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まさぴゃんさんのレビュー一覧

投稿者:まさぴゃん

105 件中 1 件~ 15 件を表示
西の善き魔女 1 セラフィールドの少女

西の善き魔女 1 セラフィールドの少女

2005/12/17 22:05

小公女セーラ的な自己実現

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

■小公女セーラ的な自己実現/おもしろい。とりわけ、一巻が最高だった。僕はビルドゥングスロマン(教養小説)が大好きで、小公女セーラ的なシンプルな自己実現物語が、大好きなんです。その他の巻はそうでもないのだが、最初の田舎娘が、舞踏会に出て行くシーンは、すごくドキドキした。まるでハリーポッターの第一巻のよう。この「西の善き魔女1 セラフィールドの少女」も、主人公フェリエルという北の果ての辺境大地の塔に村から孤立して住む少女が、グラール王国の北の貴族社会で最も強い勢力を誇るロウランド伯爵家の領民の若者たちのための大舞踏会に、期待いっぱいで胸を膨らませて、参加しようとするシーンから物語り始まります。荒地の北の大地の塔に住む彼女は、まるで宮崎駿監督のアルプスの少女ハイジのようなもので、超ド田舎モノです(笑)。人嫌いで研究一筋の父親のヴィー博士と弟子のルーンと暮らす彼女は、ほとんど外の世界を知らないままでした。そして、友達と舞踏会に出席するのですが、、、、。後ろのほうで、隠れるように高貴な人々を眺めているフェリエルのもとへ、その館の主である美少年が近づいてきます。彼女が父親からもらった首飾りを、伯爵の嫡子で後継者の美少年ユーシス・ローランドがじっと見つめます。そこへ彼の義妹で将来の女王候補であるアデイル・ローランドが、その首飾りは行方不明の王女エディリーンのものではないか?といいます。ユーシスは、それをどこで手に入れたのか?と迫ります。もう、その後はお分かりですね(笑)。もーこの「何者でもない」主人公のもとへ、どんどんとやってくる美少年!!。かぁーーー燃える(笑)。いまいるところから、「ここではないどこかへ」連れ出される瞬間って、ものすごく燃える。僕はこういう小公女セーラ的というか、白馬の王子様的というか、否応なしに運命が自分をまったく違うところへ連れ出してしまう物語のドラマトゥルギーが大好きなんです。でもこれって、、、、それなりによくできたSF的世界観と世界の整合性をつくっているんだが、、、妙に薄いライトノベル的な感覚を受ける。いや、、、、女王制度ややや甘いがアデイルらの政治への意識はかなり悪くないくらいちゃんと描いているのだが・・・・・。これは、児童文学的に分類されてしまっているようだが、それは、たぶん彼女たちの人間関係が少女マンガの類型的なあまーい(笑)ものをベースにしているからかもしれない。視点が、すべて恋に恋する少女の視点なんだよね。すごく少女マンガや少女小説的なエッセンス・志向が、強い。いや、むしろ、少女小説・マンガなんだよ。典型的な。これって、ちょっと男の子には、向かないかもしれないなぁ。僕のような少女マンガ大好き男性は、まぁ読めるけど・・・・ちょっと男の子にはこっぱずかしいかもしれない(笑)。うーん、、、とら兄貴は、苦手なんじゃないかな、、、と。どうなんだろう?。でも、この少女マンガ的なエンターテイメント性こそが、この作品の面白さの核でもあると僕は思う。

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「資本」論 取引する身体/取引される身体

「資本」論 取引する身体/取引される身体

2005/12/17 22:00

良い社会思想史の教科書・導入書

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とても良い社会思想史の教科書・導入書だ。「私たちの生きる基盤である資本制を軸とした文明社会の仕組みを明らかにしよう」という欧州古典社会思想家たちの野望を、わかりやすくとても上手く整理しているとおもう。稲葉振一郎さんは、『ナウシカ読解』とワイアードでのコラム『地図と磁石』などで、超難解な世界で『わかりやすく全体を俯瞰』できており注目していた。僕の好きな「世界の終末を描く物語」の謎解きを読んでいるような、スリリングな展開であった。なぜならば欧州社会思想は、『この世界がどうなっているのか?、どのように作られたか?の謎を解く』物語だからだ。そして、こういうふうに物語のように読みやすいのは、筆者が、抽象概念を噛み砕き血となり肉として、「自分の言葉で」表現できているからなんだと思う。「いま僕たちが住む『この世界』とはどんな世界なのか?」や「この世界はどのような仕組みとルールでできているのか?」というとても大きな枠での問いかけは、とても興味深い。ちなみに、この問題意識から派生した疑問が、17世紀から誕生するホッブス、ジョン・ロック、ルソーら「社会契約論」の論者たちです。またそれに続いて登場したスミス、リカードウ、フィジオクラットそして、マルクス、エンゲルスたちの「資本制の社会仕組みを明らかにする」という問題意識です。社会は、資本主義という仕組みで覆われてしまい、このシステムの『外』に行くことはもうできない時代になっています。だから、この資本制の近代文明社会が、どのように組みあがっているか?という「謎」を解き明かせば、僕たちがどういう世界にいるのかががわかるはずなのです。
ちなみに、最終的な結論・本書の目的は、経済学の新古典派の「人的資本」の理論の正当性の再主張だと思う。それが成功しているかどうかは不明だが、「そこ」に至るまでのアプローチを、欧州古典の社会思想や自然状態の概念から丁寧に再構築・見直しをする姿勢には、敬服した。むしろ結論よりも、その論の過程にこそ価値があると思わせた。

