本を読むひとさんのレビュー一覧
投稿者:本を読むひと

ジョージ・オーウェル日記
2010/12/11 15:24
リアルな歴史がほの見える日記とリアリティのない歴史改変ミステリー
6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
大部のこの本はオーウェルにさらに専念しようとする人には貴重な記録文書であろう。『1984年』だけしかオーウェルを読んでいない私には通読が難しかった。「日記」への関心から手にしたが、たまたまジョー・ウォルトンの歴史改変ミステリー三部作の最終巻『バッキンガムの光芒』を同じときに読み、それとの比較でまとめにくい感想を記す。
訳者のあとがきによれば、編者デイヴィソンはすでにオーウェル全集を完成させており、本書は全集の各巻にばらばらに収録されていた日記を一冊にしたものだという。日記をつけた期間は1931年と36年を除くと、1938年8月から42年11月(ただし途中、つけていない期間が半年ほどあり)、1946年5月から49年9月(いくつかの未記述期間あり)の二つにまとまっている。オーウェルは1950年1月に死去した。
特徴的なのは、動物の飼育や植物の栽培などに細かくふれた日記と外界の出来事に反応した日記とを平行してつけた期間があることで、特に鶏が産んだ毎日の卵の個数を日々の最後に記した「家事日記」が文学者らしからものとして興味をひく。
一方オーウェルは「戦争に至るまでの諸事件の日記」のなかで、こう書いている。《とにかく私は、未来は破滅的なものに違いないということを、一九三一年くらいから知っていた(スペンダーは一九二九年から知っていたと言っている)。私はどんな戦争や革命が起こるのかを正確には言えなかったが、その二つが起こった時、驚きはしなかった。一九三四年以来、英独のあいだで戦争が起こるのを私は知っていたし、一九三六年以来、完全な確信をもってそれを知っていた。それを腹の底から感じていた。》(四〇年六月八日)
腹の底からのオーウェルの確信にはリアリティがあるし、それは戦争も革命もファシズムもスターリニズムも知識としてしか知らないだろう1964年生まれのジョー・ウォルトンには遠いものに違いない。
オーウェルは少し後に、こうも記す。《ドイツがイギリスを征服した場合どうすべきかを決めるのは、まだ不可能だ。私がしないであろう一つのことは、逃げ出すということだ。ともかく、アイルランドより遠くへは。それが可能だとして。……もしU・S・Aも征服に屈するようなら、闘いながら死ぬほかないが、とにもかくにも、みな闘いながら死なねばならない。》(六月十六日)
もちろんオーウェルはこの時代のイギリス人の一人に過ぎないが無数のオーウェルの思いに近い人がいたわけであり、一握りの支配者がこうした人々の頭越しにドイツと和平交渉をするなどというのは戦争以上の混乱を引き起こしたに違いないのである。
歴史改変のエンターテインメント・ストーリーに目くじらをたてるべきではないという考えもあるだろう。だがフィリップ・K・ディックの『高い城の男』の荒唐無稽性のなかの奇妙なリアルと異なり、『バッキンガムの光芒』を読むかぎり、装われたリアリティに切実なものが少しもない。仮に英独の和平を設定した世界においても作者の能力でいくらでも魅力的な物語は紡げると思うが、主人公たちに全く感情移入ができない。結局、登場人物をそれなりの魅力をもって描けなかったことと歴史改変にリアリティがないこととは結びついているのかもしれない。
『バッキンガムの光芒』の巻末解説を読んで、むしろ「リアリティ」は、著者がこのような歴史改変ストーリーを考えた無意識のモチーフのほうにあるのではと感じた。解説によれば著者ウォルトンは「ブッシュのプードル」と呼ばれるようなイギリスの対米追随に怒りを燃やして、このシリーズを書いたという。もしそうだとしたら結果的にイギリスがドイツ、日本と並ぶ最強国の一つとなっているこの小説の未来図は、イギリス人である著者による無意識的な大英帝国待望ではないか。ただ著者はファッショ化した否定すべきイギリスを描いたことで、そうした自身の夢想に気づかないか気づいていても、それでいいと考えている。
こうした私の推測は、この小説にあまり乗れずに読んだことにくらべればどうでもいいことだが(小説の面白さの前に、著者の執筆動機などの詮索は消える)、それにしてもこのような小説が年間の代表的な海外ミステリーに選出されていることに疑問を感じる。
ジョージ・オーウェルに歴史改変以上の想像力によって未来世界を描いた『1984年』があるが、私が『バッキンガムの光芒』を読んで感じたのは、まさに『1984年』のような恐ろしい世界の訪れが西欧において回避されたがゆえに、このような弛緩したエンターテインメントが書かれているといったことである。
その意味において、架空の1960年が描かれた『バッキンガムの光芒』は幻想の「1984年」からは遠く、むしろこの小説を産み出した21世紀の「現在」に近い。
『ジョージ・オーウェル日記』の編者デイヴィソンは「序」の最後で《自分の伝記が書かれるのをオーウェルがひどく嫌っていたことを考えると、これらの日記が彼の人生の大半の生活と意見を語る実質的「自伝」になっているのは皮肉である》と記しているが、日記の欠けた期間を、いくつかの名高いルポルタージュ等で補えば、さらに完備されたオーウェル自伝に近づくのかもしれない。たとえば1936年の日記は3月までだが、その年の暮れにスペインに向けて旅立ったオーウェルは共和国政府側につき戦争に参加した。その記録『カタロニア賛歌』は1960年代後半の日本で、かなり読まれていた記憶があるが、残念なことに私はまだ読んでいない。

大場電気鍍金工業所/やもり
2009/08/11 21:38
本書所収の「別離」は、同じ時代を描いた、甘さのある「チーコ」と読みくらべなければならないが、後者のマンガは本書に収録されてはいない
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本書は、15年ほど前に「つげ義春全集(8巻+別巻)」の7巻として刊行されたものの文庫化だが、最初に、マンガの場合、本のサイズは決定的な意味を持っていることを確認しておきたい。つげ義春は、大友克洋が自身のマンガの文庫化を認めていないような、読者への配慮(=自身の表現への配慮)をする人ではない。だがそれも、つげ義春的で面白い。
この本は自伝的色彩の濃い作品を、描いた順番ではなく、描かれた時代の順序で並べているところに編集の妙味を見出せる。読者は最初のページから通読することで少年時代から青年時代に至る作者の生を垣間見ることができる。巻末には、1987年に発表された、つげ義春作品としては最後のマンガ「別離」が置かれている。
「別離」は、作者が20代半ばごろの貧窮の生活と恋人との別れ、別の男性に抱かれる彼女を妄想し、自殺しようとして未遂に終わる、現実にあったと思われる自身の生のエピソードを赤裸々に描いた作品である。
「昭和三十五 三十六年と二年間生活を共にした国子とぼくは別居することになった」という最初にコマに付されたナレーションが語るように、つげ義春が自殺しようとしたのは1961、2年ごろだが、1960年12月に、同じような方法で自殺し、未遂に終わらず、死んだ青年がいた。まだ学生であった歌人・岸上大作である。
岸上は安保闘争にかかわり、運動の挫折の果てに死を選んだが、それ以上に彼の自殺は、一方的な気持ちの失恋によるものでもあった。
相手は、沢口芙美として現在では知られている歌人であり、岸上は死の前の長い、まだ意識のある時間に綴った「ぼくのためのノート」と題した遺書のなかで彼女にふれている。
岸上大作も貧しかったが(たとえば彼女の妹は中学を出て就職している)、つげ義春の貧しさは、大学生の岸上とは決定的に異なり、彼は安保などに全く興味がなかった。そのような余裕は一切なかった。
最終的に岸上を死なせ、つげを死なせなかったのは、性的なものにかかわる余裕ではなかったろうか。
つげと異なり、岸上の履歴には他者との性的なかかわりは全くない。そのような余裕のなさというか、流行らない言い方でいえば純潔のなかで彼は死んだ。
だがつげは、別れた、というより貧しさのために一時、生活を別にせざるをえなかった恋人が、別の男とセックスをしたことを本人から知らされ、その光景を思い描き(小説でも、また逆に映画でも描きにくいかたちで、その妄想は個的ヴィジュアルに表現されている)、そして死のうとする。
おそらく岸上が何かのきっかけで死ななかったとして、彼の死と性の表現(その舞台は短歌かもしれないが)は、つげの「別離」のような見事なかたちをとることはなかったろう。そこには、つげの性的な妄想のような素晴らしい表現は存在しえなかったろう。
この「別離」のなかで、「だけど貸本マンガってそんなにダメなの」というレタリングをやっている友人の問いに、主人公は「この二年間 盗作までして描きまくったけど」と答えているが、近年、この時期の作品と思われるものが大量に出版されている。さらに、それらが文庫にもなっている。
また、この「別離」にしても、1998年、新潮文庫で『義男の青春・別離』、また21世紀になって嶋中書店のコンビニ本に収録されており、さらに本文庫と、私自身評価できない小さいサイズの本での刊行が続いている。
つまり、つげ義春マンガは一方で、夥しい初期作品が刊行される一方、一種のブームのなかで大量の文庫化が進捗している。だが、たとえば「別離」のごとき、私にとって決定的と思われる作品が、その絵を普通に美しく感じられるサイズの本で読まれるようなかたちでは流通していない。
大友克洋的な意味においては上手いとは言えないにしても、驚くほど味のある上手さ、と評すべきつげマンガの絵が、22年前に描かれた「別離」で止まっていることについて、その「別離」の決定的な絵と内容の見事さを前に、私は今、惜しいというような言葉では応対できない。むしろ、仕方ない、という言葉が妥当ではないかと思っている。
なお、評価保留は、本書の文庫本というサイズのせいである。

