる仕組みが整っているという。日本とは大違いだ。コスタリカでは、小学校に入学して子どもたちが最初に習う言葉は「人はだれでも愛される権利がある」で、基本的人権をしっかりと教えられ身につけている。
 憲法とは本来そうでなければならない。本書にはそんな具体例がいくつも紹介されている。

 本書には他にも、カナリア諸島にある「九条の碑」「ヒロシマ・ナガサキ広場」の話、アメリカでの憲法守る闘いなど世界の憲法活かす取り組みが紹介されている。
 「世界の人々は、憲法を盾にたたかっている。憲法で一つでも使えるものがあれば、それをもってたたかっている。私たちの憲法は、9条だけでなく人権も、ほかにもいっぱいいいものがあるのに、使っていない。世界の人々はひどい政治状況の中でも民主化のために、少しでもいい社会になれるように、憲法を使っているのです」
 こんな著者の熱い思いが語られている。

 憲法を日々の暮らしに活かすことが今日ほど求められている時はない。『蟹工船』ブームも、若者たちの生き難い現実に対する行動からますます広がっている。
 人権と平和、いまこの本来の役割実現に、憲法を活かす運動を広げることがますます重要だ。ぜひ読んで欲しい一冊だ。

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紙の本小説の心、批評の目

2005/10/15 16:09

文学に何が求められているのか

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 文学と人間、この問題を論じた書が今日どれだけあるのだろうか。新船海三郎は「最近の文学入門書は、といっても、そもそも文学入門と名乗る本が出版されないのだが、もはや文学とは語らなくなっている」と指摘する。
 1950年代出版された加藤周一『文学とは何か』、阿部知二『文学入門』、桑原武夫『文学入門』に共通する「文学とは何か」を新船海三郎は次のように要約する。
 「文学は、いかに生きるべきかを語るものであり、いかに生きるべきかは、おのれの生存のみでなく社会をより善くしようとする善意と努力のあらわれであり、文学はその究極の意味が見出されるものでなければならず、作品を読み終わったあとでは、そのようにわれわれの心に新しい生き方をしめし、変革するものである」
 本書は、そんな文学精神を持ち合わせた人の思いがぎっしり詰まった「文学入門」のその入門編ともいえる構成になっている。
 「小説の心」「表現のこころみ」「私と文学」「批評の目」に構成され、延べ22人がそれぞれの文学観を述べている。
 私がいま一番注目している旭爪あかねは、「納得しがたい現実を批判し、それに立ち向かったりあるいはそのなかを生き延びていく人間の尊さ、いとおしさを伝えていることが、自分の求める小説の(絶対的ではないが)大きな要素である」と語っている。旭爪あかねの小説からは、人間への「いとおしさ」がしっかりと伝わってくる。その心を知ることができた。
 本書から読み取ったことは沢山あるが、その中からもうひとつだけ紹介したい。
 祖父江昭二が、プロレタリア文学の魅力を語っているが、その中で蔵原惟人と小林多喜二の関係を「文芸評論家蔵原惟人と作家小林多喜二との呼応とそれによるみごとな結実も、すぐれた達成・魅力の一つの見本である」と指摘している。まったく同感である。
 『1928.3.15』から『蟹工船』、そしてその後の多喜二の作品へと続く文学運動と蔵原惟人の存在は切り離せないであろう。多喜二が、蔵原惟人を強く信頼し、その期待に応えようとした姿勢に、熱い人間の情熱を感じる。
 さて、最後に新船海三郎氏に一言述べたい。「あなたが魅力ある『文学入門』を書いてください」と。評論家の新船海三郎に大いに期待したい。