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まぼろしの旗 平家落人伝説

まぼろしの旗 平家落人伝説

2005/12/17 21:39

竹宮恵子が描く平家落人伝説モノ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文治元年(1185年)頃の阿波国(四国徳島県)祖谷地方の平家落ち落人伝説を題材にした短編。『マンガ日本の歴史』のような系統の作品かなとも思ったが、ちゃんと竹宮さんの作品になっており、「らしい」まとめ方をしていて、嫌いじゃない。壇ノ浦の合戦で亡くなったとされる幼い安徳天皇を奉じて打倒源氏・平家復興を夢見た生き残りの平国盛が、一族の妄執に囚われた思いと、妄執のシンボルとなった幼い天皇への人間としての愛情の、二つの葛藤が読んでいるものに切なさを誘う。面白かったのは、権力の支配が及ばない山間の奥深い村々が、天皇陛下がいる、ということで次々に平家に忠誠を誓っていくところ。その忠誠心は、どこから来るのだろう?。 僕のような、日本に生きる限り、肯定するにせよ否定するにせよ天皇という存在は避けては通れない、と切実に思う人にとっては、こういう小さな伝説でも、さまざまにいろいろ去来するものがある。ちなみに日本史では正統性が源氏にあるためか、どうも平家はあまりかっこよく描かれていない。この作品は、めずらしく平家の視点で描かれています。これを読んで、ぜひ徳島観光に行きたいな、思いました。

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保険のない国から来た私がトップセールスになれた理由

保険のない国から来た私がトップセールスになれた理由

2005/12/17 21:36

トップセールスマンは資本主義社会の勝者の一つの形

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ニッセイの保険外交員でトップセールスになり、いまは中国担当のディレクターになった中国人の女性の奮闘記。思わず軽く立ち読み。こういうトップセールスマンになる人の自己実現話は、ビタミン剤のようにさらっと読めて高揚する。すぐ高揚は消えるが(笑)。ああーいい話だなー。なんだか感動する。キレイ過ぎて、へっと馬鹿にしてしまいそうな気分にもなるが(笑)、それでもこの著者の人生が素晴らしい自己実現に支えられていることは否定できない。まぁ光があれば影があるんだけどね。末端のセールスは、過酷なシゴトだ。就職活動をする人には、これが以下に過酷なシゴトかは、よく認識しておいたほうがいいと思う。肌が合えばこれほど楽しい仕事はないが、肌が合わなければこれほど悲惨な仕事もない。この本のように楽しいことばかりでもなかったであろうし、前向きな内容だけを聞かされると、変な宗教がかっているし、なによりもアメリカ型の競争資本主義万歳の姿勢を感じてイヤな気持ちになるので僕は好きではないのだが、それでも、成長すること自己実現することの美しさはひしひしと伝わってくる。基本的には、「勝つこと」「上昇すること」による幸せ感覚は、僕は、好きではない。勝ち負け(おうおうにしてそれは経済的なものが指標になってしまう)は、必ずしも自分のせいだけではなく、景気という外部環境に凄く左右されるからだ。多少無能でもバブル期ならばいくらでも売上は上げられて出世できただろうし、凄く優秀でシェアを守っても時代が悪く利益が落ちて消えていく人もいる。そういう自分のコントロールできない部分で、自己の安定を図るのは、あまり・・・なぁと思う。とりわけ、「勝つ」ことに人生をかけるのは、こわいことだと思う。勝つことにかけるスポーツ選手で上手くいかなくて破れた人が廃人のような人生を送るのを見ると、その感覚を強くする。とはいえ、勝つことでしか充足ででない人もいるし、勝つことを重要視する人材がとてもエネルギーにあふれ社会的に価値がある人材でもあるのも事実だ。トップセールスマン、それは下から這い上がる資本主義の究極の勝利者の姿の一つです。

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20世紀少年 1 本格科学冒険漫画 (ビッグコミックス)

20世紀少年 1 本格科学冒険漫画 (ビッグコミックス)

