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  3. 風紋さんのレビュー一覧

風紋さんのレビュー一覧

投稿者:風紋

179 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本チェ・ゲバラ伝 新装版

2001/02/22 19:56

ステリー作家によるロマンティックな革命家の伝記

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 エルネスト・ゲバラは1928年アルゼンチンに生まれ、1967年ボリビアで政府軍と交戦中に負傷して俘虜となり、翌日射殺された。享年39歳。「チェ」は愛称である。

 没後33年、世界的に新しいゲバラ・ブームだそうで、本書の復刊もその余波だろう(底本は1974年刊の文春文庫である)。

 ゲバラが銃をとって闘った土地はキューバ、コンゴ、ボリビアである。いずれもゲバラにとっては外国だ。祖国ではまったく活動していない。そして、志はキューバでは成就したが、他の二か国では挫折している。

 キューバにはカストロがいた。卓越した政治感覚の持ち主で、ゲリラ戦では政治的効果を計算して攻撃目標を選択し、国民に与える効果をねらって米国のジャーナリズムさえ利用した。これらにゲバラは当初異論を唱え、成果を見て後、自説を撤回している。古来戦さと政治は一体なのだが、政治的リアリスムはゲバラと縁が薄かったらしい。そして、バチスタ独裁政権下で人権無視と餓えに苦しむ農民は、カストロたちの反乱を支持した。

 他方、ゲバラが主役となったコンゴ、ボリビアでは、本書を読むかぎり、ゲリラを広く支持する農民(あるいは他の人民)の姿が見えてこない。本書のコンゴ時代を描いた補章に、ゲバラは失敗した理由を考えた、と書かれているが、考えた内容は書かれていない。言わずもがなということか。

 とはいえ、人間的な魅力にみちた人だったらしい。質素、勤勉、献身的で、率先して困難を引き受けた。キューバで権力を得て後も、公用車を私用に使わず、贈り物は自宅に持ち帰らず、要するに自己に厳しくて、ちっともラテン的でなかった。非常な読書家で、パブル・ネルーダを愛し、文才があった。著者は、その「澄んだ目」を繰り返し語るが、その思い入れは十分に伝わってくる。

(旅人/本の旅人/2001.02.18.)

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紙の本

紙の本発掘捏造

2001/07/23 23:35

歴史の歪曲を阻止したジャーナリズム、考古学の明日を探る

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1946年に岩宿遺跡(群馬県)が発見されて以来、旧石器時代の遺跡があいついで見つかった。しかし、これらはもっぱら後期旧石器時代(3万年前から1万年前まで)の遺跡だった。はたして日本人のルーツは3万年より前に遡るのか。これが1960年代から考古学界で論争の的となった。
 1981年、民間の考古学愛好グループ「石器文化談話会」は座散乱木遺跡(宮城県)で4万数千年前の地層から石器を発見し、論争に決着をつけた。「談話会」及び「談話会」から分かれて独立した「東北旧石器文化研究所」は、その後も矢つぎばやに前期旧石器時代のものと目される石器を発見していった。「日本最古」の発見を更新し、1999年には上高森遺跡(宮城県)で70万年以上も前の石器を発掘した。
 ……ということになっているが、じつは「石器文化談話会」及び「東北旧石器文化研究所」の主要メンバーであった藤村新一(敬称略、以下同じ)は、自ら埋めた石器を「発掘」していたのである。
 この事実をすっぱ抜いたのが毎日新聞。2000年11月5日、石器発掘捏造の報は日本列島を駆けめぐった。
 スクープにいたる経緯が本書の3分の2を占める。これはこれで興味深い。関係者のうちでひそかにささやかれていた疑惑をキャッチした記者、取材班の組織を決断した北海道支社報道部長、執念の取材、動かぬ証拠をつかんだ後の全社的対応。決定的瞬間をカメラにおさめた後も、藤村新一から直接取材するまで(発掘捏造を認めたのは2か所)、2週間も報道を抑えた慎重な姿勢。報道のあるべき姿のひとつがここに示されている。
 これはさて措き、考古学に多少関心を寄せる者は、本書の残り3分の1に注目するだろう。すなわち、第四章(報道の影響と課題)、座談会(佐原真・国立歴史民俗博物館長、馬場悠男・国立科学博物館人類研究部長、竹岡俊樹・共立女子大学非常勤講師、及び聞き手の橋本達明・毎日新聞東京本社編集局長)、前期旧石器問題を考えるシンポジウム(文部科学省科学研究費特定領域研究「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」考古学班の主催)である。
 歴史の歪曲がなぜ生じたのか。藤村新一が関わった旧石器遺跡は全国で186か所、うち33か所は直接発掘に関わっているが、これらをどう再評価するか(次第によっては日本の旧石器研究は根底から覆される)。
 報告書がないままマスコミの報道が過熱した事情、再検証法「褐鉄鉱」への注目など、発掘捏造が引き起こした混乱と考古学再生への試みが素人にもわかりやすく整理されている。
 ただ、読んでいて気になるのは、阿部謹也のいわゆる「世間」(参考文献:岩波新書『学問と「世間」』)である。ここで言う「世間」とは、仲間うちで狎れあい、この狎れあいを権力に変える関係である。たとえば馬場悠男は「後輩は先輩の業績を批判しない。批判すると恨まれる。若いうちにやるとまともな職に就けない。」と指摘する(シンポジウムにおける基調講演)。こうした「世間」が維持されるかぎり、検証されないまま「発見」がひとり歩きするような事態がふたたび生じないとは限らない。

