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紙の本
太宰治の辞書 (創元推理文庫 円紫さんと私シリーズ)
著者 北村薫 (著)
水を飲むように本を読む〈私〉は、編集者として時を重ね、太宰治の「女生徒」の謎に出会う。円紫さんの言葉に導かれ、創作の謎を探る旅に出て−。短編「白い朝」と2編のエッセイを加...
太宰治の辞書 (創元推理文庫 円紫さんと私シリーズ)
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商品説明
水を飲むように本を読む〈私〉は、編集者として時を重ね、太宰治の「女生徒」の謎に出会う。円紫さんの言葉に導かれ、創作の謎を探る旅に出て−。短編「白い朝」と2編のエッセイを加えて文庫化。【「TRC MARC」の商品解説】
みさき書房の編集者として新潮社を訪ねた《私》は新潮文庫の復刻を手に取り、巻末の刊行案内に「ピエルロチ」の名を見つけた。たちまち連想が連想を呼ぶ。卒論のテーマだった芥川と菊池寛、芥川の「舞踏会」を評する江藤淳と三島由紀夫……本から本へ、《私》の探求はとどまるところを知らない。太宰が愛用した辞書は何だったのかと遠方にも足を延ばす。そのゆくたてに耳を傾けてくれる噺家。そう、やはり「円紫さんのおかげで、本の旅が続けられる」のだ……。《円紫さんと私》シリーズ最新刊、文庫化。【商品解説】
みさき書房の編集者として新潮社を訪ねた《私》は新潮文庫の復刻を手に取り、巻末の刊行案内に「ピエルロチ」の名を見つけた。たちまち連想が連想を呼ぶ。卒論のテーマだった芥川と菊池寛、芥川の「舞踏会」を評する江藤淳と三島由紀夫……本から本へ、《私》の探求はとどまるところを知らない。太宰が愛用した辞書は何だったのかと遠方にも足を延ばす。そのゆくたてに耳を傾けてくれる噺家。そう、やはり「円紫さんのおかげで、本の旅が続けられる」のだ……。《円紫さんと私》シリーズ最新刊、文庫化。【本の内容】
収録作品一覧
花火 | 9−66 | |
---|---|---|
女生徒 | 67−139 | |
太宰治の辞書 | 141−224 |
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ニヤニヤが止まらない
2017/11/12 07:05
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぶれ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「円紫さんと私」シリーズ、また会えて興奮!
ほとんどの方がそう思われてるはず。
「私」に子供が!
変わる所は変わり、変わらない所は変わらない。
その加減が絶妙。
短編「白い朝」が素敵!
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また最初からじっくり読み返そうかな
2018/05/21 22:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
北村薫『太宰治の辞書』を読みました。
文学ミステリ、あるいは日常ミステリといえるジャンルです。
終わったかと思った「円紫さんと私」シリーズの続篇です。
このシリーズ、最初は女性が書いてるのかと思っていたのですが(薫さんだし)、男性作家による女性一人称の小説です。
このシリーズは全部読んでるんだけど、文学論的な部分(これがけっこう多い)は読み飛ばしたりもしているので、また最初からじっくり読み返そうかなと思いました。
ただし、退職でもして、生活のリズムがゆったりしてからのことですけどね。
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小説は命がけ…?
