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1939年に発生した日本陸軍関東軍とソ連の間で発生し、師団によっては損耗率76%という第二次世界大戦における最悪の負け戦であったノモンハン事件について、膨大な資料と関係者のインタビューからその敗戦の原因を分析したノンフィクション。
本書によれば、ノモンハン事件の歴史的重要性とは、ここでの敗戦の原因が続く太平洋戦争敗戦の原因と全く同一であり、その教訓が全く生かされなかったことにある。陸軍学校出のエリートを中心に構成された関東軍参謀の暴走と、それを止めることができなかった日本本国の参謀のマネジメント力の欠如、相手の戦力をファクトベースで調査することなく勝手な妄想で予測した戦術構築能力の欠如など。
また、著者はこのノモンハン事件を巻き起こした関東軍参謀の暴走の中でも、特に強硬な戦いを主張した辻政信については、極めて手厳しい批判を加えている。本来、その場で責任を取って自死してもおかしくなく、2万弱もの兵士を無残な死に追いやった「絶対悪」とも呼べる彼が、戦後に戦犯を逃れるために潜伏を続け、結果として戦後日本で国会議員にまで上り詰める点については、戦後日本社会のいびつさを示すエピソードとして捉えられなくてはならない。
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ノホンハン事件は日露戦争の勝利以降、日本軍の初の大敗であったが、隠されてきた。戦争終結の岐路となったはずである。
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本書は大日本帝国の参謀一派、特に辻政信参謀に対する痛烈な批判である。超エリート集団であった参謀本部作戦課と関東軍作戦課。彼らの空論と暴走そして無責任主義に強い怒りを覚える。前線部隊への厳令に対して参謀仲間への事勿主義に苛つきを感じ、何より恐ろしいのはノモンハンの首謀者たちがのちの太平洋戦争の参謀本部の主要人物であった点だ。さらに戦後、辻政信は代議士まで務めている。
法律学では規則功利主義を以て法を考察する。であるならば歴史学においては行為功利主義的すなわち「if」を以て検証することは十分有益だと思われる。つまりノモンハン事件が停戦協定なく継続していたら。本件が契機となり第二次世界大戦が勃発し第二次日露戦争を招いていただろう。ソ連が独日を相手取った勝敗は推定困難な面はあるが、仮に日本が敗戦した場合、共産主義国家という歴史を経ることは確実であったであろう。そうした点では大日本帝国参謀たちの時局の読み違えを国際情勢が是正した格好となったとも言える。
明治・大正の参謀は確かに有能であったかもしれない。もしかすると山本五十六に代表されるような海軍は比較的まともであったのかもしれない。しかし日露戦争の「神風」的勝利に教訓を求め、精神に勝利の拠り所を求める軍中央部に戦略があったといえようか。「兵、有能にして、将、無能」。『失敗の本質』が分析した国家の脆弱性が具象化した事件であったと痛感する。
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ノモンハン事件。満州国とソ連との国境をめぐって日本とソ連が対立し、軍事紛争に発展した事件だ。一応「事件」と呼ばれているが、双方で数万の死傷者を出し、規模を考えれば、「戦争」だ。
で、このノモンハン事件、日本軍の暴走と楽観主義、無責任さを象徴する出来事だった。敵の兵力も戦場の地形もろくな調査をせず、味方の補給路も考えず、戦車の数も不十分、頼りは大和魂を持った兵士たちだけで関東軍は戦闘に突入する。それで、短期勝利は間違いないと結論を出す関東軍参謀たち。そんな関東軍の無茶振りを根拠なく、しぶしぶ受け入れる国内陸軍。暴走する現場とそれを止められない中央という関係が改善されることなく、日本は敗戦へ突っ走る。そんなお粗末組織の日本軍を著者は冷たい目線で、これでもかと批判する。とくに辻政信をはじめとする参謀については、個人的嫌悪感もあり、ボロクソな評価だ。
結局、ソ連のスターリンが対ドイツ交渉を優先させたため、ソ連軍はノモンハンでは無理することなく、日本と和平交渉を締結する。もし、このままソ連軍が突き進んでいれば、アメリカとの太平洋戦争ではなく、ソ連との日本海戦争が起こっていただろう。しかし、和平によるソ連撤退を自らの奮闘によるものだと勘違いしてしまった日本軍は、ノモンハン事件から何も得ず、参謀も責任を取ることもなかった。
