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商品説明
【新潮新人賞(第35回)】【野間文芸新人賞(第27回)】「わたし」の部屋には、配りきれなかったチラシが溜まっていく。チラシに書かれた文字が勝手に増殖して…。第35回新潮新人賞を受賞した表題作と第2作目の「クレーターのほとりで」を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
四十日と四十夜のメルヘン | 7-123 | |
---|---|---|
クレーターのほとりで | 125-216 |
著者紹介
青木 淳悟
- 略歴
- 〈青木淳悟〉1979年埼玉県生まれ。早稲田大学文学部在学中の2003年、「四十日と四十夜のメルヘン」で、第35回新潮新人賞を受賞。
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紙の本
変な小説
2010/04/24 21:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
登場時に保坂和志が絶賛していたこともあり、単行本が出てからわりと時間をおかずに買ってはいたものの、ずいぶんと積んだままにしておいた。
この作家、無茶苦茶変な小説を書く。ピンチョンがどうとか評されていたけれど、あまりそうは感じなかった。もっと変な、何を書いて、何を書こうとしているのかすら分からない不思議な小説だという印象だ。
表題作は結構端正なイメージを最初持った。数日間の日記を繰り返し書き直す、とか作中作のしかけ等々、メタフィクション的な設定を淡々と積み重ねていって、これはコルタサルの「悪魔の涎」とか「すべての火は火」的なアレか、と思わされたのだけれど、ページが進んでいくと、確かにそうしたメタフィクションの手法が用いられてはいるのだけれど、端正に淡々と、どんどん意想外の方向に記述が進んでいってしまう。
最終的には淡々と積み上げていたと思われたメタフィクション的な設定やしかけっぽいものがほとんど淡々と放り投げられて終わってしまう。
とにかく、不思議。これ、批判しているように思われるかも知れないけれど、すごく面白いと思ってる。
もうひとつの「クレーターのほとりで」は、タイトルから連想されるようなSF的なネタが使われてはいて、そして確かに一面では有史以前の人類のなんだか不可思議な風習というか生態を描いている。
その後、ガス基地建設予定地から不思議な骨が発掘されたことで地質学的過去と現代とが繋がり、創造論、インテリジェント・デザイン一派のキャンペーンや企業と行政の癒着問題などが絡まってとっても社会派SF風な展開を予想させる道具立てがそろってくる展開がかなり読ませるんだけど、もちろんそれは追及しません。
場面ごとの展開や細部の該博な知識(地味な細部がなぜかやたらと詳しい)などでかなり読ませるのだけれど、そこに話の進展や謎の解決などの「普通の物語」を求めようとする欲求がとことん脱臼させられていく。いつの間にか違う話になり、どんどん何を読んでいるか分からなくなってきて、特にこの「クレーターのほとりで」ではラスト五ページでアレが出てきたときは驚嘆すると同時に乾いた笑いが出てきた。ホント、唖然といっていい。それがやりたかっただけなのではないかとすら思わせるトンでもないラスト。
人を喰ったSF、ということで円城塔的な感触もあるのだけれど、もっと小説的に野蛮だ。
淡々としていて丁寧なんだけどどう考えてもおかしい、という真顔のコントのような奇怪な作風。知人に絶対気に入ると思います、と言われて積んでいたのを取り出して読んだのだけれど、なんだか分からないが凄い面白いぞ、となって早速もう一冊も買って読んでしまったので、確かに気に入っているのだろう。
なお、本作は雑誌掲載版から大幅に改稿されていて、保坂がピンチョンと評した部分などが大きく削られているらしい。さらに文庫版解説によるとそこでもまた改稿されていて、計三つのバージョンがあるので、要注意。
ちなみに、絶対気に入る、と薦めてくれた知人というのは以下の本で青木淳悟論を書いている岡和田さん。単行本化に際しての改稿についても詳しく触れられていて数少ない青木論として貴重な一作。是非に。
http://www.bk1.jp/product/03140074
紙の本
うーん、もしかすると面白いのかなあ、でも、ちょっとピンとこないかなあ、悪いのはわたしなのかなあ、高橋源一郎も保坂和志も絶賛だしなあ
2005/07/30 21:03
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
全く知らなかった作品で、作家です。私の大嫌いな朝日新聞の日曜日の書評コーナー、あそこで絶賛されていた本で、調べましたら2005年04月24日に高橋源一郎さんが絶賛していました。そしてその高橋にこの本を薦めたというのが、芥川賞を取るのが遅すぎたといわれている保坂和志さんですから、いくらアンチ・アサヒの私でも読まざるをえないわけです。
ま、高橋に言わせれば「ふつうの小説は、あらすじを間違えずに説明できるのに、この小説では、説明しようとすると、必ず間違う。」ということですので、私が内容を紹介するのは無謀でしょう。ただし、プロ作家との差を体感してもらう、それだけのためにかいているようなものです。そこで、チャレンジ!