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紙の本時代の証言者−伊藤千代子

2005/07/23 05:46

こころざしつつたふれしをとめ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

こころざしつつたふれし少女よ
新しき光の中におきておもはむ
土屋文明詠
 7月21日は伊藤千代子の生誕100年。17日には信州諏訪で「伊藤千代子生誕100年記念行事」が行われ、そこでは澤地久枝さんも講演されたようだ。
 戦前の時代に、権利を主張し、戦争に反対して行動することは、大変な勇気と決断がいった。治安維持法のもとで、最高刑が「死刑」であることを知りながら、命を賭けて闘い続けた人たちがいた。私は彼女彼らを尊敬するとともに、誇りに思いたい。
 1905年に生まれた伊藤千代子は、2歳で母と死別、3歳で父と協議離縁。多喜二がタキに言った「闇があるから光がある」の光を、千代子は自らの力で見つけ、その光を現実のものにしようと全力で生き続けた。
1928年2月下旬、23歳の年に日本共産党に入党。日本共産党に入党することさえが犯罪になる時代である。そして、同年3月15日の共産党弾圧事件で逮捕され、特高による拷問のうえ、刑務所へ拘留される。
 獄中で、夫の変節を聞いた千代子は苦悩に陥るが、頑強に闘い続ける。
 獄中で、拘禁精神病が発症するが、しばらくの間そのまま放置される。特高警察の残虐性を物語る事実に、心の底から怒りを感じる。伊藤千代子は24歳の若さで死去した。彼女の死を悼まずにはいられない。
 3・15弾圧事件で逮捕される直前の手紙に心打たれた。
「現在の社会で最も困っている人達、いくら働いても働いても貧乏している人達の味方になって、そんなわるい社会を何とかよくしたいと勉強している」
「真に真面目になって生きようとすればする程、この目の前にある不公平な社会をなんとかよりよいものとしようとする願いはやむにやまれぬものとなってきます。私の勉強もそのやむにやまれぬ所から生まれてきました」
 「私達学生は、理論的に、科学的に、この現代社会の不公平の原因がわかります。かわった以上・・・、私は一旦思い定めたことを、正しいと信じたことはどこまでもつき進まずにはいられない性質です」ここに彼女の「生きる」ことへの考えが示されている。
 千代子の「心的外傷後ストレス障害」の元凶は、治安維持法と特高警察、そして絶対主義的天皇制にある。私たちは、そのことを忘れてはならない。
 憲法を改悪し、戦争できる国にしようとする企てがある。憲法改悪案のなかには、人間の尊厳を奪い、国民を「国」に服従させようとする内容が盛り込まれようとしている。
 24歳で死亡した伊藤千代子の業績を忘れてはならない。私たちは、彼女のこころざしを引き継ぐ者として、歴史の逆戻りを許してはならない。そして、そこに留まるのではなく、一層の発展をめざさなければならないだろう。

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紙の本となり町戦争

2005/04/30 05:43

悲しくなるほど現代人の想像力の欠如を描ききっている

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とても悲しい。なのに考えずにはいられない。奥深い小説であり、読む者の心に波紋を巻き起こす。これほど一読をお薦めしたい作品も近年珍しい。
いつもどおりの日常。そう、何も変わらない生活なのに、戦争が起こったという。それも、隣り町との戦争。
しかし、どこにも戦争の影響はない。どこにも戦争の気配はない。なのに、広報には戦死者の人数が記載される。
不思議な小説である。不思議な展開である。戦争が起こったというのに、どこにも戦争など起こっていない。そして、日々の暮らしが何の変化もなく続けられる。
変わったことと言えば、役所からの偵察業務の任命通知。この展開さえ何が起こったのか、通知を受けた者にさえわからない。
ああ、人間の無感覚をこれほど揶揄的に描ききる小説があらわれるなんて…。あまりにも悲しい。
イラク戦争の惨劇をニュースの報道で見ても、人の死を実感として感じられない日本人。邦人が殺害された時だけ、人の死の実感を伝えようとするジャーナリズム。戦争で人が殺される想像力や痛みを失った現代人。
この小説は、そんな社会批判を具体的にしているわけではない。なのに人が無感覚になった時の頂点を描ききっている。そこにこの小説の悲しさとリアルさがある。
リアルな戦争はどこにも描かれていない。なのに、社会の、人の、現代のリアルな現実を描いている。
役所が、戦争も土木工事も、同じ業務の一環としてたんたんと遂行するさまの描写は、今日の政治・行政への痛烈な批判を含んでいる。そして、職務を遂行するだけが仕事と考える役人の無思考の愚かさが悲しい。そんな役人ばかりではないが…。
今の現象をこれほどリアルに描いた小説は珍しく、悲しいほどに評価したい。
しかし、偽装結婚をした役所の女性が、偽装結婚相手と業務としてセックスをするという設定には納得できない。いくらなんでも、それほど人間を悲しいものとは思いたくはない。
最終章で、「逢いたい」という男性の言葉に駆けつけた女性に安堵した。しかし、それもつかの間…。
新鮮な小説であり、一読をお薦めするが、人を愚かに描きすぎている点があることを指摘しておきたい。

