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カフェイン中毒さんのレビュー一覧

投稿者:カフェイン中毒

129 件中 31 件~ 45 件を表示

紙の本買おうかどうか

2009/09/09 22:00

どうせ消費し続けるなら、楽しく慎重に!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

いつからかエッセイを読む割合がぐんと減って、たまに手にとっても、
「読みかけの小説(もしくは次に読むつもりの小説)が気になって仕方がない」
という状態になってしまいました。
エッセイ関連はすごく気になるもの以外、だんだん手を出さなくなっています。

岸本葉子の本はずっと読んできたのですが、考えるとエッセイ一筋っていうのも大変そうですね。
そのときどきのテーマ(たとえば彼女なら、独身の30代とか、マンション購入とか)があればいいけれど、
私のような勝手な読み手が、「うーん、ま、機会があれば」という買い方をするようになる可能性も高そう。

物書き特有の鋭い毒はないものの、彼女には庶民感覚とか、小市民的な発想があります。
それを言葉にするのに長けていて、長年エッセイで食べていけるのだから、これはやっぱりスゴイ。
毒のなさが「なんか物足りない」、
庶民感覚が「共感できるけど、モノカキ業界っぽくない」という不満を生みそうですが、
チャーミングかつ聡明な部分で相殺されている印象です。

その彼女が『がんから始まる』で見せた、陰の部分。
自らの中に生まれたその陰を緻密に探り、単なる闘病生活を綴った以上の作品に仕上げ、
それからしばらくは、仕事の軸足が「がん」だったように思います。

それで稼げるとかそういうことではなく、
おそらく彼女自身が生きていく上での、最大のテーマになったからでしょう。
その後の食物の自然志向から書かれたいくつかの作品も、
基はがんを患ったことから始まっているようですし。

前置きが、あまりにも長くなってしまいました。
そんな彼女が書いた、病気とは無縁の痛快な作品がこれです。

目次を見ただけで、とりあえず読みたくなってしまうラインナップ。
多くの人が、一度は買ったもの、
あるいは『買おうかどうか』迷った経験のあるものが並んでいるのです
(ここにひとり暮らしとか、独身とかはあまり関係なく思われます)。

ホームベーカリーだの、パソコン出張サービスだの、財布だの、アロマオイルだの、
いやもう、周りに訊いてもさまざまな意見の返ってくるモノばかり。
吸盤フック、醤油さしなんていう渋い(でも誰もが一度は失敗してそうな)ものもあります。

この人、買うまでの下調べも慎重さも庶民感覚で、同じようなことしてるんだなあと嬉しくなってしまう。
ネットのクチコミに右往左往したり、微妙なエコ心理に振り回されたり、
とにかく気になる品物を買うまで(そして買ってから)が、コミカルでキュートなのです。

買ったあとの感想(使い勝手、値段に見合ったものか、使用頻度など)も
詳しく書かれているので、これが意外と参考になります。
事実、私は付箋を貼りまくっていました。
「あとで、ネットで調べようっと」
これ、買い物の醍醐味ですよね。

そう、この本そのものが、詳細なクチコミなのです。
買い物の失敗には、なるほどと勉強させられ、ついでに他人ごとなので笑ってしまいます。
良い買い物には、もちろん付箋を。
夢中で読んだのですが、自分もショッピングした気分になっていました。

どうやら雑誌での連載は続いているようです。
続編が出るのでしょう。
それは「当然、買う」に予定しておきます。

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紙の本用もないのに

2009/08/20 09:24

ものぐさ作家の新たなる挑戦(という名の、ときどき逃避)

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

奥田氏、また旅に出ています。
編集者に強引に連れて行かれたり、煮詰まった小説からの(気分転換という名の)逃避であったり、
あいもかわらず積極性とは程遠いのですが。
いや、ホント、タイトルそのままに『用もないのに』って感じです。

北京オリンピック(もちろんメインは野球)、ニューヨーク(観光&野球観戦)、などに加えて、
ずっと気になっていたフジロック(雨)、愛知万博(真夏の炎天下)、
四国お遍路(讃岐うどん付き)エトセトラ。

あちこちの出版社に書いたものの寄せ集めなので、まるっきり文体が違っていたりもするのですが、
これが不思議と気になりません。
ひとつひとつの行き先ごとに、きちんとまとめあげているせいなのか、
むしろシリーズとしてではなく、別の読み物として、それぞれを楽しめました。
そして、どれも文句なくおもしろい。

なかでもちょっと感動したのが、ニューヨーク観光。
憧れの街であるにもかかわらず、足を踏み入れるのは初めてという著者が、
目を輝かせているのが伝わってきます。

こちらまで興味津々だったのが、フジロック。
たしかに年齢とともに、体力的なこと以外にも、どんどん敷居が高くなっていく気がしますよね。
けれど、ちょっとだけ勇気を出して覗いてみた世界は……。

そして問答無用でおかしかったのが、
富士急ハイランドにできた、世界一の回転数というジェットコースター体験記。
割かれているページ数は少ないのですが、読んでるあいだずっと笑っていたような気がします。

