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アリストテレスの思想のつまみぐい。それぞれピックアップしてまとめてくれているので、頭の整理に役立ったような気がしますが、ふりかえってみると、特に印象がなかったりするのも事実。まあ、悪い印象はないので、極端に間違ったり偏ったりということはなかったんでしょう、きっと。(2014年5月5日読了)
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アリストテレス。その膨大さ、翻訳の難解(であろう)さにビビって、評判の良いこの入門書から入る。
プラトンの思索の深さは、対話篇という方法に宿っている。
アリストテレスの深さ、広大さは、どこからくるのか?それは観察と情報収集という方法に根付くのだろう。
カテゴリーにしろ論理学にしろ、アリストテレスの独自さの根っこには、膨大な情報に立ち向かう方法からうまれてきたのかな、と思わせるものがある。
それを支えているのは「やむにやまれぬ知ることへの情熱」でしかないものがある。
また、未完で終わった(ように残ったものからは見える)体系も、膨大な情報量と情熱との前に時間が足りなさすぎたようにも感じる。
イデアを批判していることは、例えば、知識は経験を経て得られるものということ。イデアがあるのであれば、それは感覚や経験から直接、観想されるのではなかろうか、と。いや、知識はあくまで抽出されるのだ。つまり、帰納法的なものなのかな、と、理解した。
論理学を創始したこと、また、論理学に使う名辞をアルファベット表記したことには恐れ入る。
ゲーデルが自己言及させた方法も、ここに始まるのだ。
と、同時に非形式論理も扱っている。
具体的、というのを、形相と質料のそろったものとし、そこから形相だけを分離して考えることを抽象という考え方は目から鱗だ。抽象化というのをここまでわかりやすく説明したものはないだろう。
プラトンをこの世界の事物をそれ自体として自足したものと考えずに、その外にイデアを想定したのと対照に、アリストテレスは明らかにこの世界のなかで考えることを前提としている、という対比がとても面白い。アリストテレスはものの本質を個別的な実体に内在するものと考える。イデアは個別的な実体にはみえない。ラファエロの絵はこの対比としてみてとれる。
面白かったのは、アリストテレスがやはり体系としては未完ともみえる対立を残してること。立場による、というような相対性にいること。
これはカテゴリーなどのような厳密さを追求した結果、厳密さが伴わずにはいられない矛盾、限界への発見に基づいたのではないか。
結果的に複数の視点が共存していることこそ今日的には重要な点となるようにも思える。
可能的なものと現実的なものとの区別も面白い。可能的なものが、プロセスを経て、現実性のものになり、現実性のものが実施される、その実施、行動、活動にこそ幸福が宿る、というのは、サン=テグジュペリを読んだあとだけに、まさしく!となる。
アリストテレスの天動説があったからこそ、それを否定するものとして、コペルニクスがありえたわけである。
アリストテレスが種というものを定義して、それを、固定した形相を受け継ぐもの、としたからこそ、種の起原としてダーウィンは種の進化を唱えることができたわけだ。
すべての学問がなんらかの善を目指しているのだが、善そのものを目指すことはない、というのも、プラグマティックと言っていいのか、素晴らしい最高のプラトンへの回答でもある。
相対的であること、保留されてること、帰納的であること、プラグマティックであること、広大であること、創始者であること、プラトンの対立者であること、アリストテレスの重要性はなかなか説明しきれないことがこの本だけでめちゃくちゃわかった。
さぁて、気を引き締めて、アリストテレスに入るか。
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先日読んだマルクス・ガブリエル「新実存主義」でも言及されていたアリストテレス。2,400年の時を経た今もなお哲学・自然科学の分野で参照され続けるには絶対何か理由があるはず。それが知りたくて、「魂について」(邦訳題は「心とは何か」講談社学術文庫)の予習としての意味も込めて本書を購入。
アリストテレスはよく言われるように、経験から得られる知識をもとに普遍的な原因や原理(アルケー)を知ることを最上とした。有名な三段推論法も、プラトンのイデア批判も、全て世界の事物の存在を前提とした「経験主義」ともいえるプリンシパルから生じている。しかし著者によれば、アリストテレスの経験主義は単なる事実の知にとどまるのではなく、事実の原因やその背後の原理を探究することを要求するものであったという。確かにこう考えれば、実用的な知(製作知・実用知)よりも、知ることそれ自体に意味があるような知(観想知)を上位に置くというアリストテレスの態度がよく理解できる。
「心とは何か」を読んで驚いたことの一つに、人間の感覚機能についてのアリストテレスの描写が、今日の常識と比べて全くといっていいほど違和感がないことがあったが、本書に紹介されているイデア批判を読んで得心がいった。アリストテレスは対象の経験から遊離した本質の存在を認めず、あくまで感覚された具体の中に本質を求めていたのだ。畢竟、アリストテレスが五感を重視しその発現過程の探究に力点をおいたのも理解できる。
また以前読んだ「アリストテレス・生物学の創造(アルマン・マリー・ルノワ著、みすず書房刊)」で論じられていたアリストテレス的目的論の根拠は、本書でもやはり生物種固有の機能の世代間維持、すなわち形相の維持にあるとされている。その形相も、個別と普遍を架橋するというその本質からして、やはり経験による個別の実体の把握を経なければ把握されないものなのである。
全編を通じて、ブレのないアリストテレスの像を得ることができた。
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入門書として、よく構成されている。記述もできるだけ誤解のないように配慮されている。
哲学書を読む中で、しばしばアリストテレスの概念が引用され、なんとなく理解してきたことが本書ではっきりとした輪郭をつかむことができた。それも彼の発想の源までたどる説明をしてくれたおかげだ。
刺激は少ないが、主要な概念をきっちりと抑えることができる、事典的な効果をもった本である。
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ソクラテス、プラトンの思想はこれまで深くみてきたが、アリストテレスの哲学はあまり学んでこなかったので入門書として学習した。
ソクラテス、プラトンの思想の影響を受けており、またアリストテレスも後世の哲学者たちに多大なる影響を与えてきたのがよくわかる。
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完全なる最高の幸福は「観想的生活」であるとの結論は出ているわけだが、皆がそれを目指すと「実践」する人がいなくなってしまうのが問題。アリストテレスはその問題への回答は示していないようだが、製作知への評価は低いものの、実践知への評価・利益は認めていたと考えるのが自然だという著者の記述に苦慮が感じられる。
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入門らしく、平明な言葉で広い分野をカバーして書かれている。ただ文書のつながりというか流れがちょっと分かりにくくて、読んでいて内容が入ってきづらいところがあると思った。だからなのか、広い分野を浅く見ていくせいなのか、通読してもなんだか印象が薄い。ただ、論理学の部分は親切な解説で分かりやすいなと感じた。