紙の本
「あの戦争は酷かったんですね」で終わらせない
2009/08/25 00:22
11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎年、終戦記念日が近づくと、戦争について考えさせられる。本書もこの夏、タイミングよく私の目に飛び込んできた一冊である。
著者は軍人としてではなく海軍の民政府調査員として採用され、ニューギニアの地に配属された。(民政府とは占領した地域を治める行政機構。著者は天然資源の調査を行なった)かろうじて終戦を迎えたがBC級戦犯として逮捕された経歴を持つ。
本書は著者自身の戦地ニューギニア島での見聞と、国会図書館に埋もれていた膨大な手記、職業軍人たちが執筆した戦史を基に、「戦火の流れと戦場の光景を、再現しよう」と試みた書である。そこには「飢えと疲労と病に冒され、むなしく密林に行き倒れた兵士たち」の地獄絵図が生々しく描かれている。ニューギニア島に投入された20万人の兵士のうち、生きて本土に戻れたのは一割に満たなかったそうである。
第4章に「極限状態に曝された人間は、人類が何千年もかけて作り上げてきた道徳や倫理を、一挙にひっくり返します」とある。まさに地獄。人間性を失った兵士たちは原始の姿、動物と同然と化すまで追い込まれたのだ。戦争がなければ、きっとそんな鬼畜となることもなかった人々がである。
戦犯として刑務所に収監されていた著者も昭和24年暮れに日本に送還された。インドネシアが独立することになり、宗主国だったオランダは主権を喪失し、戦犯たちの処遇に困って、GHQに著者らの身柄を委ねたのだという。しかし帰国してもスガモ・プリズンに収監され、昭和31年にようやく仮釈放されたそうだ。
「六十年前のことをすっかり忘れるような集団健忘症は、また違った形で、より大きな過ちを繰り返させるのではないかと危惧」している著者は、読者に「あの戦争は酷かった」という感想だけで終わらせたくない、という思いを本書に込めている。かの「大戦の真相と、それを覆い隠してきた歴史的経緯を、しかと検証」することが国民的課題と考えている。
同じ過ちを繰り返さないためにも、我々戦争を知らない世代も、歴史を学ぶことが必要だ。なんでもお上のせいにし、自分には無関係というのではなく、日本国民として、かつてのような状況下で自分ならどうすべきか、よく考えることが必要だろう。政治家や官僚、それらと癒着する財界などに対して厳しい眼を持たなければいけない。
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無念。立つことのできる人間は寿命は30日間。身体を起こして坐れる人間は3週間。寝たり起きれない人間は一週間。寝たまま小便をするものは三日間。ものいはなくなったものは二日間 またたきをしなくなったものは明日
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「英霊」などという言葉を軽々しくは使ってはならないですね〜。何百万もの兵士を餓死、病死に追いやったのは軍部の稚拙な作戦のせいだと思います。
そうした軍部の責任がいまだに追及されていません。それが一番の問題だと思います。
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ある程度知っていたつもりだったが・・・さらに、想像を超える内容が描かれている。
著者のやり場のない怒りも心を打つ。
この気持ちと事実は語り伝えるべきもののような気がします。
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[ 内容 ]
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった―。
昭和十七年十一月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。
西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。
幾度なく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民の恨みと襲撃、そしてさらなる転進命令…。
「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。
[ 目次 ]
第1章 大調査隊をニューギニアへ
第2章 餓死の序幕
第3章 命を吸いとる山を越えて
第4章 底なしの大湿地帯を行く
第5章 幻と消えた「あ号作戦」
第6章 ビアク島の玉砕戦
第7章 私の犯した「戦争犯罪」
第8章 敗戦と収監、そして日本へ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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幽霊本 をみたら ある 陸軍跡地に 幽霊が出る 話が書いてあって その部隊っていうのが まさしく ニューギニアで 玉砕 した 部隊だったので その幽霊は いったい どんな姿で 現れるんだろう と 思ったことでした。幽鬼のように やせた姿で 現れるのか それとも 出陣の時の姿で 現れるのかだいたい 靖国にまつられて 神様になっているのなら 幽霊になって現れるはずもないのに 幽霊が出るというのは 生きて帰った人が 何らかの 心残りを 発言 していたってことなのかな と。
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戦争の映画は、よく見る方ですが、最近では、日輪の遺産、一枚のハガキをみて感動と言うか、涙がでて、戦争の悲惨さを感じました。ニューギニア戦線の真相を読み、映画では知り得ない戦争の実体、事実を知ることができました。私たちは、戦争の経験はありませんが、歴史の事実を若い方々に伝えていくことは大切な事と思います。日々の生活の中で、戦争で悲惨な死を遂げた御霊に対し哀悼の意を評したいと思います。
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文章を何度読んでも創造ができないくらい、まさに「地獄」の現実。
史実は色々な噂や戦勝国の都合のいい歴史にすりかわっているんじゃないかということもあるけど、これはまぎれもない現実だと思う。
リアリティがありすぎるけど、全く絵が思い浮かばない。
いい時代に生まれた幸せと、昔からお上は下を平気で切り捨てるということがかろうじて理解できた。
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日本人が太平洋戦争で筆舌に尽くし難い犠牲を払って獲得した日本国憲法を、集団的自衛権の閣議決定をしてなし崩し的に無効化しようとしている人々がいる。戦争は絶対ダメだという、絶対的平和主義こそがこの憲法の肝要であろう。13条の個人の尊重も戦争状態にないことがそれを担保する。
改めて、戦争の真実を知ることを始めよう、と思った。集団的自衛権の議論については、具体的な身体的な議論、あるいは想像をしなければならないと思った。戦争はそれこそ現場で起っているリアルなものだからである。
著者はニューギニア戦線から奇跡的に帰還した元兵士。愚かな指導者の作戦指揮によって、悲惨きわまりない状況で餓死していく兵士。文字を追いながら想像する。でもたぶん間違いなく、その想像を何十倍も上回る悲惨がそこにあったに違いない、と思う。想像しきれないのだ。数百の遺体がジャングルに放置されている、それらからは靴や服や・・すべてが剥ぎ取られている、取っているのはもちろん同胞たち。身体からはウジが湧き、凄まじい臭気が辺り一面を覆っている・・・という状況は、やはりリアルには想像できない。個人が尊重される、なんてことは微塵もない。
