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本を読むひとさんのレビュー一覧

投稿者:本を読むひと

176 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本罪と罰 1

2009/06/17 13:38

2冊目以降は、訳語へのこだわりからできるだけ遠ざかり、自然に小説そのものに没入したい

10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この『罪と罰』の新訳はいい、というのが私の実感である。ドストエフスキーの小説は会話が多いが、この会話の言葉が生き生きとしていて、今までにない新鮮さを感じた。
 主人公の友人ラズミーヒンがラスコーリニコフの下宿に来て、彼を看病する場面を、まず手持ちの新潮社版全集(工藤精一郎訳)から引用し、続いて本書の同じ部分を引用する。
 《「これもみなパーシェンカが、ここのおかみさんがね、あてがってくれるんだよ。まったくじつに親切にもてなしてくれるぜ。むろん、ぼくはねだりはしないよ。なにことわりもしないがね。そら、ナスターシヤが茶を持って来た。ほんとにすばしっこい女だよ! ナスチェンカ、ビール飲むかい?」》
 《これも、みんなきみんとこのおかみの、パーシェンカのおごりでね、どうやらこのおれを、心から尊敬してくれてるらしくってさ。別にこっちからおねだりしてるわけじゃなし、かといって、断りもしちゃいないけどね。おう、ナスターシヤがお茶をもってきた。ほんとうにフットワークのいい女だぜ! ナスターシヤ、ビール、飲むかい?」》
 この部分に関していえば、それほど前者の訳に古めかしさはない。それでも「なにことわりもしないがね」の「なに」などは、今では使いにくい。
 この訳文のなかで、下宿の気のよさそうな「女中」ナスターシヤに対して、ラズミーヒンは愛称もまじえて喋っているのを、工藤訳では生かしているが、亀井訳はそうしていない。訳者は本書全体にわたって人名の訳を大胆に統一している。こうした単純化は、読みすすめるとき、無駄な瑣末な判断をしなくてすむ分、小説の自然な流れに入り込めて、いい処理だと私は思う。また、おそろしく長い母親の手紙のなかに、工藤訳では「ピョートル・ペトローヴィチ」が十回以上登場するが、亀井訳では、これを「ルージンさん」とし、全体の長ったらしさを、いくらかでも縮めようとしている。
 ナスターシヤを「フットワークのいい」と形容するようなカタカナ言葉がうるさくない程度に登場するのも、この何となく暗い小説に効果的なアクセントがつけられていて、悪くない。
 ロシア語をまったく解さず、『罪と罰』の原書の実物を拝んだことのないものが僭越だと思うが、私はマルメラードフが娼婦になった娘ソーニャについて語る部分の訳語について、新訳が面白いと思えた。娘からわずかのお金を酒代として結果的に奪ってしまった彼は、そのお金が娘にとって必要なものだったと見ず知らずのラスコーリニコフに話す。「だっていまのあの娘には身なりをきれいにすることが大切ですからな」(工藤訳)。
 ここは亀井訳では、「だって、あの子はいま清潔を守らなくちゃならない身ですよ」となるが、たんに「身なりをきれいにする」ではなく「清潔を守る」(ルージンと結婚しようとしている妹に対して、同じ言葉が主人公の頭に浮かぶ)は、そこに、ある種のセクシュアリティを読ませないだろうか。
 つまり工藤訳では、たんにいい服を着て化粧をして、という以上の意味を見出しにくいが、亀井訳では、ドストエフスキー作品では決してあからさまに描かれることのない女性の性的な肉体が暗示されているように思うからで、それは原文にも暗示されているものでは、と推測する。もっとも集英社文学全集の小泉猛訳も亀井訳と同じ「清潔」だった。
 ラスコーリニコフが殺人決行の前日、市場で偶然聞く、金貸しの妹が翌日のその時間に外にいると彼が判断する「時」の訳が、工藤訳の「七時ですよ」に対して、亀井訳では正確に「六時すぎですよ」となっている。これは本文庫解説で丁寧にフォローされているが、まさに必要な注釈である。これに関しては小泉訳も「七時」だった。
 十年前にドストエフスキー全集を買い、最初期の作品を少し読んだまま段ボールに入れたままにしてあったのが、今回有効活用できた。二つを比較して、訳自体の差とは別に文字の大きさが、年をとったせいもあるが、ひどく気になった。光文社文庫版は適切な大きさであり、その意味でも好感がもてる。この文字の大きさなしには、新鮮な訳も生きはしなかったろう。
 この小説を読むのは三度目だが、二度目からでも30年以上が経つ。二度目のときは数日で読んだが、今度はじっくりと読むつもりだ。そして、この小説が、今の私に何をもたらすのかを、できるだけ冷静に見極めたいと思う。

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紙の本吉本隆明1945−2007

2009/03/30 15:07

21世紀に入り、刺激的な吉本隆明批判書が続いている。

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 21世紀に入り、刺激的な吉本隆明批判書が続いている。『〈民主〉と〈愛国〉』『吉本隆明1945-2007』『吉本隆明の時代』、それに『革命的な、あまりに革命的な』『1968年』を加えてもいい。
 小熊英二は『〈民主〉と〈愛国〉』(02)の最後のほうで《戦後知識人のなかで、そうした〔同胞愛的ナショナリズムに肯定的な〕流れの例外だったのは、あらゆる「公」を批判した吉本隆明である》と、リベラリズムを核として肯定的な志向をもつ思想の動き全体に水を差す敵役として吉本を描く(そこでは保守の江藤淳さえ「公」的ではあった)。
 また、スガ(糸偏に圭、以下略)秀実『吉本隆明の時代』(08)では、当然のごとくに新左翼にウェイトを置いた視座から、吉本を影響力が大きく行使された存在としてタイトルロールにしつつ、「革命」をめざす種々の思考や運動をつぶした存在と位置づける。
 ところで小熊による吉本隆明論の眼目は「戦争に行かなかった罪障感」であったが、これはリアルタイムで吉本を読んできたものには違和感のあるモチーフだった。というのは死んだ仲間に対する死に遅れの感覚は、吉本隆明にあって上の世代がもつ疚しさを撃つバネになっていたと思うからである。
 小熊は吉本隆明の文章のなかの「ああ、吉本か。お前は自分の好きな道をゆくんだな」を繰り返し引用するが、私にはその言葉が戦中の風景内にある死の微差としか読めない。決して生と死の峻別とまでは感じないのである。結局、小熊と私の世代の差、ある意味で戦争との近さ(私が生まれたのが戦後であっても)がなせるわざか。
 スガは小熊と通底する部分を見せているように思うが(たとえば《あまり暗い終わり方にしたくなかった》ためベ平連を最後に置いた『〈民主〉と〈愛国〉』と《エイ、ヤー》〔『重力02』でのスガ発言〕の68年革命論のジャーナリスティックな近さ)、高澤秀次『吉本隆明1945-2007』(07)は、小熊には言及せず、《吉本の一連の「転向論」を彩る思想的告発のポーズは、およそ疚しさとは無縁な身振りとして際立っていた》と言い切っている。
 この本は、著者の今までの吉本隆明論とくらべて変な悪意がないし、スガの吉本批判のような余分なものがない。80年代、90年代の吉本隆明の思想をこれだけ抉った後半の分析は他にないし、最初のほうでは、吉本の太宰治偏愛という、いわば対象の最も重要な部分に分け入る見事な攻め方をしている。
 だが吉本隆明批判として単純に説得力をもつのは、吉本・埴谷論争の発火点となった、大岡昇平・埴谷雄高対談で大岡が口をすべらせ、そのため配達証明付きの抗議文を吉本に送らせた「スパイ」の一言が、吉本自身の文章を出所としていることをつきとめた部分であろう。
 高澤秀次は吉本隆明『詩的乾坤』所収の「「SECT6」について」から《ことに花田清輝は、某商業新聞紙上で、わたしの名前を挙げずに、わたしをスパイと呼んだ。わたしが、この男を絶対に許さないと心に定めたのは、このときからである》を引用し、《私の知る限りでは、吉本が噛みついた大岡昇平の不確かな記憶の出所は、『詩的乾坤』所収のこの文章以外にない》と記す。
 吉本は自分が書いたことを忘れたが、そこで書かれたことと似た「思い」は頭にあり、大岡の対談の言葉に敏感に反応したのだと思う。ともあれ大岡の失言は、たとえば《埴谷・大岡昇平の卑劣な吉本隆明中傷》(松岡祥男「情況の基底へ」/『埴谷雄高・吉本隆明の世界』所収)などからは遠い。
 もしも大岡が吉本文を踏まえながら意図的に言っていたとしたら(それなら実に巧妙な「卑劣な吉本隆明中傷」だと認める)、吉本の抗議に対して、前記部分を引用し反駁しえたろう。だがそんな言葉のもてあそびを大岡がするはずがないし、していない。
 こんな下らないことで裁判などありえなかったろうが(おどしだろうが吉本は裁判に言及)、もしなされていたらそこでは、記憶と勘違いと思い込みなどの複合した世にも奇妙なやりとりがなされたはずだ。
 結局、大岡昇平が1988年、埴谷雄高が1997年に死に、それぞれの死後全集のなかで、二人の対談から「スパイ」の一語は消えているが、そんなことより後世の人は、その背景にあった事実(抗議の内実)を冷厳に見つめる権利をもつ。
 さて吉本はその後、2008年に出した『「情況への発言」全集成3』の3月に書いたあとがきで大岡批判を繰り返しているが、明らかにこの時点で高澤の著書を読んでいない。しかしその後の対談「肯定と疎外」(『貧困と思想』所収)のなかで《恥ずかしくて人にも言えない、唯一のこと》として、彼は安保のときに地理を知らなかったために塀を越えて警察のなかに入り逮捕されたことにふれる。外野からみたらユーモラスな武勇伝とも思える出来事にこだわった理由は、この間に抗議の失策に気づいたためではないか。常にものごとを遡行的・起源的に考える癖が、吉本をして、この地理の不案内とそれによる逮捕に自己処罰を加えさせたと私は推測する。
 高澤秀次はスガ秀実のような派手なパフォーマンス、海外の思想概念・言葉の大量の安易な利用などがない分、苛立たしさを感じないで読むことができる著者である。

