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とっても好きな短編です。読み応えがあります。
お化けが出てくるようなおかしみのある話から、
離れ離れになっていた夫婦の再開、友情、ぞくっと
するような話まで、次は何が飛び出すか
ワクワクしながら読んでいました。
個人的にすごく楽しませて頂きました。
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全11編の短編集.世間で云う山本周五郎的な「人情もの」と,落語的な「人情話」の混合.お気に入りは,亡き妻を偲んで暮らす侍の「おもかげ抄」,のちの「さぶ」を思わせる「三年目」,捨て子を育てる「人情長屋」,お家騒動に巻き込まれた藩主の次男坊の「泥棒と若様」かなあ.あ,全部「人情もの」だ.
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人情物って言うのでしょうか、江戸時代、長屋が舞台の短編集
亡き妻の面影をおって生きている孫次郎さんのお話「おもかげ抄」が良かったかなぁ
変な幽霊と同居するお話や、捨て子を育てるお話など、色々あって楽しめました
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11の短編の中のひとつ「風流化け物屋敷」は山本周五郎さんという作者はこういうものも書くんだなあと嬉しくなりました。
化け物にまるで動じない世間知らずの侍と、恐いもの大好きな娘の交流が何とも微笑ましくゆったりとして良い。
読み始めた時はなにか落語の「化け物つかい」のネタになった話かななどと思っていましたが、じつは化け物は・・という話。
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再読(何回目かの)
昭和8年から27年に書かれた作品を集めた短編集です。
山本さんは分りやすい作家で、若い頃は書割りの様に薄っぺらく、年を経るに従い深みが出てきます。この短編集でも戦前の作品は小中学生向けの読み物の様で、後の作品になるほど読み応えが出てきます。もっとも、本当に円熟味が出てくるのは昭和30年以降という気がしますが。
とはいえ、久しぶりに周五郎の世界に浸りました。
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05-100 2005/11/08 ☆☆☆☆
全体としての出来は中くらいでしょうかね。やや”こっけいもの”が多く、また初期の作品が多めの構成です。
周五郎の面目躍如とまでは行きませんが、収録されている初期作品も、将来の周五郎を予感させるような、その時代の中では出来が良い作品が集められているようです。
ちなみに「雪の上の霜」は寺尾聰主演で映画化された「雨あがる」の姉妹編。
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上野千鶴子さんが東大の入学式の祝辞を述べて話題になり、僕は全文をネットで読んでとても素敵だなあとココロ動きました。
"がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。"
素晴らしいですね。視点、そして分かりやすい言葉のセンス。ハラショー。
最近、山本周五郎を再読していて、山本周五郎の世界観というか主題というか通低音というか、つまりは、"がんばっても報われない社会" そういうことなのかもしれないな、と。
なんだかんだ、ソレである以上は、現代性があるの無いのという以前に、普遍であり不変である訳です。悲しいかな。
例えば「人情」とかのコトバで位置づけて片付けてしまうのは、読書の愉しみとしては勿体無い。
これがまた書き手が人情なんてタイトルに入れちゃってると、かなり偏見と予断に晒されちゃう訳ですが。
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「人情裏長屋」。山本周五郎、新潮文庫。
チャップリンの映画「キッド」。しばらく見ていませんが、見るたびに涙腺が緩む傑作だと思っています。映画演劇小説漫画、兎角元来涙モロイのですが、40代に入って更に磨きがかかり。
山本周五郎さんの短編、この本の表題作、「人情裏長屋」も、同じくです。
初めて読んだのは、11〜12歳の頃で、かれこれ35年余の間に3〜4度読み返していますが、再読するたびに泣けます。困ったものです。
