紙の本
精神的な被害への配慮を欠いた主張はうけいれられない
2012/04/12 22:50
8人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルからして,あまのじゃく的だ. 書いていることにそれほどおおきなまちがいはないようにおもえるが,被災者への配慮はほとんど感じられない. 原発災害がもたらすのが精神的な被害であることは著者も書いているとおりだが,そうであるなら,著者も,また災害対策においてもそこに配慮する必要があるだろう. それを欠いた著者の主張はうけいれられないだろう.
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:伯州 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の考え方が広まれば、風評被害が減少し復興の加速につながるだろう。多くの人に読んでもらいたい。
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原発について、冷静に見ている解説本。
チェルノブイリの事故と比較した現在の福島原発の状況、今後の原発について経済的な面、政治的な面での解説など、わかりやすかったです。
ブログはこちら。
http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/4186569.html
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福一事故では,原発の「安全神話」が否定されたと言うよりむしろ「危険神話」が否定されたのだという話。著者はツイッター上では不用意な発言が多く,震災から間がないころはほとんどデマ拡散者だったが,さすがに書籍になるとそういうのは刈り込まれてまともになってる。原発の危険を否定するわけではなく,リスクを他と比較して費用対効果で判断すべきという姿勢は他の論者と同様。ただ前科(?)があるから一応眉に唾をつけながら読んでみた。まあまあいいんじゃない?
武田教授や自由報道協会など,放射能の危険性を過大視する人々のダメさを批判してる。「宮台真司氏は福島事故のあと、ツイッターで放射能デマを拡散して批判を浴びたが」とか書いてるけど(p.131),自分はどうなの?と思ってしまうな,やはり。
「自由報道協会は記者クラブを批判しているが、新聞記者がこんな(岩上氏の奇形児スクープ発言)報道をしたら懲戒処分だ。組織は情報の品質管理を行なう意味もあるのだ。」(p.111)というのは確かにそうなんだろうと思う。自由報道協会のジャーナリストは自由すぎる。
まともなことを結構言っているが,気になるとこも。菅さんが事故直後の海水注入を「再臨界の恐れがある」として止めようとしたこと(p.23)は,『メルトダウン』で否定されていたし,WHOの報告に言及して携帯電話の健康被害を強調するとこ(p.67)は,ちょっとダブルスタンダードでは。
朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」,TL上で話題になってたことがあって,実家に行ったときに読んだりもしたんだけど,それで随分と不誠実な記事もあったのは驚いた。町田市で子供が鼻血を出した原因が放射能であるみたいに印象付けたりとか,それはちとひどいなあ。
これってホントかな?
「原子力発電所はかつては『原電』と呼ばれていたが、70年代に全国各地で運転差し止め訴訟が起こされたころから、反対派が『原発』と略すようになった。これはゲンパツという語感がゲンバクと似ていることから、その危険性を強調するため」p.41
この本,情報の典拠がほとんど書いてない。新書ではそういうものかもしれないけど,この著者だけにちょっと頭から信用するのは考えものかも。藤原数希『「脱原発」の不都合な真実』ではその点充実してたな。本名かそうでないかの差かもだけど,池田氏の場合逆効果w
まあそれでもこれまで読んできた信頼できる情報との矛盾はあまり感じられず,すんなりくる内容。「放射能ママが恐怖を抱いて、ガイガーカウンターで計測して回るのも自由だが、行政がそれに迎合して過剰な安全基準を決めると、巨額の賠償や除染が税負担になる。コストを考えないでリスクゼロを求める人々は、多くの納税者にコストを転嫁するフリーライダーなのだ。」(p.114)っていうのはまさにその通り。去年の運動会問題ではほんとに痛感したんだった。今年は屋外でできるかなぁ?
togetter.com/li/161267
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本文より
『科学に限界があるというのは原発事故で初めてわかったことではないが、その代わりに人々の実感や安心などの感情に依拠することは、さらに大きな混乱をもたらす。 科学の限界を自覚しながら、論理と事実にもとづいて考えるしか、現在の危機を収拾する道はない。 われわれは安全神話に安住するのでもなく、危険神話におびえるのでもなく、科学技術という厄介なものと共存してゆくしかないのである。』
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啓蒙的な合理主義の限界を指摘したのは、『啓蒙の弁証法』でおなじみのアドルノとホルクハイマー。啓蒙は神話とは異なり、テクノロジーによって自然を改造し、大きな富をもたらしたが、それは啓蒙を真っ向から否定するファシズムを生み出した。反原発運動がファシズムと類似しているのは、科学的なデータにもとづいて放射能の被害はないと示す者を「御用学者」として否定し、「正義か悪か」を判断基準にするような呪術的思考なのだ。
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東大出身で,某私立大学教授の人気ブロガーによる原発事故関連本.人気があるのもうなづける内容だと思ったが,個人的に同意できる部分とできない部分がはっきり別れた内容だったので★は3つとした.