植草甚一WORKS 2 ヒッチコック、ヒューストンら監督たちについて
2010/01/17 19:33
植草甚一が生きていたら、このような本をつくらせなかったのではないかと思う
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
キング・ヴィダー論があるので読んでみた。植草甚一は以前、単行本でかなり読んでしまったが、最初に読んだのは、まだ彼がそれほどの人気はなかったろう1960年代、映画雑誌のなかでだった。
たぶん『映画の友』連載の評論で、ベルイマンの『野いちご』評や、ジードの『パリュード』などにふれた言葉が妙に記憶に残っている。面白い文章なので単行本に収録されていると思うが、70年代になって何冊も植草本を続けて読んだとき、そういうことが頭にあったかどうかも忘れてしまった。ともかく、植草甚一自体をもうずっと読んではいない。
ところで本書は、1950年代を中心に『スクリーン』(刊行元から発行されている雑誌)に執筆したものを集めたものだが、これまでの単行本には収録されていないものが多いのだろう。晶文社刊〈植草甚一スクラップ・ブック〉の担当編集者の能力を信ずるとすれば、面白かったら収録されていたはずである。残念ながら本書収録の映画監督論には、つまらないものが多い。
特に目当ての「映画芸術家研究 キング・ヴィダー物語」は海外資料を参考にしただけらしい初期ヴィダーの軽い伝記風よみもので、しかも連載2回だけで終わっており、新しい本に収録する価値があるとは思えない。
この本のなかで面白いのは「ウィリアム・ワイラーと話した五分間」である。来日したウィリアム・ワイラーに植草甚一が英語で話しかけて通じない。
順番に並び、植草の番のところで簡単な挨拶のあと、「あなたにお会い出来るなんて夢にも思いませんでした」(〔ルビで〕アイ・ネヴァー・ソウト・アイ・クッド・シー・ユー)と言う。ワイラーは《ちょっと頭をかしげて、かがみ込みながら『えっ』といったような顔をする。》だが著者がもう一度、元気を出して同じことを言うと、《今度は分ったとみえ、すぐ、『スプレンディッド!』と大きな声をだして、笑顔を》見せる。
パーティーの会場で植草甚一は、もう一度ワイラーに話しかける。
《『ワイラーさん、一つ質問があるんですが』(ミスター・ワイラー・アイ・ハヴ・クエスチョン)と言ってみたが、全然通じない。同じ言葉を、もう一度出来るだけハッキリ発音してみたが、やっぱり通じない。情けなくなったところ、そばにいたパラマウントの外人が『クェスチョン』と言い直してくれたので、どうにか通じた。》
そのあと二人はかなり専門的な映画の話に打ち興ずる。
植草甚一は10代のころから英語のすごい本(たとえば私など、この年になっても歯がたたないヘンリー・ジェイムズの「ジャングルの野獣」など)を読んでいたことをどこかに書いており、読む能力にかけては抜群だと思っていた。
だが単語の発音のせいでアメリカ人とは通じない顛末が、このワイラー論に描かれていて、その意味では面白かった。
だがこのエッセイが単行本では初めてであるのかどうか、そうしたデータが本書にはないので、今までの植草甚一の本を調べないと分からない。ヒッチコックについても、この本には、悪くないエッセイがある。
ワイラーやヒッチコックについての比較的面白いエッセイは、すでに〈植草甚一スクラップ・ブック〉に収録済みかもしれない。だがそうした面白いエッセイがあったからといって、この新刊を評価できない理由はいくつもある。第一に、前述したように単行本収録は初めてであるかどうかなどのデータがない。第二に、本文の記述とあまり関係のないスチール写真は、意味がない。第三に、『ぼくの採点表』と対照的だが、ページの余白が多すぎる。
各評論の末尾に、初出の雑誌発行年月が載っているので、かろうじて救われている。
本書を刊行した出版社は、自社の雑誌に延々と続いた双葉十三郎の連載「ぼくの採点表」の単行本化を、かつて自社ではできなかった。
すぐれた編集者の努力によって、双葉十三郎の膨大な映画評(『スクリーン』以外に載ったものも含む)は理想的なかたちで分厚い何冊かの本になって、現在手にすることができる。
残念な言い方になるが、本書をざっと読むだけで、『ぼくの採点表』を自社刊行できなかったことが、よく分かる。

イタリア映画史入門 1905−2003
2011/09/17 11:21
訳者によれば、著者ジャン・ピエロ・ブルネッタは「イタリアの“佐藤忠男”ともいえる精力的な映画評論家で映画史家」
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
映画史や文学史の本にかぎらないが、翻訳するとき、原書どおり几帳面に収録しないほうが良い場合がある。大半の読者にとってほとんど意味がない箇所を邦訳でカットしているケースはよく見受ける。本書の場合、引用出典原注の訳(458~496ページ、約40ページ分)は、最小限必要なことを訳注で補うなどして、カットしたほうが良い。注には引用部分の出典ページなどが記されているが、この本の読者でイタリア語原著類をそこまで追いかける人はいまいし、逆に追いかけるとしたら、出典が日本語に訳されてしまっているため探せないという矛盾がある。
また約20ページにのぼる文献案内も、このまま載せる意味がない。必要な部分のみ訳者が整理して情報を載せるべきだろう。文献を原文通り羅列した部分を必要な収録だと考えた読者は絶対数としてわずかに過ぎないと考える。また訳者は文献のなかに、ほんの少し存在する邦訳情報をなぜか書き込んでいない(たとえばアリスタルコ『映画理論史』)。
年表部分(40ページ以上)は奇妙なほど読みにくい。5年ごとに区切り、映画人のデビューや重要な作品、映画賞、興行性などいくつかのブロック別に1行アキで5年間の情報が何度も繰り返されるのだが、欄つきの表のかたちでなければ、およそ意味のない構成の年表である。原書がそうした欄型の年表かと推測するが、もし邦訳どおりの体裁であったら、ひどい原著だと思う。各ブロックがどの分類にあるかの表示もなく、読者が考えてください、といった按配である。
私は、この年表と巻末の人名索引、映画題名索引(二つの索引をあわせて100ページにのぼる)とを点検してみたが、かなり無駄な情報があるように思った。
たとえばダリオ・アルジェントに『歓びの毒牙』という映画がある(「毒牙」は「きば」と呼ばせているので正確にはルビが必要だが、訳者はそうせず、逆にヴィスコンティの『山猫』には、いちいち「ガットパルド」なる余計なルビを振っている)。映画題名索引には、ヨ欄に『歓びの毒牙』があり原題が付されているのは必要だが、監督名(原表記)、本国公開年もそこにある。また本文にも公開年があり、年表の当該年にも《ダリオ・アルジェントの第1作『歓びの毒牙』が公開される》とある。アルジェントの1970年作『歓びの毒牙』、というセット情報が三箇所もあるのを無駄だと思わない人がいるだろうか。
だがそのアルジェントが何年生まれであるかは年表には載っていず(主要な監督などは載っているが)、情報がありすぎるものと情報がないものと極めてアンバランスだ。ともあれ同じ情報が繰り返されるのは無駄であり、なんらかの整理が必要だろう。
レイアウト的な案に過ぎないが、白い部分が目立ちすぎる100ページの横組み索引は一段組を二段組にすることで圧縮され、美的にもなるだろう。人名と題名を一緒の索引にし、生没年を入れ、監督ごとに作品をまとめるという案も考えられる。
イタリアの監督たちの生没年などが簡単に把握できない割には、外国のポピュラーな映画監督などの情報が(生没年とともに)割注の訳注で入っており、ここにもアンバランスを感じる。あまりにも著名な映画監督に訳者の注が入っていると、どういう料簡なのだろうかと思わずにいられない。そんな暇があったら、調べればできる日本公開題名のチェックをしっかりしてほしい。おそらく本書は、日本で劇場公開ないしビデオ・リリースされている映画を原題直訳のまま載せている例が最も多い邦訳書として記録に残るだろうが、イタリア人以外の映画人等の訳ミスの多さにも驚かされる。結局、イタリア映画史といっても多くの他の国の人物や映画が登場するのであれば、そうした言語や映画知識も備わっていなければならない。けれどイタリア本国の映画すら邦題のチェックをおこたっている訳者に、外国の知識を求めるのは無理な相談なのかもしれない。著名な映画監督について分かりきった割注をほどこしているのが、本人にとってだけの学習のようなものだとしたら、読者としてはいい迷惑である。
通常、私は否定的にしか関心のない本について何か書くことに興味をもてないのだが、本書についての何となく甘い(ミスを指摘しながらも甘い)書評を頭に浮かべ、本書とともにそうした書評に我慢できなくなり、つい書いてしまった。誰も読まないだろう40ページもの原注の訳、日本公開題名への無頓着、余計な訳注など、私のなかですべて駄目なものとして繋がっている。さらに気になったのは邦訳にかかわる凡例記載をさぼっていることで、原著に対しどう変えて訳しているか曖昧このうえない。実は「原注」、「訳注」という区別記載も一切していないのである。年表の部分も原著がどういうスタイルであったか不明だ。
もちろんすべてが悪いわけではない。イタリア映画の大部の通史であり、特に戦前のイタリア映画にふれた部分など、これまで日本語として読むことのできなかったものであり、参照できるだろう。また訳注のすべてが無駄なものではないことを言い添えておきたい。