「キッド」系列の物語と言えば。映画なら「三人の名付親」「グロリア」「怪盗グルーの月泥棒」「依頼人」「スリーメン&ベイビーズ」などなど、どこまで解釈を広げるかで無限に人気のあるジャンルです。
考えれば「レ・ミゼラブル」も、バルジャンとコゼットですから。
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江戸時代。江戸。
青年の浪人者が、裏長屋で飲んだくれて暮らしている。気は優しくて腕が立つ、同じ長屋の気丈な娘が憎からず想っていたり。同じくうだつの上がらない浪人仲間で、妻に死なれ赤子を抱えて難儀中の者がいる。 主人公が面倒を見たら、ある日、赤子を主人公に預けたまま失踪されてしまう。「出世したら迎えに来ますからよろしく」と。
困り果てて、でも仕方なく赤ちゃん育てに格闘し、やがて情が移る頃には、主人公の暮らしぶりも健全になり。そんなある日、子を捨てた親が、なんと出世して迎えにやってきます。
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メロドラマ、卑怯といえば卑怯、ズルいと言えばズルい。エンタメです。万人受け���す。センチメンタルだしある種おとぎ話だし。そもそも時代劇なんだし。
そうなんですけど、主人公が赤ちゃんに、桃太郎を話聞かせる段、矢張り何度読んでももう堪りません。泣けちゃうものは仕方ありません。こればかりは、読み手に子供がいるからとかそういう次元でも無いようです。
主人公や、彼女さんや、赤子の父や、皆のそれぞれの状況やら、こだわりやら、ヒネクレ度合いやら、やるせなさやら「がんばってもそれが公正に報われない社会」というペーソスに、それが一時的なモノぢゃァなくて考えたくもないくらい年老いるまで続いて行くというコトと、そのことに自尊心を鉋で削られながら耐えて行く以外の選択肢を実際のトコロ与えられていないという…、浮世、憂き世の具体的すぎるリアリズムに生爪を剥がされ突き刺し貫かれる痛みにキチンと書き手が自覚的だからなンですね。一文が長すぎますが。だから泣ける。かけそばがイッパイだからって泣けやァしません。古いけれど。
…とまあ、少年期以来のファンとしては周五郎小説の応援演説ならば雨ニモマケズなんですが。
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表題作以外も、いつもどおりどれも読ませます。個人的には「豹」「麦藁帽子」はイチオシ。ともに、(執筆当時の)現代劇。
「豹」は手塚治虫のブラックな短編を思わせる、男と女、心の闇にゾクッとさせます。「麦藁帽子」は、かつて想いあった男女の歳月や心のヒダ。まさに憂き世に虐められてきたヒトの傷口が、かくも痛いのに美しくなれるという。野菊の墓なショートストーリー。
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ちなみに、作品の初出年、よくわかりません。
新潮文庫から出ている、いちばん普通に手に入れやすい短編集です。このシリーズはどうやら、山本周五郎さんの没後(1967)、親交のあった人の手で編集されたもので、「町人もの」「女性もの」「武家もの」「現代劇」などが、固まらないように、どの一冊を手にとっても、山本周五郎の魅力を広く知れるように、という狙いで作られた。それはそれで考えようによってはブラボーなお仕事なんですが、短編ひとつひとつの初出年というのが割愛されていてあとを追いづらい。
全集とか読んだりすれば、あるいは研究者の方々は無論わかるでしょうが。誰でも気軽に見れる全データみたいなHPとか、ないかなあ。(無かったら作りたい)
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山本週五郎初読。江戸時代、長屋を舞台に描かれる軽妙な筆致の短編集。しみじみとした人情あり、くすっと笑える話あり。『泥棒と若殿』薦められて読んだのだが、けして交わらぬ立場の二人が共に暮らすうち、心を寄せ合う様が印象に残った。20200508
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NHKドラマ’’子連れ信兵衛’’の原案になった人情裏長屋のほかも収録されている短編集。コメディも含まれており出来の良いものから順にあげると’’泥棒と若殿’’、’’おもがけ抄’’、’’雪の上の霜’’、’’麦藁帽子’’、’’秋の駕籠’’。あとは同列で’’ゆうれい貸家’’、’’三年目’’、’’風流化物屋敷’’、’’長屋天一坊’’、’’豹’’。長編と違って短編はぐっと私の感覚にあう作家です。
