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本を読むひとさんのレビュー一覧

投稿者:本を読むひと

176 件中 1 件~ 15 件を表示

罪と罰 1

2009/06/17 13:38

2冊目以降は、訳語へのこだわりからできるだけ遠ざかり、自然に小説そのものに没入したい

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この『罪と罰』の新訳はいい、というのが私の実感である。ドストエフスキーの小説は会話が多いが、この会話の言葉が生き生きとしていて、今までにない新鮮さを感じた。
 主人公の友人ラズミーヒンがラスコーリニコフの下宿に来て、彼を看病する場面を、まず手持ちの新潮社版全集(工藤精一郎訳)から引用し、続いて本書の同じ部分を引用する。
 《「これもみなパーシェンカが、ここのおかみさんがね、あてがってくれるんだよ。まったくじつに親切にもてなしてくれるぜ。むろん、ぼくはねだりはしないよ。なにことわりもしないがね。そら、ナスターシヤが茶を持って来た。ほんとにすばしっこい女だよ! ナスチェンカ、ビール飲むかい?」》
 《これも、みんなきみんとこのおかみの、パーシェンカのおごりでね、どうやらこのおれを、心から尊敬してくれてるらしくってさ。別にこっちからおねだりしてるわけじゃなし、かといって、断りもしちゃいないけどね。おう、ナスターシヤがお茶をもってきた。ほんとうにフットワークのいい女だぜ! ナスターシヤ、ビール、飲むかい?」》
 この部分に関していえば、それほど前者の訳に古めかしさはない。それでも「なにことわりもしないがね」の「なに」などは、今では使いにくい。
 この訳文のなかで、下宿の気のよさそうな「女中」ナスターシヤに対して、ラズミーヒンは愛称もまじえて喋っているのを、工藤訳では生かしているが、亀井訳はそうしていない。訳者は本書全体にわたって人名の訳を大胆に統一している。こうした単純化は、読みすすめるとき、無駄な瑣末な判断をしなくてすむ分、小説の自然な流れに入り込めて、いい処理だと私は思う。また、おそろしく長い母親の手紙のなかに、工藤訳では「ピョートル・ペトローヴィチ」が十回以上登場するが、亀井訳では、これを「ルージンさん」とし、全体の長ったらしさを、いくらかでも縮めようとしている。
 ナスターシヤを「フットワークのいい」と形容するようなカタカナ言葉がうるさくない程度に登場するのも、この何となく暗い小説に効果的なアクセントがつけられていて、悪くない。
 ロシア語をまったく解さず、『罪と罰』の原書の実物を拝んだことのないものが僭越だと思うが、私はマルメラードフが娼婦になった娘ソーニャについて語る部分の訳語について、新訳が面白いと思えた。娘からわずかのお金を酒代として結果的に奪ってしまった彼は、そのお金が娘にとって必要なものだったと見ず知らずのラスコーリニコフに話す。「だっていまのあの娘には身なりをきれいにすることが大切ですからな」(工藤訳)。
 ここは亀井訳では、「だって、あの子はいま清潔を守らなくちゃならない身ですよ」となるが、たんに「身なりをきれいにする」ではなく「清潔を守る」(ルージンと結婚しようとしている妹に対して、同じ言葉が主人公の頭に浮かぶ)は、そこに、ある種のセクシュアリティを読ませないだろうか。
 つまり工藤訳では、たんにいい服を着て化粧をして、という以上の意味を見出しにくいが、亀井訳では、ドストエフスキー作品では決してあからさまに描かれることのない女性の性的な肉体が暗示されているように思うからで、それは原文にも暗示されているものでは、と推測する。もっとも集英社文学全集の小泉猛訳も亀井訳と同じ「清潔」だった。
 ラスコーリニコフが殺人決行の前日、市場で偶然聞く、金貸しの妹が翌日のその時間に外にいると彼が判断する「時」の訳が、工藤訳の「七時ですよ」に対して、亀井訳では正確に「六時すぎですよ」となっている。これは本文庫解説で丁寧にフォローされているが、まさに必要な注釈である。これに関しては小泉訳も「七時」だった。
 十年前にドストエフスキー全集を買い、最初期の作品を少し読んだまま段ボールに入れたままにしてあったのが、今回有効活用できた。二つを比較して、訳自体の差とは別に文字の大きさが、年をとったせいもあるが、ひどく気になった。光文社文庫版は適切な大きさであり、その意味でも好感がもてる。この文字の大きさなしには、新鮮な訳も生きはしなかったろう。
 この小説を読むのは三度目だが、二度目からでも30年以上が経つ。二度目のときは数日で読んだが、今度はじっくりと読むつもりだ。そして、この小説が、今の私に何をもたらすのかを、できるだけ冷静に見極めたいと思う。

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ムーン・パレス 改版

2011/07/16 09:59

オースターの小説を楽しみつつ、書評について少し考える

12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『幻影の書』を読み圧倒され、『オラクル・ナイト』をひもとき奇妙に快い読後感を得てポール・オースターの軽いファンになったため、これまで出ている文庫を集めて書かれた順序で読んでいる。同じ作者の本の書評をできるだけ避けているのだが、なぜ私がオースターに惹かれるのか考えるのに本書は手ごろな内容に思えたのが書く理由のひとつだ。
 まず「訳者あとがき」や、この小説について書かれたものいくつかを、本書を読む前に読んでしまったのだが、それらが肝心なことを巧妙に(あるいは偶然に)ふせてくれていることに感謝したい。ミステリーではないが、この小説のミステリアスな展開は、あらかじめすべてを知っていて読むと興をそがれるだろう。
 たまたま豊崎由美の『ニッポンの書評』を読んだのだが、そこにストーリーを書きすぎてしまう書評へのいましめが書かれている。
 この問題は難しい。たとえば私はミステリーを読むときは事前に解説や書評類は読まない(ミステリー関連の訳者あとがきや書評が注意深く書かれているのは推測できるが、万が一のことを考えて)。他の本にくらべて、肝心なことを知ってしまうと読書の楽しみが減る小説ジャンルだと思っているからである。
 だがミステリー以外の、まだ読んでいない本の書評などを読むとき私はそれほど「ネタばれ」に注意することはない。また読むつもりはないが、何か少し知りたいということは往々にあって、そんなときはミステリアスな内容の本の場合でも、ある程度ストーリーの肝心な部分にふれた文章を期待する。
 問題は読まないつもりでいても読みたくなることがあるかどうかである。書評が対象としている本を読まないつもりで書評を読んでいるうちに、その本を読みたいと思うようになっているとしたら、それは書評の力かもしれない。そこには肝心なことが、読むとき興をそがれないかたちで巧みに書かれていたのかもしれない。下手に種明かししてしまっている書評の場合には、人を読書にかりたてることはないだろう。

 私が『幻影の書』と『オラクル・ナイト』に圧倒されたのは、作品内作品という以上の複雑なかたちで、実に巧みに、小説本体のなかにいろいろなストーリーが埋め込まれていたからだったが、オースター前期のこの小説にも、そうしたストーリー、物語が埋め込まれている。だがこの小説の前半は、ニューヨーク、マンハッタンを舞台に、ホームレスに陥りそうになる学生(を卒業したばかりの若者)の青春小説的な面白さに満ちていて、それが後半部分に対して味わいの落差を生み出している。
 訳者あとがきを読み返してみると《思いもよらぬ方向に話が収斂していくあたりは》と、ストーリー展開の妙にふれているのに気づくが、決定的な部分に言及してはいないので、私はあれよあれよという物語の深みと捩れにはまってしまったという感じだ。
 微塵も読みにくさのない翻訳だが、ローマ字のV音を「ヴァヴィヴヴェヴォ」表記ではなく「バビブベボ」表記にしているのが眼につく。
 これより以前のオースターの小説において、同じ訳者はほぼ全体的にヴァ表記であるし、またこの小説以降においても、タイトル自体が『リヴァイアサン』『ミスター・ヴァーティゴ』というぐあいである。
 『ムーン・パレス』がバ表記であるのは翻訳上それほど重大な問題とは言えないが、この小説の前半部分、主人公「僕」(これも「私」ではないことに留意したい)の縁者である「ビクター叔父さん」が頻出することに理由があるかもしれない。
 訳者あとがきには、《作者自身「私がいままで書いた唯一のコメディ」と想定する》といった言葉があり、なるほどと思うが、《物語への欲望を目いっぱい満たしてくれる一作》という訳者の評価も妥当というしかない。

 今これに続くオースターの『偶然の音楽』を読んでいるのだが、その訳者あとがきを読むと、ここには前作『ムーン・パレス』のキー部分がこともなげに語られてしまっている。だがそれはいいのである。読まれる場所、読者が読もうとする位置(の推測)などによって、あるときには語っていけないことも語ってもさしつかえないということは、ある。どちらにしても充分な考慮が働いている。
 それよりも、やはり『偶然の音楽』訳者あとがきが、その本の微妙に肝心な部分をふせて書いているのが助かった。これにくらべるとサイト内のいくつかの書評は読もうとしてやめたものがある。これも『ムーン・パレス』以上にミステリアスである。
 『偶然の音楽』は映画化されている。まだ観ていないのだが、ポーカーがうまい小柄なジャック・ポッツィをジェームズ・スペイダーが演じていて、読んでいてまさに適役だと感じさせる。そのイメージでポッツィのセリフを(日本語でだが)聴いている。
 小説中盤のポーカーゲームを驚くほどスリルに満ちたものと感じさせるのは個人的な体験からきているのかもしれないが、このあたりを読みながら本書評冒頭の「軽いファン」という言葉を改めたくなった。