なんで人はジェットコースターなんてものに乗りたがるのか。
でも人気なんですよね、どこへ行っても(私も並びますけど)。
順番が回ってくるにつれ、ただただブルーになっていく著者のグループ。
敵前逃亡する者あり、悲壮感漂う会話ありで、罰ゲームの様相を呈しています。

小説家が書くエッセイというのは、とても微妙で、
小説がおもしろかったからとエッセイに手を出して、
「毒にも薬にもならんというか、べつに読んでも読まなくてもなあ……」
というケースが、案外多いような気がします。
でもエッセイがおもしろい小説家は、文章が巧いんですよね、おそらく。
だから何かとんでもないことが起きなくても、充分楽しめる作品になっている。
ネタ勝負でないところで満足できる作家が、私はやっぱり好きみたいです。

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紙の本さよならの扉

2009/06/10 09:32

ひとりの男が遺したふたりの女

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ひとりの飄々とした男が、末期がんで逝ってしまいました。
遺されたのは、ほとんど社会経験のない妻と、未婚OLの愛人。
なんとこの夫、愛人の存在がバレていないにもかかわらず、
彼女の名前と携帯電話の番号を、がん告知の日の夜に妻に手渡すのです。

すでに決まった事実として、やがて訪れる夫の死。
その瞬間、動揺した妻は、愛人に電話をします。
それがターニングポイントだったのかもしれません。

「もう終わったことですから」と関わりをもたずにすませようとする愛人に、
「お線香をあげに来て」「住所を教えてくれ」「友達になりたい」と振りまわす妻。

愛人としては警戒します。
男が亡くなっただけでもショックなのに、このうえややこしいことになるのかしらと。
ところがこの妻、本気で友達になろうとしているのですね、夫の愛人と。
愛人側のわずかな罪悪感につけこんで接近をたくらむ妻は、いつになく生き生きとしています。

天然というか、ぼんやりした性格でデリカシ―に欠けるような、でもそこが少し可愛い妻。
一方で、仕事をきっちりこなし、男との関係も比較的割り切っていたつもりの隙のないタイプの愛人。

妻は、夫が亡くなっても泣けないことや、
やってみたい仕事(スーパーのレジ係)について、娘に反対されて不満なことを、
「ねえ、聞いて」とばかりに愛人に電話します。

愛人はというと、昔、家族を捨てた父親の介護に追われていて、
電話が鳴るたびに「父の死の知らせだ」と身構えるのですが、
お荷物になった父の死をはたして望んでいるのか、
溺愛されたファザコン女には、自分がわからなくなってもいます。

このふたり、性格は水と油のようですが、共通点があります。
がんで逝った男に、惹かれ、愛されたというのはもちろんですが、
常に身の回りに、死のドタバタがついてまわっているのです。

死のドタバタと書きましたが、著者はこの40女たちの身内(もしくは近しい人)の死を、
けっして軽く扱っているわけではありません。
人の死が目をそらせない事実であり、けれど通過点に過ぎないという描きかたのように思います。

人が死ぬと、遺された者にはたくさんの雑務が襲ってきます。
テンションはあがり、やたら張り切る輩も出てきます。
それが悪いわけではなく、それもまた‘誰かの死’についてまわることのひとつ。
死がつきまとう物語のなかで、そういうドタバタや、
ふたりのお互いに対する温度差、警戒心の差などが、妙な可笑しみを生み出します。

最後の最後まで(そしておそらくは、小説には描かれていないこれから先も)、
妻に振り回されては怒鳴る愛人。
天真爛漫なまま、彼女につきまといながら、呆れ顔で受け入れられる妻。

ごく普通の男が最期に遺したものとしては、気がきいています。
どう転ぶかまったくわからなかった、愛人の名前と電話番号のメモ。
彼女たちを愛した男には、なんとなく「悪くはならないだろう」という予感があったのかもしれません。

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紙の本漫画がはじまる

2009/03/09 14:09

井上雄彦の「誠実」

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

丸一年間『SLAM DUNK』しか読めなくなってしまうという、常軌を逸したハマり方をした詩人の伊藤比呂美。
その彼女の巧みなリードで、気持ちよく脱がされたと言って憚らない作者の井上雄彦。
文章、漫画というそれぞれの世界で多くの人を魅了し続けるふたりの、これは対談集です。

井上雄彦というと、真っ先に「誠実」という言葉が浮かんできます。
人に、世間に、そしてなにより作品に対して。
漫画史に残る傑作『SLAM DUNK』が終わったあと、
おそらく『バガボンド』を描き始めた頃から、その印象は強くなる一方でした。

宮本武蔵を井上流に描いた『バガボンド』。
その同時発売された1、2巻の衝撃は忘れられません。

心が揺れないよう強くなるために、生きるために、自分を襲う人間を殺すことをためらわない10代の武蔵。
強いのに、斬られているのは相手なのに、武蔵の悲鳴が聞こえてきそうなほど苦しいページが続くなか、
村を出る直前に用意されていたのは、他者からの(おそらくは初めての)‘赦し’でした。
その場面を嗚咽を漏らしながら読んだのが、かれこれ10年前になります。

武蔵を描くこの作品で、多くの人は死んでいきます。
気持ちが悪くなり、息が詰まって読み進めるのが困難なときさえある。
それでも、命のやりとりに対する責任らしきものが感じられ、
無造作に生死を描いているという不快感を味わったことがいまだなく、
そこに、井上雄彦の誠実さを見てしまうのです。

