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紙の本
人のセックスを笑うな
著者 山崎 ナオコーラ (著)
【文藝賞(第41回)】19歳のオレと39歳のユリ。恋とも愛ともつかぬいとしさが、オレを駆り立てた。歳の離れたふたりの危うい恋の行方は? せつなさ100%の恋愛小説。『文芸...
人のセックスを笑うな
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商品説明
【文藝賞(第41回)】19歳のオレと39歳のユリ。恋とも愛ともつかぬいとしさが、オレを駆り立てた。歳の離れたふたりの危うい恋の行方は? せつなさ100%の恋愛小説。『文芸』掲載を単行本化。第41回文芸賞受賞作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
山崎 ナオコーラ
- 略歴
- 〈山崎ナオコーラ〉1978年生まれ。国学院大学文学部日本文学科卒業。2004年「人のセックスを笑うな」で第41回文芸賞を受賞。
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紙の本
ときめきを忘れそうなあなたに・・・!
2007/12/11 20:05
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
19歳の専門学校生オレと39歳の美術教師ユリの歳の離れたふたりの危うい恋を綴った恋愛短編小説。第41回文藝賞を受賞している。小説の題名から受けた印象と読後感がまったく異なる小説だ。セックスの過激な描写などひとつもない。
読み終えて、まず思うことは、男女の縁の不思議さ。 19歳のオレは、美人でもなく、スタイルも良くなく、美術教師でもあるのに才能も無く、家事も料理も下手なユリをこのうえもなく愛し、セックスを真剣に求めている。同年代の魅力的なえんちゃんという女の子を振ってまで、20歳も年上のユリを愛しているという不思議さ。
そして、心に残ったのが、19歳のオレの感慨。
「新しく好きな人ができたら楽になるのだろう、とも思うが、若いオレにはいつかはできるだろうことは予想できても、今はまったく、他の誰かを好きになれる能力が自分にあるような気がしない。 ーー途中略ーー 考えているうちに「いや、違う」と、思い始めた。寂しさというものは、ユリにも、他の女の子にも、埋めてもらうようなものじゃない。無理に解消しようとしないで、じっと抱きかかえて過ごしていこう。
この寂しさやストレスはかわいがってお供にする。一生ついてきたっていいよ。」
恋は、誰にも埋めようのない「寂しさ」や「孤独感」を一瞬忘れさせてくれる。そして、恋から醒めたとき、その「寂しさ」や「孤独感」が一層深まって押し寄せてくる。人を愛し続けるということは、自分の孤独感と向き合うことではないかと思う。この「寂しさ」や「孤独感」は、彼(彼女)がくれたものと思って、一生抱きしめてゆくという覚悟がないと人を愛し続けることはできないのではないだろうか。
19歳のオレの「この寂しさやストレスはかわいがってお供にする。一生ついてきたっていいよ。」という感慨がひどく切なく、また、いとおしく感じられた。 小一時間ほどで読める恋愛短編小説、ときめきを忘れそうなあなたにお薦めの一冊です。
紙の本
山崎ナオコーラのデビュー作。それ以後を予感させる部分とそれ以後あまり見られなくなった部分と。
2009/09/06 13:48
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
山崎ナオコーラのデビュー作。これで、文庫本に収録されている小説やアンソロジーに収録されているものを除けば、山崎ナオコーラの作品はほとんどすべて読んだことになる。
山崎ナオコーラは最近、「詩のような文章を書きたい」というようなことを言っている。デビュー作にもその萌芽のようなものは見られる。
「バス停から歩きながら、オレは上を見上げる。
木の枝と枝の、間の空。あれは存在しているのだろうか。
巨大な空と、枝に囲まれた小さな空は、別物だ。
囲んだ途端に、風景は切り取られる。
そう思うと、自分のことも、どこまでが自分なのかわからないくなる。
空気と肌の境界までがオレなのだろうか。髪はどうだろう。爪はオレだろうか。
そして、肉体が衰えていくとは、どういうことなのだろう。
時間的にも空間的にも切り取られているから、オレなのだろうか。
