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大学関係で働いているだけに、いろいろと参考になりました。自分らの時に比べて、現在は大学にとって「学生はお客様」感が否めないけど、それも大学が生き残りをかけている今、仕方がないことなのかなー。
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最近出版された新書。
著者自身が大学関係で働いてることもあって、各大学に関してとても詳しく調べてある。
過度な発言もあるが、これといって偏った考えでもなく賛同できる内容が多い。
特に現在の日本の大学生と海外の学生と比較した内容、中でも国際化という話題の中での韓国の大学との比較は私自身韓国の大学に通ってるために実感とともに読むことができた。
そこにあった、韓国は国際化という点で日本の先を行っていることに同意する。
そのほか、こんな大学もあったのか、と様々な大学が紹介されており日本の大学事情が少しは分かる。
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アホ大学バカ学生とのたまう割に、文章も論理構成もレトリックもバカっぽい。
よく見たら著者はあの『就活のバカヤロー』を書いた人じゃないか、と読み始めてから気付いた。
こりゃバカに向けて書いた本だな…と失望していたところ、後半からは少しまともな大学教育論になっていて、無駄金ではなかった様子。
高等教育を論じる予定のフェスタに向けた準備に、少しは足しになったかな…という印象です。
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すごい勢いの大学や社会に対する批判に時々頭を傾げたこともあったが、結果的にみてみると普段気づかない部分に気づくことができてよかった。
本書で大きく取り上げられている中堅グローバル大学?のAPUに通っているので、同じような視点を感じられて共感できた。
「大学では専門的な勉強だけじゃなく、豊かな教養も身につけるべき。」という意見には大いに賛同できる。
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タイトル通り駄目な学生をあげつらう記述は割とありきたりだが、露悪的な語り口に反して大学のあり方を肯定的にとらえた議論が大半を占める。ここ数年で評価を高めている大学の試みについて、長短併せた検証を行っているところが特に重要。大学で働いている自分の実感としても、かなり核心を突いていると思う。「こんなのは大学ではない」という意見が少なくないのも分かるが、集めた学生層に応じて学びやすい環境を整えること(クラスあたりの人数をなるべく少なくするとか、学生の居場所を作るとか)が最優先課題だという点では、それほど相反するものでもないのではないか。
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石渡嶺司のこの手の新書は「最高学府はバカだらけ」に続いて2冊目。前回も違和感があったが、架空の大学での寸劇まがいのフィクションが今回も掲載されていた。あれはニュアンスは伝わるが、あんな書き方だと信憑性がなくなるのでやめるべき。明治からの就活の歴史と共著の山内太地の担当している章は読む価値あり。
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世に乱立する最高学府大学の状況を紹介している本。
過激なタイトルにしてはどうもピンとこなかった。
下向き上向きある程度カバーしているので色々な取り組みを確認できるのはいいのかもしれない
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思ったほど面白くなかった。多分カタログ的な内容なので飽きてしまったのだろう。
ただ偏差値には関係なく学生の為に真剣に教育に取り組んでいる大学はあるので、しっかり内容を検討した上で選んで入ることが重要なのは良くわかった。子どもが大学に入る頃にまた読んでみたい。
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この本は一見すると、就活本や現代の若者の特徴を述べた本に過ぎないように見えるのですが、歴史の好きな私にとっては、特に第6章の「日本バカ学生史」の内容が興味深かったです。
確かに最近の大学生の就職事情は就職率で見ると、少なくともバブル世代の私の頃よりは厳しいようですが、大学進学率が当時よりかなり上昇して大学卒業生が増えていること、若者が減っている割には大学の数が減っていないこと等、首をかしげてしまうような事実も指摘してあり新たな面を見ることができたように思いました。
以下は気になったポイントです。
・学部名の種類数は1985年には、わずか82だったのものが2010年には481にまで増えている(p42)
・法政大の情報科学部の前身は工学部だが、明治大の情報コミュニケーション学部は、前身が短大の法律科・経済科であり文系学部である(p43)
・本書でいうところの「バカ学生」の特徴は、1)非効率的であっても、ちょっと面白そうと思えば行動に移せる、2)留学生が多い、3)社会との接点が多い(p91)
・有料セミナーは催眠商法そのものがあり、バカを見るのは、このカラクリを知らないマジメ学生である(p107)
・会社説明会はキャンセル率がかなり高いので、企業の人事に電話をかけて「満席で予約できなかったが参加させてほしい」と電話すれば良い(p119)