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年表は時間をはかり、地図は空間をはかる

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 地図を見る/眺める/辿るのは、たぶん好きなのだろうが、あてもなくいつまでも見ていられるほどのマニアではない。小説や評論などを読みながら、必要があって都市や町や、あるいは都市のなかの細かな地点を探す実用的な地図好きに過ぎない。
 10年以上前から利用している昭文社の『グローバルアクセス世界・日本地図帳』が古くなったので適当なものを購入しようかと考え、図書館から帝国書院の本書ほか新刊地図を借りてみた。所持しているのと同じ世界と日本が一緒になっているもので、その前に書店でこの種の地図帳が何種類もあったのを確認している。たとえば昭文社のものなど、以前のものよりページがずっとあって、しかも安い。この種の本が売れていることを推測させる。
 各社の地図帳を比較するとき「地図」そのものに個性があると感じさせる。朝日新聞出版刊行(編集は平凡社地図出版)の『デュアル・アトラス日本・世界地図帳』の地図の特徴の一つは国境線や州境線が強く目立つことである。たとえばアメリカ合衆国全図を見ると、昭文社の地図では、東部の小さな州がはっきりとは分からない。慣れ、というのがあって昭文社の地図が見やすいとは思うものの、この平凡社製地図の太い国境線や州境線は悪くない。
 合衆国全体(アラスカとハワイを除く)の2ページ大の地図を例にとって3種類を比較すると、いろいろなことが分かる。確かに朝日版は州境線がはっきりしている。昭文社版は(現在の版は未確認だが)、州境線と道路線が同じ赤なので、ただでさえ細かい地図が余計見にくくなっている。それに対して本書は、州境線が朝日版ほど太くはないが、小さな東部の州もはっきり分かる。
 本書の利点を挙げれば、地図のアキ部分(海洋)を利用し、日本の影図を置き、日本と世界の各地域の大きさを比較できること、また「合衆国領土の変遷と行政区分」という色分けされたミニ地図があり、各州の成立時期が図示されている。
 また州都に色分け指示がなされているのは、本書と昭文社版で、朝日版にはない。
 あくまで見開きの合衆国図のことだが、本書には東部のマサチューセッツ州の場合なら、州都ボストンの南にプリマスが記載されている。これは昭文社版、朝日版ともにない。またコネティカット州の場合なら、ニューヘヴンの記載があり、これは昭文社版にあるが、朝日版にはない。また昭文社版には同州にブリッジポートとスタンフォードの記載はあるが、これは他の二つの地図にはない。細かいことだが、本書において「プリマス」とか「ニューヘヴン」のように朝日版にない地名など、英文字が併記されていない。次ページの拡大地図でカバーしているからすべて原綴り記載は必要ないが、ともかくそうした処理の集積によって一段と地図のごちゃごちゃ感がなくなり見やすくなっている。
 三つのアメリカの地図を眺めて感じるのは、朝日版の州境線の太さ、昭文社版のごちゃごちゃした感じ、そして本書帝国書院版の地図としての美しさだ。たとえば昭文社版は密集しつつ、どこか地図が薄い感じなのに対し、本書の見開き合衆国図におけるロッキー山脈の色合い、山々を思わせる彫りなど見事である。朝日版が五大湖の色を、海の深いところの色と同じにしているのは疑問に思う。
 本書は類書にくらべて悪くないと思うが、価格は高い。朝日版との比較ならページ数が飛躍的にあるので高いのは頷けるが、昭文社版は少し薄いだけで大幅に定価の差がある。購入するかどうかは、そのあたりが決め手になるだろう。ただし今現在、新しい昭文社の地図、『グローバルマップル世界&日本地図帳』を参照していない。これまで昭文社版として言及したのは10年以上前の地図帳である。

 もうひとつオマケ。たまたま見ていた『もっとくらべる図鑑』という傑作な本のなかに、東京ドームから始まり、ペンタゴンやバチカンやセントラル・パークの広さがくらべられる、ページを開くごとに拡大していく一種の地図があったが、そこに東京23区で「いちばん大きいのは大田区」とあり、世田谷区ではないのかと思った。本書には23区の色分けされた地図があり、広さが分かる。正確には測定できないが、なるほどという感じだ。

 
 私はこうしたA4サイズの地図のほかに、ソ連崩壊以前に購った、B4強サイズの『THE TIMES CONCISE ATLAS OF THE WORLD』を愛用している。この地図の合衆国北東部の拡大地図を見ると、おそろしく細かな密集した地名のいくつかに赤鉛筆で線が引かれている。これはスティーヴン・キングの『ザ・スタンド』を読んだときの名残りである。あの途方もなく面白い小説は地図で、主人公たちのニューヨークやメイン州からの脱出経路を確認しなくても十分楽しめたことだろう。だが地図で細かく確認することが小説をさらに面白くさせたことも確かだ。
 『ザ・スタンド』の場合は日本製の地図にはその諸地名の多くが載っていなかったと思うが、多くの小説を読む過程で昭文社版の世界・日本地図帳を利用させてもらった。その痕跡はいたるところにある。ヨーロッパロシアの縦の見開き図における多数の都市が赤鉛筆で囲われているのは、トム・ロブ・スミス『チャイルド44』を読んだときのものである。だが中国の長江に沿った各都市に鉛筆で印がつけられているのが、どの本を読んだときのものかすぐには思い出せない。そんなこともある。

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紙の本私についてこなかった男

2012/01/14 12:05

モーリス・ブランショのこの小説の難解さを前に、いろいろと思いにふける

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私についてこなかった本、そんなジョークを、ふとつぶやきたくなる脳裡のなかでわがものとしえない言葉が、文章が美しい紙面に、美しい文字組みでみっしりと並んでいる。40年も前に原書を購入して当時、少しは読もうともした本だった。いまその読めなかった残骸としての、ほとんど天や小口が切られていない本をカットし、古い色やけした紙の小くずを片づけながら、ページをめくって段落や数えるほどしかない行アキを邦訳と照合したりする。
 なんとなくだが吉本隆明が最初に公表した詩『固有時との対話』を、モーリス・ブランショによるこの小説らしからぬ小説を読みながら思い浮かべた。前者においては戸外、後者においては室内という空間(とはいっても確たるリアリティで描かれるわけではない)の差が、逆に対照性としての連想をあおる。言葉のなかを舞う「風」が(その頻度は別として)両者を直接むすびつける例外的な共通項とも感じる。
 最初に『固有時との対話』を連想したときは考えつかなかったのだが、この私家版詩集が世に出たのは1952年、そして本書『私についてこなかった男』がガリマールから刊行されたのは1953年であり、不思議に符合する。
 小説というものは通常、時と所があり、人が登場し、なんらかのストーリーが進行するものだが、フランス語で「レシ」と銘打たれた本小説には、物語らしきものは皆無といってよい。始まりから数十ページは場そのものにかかわる語句さえない。やがて部屋のなか、ということがかろうじて分かる空間が、いくつかの語句を通して分かるようになる。だがそこで「私」が語りかけているのが「彼」であるのか、それとも「彼」などはいなくて、対話らしいものも含めすべてが「私」のモノローグあるいはエクリチュールなのか、そして部屋という空間さえ場面として存在するものなのかも実際には曖昧模糊としている。そんなこの小説について訳者も長い解説の中途で次のように記している。
 《モーリス・ブランショが「難解な」作家であることはたぶん改めて指摘する必要のないことだろう。そして、そのブランショの作品のなかでも、おそらく本書はもっとも難解なものと言ってもよいかもしれない。》
 同じ訳者によるもうひとつのブランショの『望みのときに』を除き、日本語になっているブランショの小説をすべて読んでいる者にとって了解できる指摘である。
 
 『私についてこなかった男』は原書では174ページと薄いが、邦訳では小説部分236ページに80ページにのぼる訳者解説が付され、厚手の本になっている。やや大きめの文字組みが素晴らしく(解説部分の文字はほんのわずか小さい)、私はそのために読もうとしたほどだ。
 邦訳では、p104、p122、p168とわずか3か所に一行アキがあるだけであり、章番号など一切ない。たとえばp66に、日の移り変わりを示す《翌日、私は普通どおりに起きた。》という文章があるものの、そうした叙述がなかったかのように、それ以外の箇所で時の推移をあらわす明確な言葉は見出せない。