2005/11/17 22:50

骨太の物語の語り部

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

僕は、天才浦沢直樹さんの特徴は、実はオーソドックスで骨太な物語の語り部であるということにあるのではないのか、と思う。というのは、オリジナル作品である『MONSTER』『YAWARA』『HAPPY』『PURUTO』等々は、すべてパロディに自覚的で、非常に単純で「ありがち」な設定の反復になっている。とりわけ、決してどれも独創性があるわけではない。プルートは手塚治虫先生の鉄腕アトムの傑作『地上最大のロボット』と彼のRobotの考え方のベースにあるアイザック・アシモフのロボット三原則へのオマージュになっている。また『20世紀少年』も、オウムに代表されれる終末的な世界観では、あまりにありきたりな内容の反復に過ぎない。いわば、駆け引きと刺激に慣れすぎた日本のドラマに飽きた世代が、03年ごろに韓流ブームでキスもしない純愛の韓国ドラマ『冬のソナタ』(ユンソクホ監督)に回帰したのに似て、断片的なパロディシステムではなく、骨太の物語への回帰をしているといえる。 では、それはレベルの低いということなのか?。もちろん、読者であれば、これがたとえ漫画を小ばかにしている大人が読んでも、真にものを判断する知性があるならば、そのメジャ−級のエンターテイメントの力に脱帽するほどの作品であることがわかっているでしょう。しかし、そんな「ありきたりの設定」でなぜここまで、見事なメジャー的な人気を保てるのか?。それは彼が骨太な物語の語りや漫画的手法の文脈を、洗練しているからではないかと思う。いってみれば、骨太の物語を語る上での浦沢的「文法」が極度に洗練されて構築しているからではないかと思う。詳細は省くが、例えば新興宗教や70年代のロックや昭和時代の文物などノスタルジーのパロディ的引用(池袋のナンジャタウン!)に非常に自覚的だし、『パイナップルアーミー』『マスターキートン』で完全に自分のものにしたヨーロッパや世界を描く手法によるスケールの広がり等々だ。とりわけ『MONSTER』以降の淡々と平坦に場面を描いておきながら単行本で一気に読むとサスペンスとしての全体構造が見事なくらい神の視点でまとめられているドラマツゥルギーの凄さは、読んでいる人には、一目瞭然だ。かなりSFとしては、マイナーであろうこの作品など、非常に丁寧で連載では平坦で読み飽きてしまうこともあるにもかかわらず、熱狂的なファンが数多く存在し、それがカルトレベルをはるかに超えてメジャー級として扱われる点も、非常に異例な作家だ。この「おもしろさ」の核心を短く言うならば、創造力の飛躍を核とするSFのセンスオブワンダーを含めて、骨太の物語を、日常から浮き上がらない形でわかりやすく丁寧に構築する技量を持っているのだ。そういう意味では、独創的なエンターテイナーというよりは技術者に近いのだが、逆に言うと骨太の物語の語り部こそが真のエンターテーナーなのではないかと、僕は思います。ある意味今の作家の中では質量ともにもう二度と現れない日本漫画文化の創始者天才・手塚治虫先生に最も近い存在といえるのではないでしょうか。

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彼氏彼女の事情 21 (花とゆめCOMICS)

彼氏彼女の事情 21 (花とゆめCOMICS)

2005/11/17 22:43

繰り返すものからの脱却

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

作者は元々、雪野と総一郎の二人の立場から物語を書き分けたかったようです。にしても、総一郎は暗い。この生い立ちの暗さは、古い文豪の文学作品を見ているような感触があります。この連綿と続く「家」と「血」による縛りは、日本の文学作品にはよく見るテーマで、少女マンガでも陰りのある美少年(笑)は、大抵この手の生い立ちの暗さをもっています。昔話や古典で言うと、貴種流離譚ですね。ただ、背中からヒタヒタと迫ってきて精神を追い詰める、生まれる前からの刻印への恐怖・苛立ちそして解放への作者のテーマの展開力は群を抜いています。こうした自意識の恐怖を描いてので、エヴァンゲリオンで似たテーマを追っていたガイナックスの庵野秀明監督が、アニメ化したのは、当時なるほど!と思ったものです。また雪野の性格に代表されるように、女性の作家の方が、自意識からの解放を描くのはうまい。ちなみに最終的に最もうまいと思っていた漫画家の安野モヨコさんと、結婚!!したときは、さすがに驚いた、が納得もした。僕が津田雅美さん(全作品を所有!!)を好きなのは、人間のドロドロに暗い側面と、同時に解放されたときの聖性を帯びた美しさ静謐さを「同時に見てしまう」人だからです。主人公たちはのた打ち回りながらも、永遠に反復する業の輪を断ち切ろうと、もがいています。この手の作品は、庵野監督のエヴァンゲリオンで頂点を見た、過剰な自意識を支えきれない弱さのみをクローズアップする視点から、やや踏み出しています。そこは、すごく好感が持てる。この手の感覚は、最近だと栗本薫の『絃の聖域』『大道寺一族の滅亡』や京極夏彦『うぶめの夏』や古くは森鴎外や田山花袋、夏目漱石などの明治の文豪の香りがする気がします。なぜだろう?。たぶん、こういう親や家の長く連続して繰り返される「業」に縛られるというのは、近代日本の大土地所有制度のもとの地主や、地方の名家や芸事とに縛られる家元等の日本的『家』の連続性に絡む発想だからでしょうね。ある意味、そういったドロドロ複雑に絡まった歴史的なヘリテージを否定するところからはじまった米国などでは、ありえない発想でしょうね。だから有馬の父親が、米国に旅立つのはすごく象徴的です。ちなみに、19巻で大病院の院長にして、江戸時代から続く名家有馬家の当主が、雪野の「あの病院ももらえますか?」というある種のジョークを言ったときの反応が、僕には、戦慄するほど深い感慨を感じさせた。たぶん、物凄くほっとしたと思う。これは、家の血の呪縛の断ち切りを意味するからです。

