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反形而上学者さんのレビュー一覧

投稿者:反形而上学者

93 件中 1 件~ 15 件を表示
ラカンは間違っている 精神分析から進化論へ

ラカンは間違っている 精神分析から進化論へ

2010/03/15 22:50

「全86頁」の薄い本だが、内容は非常に濃い。「読む価値」は大いにあると言える。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

フロイトが創始した「精神分析」は大きな広がりをみせ、結果として多数の心理学・心理療法を生むこととなった。
そうした潮流の中で、ジャック・ラカンという特異な存在が、精神分析や心理療法だけでなく、哲学・思想・文学・芸術という幅広い分野にまで影響を与える存在として、この日本でも受け入れられているのは多くの人が知るとことであろう。
本書は、そうした「ラカン」という極めて難解でありながら、専門家以外の人をも惹きつける不思議な「ラカンの精神分析」というものに対して、かつてラカン派の分析家であった著者が、「ラカンの精神分析」と決別した経緯が端的につづられている。
この本は「あとがき」も含めて「全86頁」という枚数しかなく、「そういう小冊子みたいな薄い本に1400円(税別本体)も払えない」という人も少なからず存在することと思うが、内容的には「86頁×3=258頁」に相当するくらいの非常に良質の内容を備えていると思う。

さて、前置きが長くなってしまったが、この愛すべき「小冊子」はちゃんとしたハードカバー装丁であり、そういう高級な装丁にわざわざした意味が本書にはあると、私には思えるのだ。
著者であるエヴァンスは、ラカンの精神分析について微に入り細に入って批判しているわけでは全く無い。そのようなことをすれば、到底このような枚数の論文には収まらなかったであろう。そして、本格的な論駁本であれば、こんどは生半可な枚数では収まらず、600頁は超えるであろう本にすらなってしまう。そこでエヴァンスは「難解なラカン用語」の一つ一つを取り上げることはせず、本書のテーマである「臨床効果」に絞ってこれもまた細部への言及は避けて論じるという方法を取っている。
ここまでだと、エヴァンスの論文は「スカスカ」で、「印象論」という大雑把なものに終始しているのではないだろうか、と読者は思うはずだ。
しかし、エヴァンスがラカン派を離脱して分析哲学(英米系哲学思想)方面への興味を深め、最終的には認知科学のひとつである「進化心理学」へと向かう。だから、本書での対立軸は「大陸系思想VS英米系思想」という真逆の思考ベクトルを持った、非常に根源的な問題へと読者の思考を誘う。
そういう非常に大きなものが背後に控えているからこそ、本書はわざわざ翻訳されたのであろう。
さらに、エヴァンスの論文の後に、本書の翻訳者である冨岡伸一郎が『カウセラーの立場からエヴァンスを読む』という論文を最後に添えて、本書をまとめている。冨岡は大学もアメリカで、大学院はコロンビア大でカウンセラーの修士課程を終了している「アメリカ仕込み」の心理カウンセラーだ。
この冨岡の論文が非常に良くて、「カウンセラーの臨床」という立場から、公平な考察を述べている。結果、エヴァンスへの理解を示しながら、ラカン派への理解をも示しているので、読者にとっては大きな「宿題」を提示することになるからだ。そう、やはりそれぞれの読者が考えなければならない問題なのである。
そういう「安易な批判本」にならなかった点は、大きく評価すべきであろう。
だがしかし、ほんの少しだけ私から見た本書への「意見」を書き添えておきたい。「ラカンの思考は曖昧過ぎる」という批判をして、認知科学や分析哲学を持ってきて、「精神分析」自体が抱えている「反証可能性」の欠如という問題をエヴァンスは強調するが、同じ分析哲学の巨人・クワインは「反証可能性の不要性」を論じてる。また、エヴァンスがラカン派になる前に勉強していた、「チョムスキーの言語学」はまさに「反証可能性」に欠けたものであり、日本でもチョムスキアンはかなりの少数であるという事実。しかし、エヴァンスは何度もチョムスキーに賛成するコメントを論文に残している。
また、公平を期すために書くが、冨岡の論文も「本書の仕事を受けるまでラカンについて全く知らなかった」というようなことを書いているが、これも信じられないことである。いくら英米でのラカン派がマイナーであるといっても、フランス現代思想などは全く読んでこなかったのであろうか。このように意外とカウンセリングを専門としている人は、自分の専門外に全くといっていいほどに疎いという現実があるのは否めない。
最後は少しばかり厳しい指摘をしたが、それとて本書を読まない理由には全くならないほどに、本書は様々な思考を誘発させてくれる良書である。是非とも多くの人に読んでみて欲しいと思う。

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存在と時間 1

存在と時間 1

2010/03/02 20:55

全3冊の訳も解説も非常に充実した「中公クラシックス」版。私はいいと思います。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