アキ・カウリスマキ
2010/04/18 13:37
邦訳された内容やレイアウトは悪くないが、モノとしての本に問題がある
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
フィンランドのアキ・カウリスマキの映画はその独特なテイストの魅力のせいか日本にもかなりのファンがいるらしく、監督についての本が刊行されるのは2冊目になる。
最初に刊行されたカウリスマキ本は、いくつかの批評やインタヴューの邦訳があるにせよ、日本で編集されたものだった。コンパクトな体裁だが、中味のつまったすぐれた研究書に仕上がっていたと思う。
この2冊目は母国フィンランドの映画研究家の著作であり、しかもカウリスマキへのインタヴュー中心に構成されている。
各作品についてそのポイントや監督の人となりが分かるような発言のあと、その映画についての著者の長めのコメントが付されたかたちになっている。
それ以外に、カウリスマキが以前執筆した文章の抜粋や俳優やスタッフたちの紹介が、異なったレイアウトや色文字で随所に置かれている。
訳者はフィンランド語の専門家であり、人名などの発音表記が信頼できそうなのがうれしい。
たとえばこの本の著者はペーター・フォン・バーグだが、2003年に刊行された前記の本では、ペーテル・フォン・バックとなっていた。
またカウリスマキ映画の常連だった亡きマッティ・ペロンパーは、ここでは一貫してマッティ・ペッロンパーとなっている。
本書は映画作品の時間系列を優先させず、著者が訊いた順序で構成されており、途中いくらか製作順序ではなく並べられている。
ちょっと面白い、本筋にはかかわらないやりとりをカットしていないことも含め、この構成は臨場感を高めている。
本書はフィンランドという比較的馴染みのない文化圏の国の映画や文学が文中に散見されるが、全体にわたって訳注はない(文中の訳者注が少しあるくらい)。私はこの措置はいいと思う。訳注というのは多くの場合、煩雑になりすぎることがあるからだ。
知らない地名などが出たら必要に応じて地図を、知らない人名が出たら同様に各種辞典やウェブを参考にすればいい。
さて1冊目のカウリスマキ本はコンパクトな体裁と記したが、本書は逆に分厚い豪華本の体裁をとっている。原書通りということだろうかオールカラーで横に長く、紙も厚めである。だがその体裁としては製本のしかたが頑丈ではない。図書館で借りたのだが、ページがすでにほつれてしまっていて、どうしようもない。何人も借りたのだろうかと調べてみると、私で9人目にしかならない。借りた人のなかに極端に乱暴にあつかった不心得者がいたのかもしれないが、このがっしりした重い本に必要な糸かがりとじの製本をしていないという問題は残る。
書物というものは内容だけではない。どのようにレイアウトされ、印刷されているかも重要であり、さらにそれを包み、モノとしての本というかたちにまとめる製本は地味だが最重要なプロセスにあたる。それをおろそかにしている点において本書は内容を裏切り、読者を裏切っている。

二人の運命は二度変わる
2010/10/09 13:46
原作題名をこのように変更することの意味を見出しにくい
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「ライブラリー・オブ・アメリカ」のマーク・トウェイン「ミシシッピ・ライティングズ」の巻に、4つの長篇のうちの1つとして収録されている。
かつて原題の直訳で『まぬけのウィルソン』とか『ノータリン・ウィルソンの悲劇』などと訳されているが(内容は変わりないと思うがアメリカ版には「悲劇」がついている)、本書はストーリーに合わせた邦題にしている。
予備知識なしに読んだせいもあるが、なんとも不思議な小説だと感じ、興味もそそられた。黒人の血が16分の1の召使いが、将来奴隷として売られずにすまそうと自分の生んだ赤ちゃんを主人の赤ちゃんと入れ換えてしまい、彼女以外誰も知らないまま時がたつ。ひねくれて育った黒人のほうの青年(ただし黒人の血は32分の1)が育ての父を殺し、無実のイタリア人が裁かれる法廷で、南部のその町で馬鹿にされている弁護士のウィルソンが当時としてはまだ珍しかった指紋を証拠に真犯人を暴く。
おそらくこの小説は、ほら話的な装いをもつことで、黒人の血が流れている青年が、他の理由は特にないのに、ひねくれた馬鹿ものに育ってしまったという物語に意味あいを生じさせているのだろう。
この小説が書かれたのは1894年であり、描かれているのは南北戦争以前の黒人奴隷の時代である。たとえばグリフィスの『国民の創生』は1915年につくられた南北戦争とその前後を描く大作であり、当時大ヒットした。だが現代では、その黒人差別への批判感情が一般的だ。この映画においては、すべてではないとしても黒人は〈悪〉として描かれている。また白人が黒くドーランを塗って黒人を演じていることもあり、印象が一段とよくない。作者(監督)は黒人を解放させようとするアメリカ北部と北軍に対し批判的だ。南軍将校の息子だったグリフィスは南部の視点ですべてを描いている。
『国民の創生』の圧倒的な受け入れられ方を見ても(受け入れたのは南部に限らない)、19世紀末や20世紀初頭において、まだまだ黒人への差別は今では考えられないほど強いものだったと推測せざるをえないのだが、そのなかで『まぬけのウィルソン』(『二人の運命は二度変わる』)の主人公はどのように読まれたのだろう。
冷静に考えてみると、主人公の母子を黒人の血が極端に薄い混血にしたのは、取り替えを周囲に分からなせないためのストーリー上の要請かもしれない。現実には混血の度合いによって、白人側の差別も異なっていただろうし、黒人側の意識もさまざまだったと考えられる。
この物語において、主人公は小さいときから白人としてわがままに育てられたため、どうしようもない悪たれになったというようには書かれていない。むしろ黒人の血がまじっているために悪くなったというふうに読もうと思えば読める。白人であった主人のほうの子はおとなしく、取り替えられず白人のままなら悪たれに育ったようには描かれていないからである。
したがって当時、この本を読んだもののなかには、黒人の遺伝的劣等性を読みとろうとしたものがいたろう。だが同時に、この物語に通常のリアリティがない分、そうした読みとりの無効性が突きつけられる気がする。白人として生きていた主人公が一夜にして自分が黒人であることを知るというのも不条理そのもので、この小説を当時読んだ白人の思いを忖度するのは意外に難しい。『国民の創生』のような単純な物語と比較することが間違っているのかもしれない。
この小説の奇妙な構造もまた、単純な小説世界への没入をふせいでいる。小説のタイトルになっている弁護士ウィルソンも、二人のイタリア人貴族も(こちらは『まぬけのウィルソン』と深くかかわりのある別の小説の登場人物でもあり、この小説は日本版「マーク・トウェインコレクション」第1巻『まぬけのウィルソンとかの異形の双生児』に収録されている)、取り替え劇の根幹と結びついていないため、変な違和感につきまとわれる。
それにしてもウィルソンの描出が弱い。翻訳のせいで、なかなか読み取れないのかもしれないが、タイトルロールの魅力はまるで感じない。
この小説のなかで輝いているのは、将来のことを考え赤ちゃんを取り替え、そのためわが子をわが子と呼べず、だがそのわが子が成長して自分を卑しむやいなや態度をがらりと変えて、彼の行動に指針を与え、また息子の危機に対しては、その身を犠牲にしさえする黒人奴隷ロクサナであろう。真犯人がわが子と知らず、元主人の死を深く悼み、犯人の絞首刑を望んでいる法廷の黒人席に座る彼女は痛ましい。
今回、本書の訳に疑問を感じ、先行する二つの訳を参照したのだが、特に彼女の話す部分を読み比べた。感じたことをいうと本書の訳は、1994年刊の『まぬけのウィルソン』に見られる「なるだよ」「やるだ」といったルーティン的な「だよ」言葉でこそないが(時代劇で農民がこうしたしゃべり方をするのを見るたびにうんざりする)、1966年刊の『ノータリン・ウィルソンの悲劇』(中央公論社版『世界の文学53』所収)の彼女の言葉のような勢いがない。
本書は地の文を「ました」「でした」で通し、のどかな効果をあげている。なんとなく語り手の存在を思い浮かべてしまうが、見えるかたちで語り手がいるわけではない。
気になったのは、訳注の処理である。いくつかの箇所で原文の読解をしているのは面白いと言えるが、原文にあるのか訳注なのか判読できないところが多数あった。私はそういう翻訳を評価できない。新しく出た本なので読んだのだが、正直に言えば、『ノータリン・ウィルソンの悲劇』の訳で読みたかったという気持ちにとらわれている。

ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀
2011/02/05 13:54
たくさんの間違いがある本だが熱っぽさを買いたい
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
昨年、映画評論家またアカデミックな映画研究家によらない大部の二冊の映画作家論が刊行されている。ひとつは小林隆之、山本眞吾『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』、ひとつは熱海鋼一による本書である。
もっとあるかもしれないがこの二冊について少し考えたい。ただしデュヴィヴィエの本はまだ手にしていない。中心的な著者である小林隆之のデータを知って(山本眞吾は「編集者・ライター」とあるから書籍にするための整理にあたったと思われる)、本書と比較したくなったのだ。
《1926年生まれ。鉱山技術者として会社勤務のかたわら長年映画関連の資料収集・研究を続け、とりわけデュヴィヴィエ関係の研究に従事。国立近代美術館フィルムセンターで行われたデュヴィヴィエ大回顧上映会ではフィルモグラフィ作成を担当。2008年没。》
このデータから推測できるのは、戦前から日本で人気の高いフランスの映画監督について、著者小林隆之は最もよく調査をし、デュヴィヴィエの本が書かれるとしたら適任者なのかもしれないということだ(二年前に亡くなっているので、遺稿が整理されたということだろうか)。デュヴィヴィエに強い関心をもつようになったら手にしたいという気持ちがある。
それに対して本書の著者は「映画・テレビのドキュメンタリー編集」を仕事としているが、ジョン・フォードについての専門的な研究家ではない。参考文献にたくさん海外のフォード論の本がリストされているものの、著者は《英語はほとんど読めないし、それ以外の国の言葉など全く読むことも出来ないが、それらの本を眺めているだけで幸せな気持ちになる》と最初のほうで、あらかじめ断わっている。
もちろん私は、ある映画監督の専門的な研究家でないものが一冊の映画監督論の本を出しても、なんら差し支えないと考えている。というより本書の長所というか読む際にこちらが本書に抱く期待は、なによりアカデミックではないこと、劇場で公開されていたジョン・フォードとその時代を全く知らない若い映画史研究家によるものなどではないことだ。著者は1939年生まれ、10代半ばからフォードに入れ込み、ずっと観続けてきた筋金入りのファンであるようだ。
そう思って読み始めたのだが、すぐさま私は困ったな、という感じになった。映画題名や人名についての基本的なチェックがまるでなされていないからである。徹底的にそうしたことに無頓着である印象をもった。
フロイトに書き間違い等についての研究があるが(未読)、そうした精神分析に関係があるのかと思うほど一般的な校正ミスも含め、細かい間違いや不統一が恐ろしいほどある。
またそれとは別なことだが本書では、全体にわたりジョン・フォードの映画から脇道にそれて無数の映画が次々に引き合いに出され、それらに簡単な論評が加えられる。私にはそれが著者の映画への傾倒や好みをアピールする以上の効果を、このフォード論に与えていないような気がする。
つまり長さの問題にかかわるのだが、フォード以外の映画についての多数の映画の引き合いとその論評はほとんどが必要とは思えない。基本的にフォードの映画の分析にかかわるかぎりの映画だけに絞れば、そして無数のミスを直せば、本書は見違えるようになるかもしれないと思った。
とりわけ『捜索者』への熱っぽい傾倒は、この映画をスクリーンで初めて観て以来のものであるらしく、時系列を無視し、この映画の章を最後に置いた著者の狙いは悪くないと思えた。
とはいえ《従来のフォード映画と違う激しい衝撃をまともに受け取れずに、戸惑いながらフォード賛美を書き記してある》という高校二年のときの日記における『捜索者』評自体が引用されていないので、当時さほど評価されなかったこの映画に、今現在の著者が抱く賛美を初回時にもったのかは疑問だ。
またゴダールだけが公開当時に《はっきり傑作と認めた》と書いているが、出典がない。『ゴダール全評論・全発言』のページを開いても、当時の年間ベストテンに『捜索者』は挙げられていない。トーキー以後のアメリカ映画ベストテンのなかで『捜索者』を4位に挙げているのは1963年末の雑誌においてである。
あらゆる意味において『捜索者』は確かに、圧倒的に素晴らしい。DVDで見直したが、映画史上最も美しいかもしれないヴィスタヴィジョンの映像を大スクリーンで見たいと強く思った。
それにしてもこの西部劇は、日本でも当時のベストテンで低い評価しか与えられていない。ヒッチコックの『めまい』と同じような、評価が時代によって大きく変わる理由を調べると何か重要なことが発見されるだろうか。
本書を読んで(ハワード・ホークス論の邦訳がある)ジョゼフ・マクブライドの800ページを越えるジョン・フォード論があることを知ったが、訳されていないその本に興味をもつとともに、たとえば若い映画研究家、映画史家がそうした本を読みこなしたとしても、それがジョン・フォードのスクリーンとともに過ごした年月の代わりにはなりえないだろうとも思えた。
著者は1939年生まれで「僕」と書き、「見まくる」「冴えまくる」「あろうことか」など、なんとなく故安原顕の文章に似ていると思った。けれど編集者である安原顕に固有名詞の表記違いや校正ミスがほとんどないことは言うまでもない。

ヘンリー・ジェイムズ短編集 「ねじの回転」以前
2010/09/14 13:20
ある時期までほとんど訳されていなかったジェイムズの短編も、すでに全体の3分の2近くが日本語となった
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ヘンリー・ジェイムズの未邦訳短編を6編おさめた本である。こういう本を読むひとのなかには私のようにジェイムズの短編がどのように翻訳され続けているかの経緯をある程度知っていたり、翻訳されたすべての短編を読んでいたりする、かなり作者の日本への紹介のされ方に関心のある読者が多いだろう。なんとなくこの本を手にし、読むひとにとって本書はあまり強い吸引力をもたないような気がする。この本だけでヘンリー・ジェイムズという小説家をある程度知ろうとするのは不可能だと思うからである。
「ライブラリー・オブ・アメリカ」という継続的に刊行されているアメリカ文学全集的な叢書があるが、十数年ほど前にここに全5冊でジェイムズの全短編が年代順に収録された。まとまった短編全集としては、これが一番新しいと思うが、数えてみると112編の短編のうち、本書の6編を入れると72編がこれまでに邦訳されている。また本書収録の「過ちの悲劇」はジェイムズの処女短編であり、本書の6編はすべて「ライブラリー・オブ・アメリカ」版の1冊目に収録されている初期作品だ。
結局、戦前はほとんど邦訳のなかったジェイムズの短編だが、いつのまにか3分の2ほども訳されてしまった。その間には、4冊の刊行予定だった「ヘンリー・ジェイムズ短編選集」が2冊で中絶し、全8冊の「ヘンリー・ジェイムズ作品集」の1冊として代表作の入った分厚い短編集が出たりしたが、多数のジェイムズ研究家が未邦訳作品を選んで訳す傾向が、残す未訳短編を40作にまでしてしまった。
本書に収録されているのなかでは一番短いのが5800語の「ある問題」、一番長いのは16100語の「アディナ」だが、ジェイムズの短編のうち最も語数が多いのは40700語の「ロンドン生活」らしい(「ねじの回転」はそれより少し短いが、こうした各作品の長さ=語数は邦訳された『ヘンリー・ジェイムズ事典』に載っている)。
ざっと読んで面白かったのは、ヘンリー・ジェイムズの女性、結婚などにかかわる奇妙さの片鱗がみられる「ある肖像画の物語」だった。ジェイムズについて何の予備知識なしに本短編を読んだ場合、どのような印象をもつか逆に興味がある。そこに何か奇妙なもの(の片鱗)を見出すか、あるいか全く受けつけないか。なんとなく後者の反応が多いことを私は予想せざるをえない。
ところで本書の文字組みや校正には問題がある。たとえば訳注を、そうした指示もなしに、同じ文字の大きさで、しかも丸カッコのあいだに入れている。《もう一ファージング(一九六〇年まで英国で使われた通貨単位)でも積んでいたら、奴の眠たそうな目を開けてやるところだったがね》や「シャイロック」を過剰説明したところなどである。
傍点の種類が違う。ふつう縦組みの傍点は、本書におけるような「・」ではなく「、」の傍点だが、DTPの普及以降の現在、後者の傍点が著しく弱い印刷の場合があることと、「・」傍点にしたこととは関係があるだろうか。強調の効果のない弱い「、」傍点であるなら、それもまた嫌だ。
また訳文も、文章のこなれ方とは別な、初歩的・基本的な部分で気になったところがある。
同じ本のなかで人名のV発音のカタカナ表記の統一がとれていない。「デイヴィッド」とあるなら「スティーブン」とか「エベレット」はおかしい(発音記号的には「エヴァリット」か)。
変だなと思ったのは、「ある肖像画の物語」においてヒロインが、姓のエベレットと名のマリアンの表記で作品全体にわたって同時に登場するところである。サイトで原文を見たら、姓には「Miss」がついているので「エベレット嬢」にすべきだろう。また代名詞を名前に変更しすぎている。さらに読みやすさを考えてだろうか、原文を無視し、徹底的に行変えをおこなっているのが読み比べて分かった。
フランスを舞台にした「過ちの悲劇」のヒロインの名前が何故か英語読みになっていて、特にあとがきで、その理由にふれていない。
「ライブラリー・オブ・アメリカ」という叢書にはジェイムズの長編も収録されているが、たとえばそれらの巻は複数の長編を合計すると一冊あたり優に40万語以上をおさめていて、6万語強の本書とは驚くばかりに分量の差がある。文学全集で育った私はこの全集の全集とでも言うべきシリーズに関心がある。
現在までにここにジェイムズは短編5冊、長編5冊(あと1冊ないし2冊の未刊あり)、批評2冊、旅行記2冊、計14冊が入っているが、彼の著作はまだ他にもある。それでも同じ本の形態で、ジェイムズの著作がこれだけまとめられたことは今までにない。全集の全集というゆえんである。
ハーマン・メルヴィルはこのシリーズに3冊しかないが、それは邦訳メルヴィル全集11冊とほぼ対応している。邦訳全集の1から4までが1冊目、5から8までが2冊目、9から11までと邦訳全集に未収録のものをおさめたものが3冊目である。
たとえばこのメルヴィルと比較したときのジェイムズの著作の膨大さに圧倒される。

