紙の本
「科学的でない人」には届かないような...
2011/11/13 08:50
8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の小説は以前、よく読んでおりました。ミステリの中でも異色だったイメージがあります。自分が一時小説から離れていた時期に、著者がその世界から距離を置いて、ある意味での「引退」をされていたことは知らず...
「理系/文系」という言葉が頻繁に出てきますが、全体の内容としては1点だけ「科学に対して拒否反応ばかり示しているとイタイメにあっちゃいますよ」というメッセージ。「数字に弱い」とか「科学はよく分からない」と言っているうちはいいけれど、それを考えようとしない、その姿勢に問題あり、ということだ。個人的にも「科学」はハードルが高い。著者が「誤解だ」と言っているけれど、科学者と言われている人たちが、「敢えて」難しい表現をしている、というのはけして誤解ではないと思うし、それが「科学」というイメージを、距離のあるものにしてしまっていることも、現実だと思う。それゆえに「わかりやすい科学者」というのが持ちあげられるわけで、毛利さんとか、でんじろうさんとか、茂木先生とか、メディアに出てそのイメージを変えようとしている人たちもいる。そんな人たちと比べてしまうと、本書の「科学嫌いをただす」力はいかほどか...と思ってしまうんだなあ。
自分は、けして科学が得意ではないし(むしろ苦手だ)、科学者に対しての「偏見」も持っていると自覚しているけれど、科学そのものに対する興味関心はあるし(わからないのは自分の能力のせいだと思っている)、思考から排除するようなことはない(つもり)。著者はその点を懸念、つまり「科学を排除する考え方」を払しょくすべし、科学は特別なことではない、と主張しているが、「理系は文系よりも度量が大きい」というような箇所もあり、やはり「科学がわかる」理系と、「わからない」文系を「区別」しているような箇所も見受けられてしまう。そういうのが垣間見えちゃうとなあ、「だから理系は...」っていうドロヌマになっちゃいませんかね?
「科学とは『他者によって再現できる』ことを条件とした方法であり、それを組み上げていくシステムのことだ。」分かりやすい科学の定義だと思います。いわゆる非科学=超常現象との境界をシンプルに明確に表現しているといえます。でも、後半部がわかりにくいでしょ?「方法でありシステムで...」この辺りがなあ。科学者を批判するつもりはないですけれど、「知らない人にわかるように」という「人間的な」考えも欲しい、というのが率直な感想(これが「科学的でない」のかもだけれど)。
国語、社会(いわゆる文系科目)と異なり、算数、数学(理系科目)は、「方法」を学ぶ科目である。これは同意です。元号を覚えることも大事だけど、なぜ円周率はおおよそ3であるのか、という目を持つこと。思い起こせば、その考え方が浮かばず、理科も数学も(公式など)丸暗記し(ようとし)ていましたね、学校時代。
【ことば】...科学というものは、印象や直観をできるだけ排除し、可能なかぎり客観的に現実を捉えようとする。そうすることで、人間、人生、あるいは社会に利益がもたらされる、と考えられるからだ。科学の目的は、すべて人間の幸せにある。
科学が(もしかしたら)そうは見られていないのでは?という被害妄想的なものも含まれているのではないかなあ。けして否定的ではない人にとっては「あたりまえ」に聞こえてしまうコメントかも。科学でなくとも、哲学だって、心理学だって、文学だって、すべては「人間の幸せ」が目的だよね。
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森先生、新書をもっと書いていただきたいなと思ったけれど、そう思うことがもう考えるのを面倒がっているのだろうな。とりあえず、どうして携帯電話で通話ができるのか、自分で調べて理解したいと思います。
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久々に森先生の本を読んで、懐かしかった。
現代社会の複雑さに目をそむけて、楽をするために状況を鵜呑みにすることの危険さ。森先生は昔からそういうことを書かれていたなあと思い出しました。
津波のエピソードにものすごく納得しました。
波というとサーフィンとか、すぐに引いていくような印象だけど、超高潮になると、引かないイメージがする。
言葉・名詞によって思考が制限されてしまうんですよね。
毎日少しでも、自分の頭で考える時間を持ちたいなと思いました。
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いつもの森先生の話。文系、理系だとか。
震災、というより、それに対する在り方についての言及を含んでいるのが意外でした。時事問題を減らしてより抽象的・一般的な記述にするかと想像していたため。
ある質問に関する、技術者の誠実な回答に関するエピソードが印象的。性急に答えを求めてしまうことへの戒めとして、心に刻もう。