2023/12/22 17:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あお - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説って、大掛かりな虚構の中でいかにリアリティを光らせることができるかにかかっているよねえ。
…という言葉を、最近なぜか食料品買い出しの帰り道の途中で考えたことがある。
これは自分で考えたのか、それともどこかで似たような文言を目にしたのか、いまひとつはっきりしない。何せ人間の記憶は脳の奥深くから取り出すたびに形を変えるというから、当てにはできない。
ただ、仮に前者だと考えると、この度『太宰治の辞書』を読み進めていく中で覚えたすさまじい既視感というか、かち合うと思っていなかった二つの音が共鳴した時の、身体中の皮膚が戦慄する感じというのは、ごく普通の人生を送る中で経験するにはまあまあ貴重なものだと思う。
本作は、≪円紫さんと私≫シリーズの、新章とも言えるだろう。前作『朝霧』が最終作だと思っていたところに突如現れたのだから、刊行を知った時には自分の口から変な叫び声が出た。
「ロココ」という言葉が鍵となっている。芥川龍之介の『舞踏会』がロココ的であるとする評論、太宰治の『女生徒』作中に登場する「ロココ料理」、さらに同作品内で登場人物の女生徒がロココの語義を調べた辞書、もとい太宰がそのために使ったかもしれない辞書とは何だったのか?…というように繋がっていく。
ただ、もともと近代文学史に明るくないのもあり、初読はやはり苦労した。あちこちに話が飛んでいくから人物・作品相関図が頭の中でごちゃついてしまう。
何はともあれ、自分としてはまず、あの≪私≫がアラフォーになってしかも結婚して中学生の息子がいるとか何事!?などと浮き足立ってしまった。大学時代の友人、正ちゃんとの絡みも健在だ。江美ちゃんは話の中にしか出て来ず、残念。しかし最終章ではそれこそトリを飾るようにあの円紫さんまで出てきてくれる。おなじみの登場人物達は、時を重ねてそれぞれをとりまく人物、環境が変わり、関係性も微妙に変化している。
閑話休題。
芥川は、『舞踏会』を「ロココ的才能が幸運に開花した短篇」と評した江藤淳の評によれば「本質的に抒情家であるような作家」で、「機智も学殖も虚構の才能も、すべてこの本質に附随するものにすぎず」、「これらの道具立てなしには「真実」を語り得ないと信じていた」
一方で太宰は、当時一般に広く知られていたどの辞典にも書かれていない(あるいは索引すらない)「ロココ」の定義を『女生徒』の中で書いてのけた。
さらに、書物探索の旅の中で≪私≫は語る。
「起こったことだけを書き、起こらなかったことを書かなければ、それは≪歴史≫になってしまう」
「一人称の告白らしい形をとった時よりも、作家は虚構の中でこそ自己を語るものだ」
一つしかない事実でなく、いくつもある自分なりの真実を結晶させる作業。それが表現。
虚構の上に、作家の思う真実は成り立つ。作家の書きたいこと、書くべきことの一点に向かって、虚構はどんどん建築され、やがてそれが必然となる。
そういう意味では、作家はどうしても表現をする際、自らを回りくどく、迂遠に仕立て上げる他ない、そして時には他の表現者の作り上げた結晶を巻き込み、飲み込むようなことがあっても、矛盾するようだけれど、それが作品に対する誠実な姿勢である、ということか。
そして読み手が作品を手に取る時、また新たな真実が生まれる。
言いたいことを言うために、そうしなければならないがために、いろんな仮面やら防備やらを自らに装着するのは、どんな心持がするだろう。そう思うとともに、「虚構の上に成り立つリアリティ」という、アンバランスな美しさに心を向けずにはいられない。
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「私」第6巻です
2023/04/08 13:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みみりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私と円紫さんシリーズ第6巻。
前作から17年もたったんだ!
「私」が結婚して子どももいることにびっくり。
本の中でも歳月が流れていたのですね。
おなじみ円紫さんも出てきますが今までのようにメインではなく、
スパイス的な存在。
「私」の世界が広がった証だと思います。
また続きが出るとうれしいなぁ。
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復活
2021/12/14 08:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんぽこ仮面 - この投稿者のレビュー一覧を見る
久々の登場のこのシリーズですけど、もう思いっきり北村さんの趣味に走ってます。走りすぎてちょっと置いてきぼりにされた感も無きにしも非ずですけどそれでもやっぱり楽しめます。
紙の本
びっくり
2020/03/09 15:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
本シリーズを比較的最近読み始めたので、前作から13年経っての出版だとは気づきませんでした。
出てくる皆さんが一気に年令を重ねててびっくり。
この主人公、この登場人物だからこそ書ける内容だったんだろうなあと思います。
紙の本
愛しか感じない
2023/03/16 11:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの「円紫さんと私」シリーズが帰ってきた。
時が経ち主人公の「私」は社会人になり、結婚して母親になり…
主人公の謎解き
もう円紫さんの力に頼ってばかりではないのが嬉しいような、寂しいような。
そして太宰作品の謎に追う主人公。
作品と文章の一字一句も愛おしく思っているから追わずにはいられないのだと思う。
その気持ちに物語そのものへの愛を感じた。
紙の本
「円紫さんと私」17年ぶりの新作
2018/05/06 15:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:道南 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『朝霧』が最後になるかと思われた「円紫さんと私」シリーズ、17年ぶりにまさかの新作です。文庫化により手にとりました。
かつて著者のインタビューで、シリーズが完結するとしたら、それは「私」の結婚かもといったコメントをされていた記憶があるのですが、それを通り越して「私」も編集者のまま中学生の子を持つ母親となっていて、『六の宮の姫君』のような文学探偵が繰り広げられます。