伊藤比呂美は『SLAM DUNK』を、現代の軍記物と言い切ります。
バスケットボールの試合であり、命は取られはしないけれど、これは「戦い」なのだと。
そして軍記物の基本は、滅びの美……だと。

指摘され、初めてそういうふうに考えたという井上雄彦も納得するように、
彼は『SLAM DUNK』から『バガボンド』へと、戦いの場を移していったのでした。

もちろん言葉を操るプロ、伊藤比呂美ならでは読み方ではあるのかもしれません。
そういう深読みもあり、単純に仕事のしかたやスケジュール、デビューの頃の話もあります。
力量不足で描ききれなかったという作品の話も少々。

作り手というのは、その作品を読み込んだ人との対話で、新しい自分に気づくこともあるのでしょう。
そうしてひとつ抜け出た作り手の新しい物語を、読者は享受するのです。
とても幸せなことだと思わずにはいられません。

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紙の本告白

2008/09/16 14:36

目を背けたいのに、一気読み

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

やりきれない想いと嫌悪感ばかりが募るのに、
ページを繰る手はどんどん速度を増していく、そんな1冊でした。

ある女教師の衝撃の告白から、物語は始まります。
最愛の娘は、目の前にいる教え子の中の2人に殺された……と。
学校を去る前に、彼女は犯人を裁くのか?と興奮気味に読み進めていくと、
けっこうな一撃が待ち構えていました。
それが、最初の章。

さて、その一撃が教室に(そして犯人に)与えた影響が気になります。

犯人たちのかなり近くで、それらを体験した少女。
自分の弱さを認めたくない犯人の片割れ。そしてその母の日記。
そもそもの犯罪を計画した、もうひとりの犯人。

様々な角度から、そして当然本人だけの視点で、殺人事件とその後の生活が語られていきます。
騙されていたのは周囲の人だけでなく、読者である自分もだったのかと愕然としながらも、
その心地よさにどっぷり浸ることができました。

醜く、目を背けたくなるような勝手な言い分。
まだ救いがあると思えた人物の、じつはどうしようもない正体。

復讐というものが必要か否か。
少なくともこの物語の中でだけは、そんな迷いは吹き飛んでしまったことを告白します。
反省も後悔もない、後悔するのは自分のためだけという人間たちの狂演なのですから。

処女作にありがちな、読んでいて不安定さの気になるような文体ではありません。
先が読めてしまう部分も多少あるのですが、私には許容範囲でした。
むしろあっと言わせる展開のために、
そこまでの物語がおざなりになっているものよりは、満足できると思います。

冷静かつシニカルな女教師の視線が、
作者の立ち位置と重なるような錯覚を起こしたのは、偶然でしょうか。
後味云々の前に、こちらの興味をそらさない物語に拍手です。

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紙の本美女と竹林

2008/08/27 21:17

妄想の世界へ、いざ

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

随筆とはいえ、虚実ないまぜという体裁です。
いかにも著者らしいと言えるし、
虚がこんなに入っていても(おそらくたくさん)、実生活が垣間見えるんだという愉快さ。

このまま小説を書き続けていても、いずれ才能が枯渇するのではと恐れる登美彦氏は、
在学中に竹の研究をしていたことを生かしての、多角的経営を目論みます。

思いつきからして妄想街道まっしぐらなのですが、
それを具現化するために動き出しながらも(同僚の実家が所有する竹林を借り受けます)、
どこまでが‘虚’なのか、そして‘実’はあるのか、とてもアヤシイ。

まずは、あいかわらずの文体に涎が出てしまいました。
果てなく広がる妄想にも、しっかり現実的な部分があり笑いを誘います。

著者の作品を読むと、その妄想世界にまんまと引きずり込まれてしまうのが常です。
うかうかと足を踏み入れてしまったが最後、もとの世界に戻りたくなくなって、
このままだとダメ人間になってしまうけれど、
なんだかそれも悪くはないなあなどと考えてしまうのも、
森見マジックなのかもしれなくて、いつも危ういところで引き返します。

小説とは違い、ところどころに(?)文学界での受賞の話や、友人、編集者の話が出てくるため、
現実世界との境目がよりわかりにくくなっていて、効果的な気がします。

一度に読んでしまうのが惜しく、眠る直前に少しずつ少しずつページを繰っていました。
昼間は我慢をして、他の本を手に取るのですが、
隙あらば「竹林はどうなったのだろう」と想像してしまい、
それがうっかり妄想に走るところも、また楽しい。

非力な登美彦氏が竹林と奮闘したり、
その時間すらとれなくて、竹林ノータッチの日々を過ごしたり、
とにかく森見登美彦氏の人気上昇時を、竹と一緒に眺めるのも一興です。

MBC(モリミ・バンブー・カンパニー)に明日は来るのか?