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要するにもっと数字を意識せんといかんってことと、自分で考えろってことを言っとります。主観と感情先行の報道は改めて、客観的な数値を示せとも。震災中に書かれたみたいだからよりイメージしやすい。小説家だけあって比較的読みやすい。ノベライズの一角でよく見るから名前は知ってたけど小説は読んだことない。
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科学とは、普遍性を維持するための仕組みである。そのため、誰にでも再現ができ、誰もが観察できるものである。
科学を通じて、一般的に理系と呼ばれる人と、文系と呼ばれる人の事象に対する反応について述べている。
また、東日本大震災が生じたときの人々の反応から、人々の科学に対しての無知を憂いている、ように書いている。
http://unreconstructed.dtiblog.com/blog-entry-18.html
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数学が苦手でも、物理が苦手でも、ただ自覚的であれば問題は無い。
「言葉」のイメージだけでわかったような気になってしまう「文系」の弱点を思い切り指摘されて、痛い痛い。科学とは「方法」であるという説明がとても腑に落ちた。
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科学とは「誰にでも再現できるもの」である。(P.75)
まさにその通りでもある。
再現性がなければ、科学ではない。
寧ろ、この再現性によって
科学というものは誰に対しても普遍的である
ということができる。
どの人間に対しても科学は等しく、平等であり
「科学とは人を幸せにするものである」
という認識を持つべきだと感じさせる文章だった。
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2011/7/9読了。
科学的ということをもっと深い部分(哲学の範疇に属するような)で考察する内容を期待していただけに、"文系"(文中では理系科目を毛嫌いする人の意)の人に対して理系的な物の見方を説明する議論の中に新鮮味は感じられなかった。
しかし、理系の人間であれば大概の人が感じている(であろう)ことを、イメージしやすい例えと言葉で伝えられるということから、著者が文系に近い理系であるという言葉は的を得ているのであろうと感じた。
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理系の人間は文系科目を「やればできる」と捉えているのに対して、
文系の人間は理系科目を極端に毛嫌いする・・・
書かれている通り、私もそんな文系人間です。
本書の主張は、
『結果だけを見て過程を理解しようとしないのは思考停止である』ということ。
理系科目が理解できないからと、過程を省いて結論を迫るのは思考の成長の機会を失っているというわけです。
盲目的に情報を受け取るのでは振りまわされる側の人間になります。
自分で思考力を高めて正しい見識を持ちたいと思わせてくれた本でした!
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「他者による再現可能性」、これに尽きると思う。
他者から批判されたり、覆されたりするのをおそれて、隠し立てするのはまさに「科学的」の正反対にあることなのですね。
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森氏の作品を読んで理系人間に憧れて、数学の本を読み始めるようになったのですが、それこそが理系コンプレックスの現れてだったんですね。
けれど、この著書的に言えば、自分の物事の捉え方、考え方が理系の思考と同一だと分かったのが嬉しかった。
少しは憧れていた理系人間に近づけたのかも。
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「理屈はいいから」「文系だから詳しいことは分かりません」「科学が環境を破壊した」「技術者(科学者)は理屈ばかりで人間味に欠ける」などと言ってしまう方に読んでもらいたい1冊。
震災の後に書かれたということで、震災絡みで具体的な例が挙がっているのでイメージしやすい。
書いてることは全く難しくなく、優しく誠実に書かれてる。
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科学的の意味を説明しているというよりは、現象に対してもっと疑問を持つべきと言っている本です。
ただでさえ日本語はあいまいなところに、言葉の持つ意味合いは個人の経験などで微妙に異なっている。そこで言われたことをうのみにするな、ということですね。
文系、理系という言葉でくくらなくていいですし、あえて科学的と構える必要もないと思います。
期待したほどの読みごたえはありませんでした。
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科学とは第三者による再現性のあるものであり、そうなるようにするたための態度が科学的な態度という。著者の危惧するように今の日本人は過度にそして意識的に非科学的な態度をとっているように思えてならない。