サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. tujigiriさんのレビュー一覧

tujigiriさんのレビュー一覧

投稿者:tujigiri

36 件中 31 件~ 36 件を表示

紙の本蛇神降臨記

2005/10/18 14:36

蛇神降臨記/ノストラダムス系?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ミッシングリンク」というフレーズを知っていますか?
人類の進化段階にはいまだ謎につつまれている期間があって、人類の祖先とホモ・サピエンスを直接につなぐ過程には欠落があるとされています。
その部分を「ミッシングリンク(失われた連結)」と呼び、ここに地球外生命体の介入があったとするSF作品は掃いて捨てるほどあります。その代表的な例が「星を継ぐもの」 ですね。
小説以外でも民間研究者の怪しげな著作はごまんと刊行されており、比較的最近ではグラハム・ハンコックの「神々の指紋」や「創世の守護神」が話題をさらったことは記憶に新しいところではないでしょうか。
好事家ならば、ここで「ノストラダムスの大予言」を流行らせた五島勉や宇宙考古学者を自称したデニケンの名を思い出すことでしょう。オカルト誌「ムー」や漫画「MMR」なども、彼らの読者には馴染み深い刊行物ですね。
デニケンは古代史上の謎をほとんどすべて宇宙人起源説で読み解いたおもしろい人物で、僕も小学生のころは彼の言説にずいぶんと興奮したものです。
デニケンのように謎をより大きな謎に直結させる論法ほど単純に好奇心に訴えるものはないのですが、デニケンやデニケン派の研究者たちは、自説のフィクション的なおもしろさを物語に飛躍させる手法に気づかなかったおかげで、いわゆる「トンデモ本」を書く妙な人たちとカテゴライスされてしまいましたが、これは僕のような小説主義者には大きな損失にほかならないわけです。
だってそうでしょう?かの「星を継ぐもの」だって仮に学説として発表してしまえばただの珍説妄論にすぎなくなるわけで、著者のJ・P・ホーガンがそのアイデアにエンターテイメントの息吹を吹き込んだからこそ、SFの名作として後世にまで伝えられる命を得たのです。ならば、デニケンらのアイデアが娯楽小説として永らえるという選択肢があってもいい。アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」のように映画化までされればなおいい。
そう思いませんか?
ここに「蛇神降臨記」という一冊の本があります。作中で、遠い過去における宇宙人と人類の交接を主張する学者が誰あろうデニケンを否定的に引用するといった芸当を見せるオマケもあって好事家を楽しませてくれる、古代史と地球外生命を結びつけて遠大なエンターテイメント作品に仕上げた一大ハルマゲドン巨編です。
ナスカの地上絵やティオティワカン遺跡などおもにメソアメリカの歴史的被造物にマヤの神話をあしらって、悪意に満ちた宇宙人の襲来を人類の終末と位置づけるあたりは、トンデモ学説に愛着を感じずにはいられない人間の嗜好をきっちり押さえた匠の技といえるのではないでしょうか。
やや視点がぶつ切りにされすぎているきらいもありますが、謎の宇宙人出現に色めき立つホワイトハウスや、混乱のまま世界核戦争に移行する各国の軍事状況などもよく書けており、そのまま映画化されても遜色のない作品になっています。
やまぬ衝動に突き動かされてしまった方、安心して本書を手にとってください(笑)

