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かの有名な渡部昇一氏が著した日米現代史における歴史の再考。
教科書の記述が正しいのかは、教科書以外のさまざまな文献を読んで比較検討しなきゃいけないなと。
本書はそんな、教科書に書かれていない日米現代史を教えてくれます。
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太平洋戦争、また戦後についてあまり触れたことのない側面から書かれてる、面白い本。
正直、根拠が伝聞だったり、完全に主観だったりのとこもあるけど、開戦のきっかけは「ドイツとの同盟」、「反対尋問」の力など。
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歴史は好きなのですが、太平洋戦争あたりからの現代史はほとんど知識がありません。高校の歴史の授業が大正時代あたりで終わってしまったことや、社会人になっても、群雄割拠の戦国時代に興味があったためだと思います。
現代史をわかりやすく解説してある本が少ない中で、渡部氏は数多くの著作を残されていて、以前から興味深く読んでいます。この本には、日露戦争に勝利した頃からアメリカが日本を恐れ始めて、結果的に戦争に突入した経緯が説明されています。
本来ならば日本は農業国になってしまう予定が、中国の共産化や朝鮮戦争勃発のために対日政策が変わって今に至っているようです。
戦後に財閥解体や公職追放があったとは史実として知っていますが、それが事実上中断したのも、対日政策の変更によるものだそうです(p143)、例外として大学とマスコミは残ったようですが(p133)。
以下は気になったポイントです。
・初代天皇(神武天皇)の「八紘一宇」の精神が国柄を象徴している、勝者となった大和朝廷が自分たちの神を押し付けず、敗者の側は各々の神を祀ることが許された(p11)
・騎士道精神とは、騎士が戦うときにはそれぞれの理由があるから、その言い分を「どちらが正しい」と言ってはいけない、問題となるのは「正しいやり方で戦うかどうか」(p15)
・30年戦争の中心地となったドイツでは人口の1/3から1/5に減少した地方もあり、その反省から「ウェストファリア条約」が生まれて国際法という概念(負けた相手を裁く)が固まっていく(p16)
・アメリカでは人手が足りずに発明された機械を壊そうという欧州であったような運動はなかった(p19)
・南アメリカはカトリックであり改宗した人とは仲良くしたが、北アメリカのプロテスタントは交わらずにインディアンを潰した(p21)
・アメリカ独立宣言ででてくる「人=men」とは、本国にいるイギリス人とアメリカにいる男というくらいの意味(p23)
・シナとの貿易においてイギリスよりアメリカが有利であったのは、シナ人が喜ぶ「銀」「薬用人参」「毛皮」があったから(p29)
・日清修好条規の締結はアメリカよりも約20年(1873)も遅い(p31)
・アメリカが日本に求めたのは、1)シナへ向かう船・捕鯨船の中継地となる港の確保、2)燃料等の補給、3)貿易であり、貿易の優先度は低い(p31)
・三国干渉で日本がシナへ遼東半島を返した後、その半島はロシアが、フランスは広州、ドイツは青島、イギリスは九龍半島を押さえた(p47)
・白人は海戦について、文明や国家における盛衰の分かれ目というような感覚をもつ、紀元前480年のサラミスの戦いでギリシアがペルシアに勝利、1571年にレパントの戦いでキリスト教連合軍がトルコ艦隊を撃滅、1588年にイギリスがスペインに勝利等(p55)
・元勲たちの意向に沿って桂太郎首相は南満州鉄道の経営をハリマン米財閥とする仮約束をしたが、小村寿太郎がそれを潰した、それは当時の国民の気持ちに沿っていたが、そのために��日運動が始まる(p57)
・第一次世界大戦でアメリカに恩義を感じているイギリスは、アメリカの圧力をはねつけることができず、日英同盟は解消し、その代りに英米日仏の4か国協定が締結された、これは役に立たなかった(p73)
・現代のイラク国内がなかなか治まらないのに満州国はすぐに治まった、正統の皇帝が帰ってきて満州皇帝になったから(p79)
・張学良が共産党と通じて蒋介石を西安に誘い出して捕虜に成功して、蒋介石は共産党と共同して日本と戦う方針に転換した(p86)