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人を大切にする政治とは

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

JRの列車事故の日から読み始めた。人の命よりも、利益を優先する企業体質も、政治も、人間を大切にはしない。利益優先という価値観のもとでは、人の命さえ二の次にされる。
誰もが、そんな価値観ではいけないことに気づき、人が一番大切にされる社会を考えなければならないだろう。
南米の石油大国ベネズエラ。しかし、弱肉強食の寡頭支配体制の続く政治の下、国民の貧富の差は著しく、貧困による餓死者が3秒に一人という。
1998年、大統領選挙で勝利したチャベス大統領。本書はこのチャベス大統領の演説をまとめている。
なぜ1998年の大統領選挙でチャベスが大統領に当選したのか。その過程がチャベス大統領の演説によって明らかにされる。
何よりも、人を大切にする政治、誰もが求めていた政治の実現めざして、人民が行動したことである。
そして、公約を死守し続けたチャベス大統領。クーデターによる監禁、殺害の危機、まさに命が奪われる寸前まで追いつめられながら、国民との約束を守り続けた。
チャベス大統領を、命の危機から救ったのは、圧倒的国民の声と行動であった。その後のチャベス大統領と国民が一体となった政治体制に感動する。
「参加型民主主義」。国民が参加する民主主義。日本ではほとんど報道されないベネズエラの素晴らしい前進過程が見事に要約された内容となっている。
貧困者を失くし、誰もが自由と平等のうちに生きられる社会をめざすベネズエラの国民にエールを送りたい。新自由主義と市場優先のグローバリズムを力によって推し進めるアメリカの圧力に屈しないどころか、その圧力を跳ね返しているベネズエラ人民の底力を知ることができる。
演説の中には、大切な言葉がたくさん盛り込まれている。軍人でありながら詩人の心をもったチャベス大統領の言葉に、誰もがこんな政治家だったならと、思わずにはいられない。

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紙の本月光の夏

2004/12/19 08:45

戦争の狂気、平和と生命の尊さを伝え続けたい

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

映画「月光の夏」神山征二郎監督の原作。本書は、「実話をもとに、事実をふまえつつ、創作した小説である」
 映画文化が衰退する中で、一年間で100万人の観客が足を運んだという話題作。その後も、上映運動が続いている。平和と特攻をテーマにした映画としては画期的なことといえる。

 九州佐賀県鳥栖市の鳥栖小学校で、60年の歴史有るピアノが廃棄処分にされることになった。
 「捨てるんでしたら、このピアノ、私にいただけませんか」こうして、一人の女性教師が45年前の戦争中の出来事を語ることとなった。

 1945年5月末、鳥栖小学校にピアノを弾かせて欲しいと二人の特攻隊員が訪れる。音楽学校出身の隊員が、出撃を前に最後にピアノを弾きたいとの想いから、当時はまれであったグランドピアノを求めて訪れたのである。そして、ベートーベンの名曲「月光」を弾いて出撃した青年特攻の姿が語られる。

 この話に、ピアノを残そうという運動が広がり、マスコミも報道するまでに大きな話題となる。
 ところが、ピアノを弾いた特攻隊員の消息を追いかけるマスコミが見つけた人物が、「記憶にない」と語ったことから、実話ではなく作り話だとの報道がされる事態となる。
 なぜ、元特攻隊員は語らなかったのか?

