『働く女性に贈る27通の手紙』Web往復書簡

“遅咲きのキャリアデザイン”のススメ:『働く女性に贈る27通の手紙』トークイベント

小説家の小手鞠るいさんと、ライターや編集者として活動する望月衿子さんによる著書『働く女性に贈る27通の手紙』の出版から1年を記念して開催されたイベントの模様をお届けします。

“私がキャリアをデザインしていく上で大切にしていることは、簡単に、性急に、結論を出さないこと”

“仕事とは、一生を通して追求していく、人生を懸ける価値のあるものだと思います”

本の中で、小手鞠さんはこのように書いています。

「結婚」「出産」をテーマにお届けしてきましたが、最終回となる今回は「キャリア」についてです。

小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年生まれ。アメリカの東のほう在住。出版社の編集職、学習塾の講師、書店でのアルバイト、出版社の営業事務職などを経て、渡米後、小説家に。「書けるものならなんでも書く」をモットーにして書いている。手紙が大好き。恋愛小説、歴史小説、エッセイ集、児童書など多数。好きな動物はライオンとパンダ。

望月衿子(もちづき・えりこ)

1978年生まれ。東京の西のほう在住。出版社で雑誌編集を経て、独立。女性誌を中心に編集に携わった後、男女問わず生き方や働き方をテーマに取材執筆する。ライフエッセイや実用書のブックライティング実績多数。日頃のノンフィクション系執筆は「望月衿子」とは別名で活動中。好きな動物は猫と熱帯魚。

小手鞠るい「50歳でようやく小説家になれた」

小手鞠るいさん

小手鞠るいさん(以下、小手鞠)「私が63歳になって思うのは、やっぱり人生50歳からだなということです。

それまでの人生で努力を積み重ねて、50歳になって、私はようやく小説家になることができました。

49歳までは下積みの繰り返しで、何度辞めようと思ったかわかりません。半ば諦めていた時期もあって、コンビニを経営しようと物件を見に行ったこともあります。

実は私は、36歳の頃にある文学賞の新人賞をいただきました。でも、結局そこから全く芽が出なかったんです。新人賞を取っているのに芽が出ない、というのは受賞していないことよりもずっと辛いことでした。

幸いにもアメリカで暮らすことになったので、周囲からの雑音は気になりませんでしたが、もし当時、私が日本にいて、同期の作家や新人賞を取る後輩作家の活躍する姿を見ていたら......と思うと、本当に苦しかったろうと思います」

人生100年時代、キャリアのピークをどこに定めるか

望月衿子さん(以下、望月)「でも、その後も50歳まで原稿を出し続けていたというのがすごいですね」

小手鞠「日本にいるときに『欲しいのは、あなただけ』(その後、50歳の時に文学賞を受賞した作品)の原型となった原稿を常に持ち歩いて営業していました。当時は女性の編集者が少なく、男性編集者から『アメリカに住んでいて一緒に飲みに行けないような女性作家とは仕事ができない』と言われたこともありました。

しかし、そうやって営業を続けているうちに、ある女性編集者の手に原稿が届き、出版することができたんです。これが私にとって大きな転機でした」

望月「小手鞠さんは、本やWeb連載の中で“遅咲きのキャリアデザイン”を勧めていますね。これは私にも響く言葉でした。

ここ数年、にわかに『人生100年時代』と言われるようになりました。そんな中で、まごまごしている女性は多いと思います。60歳までをイメージしていたのに、そこから先、どうやって歩んでいけばいいんだろうって。

自分の中で、キャリアのピークをどう考えるかはとても重要なテーマですね」

小手鞠「私の経験からお話しすると、早いうちに自分に合った仕事を見つけなくちゃ、って焦るのではなくて、何事も経験だと思ってやってみることが大切なのだと思います。そうすれば50歳くらいになったときに、自然と進む道が見えてくる。

日本の場合、若さが過剰にもてはやされる傾向にありますよね。女性の場合は特に。

でも、例えばアメリカでは、たとえどんなに若くてきれいでも、能力がなければ全く評価してもらえません。だから、日本という小さな世界の偏った価値観に縛られないでください。