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アンナ・カレーニナ 改版 上巻

2009/04/12 16:26

この小説を愛する読者の一人として

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『アンナ・カレーニナ』の訳者の一人、北御門二郎が、夏目漱石の娘婿が聞いたこととして、漱石の《これ程偉大な小説は未だかつてよんだ事はない》という言葉を紹介している。
 以前、さまざまな人の日記をまとめて読んでいるとき、好きな小説である『アンナ・カレーニナ』への言及を抜き書きしたことがあって、漱石もその一人だった。だがそこでは、娘婿が聞いたような最高度の褒め言葉はしたためていない。有島武郎、森鴎外、永井荷風、山田風太郎、タルコフスキー、さらには死刑囚だった永山則夫などが、おのおのの日記のなかで、『アンナ・カレーニナ』にふれている。
 それより前この小説を再読したきっかけは、ナボコフの『アンナ・カレーニナ』論(『ロシア文学講義』所収)を読んだためだったような気がするが、最近、若島正は『ロリータ、ロリータ、ロリータ』で、邦訳書ではなかなか味読できないナボコフの実に細かく、繊細な指摘に解説を加え、本作の奥の深さを教えてくれた。
 私に分からないのは、有名な論争のなかで小林秀雄が発した《芸術も思想も絵空ごとだ、人は生れて苦しんで死ぬだけの事だ、という無気味な思想を、彼が「アンナ・カレニナ」で実現し、これを捨て去った事は周知のことだ》という言葉だ。トルストイは最盛期の自身の作品を後年否定したが、問題は『アンナ・カレーニナ』が「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」を、その作品の核にした小説であるかどうかだ。
 ヒロインの最期に至る苛酷な姿をとおして作者は「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」を描いた、と言えないことはない。けれど、愛する子供がいるとしても、さほど幸せだったとは言えないアンナの人生を燃え上がらせた不倫の恋は、ただたんに死に至る苦しみだけだったわけではないだろう。
 私は小林秀雄がアンナの夢のなかにたびたび登場する、老いた線路番の死に繋がる不気味な暗い影を指して「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」と書いているのなら、それを否定しない。だが『アンナ・カレーニナ』はそれを(貴重な細部だが)一部とする大社会小説なのだ。
 それより何より、この小説ではアンナの恋と対比的に、もう一人の主人公リョーヴィンのキチイとのかかわりが描かれている。こちらの描写はさらに「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」から遠い。
 訳者の一人、木村彰一は全239の章のうち、アンナの登場する章が69、リョーヴィン登場の章が102(二人が同時に登場する章は2)としているが、それほどリョーヴィンへの比重の高い。最初のほうでリョーヴィンはキチイへの恋心を拒まれる(そのときキチイはすぐ後にアンナと恋におちいるヴロンスキーに恋をしていた)。長いときを経て(というより長いページがくくられ)、再び二人は会う。そこでは読む時間の長ささえもが、物語を味わうことに加担してくれていた。
 ちょうど小説の真ん中あたりに、一度自分を拒んだ相手に受け入れられたことを知り、翌日正式に彼女の家に赴く約束をかわしたリョーヴィンの多幸症的な絶頂感が描かれる。ナボコフはこの部分をあまり評価していないようだが、私はトルストイ的なものの核が、このあたりにあるように思う。
 トルストイの人生にはまず現実の感動的な出来事があった。そして彼には誰よりもそれを感動的に、増幅してさえして、うけとめる心があった。さらに彼にはそれを最高度の言葉にあらわす表現力があったのだと思う。
 この小説が本国で刊行されてから、日本で初めてロシア語からの完全訳が出たのは40年も後のことになる。小林秀雄はその出たばかりの訳本を手にし、処女著作「蛸の自殺」のなかで『アンナ・カレーニナ』を読みふける主人公(小林本人)の姿を描いたのだろう。また漱石や有島武郎は英訳の『アンナ・カレーニナ』を読み、そのことを日記に書いたのだろう(有島の場合、船上でつけていた日記自体が英文だった)。鴎外は抄訳書の序文を書いてやったことを日記にしたためる。いわばこの小説は、その評判がずっと続いていて、多くの人が邦訳を待ちわびていた。また部分訳や抄訳や重訳で我慢したり、待ちきれずに外国語本を手にしていたりしたのだ。今そのような小説があるだろうかと思う。
 小説の世紀と言われる19世紀を象徴し、代表する『アンナ・カレーニナ』に匹敵するような現代小説は存在しないが、仮にあったとしても、現代は邦訳が何十年も待たれる時代ではないことは確かだ。私たちは前者において不幸であり、後者において幸福だと言えるだろう。

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私についてこなかった男

2012/01/14 12:05

モーリス・ブランショのこの小説の難解さを前に、いろいろと思いにふける

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私についてこなかった本、そんなジョークを、ふとつぶやきたくなる脳裡のなかでわがものとしえない言葉が、文章が美しい紙面に、美しい文字組みでみっしりと並んでいる。40年も前に原書を購入して当時、少しは読もうともした本だった。いまその読めなかった残骸としての、ほとんど天や小口が切られていない本をカットし、古い色やけした紙の小くずを片づけながら、ページをめくって段落や数えるほどしかない行アキを邦訳と照合したりする。
 なんとなくだが吉本隆明が最初に公表した詩『固有時との対話』を、モーリス・ブランショによるこの小説らしからぬ小説を読みながら思い浮かべた。前者においては戸外、後者においては室内という空間(とはいっても確たるリアリティで描かれるわけではない)の差が、逆に対照性としての連想をあおる。言葉のなかを舞う「風」が(その頻度は別として)両者を直接むすびつける例外的な共通項とも感じる。
 最初に『固有時との対話』を連想したときは考えつかなかったのだが、この私家版詩集が世に出たのは1952年、そして本書『私についてこなかった男』がガリマールから刊行されたのは1953年であり、不思議に符合する。
 小説というものは通常、時と所があり、人が登場し、なんらかのストーリーが進行するものだが、フランス語で「レシ」と銘打たれた本小説には、物語らしきものは皆無といってよい。始まりから数十ページは場そのものにかかわる語句さえない。やがて部屋のなか、ということがかろうじて分かる空間が、いくつかの語句を通して分かるようになる。だがそこで「私」が語りかけているのが「彼」であるのか、それとも「彼」などはいなくて、対話らしいものも含めすべてが「私」のモノローグあるいはエクリチュールなのか、そして部屋という空間さえ場面として存在するものなのかも実際には曖昧模糊としている。そんなこの小説について訳者も長い解説の中途で次のように記している。
 《モーリス・ブランショが「難解な」作家であることはたぶん改めて指摘する必要のないことだろう。そして、そのブランショの作品のなかでも、おそらく本書はもっとも難解なものと言ってもよいかもしれない。》
 同じ訳者によるもうひとつのブランショの『望みのときに』を除き、日本語になっているブランショの小説をすべて読んでいる者にとって了解できる指摘である。
 
 『私についてこなかった男』は原書では174ページと薄いが、邦訳では小説部分236ページに80ページにのぼる訳者解説が付され、厚手の本になっている。やや大きめの文字組みが素晴らしく(解説部分の文字はほんのわずか小さい)、私はそのために読もうとしたほどだ。
 邦訳では、p104、p122、p168とわずか3か所に一行アキがあるだけであり、章番号など一切ない。たとえばp66に、日の移り変わりを示す《翌日、私は普通どおりに起きた。》という文章があるものの、そうした叙述がなかったかのように、それ以外の箇所で時の推移をあらわす明確な言葉は見出せない。

 延々と語られているものの中味は別として、場面が室内らしいことに関心が向く一つの理由は、前述した『固有時との対話』の全体が、「街々の建築」「路上」「街路樹」といった語句が示すように、戸外の情景で統一されていることと鋭く対立するからである。ブランショの小説では「階段」「ドア」「テーブル」「壁」「鏡」「ベッド」「椅子」など、また外との境をなす「ガラスのはめられた大きな窓」が、吉本隆明の詩の戸外性に対する室内性を明示する語句にあたる。
 『私についてこなかった男』では、主要な部屋、また曖昧な階上の部屋以外にも「台所」という空間があらわれるが、そこで連想されるのは吉本隆明の娘による『キッチン』という小説である。『キッチン』は室内だけに場面を限定してはいないが、漠然と私は『固有時との対話』が書かれた1950年代初頭から、『キッチン』が世に出た1980年代にいたる日本の居住空間を、私自身が過ごした時間とともに頭に浮かべる。おそらく『固有時との対話』を書いていたころ吉本隆明には、みずからがそこで机に向かっている居住空間のあれこれを言葉の素材にはできなかった。むしろ今さっき、あるいは昨夜そこから彼が帰ってきた外の風景、都市(といっても吉本的に染められた1950年代の東京)の空間こそが、詩を書くためのほどよい素材となったのだろう。だが同じ1950年代、吉本よりは17歳年上のブランショにとって室内のさまざまなものは、彼にとって書くための最小限の素材になりえたのかもしれない。

 さて『私についてこなかった男』がモーリス・ブランショの小説らしいのは、筆記用具の類にふれずに「書く」という言葉が頻出するところである。それはアクションではなく、この小説が書かれていること自体と結びついている。そしてそのことと対照的に、この小説内のか細いアクションというか生理的な出来事として、「私」の水への希求がある。私がなんとなく連想したのは、村上春樹の小説の主人公が、ときおり意味もなくビールをのんだり、ものを食べたり(あるいは小便をしたり)する場面だったが、両者のあいだに途方もない差があるのは明らかであろう。とはいえ、こうした勝手な連想を許してくれそうなものとして、「類似」への言及から始まる素晴らしい訳者(谷口博史)の解説がある。