 その背景には、戦後もマル秘事項として封印された秘話があった。「振武寮」という誰も知ることのない秘密の場所。特攻出撃して、なんらかのトラブルで不時着したり引き返してきた特攻隊員たちが、叱責されただけでなく、外部との連絡も断たれ軟禁状態に置かれた場所であった。
 特攻の出撃により、敵艦隊に華々しく玉砕したと報告され、家族によって葬式が執り行われた者もいた。軍部が名誉の戦死と大本営発表をしているもとで行われた悲劇である。

 ピアノの話をした女性が「迷惑をかけて申し訳ありませんでした」というお詫びの手紙を元特攻隊員に送った。女性は、嘘つきと非難されていたのにそのことには何も触れられていない。ただ「お詫び」した。
 手紙を受け取った時には、その女性が嘘つきとして世間から非難されていることを元特攻隊員は知らなかった。しかし、女性が非難されている事実を知った時、女性の手紙には「お詫び」しか書かれていないことに思い至る。

 そのことから、「記憶にない」と言った元特攻隊員は、女性の思いやりある心に気づき、真実を語る。そして、想い出のピアノのもとに駆けつけ、45年ぶりにピアノを弾く。感動の場面である。すべて実話である。

 読みながら、涙が出て止まらなかった。これを書きながらも涙が瞼に溜まってくる。なのに、旨く書くことができない。
 この感動を伝えたいのに、言葉がつながらない。本当に歯がゆい。ぜひ読んで欲しい!読めば、この書評がいかに出来損ないかもわかる。それほど素晴らしい小説である。

 これらの実話が明らかになる中で、平和と命の尊さを考える青年の声が多く寄せられ、ついには映画化されるに至ったという。平和と命の尊さを永遠に繋げていきたい!

 本書を読んで、横山秀夫『出口のない海』を十分に読み込めなかったことに思い至った。平和と命の尊さを描いた『出口のない海』の真意を遅ればせながら知ることができた。

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過去の真実と向き合うことは未来をつくることだ

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 このサイトでは、すでに他人が書評を書いている本には大きな異論やもっと違う視点を持つ時しか、私は書評を書かないことにしている。たぶんこのサイトでは人が書いている本に書評を書いたのは10本にも達しないだろう。では、この本には「良泉」さんがすでに書いているのに、異論・違見があるのかといえば、そうではない。
 「良泉」さんの、「われわれ、特に日本人が、この事件を「悲劇」などということばでやり過ごすことは決して許されないのは自明である。多くの犠牲者の魂を悼み、決してこのような悲劇を繰り返さぬことを誓うためには、歴史を正確に記録し、後世に伝え続けることが、今に生きる人間にできる最低限の方途であろう」という主張に賛成である。そのうえで、私の書評を掲載したくなった。それだけ本書の訴えるところを知って欲しいと私も思う。

 さて、「済州島は、土地は痩せ貧しいがために、むしろ、身分の上下、財産の多寡が生じにくく、植民地期にも半島部ほどの階層分化は見られなかった。『乞無』(物乞いがいない)、『盗無』(泥棒がいない)、『大門無』(家に門がない)の『三無の島』としても知られたように、とにもかくにも睦まじく分かち合うことで島の共同体はたもられてきた」と本書は紹介している。
 そんな島で、半世紀もタブーとされた大虐殺の歴史があった。本書は、その四・三事件の真相解明とこれからの課題をも真摯に探る力作である。韓国社会でタブーだった時代に、日本では金石範の超長編小説『火山島』が書き続けられた。一人の知識人の葛藤と苦悩をとおして、済州島四・三事件の時代背景と真相に迫ろうとするこの小説に心揺さぶられたことはいまも忘れられない。

 日本による植民地化、日本の敗戦後のアメリカ、ソ連による信託統治、自国民の自主性を踏みにじられ続けた中でも、自らの進路を自らの手で掴み取ろうとした人々。現在の38度線をはじめとした分断、朝鮮戦争の歴史を振り返るとき、そこには植民地化した日本にも責任があることを痛感せざるを得ない。
 半世紀もタブー視された「済州島四・三事件」の真相解明と謝罪を韓国政府に行わしめた人々の声が聞こえてきそうな物語として、本書は読むことができる。そして、過去のことではなく、歴史と向き合うことがどのように未来につながっていくのかを問う問題意識と提起は、韓国社会だけでなく、日本社会にも問われている。