マリオンの壁
2010/02/11 13:19
面白さだけなら、ジャック・フィニイの別の作品を読むべきだったかもしれない
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率直に言えば、さほど面白い小説ではない。同じ作者の何度も映画化された、宇宙人にひそかに侵食されるSF『盗まれた街』だったら、もっと面白かっただろうか。
ともあれ古い映画のこと、とりわけエリッヒ・フォン・シュトロハイム『グリード』の10時間におよぶ完全フィルムのことが出てくる小説だと知り、手にした。
最初に見開きにわたってズラっと映画スターの名が列挙され、「愛をこめて」と末尾に記される。つぶさに読むと、つい先日見たばかりのジョセフ・フォン・スタンバーグ『紐育の波止場』に出演していたオルガ・バクラノヴァやジョージ・バンクロフト、『最後の命令』のイヴリン・ブレント、エミール・ヤニングスなどの名が記されている。オルガやイヴリンがとても魅力的だったので、この記載は嬉しい。だが同じスタンバーグのミューズというべきマレーネ・ディートリッヒの名は、ここにはない。
この1970年代前半に書かれた小説には映画のフィルム・コレクターが登場し、映画の好きな主人公は、現存していないフィルムが混じっているらしいコレクションに目の色を変える。
この少し後、ビデオが普及し始め、フィルム・コレクションは過去のものとなっていくが、DVDという簡便なかたちで映画コレクションが可能な現在から、その時代をどう見ることができるだろうか。
手もとに紀田順一郎『映画コレクション入門』という市販の8ミリの複製映画を収集する方法などにふれた1978年発行の本があるが、確か私はこの本を読んで著者に電話をし、当時どんなかたちであろうと一度も公開されていなかったヒッチコックの『めまい』のフィルムはあるのだろうか、などと尋ねた記憶がある。
著者は未知の読者に親切に応対してくれたが、私のまだ見ぬ映画『めまい』への渇望は、1984年に作品の「解禁」によって満たされた。『映画術』の刊行はその少し前の81年、そんな時代だった。
ビデオレコーダーを購入したのは1977年と早かったが、当時2時間の生テープは4800円、量販店でも4000円だったし、何より映画のソフトがほとんどない時代だった。1本の映画が5万円などという、とんでもない価格だったと思う。したがって8ミリ・16ミリのフィルム・コレクションに現実味があったし、そのようなカタログも目にした。
本をコレクションするように映画をコレクションすることは、DVD時代になって一般化しているが、幸い私はそのどちらでもない。必要と思ったら購入するだけであり、それ以上に集める趣味はない。
たぶん珍しい映画のDVDやテープ(DVD化されていないもの)を収集している人に出会ったら、本のコレクターに対してとは次元の異なる嫉妬が起きそうな気がするにしても、もう一方で単なるコレクター(コレクションのためにコレクションするような)に対しては、映画は集めるものではなく見るものだという感慨と反発を抱く。
『マリオンの壁』のフィルム・コレクターはサイレント時代の撮影所でフィルムの梱包係をしていた職員であり、プリントを余分に発注して自分のものとしていたという物語設定で、市販の複製8ミリ・16ミリのコレクターとは、もちろん意味が違う。
小説の最後には、主人公「ぼく」と、その妻ジャンに憑依したサイレント期の女優マリオン・マーシュが、年をとったそのコレクターの豪邸に行き、たくさんの珍しい映画のフィルムを目にする。
訳文から推測し、映画のサイト等で調べたかぎりでは、著者はかなりクラシック映画に詳しいようである。《エルンスト・ルビッチュの「失われた」名画の一つ『愛国者』》とか、D・W・グリフィスの『最大の愛』とか、失われた名作についての知識はありそうだ。
映画題名の訳にミスがある。フィルムのコレクションをそなえた試写室に通ずる廊下には、ステンドグラスに映画の名場面がいくつも華麗に彩色されているが、その一つ『大行進』というのは『ビッグ・パレード』であろう。
また国立フィルム保管所にある『ロージー・テイラーの幽霊』というのは、『20世紀アメリカ映画事典』で調べたら『洩るゝ窓唄』のようだが、ここまで几帳面に邦題を探す必要はないし、70年代には難しかったと思う。だが『大行進』はいただけない。
この小説の面白いところは、現実に存在した映画のかたわらに作者が捏造した存在しない映画がおかれていることである。失われた『グレート・ギャツビー』のサイレント版の配役として、ギャツビーがルドルフ・ヴァレンチノ、デイジーがグロリア・スワンソン、ジョーダン・ベーカーにグレタ・ガルボなどというのは、もちろんでたらめである。
双葉十三郎『ぼくの採点表・戦前篇』には戦前『或る男の一生』という邦題で公開された『グレート・ギャツビー』への評が載っているが、私の疑問は『マリオンの壁』の次の箇所である。
《ぼくは『ある男の一生』を見つけた。一九一九年に、謎の監督ジョージ・ローン・タッカーが作って、それ以来何十年も行方不明になっていた映画だ。》
この『ある男の一生』は原書ではどうなっているのかを知りたい。現実に存在するジョージ・ローン・タッカー監督のIMDbのフィルモグラフィーには、それに該当しそうな作品がないからである。
フィルムの失われた映画について私には即席の知識しかない。スタンバーグのサイレント映画『紐育の波止場』などを見たばかりだが、同時期の『非常線』や『女の一生』は失われているようだ。そういうことを知ると、見たい気持ちが高まるのは仕方ないだろう。