・当時、南京にいた人たちが書いた犠牲者数は、せいぜい3万人、それは民衆なのか兵隊も含むのかは区別されていない(p91)
・ABCD包囲網で、日本製品を買わないというのは対応可能であったが、資源を売らない(オランダが)のは痛かった(p95)
・明治維新の元勲あたりはアメリカの世論の動きを重視していたが、指導者クラスが学校出の秀才によって占められると外交力は格段に落ちた(p101)
・戦艦大和を使ってミッドウェー島を艦砲射撃すれば、ミッドウェー島の砲台よりも射程距離が長かったので有効であったはず(p110)
・日米の戦力差が本当につきはじめるのはガダルカナル島攻防戦以降、ベテランパイロットをほとんど失った上に、アリューシャン島に不時着したゼロ戦を分解した(p114)
・ポツダム宣言には降伏のための条件が記されていた、その条件の中に「陸・海軍の無条件武装解除」があった(p121)
・戦争そのものを対象にする裁判はなかったが、それが覆されたのは第二次世界大戦のナチスを訴追したニュルンベルグ裁判(p123)
・東京裁判では、中立国(ポルトガル、スウェーデン、ノルウェー、スイス、ローマ教皇庁、スペイン等)があったにも拘らず、裁判官はすべて日本と敵対した国、植民地の人(p124)
・GHQの活動にあてられた「終戦処理費」は当時の総予算の3分の1を占めていた(p131)
2012年5月26日作成
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徳川幕府が豊臣秀吉を悪者にしたように、明治政府が徳川幕府のとった政策を湾曲して伝えているように、戦後の政府も戦前の日本の真の姿を伝えていないとしても不思議ではありません。
太平洋戦争は経済格差も考えずに一部の軍部が暴走したというような感じで理解していた私にとっては、渡部昇一氏の書かれたこの本は新鮮な内容が多く含まれていました。
戦争に負けて日本は立ち直るチャンスがあったと思っている私ですが、真実はどうであったのかに焦点を絞って書かれたこの本は興味のある内容でした。
以下は気になったポイントです。
・アメリカに欠如した中世として、1)奴隷制度の廃止(奴隷を1000年かかってなくした)、2)騎士道の欠如、がある(p13)
・勝った方が話し合って土地を取るなり、賠償金をとることはあっても、負けた相手を裁くという発想は、国際法の基本中の基本とされる(p16)
・当時の大学(江戸時代あたり)は主として牧師を養成する学校であり、職業の専門技���を習得するのはアカデミー(p33)
・イギリスはアヘン戦争以来、多くの利権をシナに持っていたが、満州にはりついたロシアが南下した時にこれを抑える力がないことを自覚した、そこで自国権益を守るために日本との同盟をした(p51)
・アメリカの海兵隊は日本を意識して作られた、大統領が議会の許可を得ずに使える軍隊で、海戦のみならず島を攻めて占拠可能な専門部隊として日露戦争後に創設(p60)
・1924年の絶対的排日移民法は、それまでの州法でなく連邦法となった、国家として日本の移民に扉を閉ざした(p67)
・東京裁判で根拠となった9か国条約は期限の定めがなく条約違反にならない、日英同盟は10年ごと、日米安保条約は1年ごとに更新している(p74)
・アメリカなどの反対にもかかわらず、満州国は世界の独立国のうちバチカンを含む約半分から承認を得た(p77)
・捕虜となるには、軍服を着ること、武器は外に持つ、複数の場合はリーダーがいるという条件が必要、そうでなければ投降兵となる(p92)
・山本五十六は飛行機の将来を見て海軍航空隊を育てたのは褒められることだが、自分が戦場に行かなかったことは残念、日清戦争の司令長官(伊東)、日露戦争の司令長官(東郷)も前線で戦った(p107)
・ミッドウェー島を失ったらアメリカは陸軍を西海岸へ集める必要があり、北アフリカ戦線でイギリスを助けられず、ドイツのロンメル将軍がスエズを落としてイギリスの降伏となる可能性があった(p110)
・開戦時の戦闘機の質と練度は日本は圧倒的、魚雷も日本が優れていた、日米の戦力がつきはじめるのは、ガダルカナル島攻防以後、ゼロ戦のベテランパイロットをほとんど失った(p114)