 日本にはまだまだ歴史の真実と向き合わないどころか、「日韓併合」を対等であったように主張したり、そんな植民地化のもとで行われた「創氏改名」を強制ではなかったなどと主張する人がいる。「侵略戦争」ではなかった。「南京大虐殺」はなかった。「従軍慰安婦」は強制ではなかった、などなど。
 歴史の事実を認めようとしない、いや、認めたくないがゆえに「万分の一の事実」を取り上げてそれがあたかも全てであるかのような主張をする人さえいる。このようなことは「論争」でもなんでもない。ただ事実を認めたくないがためのトリック的抗弁に過ぎない。

 本書を読んでいて思ったのは、真摯な「対話」が重要であり、そこには未来に向かった「対話」という姿勢がどれほど重要かということ。同時に、歴史の真実に向き合うことを政争の道具としてはならないこと、だ。
 歴史の真実に向き合い、そのうえにたって「対話」をするということは、犯した過ちを二度と犯さないという決意がいるし、それためにこそ「対話」が必要なのだろう。その姿勢を失えば、未来に進むための障害になることは、韓国だけでなく、日本にも世界にもあてはまることだ。
 そういう意味でも、韓国政府が「済州島四・三事件」の真相解明と謝罪に取り組んだ意義は大きい。そして、そのことを求め続けた人々の粘り強い取り組みに敬意を表したい。私たちも、このことに学ばなければいけないと思った。未来を生きるために!

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紙の本日本国憲法の精神 新装版

2007/12/15 09:39

ふだんから憲法を身につけよう

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 日本国憲法に関する本がたくさん出版されている。日本国憲法の解説や、成立にいたる史実、施行以来の歴史的な闘いや攻防など、その本によって特色は様々だ。本書は解説ではなく、平易な言葉で身近なくらしや生活の中からわかりやすく書かれている。難しい言葉や難解な理論展開もなく、とても親しみやすい。

 とりわけ、日本国憲法は世界の人権や平和を求める人々の願いを総結集したものとして先駆的な意義をもっていることを明らかにしている。そして、この憲法を実現しようとする国民と踏みにじろうとする権力者との時代時代の攻防によって、前進もし、後退もしていることが見えてくる。

 「憲法についても、ふだんからよく勉強しておかないと、いつの間にか憲法が病んできていることを敏感に受けとめられなくなってしまうものです」との指摘は重要だ。
 今日、改憲勢力のマスコミをも動員した改憲へのムードづくりや憲法をないがしろにしようとする策動が強められているが、こんな時代だからこそ日本国憲法の精神をしっかりと身につけることが重要だろう。

 本書の中で興味深く読んだのは「法と道徳」の関係を記述したところ。
 「日本ではどうでしょうか。たとえば第二次世界大戦中の日本では、日本共産党の人を始め、多くの良心的な戦争反対者が、治安維持法違反で監獄に入れられました。その人たちは道徳的には立派だと評価されたでしょうか。そうではなかったのです。むしろ『アカ』とか『非国民』であると、道徳的にも非難されたのです。ここにも法と道徳の混同という日本社会の特徴がみられます」

 「九条の会」呼びかけ人のひとり澤地久枝さんが、「九条の会」をやるようになって「アカ」と攻撃をされることがあるということをどこかで語っていた。戦中と同じようなことが今でもなされていることに唖然とする。同時に怒りさえ感じる。
 戦争に反対してなぜいけないのか、そんな議論なく「アカ」という言葉によって意見を封じようとする悪意を感じる。
 そももそ、こんなことこそ憲法の精神に反するのだが、改憲を主張する人たちが憲法を守る気のないことを示した端的な例だろう。

 本書には人権拡大の歴史についても書かれている。人権の歴史については、浜林正夫「人権の思想史」吉川弘文館がお奨めだが、本書にもその精神は詰まっている。ぜひ読んでいただきたい。

