矢野 誠一さんのレビュー一覧
投稿者:矢野 誠一
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紙の本おかしな男渥美清
2000/10/21 00:15
日本経済新聞2000/5/28朝刊
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寅さん以前に比重がかかっているにせよ、演技者としての渥美清を論じているが、言うところの俳優論ではない。むろん評伝でもない。おたがいがまだ若かった日に、ともに過ごした時間を、おそらく著者の日記によると思われるきわめて詳細なデータを用いて語っている。だからと言ってこれを人物論・人物記の範疇に加えることにも抵抗がある。こうした単純なカテゴリーを拒否してのける書かれ方が、この本の格別の面白さを支えているし、真骨頂でもある。
要するに、渥美清という「おかしな男」に対して、著者がいだいた畏敬というにはほど遠いがなみなみならぬ強い関心、とまどい、ときに嫌悪感とは無縁の反発といった複雑な感情を、かなりねちっこく記していったパーソナルにつきる肖像なのである。ねちっこいというのは、淡淡としてはいないということだ。
渥美清が世を去って、じつに多くのひとたちがこの役者について語ったり、書き記した。私も書いている。それらのすべてに目を通したわけでは無論ないが、この役者には、ひとになにかを書かせたくなるものがありすぎる。そしてここが肝腎なところだが、その書かせたくなるものの多くが、渥美清の演技者としての部分からかなりの距離を置いたところに集中しすぎてる。こんな役者は見たことがない。
渥美清を書くということは、ふんだんにある陥し穴をどう避けていくかということでもあるのだが、いささか始末に悪いのは、その陥し穴の多くには、ものを書く人間としてはまりこみたくなる誘惑が待ち受けていることだ。小林信彦『おかしな男渥美清』は、パーソナルに徹することでこの陥し穴をたくみに避けて、これまであまり知られてなかった渥美清の貌をさらすことができた。これまで知られなかったというのは、寅さん以前のということだが、多くに知られる寅さん以後の渥美清には、パーソナルな関心がさほどなかったことを、おのずと語ってくれている。
(C) 日本経済新聞社 1997-2000
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