20世紀最大の哲学者といわれる、ハイデガーのあまりにも有名な主著である。
本書は数種類の翻訳書があるが、たぶんこの中央公論新社の「中公クラシックス全3冊版」と筑摩書房からでている「筑摩学芸文庫の上・下巻版」が有名な翻訳書の代表であろう。
単純にどちらがいいかと言われると、もうこれは読む人の好き好きの問題になってしまうので、判断がつきかねるが、私は「中公版」の原・渡辺 訳を最初に読んでしまったので、こちらの方に愛着をを持っている。そしてこの「中公版」は脚注や解説が非常に充実しているので、そういう意味でも、「筑摩版」の細谷 訳に比べて全3間分の費用は少々かかるが、難解で有名な著作を攻略するためにには、こちらの方が好ましいように思われる(ちなみに私は両方とも所有しています・笑)。
少し基本的な話をすると、ハイデガーは現象学の創始者・フッサールの愛弟子であるが、フッサールとは結局決裂して絶縁してしまい、ハイデガーはフッサールの葬儀にすら行ってはいない。なぜハイデガーとフッサールは喧嘩別れしてしまったのか。もちろん、両者がお互いの哲学を気に入らなかったためであるが、多くの人はそいうことを聞くと、「ハイデガーとフッサールのどちらが正しいのだろうか?」と考えてしまうことであろう。私もそういうことを直ぐに考えた一人である。
これは、私ごときが答えを出せるような問題ではないし、どちらが正しいかという比較自体に困難がある。
そういう偉大な哲学者どうしの師弟関係が壊れるきっかけになったのが、実は『存在と時間』であった。
当然ながら、師匠のフッサールにはハイデガーの『存在と時間』が全く気に入らなかったのだが、私にはこの「現象学の巨人・フッサール」の気持ちが何となく察せられる。では、それはどういうことか。
あくまでも、『存在と時間』を読んできた「私」の意見として、『存在と時間』、そしてハイデガーを批判的に述べてみたい。
本書は名前のとおりに「存在」と「時間」というものについて、哲学的考察をしているわけであるが、その「方法論」は私からすると、「19世紀以降」の形而上学・ドイツ観念論に戻って思考してるように思えてならないのだ。
たとえば、非常に有名な用語だが「現存在」という中心概念が登場するが、ハイデガーはこの「現存在」という用語を単一の概念には帰属させない。むしろ論が進めば進むほどその意味が広がり、極めて「多義的な用語」になっていく、それも具体的な例というよりは、「観念的状態」における意味を複数被せてくるので、確かに『存在と時間』は意味が非常につかみにくい。
ハイデガーが本書で行うような論理展開は、本書以降むしろ加速していき、同じくフッサールの弟子であったデリダにも『精神について』で極めて辛辣に批判されている。
ハイデガーの論理展開というのは、数学でいう「積分」である。今の例えば「認知科学」や「分析哲学(心の哲学)」などの科学的成果を取り入れて論じていく哲学思想は、「微分」の行為であるといえる。どういうことか。
つまり、「微分」というのは、どんどん細分化させていき分割できなくなる地点を目指すくらいの思考法である。「もの」を分子、原子、素粒子…というようにその「もの」の根源をさぐる物理学の分野などはわかりやすい例かもしれない。
それに対して、「積分」は「もの」にどんどんと「付随条件」を被せていく。つまり要素をどんどんふくらませていいく中で、関係性の連なりをとらえようとするのである。非常にわかりにくい説明になってしまったが、雰囲気程度は伝わるであろうか?
つまり、ハイデガーの「積分」手法では、どんどん広がってしまい、収拾がつかなくなってしまうということだ。たぶんフッサールもそういうところをハイデガーの『存在と時間』に感じたのではないであろうか。フッサールも非常に難解ではあるが、自分の思想がどんどん変化してくことを拒ます、「微分」のベクトルを持った哲学者であったように、私は思っている。そこがハイデガー(積分)とフッサール(微分)の大きな違いではないであろうか。私はここが押さえられていれば、ハイデガーもフッサールも解説書ではなくて、彼らの実際の著作を読むことができると思っているのだが・・・。
けっきょくハイデガーは『存在と時間』を完成させることができず、未完のまま発表するのだが、今まで私が言ってきた「積分」という方法を使っていたと考えれば、当然のことながら膨らみすぎて何も書けなくなってしまう状態に陥るのは明らかであろう。
ともあれ、こういう難解な本は「批判的読解」なくして、読了することも難しいと思うので、「学ぶ」という立場から、「批判する」という立場でぜひ読んでみて欲しいと思うのですが、どうでしょうか?。

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フロイト伝

フロイト伝

2010/03/01 19:59

ラカン派の著者・クレマンが、かなり辛辣に書いた「フロイトの伝記」。面白いです。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