 延々と語られているものの中味は別として、場面が室内らしいことに関心が向く一つの理由は、前述した『固有時との対話』の全体が、「街々の建築」「路上」「街路樹」といった語句が示すように、戸外の情景で統一されていることと鋭く対立するからである。ブランショの小説では「階段」「ドア」「テーブル」「壁」「鏡」「ベッド」「椅子」など、また外との境をなす「ガラスのはめられた大きな窓」が、吉本隆明の詩の戸外性に対する室内性を明示する語句にあたる。
 『私についてこなかった男』では、主要な部屋、また曖昧な階上の部屋以外にも「台所」という空間があらわれるが、そこで連想されるのは吉本隆明の娘による『キッチン』という小説である。『キッチン』は室内だけに場面を限定してはいないが、漠然と私は『固有時との対話』が書かれた1950年代初頭から、『キッチン』が世に出た1980年代にいたる日本の居住空間を、私自身が過ごした時間とともに頭に浮かべる。おそらく『固有時との対話』を書いていたころ吉本隆明には、みずからがそこで机に向かっている居住空間のあれこれを言葉の素材にはできなかった。むしろ今さっき、あるいは昨夜そこから彼が帰ってきた外の風景、都市(といっても吉本的に染められた1950年代の東京)の空間こそが、詩を書くためのほどよい素材となったのだろう。だが同じ1950年代、吉本よりは17歳年上のブランショにとって室内のさまざまなものは、彼にとって書くための最小限の素材になりえたのかもしれない。

 さて『私についてこなかった男』がモーリス・ブランショの小説らしいのは、筆記用具の類にふれずに「書く」という言葉が頻出するところである。それはアクションではなく、この小説が書かれていること自体と結びついている。そしてそのことと対照的に、この小説内のか細いアクションというか生理的な出来事として、「私」の水への希求がある。私がなんとなく連想したのは、村上春樹の小説の主人公が、ときおり意味もなくビールをのんだり、ものを食べたり(あるいは小便をしたり)する場面だったが、両者のあいだに途方もない差があるのは明らかであろう。とはいえ、こうした勝手な連想を許してくれそうなものとして、「類似」への言及から始まる素晴らしい訳者(谷口博史)の解説がある。


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紙の本ムーン・パレス 改版

2011/07/16 09:59

オースターの小説を楽しみつつ、書評について少し考える

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『幻影の書』を読み圧倒され、『オラクル・ナイト』をひもとき奇妙に快い読後感を得てポール・オースターの軽いファンになったため、これまで出ている文庫を集めて書かれた順序で読んでいる。同じ作者の本の書評をできるだけ避けているのだが、なぜ私がオースターに惹かれるのか考えるのに本書は手ごろな内容に思えたのが書く理由のひとつだ。
 まず「訳者あとがき」や、この小説について書かれたものいくつかを、本書を読む前に読んでしまったのだが、それらが肝心なことを巧妙に(あるいは偶然に)ふせてくれていることに感謝したい。ミステリーではないが、この小説のミステリアスな展開は、あらかじめすべてを知っていて読むと興をそがれるだろう。
 たまたま豊崎由美の『ニッポンの書評』を読んだのだが、そこにストーリーを書きすぎてしまう書評へのいましめが書かれている。
 この問題は難しい。たとえば私はミステリーを読むときは事前に解説や書評類は読まない(ミステリー関連の訳者あとがきや書評が注意深く書かれているのは推測できるが、万が一のことを考えて)。他の本にくらべて、肝心なことを知ってしまうと読書の楽しみが減る小説ジャンルだと思っているからである。
 だがミステリー以外の、まだ読んでいない本の書評などを読むとき私はそれほど「ネタばれ」に注意することはない。また読むつもりはないが、何か少し知りたいということは往々にあって、そんなときはミステリアスな内容の本の場合でも、ある程度ストーリーの肝心な部分にふれた文章を期待する。
 問題は読まないつもりでいても読みたくなることがあるかどうかである。書評が対象としている本を読まないつもりで書評を読んでいるうちに、その本を読みたいと思うようになっているとしたら、それは書評の力かもしれない。そこには肝心なことが、読むとき興をそがれないかたちで巧みに書かれていたのかもしれない。下手に種明かししてしまっている書評の場合には、人を読書にかりたてることはないだろう。

 私が『幻影の書』と『オラクル・ナイト』に圧倒されたのは、作品内作品という以上の複雑なかたちで、実に巧みに、小説本体のなかにいろいろなストーリーが埋め込まれていたからだったが、オースター前期のこの小説にも、そうしたストーリー、物語が埋め込まれている。だがこの小説の前半は、ニューヨーク、マンハッタンを舞台に、ホームレスに陥りそうになる学生(を卒業したばかりの若者)の青春小説的な面白さに満ちていて、それが後半部分に対して味わいの落差を生み出している。
 訳者あとがきを読み返してみると《思いもよらぬ方向に話が収斂していくあたりは》と、ストーリー展開の妙にふれているのに気づくが、決定的な部分に言及してはいないので、私はあれよあれよという物語の深みと捩れにはまってしまったという感じだ。
 微塵も読みにくさのない翻訳だが、ローマ字のV音を「ヴァヴィヴヴェヴォ」表記ではなく「バビブベボ」表記にしているのが眼につく。
 これより以前のオースターの小説において、同じ訳者はほぼ全体的にヴァ表記であるし、またこの小説以降においても、タイトル自体が『リヴァイアサン』『ミスター・ヴァーティゴ』というぐあいである。
 『ムーン・パレス』がバ表記であるのは翻訳上それほど重大な問題とは言えないが、この小説の前半部分、主人公「僕」(これも「私」ではないことに留意したい)の縁者である「ビクター叔父さん」が頻出することに理由があるかもしれない。
 訳者あとがきには、《作者自身「私がいままで書いた唯一のコメディ」と想定する》といった言葉があり、なるほどと思うが、《物語への欲望を目いっぱい満たしてくれる一作》という訳者の評価も妥当というしかない。

 今これに続くオースターの『偶然の音楽』を読んでいるのだが、その訳者あとがきを読むと、ここには前作『ムーン・パレス』のキー部分がこともなげに語られてしまっている。だがそれはいいのである。読まれる場所、読者が読もうとする位置(の推測)などによって、あるときには語っていけないことも語ってもさしつかえないということは、ある。どちらにしても充分な考慮が働いている。
 それよりも、やはり『偶然の音楽』訳者あとがきが、その本の微妙に肝心な部分をふせて書いているのが助かった。これにくらべるとサイト内のいくつかの書評は読もうとしてやめたものがある。これも『ムーン・パレス』以上にミステリアスである。
 『偶然の音楽』は映画化されている。まだ観ていないのだが、ポーカーがうまい小柄なジャック・ポッツィをジェームズ・スペイダーが演じていて、読んでいてまさに適役だと感じさせる。そのイメージでポッツィのセリフを(日本語でだが)聴いている。
 小説中盤のポーカーゲームを驚くほどスリルに満ちたものと感じさせるのは個人的な体験からきているのかもしれないが、このあたりを読みながら本書評冒頭の「軽いファン」という言葉を改めたくなった。


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紙の本Subway love

2010/04/05 14:31

40年前、若き荒木経惟が半ば盗み撮りによってとらえ続けた地下鉄の乗客たちのさまざまな姿は素晴らしく、飽かず眺められる

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書巻末の著者(撮影者)のコメントにも語られているが、地下鉄の乗客たちを盗み撮りするという試みは、ウォーカー・エヴァンズというアメリカの写真家によって過去になされていた。
 エヴァンズは1936年から41年あたりにかけて、コートにカメラを隠し、地下鉄の車両内で人々の姿を撮影した。それは1966年になって、やっと『Many Are Called』という写真集として結実したが、当時それほど評価されなかったようだ。
 《なんとね、日付を見たら、電通に入社した1963年から9年間、辞めるまで、撮ってんだよ》という荒木経惟は、エヴァンズの本を途中で知り、真似したと思われるのがいやで、本にしようと思っていた気持ちを翻意させたことを述べている。
 だが当時、ゲリラ的な自費出版物ならいざしらず(荒木経惟は最初期に何冊もの「ゼロックス写真帖」をつくり、自分の写真を見せたい人に送っていた)、通常の出版ルートで駆け出しの写真家が撮りためた無名の人たちの、なんの変哲もない写真集を出せたとは思えない。
 ともあれエヴァンズの写真集は2004年に新版が刊行されており、翌年に『SUBWAY LOVE』が出版される。
 この写真集のページをめくっていくと、すべてが盗み撮りというわけではなく、写真によっては写されている人がカメラに気づいて視線を向けているのもある。何度もトラブルめいたことがあったと荒木経惟はコメントをしているが、同時に写される側に写されることを許容する余裕も当時はあったのだろうか。
 現在ではもはや、こうした写真および写真集は難しいと思う。写している人はいるかもしれないが、時代の差についての徹底した考慮なしには空しい作業に終わるはずだ。

 ところで荒木経惟は巻末コメントで《ウォーカー・エヴァンズはこういう感じですよ》と、本書のあるページを指しているが、その写真を見ると画調も構図も何となくしっかりしている。ドキュメンタルだがポートレート的でもあり、写真として様(さま)になっている。
 だが荒木経惟の本領はもっと自由で適当で可笑しいところにあり、写真集としての構築をこわしてさえして、彼流の自在さを追求している。
 たとえばそれは木村伊兵衛のポートレートの自在さに通じる。『アサヒカメラ増刊/生き残る写真「木村伊兵衛を読む」』や『木村伊兵衛 昭和の女たち』におさめられている有名無名の女性たちの写真をながめると、そのシャッターチャンスの優雅なまでの見事さにうっとりしてしまう。
 荒木経惟は、エヴァンズが地下鉄の乗客を、盗み撮りとはいえ、たとえば土門拳のように、しっかりと撮ったのとは逆に、木村伊兵衛的な軽さ、自在さによってとらえたと言えないだろうか。
 もちろん荒木経惟には木村伊兵衛の優雅さはないが、その自在さは木村をはるかに凌いでいる。『SUBWAY LOVE』は彼の自在さが遺憾なく発揮されている傑出した写真集だと私は思う。