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回転翼の天使 ジュエルボックス・ナビゲイター

回転翼の天使 ジュエルボックス・ナビゲイター

2005/08/22 23:06

官僚の縦組織を超える災害

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読んでいて、アニメの『機動警察パトレイバー』、映画『踊る大捜査線TheMovie2』と消防士の災害救助活動を描いた曽田正人さんの傑作マンガ『め組の大吾』を強く連想させられた。まじで感動した。まぁ、終わり方は小川さんらしく青臭くもあるが、そこがまたいいんだよなぁ。
小川一水さんのテーマには、
1)因習にとらわれた組織を超えるほどの大惨事に対抗する
2)登場人物が組織・官僚制度の壁に絶望しながらも、なぜか希望を捨てない青臭さ
が大きな軸になっていることが多い。ほんとは、ここに
3)原初的な意味での、泥臭い足に地がついた「技術」というものが入るが、そこはこの作品では重視されていないので、カット。この技術に対する視点は、彼のHPを見ると非常によく分かる。
等身大の視点で、熱心な取材が繰り広げられているからだ。
この作品では、1)と2)がクローズアップされている。ある意味、この作品は、イカロス〜と復活の地の結合であり、前哨戦であったのだと思う。
この話、ぜったいドラマ化するか映画化してほしいなぁ。躍る〜と似たテーマで、できるはずなんだけどなぁ。ぜひ、ドラマで見てみたいと思いませんか?。
再度、1)に戻ると、踊る〜を連想させられたのは、日本社会の縦割り組織の現実。
レインボーブリッジを封鎖するには、警察庁の権限だけではだめで、様々な外郭団体や他省庁との折衝が必要でした。実は、これがパート3への伏線ではないかと、夢想しているのだが(笑)。
大規模災害は、現場が大混乱する上に、様々な縦割り組織が横に情報を共有してしかも、指揮系統がそろわないと対応できない。
そして、それができないことこそが日本社会の最大の欠点であり、日本民族が伝統的に形成する組織の欠点なんですよね。そこで右往左往する現場の人間の苦渋と誇りを描いていて、いやーえがった。この作品でも建設省の技官と民間の航空会社と警察庁、消防部隊、自衛隊が連携しないとあの大災害には、対処できないですよね。←この考え方が、『復活の地』の伏線となっているのはいうまでもない。成長する作家の面目躍如です。ちなみにパイロットや消防士などの守るべき規則と目の前にある緊急の現実のとの葛藤は、め組の大吾を連想させられた。

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わが心のフラッシュマン ロマン革命 Part 1

わが心のフラッシュマン ロマン革命 Part 1

2005/08/22 23:00

知的に誠実であること

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

知的に誠実である、ということは、ある問題的に解答を出し、かつ実践でそれを変えることだと思います。
過去に文壇で
『文学は、飢えた子供を救えるか?』
という問いがはやったことがあるそうです。この問いは今でも有効で、食べることが出来ない空想が、役に立つのか?という問題提起です。全てのものを、『役立つか?』という思考に還元するのはどうかとは思うものの、ベトナム戦争やアフリカの飢餓を直面しながら、飽食に飽きる先進国の住民には、誠実な問いだと思います。この問いへの真正面から答えたのは、この本以外には知りません。
解答は、こうです。人間とは、生物としての本能が壊れた生き物であり、その欠落部分を自己幻想欲=物語を生み出すことで、生きている。だから、物語は、飢えた子供を救うことは出来ないが、1日でも飢えを忘れてワクワク過ごすことができる。そして、それは下手をすると一切れのパンよりも、より人間らしく生きるために不可欠なものかもしれない・・・・・。自分の物語のために死を選べるヒトという種族は、食べ物よりもロマンが不可欠なのだ。
彼女の評論は、ある意味冗長だが、その分結論へ至る「思考の過程」を知ることが出来ます。小説家としても大成している彼女が、物語が心の中で生まれてくるプロセスを、微細に事細かに描写していく部分が、とてもエキサイティングです。ある意味現役バリバリの物語作家である自分の心を対象とした分析というのは、かなり貴重なものなんではないかなぁ。
副題に「ロマン革命」とありますが、『文学の輪郭』『ベストセラーの構造』で分析した価値の細分化による共同体の喪失は、物語とロマンの復権を導くだろうと結論付けています。10年も前の作品とは思えませんね。

