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昭和14年。日本が満州を占領し、モンゴルとの国境沿いでソビエト連邦と激突した事件を克明に綴った大作である。
当時は日独伊三国同盟を結ぶか否かで陸軍(賛成派)と海軍(反対派)の対立をきっかけに、当時の平沼内閣では議論が平行線を辿っている頃である。そのためこの物語では戦場だけでなく、三宅坂(参謀本部・内閣)、新京(関東軍本部)、クレムリン、ベルリンでの出来事が時系列的に展開されている。
ノモンハン事件は関東軍の大敗で終結を迎えるのだが、この本を通じてそのプロセスを検証すれば当然の結果である。「己を知り、敵を知る」、日本軍は組織的にその姿勢が決定的に欠けていた。またこの事件を通じて得られた教訓は軍事組織に留まらず、現代の企業社会にも十分通じるものである。文明は確かに発展してきているが、人間は過去から何も学んでいないということか。
なお、関東軍敗退の学術的な検証は『失敗の本質(戸部良一、野中郁次郎等)』が詳しい。
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日本陸軍がどれだけ思い上がり、自分勝手に暴走したのかがよくわかった。また中央陸軍の「空気を読んだ」、判然としない対応も戦争の一因だったのだけれど、これは悪い意味で日本的な対応で現在もよく見られる。
膨大な犠牲を出したノモンハンから学ばなければいけない。
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関東軍と陸軍参謀による、まさに絵に描いた餅の無謀な戦略(戦略なき戦いというべきなのか)によって、犠牲になったのは、最前線の多くの兵士。
過去の成功体験にしがみつき、環境の変化に対応しようとしない企業は、いずれ消滅します。その時の被害者は現場の社員。
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■ 半藤さんの代表作。何年かぶりに再読してみて、多少感情的な部分が気になるが、改めて良書であると実感。太平洋戦争前の初の近代戦として位置付けられているノモンハン事件。この事件には、その後の悲惨な末路の帰趨が凝縮されている。
・開明的と言われている海軍がこの時にはあれほど親独となったのか? 元海軍大佐曰く「それはドイツにいった軍人に、必ずナチスドイツが女をあてがってくれたから。しかも美しい女を。イギリス、アメリカはピュリタンな人種差別のある国だからそうはいかなかった」。
・この頃の陸軍の勢威は国家おすみずみにまであまねく行き渡っていた。天皇の意思をないがしろにし、大軍が動いてしまってから大元帥の認可を得ているのである。
・ノモンハンの戦場で困ったのは馬の壕である。日本の馬は伏せるように訓練されていない。睡眠も立ったままである。戦闘時に伏せるように訓練されている蒙古馬がなんと羨ましかったことか。重火器隊の兵隊さんは、愛馬が立ったままでも安全な壕を、不眠不休で掘ってやるのだった。
・戦地増俸手当。大将545円、中将480円、少将410円、大佐345円、中佐270円、少佐200円、大尉145円、中尉115円、少尉105円、准尉110円、曹長85円、軍曹34円、伍長27円、兵長18円、上等兵14円、一等兵二等兵12円。なお准尉以上の職業軍人には、それぞれ留守家族に本給が別に届けられている。
・ノモンハンの戦場では、一日ずつ戦っては、その日の戦場掃除をし、翌日はまた戦う、という、殺戮のし合いが重ねられていった。
・今事件の出動師団であった、第23師団の出動人員約16000人中、損耗率は76%以上と言われている。ちなみに日露戦争の遼陽会戦の死傷率が17%、奉天会戦が28%、太平洋戦争中もっとも悲惨と言われるガダルカナル会戦の死傷率が34%。この草原での戦闘の苛酷さがこれによってよく偲ばれる。
