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中川道夫さんのレビュー一覧

投稿者:中川道夫

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本

紙の本レンズ汎神論

2002/01/23 18:15

悪いレンズは良いレンズ?写真表現が解放された時代のカメラレンズ論

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 カメラブームの熱はまだ冷めそうにない。中古カメラの人気にも根づよいものがある。写真撮影のノウハウ本やメカ中心の多くの関連書がそれらを支えている。
 「すべてのレンズに神は宿りたもう」というこの本はそのなかでもユニークなもの。
 著者は街や建物を得意とする写真家で、いっぽう「東京カメラ倶楽部」の中心メンバーとしてアンティークカメラとレンズの効能を啓蒙してきた。この本では、じぶんの駆け出し時代からプロへと至る道中で出会ったレンズたち、それは古今東西の35ミリカメラ用レンズから、ブローニー、4×5、8×10、ハーフサイズカメラ、はてはレンズとしての虫メガネまでを、ときにはユーザーの視点だけでなくレンズメーカーの設計者の意図や苦心談をはさみ、寄席芸のような通好みの作例写真をそえて解説する。また、カメラの「ミランダ」はシェークスピアの『あらし』にでてくる魔法使いプロスペローの娘の名、子ども用カメラ「フジペット」で撮った亡き、たこ八郎のエピソードなどがさりげなく味付けされている。著者は団塊の世代であり、ここにでてくるそのレンズ遍歴史は日本のカメラレンズメーカーの戦後史でもあるのだ。
 「あのレンズは良い、あのレンズは悪いという判断のほかに、あのレンズの悪さが良いという考え方もあって」と、光学上問題のあるレンズも、相応に味わいのある写真が撮れるという。著者は人類が研鑚してきた、ものをより正確に視たいという〈レンズの進化論〉を否定はしない。ただ被写体のディテールが鮮明に写り、色が忠実に再現されるレンズは良いレンズという、不可侵の進歩思想に疑義をはさむのだ。
 「どこか懐かしい親和の関係を被写体と結べるようにいつも感じていた」と著者はいう。カメラレンズがより正確に写し撮るというドグマから、写真表現が解放された時代にたっている。そんなことをこの本はおしえてくれる。 (中川道夫/写真家)

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紙の本

古今東西、左右上下!?の知識を駆使しながら、写真の功罪をあらわにする。先頃亡くなった著者の遺言集。

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 著者は『カメラ毎日』の元編集長で、写真批評家としても多くの著作がある。しかし今回の上梓が遺作本となった。食道ガンの再発に怯えつつこの批評集を準備し、そのタイトルのように55歳の終章となった。
 「2001年木村伊兵衛賞が長島有里枝、蜷川実花、HIROMIXという二十代のいわゆる「女の子写真」ブームの立て役者たち(略)受賞した三人が分け合ってもらえたことをそろって歓迎していう、という「異様」な光景を見て、私は、決断の時がきた、と思った」。
 この本のはじめにこう記す著者はただイチャモンをつけたかった訳ではない。
 彼は森山大道ら同時代の写真家と併走しながら、時代についてビビッドな発言をしてきた。「写真の会」をつくりメジャーな賞に対抗して〈写真の会賞〉まで創設している。
 雑誌を離れた著者は『毎日ビジュアル年鑑』『昭和史全記録』『20世紀の記憶』(全20巻)シリーズの編集長としての仕事をした。時代の軌跡の編纂者として、尋常ではない量の日本や世界の写真を見て、記録と記憶とそれを「伝える」という写真の機能を回復せねばと確信した。著者は「見る」とは眼という器官に属してはいないとする。人が「見る、観た」とはじつは脳の記憶やある判断がそう思わせるのだという。脳の機能とは思考で、いまの写真家は〈公〉から〈私〉へとひき籠もることで〈世界〉を捨て去っていると。
 「写真をはじめた人が知ってほしい写真の常識や教養をこれを素材にして学んでほしい」。この本では19世紀末から現在までの著者の恣意的な世界史を写真の編纂を中心にして語られる。〈映像の世紀〉といわれる20世紀は、写真が成熟し、またその功罪もあらわにした。著者はこの写真の通史ともいうテキストで古今東西、左右上下!?の知識を駆使しながら、それを展開する。注釈の過剰さと独特の辛らつな語り口にとまどう読者もいるだろう。写真界の小言幸兵衛といわれ、無頼派を自称し、サラバでござると逝った著者の遺言集でもある。(中川道夫/写真家)

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紙の本

森山大道の写真を理解する最適の書。目の前に広がる過去を見て、背後にある未来へ

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 「写真は光と時間の化石だ」と著者はいう。これは写真集ではなく、エッセイとインタビューによる森山本。ラディカルな写真表現者である森山大道は、自伝的回想『犬の記憶』ですぐれたエッセイストとしても知られている。今回の著作は1969年から1999年まで30年にわたる、森山による雑誌やパンフ、写真集に掲載された批評文、対談やインタヴューを収録再構成したもの。
 1968年に写真集『にっぽん劇場写真帖』でデビューした森山大道は『provoke』(1969-70)『写真よさようなら』(1972)をへて90年代末に『Daido Hysteric』三部作を完成させる。つねに同時代者として関心をよせられ続けており、その先輩や同世代の写真家、東松照明、深瀬昌久、荒木経惟、中平卓馬らがこの本のなかでの主な対談相手だ。なかでも同人誌『provoke』の同志でもあった中平卓馬については多くのページをさいている。
 1960年代後半に出会った二人は住まいが湘南の逗子だったこともあり親密になる。毎日のように海辺で語りあい既存の写真を否定していた。その後『provoke』では〈写真で何かを表現する〉のではなく〈写真とは何か〉〈写真家とは何か〉とその存在をも問うた。森山はその後スランプやドラッグへはまり、中平は記憶喪失の迷路におちる。〈撮る写真から作る写真へ〉その後、写真の多様化という言説と時代は二人の存在を希薄にした。写真は希望に充ちていた。そしていま何も変わらなかったという実感。ストレートフォトの森山や中平がまた注目されている。
 「このところ、なんとなく写真がアート志向らしいが、バカを言っちゃあいけないよ。写真が、カメラマンがアートなんぞ志向したら、それはもう、自殺だよ」。この本の中で森山は言う。映画『バックトゥザフューチャー』の題名はホメロスの「オデュッセイア」からきているらしいが、ふり返れば過去と現在は見ることができ未来は私達の背後にある。この森山本の題名からは過去と未来は2尾のヘビのように呑み合っているように見える。森山大道の写真を理解するには最適の書だ。(中川道夫/写真家)

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