実は、2007年10月に本書が発売されてから、私は他の本と一緒に買ったのだが、そのままわすれており、つい最近まで本書を持っていることすら忘れていた。
ブックカバーがかかっていたせいもあるのだが、比較的薄い本なので余計に目につかなかったということも原因していたようだ。
本書を執筆したカトリーヌ・クレマン女史は『ジャック・ラカンの生涯と伝説』で、有名な哲学者・伝記作家であり、かつてジャック・ラカンが率いていた「パリ・フロイト派」に所属し、現在の正統的ラカン派集団と言われているジャック=アラン・ミレールが引き継いでいる「フロイトの大義派」とも親しい関係にある「分析家」なのだが、分析活動は一切してはいない。
そういうことで、親ラカン派でもあるクレマンは本書でも独特の書き方をしている。
世に「フロイトの伝記」というものは、ピーター・ゲイの『フロイト1・2』を頂点として、非常に沢山あるのだが、本書はそれらと比較してもその存在価値が損なわれることはないと、私には思われる。
クレマンはフロイトと同じ「ユダヤ人」であるという共通点があるのだが、そういうことも本書の執筆には非常にいい効果をあげているようだ。
女性ならではの、フロイトに対する「感情の起伏」を隠さずに、むしろそれを効果的入れることで、メリハリの効いた「フロイト伝」になっている。だらだらとした伝記ほど退屈なものはないが、そういう欠点が本書にはない。
本書の外装の帯には、「(・・・)フロイトと20世紀に関心あるすべての人に贈る、読んで楽しい入門書。」とあるが、確かにフロイトを知らないような人が読んでも十分に楽しめるが、軽くでもフロイトの精神分析についての「入門書」を読んでおいた方が、さらに多くのことを得られると言えるだろう。
それから、こうした本では非常に珍しく、写真・図版が綺麗ではっきりしている上に、数も多いというのは極めて貴重な資料にもなり得ていると思う。
私としては本書をおすすめします。

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勝間さん、努力で幸せになれますか

勝間さん、努力で幸せになれますか

2010/02/21 18:54

勝間和代≒香山リカ=成功者?

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この二人はああTV番組でも討論(闘論?)をしていたので、本書には少なからず興味があったのだが、幸い知人から「読んだから」ということで回ってきったので、早速読んでみた。
結論から言うと、香山リカがやや劣勢のように感じられたのだが、何故だろうか?それを少し考えてみたいと思う。
巷では、「カツマー」という生き方が女性たちの注目をあびているようだが、確かに勝間和代は「勝ち組」の生き方をしているのであろう。しかし、勝間のような女性は、実は目新しいわけではない。「自立した金銭的に成功した女性」ということでは、それこそ枚挙にいとまが無いほどいる。そして、不況の現代には、勝間和代というヒロインがその象徴として登場した。
対する、香山リカは精神科医にして、多数の著作を発表し、立教大学の教授でもあり、マスメディアへの露出も非常に多い。
こうした二人であるが、勝間は「私のように努力して生きれば成功する」という。香山は「人生はお金だけではないし、競争原理だけではないし、お金だけでもない、人それぞれの状況で違うのだ」というような内容のことを言って対立する。
しかし、考えてみよう、勝間和代が「成功者」なら、香山リカも間違いなく「成功者」なのである。香山リカの年収もたぶん相当なものであろう、普通のOLには及びもしない程の高額所得者なのだ。大体が、医者で売れっ子著述家で大学教授とくれば、ある意味、勝間和代以上の成功者と言えるのではないだろうか。
本書における、香山の劣勢を感じる点は、たぶんここにある。成功者・勝間和代を批判する一見対極の立場にいるはずの論者が、実は大変な競争を勝ち抜いてきた「勝者」だったのだ。そこを隠して、いくら香山リカが勝間和代に論戦を挑んだところで、説得力はない。
「年収150万円程度、地方で農業をしながら、電気もない古い家に住んでいるがそこでの生活を地元の人とともに楽しみながら生活している・・・」という人が勝間と論戦すればこれはまた全く違うものになるであろう。しかし、本書における両者は活躍する分野こそ違え、間違いなく「社会的勝者」であり、「女性の憧れの的」であり、「金銭的にも勝者」なのだ。
勝間を否定する香山自身の状況を否定までは出来ないのである。
ということで、今回は勝間和代の「勝利」と言ってもいいのではないであろうか・・・?