 それにしても10年近く、膨大な量の写真を地下鉄内で撮り続けた荒木経惟には写真欲というべきものが旺盛なかたちであったと言えるだろうが(費やしたフィルムはエヴァンズの比ではない)、飽きることなくそうしていた荒木の姿勢に、私は休みなく、練習するがごとくある時期、詩作し続けた吉本隆明の姿勢を重ね合わせたくなった(その膨大な詩作群は『日時計篇』としてまとめられている)。
 だがこうした写真を撮っていたために何度も交番につきだされ、場合によってはその途中でフィルムを取り替え、写っていないフィルムを渡したりもした不良性というか図々しさは吉本隆明にはない。
 カメラのファインダーを覗かずにシャッターを押したり、シャッター音をうまくごまかしたりする荒木経惟はしたたかとも言えるが、同時に子供っぽくもあり、そこに彼が許容される要素の一つがあるのかもしれない。
 「肖像権」に関するウィキペディアの解説を読んでみると、なるほどと感じ入るが、この『SUBWAY LOVE』は撮影した時期から40年も経っていることに加え、そのタイトルも表わしているように、撮影者の視線に冷たさや意地悪さは薄い。写された当人が、これは嫌だと思うかもしれない写真がないわけではないが、それさえも、ある意味において愛らしい。不思議な愛を感じてしまう。
 そしてたとえばごく普通の恋人たちや親子と思われる写真。それは40年後にその姿をたまたま目撃したら何重もの驚きを味わいうるような写真かもしれない。それらは、過去のある瞬間の自分たちでありながら、自分たちが知らない自分がそこにいるという驚きを与えるのではないだろうか。
 すぐれた写真集は時代というものを否応なく写しとるものだが、『SUBWAY LOVE』はそうした要素もそこはかとなくあるにせよ、むしろもっと普遍的な何かを期せずして写しとっている、そんな写真群だという気がする。


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美術史家が残した、美術史の領分を超えた、けれど彼女にとって書かなければならなかった本

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本を読了し、もう一度プロローグ(もちろん本文庫上巻)を読み返すと、そのなかの《私はずいぶん旅をしてきた。でもこれでほんとうに私がやりたかったこと、知りたかったことが書けた。》という言葉を、著者の心から出たものだと実感する。
 ここには、ある歴史が描かれているが、その筆致は通常の歴史書から遠い。というより普通の歴史書は、著者がここまで歴史上の人物に入り込んだり、その世界を生きたりはしない。そのため、ここまで読むものに、ある時空間にひたらせ、さまざまなことを考えさせることをしない。
 ひるがえって歴史上の人物を描く物語や小説は、読むものをそのなかに引き込み、生きさせるが、どこかそこには嘘くささがつきまとい、後でなんとなく騙されているように思ったりする。作家の空想につきあわされただけという気持ちでげんなりすることも多い。
 『クアトロ・ラガッツィ』は無味乾燥な歴史書でもなければ、荒唐無稽な物語でもない。そこには歴史上の実在した人物が多数登場し、歴史の壮大なパノラマが繰り広げられるが、著者は時の権力者たちの描写に片寄りがちの叙述を否定し、考えられるかぎりの資料をもとに埋もれた人々の生と死にその視線を届かせようとする。
 私はこれを読みながら、半世紀近い昔、高校に入ってすぐ、図書館に並べられた山岡荘八の『徳川家康』を次々と読んでいたことを思い出した。
 その内容をあらためて確認したいとも思わないが、そこに描かれている時空間が、『クアトロ・ラガッツィ』のそれとほぼ同じであることは見当がつく。当然、信長や秀吉、そしてキリシタンのことにもふれられていたろう。
 その記憶の、なんとなくの恥ずかしさには、やがてすぐに「卒業」したとしても当時サラリーマンに人気のあったという『徳川家康』を読んだことだけでなく、そんな本が図書館にあったことも含まれる。そこは工業高校だった。
 確か若桑みどりは戦後間もないころ、美術の勉強などに熱心な都立高校に通っていた。そして芸大に入り、20代なかばにイタリアに留学することは、この本のプロローグに書かれている。
 彼女は最初にシスティナ礼拝堂に行ったとき、ミケランジェロの天井画に圧倒され、床に横たわってずっと眺めていたということだが(これもどこかで読んだ)、先日テレビで放映されたヴァチカンの観光客の賑わいでは、それどころではないなと思った。
 行こうと思えばお金の許すかぎりだが、今ではどこにでも行くことができる。けれど床に横たわってミケランジェロの天井画をいつまでも眺めることはできそうにない。
 さて「プロローグ」には、留学のためヨーロッパに向かった船に蓮實重彦などが同乗していたことが記されている。
 若桑みどりと蓮實重彦を単純に比較すると、後者には、『クアトロ・ラガッツィ』のごとき剛速球的な本がないことに気づく。やはり彼自身の言葉を使えば、何か「照れ」のようなものが、こうした徹底した本を彼に書かせないのかと、ふと思う。
 著作家としての若桑みどりの強さの一つは女性であることだろう。大著『象徴としての女性像』はフェミニズムから見た壮大で精緻な美術史といえるが、著者が女性でなければ叶わなかったろう。これは『クアトロ・ラガッツィ』のプロローグに描かれた、自分と同じアジアの「女性」黄青霞とのエピソードが指し示すものの総決算である。私はかつてこの本を読んで圧倒されたことを告白しておく。
 ところが『クアトロ・ラガッツィ』は、その『象徴としての女性像』さえもが著者にとっては馴れた美術史の世界の仕事に過ぎないと思わせる。
 私が今までこの本を読まなかったのは美術との関連が薄いと思ったからだが、著者にとって専門である美術史の領分を超えた世界を描かざるをえなかった必然的な契機というものが、この本のそこかしこから感じとれた。
 この本はその骨格において、西洋美術を研究する私とは何か、という自身の根本の問題に真正面から向き合って、揺るがない。多くの著者たちが、そのような各々の根本問題に向き合うことがないまま、あるいは向き合ったとしても解決などできないまま著作活動を終結させているだろうことを思えば、若桑みどりはこの仕事の過程と達成において、非常な充実感を味わえただろうと推量せざるをえない。
 迫害されるキリシタンの描写など、残された資料の言葉はきれいごとに過ぎないのでは、と思ったりもしたが、著者は原典の引用に不用意な現代的な注釈をつけずに、読むものの想像力にゆだねる。また必要と思われるところでは、率直すぎるほどに著者の肉声をのぞかせて、歴史書の味気なさを救う。そのバランスが悪くない。
 異国の壮麗さを実見した「四人の少年(クアトロ・ラガッツィ)」のその後にふれた巻末、「棄教 ミゲル」の最後のセンテンスを読んで、不意に目頭が熱くなった。自在に書いているようでいて透徹しているなあ、と感心しながら。

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紙の本アンナ・カレーニナ 改版 上巻

2009/04/12 16:26

この小説を愛する読者の一人として

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『アンナ・カレーニナ』の訳者の一人、北御門二郎が、夏目漱石の娘婿が聞いたこととして、漱石の《これ程偉大な小説は未だかつてよんだ事はない》という言葉を紹介している。
 以前、さまざまな人の日記をまとめて読んでいるとき、好きな小説である『アンナ・カレーニナ』への言及を抜き書きしたことがあって、漱石もその一人だった。だがそこでは、娘婿が聞いたような最高度の褒め言葉はしたためていない。有島武郎、森鴎外、永井荷風、山田風太郎、タルコフスキー、さらには死刑囚だった永山則夫などが、おのおのの日記のなかで、『アンナ・カレーニナ』にふれている。
 それより前この小説を再読したきっかけは、ナボコフの『アンナ・カレーニナ』論(『ロシア文学講義』所収)を読んだためだったような気がするが、最近、若島正は『ロリータ、ロリータ、ロリータ』で、邦訳書ではなかなか味読できないナボコフの実に細かく、繊細な指摘に解説を加え、本作の奥の深さを教えてくれた。
 私に分からないのは、有名な論争のなかで小林秀雄が発した《芸術も思想も絵空ごとだ、人は生れて苦しんで死ぬだけの事だ、という無気味な思想を、彼が「アンナ・カレニナ」で実現し、これを捨て去った事は周知のことだ》という言葉だ。トルストイは最盛期の自身の作品を後年否定したが、問題は『アンナ・カレーニナ』が「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」を、その作品の核にした小説であるかどうかだ。
 ヒロインの最期に至る苛酷な姿をとおして作者は「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」を描いた、と言えないことはない。けれど、愛する子供がいるとしても、さほど幸せだったとは言えないアンナの人生を燃え上がらせた不倫の恋は、ただたんに死に至る苦しみだけだったわけではないだろう。
 私は小林秀雄がアンナの夢のなかにたびたび登場する、老いた線路番の死に繋がる不気味な暗い影を指して「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」と書いているのなら、それを否定しない。だが『アンナ・カレーニナ』はそれを(貴重な細部だが)一部とする大社会小説なのだ。
 それより何より、この小説ではアンナの恋と対比的に、もう一人の主人公リョーヴィンのキチイとのかかわりが描かれている。こちらの描写はさらに「人は生れて苦しんで死ぬだけの事」から遠い。
 訳者の一人、木村彰一は全239の章のうち、アンナの登場する章が69、リョーヴィン登場の章が102(二人が同時に登場する章は2)としているが、それほどリョーヴィンへの比重の高い。最初のほうでリョーヴィンはキチイへの恋心を拒まれる(そのときキチイはすぐ後にアンナと恋におちいるヴロンスキーに恋をしていた)。長いときを経て(というより長いページがくくられ)、再び二人は会う。そこでは読む時間の長ささえもが、物語を味わうことに加担してくれていた。
 ちょうど小説の真ん中あたりに、一度自分を拒んだ相手に受け入れられたことを知り、翌日正式に彼女の家に赴く約束をかわしたリョーヴィンの多幸症的な絶頂感が描かれる。ナボコフはこの部分をあまり評価していないようだが、私はトルストイ的なものの核が、このあたりにあるように思う。
 トルストイの人生にはまず現実の感動的な出来事があった。そして彼には誰よりもそれを感動的に、増幅してさえして、うけとめる心があった。さらに彼にはそれを最高度の言葉にあらわす表現力があったのだと思う。
 この小説が本国で刊行されてから、日本で初めてロシア語からの完全訳が出たのは40年も後のことになる。小林秀雄はその出たばかりの訳本を手にし、処女著作「蛸の自殺」のなかで『アンナ・カレーニナ』を読みふける主人公(小林本人)の姿を描いたのだろう。また漱石や有島武郎は英訳の『アンナ・カレーニナ』を読み、そのことを日記に書いたのだろう(有島の場合、船上でつけていた日記自体が英文だった)。鴎外は抄訳書の序文を書いてやったことを日記にしたためる。いわばこの小説は、その評判がずっと続いていて、多くの人が邦訳を待ちわびていた。また部分訳や抄訳や重訳で我慢したり、待ちきれずに外国語本を手にしていたりしたのだ。今そのような小説があるだろうかと思う。
 小説の世紀と言われる19世紀を象徴し、代表する『アンナ・カレーニナ』に匹敵するような現代小説は存在しないが、仮にあったとしても、現代は邦訳が何十年も待たれる時代ではないことは確かだ。私たちは前者において不幸であり、後者において幸福だと言えるだろう。