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紙の本シモネッタの男と女

2010/10/24 07:00

米原万里という愛すべき女

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

イタリア語の会議通訳の世界から、文筆業へ足を踏み入れた著者が、
イタリアで出会った幾人かの印象的な人物を描いています。
魅惑的な人から、イタリアっぽくない人、さまざまな男女の話は、文句なくおもしろい。
彼ら彼女らとの蜜月期間や人生の転落期を、少し毒を含みながら語っているせいか、
それとも著者の経歴のせいか、脳裏に米原万里の姿が浮かびました。

その米原万里との友情、そして別れが、最後の章で丁寧に綴られています。
ここで私の涙腺は、脆くも決壊。
米原万里の姿が、親友の目を通して、とても魅力的に再現されていました。
そして彼女との早すぎる別れ。
残された著者。

長い年月、作品を読んで、なんとなく知っているつもりになっていた米原万里は、
想像以上にタフで毒舌で愛らしい女性だったようです。
著者が具体例をあげているぶん、かなり感情移入してしまいます。
その彼女の最後に、何もできなかったと悔やむ著者。
受け取った有形無形のものを、大切にしていくであろうことを窺わせる著者の姿に、また涙です。

じつはこの最後の章だけでも読みたいと、手に取った本なのですが、
いやいやどうして、他の章も魅力たっぷりでした。
人生の帳尻合わせのおかしみや悲しさも伝わってきます。
そんな著者の傍で、魅力を振りまき、精力的に仕事をした米原万里。
ふたりの羨ましいほどの友情を、さほど長くない文章で、たっぷり味わうことができました。

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紙の本結婚小説

2010/04/01 13:13

いつもながら、痒いところに手が届く小説

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

デビュー作の『漢方小説』から一貫して、妙齢の女性の「気になるあのこと」について書き続けている作家です。
「気になるあのこと」とは、体調不良、生理、恋愛の焦り、結婚などなど。
30代を経験した女性作家なら、そこそこリアルに書けてあたりまえのことばかりですが、
著者の飄々とした語り口、けっして不思議ちゃんに逃げないところ、
地味な主人公なのに、話の展開と文章力で、ついつい一気読みしてしまうところはすごいです。

女性作家がこのテのことを書くと、どうしてもドロドロしがちなうえ、
何か大きな出来事を加え(恋愛なら不倫だとか、結婚なら婚約破棄だとか)、
そこを盛り上げてしまうような気がしますが、
この人の小説は、なぜか比較的まっとうな(?)登場人物たちの地味な日常なんですよね。

不思議ちゃんに逃げないと書きましたが、とにかく一般的な女性の経済感覚や意識が、
ほとんどブレることなく物語の中に存在します。
じゃあ、本当に地味なんじゃないかと思われるでしょうけれど……、はい、地味なんです。
テーマも小説そのものにも、派手さはまったくなく、
それでも面白く読めて、いろいろ考えてしまうのだから、やっぱり巧いのでしょう。

主人公は、いまひとつ売れない女の小説家。
結婚小説を書けと編集者に催促されているのですが、書いても書いても胡散臭いものしか生まれません。
自分にとって、結婚とはなんだろう。
それすらもわかっていないではないか。
駆け込み結婚した友人に、蕎麦打ち合コンにサクラとして潜り込めと言われ、
出会いを期待しつつ参加しますが、そこではとんだ災難が待っていました。
物語は、本人の予想外のところへ転ぶのですが……。

出会いをよせつけない磁場を作っているのは、全部本人の責任だということも、同じ立場の友人を見て悟ります。
「ひとりでもいいかな」「今のところ、何も困ってないし」「依存型じゃない人間は、男作るのムズカシイよね」
こういうの、多くの女性(モテて仕方のない方は別として)が、一度ならずとも考えたことがあるのではないでしょうか。
出会いをよせつけない磁場、作成中って感じです。
そうか、こういうのって他人が見たほうがわかるんだ。

文章のリズムも良いし、なによりごく普通の女性が、日頃なんとなくモヤモヤとしながら、
放っておくことも、うまく言語化することもできないあれこれに対して、
主人公たちが、絡まった糸をほぐすように突き進んでいく姿は気持ちがいい。

もちろん糸は絡まっていますから、スルスルと……とか、あっというまに……なんてことはなく、
ときに疲れ、思考することをやめ、固結びになってしまった部分に再チャレンジすることの繰り返しです。
でも、生きていくのって、そういうことなんだよなあと思えるし、
なんだか平凡でうまくいかないことばかりだと感じていた人生も、
意外に自分次第なのだよな……なんて、少し元気が出たりもします。

余談ですが、著者の『この人と結婚するかも』という本に収録されている、
『ケイタリング・ドライブ』という物語は、めずらしく男性が主人公。
単なる勘違い男が、自分の妄想に勝手に納得しているだけの話なのに、めっぽうおもしろいです。

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死を迎える心構えとして(とりあえず元気なうちに)

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

伊藤比呂美という人が、いつか必ず書くであろうと思っていたテーマ「死」について。

生きるうえで避けて通ることのできない数々のことを、赤裸々に言葉に乗せてきた彼女が、
熊本とカリフォルニアを行き来しつつ直面するのは、親の介護と、友人や師の闘病です。

年齢的なものもあるのでしょうが、彼女の周りには今回「死」が溢れています。
そして無宗教である彼女が、即席のまじない代わりの言葉を選ぶことから派生して、
しだいに「お経」というものに興味を持ち始めるのですが……。