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ロビンソン・クルーソー

2005/10/18 13:21

ロビンソン・クルーソー/文明論の手引きとして

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投機的精神に富む貿易商ロビンソン・クルーソーが嵐にあい、ひとり流れ着いた先は無人島だった。
そこでの20数年にわたるサバイバルを伝記体で書いたのが本書「ロビンソン・クルーソー」である。
ロビンソン・クルーソーの置かれた、誰ひとりほかに人間はおらず、複雑な道具類をほとんど持たないという状況はたしかに苦境そのものだが、野生の山羊や海亀などの比較的捕獲しやすい動物や、葡萄やメロンをはじめとする豊かな実りに恵まれた島の条件は、慣れてしまえば生存には適した環境になる。
事実、作中のクルーソーははじめこそ衣食住の問題に苦慮するものの早い時期にそれらすべてをクリアしており、途中からは不信心者が神のおおいなる御手に畏敬の念を抱く過程を描くストーリーにシフトしている。
また後半で流れ着く難破船は神の福音ともいうべきストックを彼にもたらし、結局孤島の支配者が物資の決定的な欠乏に苦しむシーンは描かれぬまま、クールーソーの帰還で幕を閉じる。
作者デフォーの構想もはなはだいい加減なもので、上陸当初には影も形もなかった犬猫が唐突にあらわれ、実はクルーソーとともに海難事故を乗り切った仲間として扱われるなど、前述の難破船を含めてきわめて後付けのご都合主義に貫かれた作品ということができる。
もっとも、これは現代の発達した小説手法の渦中にいる人間だから指摘できることであって、発刊当時はすぐれて論理的に構築された小説とみなされていたのだろう。
現代人にとって「ロビンソン・クルーソー」とは、漂流記の古典としてこれを楽しむ意義もじゅうぶんあろうが、それよりも社会学的興味を満たす文献のひとつとに数えたほうが、より意義深いのではないだろうか。
それには作者デフォーの実像と、彼の生きた17世紀後半から18世紀前半の時代を俯瞰する必要がある。
デフォーは1660年にロンドンで生まれたとされ、没年は1731、半狂乱のなかで亡くなったといわれている。中産階級の家に生を受けた彼は将来牧師となるべく教育されるが、これを嫌って商業の世界に身を投じ、23歳で貿易商となる。この出自がのちのクルーソーの人物設定の基礎となったのだろう。
デフォーは破産と興隆を繰り返しながら、持ち前の文筆力を駆使して政治的なパンフレットを書いては逮捕・出獄を経験するなど、波乱に満ちた人生を送ることになる。やがて当然ながらイギリスの初期立憲政治にコミットメントをもつようになり、ホイッグ党とトーリー党の政権変遷のあいだでめまぐるしく立ち位置を変化させ、民衆から狐狸のごとく疎まれるようになった。
このような身の処し方にはデフォーなりの政治的信条もあったのだろうが、経営手腕に富み政治感覚に敏い彼の姿は、後世の我々からすればはなはだ山師的な様相を帯びている。
しかしこれはデフォーに限った現象ではなく、当時の都市生活者に共通する生き方であった。
16世紀に端を発する宗教革命は余剰を是とし利殖を善とするあらたな思考様式をもつプロテスタントを生み、また17世紀という時代はその後18世紀半ばに成果をみる産業革命の前段階として、いわば世相全体が投機的な風潮に染まっていた。
あふれる才気に鼻面を引き回された観のあるデフォーは、むしろ時代の申し子といっていいだろう。そのデフォーの生み出したクルーソーが、艱難のうちに神の存在を再確認しながらもすぐれて合理的な発想で生活環境を整えていった流れは、その意味で時代性を如実に反映している。
目的合理的に孤島の生産手段を改善する科学的思考と、キリスト教化されざる土着民を蛮族視しクルーソーに隷属すべき人種として登場させる通俗性が同居するこの小説は、ゆえに前近代的な代物でありながら社会学的な文脈において貴重な文物となっている。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本ロゴスの名はロゴス