そんなことを考えながら、オレを見ているときのユリの目を思い出した。
はあ、と思わずため息をついた」(23ページ)
また、こういう文章が改行されて挟まれている。
「夕日のあまりのきれいさにびっくりする。まるで透き通るマグロの切り身のよう」(51ページ)
詩のような文章は次の部分にも見られる。
「ユリと、代々木公園を、手を繋いで散歩した。
自然は美しいことがあるけど、美しさには向かっていない。
見上げると、枝が伸び、葉っぱが重なり、見たことのない模様を作っている。
美しいと感じるけれど、枝は美しさに向かって伸びてはいない。
枝は偶然に向かって伸びている。
たまたまそういう形になっている。
偶然を作り出そうとしている。
偶然を多発している。」(91ページ)
ストーリーは美術の専門学校に通う「オレ」とその学校の講師である「ユリ」との恋愛小説だ。ユリには夫もいる。
個人的には、これが恋愛小説だからかもしれないが、かなり直接的な性描写もあって、驚いた。山崎ナオコーラの以後の作品では、『長い終わりが始まる』で、セックスにまつわる鮮烈な描写があったが、それ以外はあまり見当たらない。
今、購入して読むなら、文庫版をおすすめする。
紙の本
まず名前に笑うだろ!
2005/03/02 23:51
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつも思うことだが本を読んでいて
「ここに文学はあるのか」
それだけが気になるところだ。
伝えたい「何か」、作者の「心意気」みたいなもの。
吉本ばなな以降、誰にでも書けそうな
平易な語句や文章が氾濫している。
同じようなストーリーでありながら、「何か」が
あるか、無いかは明らかに違う。
この本はその「何か」が確実にあると感じた。
強烈な胸を揺さぶるようなものは無い。
しかし日常にこんな瞬間、こんな感じ、こんな言葉
どれもが作り物でありながら、リアルで
きっとこれを才能というのだろうな。
書きすぎないことに注意を充分払った文章は
削り取れないところまでスリムになり
行間をちゃんと読ませてくれる。
本を沢山読む人には物足りないかもしれない。
しかしたったひとつの「何か」を語る本もいいなと
感じた本だった。
(どこが良かったかは、本を読む前の人のためにも
書きませんでした)
@@芥川賞@@
この作品は今回の候補作。
受賞した人の作品はなるほど文章もこなれていて
余裕すら感じた。でも新人の登竜門とするなら
本は3冊以内くらいの人を対象にすべきじゃないかな。
ある程度、確立された作家が受賞することに
意義はあるのか疑問。
soramove
紙の本
青春の蹉跌
2004/12/29 19:15
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公、「オレ」は美術の専門学校に通っている。
「年のわりに頼りない女の子」のような、20歳年上の講師、猪熊サユリ(人妻)に絵のモデルを頼まれ、ある日いきおいでセックスしてしまう。
主人公はおそらくもてるタイプの男の子だろう。
どうしてその彼が、特に美しくもない20も年上の女と付き合うのか。
その不可思議さを描いたのがこの小説だ。
“恋は理屈でするものではない。”
この言葉を直接使わずに、読み手に悟らせる力量はすごい。
サユリと付き合い始めた頃の「オレ」の恋愛観はかなりクールだ。
「思いやりを持ちつつ、強く、急に一人になっても平気であるように、強い心を持ってつき合いたい。」
「寂しいから誰かに触りたいなんて、ばかだ。」
などと言っているし、彼女に子ども扱いされるのを嫌がってもいる。
それが、物語の最後に全く異なるものになる、その気持ちの変遷が、読めば読むほど味がでてくるのだ。
一人を盲目的に好きになったら、自分なら絶対やらないと思っていた陳腐なことまでやってのけてしまうのが恋というものだ。周りからみたら、バカみたいに見えることかもしれないが。
永遠の愛なんてものはない、と思いつつも、今度の人は運命の人かも…と信じてしまうのが恋というものだ。後で振り返ったら、せせら笑ってしまうことかもしれないが。
当人たちにとっては、真剣にやっていることなのだからどうか笑わないでやってほしい、という一文には大きく頷いてしまう。
一つの恋の前でおろおろする主人公の姿が、せつなくもあり、微笑ましくもある。
この本を読み終わったとき、
「何遍も恋の辛さを味わったって 不思議なくらい人はまた恋に落ちてく」
という歌を主人公にささげたくなった。
紙の本
不思議な人