そういえば「お経」には、とても心地の良いリズムがあり、
わからずに聞いていても、心の中で波打つものが穏やかになるような気がします。
と、無宗教の私が体験した少ない記憶を集めて書いてみましたが、どうやら著者もその程度の知識だそうで。

しかし、やはりというか、彼女は詩人なのでした。
言葉に鋭敏で、好奇心にあふれる彼女は、
気になるお経を原文で読みたい、訳したものを見たい、
自分の言葉に置き換えたいとの欲求に突き動かされます。

寝たきりの母親、元夫の父親、親しかった友、忘れられない師。
いくつかの死を前に、彼女は考えます。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

死ぬ人は、たいていは、命が尽きてぽっきり死ぬんじゃない。老いて病んで苦しんで死ぬ。
「老いる」も「病む」も、そして「死ぬ」も、ありふれた苦しみである。
でもほんの五年前まで、私はそれに気づきもしなかった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。

じつは、これがとても意外だったのです。
たしかに直接言葉にすることはなくても、いろいろなことを背負い生きてきた彼女が、
まさかそこまで「死」に対して無防備だったとは。

ふと思いました。
生きていくことに、そして目の前の厄介事に振り回されているあいだは、
誰しも案外、さらりとしか考えないのかもしれません、死ぬということを。
本当は、生きることの延長線上にある死というものを、
ついつい対極のものと考えてしまうからでしょうか。

著者が直面した「死」やそれにまつわる出来事がエッセイでつづられ、
気になるお経を取り上げ、果敢にもそれを自らの言葉に置き換える作業をしています。
とてもわかりやい言葉になったお経は、今度は詩のリズムで、スルスルと頭に入っていきます。

普遍的なものというのは、時を経ようと言葉が変わろうと、多くの人に受け入れられるのですね。
「死」というものを、むやみに怖がるのではなく、
いつか超えるべき線として捉えている著者の目線が、とても新鮮に映りました。

そんなに簡単に割り切れないことでもあるのだけど、
「死」と向き合わずにすむ人生など、そうそうあるとも思えません。
ならば、なにかの力を借りて、心を静めるのも良いのではないでしょうか。
まずは「言葉の力」を借りてみることにします。
いつかくる、その線を越える日のためや、線を越えて行く人たちを見送るべく。

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紙の本鉄の骨

2010/02/09 20:25

談合って、どうしてもダメなの?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

不謹慎ながら「モデルはこれかなあ」と想像するのも楽しい、企業小説です。
これが、めっぽうおもしろい。

『空飛ぶタイヤ』では、リコール隠し、その陰で起きた車の死亡事故、
被害者であり加害者にもされる中小企業の生き残りの悲哀、正義、銀行の役割、
そしてさまざまな人物の暗躍……と、エンターテイメントの要素をこれでもかと詰め込んだ著者。
今回の舞台は、中堅ゼネコン。
そして主人公は、現場から業務課へ配置換えされた若い男性です。

業務課。
入札のための細かな準備は、ここが仕切っています。
課長、係長、現場のこと以外は右も左もわからないヒラの主人公、そして女子社員1名。
たったこれだけの所帯で、社運を決する仕事をするのですが、
課員のぱっとしない印象や役人に媚びる姿勢に、ひょっとして地味な仕事なのかもとさえ思います。

ところがです。
仕事ができるのですね、彼らは。
その有能ぶりに気づかないほどに、主人公は業務課のことを知らなかったわけですが、
少しずつ仲間の実力、そして仕事への情熱を感じて行くのでした。
と同時に、それは彼が「談合」というシステムを、自分の中に受け入れて行く過程でもあります。

談合の内部事情を「ほほう」と読み進めていると、当然出てくるのが、「正しいか、否か」の問題です。

法的に言うと正しくないに決まっていますし、金まみれの逮捕者が出てもいるわけですが、
じゃあ、なぜ談合がなくならないのかと問われれば、
多くの人が「甘い汁を吸いたい悪い人間がいるからだ」と思っているような気がします。
しかし、それだけではない、どうしようもない現実があるというのです。

談合そのものに加担する人たちの物語の中で、必要悪だの、ゼネコンの将来だのが語られ、
一方で著者は、主人公の恋人に銀行員を配します。
仕事への姿勢、職場での教育、意識は、彼らの関係を複雑してしまいます。
ゼネコンの仕事、そして談合という必要悪とやらに理解を示し始める主人公と同様、
彼女には彼女のモラルがあり、守秘義務があり、正義感があるからです。

さまざまな角度から、大きな地下鉄工事の入札が描かれていきます。
できれば談合などに関わらず、実力で落札したい。
その自信もあるし、それだけの情熱も持っている。
仕事ができる彼らの共通の願いでもあるのですが、同時に会社の経営状態を考えると、
談合だろうがなんだろうが、確実にもぎ取ってこなければないない仕事なわけで、
万が一にも他社に奪われるということは、あってはならない。

複数のゼネコンと、そこで働く人たち、陰でそれらを仕切る人物、そして動き始める東京地検特捜部。
談合の是非を考え、ゼネコンの明日を考え、入札までのスリルにワクワクし、
すっかり術中にはまってしまいました。

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好奇心と行動力の結束

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本人女性初の宇宙飛行士、向井千秋さんが、
宇宙に飛び立ったときのお祭り騒ぎを覚えているでしょうか?