・戦後、スターリンの質問に対して答えたジューコフの見解は、あっぱれな正答である。「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、また青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」。
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ノモンハン事件、第二次大戦の始まった1939年、満蒙国境で日ソ両軍が衝突し、日本側の一個師団が壊滅した事件。戦後関係者が様々に自己弁護してきたこの事件を昭和史をライフワークとする半藤氏が裁く。期待通り、国内外の資料を読み込み、立体的で厚みのある内容に仕上がっている。日本側の視点だけでなく、スターリンやヒトラーの思惑にも思いを巡らせた力作と評価したい。
半藤氏が指弾するのは、陸軍参謀たちの独断専行、不遜、不勉強。それこそが後に亡国に至った遠因なのだ、と言わんばかりである。草原しかない国境線の争いで何故一万人も死ななければならなかったのか。後に戦死者の山を築いた日本軍の負の側面が遺憾なく現れている。
問題はこの敗北からどんな教訓を得たかだ。ソ連の戦車には勝てない、この局地的な教訓は活かされたと推察する。しかしインパール作戦の愚劣さやフィリピンでの戦死者の山を思うと、大事な教訓を汲み取ってないのだと気付かされる。
少し自国を弁護すれば、当時の陸軍はソ連軍がここまで圧倒的な火力を投入するとは予想できなかったに違いない。半藤さんはそれを欧州戦を控えたスターリンの思惑で説明している。ソ連は自らも一万人以上の犠牲を出しながら、日本を黙らせ、モンゴルの支配を確かなものにした。後にスターリンの猜疑心はヒトラーの狂気を破った、またも膨大な犠牲を出しながら。それは決して正義ではないが、日独の上をいったのは確かだ。
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働きマンを中心に幅広い層で「失敗学」としても読まれているらしい。
戦史の記録文学だが、「坂の上の雲」とは違って爽快感はゼロ。読後感のやるせなさはすごい。時空をこえてうるわしき関東軍の無能っぷりを味わえる。前線の士官や兵たちは勇敢で優秀であっただけに、なおさらお腹一杯になる。丸山眞男が指摘した「無責任の体系」を念頭に置きながら読むと一層イライラできる(理解が深まる)。筆者は文芸春秋の元編集長で保守派とされているが、それゆえに筆者の批判はナショナリスティックで「しっくり」している。特に統帥権についての執拗な告発は的確。
冷戦後に公開されたソ連のノモンハン事件の資料では、ソ連側の損害も甚大だったとされており、「関東軍優勢だった?!」と元気になる方もいるとか。学ぶとこ、そこじゃないでしょ。
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初出時の単行本では、中途で投げ出してしまった。何を思ったか、この度は新たに文庫本を入手し、はたまた読了に挑む。
当時を知る上で不可欠な、ヒットラーとスターリンの駆け引きを中心とした欧州の情勢を交えつつ、広東軍、陸軍参謀本部、内閣やらの動向をもとに、かの有名な負け戦の詳細を描出しています。圧巻、面白すぎ。
蒙ソ軍、広東軍とも数多の凄絶な死に様をもって綴られる厳粛なドラマにあって、著者が絶対悪とする辻政信をはじめとした軍参謀らに向けた、自らの私情も多分に交えた批判の言葉が随所にちりばめられているのが、ユーモラスに感じられ、思わず吹き出してしましそうになること度々。
読み進むにつれ、次第に昭和天皇が気の毒に思えてくるから不思議なもの。敗戦に学ぶことなく、慢心と非科学的な精神主義のもと、法と人命をないがしろに続く戦争に一路邁進、国民もこれを支持し、支えていたというのだから愚かしいことこの上なし。
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ノモンハンの戦い事態はよくわかりました。辻と服部の突き抜けっぷりも、両者を筆者が大嫌いなことも。
ただ「日本のいちばん長い日」よりも迫ってこないのはなんでだろ?
司馬遼ならばノモンハンをどう書いたでしょうかね?