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ベストセラーの構造

ベストセラーの構造

2005/08/22 22:58

マーケティングの良書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初めて読んだのは、もう10年以上前になるが、日本のマーケット状況、大衆心理、消費構造を分析した本では、これ以上に琴線に触れるものは、未だにない。当時は高校生だったが、企業に入社しマーケティングを担当しても、その印象に変化はない。時間の経過に耐える、というだけで良書は良書足ると思う。
そもそもの問いは、『ベストセラー』という一時期に大量に消費される文学作品という『現象』がなぜ起こるのか、ということです。そして結論は、作品そのものではなく失われていく共同体を疑似体験するための儀式への参加なのだ、ということ。社会学でいう80年代の島宇宙化による思考の細分化とそれへの反動を非常にうまく描写していると思います。この図式は、今でも全く色あせていないと思われます。
僕は、評論家中島梓と小説家栗本薫の小学生からの大ファンなので、多少色眼鏡にかかっている部分はあるかもしれない。第三者の目で見ると、冗長で同義反復が多い作者の文章は、嫌いな人も多かろう。しかし、結論だけならば、社会科学は、数式や一文の定義で表現できる。重要なのは、その結論へ至る具体的個別的なものから抽象度を上げていく『思索の過程』であると思う。中島さんのウザイところでもあり、素晴らしいところはその過程が逐一読み取れること。また自身が一時スキャンダルでテレビを騒がせたし、また天才的な物語作家として世界一長い小説グインサーガを書き、ヤオイものジャンルの元祖であり創始者というように、日本のサブカルチャーのど真ん中の材料から思索がスタートしている点が興味深い。今でも時々読み返して、同じ思索過程を追体験するようにしています。ある意味僕にとって「社会というものの構造分析する視点の」教科書ですね。
この分析を作品論に展開したのがデヴュー作の『文学の輪郭』であり、小説家として実践への宣言書が『わが心のフラッシュマン』です。そちらも合わせて読んだ上で、『コミュニケーション不全症候群』を読むと、非常に刺激的な知的スリラーであること間違いなしです。もう一歩言えば、これらの分析の母体となったコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』も合わせて読まれることをオススメします。

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オリガ・モリソヴナの反語法

オリガ・モリソヴナの反語法

2005/07/23 22:32

収容所文学としてのオリガ・モリソヴナ

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

<<オリジナルはどちらか?>>
作品の完成度として、オリジナル性としては、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』こそが、米原万理さんのオリジンであって、この作品も脚本構造は全く同じものである。作品としては、二番煎じだと思う。やはり、最初に読むならば、傑作『嘘つきアーニャ〜』をお薦めする。
しかしそれを越えて、この実体験のの中にある「物語性」を十全に引き出したのが、この『オリガ・モリソヴナの反語法』といえるだろう。ともすれば、実体験であるがゆえに、劇的に(いや普通から比べれば異様な劇的さだが(笑))展開しない『嘘つきアーニャ〜』の背後にあったはずの可能性、思い出が、物語の中に最高の形で展開されている。
分析的に言うと、米原さんはプラハの春の直前のソビエト学校に幼少の頃に通っており、コミュニストのエリートを育てるこの英才学校は、きわめてユニークで、幼い彼女にとても深い印象と思い出を残した。時は数十年たち、ペレストロイカが過ぎ去ったロシアに、かつての旧友達を探しにマリという女性が、旅立つところから『嘘つきアーニャ〜』ははじまります。共産党一党独裁のソビエト社会主義人民共和国では、ほぼ友人の連絡は、途絶えてしまって、日本での忙しい人生を送るマリは、過去を忘れています。しかし、自由化の進む今なら、探せるかも、と彼女は幼き日々の親友たちを訪ね歩きます。
そこで、幼少時の彼女には分からなかった様々な背景や謎が、解き明かされます。ここでは、
1)過去の自分との出会い
2)過去の子供でわからなかった深い政治的な背景の謎
3)現在の友人たちの行方という謎
といったいくつもの謎を重層的に追いかけるという、推理小説のようなミステリー仕掛けの仕組みに脚本は構築されています。たとえば、なぜ、大親友が手紙をくれなくなったのか?。また、凄く仲良かった親友が、なぜか、一度も自宅には遊びに来てくれなかった(とても来たがっていたのに)。・・・・こういった当時の小さな謎が、実は、とんでもない深い政治的背景があって、それが、数十年後に出会ったときに初めて解き明かされていく様は、まるでミステリーです。プラハの春やソビエトの東欧への弾圧など、背景的知識があればあるほど面白いかもしれませんが、それがなくても、非常に分かりやすく書かれているので、ふつうの頭があれば、まず感情移入できるものです。作品の構造は、全く同じです。それだけ、完成され、洗練された形式ということもあります。
あるロシアの通訳者が、子供の頃に通ったソビエト学校の友人に会おうとするところから、物語は始まります。そこでは、すばらしい踊りを踊るオリガ・モリゾウナといういったい何歳かわからないかなり年齢がいった老婆のダンス教師がおり、その素晴らしい人を魅了するダンスは、主人公の彼女が若い頃ダンスを目指すきっかけを与えたほどでした。程なく挫折して、離婚した彼女は、子供を育てるために、使えるロシア語の通訳者となります。人物設定は、結婚こそしていないもののまさに米原さんまんま。そして、彼女は、自分の過去を追うと同時に、この不思議なオリガ・モリソヴナとエレオノーラ・ミハイロヴナ、ジーナらの信じられない劇的で数奇な運命を辿っていくことになります。ぜひ、ご一読を!!。こんなに面白い小説を読んだのは、久さしぶりです。ちなみに、必要はありませんが、ソルジェニーツィン『収容所群島』や映画『シンドラーのリスト』などを読んで、スターリンの恐怖政治や収容所について知見があると、もっともっと感情移入できるかもしれません。また、浦沢直樹さんの『MONSTER』に凄く印象や作品の臭いが似ている気がしました。