2005/11/22 11:23

ロンリーな論理

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

双葉文庫刊行の呉智英本は分量、質ともに非常に読みやすいので、物語に倦んでふと脳みそに通気したくなったときに重宝している。
呉智英の大きな仕事といえば、人権病に侵された日本民主主義を批判して封建主義の復権を半ば本気で唱えることだが、一方で同時代の知識人の誤謬・誤読を指摘する作業やマンガ研究に勤しむなど、知的活動にそう適していない僕のような人間にも引かれやすい面相を持っている。
彼の言を俟つまでもなく言葉とは論理にほかならないが、論理の徒たるべき知識人や言論人がおよそ論理的とは思えない言葉遣いや用法の間違いを犯しているさまに、呉智英は慨嘆するのである。
本書でいえば、てんでお門違いの枕詞を使用して得々としている著名歌人や、字義の誤解に気づかず差別論を展開する学識人、または誤訳をものともしない新聞記者などにやんわりと、それでいて皮肉の利いた筆誅を加え、いかに論理をないがしろにした言説が現代を席捲しているかを説いている。
それでいて嫌味な印象をさほど与えないのは、行間から事物を正確に理解しようとする真摯さが透けて見えるからだ。
いったい言葉を通じて事の本質に届かんとするならば、文字の内にひそむ厳たる論理を踏んで進むほかなく、その意識なかりせば、例えばハンドル操作と車軸の連動作用を識らずして車を走らせるドライバーのようなものであって、周囲に災禍を撒き散らすことおびただしい。
呉智英は、市井のいち個人による言葉の誤用は特に問題視しないが、教習所における教師にあたる人物が同様の誤りを犯し、どころかそれを拡大再生産しているようなら、容赦なしにこれを叩く。
どうだろう、かような隠者は社会にとっても必要な存在ではなかろうか。
以下、本エッセイの小題を紹介しておく。
カメラに「フイルム」を入れるのが日本式なのだ
「超」だの「ド」だのがついても由緒正しい言葉がある
大きい「ツ」と小さい「ッ」には本質的な違いがある
歴史的仮名遣ひって論理的でせう
白線までさがるのは「危険ですから」か「危ないですから」か
東日本の訓読みと西日本の訓読み
意味がなんとなく通るとき誤用は見逃しやすい
「攻め合って」「防ぎ合う」から「せめぎ合う」なのか?
日本人は音声だけでなく文字でもしゃべっている
単語の日本語訳と語法の日本語訳
「鹿」と「猪」と「獅子」はどうつながるのか
「鍵」に当たるのがアメリカ人、「鍵」に乗るのが日本人
「r」と「R」、発想のちがい
「ドれみ」ときたら「ソらシド」だよ
月や雲に命令してどうするの
牛から落馬することもある
世界に広がる日本的怪獣命名法
女王様といも姉ちゃん
「照る山」や「きら星」はまだいいけれど
「武士」は明治以後出番が多くなった
「祭」が「神」のことだなんて、この漢字じゃわからないよ
料理のイルカは魚偏
コンパスと数式
可愛いわがままの陰に犠牲あり
「人生論」と「人性論」
若い歌手がサビていてどうする
御飯も新婚夫婦も「あつあつ」か
「税金天国」は無知の天国
半疑問と一字余白の疑問
「てらい」で正しいかどうか「ためらい」はないのか
お茶の色と桜餅の色
夢の半面
日本人がスープを音を立てて「飲む」理由
「立ち上げ」を満足する解釈を求めよ
上がる「ない」と下がる「ない」
「阿」はどちらの「ねる」か
「弁理士」と「弁護士」は仕事も違うし字も違う
外来語を使う時は「リゴリズム」で
「精神」や「神経」のどこが神なのか
言葉の冤罪に慨嘆
朝から始まるか、朝で終わるか
いろは歌、清むと濁るで大ちがい
大和言葉の数詞と論理性
憶えにくい「帰納」と「演繹」
赤の広場の白い人たち
上弦の月だったっけ、みょうに忘れっぽいね
「憮然」と「愕然」、どっちが内向的で、どっちが外向的
「ひだるい」倦怠感て何だ?
「いわく」と「のたまわく」
死語に濡れぎぬを着せる差別語狩り

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本コンセント

2005/10/18 14:28

コンセント/逸脱者のインナーワールドを描く

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

初読。
兄の腐乱死体との対面を契機とし、日常空間で死臭を嗅ぎわけてしまう体質になってしまった朝倉ユキ。
やがて異変は嗅覚にとどまらず、霊感が研ぎ澄まされてしばしば幻影や白昼夢に悩まされるにおよび、ユキは生前の兄が残したたったひとつのキーワード「コンセント」を灯明にして、みずからの心の奥へとわけ入っていく…。
一見、途中から話が妙な方向に進んでいくようにみえるのは作者の狙いどおりなのか。
だらだらと振幅の小さい筆運びのはてに物語は意外の結末に放散していくのだが、あえて弾道の低い話筋を選んだことによって、終盤のホップ感がいや増した観はある。
が、もしもこれが全力投球の結果なのだとしたら、物足りなさを指摘せずにはおけないだろう。
謎の衰弱死をとげた兄の人生を追認識していく過程で家族関係の実相をさぐり直すという、ある種ありきたりな文脈がゆるやかに逸脱していき、後半から異能力者の物語に変容していく際の接続の悪さにしっくりこないものを感じるのだが、それが作者の持ち味なのだとすればあながち悪い資質でもない。
問題は展開の低調さが作者の構成意図に起因したものではなかった場合であり、本書一冊をもってそれを判断するにはいささか材料不足というところか。
少なくとも、どこかで見かけた「ひきこもりを描いた現代小説」的な論評が的外れなことは間違いない。
本作の続編に近い小説が発表されている(「アンテナ」)とのことなので、そちらを読んでからあらためて田口ランディという作家を見極めたいと思う。
概して女性作家の小説は苦手なので、ともかくも「次」の意識がわいただけでも何かしら引っかかるものがあったということなのだろう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本国書偽造