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クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国 下

2009/05/16 21:40

美術史家が残した、美術史の領分を超えた、けれど彼女にとって書かなければならなかった本

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本を読了し、もう一度プロローグ(もちろん本文庫上巻)を読み返すと、そのなかの《私はずいぶん旅をしてきた。でもこれでほんとうに私がやりたかったこと、知りたかったことが書けた。》という言葉を、著者の心から出たものだと実感する。
 ここには、ある歴史が描かれているが、その筆致は通常の歴史書から遠い。というより普通の歴史書は、著者がここまで歴史上の人物に入り込んだり、その世界を生きたりはしない。そのため、ここまで読むものに、ある時空間にひたらせ、さまざまなことを考えさせることをしない。
 ひるがえって歴史上の人物を描く物語や小説は、読むものをそのなかに引き込み、生きさせるが、どこかそこには嘘くささがつきまとい、後でなんとなく騙されているように思ったりする。作家の空想につきあわされただけという気持ちでげんなりすることも多い。
 『クアトロ・ラガッツィ』は無味乾燥な歴史書でもなければ、荒唐無稽な物語でもない。そこには歴史上の実在した人物が多数登場し、歴史の壮大なパノラマが繰り広げられるが、著者は時の権力者たちの描写に片寄りがちの叙述を否定し、考えられるかぎりの資料をもとに埋もれた人々の生と死にその視線を届かせようとする。
 私はこれを読みながら、半世紀近い昔、高校に入ってすぐ、図書館に並べられた山岡荘八の『徳川家康』を次々と読んでいたことを思い出した。
 その内容をあらためて確認したいとも思わないが、そこに描かれている時空間が、『クアトロ・ラガッツィ』のそれとほぼ同じであることは見当がつく。当然、信長や秀吉、そしてキリシタンのことにもふれられていたろう。
 その記憶の、なんとなくの恥ずかしさには、やがてすぐに「卒業」したとしても当時サラリーマンに人気のあったという『徳川家康』を読んだことだけでなく、そんな本が図書館にあったことも含まれる。そこは工業高校だった。
 確か若桑みどりは戦後間もないころ、美術の勉強などに熱心な都立高校に通っていた。そして芸大に入り、20代なかばにイタリアに留学することは、この本のプロローグに書かれている。
 彼女は最初にシスティナ礼拝堂に行ったとき、ミケランジェロの天井画に圧倒され、床に横たわってずっと眺めていたということだが(これもどこかで読んだ)、先日テレビで放映されたヴァチカンの観光客の賑わいでは、それどころではないなと思った。
 行こうと思えばお金の許すかぎりだが、今ではどこにでも行くことができる。けれど床に横たわってミケランジェロの天井画をいつまでも眺めることはできそうにない。
 さて「プロローグ」には、留学のためヨーロッパに向かった船に蓮實重彦などが同乗していたことが記されている。
 若桑みどりと蓮實重彦を単純に比較すると、後者には、『クアトロ・ラガッツィ』のごとき剛速球的な本がないことに気づく。やはり彼自身の言葉を使えば、何か「照れ」のようなものが、こうした徹底した本を彼に書かせないのかと、ふと思う。
 著作家としての若桑みどりの強さの一つは女性であることだろう。大著『象徴としての女性像』はフェミニズムから見た壮大で精緻な美術史といえるが、著者が女性でなければ叶わなかったろう。これは『クアトロ・ラガッツィ』のプロローグに描かれた、自分と同じアジアの「女性」黄青霞とのエピソードが指し示すものの総決算である。私はかつてこの本を読んで圧倒されたことを告白しておく。
 ところが『クアトロ・ラガッツィ』は、その『象徴としての女性像』さえもが著者にとっては馴れた美術史の世界の仕事に過ぎないと思わせる。
 私が今までこの本を読まなかったのは美術との関連が薄いと思ったからだが、著者にとって専門である美術史の領分を超えた世界を描かざるをえなかった必然的な契機というものが、この本のそこかしこから感じとれた。
 この本はその骨格において、西洋美術を研究する私とは何か、という自身の根本の問題に真正面から向き合って、揺るがない。多くの著者たちが、そのような各々の根本問題に向き合うことがないまま、あるいは向き合ったとしても解決などできないまま著作活動を終結させているだろうことを思えば、若桑みどりはこの仕事の過程と達成において、非常な充実感を味わえただろうと推量せざるをえない。
 迫害されるキリシタンの描写など、残された資料の言葉はきれいごとに過ぎないのでは、と思ったりもしたが、著者は原典の引用に不用意な現代的な注釈をつけずに、読むものの想像力にゆだねる。また必要と思われるところでは、率直すぎるほどに著者の肉声をのぞかせて、歴史書の味気なさを救う。そのバランスが悪くない。
 異国の壮麗さを実見した「四人の少年(クアトロ・ラガッツィ)」のその後にふれた巻末、「棄教 ミゲル」の最後のセンテンスを読んで、不意に目頭が熱くなった。自在に書いているようでいて透徹しているなあ、と感心しながら。

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吉本隆明1945−2007

2009/03/30 15:07

21世紀に入り、刺激的な吉本隆明批判書が続いている。

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 21世紀に入り、刺激的な吉本隆明批判書が続いている。『〈民主〉と〈愛国〉』『吉本隆明1945-2007』『吉本隆明の時代』、それに『革命的な、あまりに革命的な』『1968年』を加えてもいい。
 小熊英二は『〈民主〉と〈愛国〉』(02)の最後のほうで《戦後知識人のなかで、そうした〔同胞愛的ナショナリズムに肯定的な〕流れの例外だったのは、あらゆる「公」を批判した吉本隆明である》と、リベラリズムを核として肯定的な志向をもつ思想の動き全体に水を差す敵役として吉本を描く(そこでは保守の江藤淳さえ「公」的ではあった)。
 また、スガ(糸偏に圭、以下略)秀実『吉本隆明の時代』(08)では、当然のごとくに新左翼にウェイトを置いた視座から、吉本を影響力が大きく行使された存在としてタイトルロールにしつつ、「革命」をめざす種々の思考や運動をつぶした存在と位置づける。
 ところで小熊による吉本隆明論の眼目は「戦争に行かなかった罪障感」であったが、これはリアルタイムで吉本を読んできたものには違和感のあるモチーフだった。というのは死んだ仲間に対する死に遅れの感覚は、吉本隆明にあって上の世代がもつ疚しさを撃つバネになっていたと思うからである。
 小熊は吉本隆明の文章のなかの「ああ、吉本か。お前は自分の好きな道をゆくんだな」を繰り返し引用するが、私にはその言葉が戦中の風景内にある死の微差としか読めない。決して生と死の峻別とまでは感じないのである。結局、小熊と私の世代の差、ある意味で戦争との近さ(私が生まれたのが戦後であっても)がなせるわざか。
 スガは小熊と通底する部分を見せているように思うが(たとえば《あまり暗い終わり方にしたくなかった》ためベ平連を最後に置いた『〈民主〉と〈愛国〉』と《エイ、ヤー》〔『重力02』でのスガ発言〕の68年革命論のジャーナリスティックな近さ)、高澤秀次『吉本隆明1945-2007』(07)は、小熊には言及せず、《吉本の一連の「転向論」を彩る思想的告発のポーズは、およそ疚しさとは無縁な身振りとして際立っていた》と言い切っている。
 この本は、著者の今までの吉本隆明論とくらべて変な悪意がないし、スガの吉本批判のような余分なものがない。80年代、90年代の吉本隆明の思想をこれだけ抉った後半の分析は他にないし、最初のほうでは、吉本の太宰治偏愛という、いわば対象の最も重要な部分に分け入る見事な攻め方をしている。
 だが吉本隆明批判として単純に説得力をもつのは、吉本・埴谷論争の発火点となった、大岡昇平・埴谷雄高対談で大岡が口をすべらせ、そのため配達証明付きの抗議文を吉本に送らせた「スパイ」の一言が、吉本自身の文章を出所としていることをつきとめた部分であろう。
 高澤秀次は吉本隆明『詩的乾坤』所収の「「SECT6」について」から《ことに花田清輝は、某商業新聞紙上で、わたしの名前を挙げずに、わたしをスパイと呼んだ。わたしが、この男を絶対に許さないと心に定めたのは、このときからである》を引用し、《私の知る限りでは、吉本が噛みついた大岡昇平の不確かな記憶の出所は、『詩的乾坤』所収のこの文章以外にない》と記す。
 吉本は自分が書いたことを忘れたが、そこで書かれたことと似た「思い」は頭にあり、大岡の対談の言葉に敏感に反応したのだと思う。ともあれ大岡の失言は、たとえば《埴谷・大岡昇平の卑劣な吉本隆明中傷》(松岡祥男「情況の基底へ」/『埴谷雄高・吉本隆明の世界』所収)などからは遠い。
 もしも大岡が吉本文を踏まえながら意図的に言っていたとしたら(それなら実に巧妙な「卑劣な吉本隆明中傷」だと認める)、吉本の抗議に対して、前記部分を引用し反駁しえたろう。だがそんな言葉のもてあそびを大岡がするはずがないし、していない。
 こんな下らないことで裁判などありえなかったろうが(おどしだろうが吉本は裁判に言及)、もしなされていたらそこでは、記憶と勘違いと思い込みなどの複合した世にも奇妙なやりとりがなされたはずだ。
 結局、大岡昇平が1988年、埴谷雄高が1997年に死に、それぞれの死後全集のなかで、二人の対談から「スパイ」の一語は消えているが、そんなことより後世の人は、その背景にあった事実(抗議の内実)を冷厳に見つめる権利をもつ。
 さて吉本はその後、2008年に出した『「情況への発言」全集成3』の3月に書いたあとがきで大岡批判を繰り返しているが、明らかにこの時点で高澤の著書を読んでいない。しかしその後の対談「肯定と疎外」(『貧困と思想』所収)のなかで《恥ずかしくて人にも言えない、唯一のこと》として、彼は安保のときに地理を知らなかったために塀を越えて警察のなかに入り逮捕されたことにふれる。外野からみたらユーモラスな武勇伝とも思える出来事にこだわった理由は、この間に抗議の失策に気づいたためではないか。常にものごとを遡行的・起源的に考える癖が、吉本をして、この地理の不案内とそれによる逮捕に自己処罰を加えさせたと私は推測する。
 高澤秀次はスガ秀実のような派手なパフォーマンス、海外の思想概念・言葉の大量の安易な利用などがない分、苛立たしさを感じないで読むことができる著者である。