例えば,「チェルノブイリ事故の直接の犠牲者として確認されたのは,事故から25年たった現在でも62人」,「プラント事故としては,飛び抜けて大きい規模ではない」と,ものは書きよう,考えようである.その通りという部分と首を傾げる文章が混在していたが,その振れ幅が
大きかった.4章,6章、7章の論旨は賛同できたが,前半の内容を考えると釈然としない感じもした..
児玉龍彦先生のチェルノブイリで膀胱癌が増えたは間違いとのことであるが,不勉強の人間には理由がわからないのでその理由を示して欲しかった.その他にも同様に感じた部分があった.
様々な考えがあることを理解できるが,比較にならないものを比較したり,すり替えがあったり,納得はできないものが多々あったのも事実.
「小児甲状腺癌はありふれた病気」という記載には,小児科医としては釣られたいところ(苦笑).
安冨先生の東大話法と合わせて読むと違った視点で読めるかもしれない.
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評価:★★★★★(5/5)
著者によれば、今回の福島の事故において、2つの神話が壊れたという。
安全神話:最悪の事態でも炉心溶融は起こらない
危険神話:炉心溶融が起こると数万人が死ぬ
前者についてはなじみ深いだろう。しかしこの本は後者についてもしっかりと触れてある。
盛り上がる反原発運動にたいして冷静に情報を与えてくれる。
反原発や脱原発、そして原発推進・肯定・・・などなど様々な考えの人がいると思う。
また、雰囲気に流されて(山本七平のいうような「空気」に流されて)いる人も多いのではないだろうか?
『原発は危険だからやめておいた方がいい。けどよく知らない』といった具合で。
たしかに今の世で、反原発熱は高まったように思えるけども、この本に書いてあることを、しっかりと読み直して、あらためて何を反対しているのか、何に対して反対しているのかを考え直してみるのも良いと思う。
もちろん、この本の情報を鵜呑みにすると言うのではなくて、他の本と併せて読んで考えてみればよいと思う。
僕にとっては、最近の反原発・脱原発(運動)は、なにやら異様な正義感のようなものが振り回されているような気がしてならなかったので、ちょうど良い本だった。
残念なことに終章の2つ『第7章 電力自由化への道』と『第8章 合理的なエネルギー戦略』については頭がついていかなかったが、それまでの章は楽しめた。
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【目次】
第1章 安全神話と危険神話
第2章 放射能はどこまで怖いのか
第3章 危険神話はなぜ生まれたのか
第4章 「空気」の支配
第5章 「リスクゼロ」を求める人々
第6章 「自然エネルギー」の幻想
第7章 電力自由化への道
第8章 合理的なエネルギー戦略
おわりに
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読了。一読の価値あり。
さすがは池田信夫さんと言ってよい。
福島原発の事故とその後の推移を巷間言われているように「安全神話の崩壊」ではなく、あえて「危険神話の崩壊」として、安易に「原発は安全」から一気に「やっぱり原発は危険」と原発と聞いただけで何もかも反対したり、放射線の影響を心配し過ぎる傾向に対して多方面からできるだけ客観的・冷静に「本当の影響規模はどれくらいなのか」という観点から検証している。
「安全、大丈夫」と無関心なのも思考停止なら、「やはり危険、原発反対」「恐怖の放射能。低量でも何でも危険」と考えるのもやはり思考停止であろう。
ともするとどちらかの思考停止に陥りがちなこの問題の整理のためにも読んでおいて損はない本だ。
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(2012/3/6読了)基本的には「池田信夫ブログ」に書いてあることを本にまとめたものなので、氏のブログ読者であれば馴染みの言説であるが、私はやっぱり本が好きなのでこうしてまとめて読めるのはいい。個人的に印象に残っているのは「メディアにとってはハザードが大きく頻度の小さいものほどニュースになりやすいので、人々は珍しいリスクを過大評価する」(P119)という点。殺人事件とか飛行機事故と同じ構図で、実際はそこら辺で(自動車の)交通事故に遭う確率のほうがよほど高いのに、交通事故は毎日起きるので過小評価されている。くわばらくわばら。
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ブログなどで過激な発言で有名な池田信夫氏が原発を含むエネルギー政策についての自説をまとめた本。
今回の事故ではこの程度で済んだけど、「安全神話」が崩れた今となっては次の事故が発生する可能性があることは否めず、そのときにはどういう甚大な影響があるか分からない、というのが反原発の主張だろう。著者は、福島によって原発の「安全神話」が崩壊したことは自明だが、一方メルトダウンを起こすと数多くの人命と健康が失われて取り返しのつかないことになるのだという「危険神話」も同時に崩壊した、と主張する。この「危険神話」が崩壊したという認識の上で改めて原発の是非を考えないといけないと問題提起をしている。もっと端的に言うと、原発廃止なんて言ってるやつは論理的に物事が考えられない馬鹿だと言っている本である(たぶん)。