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噓つきアーニャの真っ赤な真実

噓つきアーニャの真っ赤な真実

2005/07/23 22:24

ヨーロッパ的なモノ

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

はっきりいって、かなりの名作です。この作品は、1960〜5年(5年間)プラハでのソビエト学校(共産党幹部の子弟が集うインターナショナルスクール/いまでいうアメリカンスクールのロシア版)での体験記。小学生であったマリは、父親が日本共産党の代表として(事実上の大使のようなもの)プラハに駐在し、そこのソビエト学校で個性的な友だちに囲まれていた。男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。クラス1の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それから三十年、激動の東欧で音信が途絶えた三人を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった友人たちの背景に出会うというものです。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作ですが、素晴らしい作品です。
なによりも、僕がこの作品を読んでいて感じたのは、「ヨーロッパ的なモノ」が濃い香りとして漂ってきたことです。
『ローマ人の物語』の著者である塩野七生さんが、あるインタヴューで、彼女の好きなCMの製作者(電通のCMプランナー)に会わせてもらい、その人の作品を連続で見たところ、一度もヨーロッパに行ったこともないその人の作品があまりに完璧に「ヨーロッパ的なモノ」を再現していて、驚いたと感じた云っているのを読みました。
僕自身は、そのヨーロッパ的とはなにか?ってのは、はっきりとはわかりません。
ただ、毎回いろんなもの物語や美術を観たりしていると、ふっと「これかな?」と思うときがあります。物語で、もっとも見事にヨーロッパ的な感覚を再現しているの最近の作品は、僕は実は浦沢直樹さんの『マスターキートン』だと思うのです。日本とイギリス人のハーフの考古学者の半生を追ったマンガです。もちろんフィクションです。多分原作者の才能と膨大な知識量だと思うのですが、ココで描かれるヨーロッパの複雑な設定や登場人物(たくさんの宗教や人種が入り乱れる)のありようは、ほぼ均一で他国に蹂躙されたことのない(by村上龍)日本の島国意識では理解できない、複雑な他民族と大陸意識(国境が海ではなく陸地)があるように感じます。もう一つは、曽田正人さんです。このマンガ家は大好きなので、別途書評書きますが、この人の作品は、スポーツに関するものが多い。自転車(ツール・ド・フランスですね!)とバレエ(パリのガルニエ宮殿)、それにいま連載しているのはF1ドライバーを描く作品です。このどれにも共通するのが、日本人の才能ある少年少女が、スポーツの才能を突き詰めて突き詰めて極限まで来ると
『なぜかヨーロッパが見えるのです』。
これは、絵でもハッキリ分かる場面がありますから、ぜひ読んでみてください。なぜそうなのかは、近代スポーツの発祥がヨーロッパであることから来ているのだと思います。彼らにとって、モータースポーツもラグビーもポロもサッカーもサイクリングも、すべては、数百年の歴史を持つ伝統文化だからだと思います。日本の能や歌舞伎のようなものなのです。その計り知れない伝統の果てに、近代スポーツの仕組みは出来上がりました。これは有名な話ですね。さて話がそれましたが、この作品にも「ヨーロッパの香り」が強く匂います。日本にありながらこの匂いを出せるのは、著者がヨーロッパ的なモノを深く理解していなければなりません。そういう意味では、プラハのソビエト学校での体験記(日本でいう戦前の旧制高校の寮生活のイメージで見るといい)は、当時の世界中のコミュニストの子が集まる共産主義者のエリート子弟養成学校という性格からも、特異で興味深い体験です。僕は、なんとなく旧制高校をモデルにしたマンガを思い出しました。

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恋愛中毒

恋愛中毒

2005/07/23 22:19

吐き気がするような人間心理

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一言でいうと、ストーカー女性の内面を追った作品。中毒のように恋愛にはまっていく女性の狂気を丹念に描いている。けっこう長くて、しかも救いがない内容でカタルシスがないので、「何を期待して読むのか?」が僕には疑問だが、ただテーマとしては興味深い。この作品では、
主人公の水無月が、
1)なぜそのような狂気に苛まれる動機を持つに至ったか?
2)この後、彼女はどう生きていくのか?
が、つまりは原因と結果がまだ「描ききられていない」ので、このテーマの次の作品が見たいと思う読者や評論家は、多いと思う。ただ、このテーマを描くにあたって、同時代性や女性の共感を当てにしすぎていて「言葉による描写」というのは存外少ない。作者はもう少し勉強が必要な気がする。たぶん、時代的に「あーこれって私みたい」と思う女性は多いと思う。ただ、そういう共感という名の感性に支えられた作品は、時代を超えない。だから、もう一歩と思う。まだこのレベルで、大きな賞をあげるのは、早い気がする。
内容的には、主人公の水無月は、「世界に対して諦めを持って生きている女性」でその彼女が、「世界に戦いを挑んでいる野蛮人である創路巧二郎」を愛するようになるのは、非常によく理解できる。でもね、この愛のありかたは、間違いなく『愛人』にしかならないのだと思います。世の女性が、凄くはまりやすいパターンだけど。
それにしても僕は、全体を通して、主人公の水無月が『なんでこれほどやる気がないのか?』『なんでこれほど生きるエネルギーに欠けるのか?』がわからない。小説を読んでいると肌で理解はできるのだが、論理的に頭で説明がつかない。だって、明らかに水無月さんは、頭もよく、才能もあるようだし、やりようによっては、「自分自身の才能と能力で自分自身の居場所を獲得する」ことは、できないわけではない気がする。なんでそこまで自分に自信がないのか?。「親の期待に押しつぶされた」という親が全て悪い論は、ありがちで普遍的だが、それでもそんな程度の結論は、もうすでに陳腐だ。
読んでいて、この主人公の被害者意識とこずるさに吐き気がした。まず、「全部受身」「男性と付き合うことがすべて自分自身のセラピー」それは、甘すぎるよ。もっと世界と戦って、正々堂々と自分自身のほしいものを獲得すべきだ。全力で、野蛮ではあるけれども自分のほしいものを偽らず獲得しようと戦っている創路を、非常に「大人だ」と水無月が評するシーンがあるが、そのとおり。それが大人なんです。欲しいものは、自分で奪うしかないの。それを、主人公は頭でっかち(だから頭は中途半端に良いのだと思う)に考えてばかりいる。頭で考えすぎる人間は、心が狂うパターンがよくある。人間とは、頭と身体と感情の三位一体で構成されているといったのは、コリンウィルソンだが、主人公(=著者)は中途半端に頭に偏っている。だから、これだけ恋愛の話であるにもかかわらずSEX描写のシーンが、ほとんどなく、頭ではなく身体が感じる描写のシーンが物凄く少ない。これは、将来著者の最大の弱点になるような気がする。
とはいえ、全体としては、いい小説でした。個人的に、出てくる登場人物の性格が、ほとんど大嫌い(笑)なだけでした。

