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歴史から忘れられたスペイン・インフルエンザの教訓
2020/05/23 15:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「スペイン・インフルエンザは」、「20世紀最悪の人的被害であり、記録のある限り人類の歴史始まって以来最大である」と著者はいう。なのに、史上最悪というスペイン・インフルエンザは、なぜ歴史に深く刻まれていないのだろうか。この間、人類と感染症関連の本を漁ってきたが、感染症や病理に関する著作には、何度も記述されていた。それも、現代への警鐘として、感染症対策の重要性として。まったく反省しきりである。
さて、本書は、日本におけるスペイン・インフルエンザの実態を、資料や当時の新聞から丹念に拾い出し、感染の実態を詳しく浮き上がらせいる。歴史的読み物としても、優れた筆致で描かれており、大いに勉強になった。
とりわけ、感染拡大を防止するために、今と同じようにマスクや手洗いが推奨されたこと、接触を減らすこと、など、未知の感染症に対する防止策も同じであった。
与謝野晶子は、自分の子どもが小学校で感染したことを受け、政府はなぜ早くから、伝染防止のため「大呉服店、学校、興行物、工場、大展覧会等、多くの密集する場所の一時的休業を命じなかったのでせうか。」(1918年1月10日『新報』)と政府の対応の遅さに怒りをぶつけている様は、現在を彷彿させる。
さらに、本書には、医療現場の実態も新聞記事から医療現場が危機的状況であることを示している。「疲れに疲れて 大払底の看護婦 流感の猛威に押捲れて」とひっ迫した状況も現在と同じだ。
人類は歴史の教訓をどういかしたのか。このことは常に心掛けていなければならないだろう。しかし、今日の政府の対応は、歴史の教訓を顧みず、人の命よりも金儲けを優先し、いざという時に必要な医療提供体制や保健・公衆衛生機能の縮小・削減ばかりをすすめてきた。今回の新型コロナウイルスへに対する対応の遅さは、大問題だ。
今度こそ、歴史の教訓に学び、人の命と暮らしを最優先にする社会へと転換することが求められている。二度目の大流行が予見されるもとで、「終わってから考えよう」ではいけない。「いま出来ることをしながら、変えるべきところから変えていこう」という姿勢が必要だ。
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圧倒的な研究量。
2020/06/15 15:19
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一世界大戦の最中に起きたインフルエンザのパンデミック。細菌は発見されても、ウイルスはまだの時代、戦時中の兵士の移動、また交通の便から瞬く間に世界中に広がった。新聞や軍の日誌、医師の記録を併せて、どのように感染が拡がっていったか、患者数の推移、地域差、死亡率、当時の世相を描き出している。
その熱意と緻密さに圧倒される。
感染性の病の怖さと、改めて予防を実践しようと感じる。
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繰り返される戦い
2020/04/22 11:26
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
幾度となく人類を滅亡の寸前まで追い込んだ、パンデミックの恐ろしさを痛感します。今回の危機を乗り越えた先にあるのが、分断ではないことを願うばかりです。
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忘れられた、約1世紀前の感染症
2022/03/09 02:06
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者によれば、スペイン風邪は、
「20世紀最悪の人的被害」
と表現されるような疫病であったにもかかわらず、
詳細には研究されてこなかったとのこと。
コロナ禍に見舞われている今だからこそ、
ひもといてみたい一冊です。
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貴重な労作
2020/08/19 11:38
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一次世界大戦と同時期に世界的に感染が拡がったインフルエンザ。日本での流行の状況を丹念に資料を探してとりまとめた労作である。著者はこの研究にあたり、日本語の文献を探してみたがないに等しいということだった。軍隊の記録、新聞記事、当時の国家の統計資料、大学や企業の資料等々を整理して当時の状況の把握に努めている。初の関係本として貴重だ。
著者は断言する。先進工業国でスペイン・インフルエンザの流行から何も学ばなかった国も少なくない。医学上、病原体を見つける努力続けるのは、豊富な研究資金、そして卓抜し、かつ、忍耐心のある研究者群が必要であり、それを支持する政府、世論も必要であるが、日本はそのどれもがかけていた。結論から言えば、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。
アルフレッド・W・クロスビーの「史上最悪のインフルエンザ」には、政府の対応や大統領など政治家の動き、国民の反応などの点で詳しい記述があるのに対し、日本では政府の対策などについて分析できるほどの資料等がなかったため本書の内容にある種の不足感を覚えるのだろうか。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界史を読んでいても、異国の人が持ち込んだ病気に、地獄を見る国がたくさん出てきます。ウイルスの恐怖を感じます。