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紙の本本郷菊富士ホテル

2007/11/13 06:08

数多くの作家たちの生活と交流の側面史

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 宇野浩二、広津和郎などなど、数多くの作家たちが生活し、出入りした本郷菊富士ホテル。よくもこのような「ホテル」があったものだと驚きさえする。
 このホテルを舞台に、いろいろな作家の姿や出会いなどが緻密な調査によって描かれていて、本当に興味深かった。
 痴情ともいえるものには嫌気がさしたが、時代を知る上で役に立ったし、同伴者作家といわれ、松川事件では全エネルギーを傾けた広津和郎の一面を知ることができた。
 中条百合子や湯浅芳子などの滞在も興味深いし、「マルキスト」の第4章を特に興味深く読んだ。時代をまるごと反映したような人々の出入りや匿いさえもあったことは、人々の人間性さえも浮き彫りにしている。
 興味深かっただけに尽きるのだが、これまで知らなかったことを知ることができ、参考になった。

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紙の本物語労働者階級の誕生 新装版

2007/10/29 19:35

いまでは普通にいわれる労働者、昔は労働者なんていなかった

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 労働者のふるさとは?このように問われたら何と答えるだろうか。今でこそ労働者という言葉が普通に使われるが、むかしむかしに労働者なんて存在しなかった。歴史の中でつくられた労働者。その本源をあきらかにわかりやすく書いた本は少ない。新装版として発売された本書はとてもわかりやすい。

 歴史の中で誕生した労働者。その労働者階級の誕生から闘いが描かれている。同時に、労働者を使う資本家の資本がどのようにして形成されたのか、をわかりやすく描いている。「資本の本源的蓄積」とは何かが、わかりやすく事実にもとづいて描かれている。
 そんななかで、食べるために、生きるために戦い続けた労働者。いまでは「連合」という労働者の代表を騙る組織のもとで、労働者の闘う姿が見えなくなっている。それでも闘い続ける労働者がおり、そんな労働者の闘いが労働条件や権利を拡大している側面もある。

 労働者階級と資本家階級の弁証法が貫き、いまでは労働者の闘いが押さえ込まれているなかで、団結すれば要求が前進するという側面が見えなくなっている。しかし、労働者の闘いこそが、現在の困難な状況を打開することを本書は歴史にもとづいて示している。
 困難な時代だからこそ、労働者の闘いとそのなかから要求を前進された歴史を知ることは重要である。過去の歴史も敗北のほうが多かった。いつも国家権力によって押さえ込まれてきた。
 しかし、敗北しても敗北しても、闘い続けた結果、大きな勝利を勝ち取った歴史も事実なのだ。敗北しても諦めずに闘い続けたなかで、勝ち取ったものの大きさを今こそ知らなくてはならない。
 今も続く労働者の闘い、勝利が目に見えなくなっているが、この闘いが必ず勝利する日のあることを本書は教えてくれる。
 労働組合の役割が見えにくくなった時代だからこそ、本書で描かれた歴史的事実をいまこそ振り返る意味があるだろう。

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紙の本生涯野人 中江兆民とその時代

2007/09/23 19:27

国民そっちのけの政治屋

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 サブタイトルに「中江兆民とその時代」とあるごとく、兆民の生涯だけでなく、その時代を描いた小説。兆民に関する本を何冊か読んではいるが、これまでにない描き方が特徴だ。兆民の変わり者ぶりは有名だが、この時代を中心に描いているために、兆民が少しも変わり者に見えないから不思議である。
 考えれば、明治維新以降の政治屋たちが、権謀術策、党利党略で様々な変貌を示したいただけに、何も兆民ひとりが変わり者だったわけではない。政界も、離合集散、寄り合い世帯的政党など、現代を髣髴させる様相が描かれている。

 自民か非自民か、そんなシナリオから生まれた細川政権。そして村山政権。このころから自民党も、共産党を除く野党も、離合集散や政界再編の繰り返し。そこには国民主権の理念はどこ吹く風の様相。
 新進党などという党もあったし、選挙のたびに違う政党から立候補する国会議員が続出したり、まるで兆民時代の繰り返しのようにみえる。
 まったく同じでないことは言うまでもないが、国民そっちのけの政治屋がいることは同じだろう。そろそろ、こんな政治とは決別しなくてはならない。