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人は抗えない人生を持っています
それはあきらめろということではなく
卑屈になることなく
真摯に受け止め精一杯歩けということなのだと思う
殿様も乞食も人生という時間を授かり
己を見失うことなく今できることをする日々
人が存在する以上延々と続くのですね
山本周五郎はやはり私の師です
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ちょっと乗り切れなかっなぁ。
この作家の構成にしては、長文の塊が多い気もしたし。
まぁあんまり読書に浸れる気分でもない所為でしょうけれども。
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表題作をはじめとする「長屋」を舞台にした作品が多く描かれています。
どれもおもしろかったですが、特に印象に残ったのは『泥棒と若殿』『秋の駕籠』の二篇で、どちらも男同士の友情が爽快に綴られていました。
最後の『麦藁帽子』も不思議な読み応えで、尾を引くおもしろさです。
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短編で読みやすいので、時代ものに慣れていなくても楽しめました。人と人との心の通い合いに、心安らぐ一方で、笑えるものもありました。
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2月14日は山本周五郎の命日である(昭和42年没)。かつて少年は、時代小説に目覚めたあと、司馬遼太郎派に行くか、山本周五郎派に行くか別れた。わたしは、山本周五郎派に行った。その時既に吉川英治の八割がたを読んで、歴史物は極めたという慢心があり、それとは全くジャンルの違う世界を読んでみたく思ったと思う。本屋の山本周五郎棚を1/3くらい制覇した頃に、わたしはSFとか、純文学とかに移っていった。けれども、本屋の本棚はそれから数十年「いつでも戻っておいで」とほほえんでいた。
表題作「人情裏長屋」
今読むと極めて「定型的な人情話」である。超絶的な剣技を持つ浪人・信兵衛は、長屋の住人を陰ひなたに支えながらも毎日飲んで酔っ払っている。剣はたつが、出世欲はなく、人は頗る良い。道場破りで金だけは必要分だけはある。世話をしていた隣の少女・おぶんは近所の神(かみ)さんに「酒を止めてあげなよ」と言われて「なにか酔わないじゃいられないようなことがあるらしいわ。醒めた時の寂しそうなお顔は堪らないわ」と喝破する。そんなある日、長屋に越してきた侍が乳飲み子を残して出てゆく。信兵衛は、酒断ちをして屋台を引いて赤ん坊を育て始める。
昭和23年発表。当時はありふれてない、切実な話だったと想像する。当時戦争孤児を近所のよしみで育てているという話は多くあった。血を分けた親か、育ての親か、論争は既に各地で勃発していたろう。そういう時代性とは別に、ふと思い出したようにドラマ化されるのが山本周五郎。「子連れ信兵衛」(2015)としてNHKが3シーズンまでこの短編を基に作ってるらしい。
「泥棒と殿様」(昭和24年発表)
家督争いでボロ御殿に軟禁されて餓死寸前まで放置されていた若殿は、忍び込んできた気のいい泥棒と一緒に生活し始める。これこそがホントの生活なのだ、と思い始めた頃に‥‥。
殆どの価値観が逆転したのが戦後であった。所謂落語によくある殿様と庶民シリーズの少しリアルバージョンではあるが、退屈しないのは、泥棒の悲惨で尚且つ少し可笑しい半生が、政治に翻弄され完全に現実に嫌気がさした若者に、何らかの生きる理由を指し示すからだろう。
その他9篇が載っている。
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市井の人々の日常や人情の機微を
表して面白い
泥棒と若殿は 権力闘争に敗れ
ボロ屋敷に置かれ 世話してくれる
付き人も無く 食料も途絶え
餓死寸前の若殿の寝所に泥棒に
入った男
あまりの窮乏ぶりに同情し
世話をやくようになる
厳しく辛い人生だったが
殿を見ると何だか世話したくなり
それが生き甲斐か 自らの張りに
繋がり
殿も争いの世界に虚しさを感じ
こんな生きように満足していたところ
争いに決着がつき殿として
迎えがやってくる
最後の夕食を殿が作り
多くの民を幸せにすべく
早朝に発つと そこに忠臣の家来が
頭を垂れていた
痺れる
人間同士の思い 忠義
こんな世界
昔はあったよね きっと