あえて批判する・2
2005/01/25 17:11
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投稿者:野崎泰伸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
着眼点はおもしろいし、それを棄却したいとは思わない。こうした本を読んで、シニカルに読み棄てる輩に対しては、最大限に蔑視したいとすら思う。
その上で、である。
こういう本を読んで、素直に納得できないのは、やっぱり僕の心が曲がっているからだよなぁと思いつつ。
彼は、数字で人生を決める「客観的」な社会から、「主観的」なQOLを重視する社会へと移行すべきであると説いている。「生きる意味」を失った人ばかりが住む社会への危機感を唱え、いきいきとした人生を送れる社会であるべきだ、と言う。
問題意識としては、決して外れていない。それは森岡正博が『無痛文明論』で描き出そうとするものと呼応しているとも思える。だがやはり、「本当の満足」が得られるためには、心の問題だけに目を奪われるべきではないと思う。数字的な欲望(森岡の言う「身体の欲望」)から人生の質を重視する欲望(同「生命の欲望」)への転換だけでは、「生命の欲望」を持たない人は「生きるに値しない」ことになってしまわないのか? そして、そもそもそんなことが問い得ないように思える、重度の知的障害者には「生きる意味」を問うことすら不可能にも思えるが、そのとき、「理性ある」者が「生きる意味」をことさらに問いたてることは、知的障害者(やその支援者、家族など)をさらに追い詰めることにはならないのだろうか。
ただそこにいればいい。ただ生きていることをまずは肯定しようと思う。それに比べれば、(言いすぎだと思うけど)「生きる意味の問題なんて…」と思ってしまう。私たちは、「生きる意味」を問う前に、まず最初にすべきことは「ただ生きる」ことを肯定することだということを、忘れてはいまいか。「生きる意味」は、死んでしまっては問い得ない。
いま「生きる意味」を感じられなくて、死のうかと思っている人もいるだろう。そして「巷の噂」を信じれば、ネット上にはそういう人が数多くいるはずだ。しかしそういう人たちに対して、あえて僕は「ただ生きていろ! あなたが生きていることそのものが、あなたの尊厳なんだ! だから、何もいま死ななくともよい!」と、無責任にもまずは言いたい。
日本仏教への新たな期待
2016/09/13 09:05
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投稿者:平良 進 - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者は、筆者の視点から生きる意味について独自の論を展開している。その中で、一部の宗教者たちが開かれた場づくりをしていることを紹介している。これは比較的、斬新な視点なのではないだろうか。葬式仏教と化した現代日本の寺院の中で傑出した役割を果たしているコミュニティを紹介することによって新しい「場」の在り方を模索するというのもひとつの生き方の提示なのかもしれない。
ひとりひとりが自分自身の「生きる意味」の創造者。
2006/05/21 18:53
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投稿者:TEMU - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちは、道具はふんだんにあっても、
それを使って夢を描くことが難しい社会に身を置いている。
その結果、「生きる意味」を構築する力の弱体化、
個人レベルでの衰退が進行しているという。
原因の1つとして、「数字信仰」が挙げられる。
小学校のペーパーテストに始まり、高校・大学受験の偏差値、
社会に出ると、会社の業績、年収と
あたかも数字に表れたものがその人のすべてだとでもいうように
常に「他人の目」にさらされながら生きてきた。
確かに数字は、客観的で、曖昧さがなく、主観にも左右されない
一番効率的で分かりやすい。
しかし、`数字´という枠組みのなかで考えている限り、
われわれは「生きる意味を生み出す自由」を獲得することは
できない。
生活水準が上がり、これだけ豊かになっているにもかかわらず、
過労死、自殺者が跡を絶たず、自分のことを`被害者´だと
思わされてしまう。
これは数字という`誰にも通用する意味´を
求め過ぎたあまり、結果的に誰の意味にもならなくなった
「数字信仰」の功罪であろう。
「生きる意味」は、誰かから与えられるものではなく、
試行錯誤しながら、自分の手でつかみ取るものである。
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「『生きる意味』とはなんだ?」
誰もが考えたことのあることだと思う。
他人の目を意識せずに自分の人生を生きてみては?という上田氏の励ましに勇気をもらえる。
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信頼するキャリアカウンセラーの人に薦められた本。
今読み返しても、そのメッセージの輝きは失せることがありません。
何がほしいってよくわからないけれども、何となく飢餓感がある、幸せじゃないような気がする、
そんな感覚がどこから来るものなのか、社会学の見地から、納得のいくようにわかりやすく説明してくれます。