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フォトリーディング&高速リーディング。
この手の資料本では自己基準最高の星四つ。
久しぶりに重厚な本を読んだ。2006年刊行。日本政府発表では38万人死亡とされたスペインインフルエンザの死者数が、実は45万人であったと著者は語る(当時は人口5千5百万人---内地のみ)。地方紙を中心にその伝来と猖獗する状況を、全国に分けて記録した本。
結論的に著者は、日本はこのウイルスから何も学んでいないとする。しかし「何も学んでいない」ということを学びとし、次に備えると本書で提言している。
1918年春から「春の前触れ」と呼ばれる一波が全世界に広まる。1918年秋には前流行。1919暮れから1920春にかけて後流行。計3波のピーク。
本書によればドイツは第一次大戦に勝利していたが、1918年の前流行で兵士が感染し、撤退。終戦となる。列車砲でパリを攻撃し、陥落寸前だったとの事。然し突撃の支持にも兵士が従えない程の流行となり、撤退を余儀なくされた。その後内政問題が起こり皇帝は退位。終戦。
スペイン風邪と言われるが、アメリカ西部の発。
後になるほど患者数は減る。然し悪性になる。
日本では村が全滅するようなことがあちこちで展開。
3つの波を越した日本は、1918&1919年の人口の落ち込みがあったが、1920年にはベビーブームとなる。(武漢肺炎後も?)
このインフルエンザは世界的に忘れられている。その理由を米国の学者は、戦勝気運に浮かれていた事、米国が世界覇権の頂点に立ち、するべき事があったこと、などを上げる。
著者は日本の場合は、社会主義の台頭やその反動勢力の影響を上げる。つまり社会が色々と騒がしかったせいとする。
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「スペイン風邪」という言葉はあったものの、その実態はほとんど知られていないのが現状で、まともな文献がないのも不思議であった。その意味で本書は貴重な記録である。
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新型インフルエンザの襲来は、もはや「もし」の段階ではなく「いつ」の段階に来ている。(略)我々にできるのは、「減災」である。(32p)
←現実になった。つまり、2006年刊行のこの時点で、地震並みにその準備をしていなくてはならなかった。医療体制や社会体制、経済体制などのシュミレーションを、果たしてできていたのか?いや、できていなかったのを、私たちは今、眼前に見ている。
「天災」のように将来やってくる新型インフルエンザや疫病の大流行に際しては、医学上はもちろんのこと、嵐の元での市民生活の維持に、何が不可欠かを見定めることが何より重要である。つまり、まずスペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、被害の実際をしり、どう対したかを知ることから始めなくてはならない(436p)。
←日本は、医学者を中心にパンデミックを防ぐために何が必要かを一定研究してきたが、それは十分でなかったし、いざ起きた時に「市民生活の維持」の研究はほとんどされてこなかった、ということを今回以降、ほんとに肝に銘じなくてはならないだろう。
まるで昨年書かれたかのように思う。日本に焦点を絞ったパンデミック医学史は本書だけだ。以下印象に残ったところをメモする。
・表紙の絵。「マスクとうがいをせよ」と宣伝している。なんと、最近まで忌避されていた黒マスクをみんなしている。
・1918年世界中に蔓延した「スペイン・インフルエンザ(俗名スペイン風邪)」は、世界全体で2000万ー4500万人、日本では「内地だけで」45万人亡くなった。現代人口に直せば、世界で6000万ー1億2000万人、日本で120万人が亡くなったことになる。しかし「無かったこと」にされてしまった。
・「スペイン・インフルエンザ」の記録に残る最初の患者とクラスターと死亡者は、1918年3月、アメリカカンザス地方での兵舎で患者1000人、死者48名だったが、直ぐに終息したので忘れ去られた。世界大戦中なので、各国は流行を発表しない。中立国のスペインは発表した。よって、スペイン・インフルエンザの名前を得た。
・日本に凶暴化したウィルスが襲来したのは、1918年9月末から10月初頭。3週間で全国に広がる。約1ヶ月同じところでいっとき猛威を振るい、一旦沈静化、これを「前流行」とすれば、2116万人の罹患、25.7万人の死亡者。「後流行」は罹患率4%、死亡率51%。これらは内務省統計。しかし、これは問題あり。筆者は状況証拠「超過死亡」により死亡原因を確定する。それで行くと38万人と言われたが、45万人の死亡者になる。
←おそらく、後でコロナウィルスの死亡者もこれで出されると思う。出さなくてはいけない。絶対、統計よりは多いと今から予測する。
←100年前とは比べものにならないくらい医学が発達した現在でも「(行動制限などを)何もしなければ死亡者42万人」の科学者の試算が出された。45万人という100年前の死亡者は、リアルな数字なんだと思う。
・死亡者が高い県は東京と大阪、ついで兵庫の都市。死亡率が高いのは、香川、福井、岩手、青森。
←やはり死亡者が多くなるのは都市なのだ。そして、今回も福井の死亡率が高いのである��、あそこは何かあるのか?