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紙の本

紙の本サポセン黙示録 2

2001/11/27 18:17

仁義なき質問・苦情に泣き笑いするサポートセンターの裏話

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 サポセンはすなわちサポートセンター、各種企業の一部門で、ユーザーからの質問などに対処する。
 本書は、サポセン勤務者ほかの実体験談を満載する。いずれも抱腹絶倒の裏話である。第1巻と同じく、日経ネットナビが主催するホームページ大王2001年グランプリを獲得した「絶対サポセン黙示録」、及びその管理者による同人誌の記事を抜粋、編集したものだ。ホームページそのままに顔文字や拡大文字を頻用しているから、ネットサーファーには親しみやすいだろう。
 ところで、何がサポセンで働く者にため息をつかせ、読者の笑いを誘うのか。多くは「お客様」の無知である。無知は無恥と紙一重だ。たとえば「今まで通じていたのにプロバイダに接続できなくなった」と苦情を持ちこんだ男性。パソコンにわりと詳しく、できることはすべてやった上でハードの故障を疑ったらしい。サポセン君、怒り狂う彼に代わってプロバイダへ照会した。そこで明かされたのは衝撃的な真相。「そのお客様ですが……数ヶ月前から料金を滞納されて(中略)アカウント停止状態になっています」。
 第1巻の話題はもっぱらパソコンだったが、本書では別の話題が増えている。たとえば、「北海道って何県ですか」と上司に尋ねたり「宮崎県仙台市」と送り状に書くOLの例が投稿されている。浜の真砂は尽きるとも、蒙昧と奇行の種は尽きないらしい。
 本書にはサポセンとの「付き合い方」の一章がある。聞きたいことを事前にメモしておく(聞き漏らしがない)、最初に最重点事項を話す(聞く側はポイントを掴みやすい)など。質問する前に説明書を読むのは当然の配慮だが、実行されていないらしく、末尾に「お願いします」と切ない。要領を得ないマニュアルがあるのも事実だけれど。 (bk1ブックナビゲーター:旅人/本の旅人)