2017/10/18 22:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:L - この投稿者のレビュー一覧を見る
ユリは不思議な人だなぁというのが正直な印象。しいて言えばみるめの片思いのようにも感じました。それでもみるめは本当にユリのことが好きだったんだなと感じた。
紙の本
タイトルに惹かれてこの本を読んだ人、折角カバーを裏返して苦労したのに残念でした。それって出版社の戦略に完全に乗せられたってわけ。ま、そういう人、たくさんいますから
2005/02/15 20:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
さてさて、好きものの心を誘うタイトルである。しかも芥川賞候補作、これで大手を振ってポルノが読める、と思って勇気百倍の読書慣れしていない人々が、この本に飛びついた。だから、図書館のリクエストのかなり上位にこの本がランクインしている。まさに出版社の戦略に踊る人々よ、である。無論、それが読書人口拡大に寄与するなら、ある意味、歓迎ではあるけれど。
ちなみに、著者である山崎ナオコーラは1978年生まれ、多分、ペンネームだろうけれど、一体どういう意図があってつけた名前やら、ふざけるのもいい加減にしろ、と思うのは私だけだろうか。これも、出版社の戦略だとしたら、河出書房新社さん、あんたはエライ!ということになる。ちなみに第41回文藝賞受賞作。
でだ、強烈なタイトルの本につけられた案内は「19歳のオレと39歳のユリ。歳の離れたふたりの危うい恋の行方は? せつなさ100%の恋愛小説。」とまた、やけに大人しい。「せつなさ」などといった乙一の小説で使い尽くされた感のある言葉と、おまけに100%である。生ジュースか、おまえは。
その、一見したところ晶文社の本ではないかと思わせる装幀は町口覚(マッドカンパニー)、写真はあの佐内正史、そう舞城王太郎『阿修羅ガール』の踏切を渡る女学生の写真を撮った人。
主人公のオレこと磯貝と彼女が出会ったのは、オレが19歳の時。オレは油絵が勉強したくて、高校を卒業して一年間予備校に通い、三年生の学校に入った。彼女、ユリこと猪熊サユリはオレの通う美術専門学校の講師をしていて、39歳。年の割に若いとか、絶世の美女だとかいうのではなくて普通の39歳の女、というところがいい。といってもなかなか人気がある。堂本なんかも彼女に気のあるほうだ。それにえんちゃんこと遠藤祥子という女性がいる。
ユリにはダンナがいる。猪熊さんである。52歳で喧嘩ばかりしているらしいけれど、仲が悪いかといえばそうではない。で、そんな人妻とオレが簡単に関係をもてたのは、ユリがアトリエを持っているから。そこにダンナは現れることはない。そういうことになっている。
で、小説の内容は短い案内(ちょっと間違っているけれど)そのもの、どの書評でも言われるように活字数が少なくて120頁といっても実際は80頁分くらいのものだから、とりあえず読んでもらおう。二回読み直しても3時間もかからない。ただし、悪い意味ではない。同時に文藝賞を受賞した白岩玄『野ブタ。をプロデュース』よりは、よほど正統な文学ではある。ま、両作品が芥川賞候補として残ったというのは、実際には勇み足というか、芥川賞も江戸川乱歩賞並みになったかと、私を嘆かせはするのだけれど。
あるWEB書評に、若手作家と書いてあったけれど1978年生まれで若手はないだろう。少なくとも2004年の出版時点で言えば1980年代後半、10代こそが若手と呼ばれるに相応しい。ま、こういった難癖は殆ど意味がないといえばそうなんだけれど、綿矢りさの登場が作家の若手という概念を変えたといっていい。勿論、同じ文藝賞受賞作家だからいうのだが。
さて、この小説、決して深みがある、というわけではない。軽いわけでもない。ただ、ユーモアとか、せつなさ、なんて書かれると、ちょっと違うでしょくらいの違和感はある。しかしだ、この本に飛びついたスケベ人間(私もだけど)は、この内容とタイトルの落差に驚くのではないか。
少なくとも、人のセックスを笑うような場面はどこを探してもない。いささかこじ付け気味の解説もあったけれど、正直無理している。この題に決まった経緯などをご当人の口、若しくは出版社の担当者から聞かせてもらいたいものである。内容はともかく、この本といい『野ブタ。』といい、小説の中身はともかく、あざといくらいのタイトルのつけ方と販売に当たって使った選者たちの推薦の言葉、これだけは「やられた」と思う。
紙の本
この「ウマさ」は、ニクラシイ(笑)!