・終戦間際に、紫電改を集めて、ベテラン飛行士を投入して松山航空隊をつくって、アメリカの機動部隊の飛行機を落としたが、あとが続かなかった(p117)
・昭和天皇が政治に関して意思を述べたのは2回のみ、1)226事件、2)ポツダム宣言受託、である(p121)
・アメリカ人の弁護士で、「原爆を落としたので、日本には復讐権が生じた」と応じた人がいる(p128)
・マッカーサーが満州の爆撃や東シナ海の港の封鎖をアメリカに求めたとき、トルーマン大統領は1951年に彼の司令官の職を解いた、このとき、マッカーサーは東京裁判における日本の主張(自営のための戦争)が本当であったことを気付いた(p142)
・A級戦犯は、サンフランシスコ条約(1951年)の規定(11条後半)に従って、関係国と交渉して、彼らの赦免、減刑、仮出獄を実行し、年金ももらえるようにした(p146)
・1952年に結ばれた日華平和条約や、11条の規定は除外する
ことが明記されている、中華人民共和国は中華民国の責任を引き受けるという立場で国連の常任理事国になったので、現在の中華人民共和国をそれを受け入れたことになる(p148)
2011年8月28日作成
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何かふつーの歴史の本って感じでした。
少々辛口のところもありましたが、全体的に物足りない感じ。
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フォトリーディング。面白そうだ。
なかなか読み進められないのは、過去の失敗が本当はもっと上手くやれたのに…的な事が延々と書いてあってかなり不快なため。ため息が出たり悔しくなったりする。
半分くらいからは高速を伴い、最後の四分の一は高速のみで表題のみを確認して読んだ。
全く何も知らない人には良い驚きかも知れないが、陰謀論やらNWOまで結構知ってて呆れてる輩にはつかれる本だと思う。資料的には良いので星は四つ。
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日本開国から今日に至るまでのアメリカとの歴史と関係を解り易く解説されています。特に東京裁判について、自分は無知だったので勉強になり、どうして総理大臣が靖国神社に参拝するのかが分かりました。中国と韓国は全く関係ないじゃないか!嫌がらせを受けていただけなんですね。
とても読みやすかったので、渡部昇一氏の本はこれからも読んでいきたいと思います。
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黒船来航以来続く日米関係について、アメリカが日本をどの様に捉え、外交戦略を採ってきたかを一挙に解説していく。それ程多くないページ数かつ筆者の言い切り型(良くも悪くも断定的)の文章が、軽快なリズム楽器の奏でる音楽のように入ってくる。日米関係の概要を掴むには非常に読み易い内容である。
始めからアメリカは支那を視野に入れていたから、日本などはその途中にある遅れた小国にすぎず、日清戦争すら極東の些細な事件として受け止める。その後、日露戦争で先進的なロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめしたあたりから、日本に対する畏怖の念が強くなる。その後は米国支那戦略を脅かす満州国設立や、太平洋戦争での血みどろの闘いへと突入する。
本書はこの辺りから、太平洋戦争に関するアメリカの畏怖よりも歴史のifに話が偏ってくる。それはそれで興味深いが、南京虐殺や東京裁判史観に関しては(私も同調する部分は多いものの)、様々な研究成果を全く受け容れない一方向の記載になってくる。ここがまた、そこまで言い切る凄さも感じながら、どこか違和感も感じる。
本書はアメリカの抱く畏怖をタイトルとしながらも、その後の記述はどうも太平洋戦争敗北からGHQによる占領下、サンフランシスコ平和条約の受諾など日本側の落ち度や視点、その後の日本の政治家たちの対中弱腰歴史観への批判が中心になる。いずれもアメリカの機嫌を伺う事は避けられない状況だが、筆者のいう通り弱腰すぎる面は同調できる。
読み終わった瞬間は、一時清々しい風が吹くのだが、数分経つと何か梅雨の時期のじめっとした不快感(濡れた衣服が肌にまとわりつく様な)も来る不思議な本であった。