紙の本
今の政治への不信感をピタリと表現してくれた
2022/05/12 21:27
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投稿者:けんけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
株式会社的な政治という表現に大いに共感。
コロナで浮き彫りになった社会について書く内田氏の切り口は腑に落ちることばかりです。
紙の本
まだコロナ禍ですが、
2021/10/28 12:26
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
まだコロナ禍であるが、近未来を想像しながら、内田樹氏の考えを読む。科学的エビデンスを軽んじて、政治効果を優先させた日本政府の感染症対策は、みるも無残なものだった。その無残な結果を、未来の子供たちに引きつぐのかと思うと、やりきれない。著者は、生きている気がしなくなる国と評しているが、まさにその通りだと思う。劣化した日本の社会潮流を、少しでも良い方向へ向けなくてはいけないと思う。著者の考え方を参考にして。
紙の本
The World After Corona
2021/11/21 21:04
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルのとおり、新型コロナウイルス感染による影響から、ジョージ・オーウェルの「1984」、大瀧詠一や橋本治への追悼などなど、実に幅広い論考を集めた一冊です。
紙の本
分かりやすい内田節
2021/11/29 21:15
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投稿者:dsukesan - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在の社会のあり様を、この様に解釈するとわかり良くなるという、視点をもらえる本。
個人的には、積読の効用が、無知の知を視覚化する所にあるという解釈が秀逸だと思った。
後は、コロナや、ここ数年のアメリカ、中国、日本の政治に対するもやもやとした違和感の正体を解説して提示されたことに感謝。
→中間層の弱体化、政治的無関心を助長することと市民の権利の無権利化で統治コストを下げるというのは、ジリ貧しか生み出さないということ。
→緊急事態への対応として、正常性バイアスを解除するためには、自分以外の視点からの情報の取り込みを一気に増大させないといけないということ。様々な視点から立体的に物事を見ないと、何が起きているかわからない、ということ。日常的に、自分以外の視点からの情報の取り込みを行っていれば、特に苦労しないということ。視点を変えるのは、気づきの視点を得るという瞑想も役に立つと思った。
→市民を相互監視させることで統治コストを劇的に削減することができてしまうが、その結果、大義名分を掲げて隣人を攻撃する人を野に解き放つことが生じること。その危険はすでに顕在化しているが、そうした統治は、コモンズ的な資源の保全や治安維持にも役立ちうるなとも思った。その辺りは、ナチスの環境保全の本でも読んでみようかと思った。
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【「生きている気」がしなくなる国で――】カミュ『ペスト』に描かれた大人の市民像から、国民を無気力化する政治まで――社会の病毒をえぐり、再生への道筋を示す真の処方箋!
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現在の社会のあり様を、この様に解釈するとわかり良くなるという、視点をもらえる本。
個人的には、積読の効用が、無知の知を視覚化する所にあるという解釈が秀逸だと思った。
後は、コロナや、ここ数年のアメリカ、中国、日本の政治に対するもやもやとした違和感の正体を解説して提示されたことに感謝。
→中間層の弱体化、政治的無関心を助長することと市民の権利の無権利化で統治コストを下げるというのは、ジリ貧しか生み出さないということ。
→緊急事態への対応として、正常性バイアスを解除するためには、自分以外の視点からの情報の取り込みを一気に増大させないといけないということ。様々な視点から立体的に物事を見ないと、何が起きているかわからない、ということ。日常的に、自分以外の視点からの情報の取り込みを行っていれば、特に苦労しないということ。視点を変えるのは、気づきの視点を得るという瞑想も役に立つと思った。
→市民を相互監視させることで統治コストを劇的に削減することができてしまうが、その結果、大義名分を掲げて隣人を攻撃する人を野に解き放つことが生じること。その危険はすでに顕在化しているが、そうした統治は、コモンズ的な資源の保全や治安維持にも役立ちうるなとも思った。その辺りは、ナチスの環境保全の本でも読んでみようかと思った。
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いつものように
いや いつも以上に
フムフムフム を
連発しながら
読み進めてしまいました
なんだろう
このモヤモヤした状況は…
を いつものように
分かり易い言葉で
分かり易く綴ってもらうと
そうそう
私が言いたかったことは
こういうことだったんだ!
