紙の本
自分の人生は誰にとっても文学の糧であるとしたら
2009/10/20 01:37
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たく - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の人生は誰にとっても文学の糧であるとしたら、それを売り渡すことは職業作家としては限界か、あるいはスタート地点だ。大江健三郎の「個人的な体験」は自分を切り売りしながらもある水準で達観し、突き放している。そのスタンスを守りながら大江はいつまでも描き続けられるのだろう。太宰にはそれができなくなり、全てを手放して絶命したのだと思えた。
太宰もここまで売り渡す自分を、自分に近しく描かなければ、もう少し延命できたのではないか。この作品の先に大きな作品を物することができたのではないか。独白の文体で誰もが知っている己の人生を語れば、それはもう文学ではない。スキャンダルのセット販売だ。しかし、独白で書かれる事で読者一人一人に打ち明け話をする作家の姿が耳元に佇むとなれば、十分な効果を上げていると言える。その手の話が人間は好きなのだという下世話な計算があったとしたら、なにもここまで自分のことを書く必要はなかったであろう。太宰は自分と作品を切り離せなかったのだ。
ストーリー展開の陳腐さが、現実ゆえに許されている。覗き見、偶然、立ち聞き、打ち明け話など、実体験ではどれだけ起こりうるものだろう。そうしたもので狂言が回される文学はメロドラマに堕してしまうか、あるいは現実の都合の良い断片の収集だ。
独白の文体は危険だ。読者と親密な関係を築ける反面、作家を信用しない読者は過剰に拒絶するだろう。『僕は本当はこんな人間なんです。』という会話は、親しい友人との間ではまずしない。しているとしたら、その人とは親しくない。あるいは場末のバーで偶然隣り合った他人同士が眠れない退屈な時間を埋めるために、語るほどの教養も無く、最後の、最安値の話題を切り売りする口調だ。
この作品のすごさはそこまで堕ち切った自分を、堕ちるままに描ききったことにある。
だとすれば最初と最後の写真のエピソードは潔いとは感じられない。それとも、そこだけでかろうじて文学の体裁を保っているとも言えるだろう。
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小学生高学年のときに、初めて買った本。それはたしかまっくろな掌がべたりと表紙につけられているものだった記憶があります。
そして読んで、吃驚しました。驚愕という表現がふさわしいかもしれません。
年をとるごとに感じる情動は変わってゆく。幼いころには「こんな人間がいたのか」とか「読みづらい文章だなァ」とかそういったものだけであったのに、思慮深くなる(笑)につれ「自分を、そして他人を誤魔化さなければ生きてゆけなかったのだ、この人は」といったことを考えるようになりました。
嗚呼、はかなくもせつない人生を彼はとうとうと生きたのだ。
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ぐうぜんパスワードわかっちゃったぜんっぜん知らんひとの鍵つきブログを読んでいるようなきぶんになった。
気分しずむ風なこといわれたけどぜんぜんそんなことなくておもしろかった!
もちろん葉ちゃんは生田斗真で脳内再生しました。
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傷つきやすい主人公は、「道化」を演じることで自分を傷つけずに他人にかかわる術を身につける。社交辞令や愛想笑い・・・繊細な心を自身が傷つける。その苦痛を酒や女で紛らわす。弱い人間だ。だが、徹底的なほど自分に誠実な人間は確かに弱いが、「めしが食えたらそれで解決」という人間と、常に自分が見え過ぎる人と、どちらがより「人間」らしいか・・・重たいテーマを突きつけられた。
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大学の授業で必要で買ったんで、ちゃんと読んでません。そのうち読んでみます。(現役大学生ではありません)
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太宰は自分をキャラクター化するのがとてもうまい。
そんな「葉ちゃん」のあまりにも人間的なさまを描いた作品。
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今頃これ読みました。読む物が尽きちゃって(いや京極堂がかなり溜まってはいるんですが)そういうときのために買い置きしておいたのがこれ。古典文学っていうんですか、なんか独特の雰囲気がありますよね……古典文学ってたぶん漱石の「こころ」しか読んだ事ないんですが、似たような色を放ってますね。読み終えたあとは悶々としました。なんとも形容しようのない心持になって……そうか、これが太宰作品なのですね。また今度は「斜陽」を読もうかな。
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太宰治のくっら〜い世界が面白くて仕方なかった
人間失格という言葉は自分でよく使うが
はたしてそれは自意識過剰なのだろうと思ってもみる
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学生時代読んでおかなかったので、今更買うのは恥ずかしい!と思ったけど読んでおいとくと何かと引用使えたり便利だ。書きたいモノかいた、て感じです。時代背景も考えればもっとわかるかなぁ…堕ちてく堕ちてく。
死んだ人の悪口は言わない例っていうか、話題にもされないのが怖くて残したのか、まぁ野望は達成されたわけですが…。
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不思議と彼の立場になり読めた。頭が悪い俺は彼の文学の何が素晴らしいのかまだまだわからないが、とにかく人間こうなれば終わり。明るく生きよう!
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一番有名な作品です。
後半部分が自殺未遂後に書かれたという事もあり後ろ向き度では一番ではないでしょうか。
好きか嫌いかと問われたら好きな作品。ですが一番好きというわけでもなく、どうしてこれがここまで有名で絶賛されているのかイマイチわからない作品でもあります。
これは私の読解力のなさが手伝って、そう思ってしまうのかもしれませんが正直最後まで読むのがキツかった。だって、みんなが絶賛するほど面白くないもの。
ただ読んだのが十代の頃だったので、今やもう少し歳を重ねてから読んでみたらまた当時とは違うものを感じる事になると思います。でも、面白くなかったので今は読む気になりません。
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大学引き篭もり中に友人から借りて見た。この人間の弱さ、やはり僕も、この主人公を自分に重ねない理由はなかった。友人は、大学に行く途中これを読み、そのまま引き返してアパートに帰ってしまったという。
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こう、読んでると鬱々としてきますが、そう悪い気分でもなかった。と思う。多分、バイオリズムによっては投げ捨てたくなるかも。
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なんだかんだ言っても、これがいちばんでしょう。中学生の頃に読み、思春期のあたしは色々考えさせられました。あの頃って、ただでさえ「生きるとは?」「自分の存在価値は?」っていう、不毛な悩みを持ちがちでしょ?
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買ったものの、実は印象は薄かったです。現在読み返しましたが、もしかしたら未読かも(汗)ただ、妙に思いだせる件「ただ一切は全て過ぎている」これを思い出せるという事は一度は読んだのかもしれません。太宰治の作品は「暗い」というイメージがありますね、その分コアなファンは多いかと思います^^;もう一度きちんと最初から読み直したらレビューしなおしますねぃ。