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最新基本地図 世界・日本 2012

2012/04/21 11:28

年表は時間をはかり、地図は空間をはかる

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 地図を見る/眺める/辿るのは、たぶん好きなのだろうが、あてもなくいつまでも見ていられるほどのマニアではない。小説や評論などを読みながら、必要があって都市や町や、あるいは都市のなかの細かな地点を探す実用的な地図好きに過ぎない。
 10年以上前から利用している昭文社の『グローバルアクセス世界・日本地図帳』が古くなったので適当なものを購入しようかと考え、図書館から帝国書院の本書ほか新刊地図を借りてみた。所持しているのと同じ世界と日本が一緒になっているもので、その前に書店でこの種の地図帳が何種類もあったのを確認している。たとえば昭文社のものなど、以前のものよりページがずっとあって、しかも安い。この種の本が売れていることを推測させる。
 各社の地図帳を比較するとき「地図」そのものに個性があると感じさせる。朝日新聞出版刊行(編集は平凡社地図出版)の『デュアル・アトラス日本・世界地図帳』の地図の特徴の一つは国境線や州境線が強く目立つことである。たとえばアメリカ合衆国全図を見ると、昭文社の地図では、東部の小さな州がはっきりとは分からない。慣れ、というのがあって昭文社の地図が見やすいとは思うものの、この平凡社製地図の太い国境線や州境線は悪くない。
 合衆国全体(アラスカとハワイを除く)の2ページ大の地図を例にとって3種類を比較すると、いろいろなことが分かる。確かに朝日版は州境線がはっきりしている。昭文社版は(現在の版は未確認だが)、州境線と道路線が同じ赤なので、ただでさえ細かい地図が余計見にくくなっている。それに対して本書は、州境線が朝日版ほど太くはないが、小さな東部の州もはっきり分かる。
 本書の利点を挙げれば、地図のアキ部分(海洋)を利用し、日本の影図を置き、日本と世界の各地域の大きさを比較できること、また「合衆国領土の変遷と行政区分」という色分けされたミニ地図があり、各州の成立時期が図示されている。
 また州都に色分け指示がなされているのは、本書と昭文社版で、朝日版にはない。
 あくまで見開きの合衆国図のことだが、本書には東部のマサチューセッツ州の場合なら、州都ボストンの南にプリマスが記載されている。これは昭文社版、朝日版ともにない。またコネティカット州の場合なら、ニューヘヴンの記載があり、これは昭文社版にあるが、朝日版にはない。また昭文社版には同州にブリッジポートとスタンフォードの記載はあるが、これは他の二つの地図にはない。細かいことだが、本書において「プリマス」とか「ニューヘヴン」のように朝日版にない地名など、英文字が併記されていない。次ページの拡大地図でカバーしているからすべて原綴り記載は必要ないが、ともかくそうした処理の集積によって一段と地図のごちゃごちゃ感がなくなり見やすくなっている。
 三つのアメリカの地図を眺めて感じるのは、朝日版の州境線の太さ、昭文社版のごちゃごちゃした感じ、そして本書帝国書院版の地図としての美しさだ。たとえば昭文社版は密集しつつ、どこか地図が薄い感じなのに対し、本書の見開き合衆国図におけるロッキー山脈の色合い、山々を思わせる彫りなど見事である。朝日版が五大湖の色を、海の深いところの色と同じにしているのは疑問に思う。
 本書は類書にくらべて悪くないと思うが、価格は高い。朝日版との比較ならページ数が飛躍的にあるので高いのは頷けるが、昭文社版は少し薄いだけで大幅に定価の差がある。購入するかどうかは、そのあたりが決め手になるだろう。ただし今現在、新しい昭文社の地図、『グローバルマップル世界&日本地図帳』を参照していない。これまで昭文社版として言及したのは10年以上前の地図帳である。

 もうひとつオマケ。たまたま見ていた『もっとくらべる図鑑』という傑作な本のなかに、東京ドームから始まり、ペンタゴンやバチカンやセントラル・パークの広さがくらべられる、ページを開くごとに拡大していく一種の地図があったが、そこに東京23区で「いちばん大きいのは大田区」とあり、世田谷区ではないのかと思った。本書には23区の色分けされた地図があり、広さが分かる。正確には測定できないが、なるほどという感じだ。

 
 私はこうしたA4サイズの地図のほかに、ソ連崩壊以前に購った、B4強サイズの『THE TIMES CONCISE ATLAS OF THE WORLD』を愛用している。この地図の合衆国北東部の拡大地図を見ると、おそろしく細かな密集した地名のいくつかに赤鉛筆で線が引かれている。これはスティーヴン・キングの『ザ・スタンド』を読んだときの名残りである。あの途方もなく面白い小説は地図で、主人公たちのニューヨークやメイン州からの脱出経路を確認しなくても十分楽しめたことだろう。だが地図で細かく確認することが小説をさらに面白くさせたことも確かだ。
 『ザ・スタンド』の場合は日本製の地図にはその諸地名の多くが載っていなかったと思うが、多くの小説を読む過程で昭文社版の世界・日本地図帳を利用させてもらった。その痕跡はいたるところにある。ヨーロッパロシアの縦の見開き図における多数の都市が赤鉛筆で囲われているのは、トム・ロブ・スミス『チャイルド44』を読んだときのものである。だが中国の長江に沿った各都市に鉛筆で印がつけられているのが、どの本を読んだときのものかすぐには思い出せない。そんなこともある。

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Subway love

2010/04/05 14:31

40年前、若き荒木経惟が半ば盗み撮りによってとらえ続けた地下鉄の乗客たちのさまざまな姿は素晴らしく、飽かず眺められる

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 本書巻末の著者(撮影者)のコメントにも語られているが、地下鉄の乗客たちを盗み撮りするという試みは、ウォーカー・エヴァンズというアメリカの写真家によって過去になされていた。
 エヴァンズは1936年から41年あたりにかけて、コートにカメラを隠し、地下鉄の車両内で人々の姿を撮影した。それは1966年になって、やっと『Many Are Called』という写真集として結実したが、当時それほど評価されなかったようだ。
 《なんとね、日付を見たら、電通に入社した1963年から9年間、辞めるまで、撮ってんだよ》という荒木経惟は、エヴァンズの本を途中で知り、真似したと思われるのがいやで、本にしようと思っていた気持ちを翻意させたことを述べている。
 だが当時、ゲリラ的な自費出版物ならいざしらず(荒木経惟は最初期に何冊もの「ゼロックス写真帖」をつくり、自分の写真を見せたい人に送っていた)、通常の出版ルートで駆け出しの写真家が撮りためた無名の人たちの、なんの変哲もない写真集を出せたとは思えない。
 ともあれエヴァンズの写真集は2004年に新版が刊行されており、翌年に『SUBWAY LOVE』が出版される。
 この写真集のページをめくっていくと、すべてが盗み撮りというわけではなく、写真によっては写されている人がカメラに気づいて視線を向けているのもある。何度もトラブルめいたことがあったと荒木経惟はコメントをしているが、同時に写される側に写されることを許容する余裕も当時はあったのだろうか。
 現在ではもはや、こうした写真および写真集は難しいと思う。写している人はいるかもしれないが、時代の差についての徹底した考慮なしには空しい作業に終わるはずだ。

 ところで荒木経惟は巻末コメントで《ウォーカー・エヴァンズはこういう感じですよ》と、本書のあるページを指しているが、その写真を見ると画調も構図も何となくしっかりしている。ドキュメンタルだがポートレート的でもあり、写真として様(さま)になっている。
 だが荒木経惟の本領はもっと自由で適当で可笑しいところにあり、写真集としての構築をこわしてさえして、彼流の自在さを追求している。
 たとえばそれは木村伊兵衛のポートレートの自在さに通じる。『アサヒカメラ増刊/生き残る写真「木村伊兵衛を読む」』や『木村伊兵衛 昭和の女たち』におさめられている有名無名の女性たちの写真をながめると、そのシャッターチャンスの優雅なまでの見事さにうっとりしてしまう。
 荒木経惟は、エヴァンズが地下鉄の乗客を、盗み撮りとはいえ、たとえば土門拳のように、しっかりと撮ったのとは逆に、木村伊兵衛的な軽さ、自在さによってとらえたと言えないだろうか。
 もちろん荒木経惟には木村伊兵衛の優雅さはないが、その自在さは木村をはるかに凌いでいる。『SUBWAY LOVE』は彼の自在さが遺憾なく発揮されている傑出した写真集だと私は思う。

