紙の本
戦中の3作
2018/05/04 22:15
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦時中に書かれた『惜別』『津軽』『御伽草子』の3作を集めている。『惜別』は仙台に留学していた魯迅と学生たちの交流を描いた作品。『津軽』は作者が津軽を訪れた際に地元の人々とのやりとりや、当時の地方の風俗を描いていて、驚くのが戦時中であるにもかかわらず、語り手である作者やその周囲の人物たちも確固とした生活を続けていること。終盤、乳母との再会を求めてたどり着いた学校で運動会が開かれているところも印象に残る。乳母とも再会を果たした作者はこのように結ぶ。「まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行はなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」。最後の『御伽草子』も名高い作品だが、冒頭の空襲シーンはわくわくさせられたものの、肝心な本編はどうも乗れなかった。くどくど理屈がうるさ過ぎた気がする。いずれ読み返すことがあれば。
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饒舌で愉快、ユーモアに富んだ太宰の文体。その魅力を再確認。若き日の魯迅を題材にした「惜別」に惹かれた。「お伽草子」は何度読んでも面白い。昔話において釈然としなかった部分を太宰流にとらえ直し、読者を読書の歓びの中に招き入れてくれる。
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文芸イベントでよく見かける「太宰治」、しっかり読んだことがないので、太宰治を読んでみたい、読むなら全集を買ってしまおう、ということで第七巻。
津軽、惜別、御伽草子(瘤取り、浦島さん、カチカチ山、舌切雀)
いや、純文学というから難解なんだとずっと思っていたのだけれど、巻を増すごとに太宰治のユーモアにくすりと笑ってしまう。たまにおいおいなんてつっこみつつ。
肩ひじ張らず、お堅いことを言わず、楽しんで読んでいいんじゃないか、純文学。何を純文学というのか知らないのだけれど。
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津軽の風土記として楽しんでいたら、ふいに最後に泣かされた。あのメッセージは何なのか、唐突だけど、とても心に響いた。
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「津軽」はけんちん汁みたいな一冊。地の物満載、郷土愛に溢れ、田舎出身のわたしにはどこか懐かしい味がする。
自分が生まれ育った故郷への愛情を幾千万人に伝えることのできる幸せを、太宰は果たして感じていたのだろうか。顔向けのできない愛する郷土の為に、太宰は情熱をもって仕事をしていたのだろうと推測する。
「人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である(40項)」
「『や!富士。いいなあ。』と私は叫んだ。富士ではなかった(132項)」
「親孝行は自然の情だ。倫理ではなかった(179項)」
登場人物の会話がなかなかにシュールでとても面白い。高尚な道化を交えるからこそ至言格言がまぁ生きる生きる。
続く「惜別」も太宰の大事業の1つ。そして個人的に太宰の凄さを改めて思い知った一冊。材料を元に自由に書き認めたとは言え、自分が同じようにこうして復元してもらえるのだとしたら、暗誦するまでこっそり読むと思う。人知れず。
「このように誰にも知られず人生の片隅においてひそかに不言実行せられている小善こそ、この世のまことの宝玉ではなかろうかと思った(263項)」
「文明というのは、生活様式をハイカラにする事ではありません。つねに眼がさめている事が、文明の本質です(273項)」
「人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う(294項)」
周さんすげぇなあ。分かりすぎてしまうから生きづらく、知りすぎてしまうから悩んでしまう。天才が突っ走ったら誰も追いつけない。その苦悩と情熱の葛藤が苦々しくありありとこちらに伝わってきた。かの魯迅が過去日本にいたことすら知らなかった。今後読んでみたいな。