と 何度も 思ってしまう
そんな内田樹さんです
今回は
P232からの「倉吉の汽水空港でこんな話をした」
と
p 181からの「反知性主義者たちの肖像」が
ぐっときました。
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著者を「知の巨人」と呼んでも過言ではないのではないか。透徹したその眼で鋭く世の中を見ている。そして理路整然とした語り口にぐいぐい引き込まれていく。
全世代に一度は読んでほしい著書だ。いや、そういう前にもう一度読んでみよう。新たな発見があるはずだ。
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まえがきを読むだけで、なぜかとても救われたような気持ちになる。これから何度も何度も読み返していくことになるかもしれない。
世の中、本当に尖った言葉があふれているような気がして、しんどいなぁと思うことが増えた。
移動の隙間時間で読んだので、もう一度じっくり読み返そうと思う。
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コロナの功罪、コロナが抉り出した日本社会の暗部、いちいち頷けるが言葉が心に刻まれる前に頭を通り過ぎてしまう。目で文字追うだけ。内田さん、もういいかなぁ。「統治コストの最小化。今の日本には、もう国家目標がない。日本社会の全面的な劣化。ただイエスマンで埋め尽くされた社会を作り出した」なるほど、なるほど。だけど変えるエネルギーは、もはや無い…。
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ほとんどのものをこれ「前にも読んだなぁ」と思いながら読んだ。そんなことは最初からわかっている。何度でも読みたいのでそれでいいのだ。
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あまりコロナとは関係ない感じがしますが
最後の大瀧詠一、加藤典洋、橋本治、吉本隆明への追悼の話が残りました。
あと、今ここという考え方の危険性もある程度納得です。
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著者が,いろいろなところで書いた論文を集めたもの。いつも通り,内田さんの筆はよく動く。視点が面白くて,しかも難しくないので読みやすい。本のタイトルにある「コロナ後の世界」は,本の4分の1くらいで,あとは,違う話題が多い。最終の第Ⅳ章では,4人への弔辞?がまとめられていて,ちょっと変わった編集となっている(これは編集者の工夫らしい)。内田さん本人は,「この本を通じて僕が一番言いたかったことは,(吉本隆明を含めた)4人の死者たちに向けて書かれたこれらの言葉の中に表現されていたように思います」と言っていて,ここだけでももう一度読んでみようかな。
気に入ったところに付箋を付けながら読んでいたら,付箋紙が30枚近くになった。この付箋の部分をこれから抜きだして,どっかに書き留めておくことにする。これがわたしの本の読み方の一方法である。
一カ所だけ,引用しておく。これを意識してくれれば,おそらく,ネトウヨ・ネトサヨなんていなくなるんだがなあ。これもわたしの加害責任がついて回るんだよな。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵と力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのも大切ですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの」をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。(p.2)
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何度も思うが、やはりこの人の考え方は面白い。だから面白く思えば思うほど、この人はもっと表に出ていくというか、もっと周りがこの人の言うことを取り上げて(もしかしたら自分が思う以上に取り上げているのかも?)、広く知られていてもいいのにと思うのだが。それこそ養老先生や、小林秀雄にだって引けを取らないのではないだろうか。
本の最後に、内田樹という人が敬愛していたのだなと思われる、大瀧詠一、橋本治、鹿島茂の諸氏がいずれも2019年に亡くなっていて、その追悼の意味合いで各氏の著者の書評をしたものが収められているのだが、自分にはなぜこれらが収められているのかわからず、でも本人の後書きでこの本で言いたいことはここに収められているとあったので、俺は何を読んでいたのだろうと、愕然としてしまった…
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2021年10月発行の書籍。内田樹が、ブログやその他の色々な媒体に書いたものをまとめ、加筆・修正したもの。「コロナ後の世界」という書名になっているが、ポストコロナについてのものばかりではなく、色々なテーマのについての論考を集めたもの。章立ても「コロナ後の世界」「ゆらぐ国際社会」「反知性主義と時間」「共同体と死者たち」という題名になっている。もとになっている原稿が書かれたのは、2020年から2021年にかけてのもの。
本書を読んだ後、あらためて世界のコロナウィルス感染状況がどうなっているのかをネットで調べてみた。
全世界での感染者数は4.8億人、これまでの死者数は6百万人強。世界人口は75億から80億人の間であり、全世界の感染率は6%弱。致死率は感染者数の約1.3%、人口の0.078%ということになる。
日本の感染者数は、おおよそ6.2百万人、これまでの死者数は27,000人強。日本の人口は約1.2億人なので、感染率は5%強、致死率は感染者数の0.45%程度、人口の0.022%ということになる。世界的な数字と比較すると、感染率は少し低く、また、致死率は世界の数値から比べると随分と低いということになる。
また、約100年前のパンデミックであるスペイン風邪について調べてみた。スペイン風邪には、全世界で約5億人が感染したと言われている。数自体はCovid-19と変わらないが、当時の世界人口が18-19億人であったので、感染率は27%、4人に1人は感染したと言われている。また、死者数は1億人を超えていたと言われており、致死率は感染者の約20%、人口の約5.6%なので、今回のパンデミックよりも感染率・致死率ともに高いものであった。
Covid-19について内田樹の2020年当時の論考をあらためて今回読んでみて思い出したのは、パンデミック発生直後は、Covid-19の感染率、致死率、あるいは重症化率は、もっと高いものである、Covid-19というのは、とても危険なものであるという認識が一般的であったということだ。実際に重症になられた方、実際に亡くなられた方もいらっしゃるので、軽々しいことは言えないが、現時点の実際の感染率・致死率よりも、もっとずっと高いもの、例えばスペイン風邪に近いものをイメージしていたと思う。もちろん、危険なものであるという認識のもとで対応したり、あるいは、比較的早くにワクチンが接種できたりしたことにより、結果的に感染率・致死率は上がらなかった、すなわち、世界の人たちの対応は、ある程度うまくいったということでもある。
内田樹の論考が、ということではなく、もう少し一般論的に言って、パンデミック発生直後に言われていた「コロナ後の世界」についての論考が現実のものと少しずれていることが多いように感じるのは、こういった実際の感染率や致死率についての予測が(良い方に)はずれていたから、とも言えるのではないか、とあらためて感じた。