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★3.5
長かった。
日本陸軍の悪しき側面が良く判ります。
この時に反省して、きちんと関係者を
処罰していれば、その後の悲劇は(第二次大戦)は、
無かったのではないかと思います。
ただ、悪者=陸軍、善人=海軍のトーンで
書かれているのには違和感。
結局のところ、最終的には海軍も、
無責任に戦争に突入していくので、
どっちもどっち。
それにしても、前線ばかりが苦労して、
後方でのんびりと指揮を取る者は責任すら問われない
と言うのは、本社は支持するばかりで、
現場の支店は苦労するという、
いまの日本企業と同じ感じがしますね。
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「昭和14(1939)年5月から9月にかけて、満洲西北部の国境付近で、当時ソ連の実効支配下にあった外蒙(モンゴル)との国境紛争があった。日本側が国境線と考えるハルハ河を渡って、ノモンハン付近に進出した外蒙軍と満洲国軍との衝突から、日ソ両軍の戦闘に拡大し、日本軍は壊滅的な打撃を受けた。
ノモンハン事件と言われるもので、第一線将兵の敢闘にもかかわらず、上級司令部の指揮、指導が拙劣であったため、戦史的にも珍しい死傷率32%という完敗振りは、2年後に開始される対米戦争のために貴重な教訓を残しているのであるが、何故か当時の陸軍は、ノモンハン事件の本格的研究をしなかった。(解説より)」
日露戦争での歴史的勝利から30年余り。革命によるイデオロギーの大転換を経ながらも、敗戦による反省から軍備と戦略の近代化を推し進めたソ連と、滑稽とも言えるほどの精神論と盲信的な楽観論に毒された日本との間には、もはや圧倒的な戦力の差があった。
にもかかわらず、ある参謀は中央の命令を無視し、無用な戦いを避けるどころか自らの存在意義のためだけに幾千の命を奪い、反省するどころか自らは戦後の責任追及から逃げ続け、議員となり大層な著書まで残して生きながらえた。
そんな横暴に対して、東京の高級官僚は優柔不断に終始して止めることもできず、マスコミも一般国民も熱狂的に支持した。
ここに絶望的な日本人観を見てとるか、一部の人間の大罪と片付けるかは判断が分かれるところだが、その後の日本がなぜあのような無謀な戦いに挑み破れ灰塵に帰したのかがなんとなく見えてくる。
怒りと絶望で読み続けるのが苦しくなる作品だが、日本人としてはぜひ読んでおきたい作品。
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『ノモンハン』。この単語をはじめて意識したのは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』であった。
それまで戦史モノのなかでその地で戦闘が行われたことは認識していたが、そこで当時なにが起きていたのか?というコトについてはついにこの歳まで知らずじまいであったのだ。
このところ半藤一利氏の著書を読み続けており、その読み易さ、史実の纏め方の旨さにすっかりファンになってしまった面もあり、半藤氏が描く『ノモンハン』である本書を手に取った次第である。
最近昭和モノを読む前に
・世界史の教科書でそのテーマはどう扱われていたか?
を調べてみることにしている。
ちなみに山川の世界史の教科書だと、『ノモンハン』という単語はこの一文のみである。
このころ、日本は日独伊防共協定でソ連と対抗し、ソ満国境で張鼓峰事件(1938年)、満州・外蒙古の国境でノモンハン事件(1939年)と、ソ連との軍事衝突をおこしていたため、独ソ不可侵条約に大きな衝撃を受け、平沼騏一郎内閣は方向をみうしなって退陣した。
平沼内閣退陣の一つの原因として扱われた事件の一つとしてその名称が揚げられているだけであり、その事件とはどういうモノであったのか?という説明は一切無い。
どうりで、なにも頭に残っていないはずである...(^^;)ハハハ。
日本の歴史的史実において、『戦い』の定義というモノが全くよくわからない。
『白村江の戦い』、『壇ノ浦の戦い』、『桶狭間の戦い』、『本能寺の変』『関ヶ原の戦い』、『大阪夏の陣・冬の陣』、『鳥羽伏見の戦い』等々。
古代から幕末にかけて、合戦という意味では『戦い』とする定義なのだろうか。ほぼメジャーどころは『〜の戦い』である。
『本能寺の変』は合戦では無く、あくまで局地的な争い事ということで『変』なのだろうか?
これが明治になると『西南戦争』、『日清戦争』、『日露戦争』と『戦争』という言葉を使うようになる。
この後辺りの昭和史になるとよくわからなくなってくる。『満州事変』に『日華事変』。
『事変』とはなにかというと、本来行動としては『戦争』行為であるにもかかわらず、宣戦布告をせずに(宣戦布告をして正式に国際法にのっとった軍事行動となるとアメリカ、イギリスに怒られるからという理由)、国際法上の軍事行動では無いものとして『事変』という定義を勝手にしているらしい。
ではこの『ノモンハン事件』とはなんだ?『事件』となると『五・一五事件』『二・二六事件』というように、あくまで国内での一時的な争い事、幕末までの『〜の変』と同様の意味合いでは無いのだろうか?
遠く満州のさらに西、外蒙古と満州との国境線付近での日本帝国陸軍とソ連陸軍との軍事衝突、その結果、満州防備の軍である関東軍の1師団が国境外へ進行した上でほぼ壊滅するにまで叩きのめされた本軍事行動が『事件』で片付けられるモノなのであろうか?