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ノモンハンについて知ったのは、大学1年の夏。
当時、「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいて、その中にノモンハンについての記述があったのを覚えている。
そこに書かれていたノモンハンは、戦闘全体のことではなく、個人的な体験、一人の登場人物の回想を通じて伝わる戦争の悲惨さであった。しかし本書は違う。
ノモンハンでの戦闘になるまでの過程、ドイツ・ソ連の動きが同時的に描かれており、その全容が一から説明されている。想像力を掻き立てる小説的な描き方ではないが、戦闘の悲惨さが俯瞰的に描かれているが故にわかることがある。それは逆説的ではあるが、そう描かれていることで陸軍兵一人ひとりの生きざまに限りがなくなるということだ。「ねじまき鳥」で描かれたのはフィクションであるという前提の一方で、極めて高い可能性で現実にあるものだという確信を生む読書体験になった。
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本屋でたまたま見かけて衝動買い。いわゆる「ノモンハン事件」を当時のドイツやソ連の外交状況などの国際関係も踏まえつつドキュメンタリー風にまとめた小説。一次資料を多く引用されていて、学ぶところの多い一冊だった。巻末の解説も執筆動機などに言及していて、非常に興味深いものだった。読んでいくうちに、当時の日本軍による太平洋戦争にも見られた調査不足・根拠ゼロの希望的観測に基づいた無茶な作戦計画が、ここでもなされているのがわかってやるせなくなってくる。全体的に抑制の効いた文章だが、行間から同じように感じておられただろう著者の怒りや悲しみが伝わってきた。
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決定的に道を誤った事件。
冷静な考えもあった一方で、どうしようもなく流されることとなったのはなぜか、各国の思惑の中で、日本はどのような決定をし、又は決定をしなかったのか。
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この戦争には明確な勝利点がない。広大な荒野にソ連軍と関東軍がそれぞれ国境線を主張する。はっきりいって国境線が5キロ10キロずれたとしても景色は変わらない。都市があるわけでも資源があるわけでもない。そんなところで、国境を犯したとして大本営の戦線不拡大の方針を無視して戦争を始める関東軍は無謀の一言に尽きる。とくに傲慢なのが参謀の辻正信だ。
『一挙に攻勢に出ればソ連兵は軟弱だからすぐに退却する』という相手を舐めきった認識のもと(陸軍の中では日露戦争以来のロシア兵に対する常識的な認識らしい)戦争をしたくてしょうがなく、挑発を繰り返した感じだ。おそらく辻の頭の中にはソ連軍との陣地争いに勝つことしたかなく、この局地戦がソ連との全面戦争に突入する極めて危険なことという認識が欠如している。辻の論理は簡単だ。『やられる前にやる。やられたからやり返す』
しかし、前線においてはある意味こういう威勢がいいだけの指揮官はいてもいいと思う。問題なのは大本営が、前線をコントロールできなかったことだ。それというのも大本営の内部でも意見の統一が出来ず、断固たる処分を下せなかったからだ。
関東軍も関東軍なら、大本営も大本営だ。責任は双方に課せられる。
それでも第一次のノモンハン事件では、関東軍は健闘する。ソ連軍戦車に対して火炎瓶で対抗する。無謀に思えるが、このころの戦車は火砲を打ちまくると車体が熱くなり、火炎瓶でも熱によって炎が広がり、操縦士のいる車体内部まで燃えたらしい。それによってかなりの戦車を無力化した。そして航空戦力でも日本軍の戦闘機や操縦士のほうが優秀だった。だから、まあ一進一退の攻防だったと言えなくもない。
でも第二次になると日本側の被害が次第に甚大になっていく。長くなるので省くが、ソ連軍の陣地はまさに鉄壁で、関東軍の装備では破ることはできない。
ソ連が深入りしなかったのはナチスドイツの動向が一番の気がかりだったためで、東西二方面で戦火を交えたくなかったことが大きい。
ただ従来言われてきたように『日本軍の惨敗』と言うのは当らない。ソ連の被害も甚大だった。