・シベリア出兵(1919)の損害は、戦死者572、戦傷者483、病死者436、患者53257とされ、このうち多数の患者は流行性感冒だとされている(日清戦争戦死者977)。この頃は、大正デモクラシーで未だ情報開示があった。
・軍隊は、密閉空間で無理をさせる等々で、ウイルスの温床となる。
←自衛隊の中東派兵は、一刻も早く帰還させるべき。在日米軍の感染が1カ月以上隠された。未だ情報開示は、日米地位協定の壁のもと全然されていない。日本のために、全ての情報を開示するべきだし、出来ないのならば即刻米国に帰ってもらいたい。因みに、マスコミは報道しないが、米軍ホームページには、とっくの昔にドライブスルー検査が実現している。
・「後流行」(1919年秋から20年冬)前回は間違った薬を打ったりしたが、後では病人の近くに寄らない、隔離、ますく、うがいなどが報道された。
・島村抱月は18年10月に感染死亡した。有名になったのは、恋人松井須磨子が後追い自殺したから。画家の村山槐多も感染死亡した。しかし、有名人の死亡者はそのくらい。文学に現れたる作品は右の如し。志賀直哉「流行感冒」、武者小路実篤「愛と死」、また原敬日記、森鴎外日記・永井荷風日記、魯迅日記で少し触れられている。
・朝鮮は別に統計している。「超過死亡」で計算すると、死亡者23万人、人口約1700万人に対して約13・8%とかなり内地より高い。おそらく流行期が寒冷で、尚且つ内地人の治療しか十分に行われなかったかったから、が考えられる。1919年3月の独立運動の前提になったかもしれない。
(以下まとめ)
・世界や日本において「何故忘れ去られたのか」。
世界においては、(1)第一次世界大戦への関心が優っていた(2)死亡率は、高いとは言えなかった(3)あっという間にやってきて、去り、戻ってこなかった(4)超・有名人の命を奪わなかった。
それに付け加え、
日本においては(1)大正中期は社会的にも物質的にも曲がり角にあり、国際連盟理事国になり、大陸進出が始まろうとしていた。この大きな変動がインフルエンザを「軽い」病気に見させた(「風邪」という言い方)。罹患者の2%、人口の0.8%という死亡者で、ペストやコレラのような数十%の死亡率ではなかった。(2)流行後まもなく関東大震災が来た。震災犠牲者は10万人だが、景観は大きく変わった。更には昭和初期からの日中・太平洋戦争でその思い出は忘却された。
←これらににも関わるが、社会主義・民本主義の勃興期に当たり、反戦に繋がる「無駄な批判」を避けるために、政府が意図的に情報を「隠した」可能性は十分にあるだろう。オリンピックが行われるという日本において、現代もそうならないように、切に願いたい。
・対策は不十分だった。通告を出して、マスク・うがい・手洗い励行。小中学校は罹患者でれば休校。軍隊演習中止。ここまでは天晴れ。しかし、徹底はされず興行閉鎖は関東のみ、神仏を求めての神社詣ででの満員電車や混雑など行動制限には何の規制もなかった。
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再読。前回読んだときにはあまり意識しなかったが、なぜこのインフルエンザが人々に忘れ去られたのかということは非常に大事な問題であるとあらためて感じた。当時の新聞資料が膨大に残されているのにもかかわらず、である。
理由として考えられるのは、1つには新聞資料がそもそもきちんとアーカイブされてこなかったこと(資料として利用しにくい)。2つ目には新聞資料を駆使して当時の社会状況を再構成しようとする歴史家があまりいなかったこと(方法の問題)が挙げられよう。
新聞資料は速報性第一なので初発時点では誤っていたり、続報がなかったりするので丁寧にトレースすることが難しい。しかし、著者はその点、大量にかつ丹念に読み、とくに地方新聞にも目を配ることによってこのインフルエンザの特徴、社会的意味を再構成することに成功していると思う。
再読して新聞資料(この本にはあまり使われていないが当時の文学作品や雑誌資料なども)の重要性にあらためて気がつかされた。
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世界で2000-4500万人、日本でも70万人以上が亡くなったスペインインフルエンザについて、データや新聞記事をもとに分かりやすくまとめてくれている。
発生の原因は進化したウィルスを渡鳥から人に感染したこと。