宇宙にもシャトルにも、特に興味のなかった私は、無関心を決め込んでいたのですが、
向井さんの夫である万起男氏がテレビに映った瞬間、度肝を抜かれました。
本当に失礼な話ですが、強烈なヘアスタイルと、子供のように興奮して走っている映像に、
うわ、個性的な人だなあと、ただただ圧倒されてしまったのです。

数年後、「これ、マキオちゃんに惚れるよ」という言葉ともに、友人から手渡されたのが、
著者の『君について行こう』上下巻でした。
何気なく読み始めたその本で、たしかにマキオちゃんに惚れました。
と同時に、奥様であるチアキちゃんの聡明さとキュートさにもノックアウト。
この夫婦、只者ではなかった。

宇宙飛行士の応募の段階から、シャトルの打ち上げに至るまでを、
家族にしか体験できないことを含め、おしみなく描いたこの作品は、
一方で、恋人から夫婦、家族になっていく二人の物語でもあるのです。

ちなみに、マキオちゃんチアキちゃんというのは、お互いの呼び名です。
今作でも呼び名は変わっていないようで。

あれからずいぶん経ちましたが、チアキちゃんはあいかわらずのアメリカ在住なので、
休みを利用してマキオちゃんが渡米すると、ふたりは趣味のドライブ旅行に出かけます。

アメリカ合衆国をドライブ。
そりゃあもう、いろんな「???」に出会います。
お国柄の違いだけでなく、説明のつかないような不思議なことまで。

好奇心のカタマリのようなマキオちゃんは、よくわからないことに出くわすと、
徹底的に調べ上げ、さらに関係するホームページに質問のメールを送ります。
最初はあまり期待していなかったのに、けっこう返事が来るらしいのですね。

トヨタの販売店が掲げる、バカでかい星条旗について。
アメリカの温泉事情。
ハンク・アーロンの出生地での、人種問題。
キルロイ(戦時中、アメリカ兵のあいだで爆発的に流行った落書き)の伝説。
マクドナルドのトイレについて……などなど。

笑っちゃうようなものから、少々重い問題まで、とにかく調べてはメールを出す。
その好奇心の旺盛さ、着眼点のおかしさ、もちろん文章の巧さに満足の1冊です。

アメリカって、他の国よりはなんとなく知っている気になっていたけれど、やはり異国です。
わかりあえそうなこと、理解不能なことが浮き彫りになるのは、
なかなかに意味のあることだと思うのです。
それがたとえ、マクドナルドのトイレの場所についてであっても……です。

サブタイトルの「真実は細部に宿る in USA」というのが、エピローグにまでピリリと効いていました。

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紙の本人生問題集

2009/06/09 12:36

ホムラヒロシの圧勝ということで

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

それぞれの著作も多い、精神科医と歌人の対談集です。
「友情」「救い」「努力」「孤独」「家族」「不安」など、テーマごとに語り合っています。

対談というのは、短いもの(たとえば雑誌掲載1回分とか)だと、比較的内容にだけ目が行くのですが、
同じ顔合わせで何度も語っていると、個性がどんどん浮かび上がってくるので、それも見所です。

思わず、穂村弘のエッセイ集『世界音痴』を読んだときの衝撃を思い出しました。

情けない自分を、ここまでさらけ出してしまう勇気(蛮勇と言ってもいいかもしれません)。
笑いに昇華するために、ネタをひとつふたつといったレベルではなく、
圧倒的な疎外感と、世間慣れせず世間ズレしていく一方の自分を、
取り繕うことなく赤裸々に描いてしまった『世界音痴』で、
実際のところ、彼は多くのファンを獲得することになったようです。

おそらく通常は自尊心が邪魔をして、もっとも隠したいはずの部分を、
彼はときに論理的に、ときに感覚的に書いていて、
図らずもそこには、「言葉」へのプロの執着が滲みでていたのかもしれません。
妄想も現実逃避も、彼のあやつる言葉によって、ひとつの作品になっている気さえしました。

で、この対談集です。
強引ですが、もしこういう形式のものに勝敗があるとするなら、
今回の軍配は、穂村弘にあがると思います(私見なのでご容赦を)。

先に書いた、論理的でありながら感覚的、そして言葉の扱い、妄想でのたとえ。
そういうものが、対談の中で随所に見られるうえに、
じっさい彼の発言のほうがおもしろく役にも立つような気がするのです。

もちろん精神科医で物書きでもあるので、春日武彦の言葉にも耳を傾けました。
穂村弘に比べると、まだまだ自尊心を捨てきれず(捨てる必要があるかどうかはともかく)、
「変わっているけど、そこそこには恵まれているヤツ」という自分が、言葉の端々に出てきちゃうんですね。
けっして厭味ではないのですが、なんとなく興ざめしてしまうのです。
「言葉」においても「論理的」という意味でも、彼は想像以上に「普通」でした。