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紙の本

紙の本まつを媼百歳を生きる力

2001/11/12 22:16

明治・大正・昭和・平成の四代を生き抜いた女性の芯のとおった一生

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 伊藤まつを、明治27年、平成5年没。享年98歳。岩手師範学校を卒業後教職に就き、17年後に辞して農業に専念した。七男二女がある。
 媼が76歳のとき刊行した自伝『石ころのはるかな道』(講談社、1970)に感激した著者は媼を訪れ、23年間にわたる付き合いがはじまった。
 多年の聞き書きをまとめたのが本書である。二部構成で、前半は東北の寒村に生きた女性の一代記である。後半は、回想もまじるが、話題は表現力豊かな高齢者が伝える老いの諸相が主になる。
 読者はまずペスタロッチに学んだ理想主義的な生涯に驚かされるだろう。粘り強い実践力に裏打ちされているのが特徴だ。生活改善に率先して取り組み(台所に井戸を掘り、膳を飯台に替えた)、農村の女性の地位向上に尽力した(婦人会を率い、文化無尽で女性の自由になる資金をつくった)。教員時代の教え子が多数地域にいたから、影響力は大きかったらしい。
 老いては、亡夫の日記抄の刊行ほか次々に仕事を見つけて、充実した日々を過ごす。長寿の秘訣は「希望が絶えないことだ」とは媼は喝破する。他方、五感ことに聴覚、視覚、触覚の衰えを正確に自覚し、ボケの可能性に思いをいたす(亡くなる直前まで明晰であった)。
 ところで、夫君は何をしていたか。政治をしていた。20代で就任した村会議員をふりだしに、戦前は村長、戦後は町制移行に伴う初代町長を勤めた。家庭では亭主関白、暴君に近かったらしい。頑固も頑固、媼の生活改善に対する最大の壁は夫だった。しかし、彼の80年間の日記には糟糠の妻に対する深い愛情に満ちている。明治人は日常における愛情の表現が不得手だったらしい。
 聞き書きだから方言が混じって、かえって媼の人となりをよく伝える。「宇宙」と一体化したかのような純な魂、柔軟かつ老いてなお滾々と湧く活力、そしてたくまざるユーモア。本書は、女性による女性のための本だが、男性にも魅力はつきない。 (bk1ブックナビゲーター:旅人/本の旅人)

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紙の本

「仕事」の観点からする現代若者気質

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 8人の青春が素描される。彼らに共通するのは、就労に意味を見出せないか、就いた仕事になじめなかった経験をもつ点だ。
 3人は就労経験がない。たとえば長澤貫行。高1で退学してから30歳まで、社会的引きこもりの人だった。不登校児の施設ではプライバシーのない共同生活に耐えられず、かといっては単身上京して一人で暮らすと孤独に苛まれて親へ電話をかけまくった。
 就労経験のある5人も、就いた仕事やその職場に適応していない。
 たとえばトヨタカローラの営業マン武田明弘。外まわりが性に合わず、当然ながら営業成績は不振をきわめた。加えて職場の独特の人間関係に疲れはて、毎日「辞めたい」と思いながら通勤する。
 実際にサラリーマンを辞めたのは萩川喜和(仮名)。高卒後スキー用品店へ就職するが、スキーに情熱を持たず、勉強はせず、売り上げは低迷。店長の励ましで発奮するが、やはり仕事に誇りを持てずに退職。しかし、高齢者福祉に自分の進むべき道を見つけて転身した。
 こうした幸福な発見ないし出会いのない者はフリーターになる。1997年現在、全国のフリーターは約151万人、1982年の3倍に達っすると言う。
 本書は、惑い、模索し続ける青春を通じて、社会とは何か、大人になるとは何かを問う。
 第一級のプロたちの青春を犀利な文体で簡潔に記した立花隆『青春放浪』(スコラ、1985)に比べると、本書は登場人物が依然として「途上」にあるし、文章には若書きの粗さが目立つ。しかし、著者は立場(高校中退)や年代(大学3年生のときに取材を開始)をほぼ同じくする故か、登場人物に対する共感がにじみ出ていて、若い読者の注意を引きそうだ。
 ところで、本書にも『青春放浪』にも女性が全く登場していない。その理由は両著で異なるだろうが、男性には主婦という職業が……まったくないわけではない(主夫もある)にせよ、ごく少数であることが一因ではなかろうか。 (bk1ブックナビゲーター:旅人/本の旅人 2001.09.28)