目的も明確な勝利点もなかったという点において、「惨敗」というより、「無駄死に」という言葉のほうが当ると思う。兵隊をただの駒と捉える非情な昭和陸軍の体質が表出した先鞭かもしれない。
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第二次世界大戦の遠因にもなったノモンハン事件についてのドキュメント。
権限の委譲のいきすぎで結果的に関東軍の独断専行を招き、それに誰もすずをつけることができずに崩壊にむかっていったプロセスの第一幕がこの事件。
しかもこの主要な幹部はだれも更迭されてないところに闇がある。
当時の参謀本部は関東軍に及び腰。その原因はいきすぎた権限委譲の元気の良すぎる青年将校を現地におくりすぎたことが原因ではなかろうか。
その結果「関東軍に「案」を示しただけで、あとは研究にまかせた。つまり示達できなかった。参謀本部は真の統帥を放棄して虚位を誇る態度のみつづけていた、」というような事態がうまれ次第に統制がきかなくなっていく。
そして辻政信のような怪物がうまれる。
当時の参謀にいたのちの山下大将は辻のことを
「中佐、第一戦より帰り、私見を述べ、色々の言ありしという。此男、矢張り我意強く、小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男なり」
と述べている。
権限委譲をして登用するときには、とにかく我意が強すぎて能力のある人材ほど気をつけろということであろう。
むしろ当時の日本軍は、我意の強さがむしろ積極果敢な姿勢と評されていた。
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必至に頑張る現場と、腐りきった上役。空虚な楽観で現実を直視せず、犯した失敗を教訓に出来ない能天気ぶり……。悲惨極まるノモンハン事件には、大日本帝国の、ひいては現代日本にも根を張る、日本人のウィーク・ポイントが凝縮されていると思った。
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ねじまき鳥でノモンハンに興味が出たので、読みました。おもしろかったです。まあ、おもしろかったというか、憤りをかきたてられました。反省も理性的思考も満足な情報収集もできない人間に振り回されるのっていやだなあ、と思いました。銀河英雄伝説のフォークを思い出しました。(2015年7月8日読了)
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ノモンハンでの凄惨な戦闘と、それを生起させた要因について精緻に、分かりやすい筆致で語りかけてくれる。
しかし、そもそも満州国を建国するとなればソ連と長大な国境を接すること、日中戦争を進めるためにはその手当をしながらでなければならないこと、南進すれば北にも相応の兵力を残置しなければならず、米国からの石油輸入も止められることを想定しなければならないこと・・歴史の結果を知っている我々は何故日中戦争、ノモンハンの事変、太平洋戦争へと突き進んでいったのか理解に苦しむのであるが、その時の時間軸にいた人々はそのようなことは見えない。歴史の本質なのかもしれない、と思う一方、我々は歴史から学び、今この時間軸から未来にかけてより平和な世の中にしていく責務があるのだと実感。
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まあ、エッセンスは「昭和史裁判」に書かれているからなあ。ノモンハンだけでこの厚さ。安倍内閣の右傾化が怖くなるよね。
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満蒙国境事変であるノモンハン事件を、国家間の駆け引きから、連隊レベルの動きまで幅広く記述。
当時の国際政治も興味深いが、やはり、上級司令部の断固たる指導、統制の欠如とか、幕僚の本分とか、そういうところが反面教師的に勉強になった。
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ノモンハンのことはあまり知らなかった。
これほどまでに残酷な紛争だったとは。
(残酷とはもちろん、戦場でのことではない)
辻服部地獄にいてくれなければ困る。
もう少しノモンハンのことをよく知りたいような気がする。
でも知ったら知ったでやるせなさに耐えきれないかも。