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ソラリス

ソラリス

2010/02/15 22:19

ラブストーリーの裏にある「完全なる虚無」・・・。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ある日の朝、睡眠から起きてみると、かつて「悪夢」でみた「怪物」が目の前にいた・・・としたら、あなたはどうするだろうか。本書を一言でいうとすると、まさにそういうことを書いているのだ。
舞台は地球から遠く離れた「ソラリス」という惑星での出来事であるが、この惑星の軌道上に宇宙ステーションを作り、不可解な惑星「ソラリス」の研究が続けられていた。しかしこの惑星の宇宙ステーションでは実に奇妙なことが起きる。ステーションに滞在して研究している人間の深層意識から、実に「恣意的」に選択し、「それ」を物象化してしまうのだ。
中には、最初に書いたように「悪夢の怪物」が突然出現してしまった者もいた。そして、主人公である新任研究者のクリス・ケルビンも最初の睡眠から目覚めたときに、この「ソラリスの洗礼」を受けることになる。クリスがソラリスの海から贈られた「もの」は、かつて些細なことで自殺してしまった、奥さんのハリーであった。
2度の映画化をされている小説であるし、本書に関してはこの程度の導入を話しても読書の楽しみは全く奪われはしないであろう。
映画では、このクリスとハリー(もどき?)にばかり焦点が当てられて、非常に感傷的な映画となっているが、本書をよく読んでいくと、そういうことはストーリーの一部に過ぎないことが理解出来るであろう。
この非常に高度な知性を持つとみられる、「ソラリスの海」による「贈りもの」は、研究者たちからは「客」という隠語で呼ばれている。困ったことにこの「客」であるハリーは意識を持っているし、意思も持っている。まるでかつて存在していたハリーそのものなのである。
クリスも含めた研究者たちは、その「客」たちに翻弄されながら、人間の持つ「倫理観」や「存在意義」自体も大きく揺り動かされてしまう。
ソラリスの海は、何の意図でこういう「客」を送り込んでくるのか?
我々読者は、『ソラリス』を読んでいると、大きく「情動」を動かされるし、それが「架空の架空」を描いた小説であることに気づくであろう。
著者のレムはこうした「多層構造の無」を描くことによって、我々が日常的に当たり前だと思っている物事を、根底からひっくり返し、不安にさせる。
これが多分、スタニスワフ・レムという稀代の大作家による、目的の中心なのであろう。

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クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ

2010/02/12 21:27

東浩紀ならもっと出来たはずだと思うのだが…惜しい。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中高生にまで人気のある批評家、東浩紀がSF小説を発表した。これは驚くべきことと言えるだろう。
ふつう批評する側の人は小説など書かない。確かに東浩紀と往復書簡の本を出している笠井潔も文芸評論家と作家の二足のわらじを履いているが、笠井の場合は作家活動の方がやや先である。
たぶん東浩紀は、哲学的な要素を多く含む笠井潔のスタンスに影響された部分もかなりあるのだろう。
さて、本書であるが、『新潮』誌に『量子家族』として連載されていたものを改題して、『クォンタム・ファミリーズ』として発売されたものだが、もちろん東浩紀にとっての「処女小説」である。
有名な批評家の処女小説ということで、嫌が上にも注目される作品だと思うが、出来栄えは正直に言って著者の思惑通りにはいかなかったようだ。
平行世界をえがいた小説ということで、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を即座に思い浮かべるが、東浩紀は更に哲学的・科学的な用語を登場させて、小説世界に深みを持たせようとする。それが成功していれば何も言う事は無いのだが、残念ながら少々欲張り過ぎたように思う。
私は実際に本作を読んでみて、あまり集中できなかった。それは様々な仕掛けが作為的過ぎて、小説世界に没頭できなかったということである。
そうは言っても、作者は非常に頭のいい人であるから、本書が大傑作になる可能性は十分にあったと、私には思えるのだ。
私としては、連載からかなり手を加えて、ほぼリライトと言える程に時間をかけたものを発売して欲しかった。そうすれば、作為的な部分も、難解過ぎる部分もある程度は解消されて、「衝撃の処女小説!」ということになったことであろう。
それだけの可能性が、垣間見えた小説であるだけに、なんとも惜しい。
次の小説にもぜひ取り組んで欲しいと思う。