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紙の本

紙の本60億人の地球家族

2001/08/27 20:35

世界の子どもたち百相——発展途上国から先進国まで、それぞれの社会の現実の中で可能性に挑む

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 世界各国の子どもたち37ケースが5つのテーマの下に紹介される。テーマは、貧困、戦争、家族、挑戦、夢である。
 第1章「貧困」では、航空機の車輪格納庫に密航をくわだてて凍死した14歳と15歳の少年二人(ギアナ)から、町工場で11時間働いて家計を助ける12歳の少年(イラン)まで。
 第2章「戦争」では、スマトラ島北端のアチェ特別州でゲリラ活動に挺身する14歳の少女(インドネシア)から、1999年10月、世界で60億人目に生まれた赤ちゃんオグニェン(セルビア)まで。
 第3章「家族」では……いや、列挙するときりがない。世界人口の3分の1は子どもなのだから。たまたまこの本に登場することになった少年少女は、浜の真砂の一粒にすぎない。とはいえ、彼または彼女は特殊な例ではない。その置かれている立場を同じくする子どもも、浜の真砂ほどいる。
 たとえば先に引いたギアナの少年の一人ヤギンに即して言えば、食事をとらない日もある極貧生活は、ギアナの子どもたち、さらに国境を越えた他の国にも見出すことができる。
 インドの首都デリーで働く40万人の子どももそうだ。その多くは虐待や貧困などの理由で路上生活を送るにいたった。くず拾いで一日40ルピー(約96円)を稼ぎ、餓えをしのぐ。
 幸い、デリーでは支援組織がある。1991年に設立された子ども労働組合がそれで、組合員のうちには貯金して通信教育を受けようとする子どももいる。
 ギアナの少年ヤギンにも向学心があった。中学校の成績は良好、密航も欧州で学ぶのが目的だったらしい。フランスには、ヤギンの生別した母が暮らしていた。この悲惨な事件に救いがあるとすれば、自分が置かれた社会的条件を乗り越えようとした意志である。
 子どものもつ可能性は、恵まれた社会的条件の中では、大きく開花する。たとえば迷惑メール排除の会社を起こしたキャメロット・ジョンソン、15歳。あるいは人気ソフトを制作して1億円相当の資産を得たリシ・バート、16歳。いずれも米国の話である。
 所与の社会的条件に流されず、可能性へ挑戦する姿勢は、多かれ少なかれ本書の登場人物すべてに共通する。重く暗い現実を多数報告するにもかかわらず、本書がふしぎと明るい読後感を残すのは、そのせいだろう。
 日本でも採用が検討されてよい制度や事業もいくつか紹介されている。たとえば、被告人も陪審員も十代の「少年法廷」(米国)。全米に650か所あり、十代の犯罪者は同世代の者から厳しく評価されるせいか、少年法廷で裁かれた者の再犯率は家庭裁判所のそれにくらべて格段に低い、というデータがある。
 美談調が少々気になるけれども、教育や福祉にたずさわる大人はもとより、中学生や高校生が一読してよい一冊である。

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紙の本

不況の時代の新しい生き方読本

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 長引く不況は、個人と社会の価値観を変容させた。
 個人においては、従来正統的とされてきた生活のスタイルが見なおされた。たとえば、ある33歳の女性は、11年間勤めた商社を退職して、子ども時代からの夢であるイラストレーターになるためにニューヨークの美術大学へ進んだ。あるいは、別の27歳の女性は、花火への思いやみがたく、OLを辞めて、きつい、汚い、危険の「3K職場の典型のような」花火メーカーに転職した。
 会社経営のスタイルも変わった。かたや、事業リーダーもメンバーも公募、実力主義と競争原理を徹底させて、1994年度以降5年連続で利益が二桁増のミスミ(東証一部上場)。かたや、社長を置かず、役員はすべて平取締役、社員のすべてが何らかの形で経営の意思決定に参加し、ボーナスの査定は廃止、年功序列を堅持して65歳の実質定年まで雇用しつつも赤字とは無縁で大企業に劣らない賃金水準を維持する白光(大阪市)。
 本書には、こうした個性的な生き方、創造的な経営のしかたの実例が45件、報告されている。
「自立」とは何か。本書の事例からすると、既成の社会通念や組織の惰性になずむことなく、志をたいせつにして自分の生きる道を選択することであり、あるいは時代に機敏に対応した組織改革や起業を行うことである。言うは易く、行うは難しい。じじつ、ある30代の男性は父子関係を重視して父親育児休暇を取ったために「事実上の左遷」となり、別の50歳の男性は一人暮らしの高齢者が集える食堂を開いて年収が半減した。自分の「こころ」を大切にして社会通念とは異なる生き方をすれば、それだけの犠牲を払わねばならないのだ。組織においても同様のことが言える。
 とはいえ、時代の変化は、人々に厳しい要請をするだけではなくて、それまで不遇だった人に光をあてた。たとえば、ある下肢障害者は、パソコンを使った在宅勤務、SOHOと出会ったおかげで社会参加が可能になり、安定した収入を得るにいたった。
 そもそも、時代は一方的に人へ与えられるだけではなくて、人がつくりだすものでもある。民間非営利団体(NPO)をはじめ、環境保護から手作りの祭りまで地域に広がった市民運動がこの点をよく示す。
 本書は、旧套を墨守しない生き方、組織のあり方を探る人々に示唆を与えてくれる。新聞掲載時から若干の期間をおいて追跡した「追録」には、記者の肉声も加わっているから親しみやすい。また、連絡先や関連するホームページのサイトが付記されているから、より深く知りたい読者にとって便利である。