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紙の本転移

2010/02/23 23:23

私も(誰もがそうだが)やがて死にゆく存在であること、そして日記をつけていること、その二つのことから本書を読む。

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 著者は12歳のときから日記を続けてきたと、このなかで書いている。《私はとてつもない記録魔だ。毎日毎日、行動録から食べたもの、そのカロリー、体重に血圧に基礎代謝に読んだもの、書いた小説の量までことごとく記録しておかないと気が済まない。》《記録がなくなったら大変だからパソコンに移してからもバックアップはおびただしく確保してある。》
 だがこうした記録(この日記に反映されるのはそれらの一部である)をつける気力、体力がなくなりそうな病症に抗うかのように著者は必死でこの日記をつけ続ける。
 中島梓にとって重要な時の単位は「月」であるのだろうか。日記の始まる2008年9月を別とすれば、10月から翌09年5月まで、彼女は月の初めの日の日記を欠かさない。それは後になるにしたがって、その月を生き抜き、翌月にたどりつこうとする意志の気配を高めていくかのようだ。
 この日記に、ガンの転移という重大な病気とその治療からくる痛みの記述が多いのは当然だとしても、食べることの記述が大きなスペースを占めていることにも気づかされる。だがそれは食通が美味しいものを食べる悦びの表現ではない。
 病いの進行のために食べものを受けつけられず十分にカロリーがとれないだけでなく、著者が以前から摂食障害だったことが、事態をさらに複雑にしている。
 私は著者の書く長大なエンターテインメント小説をまったく読んでいないが、この日記のなかで少しふれている、かつて一部を書き、その続きの執筆を編集者から勧められた自分の母とのことを内容とした「純文学」には、なんとなく興味がある。
 4月11日の日記に著者の子供時代からいたお手伝いさんが著者の食生活に与えた影響が詳しく記されている。家には寝たきりの弟がいて、著者の母親はそのためにお手伝いさんを必要としたのだが、著者は老いた母親との齟齬を今でもかかえている。
 だが結局、著者は「純文学」を書くのをやめ、何種ものシリーズ小説に自分の進む道を定めた。この日記にも著者の読者へのサービス・配慮はあるような気がする。
 あるいはかつて書いた自伝的な「純文学」に著者が思い描いた評価がなされなかったためもあるのかもしれない。

 この日記を読みながら、もし私がこのような死期の迫った病気にかかったとき日記を書き続けるだろうかと自問した。
 もちろん人気作家である著者は自分の書きつつあるものが、死後公表されていることを意識しており、その点で私を含め多くの日記をつけている人とは異なる境遇にある。だが私が考えたのは、「死」から見ると、その差(死後公表されるかどうか)は小さいことではないか、ということだった。
 著者はまた日記のなかでもしばしば記しているように、旺盛な筆力をもって『グイン・サーガ』他の著作を書き続けており、それは病気の著者を最も深いところで支えているだろうと推測できる。
 ここで私が考えたのは、たとえば著者はそうした書く仕事と、目の前の痛みそしてその痛みがなくなり痛みをかかえた自身もなくなる死とを秤にかけたことがあっただろうかということである。
 たとえばこの日記のなかには、自分の作品と死を直接秤にかけるような言葉(たとえば、もし痛みや死からまぬがれえるなら作品はいらない、少なくともこれからの作品はいらないというような)は見当たらない。
 だが著者が「もうこんなに辛いならいっそ早く死んだほうが楽かな」と書くとき、そこには、これから書くもの・これから書くことを、痛みそして死と、ある意味で秤にかけている。とはいえ、さらに突っ込んで痛みや痛みのなくなる死を作品(書くことや著作)と秤にかける言葉を記すことはない。
 それを記さないことに読者へのメッセージを私は読む。それはこの日記が公表されることを意識しているからではないか。
 この作品はいらない・この痛みが消えるならば、と著者は繰り返し自問をしていただろうか。それは分からないし、それを知ることも虚しい。ただそうしたことをわずかに想像させる言葉をふと洩らす程度にとどめたところに著者の姿勢があり、前述したが読者へのメッセージがあったのだと思う。

 死と作品について口はばったいことを語りえないことを自覚しつつも、ある時期に感じていたことを私は思い出す。
 それは日記についてあれこれを考え・書き続けていたときだが、休みの日に決まって大型トラックが通る道路を自転車で図書館に向かいながら、こうしたところで事故を起こして死んだら今まで書いたものがまとめられなくて残念、といった気持ちである。私にはそのとき、転移日記を書いていた当時の著者のような迫る死や我慢しがたい痛みはなかったので、そもそも比較が妥当ではない。
 とはいえ出版できたその日記論の本には、死や痛みと日記を関連させた二つの章がある。死を前にした多くの日記を読み、それらについて書いたのである。

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『綿の国星』もサバ・マンガも『グーグーだって猫である』も、そして猫の登場しない大島弓子マンガもすべて素晴らしいが、ここでは『綿の国星』にふれておきたい

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 大島弓子、が本名であること、それがまず奇跡のような気がする。なんという美しいその響き! もちろん、大島弓子本人はその名を奇跡だなどと思ってはいない。たまたま自分は大島家に生まれ、たまたま弓子とつけられただけだと思っている。「吉本ばななが聞く大島弓子への50の質問」の回答によれば、菜菜というのが最初につけられる予定の名前だったが、早産の未熟児だったため強そうな名にしたという(『月刊カドカワ』1990年10月号)。
 また彼女にとってマンガは、外からイメージするのより、はるかに苛酷な労働であり、とりわけその最初の構想時は大いなるストレスの時間であったようだ。その絵と言葉のあまりにソフトな美しさのゆえに、人はなんとなく彼女が甘く柔らかく軽やかに、そして楽しくマンガを描いているかに見做してしまう。だが近年、ひと月に4ページだけの『グーグーだって猫である』しか描かない理由は、その苛酷さに、もはや本人が耐えられないからではないか。
 その『グーグーだって猫である』を読んでいると、猫は大島弓子にとって運命的な存在だったのだと思う。だからこそ、まだ猫を飼う以前に、彼女は『綿の国星』を描くことができたのだ。
 大島マンガ全体のなかで、猫は大いなる部分を占めているが、表現のかたちからみて時代順に、次の三つに明確に分けられるだろう。
 まず大島弓子が30代いっぱいかけて描き続けた『綿の国星』連作。中心にいるのは可愛い女の子姿のチビ猫だが、エピソードによって多様な猫や人間の主人公たちが登場する。この連作では、猫たちはすべて人間の姿をしている。ある意味において、この連作におけるチビ猫も物語の核をなす少女たちも、大島弓子自身である。
 次いでリアルな猫との接触から始まる40代前半のサバ・マンガ(ただし著者がサバを飼い始めたのは『綿の国星』を描いている30代半ば)。サバを始め猫は『綿の国星』と同じ人間の姿(鳥たちもそうであるのも面白い)、主人公として登場する著者は、眼は点に近いが、ふわっと下にひろがった髪とエプロン姿が可愛い、おなじみの姿である。この自画像は、『ぱふ』大島弓子特集号(1979年)にも現われるが、この特集の筆談に登場する本人は「オレンジ色のエプロン姿をしている」。ただし、いつものように写真はない。エプロンは好きらしく、『大島弓子の世界』(1983年)所収の、アシスタントによる愉快なマンガでも、彼女はエプロン姿である。
 50歳の少し手前から描き始めた『グーグーだって猫である』は、サバの死が発端で、ペット・ショップで見つけたグーグー他、多くの猫が本来の姿で登場する。これまで、あとがきなどに描いていた身辺エッセイ風マンガだ。著者自身は最初こそサバ・マンガと同じ姿だが、しだいに変化し、ある時期からメガネをかけるようになる。ユーモラスではあるが、サバ・マンガの時とくらべて、お世辞にも可愛いとは言えない。だが自身を客観的に見つめた表現であり、現在の自画像として味わい深い姿である。
 著者の猫たちへの愛は尋常ではなく、猫を飼ったことのない私でも、街で猫を見かけるたびに嬉しくなるのは、このマンガを読んだせいだろうか。

