紙の本
タイトルからは食べることがメインである印象を受けますが、読めば現代史そのものが中心にあることが分かります。世界の本当の姿がここにあります
2007/02/16 20:45
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、画集について書いたことがある諏訪敦が、自分のHPで取上げていた本です。もし彼が日記で触れていなかったら、私はこのドキュメントの著者が、諏訪の代表作の一つである〈ジャーナリスト 佐藤和孝氏の肖像〉(1995-7、8号M、テンペラ、油彩)のモデルその人であるとは気付きもせず、また読まなかったかもしれません。
いきなり脱線ですが、私はこの作品を実際に見ているんです。いわゆる好男子ではありません。決して大きくはない画布上の男性像は、てっきりどこかの山岳民族の人だと思ったくらい、眼光は鋭く、への字に引き締められた口元、刻み込まれた眉間の皺は、正直、人すら食べかねない、画面のサイズを忘れさせる迫力に満ちたものでした。
諏訪は自らの作品の解説で、佐藤氏について
「イラク報道、アフガン報道でビデオ・ジャーナリストというありかたの価値を一気に引き上げ、知らしめた感のあるひと。特にイラク報道では報道の根本の問題を浮き彫りにしたようで、多くの論議を呼んだのは記憶に新しい。彼の 仕事にかけている姿勢は現場に居ることの絶対性をいつも再確認させられる。
私がまだ学生だった12年程前に知り合ったが、自分の子供っぽさにひきかえ大変なおとなを見た気がしたものだった。 その頃の佐藤さんの年齢と現在の私のそれがほぼ変わらなくなったのに気がついて唖然とした。が、あの距離感は永久に縮まる事はあり得ないと思われる。
日本にいる時の穏やかな様子とテレビを通 して見た時の獰猛ささえ感じられる表情のギャップにはいつも不思議な気持ちにさせられる。」
と書いています。二人の間には凡そ10歳の年齢差がありますから、知り合った時期は諏訪20代、佐藤30代となります。私が見た作品は1995年作だそうですから、この本で言えば佐藤が頻繁にアフガニスタンを訪れていた時期にあたるのでしょう。記事を読めば、彼の表情が決して甘いものになりえなかったことが分ります。
内容についてですが、帯とカバー、目次で語ってもらうことにして、感想を書いておきましょう。まず、単なる食事の本として読み始めてください。ああ、テロリストたちはこんなに貧しい食事をしているんだな、とか反政府ゲリラはこんなものしか食べていないんだなとか、そんな感想を持つかもしれません。
でも、知らないうちにあなたは自分が現代史を、民族紛争が絶えず、そのなかで権力が人々を抑圧し、民族が民族を弾圧し、人が人を殺し、女が男に犯され、子供を殺された親が絶望することを、それでも人は餓え、渇き、僅かな食事を、少しの水を求めていかないわけにはいかないことを知るはずです。
この本では、マスコミの報道が殆どなされないアルバニア、チェチェン、アチェの報告に、なんともいえない気持ちになりました。そして我が国が深く関与したイラク戦争、そこでの自衛隊や外務省の佐藤への応対ぶりや、当時、自衛隊派兵を決めた小泉首相の香田証生さん見殺しの対応に、今さらながらに憤りを覚えずにはいられませんでした。
外務省の無策、自衛隊の「見せたいものしか報道させない」姿勢。そして国民の命を守ろうともしない政府。これで何が国連の常任理事国だ、どの面下げて防衛庁を省にした、なんて喚きたくなります。それにしても、国民に殆ど議論をさせないままの今回の防衛省昇格、国会と国民との乖離がここまで大きいとは・・・。簡単に憲法を変えさせないためにも、世界の本当の姿を知るためにも、是非お読みください。諏訪がなぜ佐藤を尊敬するのか、よく分るはずです。
帯の言葉を書いておきます。
「イラク、アフガン、サラエボ、チェチェン——死と隣り合わせの食卓。」
紙の本
戦闘地域での日常
2009/12/04 12:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Shinji@py - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名に惹かれてこの本を読んだ。