チラシを配る仕事をしている年齢・性別不詳の私が語る日々ですが、これが幾つかのエピソードからなります。一つはチラシ配り。ま、ここで主人公はかなりいい加減なことをするのですが、律儀な部分もあってその落差が面白い。また、スーパーでの買出し、そのマニアックなまでのこだわりも哀愁漂う笑いを呼びます。そして小説を書く話。それらが淡々と、それでいてなんとも癖のある文体で描かれていく「四十日と四十夜のメルヘン」。
ちょっと変な小説です。繰り返しますが、主人公の性別も年齢も名前さえも不明です。暮らし方は、いかにも現代人風で、ちょっとしたユーモアも含め中村航や生田紗代といった人が書いたといっても少しも違和感のない話です。文藝賞に対して新潮新人賞だから、その世代的なイメージは似ています。
でも文章が違う、重いのです。難しい文章ではありません。でもネトついています。方言があるわけではないのです。衒学的でもないし、耽美的でもありません。にもかかわらず、ひっかかります。それが独特の味を出します。どうなるんだろ、え、そんなことする?的に引っ張るのですが軽快さ、皆無。面白いですね。
もう一作、ほぼ同じ長さの中篇「クレーターのほとりで」ですが、これがまた不思議です。人類と猿とも類人猿ともつかないものとが集団で結婚するというか性交する話なのですが、それがいつの間にか住宅地に隣接する森の開発をめぐる企業、市民、或いは学者たちの三つ巴というか五つ巴くらいの混乱した話になって行きます。
正直、何度か読み直したい話です。多分、何かが見えてくるだろうと思います。青木淳悟は1979年生まれですから、「四十日と四十夜のメルヘン」を発表した時、24歳。「クレーターのほとりで」は25歳です。年齢のわりに政治に対するシニカルな見方が面白いのですが、早稲田大学在学中とありますから、学風かもしれません。
いずれにせよ、高橋が言うように一筋縄で行く話しではありません。読む側が完全に理解しきれないのだから要領よく紹介できるはずもありません。ただし、この二篇とも理解する、読みきることにどれだけ意味があるのか疑問です。ユーモアをキーワードに読むのも一興でしょう。
紙の本
チラシがチラシでなくなるとき。個人的な欲望の連鎖が乗り越えられるとき。
2005/04/26 01:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:straight no chaser - この投稿者のレビュー一覧を見る
「四十日と四十夜のメルヘン」の主人公はチラシ配り(ポスト投函)のアルバイトをしています。かつて伝説的だった“死体洗い”に変って、今や「チラシ配り(ポスト投函)」が憧れの的。一種頽廃的に。ここに仄見えるのは「死者の奢り」→「四十日と四十夜のメルヘン」という流れ。
ところで、ヨーロッパ中世における歴史認識のありかたは「神が六日間で世界を完成し七日目には休んだ」という「創世記」の記述に寄り添うもので、同じく「詩篇」には「神の一日は千年のようだ」というふうな記述があって、ゆえに世界は六千年の歳月を経て終末(最後の審判)へ至ると信じられていたわけですが、「四十日と四十夜のメルヘン」という小説が少しばかりキリスト教的であるとすれば、それは「四十日」という数字が荒野でイエス・キリストが悪魔の誘惑と闘った日数を想起させずにはいない、ということにも関係があったりします。
この小説では「罪と罰」(ドストエフスキー)のカフカふうな誤読の例が示され、街路には「複製技術時代の芸術作品」(ベンヤミン)ふうな風が吹いています。そして「薔薇の名前」で有名なウンベルト・エーコを思わせもする創作教室の先生から(風の便り的に)「新しい小説」を書くようにと勇気づけられた主人公は今や「フィガロの結婚」(モーツァルト)をおちょくったようなメルヘンを書きはじめているようです。配りきれずにアパートに持ち帰った大量のチラシたちの裏に。
なんだかよくわかってません。でも「必要なことは、日付を絶対忘れずに記入しておくことだ」というエピグラフの言葉が、この小説を読み終わった今、すごく光ってると感じます。小説ってつまりこういうことなのか、と目から鱗が落ちたように思います。さっそく再読してみることにします。(4.26)
紙の本
日本のピンチョン
2018/05/09 18:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
チラシ配布のアルバイトから巻き起こっていく、思わぬ事件に惹き込まれました。部屋の中で溢れかえっていたチラシから、新たな物語が始まっていく瞬間が圧巻です。
紙の本
チラシと作家の日常
2006/04/28 18:53
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読み人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新潮社系の新人賞でデビューした、作家さんです。
日本のピンチョンという、触れ込みに誘われて読んでみました。
表題作「四十日と四十夜のメルヘン」ともう一作
「クレーターのほとりで」が、収録されています。
プロットは、ちょっと説明し難いのですが、
前半は、バイトでチラシ配りをしている主人公の
スーパーでの買い物の話や、隣人のこと、通うフランス会話のことなど、
こまごました、日常が語られています。
で、チラシ配りは、毎回配りきることが出来ず、更に、容易に捨てることも出来ない、システムになっていて、家に持ち帰ることが、必然と成り、家には、チラシがどんどんたまっていきます。
で、アパートのポストにも、ピンク・チラシが、たまり、、
と、言う話し、
そして、日記に綴られる、なぜか何度も繰り返される、日々。
後半は、一転というか、ファンタジックな印刷職人の
話しのほうが、少しづつメインになっていき、
なんか、煙幕を張られたような、感じで、終わっていきます。
個人的には、日常の細々したことの、一部
として書かれたかもしれませんが、部屋にたまっていく、チラシ
の話が、面白くて、これを、メインパートにして書いて欲しかった
気もします。
配り切れないチラシを捨てることを禁じている、システムが、
考えられないくらい、非常に巧妙で、笑っちゃいます。
ピンチョンかどうかは、ちょっと微妙。
実は、私、ピンチョン、話のプロットぐらいしか、
聞いたことなく、比べること自体不可能なのですが、
本人も、迷惑な、宣伝文句かも。
もう、一作の「クレーターのほとりで」は、
人類あけぼのの、話を、キリスト教的解釈や、
その他、科学的研究ネタなんかも、入れて、後半は、時間軸を
どーんと飛ばして現代まで、持っていった話しです。
色んなものを、複雑にかつ、アカデミックに内包しているという意味では、
こっちのほうが、学術的文学
(書いている私が、よくわからず、こんな言葉使っています)
は、高いかもしれません。
掲載誌をみれば、一目瞭然ですが、
基本的に、エンターテイメントでなく、文学なので、
その辺を、理解して、読むことが、重要かもの一冊でした。