 ところで『綿の国星』はすべてを合わせると1000ページにもなるマンガである。その連作のなかでヒロインのチビ猫は、彼女を飼っている須和野家の人々など人間たちからは猫だと思われているが、本人の意識では彼らと対等である。彼女はなぜか人間の言葉が分かるようだ。
 かくてチビ猫は人間たちの物語にかかわりつつ、それとは別に近所の猫たちの世界にも介入する。
 擬人化されたチビ猫を中心としたさまざまな猫たちの姿と感情の描写を通して描かれるのは何か。猫と、ある種の人間たちが言葉をかわしうるかのように描かれるとき、読むものは何を感じるのか。
 たとえば9話「八十八夜」。死にゆく妻がかたみに残す猫キャラウェイへの言葉、「わたしはあなたになりたいと思うけど それはきっと無理だから おねがいします」は、妻をうしなう男に、きっと届くだろう。
 そのときキャラウェイは擬人化された猫であるがゆえに物語は生きるので、彼女が人間の少女なら一挙に物語は生臭くなる。
 20話「ばら科」でチビ猫が近所で出会う、自分の子どもを食べてしまった母猫は編み物をしている女性の絶妙な姿で描かれる。また物語の後半では、チビ猫をかつて自分の失ったこどもだと勘違いする生活に必死そうな母猫が魅力的だ。彼女が身にまとっている布地とその柄のピッタリ感! そうした猫の母の姿の向こうに、作者は人間の母を確かに見ているだろう。
 けれど私が最も感動したのは、19話「お月様の糞(ふん)」かもしれない。そこに描かれているのは、妻と離婚した男・百済とその隣の家の女子高校生・歌音(かおん)との愛である。ここではチビ猫は脇役だが、愛する男の飼い猫フンへの嫉妬のために、歌音がフンを殺して埋めていたことを読むものは悲痛な感覚をもって最後に知る。
 ハラハラと泣く歌音を、フンを飼っていたのは歌音から逃げるためだったことに気づく百済は「君がもう少し大人になったらプロポーズしよう」と抱きしめる。
 なんと抱きしめられた歌音の髪のあいだからは猫の耳が見える。チビ猫は「あたしは一瞬 歌音がほんとの猫みたいにみえた」とひそかに思う。
 連作『綿の国星』は、4冊の文庫本で今まで読むことができたが、文字数が多く、文字が普通のマンガより小さくなりがちな大島弓子のマンガを文庫で読むのは辛い。今回3冊の、より大きなサイズの『綿の国星』が出版されたことは喜ぶべきことである。

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紙の本瞼の母

2011/06/11 10:47

長谷川伸を初めて読む

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 長谷川伸の戯曲をもとにした加藤泰の映画『瞼の母』はやはり素晴らしかった。以前観たとき以上に、そう感じた。その素晴らしさを成立させているものの大きなひとつは、原作にそなわっている骨組みに違いない。映画はそうした核ともいうべきものを監督が揺るがせることなく、とらえているように思えた。
 中村錦之助扮する番場の忠太郎は長いあいだ捜し求めていた母親おはま(小暮実千代が適役)とようやく対面する。入念に準備され(短い撮影期間でと断わろう)、演出された長回しのショットが原作の舞台に通じると同時に、母親と思えた当人が自分を金目当ての「這い込み」(という言葉が使われる)と見なした瞬間、画面はさっと忠太郎のクローズアップになり、『瞼の母』がまさに映画に他ならないことを観るものにさとらせる。
 ところで私が原作を読もうとしたのは、この映画を観終わって、ラストのシークエンスに、あるひっかかりを感じたためであった。
 映画の最後は、江戸を出ようとし、跳ね橋にさしかかった忠太郎の眼の前に何人ものやくざが現れ、道をふさぐ。忠太郎は彼らを一人残らずたたっ斬る。と、そこに忠太郎を追って、母親、妹たちがやってくる。彼女たちの忠太郎を呼ぶ声を、忠太郎はものかげに隠れてやりすごす。追ってきた母親たちがいなくなってから忠太郎が橋を渡るところを、やや遠景でとらえて映画は閉じる。
 観終わった映画のラストを反芻してなんとなく変だと思ったのは、橋のところで斬りあい、死体がころがっているだろうところに母親たちがかけつけてきて、それに全く気づかないように思えたことだった。私は長谷川伸『瞼の母』に眼を通してみて、なるほどと感心した。
 原作戯曲では映画と異なり、忠太郎の行く手に立ちはだかるのは、おはまの財産を狙う金五郎と彼にやとわれた浪人・鳥羽田の二人だけであり、最初に浪人が忠太郎に斬られるのだが、その死体は「芒むらに遮られて眼に入らぬ」というト書きが入っている。そこに母親おはまと妹お登世がやってくるが(遠くまで駕籠で行ったその帰りという設定)、ひとりだけの草むらにかくれた死体に気づかないのは当然である。
 原作戯曲では、ものかげで母親たちをやりすごした忠太郎が、母子を見送ったあと、隠れていた金五郎と対決し、斬りたおし、股旅の旅に踏み出すところで終わる。
 ところで念のため、もう一度、映画のラスト・シークエンスを観たところ、私は大きな勘違いに気づいた。
 映画では、しつこく追うやくざと雇われた浪人が忠太郎を呼び止め、さらに跳ね橋が向こうから開けられると何人ものやくざがいるショットから一転して水しぶきが見える河原でのダイナミックな斬り合いシーンに変わっていたのだ。つまり敵味方双方は橋の下の広い河原に移動して斬り合い(河原に移動するような説明シーンはない)、やくざは残らず斬られる。暗い夜で、橋の下のほうにころがる死体に母子が気づかなくても、それほど不自然ではない。
 また斬られる敵が舞台にくらべて多いのも、たんにチャンバラ映画の娯楽性に依拠したものではないように思う。「親はねえんだな、子はねえんだな」という悲痛な言葉とともに忠太郎がやくざたちを斬り殺してしまった後、その大量の殺人が、より一層、主人公を親や妹の世界から遠ざけさせている。母親と妹が自分を呼ぶ声を聴きながら、もはや彼女たちの世界に戻りえないことを忠太郎が知るのは、今犯してしまった何人もの殺人が大きく作用しているであろうことを、映画を観るものは悟らずにいない。
 原作戯曲には、忠太郎が母親たちの呼ぶ声に応え、「双方、手を執り合う」異本も書かれている(それも本書に載っている)。加藤泰は荻昌弘による『週刊朝日』上の「インスタント映画」という故のない批判に強くいきどおり、萩を恥じ入らせたに違いない反批判を後にしたためたが、そのなかで次のように書いている。
 《私達はインスタントであろうがなかろうが、寒かろうが暑かろうが、セットの数がどうあろうが、いくら製作日数にあおられようが、真面目に真剣に「瞼の母」に取組んだ。長谷川伸氏の戯曲の一字一字を読み尽し、氏が書き残された二ツの終幕を果してどちらが本当に氏の心にあったものかと考へ考へあれを作ったのです。》
 脚本は以前に加藤泰自身が書いたものだったが、引用の最後の言葉とはうらはらに、おそらく当初から彼の終幕のイメージは決まっていたと思う。

 私は『瞼の母』をかなり以前に放映されたもののビデオテープ録画で観たのだが、それが勘違いを誘発させた一原因かもしれない。その録画は画面の両端がややカットされており、完全なものではないが、そのこと以上にテレビ画面というものが、映画の全体をくまなく自然に見ることを妨げるのだ。長谷川伸を読むきっかけになったとしても、そうした単純な誤認を恥じるしかない。
 なお本書は近年刊行された全3冊の「長谷川伸傑作選」の1冊で、名高い戯曲7編を収録している。加藤泰の傑作『遊侠一匹』の原作『沓掛時次郎』も当然入っているし、「鯉名の銀平」が主人公の『雪の渡り鳥』、観てはいないが映画化されている『中山七里』もある。だが山下耕作による映画版が見事な『関の弥太ッぺ』がもれているのは残念である。
 戦前に書かれたこれらの戯曲は大きな劇場でくりかえし上演されたようだが、私はなんとなく長谷川伸のドラマはそうした晴れがましいところが似合わないような気がしてならない。独特のセリフを読みながらイメージしていたのは、いかにも大衆的な、たとえば旅回りの舞台だった。