おそらく20代前半までなら、春日先生みたいな人と話すほうが楽しいのだと思います。
もちろんそのまま春日先生とのおつきあい(?)を続ける可能性もありつつ、
今まで見向きもしなかった異星人「ホムラヒロシ」のぼそぼそ喋る言葉に耳を傾けてしまうと、
あら、こういう人もおもしろいわねえと惹かれていく……。
勝手に妄想していますが、そんな印象を、対談集の会話からうけました。

対談そのものは、単純に楽しめます。
ぬるい会話のようにも聞こえるし、答えなんて出ていないのにもかかわらず。
そもそもこういう問題については、モノの見方を吸収して、
自分で考えて答えを出すものだと思っています。

そういう意味では、楽しく読めて役に立つ(もちろん答えは用意されていない)本でした。
装丁も素敵なので、本棚に入れてときどき読み返すのに良いかもしれません。

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紙の本青い鳥

2009/03/21 23:03

寄り添うこと、語るべきこと

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

過去に幾度か手にした著者の小説とどうにも相性が悪く、
おそらくこの先も読まないままになるだろうと思っていました。
ところがあちこちで見聞きする『青い鳥』の感想は、想像とは少し違っていて、
いつしかどうにも気になる一冊になってしまったのです。

8つの中学校が舞台、それぞれに通う中学生たちが主人公です。
さまざまな事情で、学校という場所を好きになれない子供たち。
それでも自分を押し殺して、家と学校の往復を繰り返し、
苦しくて悲しくて、なにより寂しくてしかたない自分を持て余しています。

学校でだけ言葉が出てこない子、自分でもよくわからないまま担任の教師を刺してしまった子、
親が交通事故の加害者になった子、いじめで級友を自殺(未遂に終わる)に追い詰める子たち。

彼らの前に、村内先生は現れます。
パッとしない中年の男性教諭は、吃音でうまく喋ることができません。
なぜわざわざ学校の先生に……と、誰もが思うほどなのです。

最初は気がつかないほど密やかに、村内先生は子供たちの傍にいます。
「大切なことしか喋らない」と本人が言うように、先生は積極的に言葉をかけるわけでもありません。
そもそも先生自身、器用に生きているようにはとても思えないのです。

言葉というのは、とても大切なものだと思っています。
黙してどうこうというのは、ずいぶん都合のよい言い訳ではないかとすら思っていて、
やはり言葉で伝える努力というのは大切だと信じています。

それでも言葉には(言葉にもと言うべきか)「余分なもの」もあるのでしょう。
連ねれば連ねるほど空虚になっていくことを知ると、村内先生の魅力がよくわかるのです。

村内先生は、ただ寄り添ってくれるのです。
もしかしたら、それは学校の先生でなくてもかまわないのかもしれません。
でも主人公たちには、たまたまその役目を担ってくれる人が傍にいない。

寄り添って、本当に大切なことだけを不器用ながらも伝えてくれる人を嫌いになれるほど、
中学生というのは子供ではないとも思います。
先生の存在を確かめ、自分を見つめ、今の閉塞した場所から抜け出す術を探し出す……。
それを見守った先生は、嬉しそうに言うのです。
「間に合ってよかった」と。

元の教え子が、一緒になった女性に言います。
「恩人っていうかさ……違うよ、先生のときには恩師っていうんだよ、恩師、恩師」

ふと思いました。
その子のように、胸を張って誰かに恩師だと言える先生が自分にはいただろうか。
もう会うことはなくても、自分の中にたしかに存在したと言える恩師。
苦しくてもがき続けている登場人物たちが、ほんの少し羨ましく思えるのです。
あなたには、村内先生がいたんだね、と。

寄り添って、言葉はそのあとでも良いのだということを思い出しました。

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紙の本不美人論

2008/12/05 15:14

「ブス」って言われて平気ですか?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

世間というものは、「ブス」には不利にできている。

それはもう仕方のないことだと、割り切って生きてきたはずの藤野さんが、
西先生の「女性の美醜について対談してみない?」のお誘いに、
ひどくうろたえてしまうところから始まります。

割り切ったつもりでも、面と向かって「ブスだね」と言われたら傷つくし、
何かを否定された気持ちにもなってしまう。
取り繕おうとしても顔は固まるし、誤魔化せても心底笑えるわけではない。

ほんの一部の美人を除けば、おそらく女性の多くが一度ならず経験していることではないでしょうか。
たとえそれが十人並み程度のルックスであっても、
「ブス」という言葉が持つ刃は、容赦なく女性をメッタ切りにしてしまいます。

対談で本音を話せるだろうか、自分をガードしてお茶を濁してしまわないだろうか……。、
実際は美醜についての問題が、自分の中でちっとも解決していなかったことに気づき愕然とする藤野さん。

哲学者の西先生に向かって、美人でない自分がどうやってそれらと向き合ってきたか、
コンプレックスやささやかなプライドという地雷を何度も踏みながら、どんどん吐き出すことになります。

西先生は、それらを一般の問題として言い換えてくれます。
それがとてもわかりやすい。
なるほど、長いあいだ腹を立てたりおかしいよと思っていたことが、
じつはそういう仕組みで成り立っていたのかと、目から鱗が落ちまくりでした。