そして、今生きる意味が見えない時代に、何が求められているのか、未来の方向性についての一つのかたちを示してくれます。
この本を読んだから、すぐに癒される、報われる、という本ではありませんが、
今自分が立ち向かう苦悩に意味があるんだということ、そして生きる力を少し分けてもらえるような、
そういう本です。
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ある省の説明会で人事の方が紹介していた本。筆者は文化人類学者。哲学的な話かと思いきや、構造改革やグローバリズムの危うさを説き、今後の社会のあり方について語った本でした。筆者がすごく真剣に生きてきたことが文章ににじみ出ているように思えたし、内容にも説得力がありました。
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授業のテキスト。
生きる意味って考えなくても生きていられる人ってある意味、幸せなのかなと思った本。ブログみましたと著者から教授宛にメッセージがきてびっくりな一冊。
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今の日本社会の問題点を、「生きる意味の喪失」という観点から熱く論じた一冊。その明快な論理展開と、様々な社会問題の関連付けは見事。
第1章で、日本社会は豊かであるにもかかわらずどこか人々が空虚なのは、社会の成熟化に伴い、戦後の高度経済成長のように「他者の欲望」を生きていればよい社会ではなくなり、「生きる意味」を見失っているためであると論じる。第2章で、そうやって時代が変化しているにも拘らず、日本社会には「世間の目」がはびこっていると指摘。周りや社会に「受け入れられる」ために「自己透明化」しなければならない、という筆者の指摘は、今の若者の人間関係を見ても明白であると思う。なお、ここまでの日本社会論は、日本の近代化論とも結びついてくる内容であろう。(cf. 「前近代」から「超近代」へ)
次に、第3章で、今度はグローバリズムと新自由主義経済の浸透について見解が述べられる。一見、ウォーラースティンの言う「メガトレンド」と絡めて考えても言えるように、日本のイエ・ムラ社会の「縛り」(≒「世間の目」)から個人を解放してくれるような錯覚を私たちに与えるグローバリズムだが、実はそれは間違いであると筆者は言う。むしろ、より大きな「世界」の目を意識しなければならない。その上、個々人が共同体から解放されることで、人々はかえって自分を失っていくという。さらに、第4章で、そのようなグローバリズムによって、一元的でわかりやすい「数字信仰」がますます進行し、その動きは加速するだろうと論じる。
ここまできて、今の日本に必要なものがだんだん見えてくる。それは、新たなかたちでの「共同体」の再構築である。その必要性が、残りの第5、6、7章に渡って述べられている。「縛り」を与え、人々を受動的にさせるような共同体(日本社会に従来存在していた運命共同体・血縁共同体、また「世間」)が社会を支配するのでもなければ、個々人をやみくもに共同体から解放し、路頭に彷徨わせるのでもない。人々がその多様な価値観を尊重しあい、同じような価値観を持つ人同士がコミュニティーを作り、認め合う社会。ただ単に「個性」だけを尊重して「わがまま」をまかり通させるのとは違う。「わがまま」は、周りの価値観との齟齬があって生じるものであり、「あるがまま」に生き、語っても、きちんと「聴く」人たちがいて、<対話>が生まれうる社会を作れば、「あるがまま」が「わがまま」ではなくなる。そのような社会が構築されたとき、人々は「生きる意味」を見出せるだろうというのが、筆者の結論である。ある意味、理想論に近いかもしれないが、近年のNPO/NGOの台頭、また教育活動を通して学校から教育コミュニティーを再構築する動きなどを見ると、それもあながち夢物語ではないのかもしれない、と思う今日この頃である。
<共同体>が<個>を作る時代から、<個>が<共同体>を作る時代へ。そんなことを考えるきっかけとなった一冊である。
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社会学専攻の専攻決めレポートの課題で読みました。上田のいう「生きる意味のオーダーメイド」社会は「身近なところから一歩を踏み(p.222)」ださなければ、生きる意味がわからなくても、ずっと苦悩したままであっても知らないよ、という、ある意味で厳しい社会であるとも思う。「生きる意味」を強調しすぎるのもどうかと。そう言う社会は、自分らしさ「オリジナリティー」を重視するはずが、結局「生きる意味を持たねばならない」という「他者の欲求に生きる」ことになってしまっている、とも言えるかもしれない。もちろん生きる意味は持てるなら持てた方がいい。しかし、社会に広がる「生きる意味を持たねばならない」と言う思想もまた若者の苦悩の原因の一つになっているように思えてならない。
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この本には、生きる意味とは何かということが書いてあります。現在の子供は、理由もないのに人を殺したり、傷つけたりする。2000年のバスジャック事件などがそうである。ちょっとした些細な理由で凶悪犯罪をする子供が増えている。大人は、毎日、出世のことだけを考えて働いている。出世をすると飲む酒が変わり、自分が頑張ったんだということを実感する。生きる意味は、自分でしか見つけることができず、見つけだすことが人生ではないのか。