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紙の本イエジー・スコリモフスキ

2010/08/31 08:55

刊行してほしい「映画監督本」は多い

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 ポーランドの映画監督スコリモフスキの現時点までの全作品について丁寧にフォローされた初めての本である。パンフレット的な『エッセンス・オブ・スコリモフスキ』が同じころ刊行されている。
 この本の編者・遠山純生は、他にも映画監督の本を多く編集しているが、少なくともジャン・ユスターシュ、アレックス・コックス、アキ・カウリスマキ、オリヴェイラ、イオセリアーニ、ズデネック・ミレルなどの本についていえば、彼らに関する日本で最初の書籍といえる。またこの叢書の近刊としてまとめられたビクトル・エリセも、以前から日本で高く評価されてはいたものの、単独の本が出ていない。『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』の執筆者紹介ページでは《一年以内にロバート・オルドリッチ本を弊社より刊行します》と記していた(実際には、その本は7年過ぎた現在まで刊行されていないが)。
 そのように他にどこからも出ていない映画監督の本を積極的に企画・編集し、あわせて旺盛に執筆している遠山純生の姿勢は評価できる。
 しかも本書はオリヴェイラについての本と異なり、バランスよくまとめられ、読みやすく好感がもてた。
 まずレイアウトが斬新とはいえないにしても、気持ちよく仕上がっている。オリヴェイラ本と比較すると何から何まで配慮が行き届いている。たとえば無用なページの白が少ない。もちろんこうした映画作品についての文章を並べた本の場合、白の部分をなくすのは不可能なのだが、全体的に白のアキに無理がなく、気にならないレイアウトがほどこされている。
 そして時代順に映画作品を並べている点でオリヴェイラ本を含む映画監督本と同じだが、序論部分的な「略伝」「一問一答」の後は、4つのブロックに分け、アミ写真による扉ページでブロックを区切り、本そのものとスコリモフスキの作品との双方にバランスと統一感をもたらすのに成功している。
 著者はこの本ではスコリモフスキ全作品の「解説」と「あらすじ」を執筆しているが、読んだかぎりのもので言えば、映画を見るのにとても参考になった。各作品に監督自身の「発言集」がつけられているが、これもよくまとめられている。
 昨年日本で公開された『アンナと過ごした4日間』の分析など、映画の複雑な「時間」が要領よくつかみとられていて感心した。この映画はスコリモフスキ17年ぶりの作品だが、ユニークなできばえと日本での高い評価によって本書が刊行されたことは嬉しい。『アンナ』製作以前には、日本での書籍刊行など、誰も考えていなかったと思う。
 結局そのように、映画監督の本は、きっかけがあれば突然に、今まで考えられなかった人の本が刊行される分野だと思うが、そうはいっても刊行の妥当性は誰彼によって暗黙のうちに検討されることだろう。
 だが妥当かどうかの個々人による評価とは別に、ある映画監督を誰か(編集者や著者)が強烈に好きになってしまえば、本は意外に簡単に刊行されてしまう。こんな監督の本が、と人は思っても、思い入れ度は、そうした本において特に強く感じられることだろう。
 
 私にも、その映画全体について可能なかぎりフォローされた、刊行してほしい映画監督本がある。『501映画監督』から生年順にひろってみると、そう、エルンスト・ルビッチ、キング・ヴィダー、ジョゼフ・フォン・スタンバーグ、ジョージ・キューカーなどが挙げられる。けれどこれらサイレント期から活躍している人の本がいまさら刊行される可能性はうすいだろう。
 もう少し現代に近づくと、ロバート・オルドリッチ、クロード・シャブロール、ロマン・ポランスキーなどが思いつくが、特にシャブロールの本への期待は強い。シャブロールはゴダールやトリュフォーと同じころから映画をつくりはじめたヌーヴェル・ヴァーグ監督だが、さまざまな映画をコンスタントに撮り続け、その作品数は膨大である。私はできるだけ見ているが、日本未公開作も多く、全作品への目配りのきいた本が刊行されれば飛びついて購入することだろう。もっと若い監督から選ぶと、台湾のツァイ・ミンリャンなどは好きな監督だ。
 さらに下の世代では中国のジャ・ジャンクーが凄いが、彼のことを考えているとき(本はすでに出ている)、ほぼ同じころ生まれた韓国のポン・ジュノのことが頭をよぎった。『ユリイカ』での特集が最近あったが、ジャ・ジャンクー同様『501映画監督』には載っていない。またアスガー・ファルハディというイランの監督も、さほど違わない生年であるが、載っていない点では同じだ。
 私が読みたかったり、いいなと思ったりするのは、その映画が好きな映画監督の本であると同時に、情報が少ない映画監督の本である。同じ監督についての本が次から次へと刊行されるのは(本が特別に良ければ別だが)あまり歓迎しない。



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1984年と『失われた時を求めて』の1914年

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 ある事情でBOOK1、2未読のまま、さほどの期待なしに読んだせいか、相当に面白かった。この小説の構造の妙に興味をおぼえた。三つの視点の物語が同時並行にではなくて、時間が少しずれて語られるために運命の暗転に、なにかリアリティが増す。
 つまりヒロインが、彼女の部屋から見える公園の滑り台の上に愛する男がのぼったとき、そのことに気づくことのなかった偶然(それに気づけば、その後この物語の相貌はかなり変化していたろう)の描出が面白く、私はふと自分が知らない、自分にまつわる多くのことを、あるリアリティをもって想像した。
 また現実の1984年に対する1Q84年が独立した世界として描かれているわけではない小説のかたちも面白い。
 ミステリー的であり、エンターテインメント性が十分にありながら、それにとどまっていない。恐怖や死の描写が見事だと思う。

 けれど私が一番興味をおぼえたのは、作者がそれほど強い関心をもって書かなかったと思われる部分かもしれない。それはある部屋にかくまわれたヒロインのために用意された五冊の『失われた時を求めて』である。
 おそらく時間がたっぷりあるヒロインの読む本はマルセル・プルーストの長編小説でなくてもよかったのであろう。この小説ほど長くはないがトルストイやドストエフスキーの長編でもよかったし、あるいは『大菩薩峠』や『源氏物語』でもよかったのかもしれない。けれど作者が非常に影響をうけたという『カラマーゾフの兄弟』ではそこに意味がこめられすぎるきらいがあるし、中里介山の時代小説や平安朝の古典では少し調子が狂うという気持ちがあったかもしれない。
 ともあれ私は作者が五冊の『失われた時を求めて』と書いたことに、ある詮索的な関心をいだいた。
 〈五冊の『失われた時を求めて』〉は現実に存在するのだが、この筑摩世界文学大系本は最初の巻の刊行が1973年、そして最後に刊行されたのは1988年で、1984年には完結していない。
 この時期に完結したかたちで存在する『失われた時を求めて』邦訳は新潮社から1950年代に出た13冊(文庫も同じ)と、それを70年代に7冊にまとめたものしかなかった。
 また筑摩世界文学大系本以後では、同じ出版社によるプルースト全集のなかの10冊、その文庫化(10冊)、そして集英社の13冊(文庫も)の新訳へと続く。
 作者は〈五冊の『失われた時を求めて』〉と書いたとき、こうした邦訳の刊行史を全く知らなかったわけではないだろう。ただ1984年時点で一応は揃えられる「7冊」にしなかったのには理由があるかもしれない。
 その7冊本は共同訳でもあり、また当時としては古すぎる(1950年代の訳をそのまま本にしただけだ)。これはアメリカ文学の翻訳者でもある作者にとって好きになれない本だったのではないか。
 《食卓の上にプルーストの『失われた時を求めて』が積み上げられている。新品ではないが、読まれた形跡もない。全部で五冊、彼女は一冊を手にとってぱらぱらとページをめくる。》
 すでにふれた五冊の『失われた時を求めて』は、函入り菊判で3段組であり、「ぱらぱらとページをめくる」感じの本ではない。函から出されたかたちであろうと、ページを開けば、行替えの少ない細かな文字の密集が読む気力を萎えさせる、そのような本である。だがこの五冊は、『失われた時を求めて』の日本最初の個人訳であり、元にした原文も当時として新しかった(たまたま私は所持しているが、好きな蔵書である)。
 
 さて村上春樹とマルセル・プルースト、『1Q84』と『失われた時を求めて』には共通点があるだろうか。
 無理に探さなくても幾つかの類似点があるように思う。まずは本や音楽、絵画と演劇(プルースト)や映画(春樹)についての多くの言及が挙げられる。
 また『1Q84』と『失われた時を求めて』は、ともに独特な「時」の小説という共通性があるように思う。
 『失われた時を求めて』は恐ろしく奇妙な小説であって、そこでは「時」が普通の小説のように進行しない。たとえば終わりがないかのように延々と続く晩餐会や夜会がいくつかあるが、一つの夜会の文字数が優に『1Q84』1冊の半分近いといえば、その途方もない長さが分かるだろう。
 またこの小説では、描かれているのが一体何年ごろなのか、最終巻に登場する第一次世界大戦の始まった1914年(とその前後)の記述を例外として明示されない。そのため語り手が今いくつぐらいなのか、なんとなく推測するしかない。
 ドストエフスキーをはるかに超える、しかじかの場面の異常な長さは『1Q84』のリズミカルな読みやすさと対照的である。だが年がほとんど明示されないのは、1984年という年のみが(そのかたわらの1Q84年とともに)主題化される小説と不思議なつりあいを見せる。1984年という年が『1Q84』において何かは曖昧なままだが。

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紙の本イラン、背反する民の歴史

2010/07/11 12:31

そしてイランの歴史とイラン映画への関心はつづく

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 イランの外からイランの革命に思いをはせ、それを仮借なく批判しつつも、みずからが生活をしているアメリカの対外政策をも徹底的に否定するイラン人である著者の立場は、なんとなくロシア革命の後に海外から革命の趨勢を論じ続けたトロツキーを思わせるものがある。
 もちろん1951年生まれの著者ハミッド・ダバシはイラン革命以前にイランを出て、アメリカの大学教授になった一介の学者でしかない。トロツキーのように革命を指導し、権力闘争に破れて海外に飛び出て、スターリンによって命を狙われ、事実メキシコで暗殺されたごとき政治的に枢要な存在ではない。
 だがこの本を読了した後に読み始めた『変わるイスラーム』の著者レザー・アスランと異なり、ハミッド・ダバシにはテヘランにおける学生活動家だった時代があり、そのせいか筆法のするどさがあって、それが本書の色合いを決定しているような気がする。
 レザー・アスランもイラン・イスラーム革命を批判するが、彼の立脚点には理想的なイスラームというものがあるようで、良くも悪くもそれが『変わるイスラーム』の主張を限界づけている。
 ハミッド・ダバシは学者でしかないかもしれないが、レザー・アスランほどではないという言い方も許されるだろう。
 ところで私は『西アジア史』を読んだときのように、イランにおける女性の立場になぜか強く関心があり(私は女性ではないが)、本書もそこに少し重点をおいて読んだ部分がある。