2005/10/18 14:32

国書偽造/対馬に咲いた戦国の仇花

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ときは江戸初期、対馬の宗氏に仕えながら幕府からも別に一千石を与えられていた男がいた。男の名は柳川調興。父祖の代からの朝鮮外交のスペシャリストとして、内外に聞こた辣腕家である。
幕府における対朝鮮の公式窓口である宗家の領国経営は、その実、行政手腕に富んだ柳川家が牛耳るところであったらしい。
この柳川家の若き当主が突如として幕閣に所領の返還を申し出たという事実から説き起こした小説が、本書「国書偽造」である。
三代家光の御世となり、もはや乱世は過去のものとなった時代。いかに才覚があろうと、槍先一本で領地を奪い取る戦国の風はすでに絶えようとしている。時代は急速に安定に向けて収束しようとしていた。
そんななか、燃え滾るような野心に身を焦がす人間がいた。柳川豊前守調興、当年とって三十一である。
主と奉るにはあまりに卑小な宗家と決別し狭い対馬を飛び出して、一個の才人として世に出たい。徳川の旗本に転身してあわよくば幕政を動かすテクノクラートにのし上がり、存分に腕をふるいたい。
自分の器量をもってすればじゅうぶんに可能なはずだ。
思いは遊弋する。そして望む扉は閉められつつあった。
ここで調興は乾坤一擲の大博打に打って出たのである。
いわく、宗家に国書偽造の罪あり。
太閤秀吉の征朝以来絶えていた二国関係を正常化する任を帯びた宗家は、文書の形式や進物の多寡によってたがいに相手国を下風に置こうとする両国の水面下での熾烈な外交合戦の最前線に立たされていた。
朝鮮半島との交易によるところの大きい領国経営と、幕府の外交委託機関としての立場に板ばさみになった宗家に残された唯一の手段は、対馬での密かなる国書改竄であった。
この苦渋に満ちた背任行為の暴露を起爆剤とし、最後に柳川家だけが浮上するために、調興は権謀術数の限りを尽くして立ち回るのだが…。
惜しい。画期的な題材と着想を得ていながら、このつまらなさは一体どういうわけだ。
場面場面はしっかりと書けているのに、全体を貫く物語性があまりに貧困。資料的にも充実し、小説の頭尾もきっちり整合性を計算されたものであるだけに残念きわまりない。時勢に抗おうとする調興の姿にみずからを仮託しようとする作者の気負いのみが先行し、その荒々しい鼻息が行間に横溢しているさまはほとんど不快ですらある。
本書の壮大なる空回りを目の前にして、僕は思わず絶句してしまった。物語の紡ぎ手としてはあまりにお粗末にすぎる。この一冊のみにて断を下すのはいささか過酷かもしれないが、作者は自分の小説スタイルをもう少し煎じ詰めて考えてみる必要があるのではないか。
書き手としての気位は大いに支持したいが、ぶざまな自己完結には容易に認めがたいものがある。
今後に期待したい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本120% coool

2005/11/09 13:24

都会の恋愛模様

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

山田詠美? ああ、女版村上龍ね。
いつかしら、こんな台詞を聞いたことがある。
女版、村上龍。
僕のなかで村上龍の評価は定まっている。
外部社会の目線を身体に取り込むことに成功し、愚昧なままにとどまる社会を挑発する作家。
よくも悪くも、優越感をにじませる作風。
山田詠美も同じなのだろうか。ぼんやりとした異物感を抱きながら、僕は本を開く。
ふむ。
90年代風の、小さな高揚感と軽い憂欝をないまぜにした恋愛小説が9篇ばかり。
篇によって男女の主客は替わるけれど、基本的には女が能動的な立場にある(あるいは、そう思いたがっている)男女関係を、都会的なフレーズや小道具を散りばめてムーディーに描こうとしているようだ。
恋愛に付き物のどろどろとした情念や、男女関係に不随する負の側面をさらりとかわし、それでいて誰にも許容できる範囲の見苦しさはふんだんに盛り込む。
作者は一貫して、恋愛をコントロールの利く交接ととらえている。
そこにあるのは、切実さよりもきれいに加工された思い出だ。
計算された露悪、ということなら、なるほど村上龍に通ずる感覚があるだろう。
常に行動者たらんとする意識も共通している。
が、山田詠美の小説に深刻さはない。村上龍がその作品でしきりに煽り立てる危機感が、ない。
だから読みやすい。
刺すらもやわらかい薔薇の造花のような、疑似的な痛みが陳列されている。
それは安全なアバンギャルド。
この作家が女性に強く支持されている理由がよくわかった。
彼女たちはきっと、臆病な夢みる少女なのだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

36 件中 31 件~ 36 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。