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大学の専攻科での、私より1学年下から課題図書となっている。ゆえに、私自身が授業で読んだわけではないが、個人的に関心があったので読んだ。
「生きる意味」について深く考えさせられた。今までの自分は、テストでそこそこ点を取って、阪神の応援に球場に行って・・・という生活だった。
趣味といえば阪神の応援、野球の応援、それが全てだった。シーズンオフになると、何か物足りなさが付きまとった。
大学生になってから、自分は何のために生きているんだろう、と漠然と考えていた。
今も、答えは出ていない。本書は、読了すれば答えがはっきりと浮かぶというものではない。あくまで、結論に至るプロセスの一部を提供しているに過ぎない。
本書の主張は、凡そこうだ。
「この時代の病として、「人の目」と「効率性」ばかりを気にする、というものがある。高度経済成長期における「数字信仰」は現代にも強く残っている。しかし、私たちや私たちの社会を外から量的に見る見方だけではなく、「生きる意味の成長」といった人生の質に関わる成長を考えるべきではないか。そうした「内的成長」をもたらす社会への転換が求められているのである。」とした上で、「生きる意味」について、最終章などで考察している。
本書の批評を見ると、言葉が軽い、結論がはっきりと示されていない、などのマイナスの評価も少なくない。
もちろん、私自身、それに反論する気もなく、その視点はむしろ正しいとすら思っている。
しかしながら、本書から「生きる意味」を構築する上でのヒントをたくさん学ぶことができた。それは、言葉の軽さというものを補って余りあるのだ。
それに、結論はみな同じでは、この本の内容の場合、困るのである。自分で創造し、見出したものだからこそ、自分自身の「内的成長」を促進するものになりうるのである。
哲学的思考をくすぐられた良書である、という点で評価は5つ星とした。
教員、親など教育する立場の人間は必読だと思う。
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学校で買わされました・・・。
先生は私たちになにをもとめてるのかねぇ?
なんか、逆にもやもやしたかも?
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人々によって生きる意味というのはみんな違うと思います。
自分がやりたい仕事をやるのが生きる意味という人もいれば、生のため毎日必死で働いている人はお金が生きる意味という人もいます。人それぞれでしょうね。今まで、自分にとって生きる意味は何だろうと考えたことはないです。しかし、人に聞かれたら私はすぐ答えられます。それは、今の私にとっては自分を生んでくれた両親の幸せ、健康などが一番生きる意味だと思います。しかし、自分が結婚して子ともができたら子ともが全部で生きる意味になると思います。変化する生きる意味のために私たちは毎日頑張るではないでしょうか?
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現代は生きる意味の見つけづらい時代だ、という前半は基本的に認識に相違ない。
成長が止まり、社会の価値・会社の価値・家族の価値・個人の価値が一致していた時代は終わり、そもそも社会は生きる意味を与えてくれなくなり、それでも対抗軸を打ち出せないため、目的のないまま競争だけさせられる状態。
大きな物語の喪失はポストモダンの定義なので、ここまではとても納得感がある。
他方、生きる意味=かけがえのなさと説く後半になると途端に納得感が薄れるのはどういうわけか。
ここで言っているかけがえのなさは、コミュニティに属すだとかいったことで、かけがえのなさ、という言葉の響きからは離れた陳腐なもののように思われて、それを生きる糧にしようと思うのは難しいのではないか。
また、かけがえであることができれば生きる意味(意欲)を持ちやすいのかもしれないが、かけがえのなさが生きる意味だと言われてもそれを実感できない人間は、自分ひとりの力でかけがえのない存在になれるわけではないし、もはやそうでないという理由で生きる意味を逆に喪失するのではないだろうか。
僕の考えでは、生きる意味などそもそもなく、人生は所詮死ぬまでの暇つぶしなのだから、どうやったら自分が自己満足して死ねるか、という視点が大切になる。
ある人はそのときそのときの快楽を最大化したいだろうし、ある人は何であれ自分の立てた計画を全うして生きることに喜びを感じるだろう。
用は他者との関係でかけがえのなさの不足に悩むよりは、自己満足で良いから、自分はら楽しめるように生きた方が生きる気もしてくるのではないかということだ。
ちなみに僕は良い事をしたい人間なので、世の中でいいこととは何かを見極め、それをすることが正しいと思えることを見つけ、納得することが自己満足への道だ。
だから他人なんてどうでも良いから、納得することのためだけに生きていたいのだが、所詮周りの評価や反応に一喜一憂してしまう点も捨てきれないのであり、人生をハッピーに生きているとは言い難い。
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グローバリズム×構造改革⇒均質化・効率化・弱肉強食⇒国と個人の間にあった、地域社会・学校・会社・家庭の弱体化⇒経済的不況×生きる意味の不況。経済的成長は手段であり目的ではない事の自覚、交換不可能な、個の生きる意味を育む内的成長社会の転換が必要 。