パンデミックになった要因は、戦争と各国が発表を控えたため。唯一発表をしたのがスペインだった。よって、スペイン風邪という不名誉な名前となった。
しかし、これは日本人の記憶から忘れられていた。
理由は有名人が死ななかったこと。後の関東大震災の方がインパクトが強かったこと。その後、日中戦争に突入したことが挙げられる。
日本人の記憶から忘れられているが、大正デモクラシーの好況に沸く日本の動きを止めたのも事実としてある。
ただ、それが、社会的にどんな変化をもたらしたのかについて、筆者なりの限界が欲しかった。
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1918年から1920年にかけて猛威を奮ったスペイン・インフルエンザについて、数量資料としては日本帝国死因統計等を、記述資料としては、府県や外地の新聞記事、各種報告書等を駆使して、日本の被害実相を明らかにしようとしたものである。
特に、史料の乏しい、当時日本の支配下にあった海外地域にまで探求の手を伸ばして、被害の全体像を明らかにしているところは、本書の特色であろう。
日本は、スペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら犠牲者の死を無駄にしたというのが著者の苦い感想である。そのこと自体を教訓に、必ず来るであろうインフルエンザ・ウィルスの脅威にどう対して行くべきか、誰もが当事者となる我々一人ひとりの課題である。
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細かい。ここまで調べられるものだろうか。
身近な話しが積み重なり、すぐ横で起きていた・起こる危機感を感じる。
その上で、なぜ?という過去と、どうする?という未来の話しがある。
書物による歴史学習か。
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2006年の発行と少し前の本だが、新型インフルエンザが流行した2009年に“積ん読”してあったのだろうか。読みたいと思っていたら、年末書棚を整理したときに発掘された。
世界で2000万~4500万人、日本でも40万人程度が死亡したとされるスペイン・インフルエンザを本格的に取り上げた入魂の一冊だ。
地方紙も含めて全国の新聞を調べ上げ、データを元に分析しエピソードとともにまとめている。
もう100年前の前の話だが、本書には読めば読むほど今のコロナ禍に似た状況が出てくる。
力士の間で流行して新聞に「力士病」と書かれたり、船の中で感染が広がったり、満員電車に規制がなかったり。。。
本書に死者の定義がまちまちだったことが記されているが、状況は今も同じだ。何をもって新型コロナの死者にするのかが、国によって違っていて、流行の状況が正確に把握できない状況が続いている。ロシアのように死者数が大幅に修正されたケースもあった。
著者は巻末で「新型インフルエンザの流行それ自体を防ぐのは不可能と思われる。それは忘れようが忘れまいが『天災』のように必ずやってくる。我々にできるのは『減災』であり、それには歴史を知らなければならない」と警鐘を鳴らしている。
しかし今、新型インフルエンザを新型コロナに読みかえてみると、結局のところ多くを学んでいなかったことがわかる。
気になるのは本書に書かれた「後流行」だ。前流行に比べて、感染力は落ちたようだが、致死率が上がった。
日本の状況は欧米に比べて減災気味ではある。しかし感染症は繰り返し襲ってくる。「被害が少ないだけマシ」と気を抜いてはいられないのである。
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序章 ”忘れられた”史上最悪のインフルエンザ
第1章 スペイン・インフルエンザとウイルス
第2章 インフルエンザ発生ー1918(大正7)年春ー夏
第3章 変異した新型ウイルスの襲来ー1918(大正7)年8月以後
第4章 前流行ー大正7(1918)年秋ー大正8年(1919)年春
第5章 後流行ー大正8(1919)年暮ー大正9(1920)年春
第6章 統計の語るインフルエンザの●●
第7章 インフルエンザと軍隊
第8章 国内における流行の諸相
第9章 外地における流行
終章 総括・対策・教訓
あとがき
資料1 五味淵伊次郎の見聞記
資料2 軍艦「矢矧(やはぎ)」の日誌
新聞一覧
図表一覧