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旅行者の朝食

旅行者の朝食

2005/07/23 22:11

ロシアの知識人の系譜

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読んで以来、彼女の全作品を読破中。今まで知らなかった自分恥ずかしいほど素晴らしい。最高傑作は、やはり嘘つき〜ではあると思うが、『オリガ・モリソヴナの反語法』も、素晴らしい物語だった。なんでもっと早く知りえなかったのだろう?。読者好きの自分としては恥ずかしいのやら悲しいやら。その幅広い知識の豊かさに感服。しかも分かりやすい平易な文章は、僕の理想とするところの文章力だ。しかし、物語から入ったが、実はエッセイストとして有名な方だ。しかし、その基本は、どの文章でも変わらない。彼女の素晴らしさの特徴を僕が挙げるとすれば3つ
①ヨーロッパ的なもの
②ロシアのインテリゲンツィアの伝統
③コミュニストの子である自意識の強さと表現への強い衝動
こう要約できる。
とりわけ、エッセイには、②の側面が強く出る。彼女が職業としては、在プラハ・ソビエト学校を経て、東京外語大ロシア語学科卒業、東京大学大学院露語露文学修士課程終了し、ロシア語通訳協会の初代事務局長そして会長も勤めた、ロシア語同時通訳の大家です。彼女の核は、ゴルバチョフ元ソ連書記長による冷戦終了、ソ連解体の最前線の報道は彼女の力に大きいという、日本におけるロシア語の大家であるということを抜きには語れません。米原麻里さんは、まだまだ荒削りなものの、明らかにヨーロッパの知識人の幅広い感受性を持っています。なによりも、
①複雑な民族を抱えるヨーロッパ大陸の生活世界での感受性(言語の発音にこだわってその人の文化的な出自を想像してしまう部分など)や②ソビエト・ロシアでのコミュニストの理念が吹き荒れた歴史上最大級の人類に実験に対する感受性などなど、ヨーロッパ生活世界に住む人々には等身大で実感の視線や嗅覚や世界最先進資本主義地域であるヨーロッパでの知識人が持つ、さまざまな歴史的ヘリテージがまざまざと文章を読んでいて感じられます。
それを一言で要約すると、いわゆるロシアのインテリゲインツィア(知識人)の系譜に連なると思えるのです。レーニン、ゴーリキ、ドストエフスキー、トロツキー、バクーニン、ネチャーエフ、ラブロフ、プレハーノフなどなど。
ヨーロッパやアメリカ、中国などのアジアの情報は、かなり日本には入ってきます。しかし、ロシアの等身大の情報は、なかなか出会えません。そういう意味で、とてもセンスオブワンダーを感じます。
こうした臭いを感じさせる彼女は、僕の中では、イタリアなら塩野七生で、ロシアなら米原万里を読め、という感じになっています。