私も日本にいる時は、30歳を超えたら自分は下り坂なんだと自己否定していました。でもアメリカに来てみたら、50歳でもまだまだ未熟者という扱いなんです。

30歳や40歳なんて、まだ幼稚園生くらい。まだまだいろいろな可能性があります」

望月「『自分が若くないと思った時、あなたはもう若くない。あなたが若いと思っていたらあなたはいつまでも若い』。小手鞠さんはこんなことを言っていましたよね」

小手鞠「はい。若さは自分が決めるもの。そこに年齢は関係ないと思います。私は、自分のことを19歳だと思っていますよ。それは私が決めていいんです」

これからは「シゴトモ」の時代

「シゴトモ」──。望月さんは「仕事を通じて関係性を築いてきた友人」をそう呼んでいるそうです。

望月さんは、これからの時代における「シゴトモ」の重要性を説きます。

望月「『シゴトモ』は私が作った造語です。これが、長く働き続けることの意味を考えた時、一つの答えとして浮かんできたのがこの言葉でした。

私は、これからますますシゴトモの時代になるなと思っています。小手鞠さんが言っていたように、今まさに、若さに価値があった時代を過ぎようとしています。60歳まで働き続ける女性もたくさん増えてきました。

同じ仕事を通じて出会い、一度離れたんだけれど、またどこかで再会した経験はないでしょうか? そういうつながりから仕事を生み出していくことって、特に女性は得意なのかもしれないと実感しています。

50代、60代になれば、若い頃にはなかった経験や決断力が身についてきます。そのとき、友達同士が出会えたら、例えば一緒に仕事を作ったり、もしかしたら起業したり。シゴトモと、若い時では難しかった活躍の場を作ることができるんじゃないかと思うんです。

シゴトモってほど良い距離感で、お互いに踏み入れた事は聞かない言わないみたいな暗黙のルールの中で築かれた関係なので、関係としても心地よいんですよね」

「どん底」は、あなたが自分に期待できている証

イベントの最後に、会場からたくさんの質問が飛びます。そのうちのある質問へのお二人の回答を紹介します。

──(質問)もし自分がどん底にいて、失敗におびえて一歩を踏み出せない場合、お二人ならどうされますか?

小手鞠「時には、悩みを相談しないほうがいいんじゃないかなと思うことがあります。人に相談するから悩みになってしまう、というケースもあるような気がしていて。自分で解決できることは口にせずに解決していくことも大事だと思うんです。

悩みに向き合わずにすぐに人に言ってしまうと、愚痴になったり、言ってもしょうがないことまで言ってしまったりする。相談を受けた方も参ってしまいます。

自分の考えを文章にしてみたり、声に出して録音したりして、理性のバリアを通すことで、悩みがクリアになることもあるかもしれません」

望月「私は楽観主義者ですが、一番怖いのは、自分がどん底にいることに客観的に気づけないまま、ずぶずぶと行ってしまうことだと思うんです。特に、会社を辞めてフリーランスになってからは、仕事上の選択は全て自分の責任で、その選択が安全か危険かはだれも教えてはくれません。ある意味、どん底を感じられるということは、周りをきちんと見通せる能力を身につけているということで、同時に自分への期待が残っている証拠なんだなって思うんです。そんな考え方が、一歩を踏み出す手助けになったら嬉しいです」

約1時間半のイベントの中で、結婚、出産、キャリアと人生の大きな決断、選択について対談を重ねました。

会場にいた60名近い参加者も、うなずき、自分と重ね合わせながら話に聞き入る様子がうかがえました。

時にストレートに、しかし慎重に言葉を選びながら話す二人の様子は、一人ひとりの悩みや不安に真摯に寄り添う姿を表現していたように感じます。

Profile

小手鞠るい Rui Kodemari

1956年生まれ。アメリカの東のほう在住。出版社の編集職、学習塾の講師、書店でのアルバイト、出版社の営業事務職などを経て、渡米後、小説家に。「書けるものならなんでも書く」をモットーにして書いている。手紙が大好き。恋愛小説、歴史小説、エッセイ集、児童書など多数。好きな動物はライオンとパンダ。

望月衿子 Eriko Mochizuki

1978年生まれ。東京の西のほう在住。出版社で雑誌編集を経て、独立。女性誌を中心に編集に携わった後、男女問わず生き方や働き方をテーマに取材執筆する。ライフエッセイや実用書のブックライティング実績多数。日頃のノンフィクション系執筆は「望月衿子」とは別名で活動中。好きな動物は猫と熱帯魚。

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