 兆民の思想を深く知ることは本書ではかなわないが、時代を知るうえでは興味深いものもあった。思想よりも時代を描いた小説として読めば、それなりに興味深いだろう。

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政府が国民をマインドコントロールしようとしている

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『心のノート』をご存知だろうか。このテーマを本にした書評をいくつか書いたが、本書は文学などの「読解力」を駆使して書かれており、わかりやくす新鮮である。
たった66ページの本なのに、トリックの解析法以外に無駄な説明が一切なく、ポイントを明確にしてくれる。
そして、実際の『心のノート』から、その論理的矛盾を明らかにすると同時に、その狙いが国民を「マインドコントロールと思考停止」にし、何も考えない「国を愛する」国民づくりにあることを明らかにしている。
読みながら思わず爆笑した内容がある。『心のノート』の中に「文化に親しんで国を愛する」という項があり、そこに外国の「食文化」というものがある。
アメリカは「ローストビーフ」、インドは「カレーとナン」とある。これさえ適当かどうかさえ疑問であるが、極めつけは中国である。
中国の食と言えば、何を思いつくだろうか?餃子、飲茶、チンジャオロース、あなたは何を思い浮かべただろうか。
このノートには「中国料理」と書いてあるそうだ。だったら「アメリカ料理」「インド料理」と対応すべきだろう。
さて、こんなことがテーマではない。それにしてもお粗末さはわかるだろう。
結局『心のノート』は、国民に考えさせない「マインドコントロールと思考停止」状態をつくりだし、国(政府)の思い通りになる国民づくりのための手法であると著者は主張する。
戦中に「教育勅語」が果たした役割は今さら言うまでもないだろう。この「教育勅語」には、お父さん、お母さんを大切にしようなどの、いいことも書かれていた。
しかし、その目的は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」であった。この「皇運」(天皇陛下の運命)を「わが国」に置き換えた内容が『心のノート』のめざすところである。
著者は、「憲法や教育基本法の理想が大きな危機にさらされている今、一人ひとりが思考停止せず、主権者として状況と向き合うことが、改めて必要とされるときだとつくづく感じています」と、この本執筆の想いを語っている。まったく同感である。
短い文の中に多くの貴重なポイントと、トリックを暴く名探偵さながらの論理が詰まっている。ぜひ、一読を!

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「自由のない平和」なんて有りえるわけがない!

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 9.11テロ以後のアメリカの国連無視の戦争戦略を告発した書は多い。本書は、アメリカで行われている憲法無視の実態を暴露し、アメリカ市民の自由が奪われている現実を告発する。貴重な証言が詰まっており、日本の現状を考えるうえでも一読の価値がある。

 9.11テロ後の2001年10月26日、ブッシュ大統領は「愛国法」に署名した。342ページにおよぶ文書を読み通した議員はいなかったのに、議会はただちに承認した。上院で反対したのは、たった一人であった。
 この「愛国法」の内容は、合衆国憲法に明確に違反する内容を含んでいるにもかかわらず、多くの議員が「愛国心がない」と攻撃されるのを恐れ、賛成した。

 この「愛国法」成立以後、憲法に違反することをアメリカ政府は次々と進めていく。アメリカ市民は、テロリストを許さないためには、「市民的自由の制限もやむをえないと感じ、安全保障のためには進んで自由と犠牲にしよう」と考えた、という。

 日本で言えば、捜査令状なしの「盗聴の自由」、令状なしの「逮捕・拘束の自由」などが、憲法の規定に反し行使される。
 学校では、「忠誠の誓い」をやみくもに繰り返すよう求められる。起立が強要され、着席したままのものには妨害者として処罰がくだされる。国旗への敬礼と誓いが強制される。なんという状態だ!

 この書を読みながら、日本の現状があまりにもアメリカに似ていることに恐怖を感じる。
 国会議員が、「愛国心」を叫び、教育基本法に「愛国心」を組み入れろと声高に主張する。政府に逆らうものには「自己責任」論というバッシング。すでに成立した「盗聴法」。日の丸・君が代の押し付け、そして起立しなかった教師への処分。
 あまりにも同じ事態。戦慄を覚える。

 アメリカでも日本でも、テロ対策という名の下に、憲法が蹂躙され自由が侵害されている。
 アメリカでは、この自由の侵害に対して市民運動が急速に広がっている。しかし、こうした自由の侵害、憲法に反する政府の実態を告発するジャーナリズムが、ほとんどないという。これも日本と同じではないか。
 さらに、二大政党のアメリカでは、共和党も民主党も、これらの実態を告発するのではなく、ほとんどの議員が政府に無批判である。
 二大政党を進めようとする日本はどうか。対立姿勢を示す民主党も憲法を改悪して「戦争できる国」にしようとしている。その他の政策でも根っこは自民党と同じではないか!