戦場カメラマンとして第一人者である著者の武勇伝を期待したが、
いい方向に裏切られた。内容は戦場での食事、日常である。
そして戦闘地域で感じた素直な驚きと失敗談。
飾りのない体験談を身近に感じた。
どこのゲリラの飯がうまいかが話題になる日常。
少年がAK47自動小銃を持って自転車に乗る日常。
素手で不発弾を処理する日常。
淡々と書いてあるから引き込まれるが、死と隣り合わせの日常が続く。
野外の電球の周りは虫が集まるので、皿に入らないように
暗闇で食事を取る。ぼくがわかるのはせめてこれくらいだ。
自分のことで恐縮だが、
就職のとき、「ベトナムに行ったか」というアンケートの質問に
意味もわからずNOと書いた。ベトナムとはあのことだと後でわかった。
緑の迷彩服は珍しくないが、生地のしっかりした砂漠色の迷彩服を
街で何度も見かけて、この国は今も戦争をしていることに気がついた。
アメリカに来てすぐのことだ。
ぼくには知らないことが多すぎると思った。
素人が危険な地域に行くのは無謀なだけだと思うが、著者の言う
「未知のことに対する恐怖より、それを知りたいと思う好奇心」
という気持ちはわかるような気がする。
こういう本を若い人に薦めていいか、これはよくわからない。
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戦争の中のどんな状況下においても、やっぱり人はご飯を食べる。当たり前のことだけれど、テレビやなんかで戦争の様子をみていると、そういうことには想像が及ばない。
でもきっと、そこにある人間の欲求や生活を考えながら、事実を見ていかないといけないのだと思う。
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極限的状況の中で、食べることと食卓を描く。
どんななかでも食卓はあり、食べされているのであるが、十分に味われているのは、平和や安息が保たれてこそである。
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★企画が走り過ぎた★「戦場」の部分はおもしろいが、「メシ」の絡み方がいまひとつ。切り口を変えた紛争ものを狙ったのだろうが、この点では『もの食う人々』の方が読み応えがある。とはいえ、戦場の話の迫力は十分。サラエボやイラクなど、なかなか実感できない現場の空気が伝わってくる。
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食べることの喜びは、平和の証でもあるのだと思う。戦場であれば、それは一時のことかもしれないが、食事を囲む人は基本的に笑顔だ。そして、大切なことは美味しいものを食べることよりも、美味しく食べることであると思う。
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世界中の紛争地を取材してまわる著者が、その国々であったことと共にその国の料理を紹介していく話でした。
読んでいてイスラームがメジャーな宗教となっている国の料理はとても美味しそうでしたね。
羊のお肉と香辛料を使った料理はよだれが止まらなかった。
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タイトルにある食事よりも、筆者の戦場レポートが主でした。
個人的にはその状況下での食事のあり方とか、食糧調達などもう少し詳しく知りたいとは思いましたが。
戦場ジャーナリストが伝える戦時下の状況は、当時ニュースで見ていた映像を更にリアルに感じさせてくれます。
記憶に新しいイラク戦争も、当時はやはりテレビの中のこと、としか受け取れていなかったのかもしれません。
実際にその場にいた方の話を今読んで、胸が締め付けられるような思いがします。(2010年6月19日読了)
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[ 内容 ]
死と隣りあわせで人は何を食べるのか?