・大学の先生は答えのない研究に挑んでいるから、当然学生を一人前にするために厳しく叱ることもあるが、打たれ弱い学生はさらにへこむ(p131)
・就活関連では、1879年(明治12)から三菱が定期採用を開始した、当時は大学卒業者の就職は官僚としての採用がほとんど(p156)
・日立製作所の設立は1910(明治43)で、久原鉱業所日立鉱山工作課という大企業の社内ベンチャーであった(p157)
・今では大企業がずらりと並ぶ保険業界も当時(1923大正時代)はブラック企業扱い(p160)
・昔の帝大と高等専門学校では教育専門学校では教育期間が違うので、明治末期には東大等の帝大を100とすると、一橋は60-70、慶応:50-60、早稲田:30-40の給料格差があった(p167)
・大正12年頃には、三菱の諸会社は、帝大・一橋・早慶の各校は初任給75円、私立と地方高商は65円と定めた、これが大学間格差撤廃の端緒(p169)
・筆記試験は1970年代までは重視されたが、その後、適性検査の台頭もあって姿を消していった(p190)
・今時の学生は、と言われていたのは、100年前の明治・大正期もそうであり、100年後であっても大きくは変わらないだろう(p193)
・1990年から現在まで、大学が53%増の780校にまで増加しているのに対して、短大は35%、高校も13%減少している(p201)
・定員割れ大学は、1)ターゲット設定、卒業後の目標、2)教職員の熱意、3)学外への宣伝、が不足している(p226)
・プリンストン大学では、ノーベル賞級の教授陣が1年生を教えてる、教員対学生の比率はハーバードの1:8��対して、1:6、早稲田大学は1:38(p236)
・キャンパスに学生寮が殆どないのは日本のみ、学生運動の余波で寮をつぶしてしまったことが原因(p239)
・日本の大学は1980年代に経済界から専門分野をしっかりやっていない、という批判により、専門科目と教養科目の区分を1991年に無くしてしまい、事実上に教養課程を残したのは東大くらい(p243)
2012年4月8日作成
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≪目次≫
まえがき
第1章 バカ学生、まかりとおる
第2章 大学だってアホっぽい
第3章 講演「受験生をゼロにするためのパンフレット作り」
第4章 就活を巡る空回り
第5章 難関大でも「面倒見がいい」時代
第6章 日本バカ学生史
第7章 定員割れ大学のサバイバル競争
第8章 マンモス大、グローバル人材とバカ学生の間で揺れる
あとがき
≪内容≫
石渡嶺司と山内太地という、大学研究(と就活研究?)者ゴールデンコンビによる大学研究書(第何弾なのだろう?)。
タイトルの過激さ(もうこっちは感じなくなっているけど…)に比べ、中身はまっとうな指摘となっている。まあ、目新しいのは、第7章の部分か?私大の定員割れが当たり前となった今日この頃、それを公表し、それに立ち向かっている日本橋学館大の話は有名だが、金沢星稜大、千葉科学大の成功例、頑張っているけどもう一つの知名度の、宮崎国際大、長岡大(後者はあまり知らなかった…)。
文科省が定員状況の公表を義務化したため、人気のない学校がわかり、何も手を打たなければつぶれる可能性も出てきた。上記の学校のような話がもっと話題にならないと、わけのわからない学部が増え、受験生が右往左往するはめになるのは必至。こうした部分を受験雑誌も、単なる太鼓持ちにならず、しっかりと取材してほしいと思う。
ちなみに、大学生の歴史の部分は冗長…。
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さらーっと読める新書。この本の「バカ学生」とは、人生の近道を探さない、自分の興味だったり学びたいという欲望に素直な学生のこと(就活とか気にせず留学したり、勉強をし直したいから留年するとか)。割と私の周りには「バカ学生」が多いな、なんて数少ない友達の顔を思い浮かべながら読んだ。 そして、人事やら学生の就活の面倒を見る大学事務側もいろいろ大変なんだなーと。迷子になっている暇があるくらいなら、本を読んだり知識を身に付けたり、どっか行かなきゃいけないね。
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バカ学生の特徴を一言でまとめると、目の前に面白いことがあれば、そこに興味をもつことだ。それが非効率なことであってもお構いなし。ただし勉強についてはどこかで帳尻を合わせるのも特徴。こういう学生がのびているなあと実感。
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いつの時代もバカ学生は同じ。
しかし現在のグローバル化に伴う大学の変化。そして変化について行けない大学の荒廃。
大学の繁栄と衰退の2極化が進んでいるような気がする。
そして、就職の為の大学のような。
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タイトルがキツイが、学生と大学への愛を感じる。大学と就活の現状がわかりやすくかいてある。
第3章は余分。普通にすっきり書け。
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簡単な問題すら解けない学力低下と、それと同時にソーシャルメディアでの危険性を顧みない発言。学生自身の能力低下と、一方で大学自体の体制の甘さもあげている。
結局のところ、学生は試行錯誤して自分の考えを自分の言葉で言えるように努力し、大学はそのように成長できる環境を整えることが大切なのではないだろうか