 もう黙っていてはいけない! 自由のないところに、平和がありえるはずがない! これは過去の歴史が明らかにしているところである。

 本書は、アメリカの自由が消えていくことへの警告の書ではあるが、日本の実情と重ね合わせながら読むことにより、その脅威が私たちにも関係していることを知ることができる。
 もう一度言う。もう黙っていてはいけない!

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歴史から忘れられたスペイン・インフルエンザの教訓

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「スペイン・インフルエンザは」、「20世紀最悪の人的被害であり、記録のある限り人類の歴史始まって以来最大である」と著者はいう。なのに、史上最悪というスペイン・インフルエンザは、なぜ歴史に深く刻まれていないのだろうか。この間、人類と感染症関連の本を漁ってきたが、感染症や病理に関する著作には、何度も記述されていた。それも、現代への警鐘として、感染症対策の重要性として。まったく反省しきりである。

 さて、本書は、日本におけるスペイン・インフルエンザの実態を、資料や当時の新聞から丹念に拾い出し、感染の実態を詳しく浮き上がらせいる。歴史的読み物としても、優れた筆致で描かれており、大いに勉強になった。
 とりわけ、感染拡大を防止するために、今と同じようにマスクや手洗いが推奨されたこと、接触を減らすこと、など、未知の感染症に対する防止策も同じであった。
 与謝野晶子は、自分の子どもが小学校で感染したことを受け、政府はなぜ早くから、伝染防止のため「大呉服店、学校、興行物、工場、大展覧会等、多くの密集する場所の一時的休業を命じなかったのでせうか。」(1918年1月10日『新報』)と政府の対応の遅さに怒りをぶつけている様は、現在を彷彿させる。

 さらに、本書には、医療現場の実態も新聞記事から医療現場が危機的状況であることを示している。「疲れに疲れて 大払底の看護婦 流感の猛威に押捲れて」とひっ迫した状況も現在と同じだ。
 人類は歴史の教訓をどういかしたのか。このことは常に心掛けていなければならないだろう。しかし、今日の政府の対応は、歴史の教訓を顧みず、人の命よりも金儲けを優先し、いざという時に必要な医療提供体制や保健・公衆衛生機能の縮小・削減ばかりをすすめてきた。今回の新型コロナウイルスへに対する対応の遅さは、大問題だ。

 今度こそ、歴史の教訓に学び、人の命と暮らしを最優先にする社会へと転換することが求められている。二度目の大流行が予見されるもとで、「終わってから考えよう」ではいけない。「いま出来ることをしながら、変えるべきところから変えていこう」という姿勢が必要だ。

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真の男女平等実現への真摯な問いかけ

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 ジェンダー論に関する本が続々と出版されている。しかし、生物的性差と社会的性差の混同、性差別と性支配の混同、現代の新自由主義がその混同を巧みに利用しながら新たな戦略を進めていることなどに対して、明確に理論整理した本は少ない。
 本書は、生物的性差と社会的性差の関係を明確にすると同時に、自由・平等の観点から、真の男女平等実現への問題提起をしている。
 興味深いのは、家父長制的性支配と資本主義的性差別との関連を、時代の流れのなかから明確にした論点整理に納得するとともに、家父長制的性支配と資本主義社会における社会的性差別とを混同した論の盲点を指摘する論に、すっきりしたものを感じた。
 そして、如何にして真の男女平等を実現するのか。著者が一貫して主張する「福祉国家」の実現。その実現へ何をしなければならないのか。わかりやすい論点整理と問題提起は、いろいろなことを教えてくれる。
 自由・平等の実現を「未完の課題」として位置づけ、その課題は今も生き続けているという著者の主張に大きく頷く。
 ジェンダー入門として、現代のジェンダー論の混同した議論把握の書として、真の男女平等を考える問題提起の書として、ぜひ読んでいただきたい。

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