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電波男

電波男

2005/04/23 23:49

自由洗脳社会におけるオタクたちの反旗

13人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

僕は今を岡田斗司夫さんが『ぼくたちの洗脳社会』で主張する自由洗脳社会と考えています。それは資本主義的に「価値観」がマーケットによって選別される社会です。またインターネットの存在により、一般社会では社会では生き残れないようなニッチな価値観が凄まじい多様性で維持される世界です。だから同じ事実からどのような解釈(=価値観)を導き出し宣伝するかが重要な社会です。この本は恋愛資本主義の上層部に位置する女性たちの価値観(いわゆる酒井順子の負け犬論や倉田真由美の『だめんずうぉーかー』)に対する最下層(苦笑)男性側からの反旗ですね。基本的に消費マーケットは、女性の側の価値観に支配されてきました。それは消費の先導者が長年女性だったからです。マーケティング対象は、女子高生や少女をターゲットにすることが慣習化しています。
本田透さんが主張するように80年代バブル以降は「恋愛資本主義」である主張は事実でしょう。昨今の電車男のブームの予想はまさにドンピシャで、世のなかの原理が本田さんの主張する仕組みで動いているという仮説を補強します。なぜならば、これは「典型的な女性」を対象に消費をドライブする戦略だから、当然といえば当然ですが。この事実に対して本田氏は、「人格を売買の対象にすること」に対して拒否を宣言します。そして、無自覚にそれを肯定する「いわゆる典型的な女性層(酒井順子や倉田真由美の意見)」に対して、反旗を翻します。
最終的な結論は、これは天才・岡田斗司夫先生の議論の展開であって、現状分析はほぼ僕も同意見です。ただし、唯一彼から抜けているのは、同じ解釈で女性や少女から見た視点が抜け落ちていて、男性側の論理で完結してしまっている点です。消費や人格の売買を肯定する社会が、腐っていると看破するならば、オタクのように女性も「二次元の対象」を見つけてナルシシズムに陥ればいいのか? マンガの『ルサンチマン』や多くのサブカルチャーが夢見たように、オンラインコンピューター発達と感覚刺激のための大脳システムの解明とインターフェイスの開発により、SEXまでできる異性の相手を得ることができるゲームは、あと10〜20年で開発されるのは、資本主義のスピードから行って間違いあるまい。だから時代は止められないとは思う。しかし実際この部分は、男性よりも社会的な搾取の対象である少女の方が強烈に敏感で80年代に中島梓がボーイズラブにハマル少女の分析として『コミュニケーション不全症候群』『タナトスの子供たち』を分析しています。彼女たち(つまりは十代の少女で恋愛市場にエントリーさえできない女性たち)を、無視するのは議論が雑と思う。本田氏の議論は、ちょっと男性のキモメンオタク側に偏っていると思う。この議論の本質は、人格を金による評価をしている現実にはじかれた層が、どうやって生きていくかという部分に論点があり、それは男女や階層、地域を問わない議論なはずだからです。
僕自身かなりオタクな人であるし、本田透の魂の叫びには、非常に同感する。わかる人には、死ぬほどわかる議論だ。3次元の現実に対する否定は、よくわかる。基本的に、3次元は腐っているのはいつの時代も変わらない。ニーチェもドストエフスキーも『アウトサイダー』のコリンウィルソンも、二次元に極まって後、行動至上主義へ転化を象徴しているが、そこにはネチャーエフや都井のような現実社会への復讐で大量殺人や大問題を引き起こす可能性も常に存在している。時代の流れは止められないにしても、こうした二次元の対象に対して強烈にコミットするナルシシズムを肯定して、テクノロジーでそれを維持する社会が、社会制度設計としてあるべき姿なのかは、僕にはまだなんともいえない。ただ、現状分析の正しさと、流れの不可避は確実だと思う。

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僕はこうやって11回転職に成功した

僕はこうやって11回転職に成功した

2005/04/23 00:15

転職者のバイブル

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

転職経験者(とりわけ外資)にとっては山崎さんの著作は、素晴らしい経験則の宝庫で、これほど転職に役に立つ本はないと、私の周りでは断言されています。
この本を読むと著者の性格は、至純な純粋さと、内部告発をしてでも自分の尊厳と「正しいこと」を貫く姿勢は、尊敬に値する見事さです。ましてや共同体主義の蔓延する日本社会で、これほど「個」を貫く姿勢は、賛嘆を禁じえない。しかし同時に、パンピーの一サラリーマンの立場から一言で言うとやなやつですね(笑)。尊大なエリート主義と実力と努力と言う聖なる剣で他人を裁断する傲慢さ。
日本型資本主義社会・共同体という労働の流動性が低い市場で、転職するということ、そして外資に代表されるイメージである流動性の高い労働市場で、独立自尊を持って「労働力」を売る、そしてその質を自分ひとりの力で高め守り抜く孤高の労働者を貫くということが、じつは「こういうことなんだよ!」と知らしめている気がする。ある意味ぬるま湯につかった仕事をする日本株式会社のサラリーマンや英語しか出来きないなんちゃって外資の人には耳が痛い本だろう。彼の耐えざる努力と変化に対する耐性、そして「自分の信ずるところを持つ」というおよそ一般のサラリーマンから遠いところにある「ほんもの」には頭が下がります。
彼の傲慢さは、その裏返しの孤独と清廉潔癖な理想主義を示しているのだと思う。また、労働市場の流動化が達成されている世界で、真に独立自尊の労働者とは、かくあるべきなのかもしれない。と言うのは言いすぎか(苦笑)。僕は、この次々に変動していく生活環境で、自分自身を見失わないでいられる著者の精神構造が、「どうやって形成されたのか?」が不思議でならない。日本人は教育のせいか伝統のせいか、環境に合わせるのは得意だが、環境を否定して、環境を作る・選ぶのは不得意だと思うんですよね。何で、彼は、できるようになったのか? 疑問です。生い立ちを知りたいと思うのは僕だけだろうか?
それと転職への参考として読むならば、「転職のモデルケース」として、金融という産業は必ずしも普遍的ではないのは、考慮すべきだろう。金融関係のエリートで、次々に転職を繰り返す例は、よくあります。本当は管理部門やメーカーなどの転職の方が、一般例ではよいので、知りたい気がしますが。

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