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著者は1943年海軍民政府・資源調査員として
ニューギニアへ。
この本の冒頭で綴られている文に心うたれる。
生命判断
「①立つことできる人間は・・・寿命は30日間
②身体を起こして坐れる人間は・・・3週間
③寝たきり起きれない人間は・・・1週間
④寝たまま小便をするものは・・・3日間
⑤もの言わなくなったものは・・・2日間
⑥またたきもしなくなったものは・・・明日」
そんな惨酷な生活の中で著者は何を考えて行動したのか。
この本を読むと戦争の恐ろしさがわかる。
内容(「BOOK」データベースより)
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった―。昭和十七年十一月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。幾度なく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民の恨みと襲撃、そしてさらなる転進命令…。「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。
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ニューギニアから生きて帰ってきた元兵士達の手記を引用して、一冊の本にまとめたものですが、著者も海軍の民政府職員として現地にいたので描写にリアリティがあります。
山を越えて転進した!死者が多数出た!と聞くだけでは「そうか」と思うにとどまりますが、実情はどれほど無謀で悲惨なことだったのか、極限状態を十分に伝えてくれます。
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ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/422166330.html
二百数十万の日本兵の大多数が、戦闘ではなく、飢えと病気で死んだ。
飯田は、弱冠20歳の軍属として「アジア解放」の理想に燃えてニューギニアに赴任する。
しかし、理想とはうらはらに、ニューギニアに送り込まれた兵士と軍属は飢えに苦しみ、病に犯され、次々に死んでいく。
東京の「大本営」が机上で描く、無責任でまったく実効性のない「作戦」で、幾万、幾十万の若者の命が失われていく。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください。」
この常套句に、飯田は怒る。
「飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が聞こえてくるようです。」
「兵士たちはアメリカをはじめとする連合軍に対してではなく、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに怨んで死んでいったのです。」
偉大な先輩に、敬意をこめて一献。
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太平洋戦争の戦場の現実を知らないで(あるいは知らないふりをして)、靖国、安保条約、改憲(実情は反憲?)問題を議論するのは、机上の空論、歴史に対する侮辱 と思う。
海外で刑に服していた戦犯が日本に帰ってくる(スガモですが)ことができたのは、法廷を開いた宗主国が植民地の独立で主権を失ったから、警察予備隊の創設と旧職業軍人の行動に対して、スガモに収監された戦犯から、抗議の声があがったことなので、初めて知ること多かった。
「自らの行為を敢えてさらしながら、この原稿をまとめる作業をしてきました、「あの戦争は酷かったんですね」という感想で終わることを、深く懸念しているからです。」という一文を、全日本人が受け止めるべきメッセージと感じた。
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軍部は死んだ兵士の家族には、何処どこにて戦死したと告げたのであろうが、実際は戦場で敵弾に斃れたのではなく、多くの兵が無謀な作戦によって武器も食料も乏しいなか、病気や飢餓によってその貴い命を落としたのである。著者が言うように彼らが果して日本の将来の礎になったと言えるのであろうか。為政者は戦争の真実に目を瞑って、残された者たちへ美辞麗句を並べる。さあ、今後自衛隊員が万が一PKO活動で命を落としたとき、事実を国民に伝えるのであろうか。同じような事後処理をしないかと心配である。
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(2017.08.07読了)(2013.01.23購入)
副題「-ニューギニア戦線の真相-」
太平洋戦争に於いてガダルカナル島で多くの兵士が病気や飢えにより戦わずして死んで行った、また兵器の差により多くの兵士が戦死したことはよく知られています。
この本は、ニューギニアでも同様のことがあったということが、著者自身の経験と生き残った方々の手記を引用することにより明らかにしたものです。
ニューギニアにある基地を死守しようと多くの兵士を送り込んでいったけれど、兵士や武器、食料などを積んだ輸送船がアメリカの潜水艦からの魚雷攻撃で撃沈されたため武器や食料を持たない兵士が上陸するとかのために援軍にならなかったとか、上陸後の移動が、海岸部を利用するとアメリカ軍に狙われるために山岳部をとらざるをえなかったために体力を消耗し死んで行ったりとか、大きな川に前進を阻まれたり、アメリカ軍と戦う前に死んでゆく兵士が多かったということです。
制空権も制海権もない状態で、日本と現地との連絡もままならない状態で、戦わざるをえなかった。これで戦争と言えるのだろうか、ということです。
【目次】
はじめに
第1章 大調査隊をニューギニアへ
第2章 餓死の序幕
第3章 命を吸いとる山を越えて
第4章 底なしの大湿地帯を行く
第5章 幻と消えた「あ号作戦」
第6章 ビアク島の玉砕戦
第7章 私の犯した「戦争犯罪」
第8章 敗戦と収監、そして日本へ
おわりに
主要参考文献及び出典一覧
●検証を(177頁)
なぜあれだけ夥しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を断たれ、、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されなければならなかったです。兵士たちはアメリカを始めとする連合軍に対してではなく、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀こそ、恨みに怨んで死んでいったのです。
(2017年8月8日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった―。昭和十七年十一月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。幾度なく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民の恨みと襲撃、そしてさらなる転進命令…。「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。