2004/12/23 14:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ツキ カオリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本日は、文藝賞を受賞したての、山崎ナオコーラの処女作をご紹介したい。
この本は、先日ご紹介した『裸のカフェ』とは異なり、実に読みやすい。
早い人なら、読み通すのに30分もかからないかもしれない。
では、読みやすいから底が浅いのか、というと、そうではないから、コニクラシイのである(笑)。
作者は、なるべく文章から夾雑物を削ぎ落とそうとし続け、その結果が、軽やかな文体となり、読みやすい好結果へと繋がっているのである。
例えば、「馬から落ちて落馬する」と書いてしまった場合、不具合はすぐにわかる。
だが、別な単語で、他の文章が綴られていた場合、修飾語や文節が多くなるなど、長文になっていたとしたら、余計な部分をおよそカットしてしまうと、文脈が「馬から落ちて〇〇〇」的になってしまうことは、十分にありえる。
実例を挙げると、自分が最近書いた文章では、「頻繁に……多い……」と書き掛けて気付き、「多い」の部分を削除した。この場合はすぐに気付いたが、「……」の部分が長かった場合、気付かないこともありそうだ。
とにかく、そのような余計なものを、落として、落として、残った文章だけで、書いた小説、この作品はそんな印象だ。
女性の作者が男性の主人公を造形するのは難しいと思うが、主人公の「オレ」は、きちんと「男」になっていた。相手役のユリも含めて、他の登場人物がすべて魅力的なのも、うれしい。
この主人公のような19歳の男性が、ユリのような39歳の女性の良さを、ディテールにおいてきちんと理解していたのも、稀有であり、故に、好感がもてた。
ペンネームも実にユニークな作者の手から、今後どういう作品が飛び出てくるのか、楽しみである。
コーラを愛飲する人に向けられた?(笑)、本書である。
紙の本
たどたどしいけど、笑うなんてできない
2006/08/12 21:48
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクヤマメfグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
第41回文藝賞発表の記事を目にした時も、そして実際に本を手に取った時も、駄洒落のような筆名とタイトルに
『中身も軽いんだろうな…。』なんて失礼ながら思ってしまった。
確かに印象的なタイトルであるけれど、それを裏付けるような中身があるのかと。
そう疑っていた私は一体何者なのだろう?恥ずかしい…。
ストーリーは、美術系の専門学校で講師と生徒として出会った二人の恋愛である。
その歳の差、なんと20歳!!そんなの成立するのか?
しかし作中に描かれる講師の彼女・ユリはちっとも老けていないし
年齢を感じさせない。
それは彼女に恋する彼の視点で描かれているからかもしれないが。
彼の純粋な恋心が熱い。行き先の分からない情熱が伝わってくる。
39歳という年の離れた女が、彼の中では「かわいい女の子」なのだ。それって何だか羨ましい…。
ただ愛しいという気持ちだけで突っ走れる強さ。
彼はとても真っ直ぐなひとだ。
ユリへの想いが綴られた箇所が胸に残る。
『好きになると、その形に心がくい込む』
そのままの相手を好きになってしまう。自分のほうがのめりこむのだ。
『寂しいから誰かに触りたいなんて、ばかだ』
欲望に流されがちな年齢なのに、冷静に触る理由を考えていたりする。
本書には真剣な恋心がびっしりと描かれていて、確かに文章は拙いかもしれないけど、そのまま彼の言葉のようで熱く伝わってくる。
特別なことなんて思いださないのに、恋心が痛い。
読み終えて初めて、タイトルが彼の台詞となって
『笑うな』
と私に言い放った気がした。
紙の本
葛藤はどこに?