 それにしても10年近く、膨大な量の写真を地下鉄内で撮り続けた荒木経惟には写真欲というべきものが旺盛なかたちであったと言えるだろうが(費やしたフィルムはエヴァンズの比ではない)、飽きることなくそうしていた荒木の姿勢に、私は休みなく、練習するがごとくある時期、詩作し続けた吉本隆明の姿勢を重ね合わせたくなった(その膨大な詩作群は『日時計篇』としてまとめられている)。
 だがこうした写真を撮っていたために何度も交番につきだされ、場合によってはその途中でフィルムを取り替え、写っていないフィルムを渡したりもした不良性というか図々しさは吉本隆明にはない。
 カメラのファインダーを覗かずにシャッターを押したり、シャッター音をうまくごまかしたりする荒木経惟はしたたかとも言えるが、同時に子供っぽくもあり、そこに彼が許容される要素の一つがあるのかもしれない。
 「肖像権」に関するウィキペディアの解説を読んでみると、なるほどと感じ入るが、この『SUBWAY LOVE』は撮影した時期から40年も経っていることに加え、そのタイトルも表わしているように、撮影者の視線に冷たさや意地悪さは薄い。写された当人が、これは嫌だと思うかもしれない写真がないわけではないが、それさえも、ある意味において愛らしい。不思議な愛を感じてしまう。
 そしてたとえばごく普通の恋人たちや親子と思われる写真。それは40年後にその姿をたまたま目撃したら何重もの驚きを味わいうるような写真かもしれない。それらは、過去のある瞬間の自分たちでありながら、自分たちが知らない自分がそこにいるという驚きを与えるのではないだろうか。
 すぐれた写真集は時代というものを否応なく写しとるものだが、『SUBWAY LOVE』はそうした要素もそこはかとなくあるにせよ、むしろもっと普遍的な何かを期せずして写しとっている、そんな写真群だという気がする。


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私の書かなかった本

2010/06/20 16:40

この本を読んで、もう少しジョージ・スタイナーを読んでみようという気持ちになった

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 本書の「妬みについて」においてジョージ・スタイナーは、歴史上の人物の研究を通して、人々がもつ根深い感情の秘密を掘り下げようとする。私が面白いと思ったのは、著者がそのどちらに力点を置いているのか巧みに曖昧にしている点に対してだった。
 スタイナーは、ダンテと同時代の詩人にして学者のチェッコ・ダスコリ(もちろん私にとって初めて聞く名前)がダンテの卓越性と名声に対し、やみがたい妬みを感じていたことに関心をもつ。チェッコは『神曲』に激しい批判をしたことで知られる。
 著者は今から7世紀も前の、翌朝、焚刑に処せられる彼の心のなかを「全精神を動員して想像する」。
 ここは見事だ。その最後は次の文章で閉じられる。《焼かれることになるのは彼の生きた肉体だけではなかった。著作のすべてが薪の山に放り込まれるはずであった。ダスコリに予見しうる限りでは、すべて手稿のままである自分の膨大な仕事の結果は何も残らないであろう。すべては灰と化すであろう。叙事詩の傑作、未完の『アチェルヴァ』も、痕跡を残さずに消え去るであろう。一方で、ダンテの『神曲』は永遠の命を約束される道の途上にいた。……チェッコは人生最後に残された洞察力と集中力の瞬間において、自分がダンテの至高の天才と名声を妬むライバル、多少とも軽蔑される同時代人であり続けたことを知る。この認識がもたらした苦悶はおそらく、少なくとも一瞬のうちは、言語に絶する激痛をもたらす差し迫った死の予感よりも、よりいっそう残酷であった。》
 スタイナーはその少し前で、彼の想像のなかでだが冷たい夜の牢獄のなかのチェッコに、蝋燭の炎に指を近づけさせ、翌朝の最初の痛みの予行演習をさせようとする。
 そのような肉体的な苦痛の想像以上の苦痛としての「妬み」を、歴史上の人物の心理のなかに見る著者は、批評家というより、『ウェルギリウスの死』を著わしたヘルマン・ブロッホのような小説家に近い。
 スタイナーは小説もこれまでに書いているが、この「妬みについて」においては批評家が創作者に抱く「妬み」にもふれる。《偉大な批評家は偉大な作家よりも稀だといわれてきた。一群の批評家たちは、散文スタイルの力で革新的な問題提起により文学そのものにじりじり入り込んだ。しかし、根本的な事実は変わらない。たとえどんなに優れた批評論説でも、不朽の詩や小説との差は何光年も開いている。》

 スタイナーは人間の陋劣な、あるいは凡庸な心理を論〔あげつら〕おうとする、たとえば「通」の人ではない。いわば陋劣でも凡庸でもない。それより彼は、《天才の作品がしばしば人々に認められず嘲笑される可能性があることが、批評家の立場の身を引き裂かれるような曖昧さを増大する》といった言葉によって、自身をあるレベルに置こうとする。
 文脈からいうと、ここは天才(シェイクスピアのような存在でもあり近い時代の畏敬すべき人でもあろう)に対して、みずからを《オクスブリッジの成績評価記号で言えば「β++」》の《二流の頂点》という格下へ位置づけているとみなされよう。もちろん私には実感できないレベルだ。
 スタイナーは、「一流の作品が認知され正当な扱いをされるように求めて苦闘する」正直な、多くの人の列に自分を置きたくないのだと思う。「脚注のなかで言及されて永遠の命を授かる」だけで満足したりしなかったりするレベルには自分がいないことなど当然だとみなしているだろう。
 こうした物言いが一種の自慢話に近くなることを知っている著者だからこそ、この「妬み」論=チェッコ・ダスコリ論の難しさも分かっているのだ。このエッセイが「それは私にはあまりに切実すぎた」という言葉で閉じられるのは、突き詰めていくと、誰と誰が彼の現実の妬みの対象であるかを述べなくてはならないからかもしれない。

 このエッセイが素晴らしいのは、これが7冊の書かなかった本のうちの1冊についての文章であるところ自体にもある。
 スタイナーはチェッコ・ダスコリについて色々研究し、想を練り、書物にしようとしたかもしれない。またその書きたかった核心には、チェッコのダンテに対する気持ちがあるところにも気づいたかもしれない。だがスタイナーは妬みという感情を中心に一冊の本を書くには、何か憚りがあることが分かった。つまりそれは一冊の本にするには、あまりにもなまなまし過ぎる。かといって、ひとつのエッセイとして何かのきっかけで書くには、あまりにもそれは自分にとって一冊の書物にするにたる内容をそなえている。
 そうしたためもあって、ここに収められた各エッセイには尋常ではない密度があり、簡単に読み飛ばしにくい。
 だがスタイナーには意外にサービス精神があるのかもしれない。たとえば「エロスの舌語」はお堅いイメージの彼らしからぬ自慢話すれすれの性的エピソードに満ちているが、「本章は危険域に達している」という最後のつぶやきが示すように、これは本にするには著者が最も嫌うプライヴァシーの露出そのものである。だがあえて彩りとして加えたのかもしれない。
 総じてスタイナーには、私的なことを書くときの書き方や抑制の仕方にある流儀が感じられる。多くのイニシャルの女性が登場する「エロスの舌語」はスタイナーとしては空前絶後の露出と言えるのではないだろうか。

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転移

2010/02/23 23:23

私も(誰もがそうだが)やがて死にゆく存在であること、そして日記をつけていること、その二つのことから本書を読む。

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 著者は12歳のときから日記を続けてきたと、このなかで書いている。《私はとてつもない記録魔だ。毎日毎日、行動録から食べたもの、そのカロリー、体重に血圧に基礎代謝に読んだもの、書いた小説の量までことごとく記録しておかないと気が済まない。》《記録がなくなったら大変だからパソコンに移してからもバックアップはおびただしく確保してある。》
 だがこうした記録(この日記に反映されるのはそれらの一部である)をつける気力、体力がなくなりそうな病症に抗うかのように著者は必死でこの日記をつけ続ける。
 中島梓にとって重要な時の単位は「月」であるのだろうか。日記の始まる2008年9月を別とすれば、10月から翌09年5月まで、彼女は月の初めの日の日記を欠かさない。それは後になるにしたがって、その月を生き抜き、翌月にたどりつこうとする意志の気配を高めていくかのようだ。
 この日記に、ガンの転移という重大な病気とその治療からくる痛みの記述が多いのは当然だとしても、食べることの記述が大きなスペースを占めていることにも気づかされる。だがそれは食通が美味しいものを食べる悦びの表現ではない。
 病いの進行のために食べものを受けつけられず十分にカロリーがとれないだけでなく、著者が以前から摂食障害だったことが、事態をさらに複雑にしている。
 私は著者の書く長大なエンターテインメント小説をまったく読んでいないが、この日記のなかで少しふれている、かつて一部を書き、その続きの執筆を編集者から勧められた自分の母とのことを内容とした「純文学」には、なんとなく興味がある。
 4月11日の日記に著者の子供時代からいたお手伝いさんが著者の食生活に与えた影響が詳しく記されている。家には寝たきりの弟がいて、著者の母親はそのためにお手伝いさんを必要としたのだが、著者は老いた母親との齟齬を今でもかかえている。
 だが結局、著者は「純文学」を書くのをやめ、何種ものシリーズ小説に自分の進む道を定めた。この日記にも著者の読者へのサービス・配慮はあるような気がする。
 あるいはかつて書いた自伝的な「純文学」に著者が思い描いた評価がなされなかったためもあるのかもしれない。