本書を読み、改めて後味の非常に悪い、本事件の概要を理解した。
理解したとともに、やはり著者が本文の最後に書かれているこの一言
ノモンハン敗戦の責任者である服部・のコンビが、対米���戦を推進し、戦争を指導した全過程をみるとき、個人はつまるところ歴史の流れに浮き沈みする無力な存在にすぎない、という説が、なぜか疑わしく思えてならない。そして人は何も過去から学ばないことを思い知らされる。
これはなにより、『戦争』という軍事行動の総括を由とせず、『事件』という一跳ねっ返りの事象として総括したのみに止めた、陸軍参謀本部ならびに関東軍作戦課の作戦参謀の愚劣かつ無責任な対応がノモンハン事件の結果を招いたということ。
そしてもう一つは『統帥権』を振りかざしながらも陸軍組織内部ですら統帥しきれていないという実態。満州事変以降、関東軍の暴走を止められないのはなぜなのかと不思議でならなかったが、中国における軍閥同様、関東軍自身が中央に対する下克上の気風を育てていったということ。
こんな統帥も出来ず、真摯な反省も出来ない、始まる前からすでに崩壊すべき組織のすべてを包含している一部の組織に戦前の日本は命運を握られるようになっていったという面で、本事件で亡くなられた方々はその後の日本帝国の行く末を思うとなにも浮かばれない。
『ノモンハン事件』という戦闘行為は、その用兵戦術、軍の意思決定プロセス、帝国陸軍としての精神性、参謀・幕僚部の意識、国際外交という面での戦略の欠如等々、すべてにおいてその後勃発する太平洋戦争での敗北に丸々同じことが当てはまる。
なぜ、日本のエリート中のエリートである集団が、決定的な敗北を結したにも関わらず反省という行為を実行できなかったのか、作戦参謀自身が顧みることも許されない組織を作り上げたことが最大の問題であるかもしれない。
本書はノモンハン事件を主題として話が進んでいくが、視線をヨーロッパに移すとナチスドイツがいつ開戦に踏み切るか?という状況であり、たんに日満vsソ連の状況だけでは無く、ドイツvsソ連の駆け引きも同時並行で語られていく。
その中では当然日独伊三国同盟締結に向けての国内政治の駆け引きも活発に行われ、国内では三国同盟派vs新英米派との駆け引きが繰り広げられるという、面で捉えるという点では非常にスリリングな本である。
しかし、ノモンハン事件終結で話が終わってしまい、その間サブストーリーとして展開していた三国同盟締結に至る話も途中で終わってしまうところが残念である。
その点だけで、本来は☆☆☆☆だが今回は☆☆☆としておきたい。
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あれだけ拘っていた司馬遼太郎が書かなかった「ノモンハン」。
まさに感想など書きたくなくなるような心境になる。
ただ、是非読んでいただきたい。歴史問題は正確に、できうる限り事実に近いことを知るのが大切だと感じる。
日本は一部の狂気染みた人間によって、過去にこのような大失態を演じていたことを知ることも、大変重要であろう。
これは、決して二度と繰り返すことが許されない。
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若い頃は、太平洋戦争の話はあまりに間近であり、聞くのも嫌であったが、最近になって少しずつ興味を持ち始めた。ノモンハン事件は、機能不全になった陸軍という組織の恐ろしさを教えてくれる。昨今、不祥事を起こす企業にも共通のものが感じられる。顧客や組織よりも個人の出世を重視する池井戸潤が描く銀行にも共通項が見られる。
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ノモンハン紛争の経緯について、特に、関東軍、参謀本部、政治中枢の関係について詳しく書かれている本。
独り歩きするイデオロギーと官僚主義的無責任から、多くの兵士が無駄死にする様は、その後の太平洋戦争にも繋がるもの。紛争の規模がのちの大戦と比較すれば小さく、関係者が限られている分、日本軍の問題点がよく浮かび上がってくる。
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資源など何もない不毛の地ノモンハンで、国境線を巡って日ソが衝突した。大本営の「不拡大」の方針を弱腰として退ける関東軍参謀の服部と辻。大本営も関東軍のメンツを重んじて強い命令をだせず、事件は多数の死傷者を出す戦闘へと拡大した。命令の曖昧さ、敵への侮り、情報の軽視、精神の過剰な重要視など、その後の日本軍の欠点がすべて現れた。現場の兵士は戦車に火炎瓶で立ち向かうなど勇敢に戦ったが、捕虜となった兵士に自決を強要するなど非情な対応。一方、参謀の辻はその後も太平洋戦争で指揮をとった。辻の悪魔的な狡猾さが印象に残る。またノモンハン事件と平行して、独ソ不可侵条約をめぐるヒトラーとスターリンの駆け引きも描かれていて興味深かった。