家族の肖像 ホームドラマとメロドラマ
2009/05/31 21:47
汲みつくし難い名画、『東京物語』を守るために
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本書所収の井上理恵「『東京物語』と戦争の影」が、どうにも腑に落ちない。小津安二郎論の権威たちへの批判があり、興味をひかれるのだが、はっきり言って、よく分からない。
著者は戦争未亡人である平山紀子(原節子)に対して、義父母の周吉・とみ(笠智衆と東山千栄子)が、戦後、身の振り方を考えなかったことを詰(なじ)っている。また紀子を前にしたとみの、「まだどっかに」息子が「おるようなきがするんよ」という言葉を《無神経なセリフ》だという。そのように紀子に対する周吉夫妻の態度を小津安二郎が批判的に描いた、と著者は考えている、と私はこの文章から判断せざるをえない。
周吉たちの長男(山村聡)と長女(杉村春子)の両親に対する態度は詰られるべきものとして小津は描いている。ただし見事に小津的にであって、あまりにも見え透いた邪険さによってではない。そこにこそこの映画が時代を超えて見られている何かがあり、それは誰にとっても一目瞭然であろう。はるばる東京にまでやってきた両親に、戦後の生活の不如意によるとはいえ、息子も娘も、もう少し温かくできなかったものか、というのが大方の『東京物語』を見つめるものの感慨であるに違いない。
《笠の演じた周吉は小津ではないと考えたい。寡黙な小津を読み取るのは困難だが、作品を見る限り小津は周吉をはるかに越えている》と著者は記すが、少なくとも妻帯せず子供をもたなかった小津は、ありふれてはいるがそうした自分にはなかった生への畏敬の念のいくらかを周吉への造形にこめたと思う。どう考えても、妻を亡くした後、義理の娘の身の振り方を心配する周吉の配慮を、著者のように「遅すぎる心配だ」と斬って捨てることなどできないし、小津もそのようには描写していないと断言できる。
第一、著者の批評には、どうしようもなく、つまらない矛盾が露呈している。著者は一方で、自身言うところの、とみの「無神経なセリフ」に対し、《紀子は無言でそれに応じる。応えられるわけがない。戦争は彼ら両親の中で持続していなかった。二〇歳で未亡人になった紀子だけが戦争の悲しみ――昌二がいないという現実を抱えて生きていたのだ》と感情的に概括する。
そしてもう一方で、ボードウエルの小津論における「彼女は誠実な未亡人ではなかった」「再婚の意思もない」といった言葉に対し、《どこでそうした独断の読みが生れるのかと思うのだが、二〇歳で別れた(八年前に死んだ)人を、しかも二人で暮らした時間も短い夫を、何ゆえ思い出さない日があってはいけないのだろう》と、これも感情的な批判を加える。
著者による、この二つの紀子観はそれぞれにおいて妥当性がなくはないと思うが、一つの論述のなかに同じ著者による言葉として置かれると、そんな無茶な、と思わざるをえない。
つまり、こういうことなのだ。この『東京物語』論のなかでたびたび著者は、小津の「写実」に疑問を抱いているが、小津はこの著者が好むような、一方向的に理解できるドラマティックなリアリズム映画とは無縁の映画監督だった。著者は、含みのある、それゆえに人々を魅了する映画から、その場で都合のいい印象を引き出すことで、一つの論文としては破綻しているのに気づかない。
おそらく、この映画を見た多くの人たちは、何も書かずとも、あるいは何も言わずとも、この著者よりは、はるかに深いものをここから得ている。批評とは、そうした豊かな印象の塊りとでもいうものから1ミリでも超えようとする言葉でなければならないだろう。
蓮實重彦の小津安二郎論は、たとえばその宙に浮いた二階、という比喩において、人々の印象の塊りを数メートルは超えた批評と言えるだろう。またヒロインの「とんでもない」が「消化しがたい異物」をその身にまだ残すのは、『東京物語』が今も彼にとって生きていることなのだと思う。
さて、この『東京物語』論には、この映画のシナリオが引用されているが、この引用のままでは、ゴチックの意味が何か、まったく分からず、読むものに誤解させるおそれがある。『東京物語』のシナリオについて少し調べたくなった。
私は四〇年以上にわたって小津安二郎の映画を見てきたが、今回初めて、小津安二郎について書いた。書かされた、という感じが少しある。

ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督
2011/06/18 09:36
アンチ・ハワード・ホークスという立場
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よくよく考えるとハワード・ホークスは不思議な映画監督だ。本国アメリカでも日本でも観客大衆の人気はそれなりにあっても、専門家による評価は低かった。
ヌーヴェル・ヴァーグの顕揚経由で一部では高い評価を得ており、そうした評価の積み重なりによって、(私は当時、観には行かなかったが)1999~2000年にフィルムセンターで朝日新聞協力による3ヶ月以上にわたる大々的なハワード・ホークス映画祭があったのであろう。それがきっかけでトッド・マッカーシーによる本書が邦訳刊行されたことは訳者あとがきにも記されている(《この絶好のチャンスに恵まれなかったら、日本版は刊行される日を未来永劫に待つことになったはずだ》)。またその当時、もう1冊のハワード・ホークス関連の訳書も新装復刊されており、小さなホークス・ブームがあったと思われる。
映画を観て本を読む、あるいは逆に本を読んで映画を観る、そうしたリズムが狂わされる事態が起きた。といっても大した意味はないのだが、録画してあったハワード・ホークスの映画を観ながら、本書を読んでいる途中で、その訳文のひどさの向こうに、原文の無意味なまでの長さと内容の冗漫さ(それは非ホークス的だ)を感じ、観ている映画までもが、なんとなくつまらなく思うようになってしまった。
訳文がひどいといっても全体ではない。代表訳者である高橋千尋の訳は悪くない。『光に叛く者』『特急二十世紀』『永遠の戦場』『コンドル』『ヒズ・ガール・フライデー』の部分を読んでいるときは、訳文についてはそれほど気にならなかった。
だが26章「ローレン・バコールとハンフリー・ボガート 『脱出』『三つ数えろ』」のところを読みながら、これは変だなと感じるようになった。
冒頭部分を引用してみる。《ハワード・ホークスは何度も、アーネスト・ヘミングウェイとウィリアム・フォークナーとの会合を設定しようとした。しかしながら、偉大で誇り高い二人の作家は常にその考えに反対したので、最も親密なホークスも、あるいは誰であれ、彼らを『脱出』のクレジットで一緒にすることができなかった。ホークスは、ヘミングウェイが彼からの脚色の依頼を断わって、彼のその小説を映画化する能力に疑念を示したときに、その作家を次のように言って嘲ったとよく主張していた。》
続く全体がこの調子で、意味が明確に伝わりにくい部分が実に多い。
あとがきには、どの章を誰が訳したかについて記されているが、代表訳者による責任の言葉はない。《短期決戦的スケジュールのなかでの拙速に流れ勝ちの訳出》という言葉があるが、高橋千尋は他人の分のチェックにまで手がまわらなかったらしい。
ホークスの大部の伝記の訳がこのレヴェルであること、そして日本においてその後、めぼしいホークスにかかわる批評が出ていないことを加味すると、ホークス人気が一時的なものであったことが推測される。妥当な推移だといえよう。
たとえばホークスはジンネマンの『真昼の決闘』を嫌って、『リオ・ブラボー』をつくったということだが、ホークス信奉者によるこの二作の価値判断など疑問に思う。『リオ・ブラボー』はそれなりに面白い西部劇だが、まだしも『真昼の決闘』のほうがよくできているし面白い。いわんや『リオ・ブラボー』がヒットした後、『エル・ドラド』でまたまた人質交換を出そうとしたホークスに対しては、《ダイナマイトは使わないと約束するまで、このシーンを書くのを拒否した》脚本家、リー・ブラケットのように呆れるという思いしか抱けない。彼女は脚本担当者として、あまりにもストーリーが似すぎることを当然のごとく懸念したのである。
かつて日本で、ホークスよりウィリアム・ワイラー、ジョージ・スティーヴンス、フレッド・ジンネマンといった監督が評価されていた時代があり、それが平凡な図式だったとしても、時代が変わってホークスが彼らをはるかに越える映画監督であるという評価もまたもうひとつの図式でしかない。
少し突飛なホークス論になるが、私はハワード・ホークスこそ、反アメリカ的な意識が根強い中近東やアラブ世界において、シルヴェスター・スタローンといった連中以上に、最も敵とすべき映画人になるのではないかと漠然と考える。だがそうした評価も、結果的にホークスを過大にまつりあげることになるのかもしれない。
本書の序章部分は面白い。たとえば次のところ。《ホークスは自分の職業について、じっくりと考えをめぐらした。何が作動し、何が作動しないか――機械いじり、建築、デザイン、それに何かを組み立てる際にやるのと同じように――。ホークスは自動車、オートバイ、飛行機を分解して、元通りに組み立てる術に通じていた。》
こうしたホークス的なるものを掬いあげたのが今から30年以上も前に書かれた蓮實重彦のハワード・ホークス論かもしれないが、私は当時から、その批評にはあまり心を動かされなかった。ジョン・フォード論には圧倒されたのだが。
字幕がすべてを処理しきれていないに違いない、すさまじく早いホークス・コメディのセリフが分かれば、もう少し私のホークス観も変わっていたかもしれない。