2005/01/07 22:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ファッハ - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは恋愛小説である。本の帯にもそう書いてある。人を好きになって、寝て、一緒に過ごして、そして別れる。よくある話ではあるが、大なり小なり、恋愛なんて定型化すれば陳腐な出来事に違いない。
にもかかわらず、恋愛は文学の、映画の、ひいては芸術におけるテーマの最大の関心ごとのひとつである。多くの作家や芸術家が恋愛をテーマとして作品を創造しうる、あるいは表現せざるをえない衝動に駆られるのは、個々の恋愛におけるほとんど無限に近い特異性・多様性の故ではないだろうか? 作品の読者や鑑賞者は、個々の物語の要素に感情移入しうるものを見出すことによって、その作品を評価する。最大公約数的な要素が大きければ多くの読者に高く評価されるだろうし、一部の者にしか理解できない価値観を前面に出した作品は、やはり一部の者にしか評価されないだろう。
もちろん、多数者に評価される作品が優れ、少数者にしかアピールしない作品が劣っているなどと言うつもりは毛頭ない。芸術としての価値は量的な評価によって決まるものではないと信じているからだ。作家や芸術家がその作品に与えた特異性の意図を読み取ることこそ、読書や芸術鑑賞の醍醐味ではないかと信じているからだ。
そして39歳の女性と19歳の青年、実に年齢差20歳の恋愛小説である。いかに年下男との恋愛や結婚が増えているとはいえ、20歳の年齢差は世間一般的にみてまだまだ特異な恋愛関係だろう。
にもかかわらず、この作品で描かれている恋愛模様は、どこにでもありそうなごく普通の恋愛だ。誰かを好きになる、一緒に食事して結ばれ、そして別れる…ごくありふれた恋愛関係。
別にリアリズムを求めたいわけではないのだが、20歳の年齢差を意識した葛藤がほとんど感じられないのはどういうわけだろうか? かといってハードボイルドな恋愛を書きたかったのでもなさそうだし…?
あるいは旧弊な葛藤を描かないのが、新しいのか?
紙の本
セックスのことを笑われるのではないかとびくついているヒマがあるなら…、
2005/09/18 08:05
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
美術の専門学校に通う19歳のオレは、通学先の美術講師ユリとつき合っている。ユリは39歳で50代の夫がいる。そんなオレの危うい日々を描いた恋愛小説。
一連の報道によると二十歳前後の若い作家が最近様々な文学賞レースをにぎわせているということです。彼らは等身大の恋愛模様を、若者特有のケータイ・メール的ともいうべき感覚的かつ短い文体で描いてみせるのが共通した特徴です。本書「人のセックスを笑うな」はまさに今の出版界を席巻している作風を持つ作品のひとつといえます。
そして私はこの作品に大いに失望させられました。
細切れの文体は、私の目にはとても幼く、深みのかけらもないものに映ります。「オレ」という一人称で綴られる物語ですから、いやがおうにもこの青年の目線で世の中や友人やそして恋愛対象のユリを見ることになりますが、その物の見方の浅薄さにげんなりとさせられます。
この物語でユリという女性は主人公のオレにとっては恋愛の対象というよりもセックスのはけ口でしかなく、彼女を失った上でもなお彼はそのことに気づくことなく、メソメソシクシクしているばかりです。
主人公は「オレはユリとつき合って、絵だって、セックスだって、ぜんぜん上手くなっていない」(43頁)と苛立ちの言葉を口にします。物語を通じて彼は、自分のセックスの巧拙に拘泥し続けます。そもそもタイトルにも、セックスの技巧に関する他人の評価を気に病む主人公の心が反映されていますが、なぜそこまでこだわるのかと訝しく思うばかりです。
主人公のセックスを笑う気は毫もありませんが、笑われるのではないかと気にかけてばかりいる主人公の心そのものは私にとって失笑の対象でした。