 この日記を読みながら、もし私がこのような死期の迫った病気にかかったとき日記を書き続けるだろうかと自問した。
 もちろん人気作家である著者は自分の書きつつあるものが、死後公表されていることを意識しており、その点で私を含め多くの日記をつけている人とは異なる境遇にある。だが私が考えたのは、「死」から見ると、その差(死後公表されるかどうか)は小さいことではないか、ということだった。
 著者はまた日記のなかでもしばしば記しているように、旺盛な筆力をもって『グイン・サーガ』他の著作を書き続けており、それは病気の著者を最も深いところで支えているだろうと推測できる。
 ここで私が考えたのは、たとえば著者はそうした書く仕事と、目の前の痛みそしてその痛みがなくなり痛みをかかえた自身もなくなる死とを秤にかけたことがあっただろうかということである。
 たとえばこの日記のなかには、自分の作品と死を直接秤にかけるような言葉(たとえば、もし痛みや死からまぬがれえるなら作品はいらない、少なくともこれからの作品はいらないというような)は見当たらない。
 だが著者が「もうこんなに辛いならいっそ早く死んだほうが楽かな」と書くとき、そこには、これから書くもの・これから書くことを、痛みそして死と、ある意味で秤にかけている。とはいえ、さらに突っ込んで痛みや痛みのなくなる死を作品(書くことや著作)と秤にかける言葉を記すことはない。
 それを記さないことに読者へのメッセージを私は読む。それはこの日記が公表されることを意識しているからではないか。
 この作品はいらない・この痛みが消えるならば、と著者は繰り返し自問をしていただろうか。それは分からないし、それを知ることも虚しい。ただそうしたことをわずかに想像させる言葉をふと洩らす程度にとどめたところに著者の姿勢があり、前述したが読者へのメッセージがあったのだと思う。

 死と作品について口はばったいことを語りえないことを自覚しつつも、ある時期に感じていたことを私は思い出す。
 それは日記についてあれこれを考え・書き続けていたときだが、休みの日に決まって大型トラックが通る道路を自転車で図書館に向かいながら、こうしたところで事故を起こして死んだら今まで書いたものがまとめられなくて残念、といった気持ちである。私にはそのとき、転移日記を書いていた当時の著者のような迫る死や我慢しがたい痛みはなかったので、そもそも比較が妥当ではない。
 とはいえ出版できたその日記論の本には、死や痛みと日記を関連させた二つの章がある。死を前にした多くの日記を読み、それらについて書いたのである。

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淀川長治映画塾

2010/02/03 21:47

淀川長治の言葉には、情報量の少なさと反比例するかのような、熱や勢いといったものが感じられる

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 文庫オリジナルの本書は、アテネ・フランセ文化センターにおける映画上映にあわせた著者の連続講義=講演をまとめたもの。セレクトされているせいもあり、600ページを越える本文のなかみは濃い。
 キング・ヴィダーについての章があるので古本を購入したが、独特の語りをしっかりと採録していて淀川長治の本としては最上のほうに属すると思う。
 連続講義を著者にお願いしたアテネ・フランセの松本正道の「あとがき」を読むと、いかにも淀川長治的な挿話があって興味深い。
 2日間でキートンの主要な映画をすべて観ようというプログラムをたてる。《講演の日、会場の草月ホールにお連れする車の中で、先生からこんな過密なプログラムではご覧になる方は大変ではないか、とのご質問があった。「シネフィル(映画フリーク)であるシネクラブの会員にとってはこたえられない企画だと思いますが」とお答えした。すると先生は「映画は100人の人間がいれば100通りの愛し方ができるものなのに、あなたがたは自分たちだけが映画をわかっている、自分たちだけが映画を愛している、そう考えているでしょう。私は、そう考える人たちは大嫌いです」と珍しく厳しい口調で諭された。》
 ここに映画にかかわる彼の存立基盤があるような気がする。

 さてヴィダーについての1988年の講義には、当時の皇太子一家と著者(および辻邦生など)とが交わした面白い話が最後に語られているが、ヴィダーそのものについては、これを遡ること2年前にフィルムセンターで上映された「アメリカ映画の巨匠たち」特集のパンフレットに著者がしたためた長文以上に重要なことは話されていない。その論文は「ラオール・ウォルシュとその時代から」と題されているが、文中最も長く言及されているのはヴィダーであり、この監督への愛着が分かる。
 ただ情報量からいえば、同じパンフレットの記された岡島尚志による「上映作品解説」中のヴィダーにかかわる部分が貴重であり、現在の日本では、このあたりがヴィダー記述では最も詳しいことになるのかもしれない。
 ついでにいうと、このフィルムセンター特集はラオール・ウォルシュが中心であり、上映作品全30本のうち12本を占め、ヴィダーはわずか4本に過ぎない。またこの上映の1年後に雑誌『リュミエール』で「巨匠たちの百年」と題された特集が組まれたとき、ジョン・フォード、ハワード・ホークスの横に並んだ名はウォルシュだった。
 さらにいうと、日本ではサイレント期からアメリカ国内で映画をつくっていた監督のうち個別の関連書物が刊行されているのは、チャップリン、キートン、フォード、ホークスをのぞけばほとんどないに等しい。グリフィスについては申し訳程度のものしかなく(もちろん『リュミエール』のグリフィス特集を指しているわけではない)、シュトロハイムについての本はない。
 本書はそのシュトロハイムほか、キートン、デミル、マムーリアン、ルビッチ、フォード、マイルストン、スタンバーグ、ムルナウ、ラングと、サイレント期からトーキーに至る時期にハリウッドで映画を撮った錚錚たる監督について、たっぷりとした淀川節を聴くことができる。
 特にルーベン・マムーリアンとかルイス・マイルストンのように、普段あまり目にしない監督についての長い話は、とても貴重だし面白い。
 たとえば舞台出身のマムーリアンが映画を撮ろうとしたときの気持ちについて語るとき、《ちょうどルネ・クレールが『巴里の屋根の下』を撮るときに、しっかりやろなと思ってつくったと同じこと。それまでに前衛映画とか撮ってたけれど、本気になっちゃうわけね》と結びつけるあたりに、この人のひらめきがあるような気がする。普通の感覚だと、劇映画の手前にあるものとして舞台と前衛映画を同じ扱いにはしないような気がする。
 続く熱烈な言葉にあおられて、あまりよく知らなかったマムーリアンの『喝采』をそのうち見ようかと、ふと思ってしまった。マイルストンの『雨』も見たい。
 巻頭にあるシュトロハイムについての講義も面白い。著者は、上映される『グリード』のプリントが、かつて彼が見て驚嘆した映像がいたるところで欠けていることに気づき、講義のなかでカットされた箇所をいきいきと言葉にする。それは今見てきたばかりのように新鮮な言葉である。
 『グリード』は先日、図書館で見たレーザーディスク版が107分、双葉十三郎『ぼくの採点表/戦前篇』の『グリード』評には140分と記載されていた。市販のDVDに129分となっているものがある。
 『グリード』の元々の完全版が10時間もあったことはよく語られることだが、双葉評の最後に、ジャック・フィニイの『マリオンの壁』という小説がこの完全版『グリード』にふれていると記されている。