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紙の本

ユダヤ人の宗教及び社会、現代イスラエルに係る手頃な入門書

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 本書は、ユダヤ人の宗教とその社会、そして現代のイスラエルという国家をわかりやすく紹介する。手頃な分量だし、読みやすい構成だ。「2時間でわかる」と銘打つのも、あながち誇大な宣伝ではない。

 ただ、注意しなければならないのは、著者の立場である。

 イスラエルは、敵意あるアラブ諸国の大海に浮遊する小舟である。1948年の建国以来、周囲の国々と戦さを重ねてきた。1993年にイスラエルとPLOが相互承認したことで紛争は一段落したかに見えたが、その後政治情勢は変転し、混迷の度を加えた。2001年3月現在、中東和平の見通しはたってない。かかる国に関して中立の立場に立つのはすこぶる難しい。

 著者の立場は明白である。たとえば、パレスチナ難民については、ほとんど言及されていない。わずかに言及されている箇所では、イスラエル建国当時「戦争でパレスチナ人の難民問題が生まれ、ユダヤ人側にもほぼ同数のユダヤ人難民が発生しました。アラブ諸国から追い出されたのです。」と書くのみ。お互いさま、というわけだ。ユダヤ人難民が生じたのは事実であり、この事実がしばしばマスコミの話題となるパレスチナ難民にくらべて看過されているのはたしかである。だから双方を公平に見ているかのようだが、やはり現実に存在する激しい抗争を軽視しているとの印象はまぬがれない。

 とはいえ、極力客観的な情報を提供しようとしている姿勢は伺えるから、本書は一つ手がかり、さらに先に進むための一つの資料として活用できる。その意味で、参考文献の紹介があれば親切だった、と思う。

(旅人/本の旅人/2001.03.25.)

●編集者コメント

ユダヤ人が「私はユダヤ人です」と言うとき、それはまるで「私は日本人です」と言っているのと同じように聞こえるが、実際には大きな隔たりがある。日本で生まれ、育ち、日本という国を持つ私たちの多くは、意識することなく「日本人」として生きていける。しかし2000年もの間、自分の国がほとんど存在しなかったユダヤ人たちが、国を無くしてもなおずっと「ユダヤ人」であり続けていることは驚くべきことである。彼らは、なぜそのようなことができるのか、その強さはどこから来るのか、ユダヤ人とはどのような人々なのか、そして、ユダヤ人国家イスラエルとはどのような国なのか、本書で明らかにする。

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紙の本

現代フィリピン小百科

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 フィリピンは、日本に近くて遠い国である。距離は近いが、入ってくる情報は合衆国やヨーロッパにくらべて格段に乏しいからである。

 さいわい、本書が刊行された。「地球の歩き方」ふうの旅行案内や単なる体験談とは一線を画する。59のテーマに各分野の専門家が肉迫する。高所からする啓蒙的解説もあるが、総じてこの国に生きる民と同じ視座に立って移りゆく社会相を追っている。

 59の各章は独立しているが、相互に有機的関連をもち、全体は5つのテーマに大別される。すなわち歴史、社会と文化、政治、経済、国際関係である。通読すれば、現代フィリピンの全貌が浮き彫りにされるしくみである。最終章の第60章は、参考文献の紹介である。

 フィリピンという鏡によって日本を見つめなおした一例が第11章で紹介されている。ユング学者の河合隼雄は、欧米との比較から日本は母性原理にもとづく社会である、とかつて喝破した。しかし、フィリピン滞在後、フィリピンこそ母性社会であり、日本の社会は母性と父性の「中間構造」である、と理論を修正したのである。

 かくて、読者は、本書を通じてフィリピンと日本の双方について認識を新たにすることができるだろう。

 苦言を一つ。本書は現代フィリピン入門として格好なのだが、惜しむらくはこの手の本に必須の索引を欠いている。年表もない。フィリピン全図はあるが、あまりにもおおまかすぎて、本文に出てくる土地を確かめようとしても、載っていない場合が多い。改版の際には工夫してもらいたい。

(旅人/本の旅人/2001.03.12.)