特に微量放射線の影響を過大視してしまっているのは、原発周辺住民のためにもならず、逆に苦しめる結果になっていると言う。LNT仮説(100ミリシーベルト以下の)に対する評価が分かれ道でもあるのだが、微量放射線が健康に影響があったと証明された研究結果はなく、あっても統計的に有意に検知できないレベルのものであるとされている。微量放射線の影響と一度に多量に浴びる放射線の人体に与える影響の違いを、45℃の湯と熱湯の例にたとえたのは、比喩でありそのまま当てはめて正しいとするのは危険だが分かりやすい例えだ。慎重な判断が求められる件ではあるが、問題は原発や放射能のリスクを喧伝することが、必ずしも福島の現地の人たちのメリットになっていないどころか、不利益になっているのではないかという点だと思われる。
エネルギー政策については、3つのE(Energy、Economy、Environment)のバランスを最適化する連立方程式の解を求めることであり、「絶対の安全」などというありもしないものを求めるべきではないのだとする。原子力だけでなく、火力も水力も太陽光もすべて経済と生命のトレードオフで動いている。火力発電の方が危険度が高いため、原発を止めることによって、却って人命が失われるとの主張は、藤沢数希の『「反原発」の不都合な真実』の内容と同じだ。不経済な自然エネルギーの傾倒とともに日本経済への悪影響を懸念している。原発再開の発電単価を考える場合、サンクコストについて考慮することが必要となる。止めたからといって今まで投資したお金が戻ってくることはないのだ。
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藤沢数希氏は先に挙げた『「反原発」の不都合な真実』の中で原発の問題は「倫理の問題」だと言ったが、池田氏に言わせるとNIMBY症候群(Not In My Back-Yard)の問題なのだという。身も蓋もない。
池田氏は仮想敵を作って論破している点があるのは否めず、反原発にもそれほど極端なものは多数派ではないように思える。政府も極端な反原発から経済環境も考慮した中庸の政策に移行しようとしているように思える。地震大国である日本に原発は向いていないという面もあるが、一方多くの知見と省察を得ることとなったのだから、原発も含めたエネルギーポートフォリオを検討し、将来に向けた原子力利用の研究開発も続けるというのが合理的な態度なのかもしれない。
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ほとんど全てに同感する。
原発再稼働に関する議論でいまだに正義の味方っぽい口調で「安全は保証されたのでしょうか?」 などとコメントしている連中には、科学的論理的な反論は全く出来ないだろう。
ちょっと心配なのは、あまりにも筆者の論敵にたいする攻撃が容赦なさすぎるので、打ち負かされた人々は、沈黙を守れればいいほうで、多くは論理をすり替えたり言葉尻をとらえたりして何とか一言反論したくなるだろう。建設的な議論にはなりそうにない。
それにしても、物事の本質をシンプルにとらえ巧みな比喩に表現する能力は素晴らしいと感じる。
88ページには、朝日新聞の編集長が脱原発についてのコメントを紹介している。すなわち、①原発をやめるべきか②原発をやめることができるか、という問いに対して、通常は②→①と考えるが、今はまず①について覚悟を決めて、②が突きつける課題に挑むべきだと宣言しているらしい。
これを、①戦争をやるべきか②戦争に勝つことができるか、という日米開戦前夜の設問に置き換え、英米に勝てるかどうかを考える前にまず鬼畜米英を放置しておいてはならぬという覚悟を決めろと迫るレトリックと同一だと指摘する。確かに同じだ。
戦時中に過激に戦意高揚記事を書き、最後まで本土決戦を強硬に主張し、敗戦が決まると一転して「平和国家を確立せん」という社説を掲げ、70年代には原発推進キャンペーンを張り、今回の原発事故が起こると「原発ゼロキャンペーン」を張る朝日新聞。本質的な主義主張ではなく、強者(軍部やGHQや、今は読者=大衆)への迎合と現実離れした理想論。なぜこんな幼稚な新聞が日本で一番売れ続けているのかますます不思議がつのる。
今話題の小沢一郎も、これの同類だろうか。実は本質的な国家観は二の次で、結構変節する。その時々の大衆に迎合しながら大衆をリードしているように見せかける。
更に言えば、こんなのが受けてしまう日本というのは全体主義に陥りやすい国民性だといえるのではないだろうか。実は右翼でも左翼でも同じで、本質的な議論をすっ飛ばしてムードに乗ってしまう。本書でも繰り返し指摘された「空気」というのは恐ろしいものである。
最後に、本書のタイトルにも感心した。原発が危険だ危険だというマスコミや世論は、ほとんど神話の世界に入っている。もっとも神話という表現はまだ麗しさが漂うが、現実は魔女狩りか異端審問がはびこる全体主義に侵されているということを知らせれ暗澹とさせられる本だった。5つ星。
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低線量被曝が体にいいのか悪いのか、諸説ありますが、高線量で人が死ぬのは事実。怖いのは、それが目に見えず匂いもしないからで、かつ、本当に明快な知見もないという点で他のリスクとは随分違うと思っています。そこを差し引いて、他のリスクと同様に論じるべきではないと思います。人がそもそも合理的でないのだから、合理的な議論なんてないのだ、なんていうと、著者さん呆れるよね、きっと。いろいろな人がいるのだという本。
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リスク評価について整理して考えることができる。誰が正義で誰が悪と決めることでは解決しない問題だと痛感。
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2012/07/09
Yes. I totally agree with this.
Think competitively risk and return.
This book gave me a lot of knowledge.