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神の左手悪魔の右手 1

2009/09/07 22:39

個人的には楳図かずおの最高作だと思う

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 『神の左手悪魔の右手』は楳図かずおのすべての作品のなかで最も完成された、ある意味で美しいマンガとさえ私には思われるのだが何故だろう。人によっては全く受け付けないグロテスクなホラーでもあろうが、たとえば映画化されたものの評価を読むにつけ、なんとなく映画を見たくないと思うのは、このマンガの完成度のせいなのだ。
 初期から中期、そして最盛期の長編へと至る過程のなかで、楳図かずおはおびただしい数のホラー・マンガを描いてきた。またホラーとは言えないものでもホラー色の強い作品がたくさんある。彼のマンガを評価するものもそうでないものも、彼がホラー・マンガ家の第一人者であることは認めざるをえないだろう。
 それにしても何故ホラー表現が、人を、そして私をひきよせるのか。小説があり、映画もあるが、それらにおけるホラーとマンガのホラーとは微妙に異なる。
 『漂流教室』をなんとなく不満足な気持ちをかかえて読み終えた後、私は所持している6冊本の『神の左手悪魔の右手』の再読にとりかかったが、その一方で、近年大量に刊行された楳図かずおの初期のマンガを図書館で閲覧した。
 その結果、私が感じたのは、『神の左手悪魔の右手』の圧倒的な凄さと、逆に初期マンガに対する、ある意味で当然過ぎる落胆だった。
 もちろんよほどのマンガ家でないかぎり、最初期の作品が驚異的な達成度を示していることはないので、楳図かずおが十代、そして二十代前半に描いたマンガが、たとえば初期の手塚治虫、初期の大友克洋のように天才的でないことに落胆すべきではないかもしれない。少なくともそこには、やがて『神の左手悪魔の右手』という圧倒的な達成に至る萌芽がひそんでいる。
 『神の左手悪魔の右手』が凄いと思うのは、結局、そのホラー表現になんらかの意味を見出しにくいことによるのだろう。たとえば『漂流教室』の怪物などは科学文明が生み出した害悪のメタファーである、というように何か意味の指示がある。そのように読んで納得するから、何か考える間もなく凄い、と思うようなことはない。
 また『神の左手悪魔の右手』は、たとえば第1話「錆びたハサミ」において泉は助かるが、彼女の同級生である意地悪そうな法子が死に、また第4話「黒い絵本」の恐ろしい父親が最後に滅ぼされるとしても、それは勧善懲悪的なモラルによってではないような気がする。そうした「意味」は楳図ホラーにとって重要ではない。
 『神の左手悪魔の右手』は全体が5つのパートに分かれている。それらのどれも十二分に見事なホラー造型がなされているが、特に凄いのは「黒い絵本」だろう。映画化されたのも、このパートであるようだ。
 他のパートと同様に、ここでも途方もなく残虐な物語が語られると、それを主人公の少年・想が悪夢として見ている部分がはさまれる。やがて残虐な物語(優しさと不気味さの混じった表情の父親が、ベッドに横たわる、いたいけな少女のために世にも残酷な話を語るだけでなく、その話どおりの残酷なスプラッターを実践し、それを家のなかに持ち込んでいる)のなかで被害者のうける痛みを蒙るようになった想は、悪夢の世界へ行き、少女を救うと、父親は本のなかの存在と化して、消える。「黒い絵本」では、悪夢を見る想の部分(ページ)は少ないが、それは必然的に、ホラー性を徹底させ、全開させる。
 『神の左手悪魔の右手』は山の辺想の世界と、彼が見る悪夢の(ただし現実に存在しているらしい)世界との往還で作品が成立している。また『漂流教室』も、翔たちのいる未来世界と翔の母親が生きている現在の世界が交互に描かれる(前者の比重が圧倒的に高いが)。
 手塚治虫の代表作『火の鳥』も、過去のパートと未来のパートの交代により作品全体が成立しており、時間は徐々に現在に向かって縮まっている。最終的には現代を描き、過去と未来が交わるところで終えようとしたが未完となった(楳図かずおの『イアラ』には、生の宇宙的認識といった点で手塚の『火の鳥』に似た部分が少しある)。
 過去と未来であれ、夢と現実であれ、二つの世界が最終局面において交わる、あるいは交わることを企図したところは、「黒い絵本」を含む『神の左手悪魔の右手』と『火の鳥』は同じだと思うが、面白いことに、『火の鳥』「未来編」の主人公の名は山之辺マサトという。『神の左手悪魔の右手』の主人公・山の辺想は、あんがい楳図かずおが手塚治虫を意識しての命名だった可能性がある。
 マンガを描かなくなったこの十数年を別とすれば、楳図かずおの最盛期にして最後期は長編の時代であり、その点ではドストエフスキーと似ている。
 ドストエフスキーに五大長編があるように、楳図かずおにも五大長編があるが、それに費やされた時間も、二人のあいだにおいて、それほどの差はない。世界的名声等のために、なんとなくドストエフスキーの仕事のほうが、大変なものだったと思う気持ちがあるが、楳図かずおの五大長編は最初に出版された形態の冊数で53冊を数えるわけだから、分量的にも、ひけはとらないことが分かる。

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大島弓子が選んだ大島弓子選集 2 上巻 (MFコミックス)

2009/08/27 21:33

『綿の国星』もサバ・マンガも『グーグーだって猫である』も、そして猫の登場しない大島弓子マンガもすべて素晴らしいが、ここでは『綿の国星』にふれておきたい

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 大島弓子、が本名であること、それがまず奇跡のような気がする。なんという美しいその響き! もちろん、大島弓子本人はその名を奇跡だなどと思ってはいない。たまたま自分は大島家に生まれ、たまたま弓子とつけられただけだと思っている。「吉本ばななが聞く大島弓子への50の質問」の回答によれば、菜菜というのが最初につけられる予定の名前だったが、早産の未熟児だったため強そうな名にしたという(『月刊カドカワ』1990年10月号)。
 また彼女にとってマンガは、外からイメージするのより、はるかに苛酷な労働であり、とりわけその最初の構想時は大いなるストレスの時間であったようだ。その絵と言葉のあまりにソフトな美しさのゆえに、人はなんとなく彼女が甘く柔らかく軽やかに、そして楽しくマンガを描いているかに見做してしまう。だが近年、ひと月に4ページだけの『グーグーだって猫である』しか描かない理由は、その苛酷さに、もはや本人が耐えられないからではないか。
 その『グーグーだって猫である』を読んでいると、猫は大島弓子にとって運命的な存在だったのだと思う。だからこそ、まだ猫を飼う以前に、彼女は『綿の国星』を描くことができたのだ。
 大島マンガ全体のなかで、猫は大いなる部分を占めているが、表現のかたちからみて時代順に、次の三つに明確に分けられるだろう。
 まず大島弓子が30代いっぱいかけて描き続けた『綿の国星』連作。中心にいるのは可愛い女の子姿のチビ猫だが、エピソードによって多様な猫や人間の主人公たちが登場する。この連作では、猫たちはすべて人間の姿をしている。ある意味において、この連作におけるチビ猫も物語の核をなす少女たちも、大島弓子自身である。
 次いでリアルな猫との接触から始まる40代前半のサバ・マンガ(ただし著者がサバを飼い始めたのは『綿の国星』を描いている30代半ば)。サバを始め猫は『綿の国星』と同じ人間の姿(鳥たちもそうであるのも面白い)、主人公として登場する著者は、眼は点に近いが、ふわっと下にひろがった髪とエプロン姿が可愛い、おなじみの姿である。この自画像は、『ぱふ』大島弓子特集号(1979年)にも現われるが、この特集の筆談に登場する本人は「オレンジ色のエプロン姿をしている」。ただし、いつものように写真はない。エプロンは好きらしく、『大島弓子の世界』(1983年)所収の、アシスタントによる愉快なマンガでも、彼女はエプロン姿である。
 50歳の少し手前から描き始めた『グーグーだって猫である』は、サバの死が発端で、ペット・ショップで見つけたグーグー他、多くの猫が本来の姿で登場する。これまで、あとがきなどに描いていた身辺エッセイ風マンガだ。著者自身は最初こそサバ・マンガと同じ姿だが、しだいに変化し、ある時期からメガネをかけるようになる。ユーモラスではあるが、サバ・マンガの時とくらべて、お世辞にも可愛いとは言えない。だが自身を客観的に見つめた表現であり、現在の自画像として味わい深い姿である。
 著者の猫たちへの愛は尋常ではなく、猫を飼ったことのない私でも、街で猫を見かけるたびに嬉しくなるのは、このマンガを読んだせいだろうか。

 ところで『綿の国星』はすべてを合わせると1000ページにもなるマンガである。その連作のなかでヒロインのチビ猫は、彼女を飼っている須和野家の人々など人間たちからは猫だと思われているが、本人の意識では彼らと対等である。彼女はなぜか人間の言葉が分かるようだ。
 かくてチビ猫は人間たちの物語にかかわりつつ、それとは別に近所の猫たちの世界にも介入する。
 擬人化されたチビ猫を中心としたさまざまな猫たちの姿と感情の描写を通して描かれるのは何か。猫と、ある種の人間たちが言葉をかわしうるかのように描かれるとき、読むものは何を感じるのか。
 たとえば9話「八十八夜」。死にゆく妻がかたみに残す猫キャラウェイへの言葉、「わたしはあなたになりたいと思うけど それはきっと無理だから おねがいします」は、妻をうしなう男に、きっと届くだろう。
 そのときキャラウェイは擬人化された猫であるがゆえに物語は生きるので、彼女が人間の少女なら一挙に物語は生臭くなる。
 20話「ばら科」でチビ猫が近所で出会う、自分の子どもを食べてしまった母猫は編み物をしている女性の絶妙な姿で描かれる。また物語の後半では、チビ猫をかつて自分の失ったこどもだと勘違いする生活に必死そうな母猫が魅力的だ。彼女が身にまとっている布地とその柄のピッタリ感! そうした猫の母の姿の向こうに、作者は人間の母を確かに見ているだろう。
 けれど私が最も感動したのは、19話「お月様の糞(ふん)」かもしれない。そこに描かれているのは、妻と離婚した男・百済とその隣の家の女子高校生・歌音(かおん)との愛である。ここではチビ猫は脇役だが、愛する男の飼い猫フンへの嫉妬のために、歌音がフンを殺して埋めていたことを読むものは悲痛な感覚をもって最後に知る。
 ハラハラと泣く歌音を、フンを飼っていたのは歌音から逃げるためだったことに気づく百済は「君がもう少し大人になったらプロポーズしよう」と抱きしめる。
 なんと抱きしめられた歌音の髪のあいだからは猫の耳が見える。チビ猫は「あたしは一瞬 歌音がほんとの猫みたいにみえた」とひそかに思う。
 連作『綿の国星』は、4冊の文庫本で今まで読むことができたが、文字数が多く、文字が普通のマンガより小さくなりがちな大島弓子のマンガを文庫で読むのは辛い。今回3冊の、より大きなサイズの『綿の国星』が出版されたことは喜ぶべきことである。

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童夢 (アクション・コミックス)