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紙の本

紙の本スーパーマンへの手紙

2001/03/02 20:15

不屈の意志を支えた数多くの人々

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 スーパーマンは米国の英雄だが、スーパーマンを演じる役者には不遇が待ち受けているらしい。TVドラマで初めてスーパーマン役を演じたジョージ・アリンはアルツハイマー病になり、彼のあとを継いだジョージ・リーブスは45歳で自殺した。そしてクリストファー・リーブもまた人気絶頂のさなかの1955年5月27日に、落馬して脊髄を損傷し、四肢麻痺の身となった。

 しかし、リーブは前二者と異なり、不屈の意志で闘病し、ふたたび映画界に甦る。このあたりの事情は、リーブ自身の手記『車椅子のヒーロー(原題”STILL ME”)』(布施由紀子訳、徳間書店、1998)に詳しい。

 もともと気骨のある人物だったらしい。たとえばアムネスティの活動を支援する一環として、1987年、チリに飛び、軍事政権により死に直面していた俳優たち77名を救っている。

 とはいえ、個人の意思だけでは復活できなかったに違いない。家族の支えが大きかったはずで、その家族は数多くのファンや友人から支えられた。おそらくリーブ自身も。

 受傷後ぞくぞくと寄せられた手紙は、3週間で3万5千通。その後もとぎれず、書き手は米国の全州に加えて十数か国に広がる。日本からも千羽鶴が送られた。これらの書簡を一部抜粋し、テーマ別に編集したのが本書である。

 クリスのファンならば、間奏曲ふうに挿入される「あのころのあなたは」を最初に読むとよい。小学生時代の老担任教師から偶然言葉をかわした人たちまで、さまざまな出会いが証言されている。

 映画ファンならば、「楽屋裏」から入ろう。キャサリーン・ヘップバーンたち錚々たる俳優・女優、監督たちの熱い友情の言葉を目にすることができる。ことにエマ・トンプソンの手紙がよい。役柄から受ける印象そのままに、愕きと哀しみにみちた心情を切々と、しかし控えめに綴っている。

 全体として明るく、笑わせる文面が多いのは、米国人の国民性なのか、編者の選択の結果なのか。「子供たち」はもとより「みんなの願いと祈り」も読んで楽しい。真摯な助言を集めた「治療法と癒し」さえ、ほのかなユーモアが漂う。

 趣が他とやや異なるのは、「逆境を乗りこえて」。病気や障害のちがいはあっても、クリスと同じような立場に立つ人々やその家族から寄せられた手紙の数々である。そのいずれも、自分のことだけでも精一杯であるはずだと思われる人々が励ましの言葉を贈っているのだ。

 本書を通読すると、生きているだけで、それだけで十分に貴重なのだ、という思いを新たにする。

(旅人/本の旅人/2001.02.27.)

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紙の本お茶屋遊びを知っといやすか

2001/02/13 18:30

女性の女性による女性のための祇園物語

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 本書の著者は山本雅子となっているが、制作プロデューサーの風間純子による聞き書きである。

 風間純子は、茶屋「山本」の女将に「本物の京都」を見つけ、「一芸に秀でたお姉さんたちの本当の美しさ」に鼓舞され、癒され、自分を取り戻すことができたらしい。この体験を同性に分かちたい、という意図をあとがきに記している。要するに、本書は女性の女性による女性のための祇園物語なのだ。

 とはいえ、男性にとっても十分におもしろい。祇園甲部に82軒ある茶屋の経営の極意を垣間見ることができる。接客術さえ学ぶことができる。話題豊富、非常に穏やか、客を絶対に怒らせない、というのが祇園の芸妓なのだ。そしてユーモアにウィット。

 古都の四季の移ろいに祭りや行事、季節ごとの味覚となれば、男女の差はない。

 惜しまれるのは文体である。私たちは聞き書きの傑作、『鞍馬天狗のおじさんは——聞書アラカン一代——』(竹中労)を持っている。あるいは佳作、『きつねうどん口伝』(宇佐美辰一・述、三好広一郎/三好つや子・聞き書き)をもつ。いずれも語り口の妙が生かされていて、語り手の人となりが滲みでている。この点、本書はいささか整理されすぎていて、「山本のおかあさん」の素顔が見えにくい。京都弁をわずかに挿入される会話の場面に限定したせいで、どこかしらよそよそしい。地の文にも取りいれるべきであった。さすれば、祇園がかもしだす「はんなり」の感覚、すなわち優雅、ゆとり、暖かさがもっと匂いやかに伝わってきたはずだ。

(旅人/本の旅人/2001.02.05.)