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一歩を越える勇気

一歩を越える勇気

2010/01/17 09:23

「ニートの登山家」が綴る、感動的なメッセージ。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

著者の栗城史多さんのことは、何年か前に「ニートの登山家がマッキンリーに登頂」というのをニュースで見た記憶があるが、私にとってはそれ以上の興味はその時湧かなかった・・・。
2010年を迎えて、家でくつろぎながら正月を過ごしていると、たまたまラジオのFM番組から、栗城さんをゲストに迎えてのインタビューが始まったので、そのままFM放送を聞きながら日本酒を飲んでいた。彼の話しを聞いているうちに、あの時の記憶がよみがえったきた。そう、「何年か前のニートの登山家だ」。ラジオから流れる彼の声はとても登山家とは思えないくらいに、「普通の青年」で、声だけ聞いていると、「テレビドラマ版・電車男」の主演を演じていた「伊藤淳史」と全く同じと言ってもいい程に、情けなく、か弱い青年が喋っているようだったのには驚いた。対談相手のサイエンスライター・竹内薫さんもやはり違和感を拭えないような調子で質問している。登山を始めた動機を聞かれると、東京に行って結婚しようと思っていた女の子が登山好きで、その彼女に「実はあんまり好きじゃなかった」という衝撃的な一言を言われて別れ、彼はどうしても彼女に未練があったので、彼女の好きだった登山というのはどういうものかという興味から、始めたという信じ難い動機を語った。本当に何もかも「電車男」である。それから、栗城さんの体格は「身長162cm」で、最近体力測定をしたら、同年代の男性と全く変わらず、特に優れているところは無かったそうである。
そんな栗城史多さんは、ニートをやめて北海道の大学に入り、そして登山部へ入部するが、登山歴たったの2年で「22歳」の時にあの「マッキンリー」へ単独無酸素登頂に挑戦することになる。周りの先輩たちからは、「絶対に死ぬからやめろ!」と言われ続けたが、彼はめげずに登頂を決行する。しかも栗城史多にとっては「初めての海外旅行」だというから、開いた口が塞がらない。
2007年のヒマラヤ遠征からは、自分の登山の様子をインターネット中継するという奇抜なことを行うが、ネット動画を見ている人々からは「オマエなんか死んじゃえ!」という内容のメールが殺到し、さながら「2ちゃんねる状態」になってしまい、そういうメッセージを聞きながら登頂に成功した。
登頂に成功すると、今度は一転して「感動を有難う!」というメッセージが殺到した・・・。
そういうラジオの内容だったのだが、私は聞き終えてから、「栗城史多」という27歳の元ニートの登山家に大変興味を持ってしまっていた。
身長は低い、これといった体力もない、極めて平凡過ぎる青年が、世界の最高峰を無酸素の単独登頂で、しかもネット中継を自分でしながら機材も持ちながら登るという過酷な条件。彼が登っている山は7000m超の山で、その高さになると酸素は地上の「1/3」しかない。本当に生死の只中での登頂なのだ。
さて、ここまで書評を読まれて、皆さんも「栗城史多」という人物に興味を持たないだろうか?
本書は、ゴーストライターやインタビューなどではなくて、栗城さんが自分で全て書いたそうである。これも立派なことだと思うし、ますます読みたくなる。
最後の栗城さんが言っていた言葉を書いて終わります。
「冒険は、生きて還ってこなければ、冒険じゃないんだ」

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マンガ嫌韓流 4 (晋遊舎ムック)

マンガ嫌韓流 4 (晋遊舎ムック)

2010/01/08 19:02

なぜ、 「嫌韓流」なのか?

16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『マンガ嫌韓流』も、ついに4巻目を迎えた。
漫画の形式で複雑な日韓関係を教える本としては、それなりの役目を果たしているのではないだろうか。ただ、漫画なので誇張や偏った表現もあるにはあるが、本書はちゃんと「問題意識」を与えてくれる本なので、こういう本が駄目であるとは、私には思えない。
本書では日本における永住外国人の参政権の問題などがタイムリーに描かれているが、これは非常に重要な問題だ。
どこの国でも永住外国人どころか、労働にきた外国人ですら大きな問題として認識されている。
とりわけ、日本における永住外国人は「韓国人」と「中国人」が圧倒的に多い。実はこれこそが大きな問題なのだ。
私は別に、韓国人も中国人も個人としては嫌いでは全くない。むしろ友人として何人かいるくらいである。しかし、韓国人や中国人は一人ではなく、多くの集団になった場合、反日感情があからさまに露呈する。これは彼らがそういう「困った人間」だということではなく、大元をたどっていけば、教育に問題があることがわかる。
韓国も中国も、未だに教科書や学校の授業で「反日教育」をしていのだ。それは日本の朝鮮学校や中国学校でもそういう「反日教育」が続けられているということを、どれほどの人が知っているであろうか。
こういう愚かな教育をやめない限り、彼らの「反日意識」は絶対に変わらない。
そもそも未だに続けられている「反日教育」の目的は、戦後において中国は50以上あると言われている民族を中国共産党が独裁的に国家としてまとめ上げていくための、共通した「反日意識」を与えることによって、反政府活動を抑えることが目的だった。
そして韓国では、同じように大統領制という独裁的政府がしばらくは国力を上げる為に「反日」を旗印にして、国民の意識を政府からそらし、やはり中国と同じように発展を遂げるためであった。
今や、中国も韓国も途上国ではない。むしろ、かなりの経済大国といっていいであろう。
そうした状況であるにも関わらず、今でも同じ反日教育が行われているということが問題なのだ。
今度はそうした反日教育の教科書などを大幅に改訂しようとすれば、国民が政府に対して牙をむくだろう。だから、政府は反日教育をやめることが出来ない。
それにもかかわらず、日本の「つくる会」などの教科書に対しては、内政干渉のごく抗議の声を必ず上げる。大元の問題である「反日教科書」を彼らは使っているのにである。
これで永住在日韓国人や中国人に地方参政権を与えれば、確実に過疎化しているような地方では、その地域が彼らの手に事実上落ちることになるであろう。
台湾を考えて欲しい。台湾は「反日教育」を行っていないから、同じ中国人でも実に「親日的」である。
要するに、参政権だろうが、何だろうが、彼らの「反日教育」をやめさせない限り、日本が中国人や韓国人に様々な権利を与えることは、この日本という国を完全に崩壊させることに他ならないということなのだ。
本書を読んで、「本書の先にある問題」をぜひ考えて欲しいと思う・・・。



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精神現象学

精神現象学

2009/12/24 02:36

ドイツ政府より「レッシング翻訳賞」を受賞した、画期的翻訳!

