紙の本
イノセンスとフォニーの間のピンポイント
2003/09/21 17:06
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹は『白鯨』と『グレート・ギャツビー』と『ライ麦畑でつかまえて』の三人のヒーローについて、「志は高く、行動は滑稽」という共通点を指摘した。これは柴田元幸さんが『アメリカ文学のレッスン』で紹介していることだが、これを読んで、アントリーニ先生が「無価値な大義のために、なんらかのかたちで高貴なる死を迎えようとしている」ホールデンに、手許にとっておくようにと手渡した一文を想起した。
《未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。》
本書に収められた「対談2『キャッチャー』は謎に満ちている」で、村上春樹は『キャッチャー』は「地獄めぐり」の物語だと言っている。「普通だったら、こういうのはひとつの通過儀礼になるわけですよね、いろんなひどい目や奇妙な目にあって、それをひとつひとつ乗り越えて、身体にしみこませて少年が大人になっていくみたいな。」「そうですね。」「ところが、まったくなっていないんですね。」「なっていないですね。…」「出来事はみんな並列的で、積み上がっていかない。…」
つまり『キャッチャー』は、未成熟(イノセンス)対成熟(フォニー)の図式にのっとったイノセンス礼賛やアドレッセンス(思春期)賛歌の物語ではなく、まして抵抗と成長と和解の物語などではなくて、あくまでも「ホールデンが十六歳だから成立する話」だというのである。
《つまり主人公であるホールデンは、少年時代のイノセンスからは既にしりぞけられた存在でありながら、大人の世界に入るための資格も得られないでいます。部分的にはすごく成熟で、視点もクリアなんだけど、自分自身の客体化というのはまだなされていない。それは十六歳という設定だからできることでもあります。…それから彼は社会階級的に見ても、やたら狭い、あえて言うなら特殊な世界に属している。彼が懸命に移動する範囲も、マンハッタンの中の、すごく限定された場所です。『キャッチャー』というのは、この小さなエリアの中にピンポイントで設定されることによって、有効に成立している小説なんです。》(村上)
──本書は、村上春樹の「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説」が読みたくて購入した。それはとても力のこもったいい文章だった。
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野崎孝氏のサリンジャー訳に違和感があったので
春樹が訳を出したと知って即行購入した「キャッチャー」。
その後にこの訳についての対談なんて、なんてタイムリーなんでしょう。
末尾には柴田氏のホールデンになりきった"Call Me Holden"や、
諸事情で「キャッチャー」に載せられなかった春樹サリンジャー歴史解説なんかがあったり、
もりだくさんです。
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キャッチャー・インザ・ライの出版とタイアップした販売戦略には眉をひそめたくなるけど,
翻訳作業のバトルのおもしろさがわかる良い本だった。
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「神経症的で若者的に純粋な高校生の男の子が社会的な偽善性や大人の価値観と戦う物語だと最初は思っていた」と村上春樹は述べている。しかし翻訳し終えた後「この作品の中心的意味合いはホールデンが自己存在を何処に持っていくかという個人的な戦いぶりなんじゃないだろうか。対社会ではなく」という風に認識を改めたらしい。この認識の変化について細かく掘り下げていくことがこの作品の大まかな内容になっている
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『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者あとがき豪華版です。私が一番興味があったのは、結局サリンジャーはどんなメッセージをもって『キャッチャー』を書いたのか、ということと、『キャッチャー』の一般的な読まれ方ってどんなだろう?っていうことでした。でも、この両人の対談を読んでいて、もっと印象的だったのは、アメリカの社会論みたいなことでした。当時のアメリカだったからこそ『キャッチャー』だった、というような読み方が面白かったし、合点ときました。
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ライ麦畑と村上春樹が好きなので読んだ。
村上春樹さんの訳についてあとがきみたいな感じで読めておもしろいです。
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こういう風に作家がどんな人だったかっていうことからのアプローチは面白いと思った。「キャッチャー」を読み返したくなったよ。
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村上さんが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳すにあたって、何を思い、何を感じたか。それが村上・柴田の対談で明らかになっていきます。『キャッチャー』の解説本といってもいいのかも。これを読む前と読んだ後とで『キャッチャー』への対し方が変化した。
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「ライ麦畑で捕まえて」と「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読みたくなるような本。
だけど、まだどっちも読んでないけど。
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「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を先に読むべきだった。。。当たり前のことなんだけど。技巧的な話もありつつ、翻訳に対する2人の熱い思いが伝わってくる素晴らしい本だ。
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村上春樹と柴田元幸がユダヤ人作家、ジェローム・ディビット・サリンジャーについて語っている。サリンジャーは『ライ麦〜』の主人公、ホールデンそのものだなと思った。私は村上春樹の解釈は作者の意図を超えすぎてると思う。
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非常に有意義な時間を過ごせた。
「キャッチャー」のみならず、サリンジャーという作家についても深く興味がわく。
すばらしい著作です。
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二人が「キャッチャーインザライ」について語りつくした本。キャチャーや、サリンジャーを通して、他のマーク・トウェインやフィッジラルド等にも触れているので、なんていうか、サリンジャーのポジションみたいなものがよくわかった。
契約の問題でキャチャーに未収力になった、春樹の解説や、柴田氏の「コールミーホールデン」が面白かった。特に柴田氏のは、興味深かった。
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とても興味深く読んだ。
わりと村上氏の独壇場である。
幻のキャッチャー・イン・ザ・ライ訳者解説が読めて嬉しい。
ただ、解説は対談のまとめのようなものであったけど。
個人的に、アントリーニ先生考察が面白かった!
私は先生がサリンジャーの投影だとが意識して読んでいなかったが、たしかに先生がホモソーシャルな意味ではなく、ホールデンの髪を撫でていたとして、それはホールデンの側から見れば、気持ち悪いのだから仕方ない。イノセントを異常に愛した彼だからこそ、両方の立場が分かるんだと思うけど、このかみ合わないところは面白い。し、真実だと思う。
そして、彼自身、大人の自分を受け入れるイノセントなんて、彼の望むイノセントではないと、思っている部分があるのだと。
なんて背反。四面楚歌。逃げ道は引き篭もるしかない・・・(笑)
それからホールデンが話中に述べる聾唖のふりをして隠遁生活を送るという願望は、それをなぞらえてサリンジャーが行動したというより、本当にそのままサリンジャーの願望だったのではないかと私は思う。
願望に従ったから、ホールデンの願望に従ったことになっただけ。
などなど、読んでいて私まで一緒に対談してるぐらいの勢いで自らのライ麦を発見させてくれる本。
おもしろかった。一気読み。
あと、柴田氏の「Call Me Holden」の試みがすき。
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春樹の文章ならば何でも読みたい、
というような、「この人の文章をとりあえず水を飲むみたいに
ごくごくと読みたい」と思う時期が私は周期的にあるようだ。
それで、読んだ。
水が飲みたいのだから、新しいのが出ていないと困ってしまう。
助かった。
もっとも印象に残ったのは、サリンジャー、元旦生まれ、ということ。