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紙の本

普通の人々の厚みのある人生模様

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 ユダヤ人には、旧約「エステル記」にあるように「わが家系の記録」を記録し、朗読する習慣がある。本書は、女性の視点にたつ「わが家系の記録」である。ただし、原題『彼女はどこから来たのか:ある娘によるその母の経歴の探索』のとおり、母フランシスに焦点があてられている。本書の読みどころは二点あると思う。

 第一に、母子関係である。母に先立つ祖母ヨゼフィン(ペピ)まで遡ることで、祖母と母の母子関係が浮き彫りにされるが、それは母と娘の母子関係と重なるのであった。すなわち、本書には三代にわたる二つの母子関係が描かれる。娘ヘレンは「あらゆるものを母の目と心を通して見てきた」と漏らすが、母フランシスもまた、祖母ペピが経営する職場で育ち、同じ職業ドレス・メーカーの道を歩んだ人であった。

 第二に、チェコ・ユダヤ人のアイデンティティである。祖父母には、自分たちがユダヤ人であるという意識は乏しかったらしい。ことに豪商の祖父は、自らの帰属集団をプラハのドイツ貴族社会に置き、ユダヤ・コミュニティとはまったく交わらなかった。母が産まれるやいなや、カトリック教会で受洗させている。子ども時代の母は、通ったフランス系の学校で、ユダヤ人に対するいじめが起きるといじめる側に加担している。だが、本人の自意識に頓着なく、ナチス・ドイツは祖父母も母もユダヤ人と同定し、強制収容所へ送った。迫害される立場を同じくすることで、母はいやおうなくユダヤ人社会に組みこまれていき、同胞の相互支援の輪の中に入ることで生き延びた。

 ところで、祖母ペピにせよ母フランシスにせよ特別な業績を世に残した人ではない。個性的ではあるが、古今東西、どこにでもいる一人である。生活のために働き、無力感から自殺を念慮し、服の創造という喜びによって不実な夫に耐える……。こうした女性なら、他にも数多くいたし、これからもいるにちがいない。だが、その無名の人には他に代えがたい人生が存在した。その娘(孫)がたまたまジャーナリストであるがゆえに、ありふれた人のこうした厚みのある人生が発掘されたのだ。読者の感銘を呼ぶのはこの点にある、と思う。

(旅人/本の旅人)

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紙の本

海に生き、海に死んだ男たちへの挽歌

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 冒険小説以上に血沸き肉踊るノンフィクションである。

 時は17世紀。ヨーロッパは、まだ正確な世界地図を持っていなかった。海路、北極を経由して東洋の香料諸島に到達できるはずだと信じる探検家もいた時代である。喜望峰をまわるルートが開発されていたが、損害が大きかった。イギリス東インド会社は、1601年以来10年間余に三つの船団、延べ12隻と1200人を送り出したが、三隻のうち一隻は沈没ないし行方不明になり、800人が死んだ。悪天候、暑熱、悪疫、壊血病、異文化の民による襲撃、事故によって。東洋航路は、まさしく冒険そのものであった。

 加えて、国家間の争いがあった。オランダ東インド会社は膨大な資本力にものをいわせて大型の船舶を多数派遣して、陸海軍力によって先行のポルトガルを駆逐し、通商上の要地を要塞化した。資本力に劣るイギリス東インド会社が派遣する小型船舶は、いたるところでオランダから圧迫を受けた。

 当時も今もおなじだが、組織において、本部との情報が途絶している末端の動き方は、その出先機関のトップの器量次第である。たとえば、三次遠征隊で小さな船の長をつとめたデイヴィッド・ミドルトンは、きわめて効率的に行動した。東インド諸島までごく短期間で往復し、人命の損失も最小限にとどめている。

 個性的な船長たちのうちで、本書はナサニエル・コートホープに多くの紙数を割く(原題は『ナサニエルのナツメグ』である)。彼は、覇権を誇るオランダに対して、モルッカ諸島のやや南東方、バンダ諸島のうちナツメグ豊富なルン島にこもって抵抗を続けた。水も食糧も乏しい中、島民と小数の部下とをよく信服させ、戦略的な才能も発揮した。暗殺されなかったら、抵抗はさらに続いたにちがいない。