小谷野敦のカスタマーレビュー 2002〜2012
2012/06/24 10:39
本と映画(DVD)の酷評満載がミソ
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小谷野敦が実名で某サイトに書き続けたレビューをまとめた本をパラパラめくりながら、私の知らない映画が高く評価されていて、《私を信じて観てほしい気がする》と書かれている。翌日、某レンタル店に行く予定なので、その映画『結び目』を借りようと思ったが、さらにページをめくると、小谷野敦の小説を映画化した監督の作品だと分かり、そんな映画わざわざ観ませんよ、という気持ちになった。
自分の小説を映画化した監督の作品を観てほしいのだったら、一本一本の映画について単純ななで斬りではなく、それなりの真剣さで評価していなければ説得力がなく、読むものを映画や本にいざなえない。
自戒をこめて言えば、特に映画の場合、あまり知らない作品についていうと、私は世の一般的な評価にいくらか影響されて観るかどうかを決めることがある。多数の人の票の集積を載せたIMDbサイトは、よくのぞく。
だが本書における星取り評価は、できるかぎりの客観的評価というのではなく、インパクトを与えるための自己表現的なものであり、読み続けながら白けてしまった。だいたい私なら星ひとつの評価しかできない監督の映画など、もう観ない。この世にはくさるほど本や映画があるのだから、それが一般的な心性だろう。
ただそんな否定的な評価を本書に対してしても仕方がないので、できるだけ積極的な意味のある行為をしようと、本書で高評価の大江健三郎『キルプの軍団』が家にあり、まったく読んでいないので手にとることにした。10年以上も前に、ある図書館のリサイクル本として入手したものだが、本体にはりつけてあるカバーをカッターで切り取ると黄色も鮮やかな手触りのよい表紙が出てきた。この手ざわりなら読めるかもしれないという気になったが、あらためて確認すると小谷野敦の書評の最後に、こんなことが書かれている。
《実に一九七〇年代以降の日本文学というのは、大江ひとりがあまりに圧倒的だという奇観を呈している。大江のマイナー作品ひとつに、全作品をもって立ち向かっても及ばない純文学作家(世間的には大物)が何人もいるのだから。》
この文章を読んで思い出したのは、宇野常寛『リトル・ピープルの時代』のなかの、その商業的価値において村上春樹ひとりが他の純文学作家全員と天秤にかけられる、といった言葉だった。この二つの文章を比較すると、後者には数量的な基準があるのに対し、前者には個人的な、直感的な評価しかない。その評価にどの程度の妥当性があるのかも含めて、大江健三郎の旧作のページを開いている。コンディションの問題もあるが、かなり以前に、非常に面白く読むことができた『取り替え子』ほどにはのめり込めない読書が続いている。
私にとって本書は、著者の片思いの経験をあますところなく明かした『悲望』が否定的にであれ関心をもてたのと異なり、結局丁寧に読むことができない。だが800本ものレビューがあり、著者のファンには面白く読めることだろう。

樹皮・葉でわかる樹木図鑑 幼木・成木・老木・花や実の写真も多数収録 野山や身近に見られる255種
2011/07/30 12:09
一枚の葉から樹木を知ることのできる本
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目黒の自然教育園の入り口案内所に、葉で樹木の種類が分かる本がそなえつけてあり、こういう種類の本があることを知った。自然教育園にあったのは『葉でわかる樹木/625種の検索』(1999年刊)で400ページ近いが判型はA5判である。
それに対して本書は「野山や身近に見られる255種」という副題にあるように、樹木の項目数では少ない。だが300ページではあるが、判型は倍近く大きく、紙面量では前記の400ページの本に勝っている。それなのに価格はずっと安い。このことから、この種の本が一般的に求められていることを推測できる。
樹木は好きだが、公園や野山にある木々の種類を正確に知りたいと思うほどではなかった。なんとなく、という程度で十分だった。この木はなんという木なのだろう、という気持ちが芽生えたのは、もっと身近な生活空間からきている。
バルコニーのあるところに引っ越してから少しずつ草木の鉢をふやしてきたが、田舎の家の庭からもらったシュロを植えた鉢からしばらくして細い糸のようなものが芽生え、次第に成長した。別の小さい鉢に植え替え、様子をみると、一人前の樹木の最初期段階らしい。鉢の大きさを何度か代え、今では根本の幹の太さが20ミリ近くにまでなっている。なんとなくケヤキだと思っていたが、本書の葉の写真から判断すると葉のかたちは同じだが、葉脈に差がある。エノキかもしれない。毎年季節がくると葉の色が変わり、落ちるが、春になると若い葉の芽が出て、やがていっぱいに生い茂る。
またマンション横手の公園に、雑木的な同じ樹木が何本もあって何の木か知りたかった。確か冬も葉が落ちない。
最初ひきちぎってきた葉を本書のスダジイの葉の写真とくらべたときは、全体の葉のかたちは同じでも、鋸歯(葉の周囲のギザギザ)がかなり異なって見えたため、別の樹木かと思っていた。だが巻頭の「葉の形」の説明のところで、葉というのは《同じ個体でも多少変化する》とあるし、「鋸歯」も、《1つの個体で鋸歯があるものとないものもある》と説明されている。
スダジイの該当ページでも、葉の写真に《縁は全縁〔引用者注、葉に鋸歯がないもの〕、あるいは上半部に波状の鋸歯がわずかにある》とコメントされている。だが葉の表の写真の鋸歯は「わずか」という感じ以上にあり(そのため最初、検索を見過ごした)、葉の裏の写真では鋸歯がない(同じ葉の裏表ではない)。
専門家にとってはすぐに判断できるところだろうが、なかなか判別は難しい。かといって微妙な差のある同種の葉の写真を並べるのも編集上、困難なところがあろう。
妻がグレープフルーツの種を植えて育ったものは、たぶんグレープフルーツに間違いないだろうが、そうした果樹類は本書にはあまり載っていない。
やはり妻が、すだち(酸橘)の種を植えた鉢から芽が出て、またたく間に大きくなった木は、結局すだちではなく、いろいろと本書および前記の本で葉を中心に検索してみたが分からなかった。購入したキンモクセイを植えた鉢から出てきて、最初はキンモクセイの根から生えてきたのかと思ったものが、同じ木のようなのだが、何故そこから芽生えたのか、またすだちの種を植えた鉢から何故出てきたのか見当がつかない。いろいろな鳥がくるので、種か何かを運んできたのだろうか。妻の話では、近所に似た木があるという。
最近刊行されたばかりの本書を10年以上前の『葉でわかる樹木』と比較すると、最初のほうの検索ページ(「葉っぱもくじ」)が、葉の写真の大きさを同じにしてレイアウト的にきれいで見やすくもある。実際の大きさは本文の各樹木のページで説明されるので、これでいいと思う。葉の大きさは同じ木の葉でも、かなり大きさにばらつきがあるので原寸大写真というのは無理がある。
また各樹木のページでは、樹木の全体の姿を写した大きめの写真があり、こうした写真のない前記の本に対して差をつけている。判型が大きいゆえに可能なレイアウトである。
本書は「葉」だけでなく「樹皮」からも検索できるようになっているが、素人からすると、「葉」をちぎってきて、葉の写真と照合するのが調べやすい。近年の類似の本で、(本屋で短時間見ただけだが)「葉から分かる」を謳っていながら、ほとんどお飾り程度の処理しかしていないのが見受けられた。それらにくらべて、本書は「葉」に関しては充実している。
ただやはり255種というのは種類が少ない。私としては身近に生まれた樹木の種類を知りたいという気持ちがあった。とはいえ本書のように、1ページに1つの樹木を写真つきで説明するかたちでは、膨大な種類の収録は難しい。選ばれているのは主要な樹木であろうし、「野山や身近に見られる255種」という副題には偽りがないだろう。