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ヘーゲルの著作の中でも、とりわけ難解で知られる『精神現象学』。
その難書が、長谷川宏氏によって歴史的名訳で出版されてから、多くの人々に賛意で迎えられたかと思えば、長谷川氏のこの訳を否定的に批判する人もわりと多くあらわれている。結果、賛否両論というところなのだが、なぜ長谷川訳が批判されるのか少し考えてみたい。
正直、この『精神現象学』は原書でも非常に読み取り難に書物である。しかし、この本以降のヘーゲルはどれも「ここまで」読みにくくはない。
ヘーゲルにとって最初の著作であるという気負いがあったことも確かだと思うが、本書の主題が「精神現象」であるだけに、ヘーゲルの時代ではまだ説明のための「手段」が少な過ぎたことが最大の原因であると、私には思われる。
ヘーゲル自身の書がそういう「説明に苦心している」ことの証拠であると考えるならば、『精神現象学』も当然ながら説明に苦慮したものになっているはずであろう。
しかし、世の中というのは不思議なもので、「難解なもの」ほど有難がられるのだ。
世界的建築家で、日本でも圧倒的知名度と人気を持つ、レム・コールハースは何年か前にインタビューでこういうことを語った。
「私は、出来るだけ〈難解〉で〈消費されにくい〉ものを作ろうと、いつも心がけている」と・・・。
このコールハースの話しは、『精神現象学』などの難解にして、時間の風雪にさらされながら残った「書物」や「芸術」の本質的理由をついてはいないだろうか。
長谷川宏は、この『精神現象学』の翻訳で、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞しているが、これは凄いことである。しかし、多くのヘーゲル読みやヘーゲル研究者にとって、「読み易い『精神現象学』」は都合が悪いのだ(上記の理由から・・・)。
長谷川宏訳の本書を、とにかく読んでみてもらいたい。そして、物事を理解する楽しさと、物事を考える難しさの狭間で、哲学書を読むということの本当の意味をそれぞれの読者に問いかけたい思いである。
難解なものを有り難がるというのは、哲学の本質とは別のところに存在する「罠」なのだということを・・・。

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1Q84 a novel BOOK2 7月−9月

1Q84 a novel BOOK2 7月−9月

2009/11/29 15:44

村上春樹の文章が持つ、謎の魅力を分析する。

8人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この村上春樹久しぶりの長編小説も、日本ばかりでなく隣国の韓国でも100万部の達しようとしているほど売れているという。なぜこれほどまでに国や言語を越えて村上春樹は支持されているのだろうか・・・。
本書の内容についての書評は、みなさんとても良いものを書かれているので、私は別の角度から村上春樹が売れる理由を考えてみたい。
私は村上春樹をずっと読み続けているが、必ずしも彼の著作が全て好きというわけではない。
私が個人的にどうしても気に入らないのは、「春樹好み」とも言われる、小説に出て来る「音楽」などの名称だ。長編小説には必ず「春樹好み」の音楽が詳細にタイトルやアーティストも含めて、それに対する思いのようなものも語られていく。それが、私にとっては少々鼻につくということがある。
こういうことを言うのは当然ながら、私だけではなく、わりと多くの人が思っていることでもあるようだ。
しかし、それでも村上春樹は支持され続けている。
こういう気に入らないところがあるにもかかわらず、私はなぜ村上春樹を読むのか。そこに村上春樹の小説の「秘密」があるように思ったのだ。
これは最近気づいたことなのだが、村上春樹の文章は雑誌などに掲載されていう広告の、コピーライターによるやや長めの文章に極めてスタイルが似ているということだ。
たとえば、「僕は初めて訪れた京都の嵯峨野を散策したあと、こじんまりとした旅館に泊まり、この日のためにとっておいた、とっておきのボトルを鞄から取り出した。琥珀色の液体は水よりも滑らかに波打って、さっき買った藍色の切子グラスに・・・・」、長くなってしまうのでこの辺でやめておくが、いま書いた文章のように、商品広告のための文章というのは、だいたいこういうスタイルで書かれる。つまり、ストーリーの中に商品の購買意欲をそそらせるためのやり方で、商品をクローズアップしたような文章をコピーライターは書く。
こう考えると、村上春樹の文章はコピーライターの文章に極めて似た構造を至る所に有しながら、進行してゆくということが解る。
しかし、広告の文章は商品のための文章であるから、その手法を小説に持ち込んでしまうと、「ある物」や「ある音楽」などに読者は関心を持っていかれてしまう。結果これは、小説全体としては浮いた感じを読者に残すが、その「浮いた箇所」がそれぞれ起点となり、読者の興味を決して小説から逃さない効果を生む。
私の場合は、そういう鼻につくような「浮いた箇所」が気に入らなくても、結果的は最後まで心地よく読まされているということなのだろう。
もちろんこれは私が勝手に感じたことであり、多くの人の賛意は得られないだろうが、こういう読み方をしてみるのも、小説を読む醍醐味ではないであろうか・・・。

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自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