上京、合コン、就職。
さまざまな場面で、多かれ少なかれ美醜を問われる場面に遭遇します。
そのときどきに藤野さんが考えていたことは、
多くの人が疑問に思いながらも、仕方がないと諦め、気持ちに蓋をしてきた問題のような気がします。

自意識とは、本当にやっかいなものです。
空回りしてしまうと(往々にしてある)、美醜以上に自分を滑稽に見せてしまうことになりかねない。
そうやって他人の目を意識しすぎることが、すでにもう……。

美人でも、特別ブスでもない藤野さんが、身を削って告白する過去、
穏やかな西先生の、男性ならでは視点。

とても現実的で痛い内容なはずなのに、じつは面白くてしかたない本です。
それは藤野さんの笑いのセンス、全編通しての肯定感のせいかもしれません。

このふたりは問題を掘り下げることはしても、どちらかに偏った考えにとらわれないところがあって、
極端なフェミニズムなどに痒みをおぼえる人にも、抵抗のない内容です。
ご心配なく。

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紙の本がんから始まる

2008/11/20 20:55

2人にひとりが罹るという現実

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

はるか昔、子供雑誌の企画に「西暦2000年にはどうなる?」というものがあった。
お手伝いロボットが家庭に普及しているだの、子供心を刺激するものを織り交ぜたなか、
もっとも惹かれ記憶に残ったのが「がんが治る」という一文だった。

なにせ子供雑誌なので、ロボット云々の科学方面や家電製品の今後についてがほとんどだったのに、
なぜかぽつんと「がんが治るようになる」と書いてあって、
がんという病気が、不治の病として子供にもインプットされていたことを、今になって思い知る。

その頃、がんは暴力的に命を奪っていくものだと思っていたし、
‘死’というものを恐れ始めていた子供の私は、
はるかかなたの2000年という未来に、ロボット以上の希望を見てしまったのだ。

2000年を6年とちょっと過ぎた頃、家族ががんを告知された。
桁はずれの不安と恐怖が襲ってきて、しばらくは闇と無音に耐えられなかったのを覚えている。
幾人かの知人をがんで亡くし、
記憶にあった子供雑誌の楽観的な企画に、大人げなく憤っていたときであったから、
どうしても「完治」という言葉が遠いものに思われて仕方なかったのだ。

この本が単行本で出版された当時、「え、岸本葉子ががん?」と驚いて一度手にしている。
彼女のがんとの向き合いかた、不安も恐怖もあるけれど「知りたい」という欲求のほうが強いという性格、
そういったものにひどく共感した。
おそらく私も、もし告知されればこうするであろうと頷きながらページを繰ったのだ。

家族のがん告知が私に与えた衝撃はあまりに大きすぎて、
正直に告白すると、がん患者の書いたものどころか、闘病ドラマから芸能人の告白に至るまで、
一切を受けつける余裕がなくなった。
その一方で、病気について、患者の現状についての知りたい欲求は果てることなく、
知ることで不安から逃げようとさえしていたように思う。

そういう嵐が過ぎ去り、闘病という淡々とした現実に向き合い始めた頃、
ふと再読を思い立った。
以前のものは手放していたので、文庫化されたこちらを手に取り何度も読み返す。
比較的抵抗なく読めた理由に、
著者である岸本さんが、無事に5年をクリアして元気に過ごされているらしいことがある。

彼女は40歳でがんに出会った。
あまりに突然の告知にあたふたと手術を受け、退院後ようやく本格的な死への恐怖を襲われる。

「生きたい」と彼女は願う。
子供のいる人生だとか、かなわなかった夢だとかそういうのではなく、
今までと同じ毎日をもっともっと続けたいと言う。
そのために(生きたいという望みをかなえるために)やり残したことはないか、
自分ができることはすべてやっただろうかと自問自答するのだ。

彼女のこうした姿勢がとても好きだ。
悟ったようなことを言うでもなく、自暴自棄になるでもなく、
恐怖から目を背けず、自分の心を丁寧に見つめる作業を怠らない。

自分の心象を突き詰めて考えるなど、病人には向かないとする人もいるだろう。
医師と治療方針を相談できる程度の知識があれば、それ以上は無用だ、
知りすぎることで不安定になるという人も。

患者本人という立場ではないが、私はそうではなかった。
納得できるまで説明を求め、調べ、恐怖におののく心でさえも、稚拙なやり方ではあるが分析してみる。
そうやって乗り越えていくというのも、ありなのだと思う。

ごく普通の闘病記として読むことも、
少し重くはなるが、彼女の従来のエッセイの延長として手に取ることもできる内容だ。
そういうユーモアと読みやすさは、きちんと存在してる。
そして「がん」というものに、心をがんじがらめにされてしまった私のような人に、
あらためて向き合う勇気とチャンスをくれる本だとも思う。

がんという病気は、本人のみならず家族をも奈落の底に突き落とす。
一度突き落として、どうやって這い上がるかを見定めたのち、さらに突き落とすこともあるだろう。
そういう底意地の悪さとつきあうには、きっとしたたかにならざるをえないのだ。
もし近い将来、自分ががんを患うことがあったとしても、たとえショックで泣き崩れたとしても、
おそらくそのあとには、この本を読みなおしているに違いない。
彼女の強さとしたたかさ、聡明さをわけてもらうために。

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