出版状況クロニクル 1
2009/06/23 17:04
小田光雄による出版状況についての調査・分析は凄まじいばかりに徹底している。
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
《出版業界も含めて、日本の戦後社会の転換から現在が始まっている》と考える著者は、日本の消費社会化、とりわけ80年代に入っての「郊外消費社会」の出現にメルクマールを見ようとする。
書店の出店ラッシュ、町の本屋の廃業、他業種の書店参入や書店の複合店化、そしてコンビニ、ブックオフ、公共図書館の増加によって、書籍および雑誌の販売流通環境はまったく変わったと著者は分析する。
著者は特に郊外型ライフ・スタイルへの志向と書物を読むという嗜好との因果関係にはふれていないが、単純に考えて、本屋や図書館から遠いところを住居にする人は、比較をすれば読書への関心が薄いと見做してもいいだろう。
代わりに郊外に住居を選んだ彼あるいは彼女は、比較をすれば車を中心としたライフ・スタイルに関心を持っていると見做しうる。だがこの問題は、もう少し精密に考える必要がある。
週刊誌の売れ行きの落下に言及した部分で、著者は記す。《それにつけても思い出されるのは、まだ町の商店街が元気であった時代には書店だけでなく、多くの喫茶店、食堂、酒場、床屋、美容院などがあり、それらは町の社交場を兼ね、またかならず週刊誌が置いてあった。つまり自ら買うことに加え、週刊誌を読むインフラが町の中に整えられていたのである。》
著者はまた既刊書のなかで、地方や商店街の中小書店が、小まめな外商などで読書家との接点を持っていた風景を描写していた。
そうした地方や都市の商店街の居住者のうち、多くの人々そしてその子供たちが郊外型ライフ・スタイルへ移行した一つの理由は、より広い(もちろん、より新しく、より快適な)住居空間を求めてということが、まず考えられる。
おそらくは、家の広さ(一戸建てであろうとマンションであろうと)が、子供(たち)の独立部屋などの考慮とともに、新しい家族の家選びの指標になっただろうし、それが満たされた上で交通の利便性、ある意味において文化的利便性が追求されただろう。生活のなかで占める何が重要とされるかの一般的な割合の問題である。
結論を言えば、郊外型ライフ・スタイルへの志向と書物を読むことの嗜好とのあいだには、直接的な因果関係はない。
たとえば読書生活を最も効率的に過ごすには、できるだけ蔵書量が多い図書館の近くに住むことが挙げられる(かつて、ある映画好きが、プログラムの面白さを誇る名画座周辺を選んで住んでいたことを思い出す)。気楽な散歩がてらに図書館に行き、読みたい本を読むことは、そのようにして達せられよう。
国会図書館を別にすれば、最も蔵書量が多いのは都立中央図書館であり、また正確に調べたわけではないが、館外貸し出しが可能でいて蔵書量が多いのは横浜中央図書館あたりではないだろうか。
だが普通、そうしたことを住居選択において最優先させるのは極少数派であり、むしろ車を趣味とする人が、自動車を必要とする郊外に住居を選ぶほうが多数派とは言わないまでも、一般的かもしれない。
日本の、60年代以降、70年代、80年代の郊外型ライフ・スタイルへの志向は、その自動車産業に負っているわけであり、バブルがはじけるまで、都市中心部に住もうと、自動車を所有していなかろうと、また本には関心があっても車には興味がなかろうと、おおかたの人々は、自動車産業を中心とした経済の成長に、その恩恵を大小の差はあれ、うけていた。
そういう意味において自動車産業の躍進がなければ郊外消費社会がないだけでなく、郊外消費社会によって大きく変質したとされる出版業界自体も、別な展開をたどった可能性がある。
批判的なブックオフについてすら、著者が《あらためてウォッチし続けて、もちろん定価の半額、一〇〇円均一といった安さが集客の原動力だとしても、日本人の出版物に対する執着には根強いものがある》と感じるような、本好きの体質が日本人にあるのは確かだろう。
ただし著者は《現在の主流のエンターテインメント型書店、公共図書館、ブックオフのいずれもが、本の多様性をオミットしたところで、展開されてきた》がゆえに、アマゾンのようなネット書店の急成長があったと指摘する。
本書では表立って言及していないが、刊行される出版物の質が向上ないし維持された上で、量としての出版が健闘したかどうかを著者は、いつも問題にしているのだと思う。そして全体としての質の識別は数量化できないために難しいとしても、「郊外消費社会」を分析する著者の内実は、その点において悲観的なのかもしれない。

恋とセックスで幸せになる秘密
2011/12/10 10:26
著者は二村ヒトシ、AV監督だというが、この本の内容に照らして不思議でもあり、面白くもあり、という感じ
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
内容を知らずに購入したのだが(山本直樹との共著だと勘違い)、読み終わって、思わぬ拾い物という感じがした。
「恋」と「愛」の違いについて語られる。《「恋する」とは「相手を求め、自分のものにしたがる」こと》、《恋とは、「欲望」》だと言い、それに対し《「愛する」ということは「相手を認める」こと》だと、はっきり区別する。こうした二分法が単純すぎると思いながら読み進めると、自分に対する思いも「ナルシシズム」と「自己肯定」に区別し、《ナルシシズムが「自分への恋」だとすれば、自己肯定は「自分への愛」だと考えると、わかりやすいでしょう》と説明する。
これだけでもう、「恋」と「ナルシシズム」がやや否定的に考えられていると見当がつくが、著者は当然なことに《恋と愛の、両方の感情があるから「恋愛」》だと言い、ナルシシズムについても《完全にゼロの人は「生きがい」がなくなってしまい、きっと生きていくことができません》と書く、というか語る(本書全体がすべて喋り言葉で書かれているため中味に溶け込みやすい)。
この本が読者として、異性との関係に悩む、特に若い女性をターゲットにしているのは、そのタイトルや表紙、また帯の言葉(大きく「なぜか恋愛がうまくいかない女性へ」、小さく「自分を愛せるようになる7つの方法」とある)からも分かるが、「恋愛論」として男でも、また(その内容のレベルのせいで)若くなくても読むことができる。異性にかぎらず、人を人と関係づけさせる欠如の意識を著者は「心の穴」という言葉でカバーするが、その《心の穴のかたちは一人一人、ちがいます》と言うことを忘れない。《あなたが「自己肯定できるようになるために、するべきこと」は恋人の存在を使って心の穴をふさごうとすることではなくて、まず「自分の心の穴のかたちを、ちゃんと知ること」です》というあたりが恋愛論としての本書の眼目だろうか。
心の穴は、悪い親であろうと、良い親であろうと、普通の親であろうと、すべて親によってあけられたとあるが(親が最初からいないことは、それ自体が心の穴になるのだろう)、この著者の定式は何かを無視しているような気がする。だがこの本が読ませるのは、恋と愛の二分法にせよ、ナルシシズムと自己肯定の対立のさせ方にせよ、その混淆を意識的に捨象したと感じさせるからである。親から子供へと継がれるという「心の穴」の場合も、読者が想像力をもって埋め合わせることが可能なように語られていると思うのだが、どうだろうか。
ここでこの恋愛論を検証するために二つの「恋」をまな板にのせたい。一つは小谷野敦の小説「悲望」(二つの作品をおさめた『悲望』収録)であり、もう一つは増村保造の映画『妻は告白する』である。前者の主人公が男で、後者が女、また前者は作者がかつて現実に体験したことに近く、後者がそうではないことなどの相違は、この際、問題としない。
さて「悲望」において恋をする大学院生の「私」は、相手の大学院生を留学先にまで追いかける。その行為はほとんど一方的で、ストーカー的ともいえるほどだ。以前この小説を読んで感心したのは、作者が自身を戯画的に貶めるかたちではなく、けれど客観的にいえば相当に貧しく悲惨な一方通行的な恋を描ききっていたことだった。ふつうの恋愛小説にはない面白さがあるのは、そのためである。
前述したように本書には《恋人の存在を使って心の穴をふさごうとすること》への戒めが説かれている。「悲望」には、似たような反省が現在の作者によって記されているが(ただし相手は「恋人」ではない)、これは片思いの恋をしていた当時の作者に「自己肯定」というものが欠けていたのだろうか。
だが思うに、「悲望」の主人公にはちゃっかりとした「自己肯定」があり、それが彼をして恋する相手を追いかけがてらに留学させたりする。現在の作者に繋がる主人公が決定的なかたちで崩壊しないのは、相手が恐れをいだくような「自己肯定」の図々しさによってである(主人公には自身を自分にも人にもよく見せたい「ナルシシズム」は、むしろ少ない)。確かに通常の「自己肯定」意識があれば、早い段階で相手をあきらめ、ひっそりと一人で生きるのが普通であるので、小谷野的「自己肯定」と言うべきだろうか。《男は「インチキな自己肯定」が、できる》とも著者、二村は語るが。
一方、『妻は告白する』において恋をするのは、これまで恋らしい恋をしたことがなかった人妻である。彼女は薬学の助教授であるひとまわり年上の夫と、医局に出入りする医薬品メーカーの若い男と三人で登山に行った際、夫の命綱を切ってしまうが、そうしなければ残りの二人も死ぬしかない状況だったからだ。裁判がおこなわれ、夫を殺した女という世間的な指弾にあいながら、女は以前から好きだと思っていた男が自分をかばう姿勢に愛する気持ちを高めていき、婚約者のいる男もそれに応えていく。「悲望」の二人と異なり、『妻は告白する』の二人はやがて「恋人たち」となり、裁判で女は無罪となる。
だが男はあるとき女が夫を二人のために殺したのだと思い、急激に彼女への熱がさめる。女が男の会社に訪れ、男が冷たく拒み、洗面所で女が毒をあおいで死ぬことで、愛の物語は終わりをつげる。
さてこの最後のシーンで若尾文子扮する女はその絶望と憔悴の表情までもが美しい顔を洗面所の鏡のなかに見つめる。そこに一瞬、強烈な「ナルシシズム」のかけらを感じとるのは自然だろう。だが彼女は「ナルシシズム」や「自己肯定」からはるか遠い世界に向かう。
本書は少しでも恋愛に苦しむことから解放されたいために、また恋愛において幸せになりたいために、若い読者に読まれていることだろう。その点については良き簡略化がほどこされ有益であると思う。小説や映画のなかの恋や愛を読み、そして観るのは、そうしたことと目的や意識が異なるのかもしれない。