自死という生き方 覚悟して逝った哲学者

2009/11/16 00:57

著者に対して、山積する疑問。

12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書には興味はあったものの、どうしても読む気になれず、いわゆる「積読」状態で1年以上経ってしまい、その存在すら忘れていた頃になってたまたまダンボールの中から発見したので、読んでみた。
まず、私の読後の感想というのは、非常に複雑なものであった。故人である著者の言っていることが、何か「彼自身の言葉」でないような、奇妙な感覚が第一に生じたのだ。
果たしてこういう須原氏の行為は、須原氏が書いているように、ただ「死に時」がきたようだから、死んでしまおう。ついては死ぬまでの記録や思考でも残そうか。」というような、日常的な文章には、どうしても私には思えなかったのだ。
須原氏については、本書で書かれている以外のことも、独自に調べてみたが、そういう須原氏のプライバシーについては、やはりここに書くべきではないことなので、書くことはやめておく。
65歳という年齢は現代では決して「老い過ぎた」という年齢ではない。むしろ一般的な社会では、仕事も定年を迎えて、第二の人生にでも入ろう、という年齢だ。しかし、須原氏はごく普通に、「老人」であり、「人生をもう十分堪能した」ということを言っている。しかし、そういうことが、全体のトーンとは全く合っていないのをどうしても感じてしまう。
私が思うに、須原氏はやはり「絶望」していたのだと思う。そしてその「絶望感」は、彼の学者としての「探究心」も、「日常生活の楽しみ」もどんどん侵食して奪っていったに違いない。もちろん、そういうことを裏づけるようなことは、本書には一切書いてはいない。これはあくまでも私なりに感じ、調べた上での個人的な感想に過ぎない。
そして更に言えば、鬱病であっても、こうした緻密な記録を残して自殺した例というのは、実際問題としては、特に珍しいことではない。
私は須原氏が鬱病であったとまでは言わないが、やはり「人生に絶望していた」のだと考えている。
本書を読んだ読者は、ゆめゆめ「自殺という生き方」もあるのかとは、思って欲しくない。絶対にそれは違う。違うのだ・・・。

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現代思想 vol.37−11 総特集マイケル・ジャクソン

現代思想 vol.37−11 総特集マイケル・ジャクソン

2009/11/13 00:56

とても残念な出来・・・・・。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まさか哲学・思想の専門誌として権威ある『現代思想』から「マイケル・ジャクソン」の臨時増刊号が出るとは思わなかった。
マイケルの突然の訃報は世界中の人々を驚かせ、彼のCDやDVD、そして写真集までが売り上げの上位にまで復活したことは、マイケル・ジャクソンが群を抜いた存在であったことを裏づけている。
そして、音楽雑誌や、『現代思想』と同じ青土社から出ている芸術系の月刊誌『ユリイカ』から出るならまだしも、『現代思想』から特集号が出たことは特筆に値することであろう。
もちろん、私も読んでみたが、準備不足からであろうか、どの記事や対談も急ごしらえの内容であるのは、何とも残念な限りであった。
マイケルほどのプライベートにおいても話題を欠かないような人物であれば、精神分析的、現象学的、表象文化論的な、様々な立場から焦点を移して論じることが可能であっただけに、ここはあせって急ぎすぎた編集部の責任は大きいと思う。
2,3ヶ月程度遅れても良かったから、編集方針をしっかりと固めてから発行して欲しかった。
本書は正直言って、『現代思想』という表紙を『ロッキンオン』に張り替えても全く違和感のないただの「マイケル・ジャクソン追悼号」の域を全く出てはいないので、編集部には猛省を促したい・・・。

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福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽

福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽

2009/10/28 19:33

本来は採点不能なのだが、巨悪事件のたびに出るこうした本について、多くの人に考えてみて欲しい。

75人中、59人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

こういう本が登場するようになったのはいつ頃からだろう。
著者が独自取材した、被告人の「生の声」も、確かに被告人から出た言葉なのかもしれないが、「これだけ時間が経てば、何とでも言える」というのが、私の正直な感想だ。

人間は、自分の命を守るためなら、どんな嘘もつくし、自分の命を脅かす目の前の状況に媚びることさえ簡単にする。
それは当然のことながら、「死にたくない」からだ。
殺された本村さんの奥様も、事件当時、自分の子供と自分自身を守るために精一杯の抵抗や回避の手段を模索したはずだ。しかし、二人の尊い命は簡単に失われ、死後に陵辱までされてしまった。

本書のタイトルと内容は容易変更することができる。

『本村さんの奥さんとお子さんを殺して何になる』

このようにタイトルの「主語」をかえて、このタイトルに対して著者である増田美智子氏に意見を求た時に、彼女はいったい何と答えるのであろうか?