戦場からの中継でお馴染みのジャーナリストが食べることに拘り、世界の紛争地に生きる人たちの実態を迫真レポートする。
雪山行軍中のアフガン・ゲリラとかじったナンの味、食料がないながらも「食う」ことに貪欲なサラエボの市民たちの姿、闇のなか手づかみで味わうアチェのココナッツカレー、そしてイラクでは日本人の死に間近に接し改めて「生きる」ことについて考える…。
[ 目次 ]
第1章 アフガニスタン―戦場でも、人はメシを食う
第2章 サラエボ―“この世の終末”の街で
第3章 アルバニア―世界で最も孤立した国
第4章 チェチェン―束の間の戦火の休息
第5章 アチェ―東南アジアの地雷原
第6章 イラク―死と隣り合わせの食卓
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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アフガニスタン~ユーゴ~チェチェン~イラクという90年代以降の戦場における前線の食事のエッセイ。
視点は素晴らしいけど、食事に関する記述が実に少ない。
いや、戦場ジャーナリストのエッセイとして読むと、実に面白いよ。
そういうのが読みたい人にとってみれば、いい感じだと思う。
まあ、この時代の代表的な戦場なので、とくべつスクープ的な発見はない。
だけど、それを食事という切り口を持ってくることにより、生身の人間の息遣いが感じられる。それはいいやりかただ。
だけど、「戦場を描写するのに、食事という切り口を使う」んじゃなくて、食事そのものに興味があるんだよな。戦場はむしろ香辛料にすぎない。
すまない。どっちがいい悪いじゃない。わたしの心の師は東海林さだおなんだ。
だから、看板に偽りあり。食べ物についてほとんど書いていないじゃないか。
大久保義信の「戦闘糧食の三ツ星をさがせ!」のほうが面白いよ。
姿勢の違いだな。
お互いに残念。
あと、アルバニアの記事がすごく良かった。
これは、このアプローチのよいところが出ていると思う。
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題名を見る限りだと戦場で食べるメシの話かと期待していた。しかし、そうではなく戦場のレポートに食事の記述があるのである。題名とは内容が結構違うなという印象。そういう意味では期待はずれである。だが、内戦の地区の生活とか知るにはいい本
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100827with鼓童fromきつつき
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死と隣りあわせで人は何を食べるのか?戦場からの中継でお馴染みのジャーナリストが食べることに拘り、世界の紛争地に生きる人たちの実態を迫真レポートする。雪山行軍中のアフガン・ゲリラとかじったナンの味、食料がないながらも「食う」ことに貪欲なサラエボの市民たちの姿、闇のなか手づかみで味わうアチェのココナッツカレー、そしてイラクでは日本人の死に間近に接し改めて「生きる」ことについて考える…。
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第1章 アフガニスタン―戦場でも、人はメシを食う
第2章 サラエボ―“この世の終末”の街で
第3章 アルバニア―世界で最も孤立した国
第4章 チェチェン―束の間の戦火の休息
第5章 アチェ―東南アジアの地雷原
第6章 イラク―死と隣り合わせの食卓
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生きるために食べる。
砲弾が飛び交う街の中でも、人々は食べて、生きる。
「食」への執念、貪欲さ、そこに人間の生がある。
戦場の悲惨な現状を伝えるだけのレポではなく、
そこで生きる人々の生活、人間らしさというものが
「食」というフィルターを通して見えてくる、そんな本。
そして、ジャーナリストという仕事を選んだ筆者の強い思い。
“生きてきたからには、死ぬ。
それが、いつか、どこか、それだけのことである。
であるなら、自分が信じた道で斃れることは本望といっていい。”
こうやって、自らの命を危険にさらしながらも
現実を伝えてくれる彼のようなジャーナリストがいるからこそ、
私たちは真実を知ることができる、
そのことに感謝したい。
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戦場でビデオカメラマンとして活動している佐藤和孝さんが、取材先で食べた物と、そこに住む人々を書く本です。
非正規軍に帯同して取材をすることが多いため、食事は戦場となった現地で調達できる範囲で作られる民族・宗教観を反映した料理になっています。また、料理を提供してくれた現地の方を深く掘り下げることで、戦場で実際に起きている問題が何か、個人レベルで本人が抱えている苦しみや悲しみ、怒りを知ることができます。
この本の中で、戦場での食に一切関係ない、イラクに来た1人の青年についての記述があります。この記述は、題名に反しても伝えたかったことだったのかもしれません
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ジャパンプレスの佐藤和孝さんによる戦場ルポルタージュ。
どんな過酷な状況でも腹は減る。そこには食事風景があって、その国の文化が存在する。食事という一つの観点からの「戦争」とは、今まで読んだルポルタージュよりも斬新だったと思う。