2009/08/03 16:49

大友克洋『童夢』が、初期短編群と大作『AKIRA』の中間に位置する作品であることは指摘するまでもないことだろう

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 大友克洋『童夢』は、間然する所がない傑作である。文句のつけようのない、圧倒的に面白いマンガである。巨大団地を舞台に、超能力者同士の老人と少女が対決するオリジナルの物語は今でも古くないし、それを支えるキャラクター、映画的ショットを思わせるコマ割りなど、その絵のすべては申し分なく見事だ。
 文句のつけようのないと書いたが、さほど重要とは言えない疑問はある。たとえば43ページ。家族が団地に引っ越して来たばかりの少女・悦子(エッちゃん)はある気配を察し、落下させられた赤ちゃんを寸前のところで救う。彼女のみがその超能力によって、赤ちゃんを落とした存在に気づき、驚く犯人の老人・チョウさんに面と向かって、「何がトマトよ あんなコトしたら赤ちゃんが死んじゃうでしょ」と言う。ベンチの老人に背を向け、去り際に「なんて いたずらっ子なのかしら」とも。
 それはいいのだが、この子供の落下事件はその後、その現場の近くにいた刑事たちのあいだでも、特に問題になっていない。植木のようなところに落ちたわけではなく、地面に落ちた赤ちゃんが無傷のままであることは不思議なのだが。
 75ページ。エッちゃんはチョウさんに操られたカッターを持った受験浪人生に襲われる。次の見開きは血があたり一体(壁も天井も)に飛び散った無人の通路。「人が一人はじけたんだ」という刑事の言葉が数ページ後にあるが、人体をはじけさせたのが何か、誰かについての、それ以上の言及はない。
 176ページ。チョウさんと熾烈なたたかいを続行中のエッちゃんの前に現われた救助の消防隊員を、少女は泣き叫びつつ、はじけさせる。そして一人の消防隊員は驚きをもって、それを目撃した。建物が破壊し続け、多くの死者が出た修羅場のなかの出来事であるにしろ、このことも後に言及されない。
 疑問と記したが、これらのことで何らかの説明がないのは、作者の周到な配慮であるかもしれない。それは超能力という、普通の世界にとっての〈未知〉に属するものの見事な描き方であると言える。
 『童夢』に感心し、他の大友作品も読む。初期の短編集はいずれも素晴らしいが、私の好みは『ブギ・ウギ・ワルツ』だろうか。その黒さ、そのヤクザな男たちや女たちの顔。もちろん『ショート・ピース』も、『ハイウェイスター』も、『グッド・ウェザー』も、すべて素晴らしい。また初期の作品群のなかでは最もエロティックな『ヘンゼルとグレーテル』にも、凄まじい才能を感じる。
 あいにく『さよならにっぽん』と『気分はもう戦争』は所持していなくて読み返せなかったが、初期の単行本未収録作を後に編集した『彼女の想い出』『SOS!大東京探検隊』も読んだ。このあたりまでが、『AKIRA』以前の、前期大友克洋のすべてである。
 1988年に刊行された『ユリイカ』臨時増刊・大友克洋特集は、1982年から連載開始された『AKIRA』を含む、最初期と最盛期の彼のすべてをフォローした解説本である。
 この特集号はいまだに絶版にならず刊行され続けているようだが、21世に入って、『ユリイカ』にマンガおよびアニメの特集が増えたのは、文学と映画の特集が相対的に減ったのと対照的である。2001年、宮崎駿。2002年、高野文子。2003年、黒田硫黄。2004年、押井守、楳図かずお、宮崎駿。2005年、水木しげる、『攻殻機動隊』テレビ版、2006年、西原理恵子。2007年、松本大洋、安彦良和、荒木飛呂彦。2008年、杉浦日向子。2009年、諸星大二郎、メビウス。この他ギャクマンガ特集やマンガ全体にふれたものが数号ある。
 私がほとんど知らない人もいるが、ともあれ時代は変わった。アニメを含むマンガが、映画を超えているのが分かる。というのは、この時期の映画特集は、次のようにしかないからである。2001年、青山真治、韓国映画。2002年、ゴダール、ロメール。2003年、吉田喜重、黒沢清。2008年、ジャン・ルノワール、スピルバーグ。2009年、イーストウッド。2004年から07年まで一冊もないのが目を惹く。また2003年以降、実写の日本映画監督の特集はない。
 アニメは、マンガと映画の中間にあると言えるが、現在、アメリカでも日本でもアニメ映画は興行成績の要である。その質においても、実写の映画監督以上の逸材がアニメ映画の監督のなかから出ている状況がある。
 『AKIRA』の最終巻6巻目を読んだが、初期の大友作品に色濃くあった日常的な描写をこれだけ消し、朝があり夜があるといったこの世の時間さえも無視した非日常的なアクションに終始した世界に驚く(400ページ以上の長さだが、日が暮れ、朝を迎えるといった描写はない)。つい最近ハリウッドにおける『AKIRA』の実写映画企画が中止に決まったことは、いろいろな意味において良かったと思う。


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フィルム・アート 映画芸術入門

2009/04/23 18:38

抱きしめて眠りたいが、寝ながらでは読みにくい本

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 この本は原書の第1版が1979年に出版されて以来、何度も改訂を重ね、読まれ続けている幸福な書物である。小説ならいざしらず、研究書の場合、どんなに精密にチェックしたと思っても、書き足りなかったことや大小のミス、そして時代を経るにしたがって直したり増やしたりしたいことが出てくる。
 しかもこの本は、著者が自身のウェブサイトで、差し替えた旧版の作品論や最新版の間違いの訂正を載せており、まさに進化し続けている。その意味でも、今の時代だから可能な幸福な本だと思う。
 圧倒するような見事なかたちで邦訳された本書は、原書7版(2004年)を元にしたものだが、翻訳進行中の2006年に第8版が出てしまい、躊躇したようだが、7版訳で続行、出版した経緯は「訳者あとがき」に記されている。
 原著者のウェブサイトには第8版の第1章、全51ページ分がサンプルとして読めるようになっているが、これをざっと見てみるだけで、訳を新版に差し替えた場合の手間が分かり、大幅に邦訳出版の時期が遅れただろうと推測できる。
 2年というこれまでで最短かもしれない新版の刊行は、急激な映画受容の変化と関係があるのだろうか。というのは本邦訳では、《VHSよりもDVDで多く発売される作品もある》といったもはや時代遅れの説明がまじっているからで、8版の第1章冒頭には、もう映画を自宅どころか移動の途中でも見る時代になった事態にふれている。
 だが著者たちと同じ世代である私が思うのは、本を読むように映画を見る、などというのは考えもつかなかったころの「体験としての映画」(とでもいうべきもの)へのいざないが、この1・6キロもある本にはつまっている、ということなのだ。
 つまり近年の受容のかたちの変化それ自体も含む、表現としての映画の歴史とその魅惑が、スチル写真ではなく1000枚近い画面そのものの引用を実現させた本書には溢れている。
 映画というものの基礎的な研究に、このような引用は欠かせない。たとえばヒッチコック『鳥』のフレームを引用したページでは、ティッピ・ヘドレンのクロースアップ・ショットと彼女の見た目のショットが交互にレイアウトされているため、美しい図形を見ている気分になる。対応する本文では各ショットが何フレームあるか(つまりどのくらいのタイムなのか)の表示もあり、ヒロインがショット内で頭を動かしていないという指摘も忘れない。著者たちは《このシークエンスを印刷物の上で再現することが不可能になっている》と指摘しているが、映画の体験への印刷物上での可能なかぎりの接近を見る思いがする。
 また大部分が《配給フィルムから直接フレームを引き伸ばしたものを使っている》というこの本は、フィルムのフレーム自体が映写される画面と違う場合があることも教えてくれる。《現代の映画の多くは、映写の際にマスキングされることを見込んでフルフレーム(すなわち1.33対1から1.17対1の間)で撮影されている》ことの指摘だ。
 例として引用された、縦1対横1.18ほどの比率の(つまり四角に近い)『レイジング・ブル』のフィルムからとられたフレームの上部には見えてはいけないマイクが写っている。映写の際に上下をマスクするため、これは観客には決して見えず、スコセッシの映画は、監督が意図した1.85対1の比率の画面となることが具体的に説明される。
 その他、四角に近いフレームが引用された現代の映画として、『ボディガード』『カイロの紫のバラ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ザ・エージェント』『ドゥ・ザ・ライト・シング』、さらには『ゴッドファーザー』などが引用例のなかで目に付いた。また現代の映画ではないが、『街の灯』終幕の極端に四角に近いフレームは、テレビで録画した作品で確認してみると、なるほど上下がカットされているのが分かる。そのラストシーンにはいつも泣かずにいられない、おまけつき確認だったが。
 ただマイクが写っている『レイジング・ブル』の引用フレームは四角に近い比率なのに対し、分析例としてこの映画が批評の対象にされている数ページでは、すべてのフレームが1.33対1になっているのは何故なのだろう。
 また『L.A.コンフィデンシャル』の分析ページでは、シネマスコープ・サイズのフレーム比率が、2フレームだけ他と違って、縦が短い。
 とはいえ、こうしたミス(?)は、この恐るべき書物において些事に過ぎない。私がこの邦訳本を見事だと思うのは、分析の文章と、それが指示する引用の画面とを可能なかぎり同じ見開きページにおいた苦心の編集レイアウトである。また原書のレイアウト・パターンを生かしながら、1段の上下幅はぎりぎりに伸ばしたのも妥当な措置だ。細かいことだが、原書第1章最後にある、『大いなる幻影』の製作スチルとフレームの比較に際し、原書は同じ太いスミ線囲いなのに(ウェブサイトの8版で確認)、邦訳ではスミ線囲いはフレームのみと差をつけているところにも感心した。
 日本版『フィルム・アート』が原著と同じような長い生命を保つことを祈るが、この本が品切れになって入手できなくなることもあるかもしれない。映画を何よりも好きな人がこの本のページを日々めくることができないという不幸を避ける最高の安全策は、今、現在、この本を購入することしかないだろう。

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