 いささか美談めいたこのくだりに、著者のナショナリズムを感じとる読者もいるだろう。海外に雄飛した日本人もしばしば登場するのだが、ジャンクに乗った無表情な海賊、オランダ側の傭兵、長刀による斬首……といずれも物騒な一面しか描かれていない。このあたりにも、著者の英国一辺倒な姿勢を見てとることができる。

 本書には書かれていないが、英蘭両国の力関係は18世紀後半になると完全に逆転する。

(旅人/本の旅人)

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紙の本

「住民主体の自治体創出の試み」

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 本書は、「地方自治体の変化こそが、国の変化を促す」という観点から、28の地方自治体における新しい取り組みを、その開始の経過や鍵となる事項に重点を置いて報告する。

 福祉、環境、教育など八つのテーマに大別される。

 たとえば、情報公開。住民との「情報共有」まで徹底したのは北海道ニコセ町である。誰にでもわかる予算説明書を作成しているのだ。A4サイズ、約130ページ。写真、表が盛り込まれ、字体も見やすい。説明は、具体的である。道路補修整備事業を見ると、予算額だけではなくて施行場所まで記されている。この予算説明書は、縦割り行政を打破する副次的効果もある。役場の職員にしてみれば、自分の仕事が他のどの分野に関わるかを把握しやすいからだ。

 予算を知ることから予算配分への関与まで、ほんの一歩の距離である。一例をあげれば、全国で初めて平成5年9月に24時間ホームヘルスサービスを開始した秋田県鷹巣町。福祉政策は、ワーキンググループに住民が参加し、検討し、合意のうえ決定される。

「私たち、国民一人ひとりが、決定権をもてる能力を有しているという自信をもつことが大事だ」と著者は言う。

 住民参加も行政の自己変革も、まだ始まったばかりにすぎない。「挑戦」とタイトルにある所以である。されば、住民の住民による住民のための地方自治実現を志す人々にとって、本書はよき水先案内になるだろう。自治体の職員は、他の自治体で行われていることに興味があっても、その情報を得る機会は多くない。その意味で、自治体の職員にも資するところが大であろう。

 ただし、この手の著作の性質上、負の側面には言及されていない。

 たとえば、群馬県太田市は、市庁舎内清掃の民間委託をやめて職員がおこなうことにした。住民サービスのプロたちの時間を一部割いて庁舎の清掃に振りむけたわけだ。コスト・ダウンを評価するか、もったいないと見るか、評価が分かれるところだ。

(旅人/本の旅人)

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紙の本

紙の本ついていく父親

2000/12/19 14:13

「子育て困難な時代の親子関係論」

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 子育て受難の時代である。いじめ、不登校、学級崩壊、児童虐待……解決にこれといった決め手のない問題ばかりだ。だから議論百出する。本書は、今日の親子関係を「家族のエロス」の低下に着目して議論を展開する。

「家族のエロス」とは、家族の一員が他の家族を受けとめる力のことである。その低下の有力な原因は女性に「自分」が出現したためだ、と著者は言う。出産は「自分」のために、といった意識のことだ。

 これはこれで何ら不都合はない、と思う。けれども、この結果、母親が自分の不満を容易に子どもに転嫁することになったならば、看過できない。かって、母子心中は母子未分離の心理に起因する、と指摘されたことがある。子どもの独立した人格を認めない点で昔も今も変わりがなく、しかも母親に対する子どもの従属性が強まったことになる。

 じつは、本書の焦点は父親にあてられている。ことに、保育と就学を最高の価値とする教育家族における「教導する父」である。父親は教導し、母親は父親に随順するという関係が典型らしい。父親は、わが子に、自分と同じような、あるいは逆に自分がはたせなかった高学歴を期待するのだ。期待は、しばしば通学や塾の強制という形をとる。学校との関係では、父親は学校という権威・権力と子どもをつなぐ役割しか果たさないケースを著者は紹介する。子どもの側には立たず、子ども自身のあるがままを受け入れないのである。すなわち、家族のエロスの低下である。ここでも、子どもの独立した人格を認めていない。

 本書の基調低音をなすのは、子どもの自己決定権尊重である。

 当然と言えば当然の話だ。しかし、実行はさほど容易ではないだろう、と思う。親の価値観を子どもに押しつけないためには、親は自分の価値観を相対化する作業が必要だからだ。母親においても、父親においても。後者の場合、社会、ことに父親がその中で働く集団、端的には会社の価値観と重なる傾向があるから、会社にとっぷりと身も心もひたす生き方が問われる。

(旅人/本の旅人)

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