 たとえば著者は日本でも訳され話題を集めた『テヘランでロリータを読む』を批判する。そうした国際フェミニズムが結局はアメリカによるイラン攻撃に利するものでしかないと著者は判断する。
 著者の文章をいくつか引用したい。《さまざまな意味において、一九七九年のイラン革命は、テヘランを拠点とする中産階級の根深い人種差別主義に対する貧困層や農村部出身者による復讐であり、またイラン人女性に対するベール着用義務の強制(強迫観念を抱かせる、まったく誤った虐待的行為である)は、クリスチャン・ディオールの最新ファッションに身を包み、己の階級の特権をひけらかさんと闊歩する裕福なテヘランっ子たちのいやらしさに対する貧困層や農村部出身者の復讐なのだ。》
 《労働者階級や少数部族、農村部のイラン人女性は特に、サバルタンの中のサバルタンだった――祖国の植民地主義的支配や自らの文化固有の家父長制ばかりか、彼女たちにとっては階級制度に基づく蔑視以外の何者でもない、国際的中産階級による激しいフェミニズムにまで虐げられ、抑圧されてきた。》
 また著者は注のなかでだが、『テヘランでロリータを読む』の背景に登場する、その著者アーザル・ナフィーシーの家の家政婦に、女性の抑圧の原型を見る。
 こうした著者の姿勢は、彼がテヘランではなく地方出身であり、字は読めないがペルシアの詩が分かる、独特にイスラーム的な母親のもとで育てられたことに原因があるのだろうか。「大衆」という要素を驚くほど強く自身の思考の源にすえた吉本隆明がなんとなく連想された。
 だが疑問がないわけではない。著者のように、より抑圧された女性たちのために中産階級フェミニズムという言葉で批判することの問題点である。

 ところで私はイランの革命において、テヘランの知識階級の女性たちが普段はつけていないベールを、欧米的なものを批判するために示威的にまとったようなことを想像していたが、何か誤解していたかもしれない。
 事実はそういうことなどはさほどなかったのだろう。たとえば『変わるイスラーム』には、1979年のテヘランを描くのに、街頭にあふれた多くの多彩な人々の一部としてしか、ベールをかぶった女性を登場させていない。《その同じ日、大半が髭を生やした男と、黒いヴェールをかぶった女性の奇異な一団が、殉教者ハサンとフサインの名を叫び、救世主がやってくる「最後の審判の日」の到来を予言しながら街頭を練り歩いた。この騒々しいグループのほとんど全員が、いかめしく、陰気な一人の宗教指導者の肖像画やポスターを掲げていた。》その宗教指導者は言うまでもなくホメイニーである。
 もっとも、このように記したレザー・アスランは、その当時ほとんど子供でしかなく、テヘランの革命的な状況はなんらかの資料を通して書いたのだと思うが(ホメイニーが帰国した日、4歳の妹を連れて喜びに浮かれる街頭を歩いたようだ)、私には彼が1972年生まれだというのに興味がわく。
 それは現代イランを活写した映画『彼女が消えた浜辺』の監督アスガー・ファルハディも1972年生まれだからだ。そしてこの映画の美しい二人の主演女優は1983年、84年と、ともに革命以後に生まれた世代である。

 ある国の歴史をどんなかたちであれ記述する場合、記述者がその国の人であるかどうかが重要であることが本書と、日本人が書いた『西アジア史』そのほかとを読みくらべて分かった。部分的なことしかふれられなかったが、この本は圧倒的に凄いという印象がある。
 

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ロレンス受容の不幸な現状に一矢を報いる武藤浩史の本

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 D・H・ロレンスの小説特有の動詞や形容詞や副詞や名詞、そうした「キーワードの反復が心地よいリズムを生む文体を通して」、ある読書体験をうながす、といった本書序章の指摘は、名づけがたい20代のころのロレンスにひたった時間を私に思い出させた。
 ここではそれが『チャタレー夫人の恋人』の「精読」という、原文の言葉にしっかりと寄り添ったものだが、私のロレンスへの接近は、あるかぎりの彼の邦訳を次から次へと素早く読むことによるものだった。
 たとえばすでに当時、『チャタレー夫人の恋人』は講談社文庫版(1973年発行)が完全訳だった。だが裁判が有罪だった名残りか、出版社はおおっぴらに「完全訳」を謳うことをせず、新潮文庫の完訳版が1996年に出るまで、そうした訳書が流通していることを知らない人はかなりいたかもしれない。
 私が最ものぼせたのは『恋する女たち』と『虹』だったが、『虹』を読んだのは(たぶん)1954年の新潮世界文学全集の中野好夫訳である。当時、同じ訳者の改訳(手もとにはその後入手した1971年の新しい世界文学全集本がある)が出ていたのに、たまたまそれが図書館になかったか、古くさい本で読んだ記憶がある。
 だがそれにもかかわらずというべきか、それだからこそというべきか、中野訳『虹』は私を名指しがたい世界に引きずりこんだような気がする。
 久しぶりにその『虹』を読んでみたが、ある時代の読書(とそれを包むすべて)を全面的に想起させるにはいたらなかったにしても、あらためてこの作品の、カフカやプルーストにも比肩しうる20世紀小説的な新しさを実感できた。
 以前には感じなかったのだが、ふと思ったことがある。もしもロレンスが日記をつけていたら(彼は途方もない分量の手紙を書いたが日記類はつけなかった)、そこにしたためたかもしれない言葉が、この小説にはあふれているのではないか、ということである。
 それは、日々の出来事を普通に記述する一般的なものでは、もちろんないし、アナイス・ニンのように記述がそのまま小説の言葉になるようなものでもない。
 トルストイの『アンナ・カレーニナ』のような小説は、作者自身の生と作品世界とは、ある安定した関係にある。そこに作者がこの世界からうけとった圧倒的な感情が旺盛に描かれようと、それは作品を見事な仕上がりにしこそすれ、小説を破綻せしめることはない。
 だがロレンスの場合、なまなましい生のすべて、たとえば彼が新婚の生のなかで味わうすべては激流のように作品世界の淵にあふれ、作品世界を流動化させ、あるいは破綻に追い込もうとする。
 しかも『虹』は、三度も稿を改めた『チャタレー夫人の恋人』と異なり、奔放さを刈り込み、整理することがなかった。それがこの小説の不思議さ、魅惑であり、それは翻訳されても残らずにいないものだった。

 それにしてもD・H・ロレンスは今、この国で不幸な受容のされ方をしていると思う。現在、新刊として購入できるロレンスの本のなかに、『チャタレー夫人の恋人』をのぞけば、代表作がない。『息子と恋人』(本書では『むすこ・こいびと』)、『虹』、『恋する女たち』、『翼ある蛇』がない。以前であれば、それらの長編は文庫本や文学全集などで簡単に入手することが可能だった。
 だが一方で、ロレンス研究はさかんであり、書簡集などの翻訳が続行され、ロレンス論は毎年のように刊行される。本書もそうした研究書の一冊にすぎない面はあるかもしれない。だが著者はたとえばコママンガを表紙にした最新のチャタレー本や、エロティックな装丁の豪華本を例に本国イギリスにおける誤解の指摘を皮切りに、新作のチャタレー映画を評価するなど、英文学研究書の外部に積極的に向かう。また本書のタイトルにも入っている「身体知」の授業を紹介して、この本を並みのロレンス研究書に終わらせていない。
 もっとも私には「身体知」授業の内実が今ひとつよく分からない。個人的には、そのためにロレンスの小説が利用されているのでなければいいがと思う。
 とはいえ本書にたっぷりと引用されている、私には未読だった『チャタレー夫人の恋人』の著者による訳は生き生きとして魅力的であり、このような接近から「身体知」の発想が生まれたのだろうと了解したい。
 特に凄いのは方言の訳で、以前にこのような訳で読んでいたら、この小説は私にとって、もっと重要なロレンス作品になったかもしれないと思わせた。

 ともかくロレンスは狭い英文学の専門的な世界に閉じこもらせるべきではない圧倒的な作家である。彼は同時代のイギリスの作家のなかで、ひときわ抜きん出ている。
 本書ではケイト・ミレットなどのフェミニズム文学批評におけるロレンス批判のために、彼が一種の流行からとりのこされたことを指摘しているが、著者は彼の時代的な限界をはっきりと指摘することで、盥の水とともに赤ん坊を捨てる愚を戒めている。
 著者はフーコーによる批判にふれつつ、一方でジル・ドゥルーズのロレンス論にも言及している。私はドゥルーズにロレンスについての著作が、カフカ、プルーストについてのそれぞれの著作とともにあることに興味をおぼえていた。この三人は途方もなくオリジナルな、世代をほぼ同じにする小説家ということで共通しているからである。
 なお私は「D・H・ローレンス」と表記したかったが、本書に合わせて、いわば妥協したことを言い添えておきたい。

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