私が著者の増田氏に言いたいことは、こういう逆の立場を真面目に考えた上で本書を書いたのかという疑問である。

世界の凶悪犯罪の90%以上は男性である。これは厳然たる事実なのだ。
先天的に男性存在がいかに危険な存在かということが、こうした事実から解ることであろう。
著者はこうしたデータす知らないかもしれない。

私も恥ずかしながら、「世界の危険な男性」の一人に入るが、被告人には同じ「世界の危険な男性」として、言いたい。
「あなたは、自己責任という言葉の意味を知っていますか?」と・・・。

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薬でうつは治るのか?

薬でうつは治るのか?

2009/10/27 19:16

新書では、最強・最善の「うつ病」に関する本かもしれない・・・たぶん。

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書の著者は、日本人女性では大変珍しい、ラカン派の分析家・精神科医である。
だからといって、本書はラカン派の立場で書かれているということは無いのだが、様々な観点からの経験を積んでいるという意味で、非常に読み応えのある本となっている。
本書で書かれていることは、安易な日本の薬物療法の現状に対して、警鐘を鳴らしているという内容である。
もちろんどの向精神薬の化学組成についても書いてあるし、それらが、どいう副作用を服用者に与えるかということまで、しっかりと書いてあるので非常に便利である。
ここ最近の精神医学革命と言えるような出来事と言えば、「SSRI」の登場であろう。「SSRI」とは「選択的セロトニン再取り込み阻害剤」の略称であり、要するに脳内物質である「セロトニン」をうまくコントロールする薬ということだ。
しかしいくら副作用が少ないとはいっても、副作用がないわけではなく、弱いにしても副作用は確実にある。そして、こういう薬はそれぞれの人との相性があるので、ある人には非常に有効であっても、別の人には発熱、便秘、吐き気などがあり、症状も好転しないということも当然ながらあり得るのだ。
うつ病はもはや国民病とまで言われ、毎年日本の自殺者が3万人を切ることはない状況がずっと続いているが、その自殺者の大半は「うつ病」であるというから、これは看過出来ない重要な問題である。
いまはうつ病についての本は山のように出ていて、そうい意味では助かるが、本当に有益な本というのは、極めて少ないといの実情である。
本書はそういう数多の「うつ病本」の中でも、手軽で、入手しやすく、かつ新書であるから、短くて読みやすいという、とてもいい本であると思う。
ただ、これは無理な要望なの百も承知しているのだが、精神科医自身がまず向精神薬を実際に飲んでみて、どいう副作用があるのかを自分なりにチェックしてみることも重要であると、私は思う。
何故ならば、患者が処方された薬を飲んでも副作用が強く、それを医者に伝達しても、その副作用がどれほど辛いものなのかを理解してくれない、という声が非常に多く存在しているという事実があるからだ。
私がなぜこういうことを書くかというと、実際にそれを行ってデータを採っている医者がいるからなのだ。
最近は患者の増加で、看板に「精神科」あるいは「心療内科」という診療項目を経験もない医者が掲げているケースが多いから、医者選び、病院選びというのもちゃんとしなければいけないであろう。

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今井俊満の真実

今井俊満の真実

2009/10/27 17:07

世界的大画家・今井俊満を知っていますか?

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今井俊満、この画家の名前をどれほどの人が知っているだろうか。
今井はフランスに渡り、「アンフォルメル」という芸術運動に参加していた日本人画家であるが、「アンフォルメル」というのは不定形の即興絵画のようなもので、感性の思うがままに描いていく運動だ。メンバーにはアメリカからサム・フランシスも加わって、大変大きなアートムーブメントとなった。
そしてそういう時代を生きた、今井俊満の人生が彼の口から「最後の口述筆記」として、本書の前半部を構成する。今井は癌を患っていて、2002年に73歳という年齢で逝去している。
今井は1997年には、フランス政府から民間人にとっては最高位となる、芸術勲章・コマンドールを受章している。これは大変なことである。
今井俊満の美術館を作ろうという動きが、色々なところからあったが、最終的には作られることはなかった。何故か?
具体名は避けるがI・Mさんなる人が(今井の財産を相続している)片っ端から、今井俊満の作品をしかも未完成と思われるものまで大量に売ってしまったからだ。これによって、今井俊満の作品の市場価値は大暴落してしまたのだ。それも信じられないくらいの低価格で手放したので、もう価格は回復のしようがないところまで落ちてしまった(ちなみに、この話しは画商の方から直接聞いた話しです)。
今井俊満が現代絵画の世界で行った価値は、あの草間彌生を完全に越えているほどのものだ。もちろん国立西洋美術館にも今井の作品が何点か収蔵されている。
さて、故・今井俊満氏に代わって、彼の作品に対する悲しい現状を書いたつもりだが、本書にはさすがにそこまでは書いていないからこそ、書かせてもらった次第である。
本書には、第1部として、今井の「最後の口述筆記」のほか、第2部は批評家や、生前に付き合いがあった人たちのコメントが載っている。浅田彰もコメントを寄せているが、生前仲が良かった割にはそっけないコメントだ。
今井俊満を歴史に埋もれさせてはいけない、ぜひ本書を読んで、さらには今井俊満の作品も実際に見て欲しいと、心より願わずにはいられない(合掌)。

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